三月にしては、驚くほど寒い朝でした。
部屋の中の温度計は、20度を越えたくらいです。
上さんが、ネットで調べたらスワンナプーム空港は18度でした。
ベッドから起き出すと、あわてて長袖の着衣にしました。
起き抜けに長袖を着たなんて、これまで二三回しかない。
明け方でも気温が25度を下回る日など、この時期、ほとんど無いのです。
日本におりますと、少し肌寒くなってきたくらいのものでしょう。
でも、こちらタイに住み着いて、今日で三年目を迎えました。
こちらの気候にも順化された感じで、かなり寒く感じてしまいました。
この寒さですと、北部の山岳地帯は10度を切っているかもしれません。
タイの一般家屋は、寒気を防ぐ造作になっていないのです。
ストーブのような暖房器具すらない。
毛布に包まって寝るか、戸外で焚き火をしてしのぐしかないのです。
後は、酒でもかっ食らって我慢することでしょうか。
でも、酔っ払いが凍死する事件は、時々起きてしまう。
まだまだ、タイの人は貧しいのかもしれません。
ただ、暑い気候ですから、一時の寒ささえ逃れれば何とかなるのです。
こうして、時は過ぎてしまい、人々の生活は回っていくのでしょう。
こんなことを思い出し、日本の東北大震災を改めて考えるのです。
雪がちらつく中で、被災者や行方不明者の救助や捜索に当たる関係者の奮闘には頭が下がります。
片や、”原発を防げないと東日本はつぶれる”と、人を奈落の底に落とす馬鹿者もおりました。
カンチョクトさんよ、”原発を防衛することで、新しい東日本を再建する”となぜ言わないのだ。
前向きに言わず、人々を恐怖に陥れて、それが一国の宰相のなすことか。
私は、直感的に民主党では、日本に未来は来ないと感じるようになりました。
と言うわけで、日本の皆さんが大変なときに、外地で仕事をしている関係から日常の忙しさは普段と変わらないのです。
申し訳ないと思いながら、月末に迫った株主総会の準備もありますし、何かと気ぜわしい。
そんな時、首相の言動は最悪の必殺文句でした。暗澹たる気持ちになった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
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