2011年6月29日水曜日

ブランディー一気飲み大会で沈没の巻き

ベトナムは旧仏領植民地なのです。
このため、現地の人はワインを好んで飲みます。
他方、度が強くなってきますと、蒸留酒のブランディーが最も好まれています。

それで、本日はベトナムからお客様が来タイされました。
用心してブランディーも二本持ち込んであります。
ところが、二時間もせずにすっからかんに空いてしまったのでした。

恐るべし、ベトナム五人の酒豪どもです。
あえなく日本人の接待勢は、撃沈されてしまいました。
中華レストランで出された食事も食べすに、延々と飲み続ける。

しかも、一気飲みしか受け付けないのです。
ベトナム語で、”モッチャンモッチャンと言って、手拍子揃えて飲みまくります。
ちょっと、弱い人なら”菅ちゃん菅ちゃん”と言って逃げまくり、半分しか飲みません。

これって、辞める辞める詐欺の奸チョクト並で、姑息な儀礼な分けです。
ところが、ベトナムの人は、酒に真っ向から立ち向かってきました。
こちらは、挑戦状を受けたつもりで返礼しまくりで一気飲みなのですよ。

と言うわけで、今宵は酒飲み合戦で、日本勢は討ち死にしました。でも、五年前に担当していた時の現地メンバーがバンコクまで訪ねてくれたのですから、とても楽しい飲み会になりました。明日は、ソンブーンと言う有名な中華レストランで対決ですが、劣勢挽回と反転攻勢をかけるべく、早めに床に就く道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月28日火曜日

接待で帰宅して、史上最低の首相に呆れるの巻き

※Overdopeさん、毎回の拝借すんません。

今日は、接待もあって帰りが遅くなりました。
パキスタンから取引先の若いマネージャーがハネムーンで来られたのです。
新婚ホヤホヤでして、パタヤで二泊した後のバンコク滞在になります。

空港で迎えてホテルまで案内したのですが、これがちょっと辺鄙でした。
スクンビット通りソイ2の奥にあるSoloと言うブティックホテルです。
agodaで調べますと、一泊二名で3400円くらいでした。
朝食付ですから、非常にリーズナブルなホテルですね。
新築ですし、若いカップルには似合っている宿かもしれません。

さて、チェックインをした後で、シーフードレストランのソンブーンへ直行です。
プーパップンカリーというメニューが一押しの人気レストランなのですよ。
過去にも、小泉首相も秋篠宮殿下もいらっしゃっています。

それで、イスラム教徒のカップルですから、食事には色々とタブーもあります。
シーフードも食べられないんじゃないかと心配しました。
ところが、大好きだと言う答えが即座に返ったので出かけてみた分けです。

いやー、おいしく召し上がっていただけたようで、完食でした。
満腹になりましたが、五人全員で2290バーツにしかなりません。
日本円なら、一人1250円ですから安いものです。

それで、ホテルまで送り届けた後、そそくさと家に戻ってまいりました。
なにしろ、今宵は、楽しみにしていた民主党両院総会がありました。
辞める辞める詐欺の奸チョクト首相が、どんな目に遭うのか興味津々だった分けです。

先ずは、ネットで新聞各社の記事を漁ってみます。
いやはや、つるし上げ状態だったようです。
しかも、本人はわざとらしく用事があるとかで、途中で退席しています。
まあ、逃げ帰ったと言うのが本音でしょう。 

首相に350議員の冷ややかな目…民主両院総会
菅首相、質問求める怒声振り切り退席…両院総会
原口前総務相「花道、自分で作るものでない」(讀賣新聞)
首相、解散でけん制=辞めろコール続出-民主(時事通信)


両院議員総会発言要旨(時事通信)
菊池長右エ門氏(衆院比例東北)
被災地は(政府の震災対応の遅れで)最大不幸社会になっている。
首相は(辞任し)一日も早く四国巡礼の旅にたつように意志を固めてほしい。

階猛氏(衆院岩手1区)
菅直人首相がある会合で「私の顔を見たくないなら早く再生可能エネルギー促進法案を通せ」と発言した。
国会を冒涜(ぼうとく)している。

阪口直人氏(衆院和歌山2区)
(首相が)国会、法案を私物化することはできない。
小学生が宿題をしない理由として「一定のめどが付けば」と言っている。
いつ退陣するかは明確に分からなかった。
若い世代にどうバトンタッチするのか。
もっと分かりやすい言葉で語ってほしい。

と言うわけで、一言、日本の政治は終わってしまったと直感しました。これほどまでに、モラルハザードで民主主義政治の限界を知らしめてくれた、奸チョクト首相には万死を以って報いてあげても良いでしょう。評論家の田原総一郎さんも、辞めさせるには殺すしかないとテレビ番組で言っておりましたけど、同感いたします。これからの展開がどうなるのか予測もつかないのですが、震災復興をなんとかしろよと、どつきたくなってしまう道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月27日月曜日

パトンタニ県イミグレーションオフィスの巻き


先週、イミグレーションオフィス(入国管理事務所)に出かけました。
場所はパトンタニ県ですが、昨年に続いて二回目です。
一年に一回は、外国人ですから滞在許可を手に入れる必要があるのです。

それで、行った事務所はこぎれいに改装されていました。
階段を上がって、事務所の入り口ドアが設けられています。
開けて中に入ると、ひんやりとした冷気に包まれました。

なんと、エアコンが効いているのです。
各種申請書を書き込むために、机もイスも新調されていました。
それだけ、顧客サービスに心掛けたってことでしょうか。

昨年は、エアコンも無くて外で待たされたときは、暑苦しくてたまらなかった。
しかも、九時に事務所が開いて中に入ると、事務官が食事をしていました。
なんだこりゃ、こんなルーズな役人仕事があるのかと、思ったくらいです。

しかも、仕事中にテレビは点けっ放しで、事務官はおしゃべりのし放題です。
なんともいい加減なタイの役人だと思ったのですが、今年は違いました。
制服もちゃんと着ていて、意外にまともに業務をこなしています。

ですので、今年はお土産のお菓子も効いたのか、順調に許可を貰いました。
申請してから約一ヶ月が経ちますが、所定内と思われます。
後は、入出国が楽なようにマルチエントリービザも入手しておきました。

さて、順調すぎて時間を少し持て余しました。
ですので、付近の商店街をぶらぶら歩いて見ます。
金のネックレスや指輪を売る金行も通りに連ねています。


ただ、面白かったのは七輪が売られていたことです。
この辺りは、LPGのボンベより未だ木炭コンロが役立つのかもしれません。
とにかく、田舎の雰囲気が満載な街並みなのでした。


と言うわけで、来年は、このイミグレーションに来なくても良いのかも知れません。年季奉公も約束の期限が近づいてきましたし、このまま、居過ぎれば日本の仕事のやり方も忘れてしまうでしょう。それは困りものですので、絶対に来年は帰って見せるぞと、心の中で思いを新たにする道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

硬い水で滑って遊ぶバンコクの巻き


日曜日の昼下がり、退屈を持て余して外出しました。
行き先はスケートリンクのあるショッピングモールです。
バンコクでスケートが楽しめるなんて、今の今まで知りませんでした。

名前は、インペリアル・ワールドって言います。
日本語に訳したら「帝国世界」になりますが、かなり仰々しい。
でも、行って見たら場末のちょっとうら寂れた印象は、隠せませんでした。


場所はラップラオ通りですが、バンカピのモールからは二三キロです。
スクンビット通りからなら、40番か501番のバスに先ず乗ります。
次にラムカーヘン大学辺りでバス駐車場を右手に見たら、少し先で下車しましょう。
続けて、122、126、137、182、545番のどれかのバスに乗り換えます。
どこでもそうですが、停留場はモールの真ん前にあるものです。
降りましたら、歩道橋を渡って到着です。


このスケートリンクですが、入場料金は200バーツみたいです。
もちろん、貸し靴代も入っていると思いますが、滑りはしませんでした。
まあ、最期に滑ったのがおよそニ十年前なのです。
当時、東京の品川プリンスホテルにあったスケート場でして、未だ若かった。

今はもう、おじさんですから、ずっこけて捻挫でもしたら大変です。
それに良く見ると、気温が高くてリンクの氷がかなり解けている感じでした。
転べば水浸しになりそうですし、代えの服も必要になりましょう。
ですので、今回は無理をせずに滑るのを遠慮することにいたしました。


さて、このモールですが、レストラン街のHOT POTで食事をしました。
バイキング形式のタイスキになっていて、お一人様290バーツです。
一時間半の時間制限がありますが、食べ放題なのがうれしいです。

それで、店内では闇雲に日本語のデザインがはびこっていました。
現地の人は、言葉の意味なんて、ほとんど分からないでしょう。
日本人が読んだって、かなり怪しい日本語だと感じました。

でも、これはこれで良いんですよ。
日本をどんな形であろうと、好意的に受け入れてくれております。
ありがたいことだと思って、食事をさせていただきました。


と言うわけで、こちらは南国ですから、タイの人は水が凍るなんて知りようも無かった分けです。このため、氷にあたる単語が無くてナムケン(堅い水)という合成語で代用したのでしょう。そんな昔はいざ知らず、現代は科学の力で氷も簡単に作れますし、その上でスケートも楽しめるのでした。そんなバンコクの日常の楽しみをまた一つ発見してためになった、道産子社長がいるのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月25日土曜日

菅直人は殺せばいいと田原さんのありがたい一言の巻き

”殺せばいい”って、そう簡単に吐けるお言葉では有りません。
まして、ドラマのような芝居じゃなくて、生の討論でです。
朝まで生テレビ”って月一の政治関連番組がありますよね。

深夜の番組で明け方までぶっ通して議論する形式です。
司会者は、テロ朝御用達の田原総一郎さんですが、やってくれました。
”脱原発、菅政権の行方”を取上げたのですが、昨日の深夜、今日の早朝と言うことになります。
それで、ネットで紹介してくれた方がいたので、早速視聴して見ました。


まあ、議論は不毛以外の何物でも無く、取るに足らない。
とりあえず、14分過ぎまで進めて見てください。
この辺りでは、あの似非ジャーナリスト上杉隆が、えらそうに喋っています。
話題は、奸チョクトが辞めるか、辞めないかで、切り出されました。
 ところが、田原氏が突然話を切るように結論を出しました。

上杉「菅さん辞めさせる方法はひとつだけ」
田原「殺せばいい」(15:50~)

要するに、殺さない限り、総理の椅子に何が何でも居座り続けると、言いたかったのでしょう。
手っ取り早い手段かもしれませんが、これって殺人教唆を鼓舞しているようなものです。
ですので、苛立ちを隠せず、タブーな言動に至ったと言うことでしょうか。

考えて見ますに、これほどまでにマスメディアも含めて嫌われた首相は、史上ありますまい。
しかも、命を奪ってまでも、首相の首を挿げ替えると言うのが正当化されそうです。
ただ、本人は不信任決議が否決されて信任されたと思ったのか、精神的には高揚感に満ち溢れ続けております。

ですので、本人の意思か不慮の何かで退陣するのか、何時どういう決着をつけるのかは、奸のみぞ知るところなのでありましょう。


と言うわけで、”本当に顔も見たくないのか”と執拗に三度も繰り返した姿は、首相の器にあらず、精神的な障害者の側面を垣間見せたようで、非常に不快に感じました。NHKのニュース・ウオッチ9でも、この発言を取り上げていましたが、大越キャスターがあきれたようなそぶりを見せたのには、道産子社長もうなずかざるを得なかったのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月24日金曜日

マレーシアから移ってきた男の巻き

今日、日系企業の駐在員の方が訪ねてこられました。
鋼材関係のご商売で、工場がごくご近所でした。
イゲタ物産さんの系列ですから、世界を又に掛けた商売でしょう。

当社は、自動車メーカーさんのように大量に消費する企業ではありません。
恥ずかしながら、年間、千台二千台規模だと正直にお話しました。
板金の協力会社さんからも、納入品の折り曲げ・型抜きで長い取引が続いています。

そうなると、新規参入は難しいと思ったのでしょうか。
商売の話は、そっちのけで駐在員の経歴で話が弾みます。
何でも、マレーシアで現地採用になったのが出発点とのことでした。

そこでは、九年間も勤務されていたそうです。
そして、その間に本社採用に昇格され、駐在員の待遇になったと話されました。
実は、これはすごい出世なのですよ。

本社採用となれば、日本の給与待遇に加えて、駐在員手当てがつきます。
それに、福利厚生は、すべて日本側の水準が適用されるのです。
はっきり言って、年収が倍増とは行かなくても、かなり増えるんじゃないでしょうか。

道産子社長だって、駐在員手当てが付くようになってたまげました。
現地給料と日本の手当てを足すと、給金が急上昇したのです。
おかげで、五十前になって、ようやく勝ち組に加えてもらったと思ったぐらいです。

ですので、それは本当に良かったのですねと、お祝いの言葉を述べてしまいました。

ところで、アパートはどうされましたかとたずねます。
赴任直前の一週間しか時間が無くて、希望通りにならなかったそうです。
しかも、家賃は規定ぎりぎりで月八万バーツ(22万円)になってしまった。

はっきり言って、現地採用の人では、こんな高いアパートは借りられません。
本社採用になったが故の賜物だと素直に感じました
ただ、南向きの部屋を選ばざるを得なかったのは、いただけない。

こちらは、熱帯の暑い国ですから日光が激しく照りつける方角は、禁忌です。
選ぶなら、北側がベストで、東側で我慢できるぐらいじゃないでしょうか。
加えて、間取りがたったの百平米では狭苦しいでしょう。

四人家族ですから、倍近い間取りが必要になってくるはずです。
日本に住んでいれば、この広さは信じられないかもしれません。
でも、海外駐在って言うのは、これが当たり前なんです。

因みに、道産子社長の規定家賃は、はるかに低い額です。
このため、1ベッドルームの八十平米の部屋に住んでおります。
子供のいない夫婦だけですから、これで充分と言えば充分です。

だって、日本に帰れば七十平米で3LDKのマンションに住んでいるのですよ。
これでも過不足内ないと感じるものです。
ですから、こちらは無駄な空間が多いと思いますね。

と言うわけで、マレーシアから移ってきた彼とは、色々な話題で花を咲かせました。特に、マレーシアのマレー人は民族政策で救われてるせいか、働かなくてルーズで汚職や腐敗は当たり前とか、華僑系は圧迫されているなんて知っていましたけど、実例を聞かされるうちにマレーシアの駐在でなくて良かったと思ったものです。タイは、帰化してしまえば現地人化してしまうものですが、かの国は、何時まで経っても、マレー系、華僑系、インド系の分裂国家なんだろうなと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月23日木曜日

自己申告書を駐在先のタイで書くの巻き

勤め人なら、こう言うのって書いたことがあると思います。
派遣だったり、パートだったりすれば別かもしれません。
長く努めていれば、書かされる羽目になるもんです。

会社を批判する気もあまりありません。
だって、こうして合弁会社の社長になれたんだからね。
日本に居れば、単なる管理職に過ぎないのです。

肩書きが、一挙に社長へ昇格するってことは、まっことめでたい。
ですので、会社には一応感謝せねばならないと思っています。
でも、本音はちょっと不満もあるんですね。

実を申しますと、これまで輸出の主力製品は日本からでした。
部分的に、タイでも請け負えた輸出モデルもあります。
でも、それはローエンド(普及)レベルの製品で、ちょっと不満です。

ハイエンド(高級)の製品も製造できるから輸出したい。
でも、それがちょっとコスト的に競争できなくて無理なんですね。
付加価値の高い部品を一切合財、日本から輸入しなくてはならない。

部材も値が張るし、輸入コストがバカにならないのです。
これに、貨物が工場に到着するまで二ヶ月以上掛かったりします。
となれば、欠品は避けたい一心で、在庫を余計に抱えてしまいます。

そんなかんだで、部材の国産・輸入を金額比で調べてみました。
なんと、高級機の場合は、65%が日本からのを含め輸入品なのですよ。
国産は、残りの35%でして、国産化比率を上げない限りコストは下がらない。

それでも、普及機は半分ぐらいは国産化が進みました。
でも、それでも低い次元に止まっていると思ってしまうのです。
後は、日本から生産拠点をかなり引っ越さないと、国産化は無理でしょう。

実は、この業界は専門過ぎて市場が非常に限定されています。
全世界の需要も自動車のように巨大ではありません。
ですので、これまでは、日本の工場で輸出してもまかなえる程度だったのです。

ただ、為替が一ドル八十円に張り付いてしまいました。
この為替では、どんなにコストダウンを繰り返しても極限にまで来ています。
もう、BRICSが製造する製品には、日本発では勝負できないかもしれない。

ここまで来ると、生産拠点を写すか否かの検討段階です。
創業の思い出のある工場だからと言って温存しても、仇になってはいけない。
そう思いながら、自己申告書を書いてしまいました。

1.あなたの担当職務を簡単に記入してください。
  また、仕事面で負担と感じることがあれば記入してください。

職責:タイへっぽこ社社長、職務内容:経営管理全般。
特に負担はない。

2.会社・職場へ意見と希望があれば記入してください。
今年度、日本の製造部門から監査を受け、主力工場に匹敵するレベルとの評価を受けた。
現状の製造レベルでは、品質面で不足・不満は無いし、コスト面でも優位に立つ部分があるだろう。
しかも、輸出製造拠点としてはアジアのハブ:バンコクに位置し、物流コストでも有利である。
グループの世界戦略拠点として、当社を有効に活かせるよう、検討すべき時期になったと思う。

と言うわけで、これが道産子社長の精一杯の会社批判なのです。日本の生産拠点を無くしてしまえば、従業員のリストラ・解雇も当然伴うでしょうから、経営陣は頭が痛いことだと思います。企業として創業百周年もすぎましたが、これからが生き残りの頑張りどころでして、痛みの伴う決断も必要になりましょう。そんなことを冷静に考える経営者としての道産子社長が居るのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月22日水曜日

サムイ島在住邦人に問い合わせて見たの巻き

<質問メール>
-------- Original Message --------
Subject: リパノイ・ビーチについて
Date: Mon, 20 Jun 2011 17:00:43 +0700
From: Gurigurimomonga Gurigurimomonga@Heppoko.co.th
To: takaxxx7715■yahoo.co.jp

サムイ島「Weekly Samui」管理人殿

拝啓
初めてお便り申し上げます。
いつも、貴ブログを折に触れて拝見させていただいています。
今般、ようやくにして来月の連休もあり訪問を決心しました。
宿泊先ですが、星数が多い割りに値段が安く、評価の高いリパノイ・ビーチにしました。
サンセットビーチの北側ですが、実に地味な印象です。
ただ、フルムーン気味な夫婦にとっては、ノンビリ命の洗濯ですので良いのかもしれません。
このビーチについて、どうして人気が無いのでしょうか。
欧米人は、割りと高い評価のコメントを良く残しています。
そこで、理由などがあり、教えていただけるなら幸甚でございます。
取り急ぎ、初めてながらメールにてお尋ね申し上げます。
以上

ぐりぐりももんが拝

追伸:
当社は、ガソリンスタンド向け機器が商売でして、島のSSはほとんどがユーザーです。
訪れるのを楽しみしております。

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<折り返しの回答メール>
-------- Original Message --------
Subject: Re: リパノイ・ビーチについて
Date: Wed, 22 Jun 2011 03:23:03 +0900 (JST)
From: taka
To: Gurigurimomonga Gurigurimomonga@Heppoko.co.th

とり急ぎ、返信いたします。

リパノイ・ビーチは、
空港から遠い僻地。
僻地なのに、滞在して飽きないサイズの大きなホテルがない。
ということでしょうね。

欧米人は、何もせずに、過ごすのが上手ですが、
日本人は、「さて、どこに行こう」とすぐに考えるから、
その違いだと思います。

日本人は、便利な立地を好みます。

勿論、これは一般論で、僕などは、欧米人タイプなので、
リパノイ・ビーチの滞在も、素敵だと思います。

サムイ島「Weekly Samui」管理人

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<メールへのお礼を兼ねた返信>
-------- Original Message --------
Subject: Re: リパノイ・ビーチについて
Date: Wed, 22 Jun 2011 09:00:36 +0700
From: Gurigurimomonga Gurigurimomonga@Heppoko.co.th
To: taka
CC: Neko-chan

サムイ島「Weekly Samui」管理人
Takaさんへ、

わざわざ、ご返事をありがとうございます。
”欧米人は、何もせずに、過ごすのが上手です”と言うのは、自分もそう感じています。
もっとも、私は山屋(登山が趣味)なので、アウトドアは大好きでして自然に触れ合えれば、それで構いません。

そこで、リパノイですが、ナトーンのフェリー乗り場からは近いです。
多分、欧米の人は、フェリーで渡る人が多いのでしょう。
鉄道でスラタニへ行き、そこからバス~フェリーを乗り継ぎぐのなんて当たり前と感じました。
ですので、サンセットビーチは近い感じがします。

そして、そう言った安上がりな賢い移動も、欧米の人は楽しんでいるのかもしれません。
因みに、私ども夫婦はスラタニ空港経由です。
バスの道中でも、お客さんのガソリンスタンドを拝見させてもらうのが楽しみです。

色々とご説明下さり、ありがとうございました。
貴方におかれましても、サムイ島におけるビジネスでのご活躍を期待させていただきます。
取り急ぎ、メールにてお礼まで申し上げます。

ぐりぐりももんが拝

(この巻き、終わり)

2011年6月21日火曜日

Reply mail from Viva Vacation resort in Samui island

*URL from here!!

Dear Mr. Gurigurimomonga,

Warmest greeting from Viva Vacation Resort, Koh Samui. :)

We hope this e-mail will find you well.We are happy to welcome you in the near futher.

If you have any questions or inquiries.Please do not hesitate to let us know at anytime.

Looking forward to seeing you soon.

Best regards from Sunny Samui,

Kris
Sales Director


----- Original Message -----
From: Gurigurimomonga
To: info@vivavacationresort.com
Cc: Neko-chan
Sent: Mon, 20 Jun 2011 16:42:47 +0700 (ICT)
Subject: Visitng Island soon!!

Dear Sir,

This is my first e-mail to your resort villa.
Now, we already booked two nights stay on July ** and ** through AGODA booking site.
Although we are living in Thailand since 2008, this is the first time to visit Island area.
We are looking forward to Nice accommodation.
Best Regards,

Gurigurimomonga

2011年6月20日月曜日

七月の連休は、サムイへ渡島を決行なのじゃの巻き(その二)


さて、サムイ島までの足は確保しました。
次に、どこの宿に泊まるかです。
インターネットで調べましたけど、Agodaの予約サイトがやっぱり便利でした。

先ず、国と地名を指定すると三百件近くの候補が上がります。
さすが、押しも押されぬ国際的なリゾートだけのことはあります。
ただ、島のどの滞在エリアが有名なビーチなのか見当がつきません。

そこで、左側の下にある”エリア/立地”と絞込条件を活用しました。
先ず、一つずつ選んでは検索して、価格と設備を調べ上げます。
一方、事前に人気ビーチだけはチェックしておいたので、それを優先して選びました。

1.チャウエンビーチ
2.チョンモンビーチ
3.ラマイビーチ
4.タリン・ンガム(サンセットビーチ)
サムイ通になれるサムイ島旅行ガイド参照

この四つのビーチは、ホテルも集まっていますので、選択肢も広がります。
ピンからキリまであって選びにくいのですが、重視したのはお客様コメントでした。
夜間の騒音が気になるとか、従業員のサービスが悪いとか、いろいろ書かれてあるものです。

まあ、このようなコメントは、宿泊客の第一印象ですが役立ちます。
日本人のコメントもあるにはありますが、数はそう多くありません。
他方、欧米の宿泊客は、どのビーチにも万遍なくコメントを残してくれています。

ですので、グーグルの翻訳機脳を使いながら訳して読んでいきました。
この中で、コメントには評価点も有りまして、10点が満点です。
この評価点ですけど、普通⇒良い⇒優秀⇒すばらしいの順で評価が高まります。

自分としては、初めてのサムイ島ですからがっかりにはなりたくない。
それで、少なくとも優秀以上の宿泊先にしたいと考えました。
探しまくりましたが、結局、決まったのは次のリゾートでした。


このリゾートですが、リパノイというビーチにあって知名度は今一です。

ただ、地理的にサンセットビーチのタリンガムの北側に位置しています。
その意味では、存分無く夕日が楽しめると思いました。
それに、小さなビーチなので浜辺沿を伝って歩くと、隣のリゾートまですぐに遠征できてしまいます。

しかも、一泊朝食つきの二名宿泊で七千円いたしません。
部屋も72㎡あって、かなりゆったりした気分で過ごせそうです。
値段も安いし、評価も高いというコストパフォーマンスさでは、一番ではないでしょうか。


と言うわけで、夕日の沈む地平線を心行くまで楽しんだのは、北海道の神恵内村でした。あそこでは、暮れなずんで染まり行く景色に勘当してしまいましたが、沖合いにはイカ釣り船の集魚灯も見えて来て、それは美しさにうっとりとしたものです。今度のサムイ行では、同じように南国の夕日を存分楽しみたいと、今から期待で一杯になる道産子社長なのでした。
(この巻き)

2011年6月19日日曜日

七月の連休は、サムイへ渡島を決行なのじゃの巻き(その一)


サムイ島へ旅行することにしました。
ここタイでは、七月の中旬に四連休がやってまいります。
これだけまとまった休暇ですと、旅行しかありません。

ただ、四日間、フルに動き回るのも疲れそうだ。
最期の日は休養にして、二泊三日で決定です。
ならば、どこへ出かけましょうか。

五月は内陸のイサーンへ旅行しました。
今回は、反対に海へ出かけるのも良さそうです。
しかも、閑散期ですから宿泊代も大幅に値引きしてくれます。

ただ、飛行機代がやけにお高いです。
一時間だけのフライトで、片道4千5百バーツもします。
もし、同じ距離のチェンマイへ行くのなら半額以下です。

でも、これには理由があるようです。
つまり、サムイ空港はバンコクエアウェイズの所有です。
このため、他の国内エアラインでは、タイ航空にしか着陸を認めていません。
独占ですのであぐらを掻いて商売ができると言う分けです。


こうなると、フェリーで本土から渡るしかない。
調べて見ましたが、スラタニ空港経由にしました。
空港でバスに乗車し、ドンサック港でフェリーに乗り換える道筋です。

これですと、片道で半額近くまで抑えられます。
航空券ですが、Air Aisia(エアエーシア)で予約しました。
ネットからクレジットの決済もできますので重宝です。

実を言いますと、このアイデアは従業員から教えてもらいました。
マネージャーの中には、サムイ島出身者がいるのです。
家族で帰省する時は、車に乗ってフェリーで何時も渡るのだそうです。


と言うわけで、先ずは往復の足を確保したので、宿探しを専念することにいたしましょう。何でも、予約サイトには二百箇所以上の宿泊先がリストアップされています。ビーチの選び方次第で、エンジョイの方法も変わるでしょうから、じっくり調べようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き)

おまけ:
スラタニ空港からバスを運行している会社
Pantip Travel : TEL077-272230 または 077-272906
バスフェリーの通しチケット代:350THB

2011年6月18日土曜日

みのもんたは高給取りかつ退化する猿脳の巻き


要するにカンペ無しで司会が務まらなくなっているようです。
とあるブログさんの記事をキャプチャーしてみました。
どうも、屋外の収録番組ですが、これでギャラ幾らなんでしょうか。

ネットの風説によれば、能力デフレもあってか一本百万円の下落途上だそうです。
一頃は、テレビ司会者の帝王とまで歌われていた人が、落魄の最中にあるのかのもしれませぬ。
まあ、TBSのような変体思想偏向番組に加担するような人材ですから、お里が知れてきたのでありましょう。

みの:いや~、やっぱり
いい歌っていうのは
こころにしみるね~

芝居みたいに、せりふそのまんまを感情込めて話すのに悲哀を感じます。
あんたの司会能力は、脚本家、構成作家次第ってことでしょうか。
要するに、やらせでしかありえない言動に追従を打つ田分けどもの宴かつ猿芝居が、マスゴミのテレビ番組なのだと断言したくなりました。


ちなみに、演説・講演などでは、演者を補助するためにプロンプターが使われていますね。
この装置ですが、いまや誰しもが使うようになってしまいました。
調べてみたのですが、歴史は古く半世紀以上も前に発明されています。

1952年、第31代米大統領だったフーバーが共和党全国大会で演説する際に使用されたんだとか。
それ以降は、麻薬みたいなもんですよ。
画面の前で視聴者に語りかける詐術者ご愛用の武器として重宝がられているのでした。

日本ですと総理で始めて使用したのは、細川護煕氏です。

それは、1993年のことで、アメリカよりかなり後れました。
あの頃、政権交代を果たした首相として期待を担って登場したのは事実です。
でも、在任期間が一年にも満たず、実に短命の息切れ内閣でした。
これをみよがしに気取って使った程度では、才覚も記憶力もたかが知れていたと言うことかもしれません。


と言うわけで、この一株五百円男は、脅威の粘り越しで総理の座に偏執する始末です。あまりに哀れを誘うものですが、これこそ、左翼の権力闘争を踏まえ、失脚したら粛清しかないという恐怖心もあってか、しがみつくドタバタを演じていると感得いたしました。どちらにせよ、プロンプターを上手に使った方が、語りかけは嘘を付くのであれ、見苦しくないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:J-CASTニュースから
「民放の19時台視聴率が1ケタになった」 テレ朝プロデューサーの「ツイッター」に「当然」の声

2011年6月17日金曜日

雷の落ちない雨季ってキモイの巻き

タイの雨季と言えば、スコールです。

これまでは、落雷を伴う短時間の激しい雨が普通でした。
日中の午後、入道雲がぐんぐん発達してきます。
間もなく、強めの風がさぁーっと吹いて来て、ゴロピカの始まりです。

雨足はかなり強いですから、雨宿りをするのが無難です。
お店の軒先を借りる人、コーヒーショップに駆け込む人などさまざまに見かけます。
こういった日常の風景は、南国のありふれた出来事で見慣れてしまいました。

でも、今年はちょっと趣が違います。

先ず、日中に雷が落ちなくなりました。
自分の勤務するバンコク郊外ではよく落ちるのですが、市内は違います。
雲は湧き上がっても、日の明るいうちに雷を落とせなくなりました。

その代わり、夜中とか明け方になると、準備が万端整うのでしょう。
いきなり、かんしゃくを爆発させたように雷鳴が轟くのです。
正に、サディスティックに眠りを覚まされた挙句、こちらは寝不足になってしまう。

先週末のことですが、そんな天気に見舞われてしまいました。
しかも、近所に落雷が多発して、耳元で拳銃を放たれたような感覚です。
ドカンと言う爆音のすさまじさはものすごいものがあります。

おかげで、雨が上がっても目が覚めてしまい、眠られなくなるのです。
結局、寝不足を昼寝でカバーすると言う始末でした。
それに加えて、雷も落ちず雨だけ降る日も増えてきました。

明け方の朝五時ごろなんですが、ざぁーっと振り出します。
強い雨脚なのですが、雷は落ちません。
気温も下がっていて、何となく蒸し暑い日本の梅雨時分を思い出しました。

これって、気候が変動してきている証拠なんじゃないでしょうか。
自分は、十五年前に二年ほどバンコクに住んでいました。
今はこちらに住んで三年になりますが、過去の経験と比較することもできます。

実際、昔はこんな不思議な雨の降り方は無かったように思うのです。
何か、天気が変わりつつあると実感しています。
それで、ふと思い当たったのが、中共の三峡ダムでした。

このダムは、揚子江の中流域に建設され、巨大な人造湖が出現しています。
2003年から貯水が始まり、一昨年に完全に完成しました。
その貯水の規模ですが、東京・神奈川・埼玉の一都二県を合わせたのより広いそうです。


一方、中下流は水不足で流域の淡水湖:洞庭湖が干上がりそうになっています。
半世紀ぶりの旱魃だとかで、中国でも気候の変動は三峡ダムが原因だと噂されているのです。
これが、四五千キロ離れたタイにまで影響しているのではないでしょうか。

と言うわけで、この記事を書いていたら、夕方になってザーッと強めの雨が降り出しました。ちょっと、ゴロゴロ程度の雷は聞こえましたが、音なしの構えで強い雨音だけが聞こえてくるだけです。今年は、暑季も短くて暑くなかったし、すぐに雨季も始まってしまいました。気象異変を感ぜずにはいられない道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月16日木曜日

ネット界隈でも究極の発言が現れ始めるの巻き


■ 菅直人は・・・暗殺した方がいいと思う・・・

この発言は、結構、意味を持ちますね。
二階堂ドットコムさんの見出しなんですが、そこまで来たかと言う感じです。
本文を読んでみますと、これまで本人に寄せられたメールを通して感想を述べています。

いくら麻生がバカでも安倍が下痢しても、暗殺しろというメールは来なかった。最近多いですよ。
「菅が死ねば」っていうメール。
実際に知っている警察官僚でもそういう風にいう人がいます。
みんなそうおもうということは、それだけ末期なんです。

自分の場合、殺意が湧いたぐらいの表現で、ブログでは抑えてきました。
でも、一部の国民の目線は、生命を奪う前提まで怒りが昇華しているのかもしれません。
最近の週刊誌だって、見出しが過激になってきています。

菅直人、さようなら「ペテン政治家」
無意識なウソ、姑息な言い逃れ。
この男の政治人生はその繰り返しだった。
(週刊文春6月16日号)

「菅直人(総理)」と言う度し難き人災
初めは手柄だったのに
「海水中止」のウソとペテン
(週刊新潮6月2日号)

いやはや、現職の首相にウソとペテンと言う表現をぶつけております。
意味的には、人を騙すこと、詐欺ですが、国民を欺いていると言うのでしょう。
なんとも、究極の言葉が踊っております。

一方、元麻生首相は、漢字が読めない、オタクだとか言われました。
在任中は、マスゴミが意図的に言葉狩りをするなど、作意さえ感じたものです。
それで、どの程度だったのか調べてみました。

漢字だけじゃない!
麻生太郎の「マンガ脳」
(週刊文春08年11月27日号)

「学習院の恥」とOBも見放した「おバカ首相」
麻生太郎
(週刊新潮、上記と同年同日)

解散どころか人事もできない
麻生「死に体」政権
動かすゾンビたち
(週刊朝日09年7月17日号)

まあ、バカにはされていますが人品まで究極に見下した感じはありません。
むしろ、可愛くもてあそんでいる感じです。
一方、鳩山前首相は、どう扱われていたのでしょうか。

一ヶ月で化けの皮がはがれた!
鳩山「愚か者」の事件簿
(週刊文春09年10年22日号)

「大統領が何を考えているのか分からないんです」
鳩山総理がアメリカが音を上げた
バカが専用機でやって来た
(週刊文春09年10年22日号)

鳩山首相
五月に政権はパンクする
ほんにお前は屁のような
(週刊文春10年4月8日号)

こちらの方は、私設子ども手当ての脱税やら鳩ポッポ脳とか揶揄されました。
やんごとなき鳩山ファミリーの御曹司ゆえの扱いでしょうか。
あきれ果てながらも、軽いいなされ方で済まされている感じです。


と言うわけで、菅直人氏は、週刊誌上では、究極の悪人扱いまで進化した、初の総理と言うことが言えるでしょう。この男にとって、首相になることだけが目的だったのです。日本国民のために使命を全うするなど、論外でして、これほどの邪悪な性格で首相になるとは、日本国民は思いもよりませんでした。民主党に投票した有権者も暗愚だったことは恥じねばなりませんが、国家の衰退を現実に感じておののく道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月15日水曜日

あまーい、あまーい危機で気づかされるの巻き


しかし、熱帯の河川ってどうして泥川みたいなんでしょう。
茶色く濁っていまして、バンコクのチャオプラヤー川も例外ではないのです。
でも、”水清れば魚棲まず”の例えなので、魚影は濃いはずです。

日本だって下流の河口付近まで来れば、多少濁ってくるのは致し方ありません。
でも、タイの場合は上流、中流、下流を問わず、透明度は無いのです。
メコン川なんか、どこまで下っても黄土色の流れで満たされております。

もっとも、これは熱帯の土壌と関係しているのかもしれません。
タイもそうなのですが、土地がラテライトと言って鉄分の赤っぽい土でできております。
灼熱情熱の土地らしく、真赤に見える地面です。

これが、水に溶け出したらどうなるか。
多分、赤っぽい水の色に変身するではないかと思うのです。
ただ、水で色の濃さが希釈されて薄くなるのではないでしょうか。

ですので、川の水が黄土色になっても了解と、自分なりに結論いたしました。

これも、ガキの時分、学校の地理で習ったことを思い出しただけのことです。
それでも、クワイ川鉄橋のあるカンチャナブリ県の山奥まで行くと、多少は澄んでいます。
うすら汚れ水程度でして、水中を泳ぐ魚をなんとか確認できたりします。

さて、そんなチャオプラヤー川ですが、魚が砂糖責めで大量死する事件が発生しました。
先月31日の金曜日に、航行する運搬船がスピードの出しすぎで舵取りを誤ったらしい。
直後、護岸に激突して沈没してしまったと言うのです。

流失した砂糖が何と二千トンと大量です。
これだけ、運搬できる荷役船も大きいなら、運べる川も大河でありましょう。
しかも、下流ではなく中流に差し掛かった当たりのアユタヤ県です。

この上流には、川沿いにタールア(タイ語で港)の町もあります。
日本人の感覚ですと、港は海にあるものでしょう。
ところが、インドシナでは、悠々たる川のおかげで内陸に港があるのでした。

そこは駅名にもなっていて、それだけ水運に関わる地名が根付いている証拠です。
しかも、CPF社の配合飼料サイトや専用荷役岸壁も建設されていました。
興味のある方は、”さくらぎちょう”さんのブログをご訪問ください。

お分かりの通り、日本で言う川の規模とは、レベルが違いますね。
驚いてしまいますが、川の流れがきつくないのが幸いしています。
上流から下流に向かって高低差のほとんど無い国土ですから、水運に好適なのでしょう。

ところで、この大量の砂糖のメルトダウンは、漁民にとって大災害です。
淡水魚の魚を養殖している生簀では、大量死が発生しました。
冗談では済みませんが、魚も糖尿病に罹るのかと思ってしまいました。


それに、船が護岸に激突して岸がかなりえぐられたのがニュースで分かります。
タイの場合、自然堤防がほとんどですから、岸辺の破壊は厄介です。
簡単に土砂が流され、護岸が崩落していきます。
しかも、岸辺の掘っ立て小屋みたいな民家が流される危険に陥りました。
 
こうなると、結構問題をはらんだ事故でして災害レベルになったと言えるわけです。
チャンネル3の朝番組でも、月曜日から毎日、経過を報道し続けました。
被害総額が、見積もっても二億バーツですから計り知れないようです。

と言うわけで、タイの河川は未だに物流を担う動脈路なのでした。バンコクを流れるチャオプラヤー川でも、大型のはしけ舟が頻繁に行き来するのを見ることができます。しかも、カンボジアの内陸トンレサップ湖では、石油を輸送するタンカーも見かけたぐらいですので、メコン川も合わせてインドシナにおける河川の役割は重要と思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月14日火曜日

コーンケーン出張で使った国道のお話

※左クリックで拡大してご覧下さい。

先週、出張したコーンケーンのおまけを書いておきましょう。
走ってもらったルートなんですが、往路と復路でちょっと変えてみました。
往路は、国道304号線を使い、帰路はごく普通の2号線をたどりました。

先ず、バンコクからイサーンへ向かう時は、普通2号線を使います。
ところが、パタヤから長距離バスに乗ると304号線経由なんだそうです。
ナコンチャイエアーバスの運行らしく、ネットの書き込みを見かけています。

確かに、イサーン(東北)地方なら、この方が近道ですね。
それで、この国道を走る周辺には多くの工業団地が点在しています。
ある時、取引中の協力会社さんがこの近辺に納入先があると聞きました。

この会社は、コラートのスラナリ工業団地に工場があります。
納品ですから、時間厳守は絶対でしょう。
地図を見ても二号線は遠回りですから、この国道は貴重なのだと思いました。

この304号線ですが、タップラン国立公園を抜ける付近は山道になります。
今まで片道二車線道路が、対抗二車線に変わってカーブもきつくなります。
時々は、追い越し車線区間もありますが、前をとろい大型車両が走ると厄介です。

バスもありましたけど、大型トラックの鈍行振りには呆れました。
日本の大型車両なら、あれぐらいの坂道ぐらい平気だったはずです。
過積載なのか、CNG燃料で馬力が出ないのか分かりませんけど、とにかくのろい。

しかも、抜きたくてもカーブが連続して、見通しも悪いし追い越しができない。
それでも、Sum Mai Ngamの峠を越えて走り続けたら、元の単調な直線路に戻りました。
その後は、コラートで二号線に合流して目的地まで快適な運転を楽しみました。

※国立公園はタリポット椰子が有名なんだとか。

と言うわけで、この国立公園に入る直前には、カビンブリ工業団地もありました。かなりのどん詰まりですが、自動車部品の日系企業も進出していて、地の利でトヨタさんの工場へ納入しているのかもしれません。かなり辺鄙な印象でしたが、この北にはコラートのスラナリ工業団地もあって、製造業はどんどん内陸に進出していると感じた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月13日月曜日

コーンケーンで棚卸しに立ち会って考えたの巻き


今回の出張は、イサーン(東北)地方の棚卸しチェックでした。
管理事務所は、中心都市コーンケーンですが、駐在員が各地でがんばっております。
ナコンラチャシマ、ウボンラチャタニ、ノーンカイに拠点があるのです。
日夜、彼らはメンテナンス車を操って、製品のメンテナンスに従事して来ました。

うれしいことに、タイ全土でユーザーのいない県はありません。
これまで、カスタマーサービスには万全で望んで来ました。
ネットワークを充実させながら、常に最高の顧客満足を心掛けています。

※GPSで車両の位置を把握しています。

このため、修理用パーツですが、メンテカーの荷台にも在庫させています。
すぐに修理できるように最低限のストックが必要なのです。
しかも不足した時には、管理事務所の在庫から払い受けたりもします。

ですので、在庫の管理が結構厄介なんですね。
集計がおろそかになれば、経理部が把握する在庫データと食い違いも起きてしまう。
結果的に、半年ごとの棚卸しは定例の社内行事になってきました。

まあ、駐在員には頭の下がる思いなんですよ。

現場では、パーツを販売すれば、伝票発行から集金まで駐在員の責任です。
その後、一定の期間で集金を本社まで銀行経由で送ってもらいます。
車両には、ラップトップもプリンターも用意し常備しました。
Wifiのインターネットで経理部へも即時に報告が可能になっています。

まあ、こう言った業務規定は、長い時間を掛けて確立されました。
タイの人はルーズで管理ができないなんて、言う人も居ますが、継続は力なりです。
少しずつ改善しながら、理解と協力を得られたからこそ、今の体制があるのです。


と言うわけで、合間を見ながらE-85を販売するガソリンスタンド(BCP社)も見学してみました。この燃料は、エタノール85%にガソリン15%を混合したガソホール燃料です。給油には、専用車両が必要なのですが、コーンケーンの東北部まで販売が広がっているのは驚きました。CNGスタンドもありましたし、エネルギーの多様化では日本よりはるかに先進国だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月12日日曜日

道端の生ソーセージ売り屋台は、大丈夫ですかの巻き


吊るし柿みたいですけど、腸詰チーズなのです。
しかも、ミンチのお肉を詰め込んで生のまま売られております。
これが、冷房の効いた室内なら買おうと思い、食指も動きましょう。

ところが、ここイサーンでは道端の屋台で堂々と売られております。
ちょっと、鮮度の面で心配ですが、直射日光は避けて日陰でした。
しかも、日中は意外とそれなりに風も吹いています。
つまり、乾燥して干物みたいになるので、大丈夫なのでしょう。


ところで、この屋台は、ポン(Phon)と言う街で見かけました。
国道二号線が通り抜けますが、屋台が競い合うように並んでいます。
もちろん、目印になるのが、縄のれん状の腸詰ソーセージです。

これまで、国道二号線沿いでは色々な屋台を見かけてきました。
でも、生ソーセージ売りを見かけたのは、ここだけです。
地場の特産品なんでしょうけど、興味を惹かれました。

場所的には、イサーン(東北)最大の都市コンケーンに行く途中です。
ここから、車で一時間ほど北上すれば、たどり着けます。
しかも、国鉄の駅があって、特急も日に三本が止まるようです。

さて、冒頭の写真ですが、右の多くが豚肉、左が牛肉です。
一本で大体十個くらいつながっていまして、お値段は百バーツでした。
食べ方ですが、フライパンでこんがり焼くように説明も受けました。

こうなりゃ、楽しみで買って帰るしかありません。
一本づつ買って、後はすぐに食べられる牛のソーセージも買いました。
こちらは、一本五十バーツですが、安いですね。

※左の黒いのが生食可。球形のは正体不明。

試食させてもらいましたが、正に食べなれているソーセージの食味です。
ちょっと酸味もありますが、有名なイサーンソーセージとは違いました。
このイサーンソーセージですが、ハーブが効いて辛みや酸味の強い味が特徴です。

自分の経験では、初めて食べた時、鮮度が悪いと勘ぐったぐらいなのです。
それぐらい、ソーセージの味としては、初体験でショッキングでした。
未だに、この味付けだけは好きになれないのですが、この屋台のはOKでした。

と言うわけで、帰ってから上さんが蒸した後に、フライパンでこんがり焼いて食べてみました。どちらも、イサーン風ではなくて、ちゃんとした味付けでおいしくいただけます。でも、ちょっと脂身が多いのと、くず肉が多く混ぜてあるみたいで、強めの歯ごたえでした。もっとも、生食のできる良質なソーセージも売っていましたから、お土産としては面白いと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月11日土曜日

車の長旅は疲れたので寝ますの巻き

外道 ビュンビュン'03 since1973

今日の夕方、タイイサーン(東北)の中心都市、コーンケーンからバンコクに戻ってきました。

正直な話し、車に揺られますと、それだけで乗り物疲れを致します。
運転手さんが、時には150キロ以上で車を飛ばしてくれました。
だから、正味六時間で舞い戻ってこられたのです。

一応、タイの速度制限は96キロ(60マイル)が目安なんだそうです。
でも、ハイウェイ並みの整備が進んだ国道二号線は、有名無実でしょう。
ビュンビュン飛ばす車もたくさんでして、運転手さんも負けず劣らずがんばってくれました。

と言うわけで、晩酌をしながら夕食を取ったら、急激に睡魔が襲ってきました。
まぶたが重くなって、長い投稿ができそうにありません。ですので、今宵は早めに床に付くことに致しましょう。その分、ぐっすり眠って明日になれば、コーンケーンの続きをしっかり書き上げようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

今日はイサーンのコーンケーンにおりますの巻き


しかし、コーンケーンのムーカタ(タイ式焼肉)は激安でした。
一人、バイキングで食べ放題が99バーツなのです。
この価格、信じられませーん。

デザートもあるし、焼肉以外のおかずも揃っている。
しかも、現地お得意のモーラム(タイ民謡演歌)の生バンドショーまでありました。
こうなると、日本円で99バーツ(270円)の値段が正に価格破壊です。

日本人からしてみると、異常な激安だと思ってしまいました。
ところがぎっちょんちょん、コーンケーンの日当は二百バーツです。
ですので、日当の半分を費やすのは、結構豪華なお食事だと言うことです。

ところで、今回の出張はコーンケーン事務所の棚卸しに同行しました。
去年は、南部ハジャイの支店でしたが、今年はごく無難にイサーン(東北)です。
何せ、五月にはウボンラチャタニまで旅行しましたし、愛着もあるのです。


この街角ですが、どこか台湾の田舎町に行った錯覚すら覚えてしまいました。
赤い電飾提灯と言い、お店の名前も漢字で看板が書かれています。
うーん、恐るべし、華僑系タイ人の底力といったところでしょうか。

ここタイでは、田舎に行くと、商売で成功した華僑系の町並みを見られるのです。
ウボンラチャタニもそうでしたが、コーンケーンはもっと際立った感じもいたしました。
しかし、あの赤いぼんぼりは、中国文化そのものなのですよ。

おそるべし、他民族文化へ侵食する華僑パワーの現実を見た思いがいたしました。

さて、夕食会の帰りがてらに、夜市を発見してしまいました。
投宿先は、チャロンタイホテルと言ってKOSAと言うシッピングセンターに隣接しています。
市内の中心地には違いないのですが、はっきりしません。

酔っ払って記憶も定かでなかったのですが、とにかく歩いて出かけてみました。
ところが、ホテル出口が二つあるらしく、片方の出口だけを頼りにしたのが運のつきです。
そちらが、完全に間違いで行けどもたどり着けませんでした。

途中で、犬には吠えられるし、さんざんだったのです。
気がついて戻りなおして、別の出口から歩き出しました。
そうしましたら、簡単、簡単、あっけなくたどり着いてしまいました。

ここの夜市は、なかなか食事の屋台が豪勢です。
何件も店が軒を並べて、給仕をしているのでした。
この中で、出色はたこ焼きのお店でした。



一個、5バーツと断っているところが良い。
一個からでも売りますと言う心がけがでしょう。
しかし、コーンケーンまで来て日本の大衆食文化に触れられたのは、うれしい一言でした。



と言うわけで、日本文化の侵略は、たこ焼きさん程度に過ぎないのでありました。コーンケーンの町には、ほとんど日本人が住んでいない感じです。でも、イサーン最大のコーンケーン大学もありますので、若い地元の日本文化お宅が、洗脳されて商売でも始めたんだろうと思いました。そして、この程度なら、地元とゆったり共存させてもらえると勘ぐった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月9日木曜日

これなら鑑賞に耐えられますの巻き

最近、とみにユーチューブの音質が良くなったと思います。
一体いつ頃から、そうなったのか。
はっきりは分からないのですが、2009年の後半からでしょう。

同じ楽曲を、アップされた時期で聞き比べて分かりました。
特に、2010年以降は顕著に音質が向上しています。
このため、データ量も増える傾向ですが止むを得ないと思いました。

ただ、バンコクは未だネット通信の主流ががADSLです。
中には、6MBbpsの高速もありますが、未だに1MBが普通です。
こうなると、データがかさめば音楽フィルは、再生がきつくなりました。

聞き始めると、途中で音楽が止まってスムーズに再生されません。
こうなると、一時停止にしてバッファーが溜まるまで待たなければなりません。
再生時のデータ量が大きいし早すぎるのです。

すぐに聞きたいのに、お預けを食らってしまう。
これほど、精神衛生上、悪いことはありません。
こうなれば、好きな時に聞ける音楽ファイルを作るだけの話でしょう。

でも、ユーチューブは動画ファイルでして、音のデータだけを抜き取りたい。
MP3ファイルに分離できれば、データも少なくて済ませられます。
このため、これを可能にしてくれるソフトをかなり前から使ってきました。

Area61ダウンローダー”と言うのですが、しっかり音楽ファイルに変換してくれます。
色々な動画ファイルにも変化してくれて、永久保存版を作る事も可能です。
昔から有名なソフトですが、バージョンも6.60まで上がって改良が続けられています。
こうなれば、元データの音質も改善されて来たし、このアプリが役に立つでしょう。

堀内孝雄 君のひとみは10000ボルト 1978 (2008/10/09 にアップロード)
※64Kbpsの圧縮、特有のシャリシャリ音。

君の瞳は10000ボルト/堀内孝雄 (2010/08/26 にアップロード)
※128Kbps以上の圧縮で音質が向上。

と言うわけで、二つのファイルを聞き比べてみてください。明らかにオリジナルデータの音質が向上しているのが分かるでしょう。これに伴って、Area61のアプリでも、MP3変換時のビットレートが192Kbpsまで高められています。こうなったら、お好みの音楽ファイルを作ることに邁進するだけと、作業に励む道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月8日水曜日

敵を倒すには偽言も必要なのかの巻き


偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。

それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。

「フランス革命の省察」エドマンド・バーク原著より

民主党が政権を握って以降、ネットで良く引用されて来ました。
特に、昨年四月から宮崎県で猛威をふるった口蹄疫以降です。
最初の一節を入力してググってみたのですが、五月三日が一番初めになります。

あの頃と言えば、ミンス党の赤い貴族こと赤松棒です。

農林水産大臣として対応に当たっていたのですが、目も当てられぬ杜撰さでした。
初動措置も取れず、、五月連休には外遊してメキシコでゴルフをする。
カストロ議長に会いたい一心でキューバに飛んでしまう。

その理由が、日本政府閣僚として初めて会見できるからだそうです。
日本の危機は捨て置き、尊敬する社会主義者に会うことが至上なのだ。
宮崎県の畜産農家の惨状など知ったこっちゃ無いのです。
 

これほどまでに、赤いクソ貴族どもは危機管理ができませんでした。
日本を滅ぼすのみに血道をあげてるとしか言いようが無い。
だから、道産子社長は旧社会党の残党が潜伏するミンス党を蔑視します。

さて、この保守主義源流の思想家、エドマンド・バークに戻りましょう。
かの党を表現する上では、けだし名言を吐いていらっしゃいます。
ただ、”原著より”とわざわざ断っているのに、ちょっと引っかかりました。

別に、翻訳されていたのなら該当箇所はあるはずでしょう。
あったとしても何時頃から引用されるようになったのか。
なぜなら、グーグルでは昨年の五月前には全く引用が見当たりません。

ふっと涌いたように突然引用が増えだしています。
2chか何かで書き込んだ人がいて、それがコピペされて流布した可能性が高い。
ひょっとして、原著と謳って信憑性を高めようとしたのではないか。

つまりですね、偽言なのではないかと思うようになりました。
ミンス党を攻撃するには、ぴったしの言い回しです。
ネットで流行るのを確信を持って予測されていたと思うのです。

そこで、この原著がネットでダウンロードできないか探して見ました。
ところがいとも簡単に簡単にダウンロードできたのです
PDFファイルになっていて、563KBとデータサイズも小さい。

早速にファイルを開いてみましたが、英語で無味乾燥な横文字が続きます。
母国語の人なら簡単に読めるでしょうけど、第二外国語の人には、ちと厳しい。
それで、アクロバットリーダーの検索機能を活用することにしました。

つまり、名言にあるキーワードが、原著のどこで使われたか、検索をかけるのです。
例えば、偽善者、約束、想像力などを先ず選んでみました。
ただ、二百年以上も前の古典なのです。

現代語では死語となった言葉も使用されているかもしれない。
とりあえずは、英辞朗と言うネット辞書から、訳語を選択します。
先ず、偽善者は”hypocrite”と言います。

検索したところ、一箇所しか見つかりませんでした。
原文は次のようで、グーグルで簡易翻訳しました。

It will teach posterity not to make war upon either religion or philosophy for the abuse which the hypocrites of both have made of the two most valuable blessings conferred upon us by the bounty of the universal Patron, who in all things eminently favors and protects the race of man.

これは、いずれかの宗教や哲学に戦争をしないように子孫をお教えします
両方の偽善者は、2つの最も貴重なのした虐待
祝福は、普遍的なパトロンの恵みによって私たちに与え、
人すべての点で際立って有利と人間のレースを保護します。

この記述は、どうも名言には当てはまりません。
だとしたら他の言葉を使った可能性もあります。
そこで、”dissembler”、”Phraisee”、”whited sepulcher”で探しましたが発見できませんでした。

その後、約束、想像力でも英単語で記述探しをしました。
でも、あの文章に合致する表現はなかったのです。
これって、ひょっとしたら捏造の偽言ではないでしょうか。

と言うわけで、引用の活発になった前に、ブログで著作を紹介した方にも問い合わせて見ました。結果的には、印象が薄い感じでしたので、元々、記述が無かったようにも思えてきました。得てして、ネットの政治ブログでは、まことしやかに捏造する場合が散見されます。真贋を見抜くのも、一苦労だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月7日火曜日

シリアック・ハリスの不思議ワールドの巻き

HPはこちらから

とにかく、面白かったので貼っておきます。
折に触れて、ネット上で作品が紹介されて来ました。
何だか、とてもシュールな味わいを持っています。
ちょっと、グロな作品もありますが、見ていると不思議な感覚にとらわれます。






 
(この巻き、終わり)

2011年6月6日月曜日

工場見学会に参加して見たの巻き


今、バスの車中におります。

ちょっと、渋滞に引っ掛かってしまいまして、ノロノロ運転です。
七時半前に出発したときは進行も快調でした、
ところが、高速道路を下りてナワナコン工業団地付近で詰まり出しました。

これで九時までにサラブリまでたどり着けるのが無理になりました。
だって、後三十分で行くのは絶対に無理でしょう。
週空け仕事初めの月曜日が、影響しているのかもしれません。

まあ、ここはあせらずマイペースで行くしかないのです。

さて、今日の行事は、工場見学会なのです。
通称JCC(盤谷日本人商工会議所)が主催しましました。
機会部会と電気部会が合同で企画した行事です。

このJCCでは、産業別に三つの部会まで加入ができます。
道産子社長の居る会社は、この両方の部会に入っていました。
ですので、参加することができたわけです。

そこで、訪問した先は、CP社という大手加工食品の工場でした。
場所は、サラブリ県のカンコーイにあります。
コラートに向かう国道二号線に入って、すぐのところです。

この場所は何度も通過していて、何だここかと思いました。
到着したのが、遅れて九時半過ぎになり、早速見学会が始まりました。
いろいろ説明があったんですけど、生産量のすごさに度肝を抜かれました。

※お断り:ネットで拾った写真です。

何と、この工場だけで一日二十万羽の鶏肉を加工するそうです。
他の二工場と合わせれば八十一万羽にもなるから凄い。
月産では、三工場で一万三百トンにもなります。

次に、工場の従業員は五千人と大規模です。
典型的な労働集約的な工程になっており、人頼みなのでした。
見学して分かったのですが、手の込んだ細かな肉の切り分け作業が必要です。

※お断り:ネットで拾った写真です。

自動化を進めるにも、かなりの工程が限定されているということです。
ただ、屠殺して羽根をむしりとり、洗浄するのは自動でした。
その後、簡単なカットの工程以外は、全部手作業なので驚きました。

というわけで、敷地規模が後楽園ドームの四倍もあると聞けば、驚きです。しかも、派遣労働者が5%程度の割合なのに、労働組合も作らせないのは、労務管理がかなりお上手とお見受けしました。この他、グループ全体で、中国に大規模な投資も積極的に展開中です。発展する地元大企業の躍進ぶりを、この目でしかと見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月5日日曜日

もう一度赤松口蹄疫、その推進補佐役、船山やすえの巻き

※農政失策犯として追求すべき

”船山やすえ”と言う山形県選出の参議院議員がいます。
昨年の宮崎県で口蹄疫が発生した時、農水省政務官でした。
上司には、時の大臣として赤い貴族こと赤松宏隆がおりました。

この二人は、政権交代を果たせて有頂天だったようです。
外遊がしたくてたまらなかったらしい。
口蹄疫の最中、五月の連休には、我関せずのごとく日本を脱出しています。

しかも、大臣と日程が重なった不在日が四五日も続きました。
まあ、呆れますね、無責任以外の何物でも無い。
これでも、元農林水産省のお役人だったのですよ。
しかも、北海道大学の農学部を出た専門家だって言いたいのでしょうか。

やがて、初動措置の遅れのツケが溜まりに溜まってしまった。
あの、外遊に出発した時ですら感染19例目を確認し、殺処分が二万七千頭を突破しました。
この後、終息宣言が出されるまで、四ヶ月近くもかかったのですよ。


はっきり言って、あの外遊は損害を考えれば業務上過失です。
どうして、罪に問えないのでしょうか。
しかも、対応のために自衛隊出動を要求した答えが呆れます。

応じたのは舟山大臣政務官のみでしたが、

「県の初動が悪かったせい」
「十分対策をとっている」
「自衛隊の協力は、国民に不安を与えかねないので、慎重に考えたい」

などという回答を繰り返すばかり。

そう言い残して、デンマークへ外遊に出発したのですから無知です。
菅グループに所属するリベラルですから、自衛隊=軍事力は悪なのでしょう。
まさに、糞左翼の真骨頂と言ったイデオローグの旧式理論武装でしかありません。

では、それに代わりうる非常時の組織があると言うのでしょうか。
なにも代替策を示せぬままに、海外へ出奔するなど言語道断です。
そんな過去の思想など、錦の御旗で振り回す方が時代錯誤でしょう。

何も、国防は軍事力を背景としたものではないはずです。
天災、自然災害の救援活動だって、実に大事な国防なのですよ。
それを実際に、組織力を持って大規模に集中的に短期間に実行できるのは誰なのか。

これが、自衛隊以外に見つけられると言うのでしょうか。

彼らは、神戸大震災で活躍した自衛隊のことすら忘れ、忌避してしまった。
これが、昨年に起こった、未だ直近のうすら寒いできごとです。
そして、戦前の高名な随筆家の寺田寅彦は、二種類の国防について、こう述べているのでした。

”国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。”

と言うわけで、グループ代表を務める奸チョクトの”辞める、辞める”詐欺のペテン師騒動と言い、ミンス党には硬直的で実質的なアクションの取れない痴れ者しかいないのです。日本人=国民が一番嫌いなのは、何もできないのに嘘をつくこと、ミンス党の政党生命は完全に終わったと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月4日土曜日

十文字小弥太に袈裟懸けで成敗されろの巻き


いやはや、産経新聞の阿比留さんは、時代劇ファンだったようです。
記事のタイトルが振るっているのですよ。

「死して屍拾う者無し‥‥」 証明された「誠意無き首相」

要するに、辞任を口にしながら、手の平返しで言っていないと嘘を付く。
息を吐くように嘘を付き通して来たチョクト君も、究極の至言と相成りました。
記事によれば、首相の意思を尊重して不信任案が否決されたはずなのです。

騙され、裏切られたのは投票したミンス党議員だけではない。
その議員を選挙によって選出した有権者=国民までもが詐欺に会いました。
辞任の言質を取るために動いた鳩山前首相が、憤慨してペテン師と吐き捨てたのも分かるような気がします。

そこで、この躍る見出しの”死して屍、拾う者なし”です。
この名文句は、テレビ時代劇「大江戸操作網」で劇中に朗読されます。
冒頭のユーチューブがそうなんですが、UPしてくださった方には感謝いたします。

きっと、阿比留さんも”辞めたら、誰も相手にしない”と言いたかったのです。
これほどまでに、「心がない」「誠がない」「信がない」のを証明してくださった。
この首相は、日本国の憲政史上、かつて無かった汚辱の存在です。

歴史に名を残すなど言語道断であるものの、絶対にそうなってしまうだろう。
そして、今を生き、その事態に居合わせた国民は忘れてはならない。
有権者の自戒の念として、このような人種を選ぶことこそ危険なのです。

ところで、この記事見出しの引用になった「隠密同心 心得の条」です。
見出しになった結語よりも、その前に申し渡されるくだりが味わい深い。
実に見事なまでに、かの人のやり口とは間逆な訓導になっておりました。

我が命我が物と思わず
武門の儀、あくまで陰にて
己の器量伏し
ご下命いかにても果すべし 

要するに、しゃしゃり出ないで陰日なたに仕事をこなす。
常に、日本国民のためを思い、使命を何としても全うする。
でも、奸チョクト氏には、その器量も度量も無いと察しました。

と言うわけで、首相の手口は北朝鮮の瀬戸際外交とそっくりでしょう。解散をほのめかして脅したのは、北朝鮮が核武装をちらつかせたのと同じ方法論です。他にも、信義に反するる行為で相手をいらつかせ、その場を混乱させ、追いつめられたように見せかけて、ぎりぎりのところで相手から譲歩を引き出す。斜め上の国と同じだと行っても過言ではない。本当に日本人ですかと、人種的に問いただしたくなる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月3日金曜日

ペテン師よりエイリアンだと思いますの巻き


「ペテン師」と首相批判=鳩山氏

民主党の鳩山由紀夫前首相は3日午前、菅直人首相が早期辞任を否定したことについて「内閣不信任決議案が出る直前に辞めると言い、否決されたら辞めないと言う。そんなペテン師まがいのことを時の首相がなさってはいけない」と厳しく批判、党両院議員総会の開催を通じて首相退陣を求めていく考えを示した。都内の自宅前で記者団に語った。 (2011/06/03-10:20 時事通信)

それにしても、前首相から現首相へ投げかけた文句は、前代未聞です。
ペテン師の言葉と評される現職首相が、かつて存在したでしょうか。
日経朝刊二面では、鳩山氏憤慨「嘘ついてはいけない」と見出しが躍っていました。
他の見出しも列挙してみますが、民主党は既にレームダック、ダッチロール状態にあるようです。

延命狙い 反発広がる
玉虫色合意、反日もたず
解散避け妥協の末....
首相「長期続投」発言で混迷
「菅降ろし」が再燃
野党、問責で揺さぶり

つまり、野党には伝家の宝刀、参議院の問責決議案提出が残っているのです。
今後が楽しみですが、民主党の支持は劇的に凋落していくでしょう。
それに海外のAFPなどでは、辞任表明を伝えました。
これを覆せば、外交では誰も日本を相手にしますまい。

それにしても、鳩山さんは坊ちゃんだから人がよさ過ぎる。
小沢さんは、秘書献金受領問題で身動きが取れない。
党を割って出れば、強制起訴がどんどん有罪になびくでしょう。
そう民主党が検察に圧力を仕掛けるのも分かっている。

結局、解散選挙をして敗北しても構わないのかと、暗に脅した奸が勝ったことになります。

これは自分の立身・栄華を極めることのみに専心する奸の真骨頂です。
政党を政治史の中に位置づけて育み、国家を発展させる発想ではありません。
つまり一匹狼の権勢欲に阿漕な餓鬼にしかならない。

小沢さんが立ち上げ、鳩山さんが私設子ども手当てで手塩にかけて育てた組織です。
それを、内部から蚕食して破壊する驚異的な腹黒い寄生虫なのでした。
これって、エイリアンの映画を思い出しました。
体内を食いちぎられて宿主は死ぬが、エイリアンは成長を続け繁栄するのです。

結局、衆議院の解散総選挙が無い限り、選挙は任期満了で行われます。
その結果、民主党は議席が100を割ることになるでしょう。
ですので、松木さんと横粂さんは、決別して賛成に投票したのは、優れた判断です。
後々で有権者から讃えられ、選挙で勝ち残ると思います。

ところで、小沢一派の衆院一回生諸君は、賛成票を投じるべきでした。
解散総選挙になったとしても、賛成に回った錦の御旗が有効になって連続当選できたかもしれない。
でも、そのチャンすら自分で摘み取って不信任案の否決に回りました。
自業自得ではないでしょうか。

もし、解散されずに除名されても、地道に政治動さえ続ければよいのです。
任期満了の選挙では、生き残るチャンスだって浮上したと思います。
でも、ご愁傷様ですね、さようなら。

と言うわけで、上さんに言わせると、奸の手口は三国志の「緩兵の計」(時間稼ぎ)なんだそうです。中共のメディアが実況中継したのを紹介したNHK番組では、とこどころで聞こえた中国語でそう解説されたとのことでした。さすが、謀略の国でして、目の付けどころが違うと思いました。でも、どうして、この人は企みごとに秀でた才能を外交・国政に活かせないのでしょうか。最低の日本人(偽装半島系)を見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

<おまけ>
「それはウソ」色をなす鳩山前首相」
読売新聞2011年6月3日06時13分

2日の菅首相の「退陣示唆」は、内閣不信任決議案の可決を回避するための方便だったのか――。
攻防の舞台裏を検証した。(文中敬称略)

◆極秘作業◆
菅の退陣に関する条件なのかどうかを巡って解釈が割れた鳩山前首相と菅の間の覚書は、菅の指南役、北沢防衛相と鳩山の側近、平野博文元官房長官が極秘にまとめ上げたものだ。

「鳩山は時間をかけて話をすると、あっちへ行ったりこっちへ行ったり揺れるから、一気にやろう」

平野と北沢が覚書作りに着手したのは1日夜。鳩山は不信任案賛成の意向を表明済みだったが、平野は鳩山の、北沢は菅の意向を確認しながら、何度も電話で文案を詰めた。

2日午前、首相執務室。北沢は覚書を手に、枝野官房長官とともに菅に向き合った。
「2次補正の編成とは、成立のことか」
いぶかる菅に、北沢は「そこはぼかさないとダメです」と進言した。

約1時間後、菅は平野、岡田幹事長らの前で鳩山と覚書を交わした。鳩山は覚書を退陣条件と考え、署名を求めた。菅は「党の中のことだから、信用してほしい」とかわした。しかし、両者の意図の違いは、菅がこの日、一度も「退陣」という言葉を使わなかったことに表れていた。

◆「終わり」の始まり◆
玉虫色の合意のほころびは、すぐに表面化した。

「それはウソだ。私と首相との間で、辞めていただく条件の話をした」

岡田が2日昼の党代議士会後、菅の退陣時期について「区切っていない。(確認事項が続投の条件とは)言ってない」と記者団に語ったことを伝え聞いた鳩山は色をなして反論した。

逆に、菅は「紙に書いてないのに、何を言っているんだ」と、鳩山への不信と怒りを周囲にぶちまけた。鳩山が代議士会で、2011年度第2次補正予算案の「編成のメド」をつけた段階で菅が辞任すると説明したからだ。

鳩山には、小沢一郎元代表の顔も立てなくてはいけない事情があった。2日午前の菅との会談内容を小沢に報告した際、「どこまでしっかり詰めたのか」と問われ、「私が代議士会できちっと話をします」と約束したのだ。ただ、不信任案否決後、鳩山が議員会館のエレベーター前で居合わせた側近議員に語りかけた言葉には、菅への不信が色濃くにじんでいた。

「まだ油断できない。もし約束不履行だったら(退陣を求める)両院議員総会を(実現する署名を)150人、いや250人は集めないといけない」

矛先は岡田にも向いた。
「岡田氏が小沢元代表は除籍と言っているって? 本当にやるなら、岡田氏のクビを取らなくては」

当選1回の若手衆院議員は衆院本会議後、ため息交じりに「民主党の『終わり』は、まだ始まったばかりの気がする」とつぶやいた。

2011年6月2日木曜日

辞めるとはひと言も書いていない「鳩菅覚書」


特集 民主党

菅首相と鳩山前首相が交わした覚書の確認事項は次の通り

▽民主党を壊さないこと

▽自民党政権に逆戻りさせないこと

▽大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと

〈1〉復興基本法案の成立

〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること
(2011年6月2日14時03分  読売新聞)

一方、鳩山由紀夫前首相は菅首相の退陣時期について「2次補正の成立までということではなく、早期編成のめどがついたときだ。6月中にめどがつく」と述べ、月内に退陣すべきだとの考えを示した。 
 不信任決議案の否決を受け、首相は官邸で記者団の質問に答え、「よかったですね」と語った。(2011/06/02-16:33 時事通信)

鳩能のポッポ元首相ですから、詐欺師にはたやすく騙されたんじゃなかと思う。
ポッポもポッポで、沖縄普天間基地の移転問題で、あの迷走振りを見れば分かるでしょ。
その場限り、その場しのぎでしかないんだもの。
話をコロコロ変えては取り繕い、ボロが出ないように心がけていただけでした。

今回の奸チョクトだって、本当に国会の会期を延長するのか怪しい限りです。
二次補正予算なんか眼中に無く、震災復興より政権延命が優先順位で上なはず。
きっと、あいつなら、態度を豹変させて国会を予定通り閉じてしまうと思うのです。

それに、何時頃、はっきり辞めるって明言していない。
後進に道を譲るとか、曖昧模糊としています。
つまり、ぬらりくらり逃げ延びるための常套句を使ったとしか思えない。

震災復興のめどを立てる気も無いから、延々、職務にしがみつく。
ひょっとしたら、任期を全うするような気もしてきました。
東北地方の人は、本当に可哀想に思います。
見殺しにされるかも分からない。

と言うわけで、福島原発の収束は今年一杯掛かるそうで、それならば、奸チョクトも国会で居眠りしながら首相のまま、大晦日を迎えると思います。一方、まだお遍路が残っているとか、辞めた後のことにも触れましたね。そんなの余計です。そんな感慨にふけるぐらいなら、復興二次補正予算でもいち早く通過させるアイデアでもひねろと、殺意の湧いた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年6月1日水曜日

不信任決議は採決して当たり前の巻き

★谷垣総理と本音で言う奸チョクト

自民党・公明党の共同で不信任決議案が提出されました。
このニュースをNHKが報じていましたが、基調は偏向報道でした。
大体、マスメディアは与党をかばい過ぎです。

なぜ、不信任が問われたのか、まともな分析すらありません。
一方、被災地の有権者にはインタビューで永田町の政争を批判させます。
このような意見が、どの程度の割合であったのかも知らせない。

これでは、不信任案を出した方が悪いとばかりの印象操作でしょう。
でも、最近は有権者も気が付き出していて、マスコミを信用していない。
ネットのアンケートなら、七割がどのメディアも信用できないとしています



グーグルだって、”菅を”や”民主党を”で入力すると驚きの結果です。
これは、既にダメ出しがなされている証拠では無いでしょうか。
他方、菅政権は、不信任案が提出される直前に、どさくさで国会の会期延長を申し出ました。

震災復興予算の二次補正案すら採決できない。
それにも拘らず、国会の会期を今月末で強行終了させようとしました。
つまり、政権の延命・保身のみに汲々としているってことです。


と言うわけで、震災復興は二の次でして、有権者を愚弄するにも程がありましょう。奸政権の国政運営ではまったく期待できません。被災地でも選挙に期待する有権者が出てくるのではないでしょうか。そんな風に思ってしまう道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)