2012年3月30日金曜日

このブログは終了しますたの巻き

これから、ANAの成田行きで日本へ戻ります。
バンコクには、色々な思い出がありました。
だから、どうだというわけでもなくて、これでこのブログを閉じます。

いい意味で自分の日記になりました。

毎日、書くことの楽しみを覚えたのが最大の収穫でしょうか。
海外生活は人生の記念になるだろうからと、初めました。
ネタは尽きることなく提供してくれた、このタイに感謝いたします。

次のブログを始めるかどうかは分かりません。
どこかで、お会いできれば良いのかも知れない。
それでは、さようなら、でも、まだ僕の人生はどこかで続きます。

(終章、終わり)

2012年3月29日木曜日

義捐金着服男、ふくちゃんを見かけたの巻き


写真は、ふくちゃんこと福井厚志さんです。
バンコク在住でして外こもりの日本人として有名でした。
もっとも、でしたと過去形で書いたのには理由があります。

なぜなら、本投稿の通り悪事を働いたからです。
東北大震災の義捐金を着服して使い込むのは、最も始末が悪いでしょう。
モラルが現地化して、ちょっとぐらいのつもりだったのでしょうか。

とにかく、”ふくちゃん 義捐金” でググって見てください。
どんな事件だったのか、推し量れる記事がたくさん見つかります。
これまでの情報ですと、働いていた飲食店で軟禁状態にあったらしい。

店のオーナーが怒りのあまり鉄拳制裁にも及んだのも分かります。
ホームレスから現地採用まで、社会復帰を果たした結果がこれですよ。
いかにも残念な結末になってしまいました。

それで、この日の夕方、ふと彼を見かけてしまいました。
なんと、”さざえ”と言う日本食店の玄関脇に座り込んでいたのです。
ひざを抱えて、通りを歩く人々を意味も無くながめている感じでした。



最初は、あれー誰かに似ていると思って注目しました。
思い出すには数秒も掛かりません。
ただ、例の彼だと了解しなが不思議な気持ちにとらわれました。

だって、事件現場になった店の辺りを離れていないんですよ。
店のご主人は、ふくちゃんを許したってことでしょうか。
内内の話だから済みましたでは、どうにも腑に落ちない感じもしました。

と言うわけで、このいわくつきの義捐金は、すでに然るべき募金団体へ手渡されています。お店のPRもあったんでしょうが、マグロ解体ショーを派手に挙行して募金を募った顛末が、従業員に着服されると言うおそまつさなのでした。でも、店の周囲に未だに出没する前科一犯を見つけしまいました。まあ、仏様の前では何人も許されるのがタイ社会なのかも知れない。あらためて、そのものすごいゆるさに感銘を受けてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月27日火曜日

バンコクでアパート退去の最後の夜の巻き

このアパートは、二年間住んでいました。
最初のアパートから二件目ですが、風通しだけで選んでいます。
日中は、南から北へ風が通り抜けて行きます。

ですので、エアコン要らずの部屋だったのは事実です。
もちろん、築二十年なので設備は古くエアコンは音がやかましい。
だから、扇風機だけの風通しで過ごして来ました。

はっきり言いますが、エアコンで冷やした部屋は駄目です。
多少は自然に汗を掻くぐらいの温度が気持ちよい。
まあ、体に馴染んだ夏の気温が適当なのでしょう。

もちろん、タイは超常夏の国としか言いようがありません。
だから、それなりの暑さに体を馴染ませて暮らしてきました。
それが、我が家のタイ暮らしであったと言うことでしょう。

と言うわけで、今日だけは十二年物のウイスキーで晩酌をしながら、エアコンを掛けまくりで飲兵衛に変身しております。最後の夜くらい、エアコンをギンギン効かせてすごしてみようと思ったのですが、古いエアコンは微調整が駄目でして、冷たくなると手動でOFFする始末なのでした。やっぱり、暑くても自然の空気の流れが一番と、改めて思い直した道産子元社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月26日月曜日

ジェトロの講演会に出席してみたの巻き


今日は午後から、外部の講演会に参加してみました。
もう社長職を退任していますので、することがなくなりました。
でも、トレーダーとしての仕事には磨きをかけておく必要もあります。

ですので、新社長を伴って情報収集に出陣です。
今回のネタは、非常に重要です。
ジェトロ・タイ商務省が共済している行事です。

そのタイトルは、「輸出競争力に向けFTAをいかに活用するか」でした。
要するに、製造コストの上昇するタイで生き残りの知恵を探ります。
人件費も、四月から40%近くも上昇してしまい、かなり脅威です。

つまり、タイを製造拠点とする企業は、コストアップが不可避となりました。
こうなると、それ以外でコストを抑えるケチケチ作戦です。
一番手っ取り早いのは、輸出先の関税をすり抜けることです。

まあ、タイと相手先の国が、FTAを締結していてくれれば助かります。
日経の記事なんかを読んでいますと、この言葉が普通になりました。
略称ですが、正式には”Free Trade Agreement”ですね。

日本語で言えば自由貿易協定ですが、関税が掛かりません。
ただ、該当する品目は時間をかけて拡大されていきます。
もちろん、自国の産業も保護せねばならないからです。

こうして、相手国での輸入コストが抑制できれば競争力は高まります。
でも、原産地がタイであると言う証明書を入手しなければならない。
こういった面倒さをよく理解して活用することが肝要です。

これを使いこなしてこそ、トレーダーの証明になるんじゃないでしょうか。
ただ、最近はタイ原産であることを証明する計算が緻密になりました。
アセアン各国から部品を輸入すると、タイは単なる組立て地になってしまうようです。

と言うわけで、タイ国産ですよと証明するためには、現地での付加価値が大体40%以上なくてはならないわけです。FTAといっても、二カ国間だったり多国間だったりして、名称も異なっています。AFTAならアセアン域内で、タイと日本ならJTEPAになります。略語だけが先走りして、獲らぬ狸の皮算用にならないように、しっかり手続きは分析した方が良いと思った、無役素浪人のぐりぐりももんがさんなのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月25日日曜日

駐在員が帰国直後に辞職するのは、よくあるパターンの巻き

※居候のぬいぐるみたちは、ただ見守るだけです。

いやはや、引越しの荷造りで家の中はしっちゃかめっちゃかです。
上さんは段取りが立てられなくなって、パニクって来て困りました。
二人暮ししたから、そう荷物は多くありません。

家具だってバンコクのアパートは備え付けです。
テレビ、冷蔵庫、エアコンそろっていますから、生活はすぐできるのです。
なので、衣類とか持ち込んできただけで、日々の暮らしが始まりました。

四年間、バンコクが生活の場になりました。
必要に応じて、鍋釜、皿、茶碗とかは買い足しもしました。
ただ、家の中を整理してみてもさしたる量とは思えないのです。

多分、上さんは思いつたところから整理を始めてきたのでしょう。
段々、仕事が進行してきて詰め込んだ箱も増えてきます。
ここで、不要な衣類を捨てながら、帰国まで必要な下着の枚数とか、面倒な計算も加わりました。

他にも、詰めていたはずなのに残った備品すら出てきました。
そうすると、どこに詰め込もうとか、思案に暮れてしまう分けです。
いや、そんな時は予備に段ボール箱を設けて、そこに放り込むだけでしょう。

私は曲がりなりにも経営に携わった中で、仕事の選択と集中に専念しました。
このため、瞬間的に何をなすべきか判断力が養われています。
結局、引越しなんかも段取りの立て方だけなんです。

詰めたり捨てたりすることをハッキリさせてしまえば、何のことはありません。
上さんも、いろいろ考えてきたのでしょう。
でも、集中した判断で今何をなすべきかの決断は、私のほうが一日の長があったのかも知れないと思いました。

さて、この間、上さんが日本にいる友達と連絡を取り合いました。
旦那さんがH立にお勤めだそうです。
戸塚・大船近辺で知り合ったお友達といえば分かるでしょう。

それで、スカイプで帰国の話になったんだそうです。
上さんの方は、何気なく主人は日本の仕事に不満があると話してしまいました。
そうしたら、その友人はやっぱりそうなんだと答えが帰った来たそうです。

まあ、その会社でも駐在から帰国したら、すぐに辞職する人が結構多いらしい。
それで、ピンと来て理解におよんだのかも知れません。
帰国後の処遇をめぐって、会社との本人の考えが乖離したように思えます。

タイの場合、カビンブリの工業団地は、H立村と言われております。
きっと、タイの駐在員だった人も含まれているのかも知れません。
つまり、私と似たような境遇になってしまった方は普通の事例なのです。

と言う分けで、H立の話を聞いてホッとしたのも、なんだか滑稽に感じてしまいました。かたや、夜も更け行く中で荷造り作業は進行して行きます。もうすこししたら夜食でも食べて、今日の作業は締めくくりにして床に就くことにいたしましょう。こんなあわただしい日曜を過ごしてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月24日土曜日

Gurigurimomonga's declinatur​e of Farewell party on Mar. 29

Dear all being promoted for supporting Management,


Concerning the subject, please accept my last indulgence to Heppoko company.

For our last night in Thailand, I would like to spend time with my wife in peace.

Up to now during my stay period as President, I appreciate your great contribution to the company management and I've been paying back to you somehow such as bonus, etc.

This is enough and the facts will be unforgettable in my memory.
If possible, instead of me, will you please open New president's welcome party actively.

Moreover, the guy only fades away from you.
Your understanding to my plea will be much appreciated.
Best Regards,


Gurigurimomonga


はっきり、会社の送別会を辞退させてもらうことにしました。
株主総会で、現地スタッフの幹部は昇進しました。
片や、私は日本に帰っても四年前のポストと同じです。

そんな状況では、面子もなにも無いでしょう。
これまで、一回当たり七ヶ月近いボーナスも出しました。
業績に応じた比例配分の査定方式を導入して、士気を鼓舞しました。

こう言った細かい労務管理は、それなりにやったはずです。
でも、日本は評価に値しないと思ったのでしょう。
なので、メールの通り”ただ消え去るのみ”と言うことです。

と言うわけで、関係者は読めば、何を意図するか分かるような英文の書きっぷりになっています。ここまで、英語にニュアンスを込められるようになったのは、タイで英語漬けの毎日だったからに他ならなくて、これは社外でセールストークになるでしょう。まあ、焦らず自分の道は見つけるしかないと、考えつつある道産子元社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月23日金曜日

株主総会で社長交代が承認されましたの巻き

本日、株主総会と年次の取締役会がありました。
議題のメインは、正にお題の通りです。
私は社長の座を降りて、後任に道を譲りました。

かくして、老兵は消え去るのみです。
まもなくして日本に帰国いたします。
ただ、帰国は3月30日なので、少しはタイの余生でしょうか。

と言うわけで、親会社の非常勤取締役が、四年間のご苦労さん会を開いてくれるらしいのですが、気乗りがしないので、お気持ちだけで結構ですと最初はきっぱり断りました。それに上さんも出て来ないと思うと、はっきり釘を刺してみたのです。でも、仕事上二三話したいことがあるからと、いやに妙な誘われ方で、これから、いやいやながら出かけてまいります。まだ、会社に籍がある以上、業務の延長線上には違いなく、これは不味い食事になりそうだと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月22日木曜日

クラシック音楽はiTunesで聴くもんだの巻き

※iTunesは音楽再生アプリとしてベストです。
今、クラシック音楽にはまっています。
ラップトップの内臓スピーカーでも、結構、聞かせてくれます。
もちろん、音源はユーチューブからダウンロードしました。

最近は、ユーチューブの音質が劇的に向上しています。
そのまま再生しても聴ける程度のレベルでしょうか。
でも、ダイナミックレンジの大きい楽曲だと物足りなさを感じます。

ですから、こういう時はイコライザイーが必要かもしれません。
クラシック音楽向けに好みの音質に変えることが可能です。
でも、ユーチューブのサイトにはそんな機能はありません。

当然、動画のサイトですから視覚的な表現が主目的でしょう。
音楽ライブもありますが、音だけの鑑賞なら、そんなものは不要です。
ですので、動画ファイルからmp3の音楽ファイルを分離してしまいます。

これには、フリーのArea61ビデオダウンローダーを活用してきました。
分離すると192Kbpsの圧縮ファイルを作ってくれます。
こうして、今までに二百作品ぐらいコレクションしました。

※イコライザーのパネルがオマケで貧弱です。

このファイルをウインドウズ・メディアプレーヤーで再生しても構いません。
でも、イコライザーの機能がちょっと弱いですね。
音圧が弱い時のプリアンプ機能も付いていません。

こうなると、やっぱりアップルのiTunesでしょうか。
このアプリは自由にダウンロードしてインストールできます。
別にiPodとか持っていなくても、再生アプリで使えればいいだけの話です。

と言うわけで、イコライザーで加工したら、クラシック向けの音質が劇的に改善されました。色々な音楽作品を鑑賞している最中ですが、実に大満足です。特に、バイオリンを主体とした楽曲では、つややかであでやかな音色が再現されてくるのでびっくりしました。やっぱりアップルは、大したものです。PCで音楽を楽しむ機会を広げてくれたことに感謝したくなった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

生涯現役をつらぬくのも悪く無いの巻き


最近、クラシック音楽にはまっています。
ユーチューブで聞きますが、音質が向上しました。
聞いたことの無い作品を探し出すのは、楽しいものです。

それで、冒頭のちょっとレトロな写真ですが美貌の女性です。
名前は、マグダ・タリアフェロと言いましてピアニストです。
すでに無くなって久しいのですが、演奏がアップされていました。

いやはや、見事に磨かれた演奏力が音に表れています。
技巧を要求される難曲をいとも容易く演奏しきっているのが凄い。
作品は、サンサーンスのピアノ協奏曲5番”エジプト風”です。

http://www.youtube.com/watch?v=bu5pM9cg0Ig

この協奏曲は、弾きこなすのが非常に難しいと言われています。
作品が発表されてから、レコードに録音されるまで半世紀だそうです。
確かに、50年代の録音でも華麗で気品ある演奏に聞きほれました。

それで、この方は無くなる直前まで現役を貫いたようです。
九十歳まで弾き続けていたと言うのがものすごい。
そう言えば、音楽関係の芸術家は長命な方が多いのかもしれない。


他にも、女流バイオリニストでイダ・ヘンデルもそうです。
八十歳を過ぎても活躍中と聞きました。
ただ、録音嫌いで有名でして伝説のバイオリニストとさえ呼ばれています。

http://www.youtube.com/watch?v=7GmpKijD-dY

と言うわけで、音楽関係の芸術家は年齢に関係なく、生涯現役でいられるのがうらやましい。サラリーマンは、偉くならない限り定年が決まっています。お勤めご苦労さん見たいな印象ですが、手に職さえあれば、棺桶に片足を突っ込むまで仕事ができるんじゃないでしょうか。自分も五十歳を越えてくると、会社に従属する以前に自分に何ができるのかを、この際、ハッキリさせたいと思うようになりました。そうすれば、生涯現役も可能になるのではと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月21日水曜日

貿易ネタですが、良い資料を紹介しておきますの巻き

※インコタームズでは、FCAがFOBの呼び習わしです。

これまで、貿易ネタを三連発で紹介してきました。
タイトルは、”オレは社長やる前にトレーダーだってことの巻き”です。
まあ、三回続ければ見飽きて来るものです。

それに、ちょっと自慢げなタイトルが上から目線かも知れません。
だから、今回は趣向を変えて書いてみます。
もし、貿易ってなにって子供に聞かれたらどうしましょうか。

うーん、即答するのが難しくて考え込んでしまいました。

まず、日本で売れそうな品物を海外で探してきます。
それを作って売っている人から仕入れます。
次に、船とか飛行機で日本まで運んで来ます。

最後に、売ってくれるお店へ商品を引き渡します。
ちゃんと仕事ができたら代金を受け取りましょう。
給料にもなるし、次の仕入れの資金に回します。

ざっくりこんな感じでしょうか。
もし、これを船橋にあるキッザニア東京で再現したらどうなりましょうか。
子供たちは、多分、オフィスで座ってPCを見つめるだけです。

あるいはiPhoneをいじくっている姿でしょうか。
とにかく、情報を操作するだけの仕事です。
目に見える具体的な、対価として汗を伴う作業は乏しいのかも知れない。

これなら、典型的なただのサラリーマンですよね。
何がトレーダーとして、事務屋さんと本質的に違うのだろうか。
要するに、情報を金に換えて仕事をするってことなのでしょうか。

こう言ったのが貿易実務なんですが、良い資料がありました。
冒頭のイラストは、某ロジスティックス会社のコピーです。
もちろん英語版でして、日本語では適当なのが見つかりませんでした。

このイラストでは、日本まで商品を運ぶ過程を紹介しています。
そして、誰が責任をもつのか分担が決まっていることを示しています。
簡単なのは、購入する人が工場まで引き取りに来る場合ですね。

この場合は、日本に到着するまで輸入する人が面倒を見ます。
時には、輸出する人が運賃や保険まで負担する場合もあるでしょう。
そんな契約の条件を概説したのが、このイラストです。

それで、トレーダーには輸出入の合言葉があることです。
EXWといえば工場引渡しですが、Ex-Worksの略称になります。
他方、FOBは船に積み込むまでが、荷物を出す人の責任です。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

要するに、どうやって輸入するのか定義付けられた用語を使えば便利だと言うことです。
このような業界用語をトレーダーは駆使しなければなりません。
仕事のいろはとして覚えていくのですが、漢字の字面だけではイメージできない時もありますね。

と言うわけで、そんな時に図解と言うのは理解を助けてくれます。自分は、三十台後半から貿易実務に入ったので、若い人から教わることもできなくて、自分なりに腐心してこつこつと勉強してきました。だから、補助的な資料をかき集めておいて、折に触れて理解の助けにしているわけなのです。こう言った情報は、どこかで役立たせられないものかと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月20日火曜日

労働許可証を返却して淋しさがつのるの巻き


今日、労働許可証を総務部長に返却しました。
後任の社長も赴任してきています。
今週末の株主総会で、社長交代人事が承認されることでしょう。

道産子社長の肩書きも、今日を入れて三日ですか。
残り少ない命ですなー。
続けて、後任の社長が労働許可証を取得せねばなりません。

なんだか、あっという間の四年間でしたね。
引継ぎ資料をUSBメモリーに入れて手渡しもしました。
確実に後継者へ業務は受け継がれていくのですよ。
 
そんな、社長室で執務をしていると、ちょっと感傷的になってきます。
まあ、へっぽこ社には新しい経営の血が流れて活性化することでしょう。
そんな期待を持って、月末まで日々を過ごすことに致しましょうか。

と言うわけで、日本に帰ればしがない窓際族で、先ず落ち着きそうです。四月にちょっと出勤したら、五月の連休明けまでスリープモードで休眠いたします。心の整理が付くのかどうか未だ分かりませんが、先ずはバンコクライフをエンジョイしておこうと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月19日月曜日

オレは社長やる前にトレーダーだってことの巻き(その三)

※左クリックで拡大してご覧下さい。

貿易に携わる人なら、この書式は見慣れています。
その名は英語で”インボイス”と言います。
日本語に訳しますと、仕送り状のことです。

要するに多目的な伝票でして、一石二鳥いや三鳥です。
発送伝票、納品書、請求書などが、一つの書類でこなせてしまいます。
だから、複雑な手続きが必要な貿易には、打ってつけといえましょう。

先ず、発送する貨物の品名・数量・価格が記載されます。
これに、代金の支払方法、船積み・保険などの事項が書き足されます。
要するに、輸出内容の明細書でして、他方では請求書にもなるのです。

まあ、貿易の実務者なら、この書類が作成できて当たり前でしょう。
もちろん、英語で記述するのが当然になります。
こうして書類ができれば、通関業者に提出して輸出入の手続きを進めます。

さて、このインボイスの書式です。
インターネットでググルと、よくひな形の書式を見かけます。
ただ、ほんのみほん程度で実用になるものではありません。

今回、冒頭で紹介したインボイスは違いますよ。
道産子社長が永年使用してきたフォームです。
これで、信用状の代金決済までこなしてきました。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

と言うわけで、その道の専門の方なら、これがモノホンの書式だとお分かりになるでしょう。でも、正直なお話、インボイスをこさえられる程度では、本当のトレーダーではないのです。商品の引き合いから始まって、見積もり提出・価格交渉を経て、受注・出荷・代金回収までトータルな業務を全うできてこそ、真のトレーダーでありましょう。しかも、信用状(L/C)の買取書類を作成して銀行に持ち込んで、ちゃんと受け取ってもらえるのなら、それは一人前でして、そんな昔の自分を懐かしむ道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月18日日曜日

オレは社長やる前にトレーダーだってことの巻き(その二)


これなんだか分かりますか。
実は、コンテナー貨物の封印なんです。
職業柄、分かるのは関係者に限られるでしょう。

道産子社長の会社は、製造業です。
輸出もしますので、製品の積み込みにコンテナーが往来します。
その際、積込みが終わってから扉が開けられぬように封印します。

もちろん、盗難防止もありますが、貨物を無事に積込んだ証です。
そのピンみたいなタグが、これなんですね。
今やコンテナー貨物は、世界の貿易に欠かせません。


もし、コンテナーの物流が無くなったらどうなるのか。
ユニクロも、ダイソーの百均も、みんな売り場から消えてしまうでしょう。
自分たちの生活にとって、物流ほどありがたいシステムはありません。

それで、道産子社長は、このタイに来るまではトレーダーでした。
日本語なら、貿易実務の商売人とでも申しましょうか。
先回アップした投稿でも、その一端をちょっと紹介してみました。

ただ、日本に居ますと貿易をこなしても知らないことが意外にあります。
例えば、このような貨物の積込みを目にした方は少ないかもしれません。
なぜなら、日本は分業化が進み、物流業者が貨物を引取りに来るだけです。

つまり、システムが整っていて実務的な輸出の作業は総て業者任せです。
でも、ここタイでは出荷元でコンテナに積み込んで自分で封印します。
複雑で余計な工程は省かれていますが、自己責任が伴うと言うことでしょう。

だから、担当者は、デジカメで作業写真を撮影しなければなりません。
後々、輸送中の損害でもめた時、証拠を提出する必要が出てきますから。
まあ、そんな細かいノウハウが、海外工場には必要なんだと言うことです。

と言うわけで、アセアン諸国の輸出のしきたりは、タイと五十歩百歩でしょう。コストが安くなるのは当たり前ですが、コンテナーの一時貨物保管場所(ヤード)なんか、ただの野原みたいな裸地に野積みされているのを良く見かけます。コンテナーは頑丈ですから壊されることも無いでしょう。ですが、扉を閉めて封印だけは絶対に自分の手でしておく必要がありますね。そんなノウハウを帰国前に思い返す道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月17日土曜日

オレは社長やる前にトレーダーだってことの巻き(その一)

※左クリックで拡大してご覧下さい。

日本に帰国すると一介の海外営業に戻ります。
こちらへ社長で来る前も、プレイングマネージャーでした。
この四年間、日本での時計は止まったままだったのでしょう。

ふらっと貿易事業部を出て行って失踪した社員がいる。
いずれは舞い戻って、職場の机に座って仕事をするだろう。
そんな流暢だが、不埒でぞんざいな会社の様子もうかがえます。

それで、最初に掲げた資料は、自分なりにアレンジしました。
どこかで見かけたものを記憶しておいてパクった分けです。
ですので、我ながら良くできた資料だと思って自画自賛しています。

まあ、一人で年間三~五億程度は輸出してきました。
部下なしですから人件費は、自分の分だけでしょう。
四年前、せいぜい年収が大台の七掛けでしたね。

まあ、組織に上司が何人かいて、食わせねばなりません。
ですから、例としてオーバヘッドは二倍かかっていたと見なしましょう。
そうなるとざっくり二倍で、千五百万くらいのオーバーヘッド負担ですか。

一方、自分の輸出では、少なくとも十五%は利益が出ました。
これを計算すると、四千五百~七千五百万円の上がりです。
オーバーヘッド引いたって、十分元を取っていたのは事実でしょう。

※左クリックで拡大してご覧下さい。あくまでも例えですよ。

まあ、純益としては一割は軽く出ていたんじゃないでしょうか。
そんだけ、昔は銭をもうけてながら会社に貢いでいました。
だから、タイの社長になれたのかもしれませんね。

それで、こちらに来てからも稼ぎましたよ。
一昨年は過去最高でして、純益は売上高に対して十七%です。
製造業としては、抜群の数値でしょう。

もちろん、シェアがタイ国内で五十%以上あります。
このため、価格を売り手でコントロールできた理由もあるでしょう。
商売して儲かるって言うのは、老いてもワクワクするものです。

と言うわけで、こう言った貿易実務はかなりのノウハウだと思えるのです。もう一度、日本に帰参してトレーダーとして再出発になりますが、ただ五十三歳ですから体力が追いつきそうにもありません。それでいて、プレイングマネージャーの一人で馬車馬のように改めて働かねばならないとなると、ぞっとして来ました。こちらで培った経営ノウハウに貿易実務をプラスしてできるジョブは無いものかと考えあぐねる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月15日木曜日

贋札にしようとしたって無理ですよの巻き


この封筒ですが、スーパーリッチでもらえます。
外国紙幣を両替するお店なんですね。
バンコク一レートの良いお店といわれています。

場所は、伊勢丹デパート向かいのビッグC近くです。
今日のレートは、一万円で3720バーツでした。
一月末のレートが4100バーツでしたから、ずい分と円が弱くなりました。

海外旅行でこちらに来られた方は、使い出が減ってちょっと残念ですね。
一方、日本へ帰国する駐在員は、ラッキーこの上ないです。
だって、バーツで溜め込んだへそくりが円建てなら増しています。

一万円を両替するのに、今だったら380バーツもお得なんですよ。
日本銀行の金融緩和政策には感謝せねばならないでしょう。
でも、三月末の円両替には、十分ご注意下さい。

円の両替に訪れる日本人が増えて、ストックが切れてしまうのです。
つい二三年前ですが、そんな話題をネットで見かけました。
それより、両替で貰う封筒がまた洒落ております。


封筒の表が、紙幣のイミテーションなんですね。
イギリスポンド、日本円、ユーロと三種類を貰いました。
縮尺が少し縦長でおかしいので、偽札としては先ず無理なんじゃないでしょうか。

と言うわけで、一月末からちょこちょこ両替してきたのですが、現在の円安を考えるとかなりの為替差損が出てしまいました。ただ、ケチってお金を溜め込んできたわけでも無く、知らない間に残っていた金ですので、そう執着心はありません。現地の業務が第一でしたので、少しは日本に持って帰れたらと言うことで満足している道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月14日水曜日

第二の人生は健在なりの巻き


このカラーリング、神奈川県に住んでいる人なら分かります。
神奈中バスですね。
正式な会社名は、神奈川中央交通と言います。

このバスですが、ミャンマーで堂々と走っておりました。
二年前、ヤンゴンに初めて出張して見かけたのです。
その時は、運賃後払いの表示までそのままでした。


でも、今回はそういう表示が取り除かれていました。
ちょっとは地元向けに配慮したのかも知れない。
とにかく、日本のバスのままで走る勇姿には驚かされました。

他にも、東武バス、立川バスなんてのも見かけました。
いや、もっと驚いたのはエンブレムロゴがレトロすぎるバスでした。
Hinoと書いてありますけど、調べたら四十年前の製造です。


そんなバスが、スクラップされずに現役で堂々と走行中です。
いあやはや、日本製は頑丈そのもの何十万キロも走っております。
そんな、バスを見ますと第二の人生そのものなんだと思いました。

と言うわけで、自分もそれに当てはめてみるなら、第二の人生もやっぱり外国なんでしょうかね。となれば、経済自由化のミャンマーなんでしょうか。とにかく日本に戻って、この先の人生が神奈中バスになぞらえてみるべきなのか、考えてみようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ヤンゴンで見かけたバスです。


2012年3月13日火曜日

半島人は始末に負えんの巻き



ハーイ 日本人たちよ、こんばんは。
あなたは既に、被爆されているんですか? え~ ホントに怖いねえ。
もうすぐ東京にも 大地震が発生して、もう死んでしまうのですか?
あー それだと良かったです。
私は人を殺すことを想像し、頻繁にすれば その存在が日本人でした。
私は実際に日本人を殺すことはないと思った。自分で自滅してくれるんだな、
この民族は。あー気持ちいい。
それではこれから日本の復興をずっと見守りながら、楽しんでまいります。
一瞬で死んでください、日本人の皆さん。



こりゃ、ひでー。
朝鮮人って一体どういう人たちなんだ。
(この巻き、終わり)

残りの人生をどう生きるか考えて見るの巻き

昨晩は、楽しい会食だった。
仕事でお相手してくれた大先輩に会えたのだ。
バンコクへ来られるとは思っても見なかった。

引退されてから何年が経ったろう。
ベトナム市場を一緒に回らせていただいたのだ。
色々と教わることもあったし勉強になった。

何でもミャンマーの結婚式に出席する途中だと言う。
引退されても、人脈は深く根を張っているらしい。
経済自由化でもてはやされる国のことだ。

未だに、貿易の仕事に関っている様子がうかがえる。
商社の方は、知恵と体力次第で意気盛んだと察した。
それで、自分の今後の身の振り方を相談した。

五十過ぎとは言え、まだやれるはずだと思う。
ただ、日本に帰っても職場のポストはふん詰まり状態だ。
この先、自分を優遇してくれる見通しは立たない。

六十までしがみつくかどうか、岐路に立った。
話によれば、日本は六十五歳定年制になる可能性もあると言う。
そうなると、年金の出る年齢まで働くのも手であろう。

ただ、仕事人として自分のやりたいことは見当たらない。
会社では、処遇の程度が推し量られるし期待もされない。
収入だけの問題では無くなってしまった。

ここ、タイで培ったビジネスノウハウが活かせられないか。
日本に戻っても単なる営業人生だけは、少し単純で淋しい。
こうなると、自分の人生の仕上げゆえ所得だけではないと思う。

でも、先立つものは金であろう。
その方は、六十五歳になると夫婦二入で年収三百万だそうだ。
これぐらいあれば、年金暮らしも何とかなるらしい。

このレベルを最低限守るとして、自分の人生を考える。
祖父も父も八十で鬼界の門をくぐった。
伯父二人も八十過ぎだったが、似たようなものだった。

だから、自分は残り二十数年だと思えてくる。
会話の最中でも、先ずは所要の路銀を頭で弾いてみた。
その上、自分の年金は手取りが減るのは間違えない。

間違っても民主党政権に明るい未来の補償は無い。
日本を終了させることに血道を上げているのだろう。
手取りは減るだろうし、貯金をくずして補填せねばなるまい。

それで、今の蓄えならなんとかなるかもしれない。
ただし、そのへそくりは減らしてはならない。
まだ働く必要があるとそろばん勘定で判断した。

そうなると、最低限の一定所得は六十歳あたりまで必要になる。
もし辞めてしまって、年収四百万程の働き口にありつけたらどうなるか。
日本だと、かなり生活は厳しいだろう。

夢よもう一度で、海外になるのだろうか。
まあ、生活コストで見ればアセアンのどこかだろう。
そうなると、現地の採用もありなのだろうか。

と言うわけで、そうなると海外で働き口に活路を見出すのも手の一つになりそうだ。相手の方は、自分の働いている会社の状況を把握しているから、自分の将来を慮ってくれたのだと思う。焦るなよと釘を刺されながら、軽はずみにならずベストマッチングを絶対に探せと指令もあった。五カ国語の読み書きをする上さんが側にいてくれる。それが助けになって、海外生活はありえるかもしれない。今後の人生はパートナー次第だから、再度の洋行はどうかと考え始める道産子社長なのであった。
(この巻き、終わり)

2012年3月11日日曜日

母の命日だけを思い、今日一日を過ごすの巻き


高校二年の三学期末の試験最中だった。
よもや、母が鬼界の門をくぐるとは知らされず、のんびり試験を受けていた。
父親も、姉も、私をどのように扱ったのかは分からない。

ただ、学校の先生は不憫に思ったのだろう。
数IIなど、試験を受けなくても十段階で九の成績をもらった。
結局、試験を受けても受けなくても、成績はかなり良かったのである。

と言うわけで、大伯父が通夜の晩に自分が試験勉強をしていたのを見て、そんなにまでし無くてもいいのにと言われたことを未だに覚えている。でも、母は自分が少なくとも国立大学は通ってもらいたかったから、死期が分からずとも、予感のようなもので自分もそれなりに答えていたのかもしれない。そんな、3月11日のことだから、昨年のことは分からない。はるか昔の母の記憶で、今日を過ごそうと思う。
(この巻き、終わり)

またまた、休日出勤で仕事をしたの巻き

今回は、である調で書く。

例年、三月は忙しい。
帰任しようがしまいが、それは関係無い。
とにかく、株主総会と取締役会がやって来るからだ。

自分が、四年前に赴任した時、突然、開催時期が変わった。
それまでは、在外役員のお気楽出張もかねて五月連休前だったはずだ。
この方が、準備期間が長くて、タイの現地は左団扇で進められる。

ところで、株主総会は、決算を報告して承認してもらう会議である。
となると、決算資料がでなければ、議事進行資料も作れない。
タイでは、一般的に暦年が会計年度になっている。

十二月で年次の会計を先ず閉めたら、決算書類を作らねばならない。
それをこさえるには、最低一ヶ月は絶対に必要だ。
だから、経理部は、一月から二月にかけててんてこ舞いである。

そして、出来上がった書類は、きちんと帳尻が合っているか確認する。
これを外部の監査法人に見てもらうのだが、この予約が大変だ。
例年、二月中旬から三月の間に監査が集中するから、かなり事前に押さえておかねばならない。

それで、監査は始まれば約一週間でいとも簡単に終わってしまう。
だが、社内の帳簿付けにお墨付き資料が出るまでに、また一ヶ月待たされる。
こうなると、正式な財務諸表は、三月末の発行まで待機なのだ。

うーん、資料が株主総会まで間に合わせられない。
そんな時は、ドラフトを経理部長から入手しながら議事資料をでっちあげる。
いつも、こんな綱渡りで作業をするのだから、休日出勤は欠かせない。

三月末に開催時期を変えたのも、ご本社様経理殿のご意向である。
親会社の年次は四月~三月と言う、ごく日本の常識である。
だが、世界から見れば、これは極めつけの変態会計年次に過ぎない。

日本は、経理でもガラパゴスなのだと、タイでつくづく思う。
何でも連結決算的な決算資料を、形だけでも作りたいらしい。
そんな、お見事な財務資料なんか遺憾だが、親会社で拝見させてもらったこともない。

非上場だしファミリーの経営だから、非公開は当たり前であろう。
そう言えば、ご本社様の決算発表は、横並びの六月末だ。
日本で三ヶ月の所要だから、タイも同じくと言う判断なのかもしれない。

この四年間、ぜーんぶ資料を作ってきたが、会計英語は強くなった。
こっちは、財務諸表が”Financial statements”だぜ。
用語がぜーんぶ英語なのを読みこなして、自分なりに財務分析した。

それでいて、株主総会資料は在外役員様のため日本語なのである。
一方、ローカル幹部には英語で資料を翻訳したのをちゃんと渡す。
外注なんかしたら企業丸秘情報が、ここタイならいとも簡単に漏れてしまう。

だから、社長様が一人でこつこつやり遂げるしかない。
だって、日本人はこのオレ一人だけだからね。
まあ、これも今回が最後だから、開放されるので気が楽といえば楽だ。

でも、この培ったノウハウは日本では活かされない。
なぜか、非常にむなしいし、やるせない。
何とか義務感だけで休出して、馬車馬のように働くのである。

と言うわけで、理由は営業職で戻ってしまうから、また売り子部隊のプレイングマネージャーよ。 おれの培ったノウハウは、まったく活かされないだろうし、英語の財務諸表を読んで、会社の経営分析を英語で曲がりなりにもできる奴って、そうはざらにはいないんじゃないだろうか。やっぱり、日本で活かされる余地は残されていないと思うようになった道産子社長なのであった。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ちなみに、へっぽこ社では、会計監査法人を日系企業御用達の凍沫で依頼してきた。
でも、五十万バーツ以上の料金は、法外なんてもんじゃない。
だから、オレの時代、信用の置けるローカルに切り替えた。
ちゃんと英語でさえ財務諸表を出してくれれば、自分は読める。
料金は、三分の一だぜ。
これって、ノウハウじゃないのかと思った。

2012年3月8日木曜日

今日は疲れたので寝ますの巻き


このクマ君の驚きようがかわいいです。
なごんでたもれ。
お休みなさい。
(この巻き、終わり)

2012年3月7日水曜日

休日に出勤して新社長室でお仕事の巻き

今日は、タイは休日です。
祝日の名前は”Makha Bucha Day”と言います。
何でも、仏教行事にちなんでいるようです。

それで、お休みだからのんびり出来そうですが、ざんねん出勤です。
帰国前の最後の大仕事、株主総会・取締役が待っております。
日本人は一人ですから、資料作りは全て手作りになります。

これって、毎年恒例の行事ですが、非常に忙しい。
しかも、株主が複数いますので、ちゃんと資料が要求されます。
親会社100%出資の系列会社とは、全く異なるんですよ。

しかも、日本語で資料を作ったら英語に翻訳します。
この英語の翻訳も、社長ひとりの手仕事になります。
外部に情報が漏洩したら一大事なので、あえて外注しません。

この英語資料なんですが、経理部長と工場長に手渡すものです。
彼らは役員待遇ではありませんが、会議には出席してもらいます。
会社経営の方針は、ちゃんと理解してももらわねばなりません。

それで、今日は運転手さんを休ませました。
自分ひとりで、BTSからタクシーを乗り継いで出勤です。
モチット駅で降りたら、タクシーを拾います。

この時、行き先を言うんですが以前より簡単になりました。
工場の目と鼻の先に、二年前、テスコロータスが出来たんです。
これを名指しして言えばいいので簡単に分かってもらえます。

ところで、先々週から新しい社長室に移りました。
引越しが遅れていましたが、なんとか帰国前に移った感じでしょうか。
新しい執務室と言うのは、気持ちの良いものですね。

と言うわけで、経理部長も出社してくれまして、経理データの確認をしながら資料を作成しました。株主総会の資料は完成し、後は取締役会資料が七割できあがった感じです。まだ英訳が残っておりますが、二週間ほど日数を残していますので何とかなりましょう。こうして、休日を仕事で過ごしてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月6日火曜日

これからは、無理せず寄生するのも手かもしれないの巻き



只天下破レバ破レヨ、
世間ハ滅ビバ滅ビヨ、
人ハトモアレ、
我身サへ富貴ナラバ・・・



これは、『応仁記』の一節です。
舞台は「応仁の乱」でして、中世の室町時代の史書です。
あの頃、京の都が戦場と化してしまいました。

市街戦、ゲリラ戦の何でもあり状態です。
そんな戦乱の世では、人心も荒廃していたのでしょう。
そんな当時の世相をよく表す一節として、引用されてきました。

乱は、応仁元年(1467)から文明九年(1477)の十一年間です。
実に長い年月ですが、戦国時代の下克上はそれよりもっと長いのです。
実際には、この乱から戦国の世が移行していくわけで口火を切りました。

こんな言葉を思い出しながら、わが身さえ富貴ならばと私も願うのですよ。
五十三歳になりますので、リタイアを真剣に考え始める時期です。
余生を気楽に送るには、先立つものが無いといけません。

まだちょっと早すぎるしなー。
もう少し働いて見て、経験を積んでみたいような気もしますね。
特に英語の能力だけは、磨き上げておきたい。

と言うわけで、これから日本に帰って働く分けですが、六十歳定年の道筋が明確になりました。これからの会社人生は、ほぼ余生に当るのでしょから無理をしません。先ずは、自分の健康と精神が大事です。それでも、棺おけに足を突っ込むまでは長そうですから、少しは富貴を目指すとしましょうか。働きながら上手に寄生するのも悪くないなと、思いはじめた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月5日月曜日

サイレントクレーマーは恐ろしいよの巻き

直前にアップした投稿は、英語で書きました。
日本語でも良かったのですが、自分の意図を満たしません。
世界中にお触れを出さねば、憤慨が収まりきらないせいもあります。

そうすれば、英語ですから多くの人が読んで理解してくれます。
そして、読めばあのようなゲストハウスには泊まりにいかないでしょう。
日本帰国直前で、こんなにど外れたチョイスは良い経験になりました。

しかし、先週、泊まりに行ったゲストハウスはどうも胡散臭い。
先ず、泊まれないからといって別のホテルを紹介されました。
そのホテルでは、別の白人夫婦も同じ状況で泊まっていました。

大体、水道の配管が壊れたと言う釈明は、オーナとして失格です。
観光業ですから、施設の営繕が不備だったと言うのは恥辱なのです。
もう、この一点だけで経営者としては、怠け者の烙印でしょう。

それに、紹介されたホテルは宿泊料が安いのも分かりました。
四割も安いホテルだったのが、チェックアウトの一騒動で暴露です。
アゴダで既に振り込んだのに、二重払いの請求なんてあきれました。

あそこのゲストハウスの白人野郎は、どういう説明をしたんでしょうかね。
見たくも無い宿泊料金を見せられて、急に怒りがこみ上げてきました。
要するに、我々をぼったくりしたとしか言いようがない状況です。

こんな時、日本人って現地では泣き寝入りしてしまいますね。
英語で上手く話せず、抗議できない人が多いのでしょう。
それより、交渉が煩わしくてあきらめてしまうのかもしれません。

私の場合、英語は話せますし、書けるのです。
ですが、からくりがチェックアウトの最後になってばれたのでは、後の祭りです。
うーん、これは抗議の方法を変えねばならなくなりました。

なぜなら、直接抗議したって金なんか返してくれる当てはありません。
ならば、インターネットでプロパガンダすることのみです。
要するに、あそこは最低だとか、絶対行くなとか、書き込めば良いだけです。

だから、そうしたんですね。
誰かが読むでしょうし、それに宿泊サイト・アゴダのコメント欄もあります。
ブログでは、思い余って、ちょっと差別用語も交えてタイプしてしまいました。

と言うわけで、欧米の観光業界では、日本人はサイレントクレーマーとして恐れられているそうです。宿泊したときは、はっきり意見を言わず表情にも不満を出さない。それが帰国した後で、避難・悪評をネットで撒き散らされるわけですから、戦々恐々でありましょうな。その代わり、その場で文句を言う中国人は後腐れが無いから、対処が楽なのかもしれない。サイレントクレーマーにお気をつけあそばされと申し上げたい道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
何となく、オーバーブッキングを常習化して、代わりのホテルを紹介する。
宿泊料の差額で、利ざやを稼いでいるんじゃないかと思えます。
そういう風に思わせる悪質さが、毛唐野郎だなと思いました。

2012年3月4日日曜日

Never, Never go to terrible Maera Beach House in Rayong


After finishing our short trip through two nights stay weekend,
Although we've just returned back to Bangkok home, some bad sense is still keeping in my mood.

Because the owner "AMERICAN GUY" abruptly excused for the happening that the booking room was not available due to the tap water broken when we reached the little messy town-house.

Then, he introduced to us about the alternative neighbor hotel "Rayong Beach hotel"with around distance fifty meters.     

At that time, we thought the proposal can not be helped and followed him as he showed his odd kindness of his snatching and carrying our luggage.

Of course, we already paid the rate through Agoda with Credit Card and the value was the one night cost of 1,062 THB for Fmily room type. Thus, our debit charge will result the total 2,132 THB.

However, when we checked out the hotel this Sunday, they showed us the invoice slip for asking us about the room charge pay.

ONE NIGHT WAS ONLY 600 THB AND TOTAL 1,200 THB.

Absolutely, we ignored their request as we warned that WHITE OWNER's pay and it's only thing.

IS THIS RIP-OFF JOINT?
IS THIS EVILDOING FOR CHEATING US?
  
I mean, how about the big different amount between the house and hotel?
In a word, where did the different amount of  932 THB disappeared?
Even though we could use the private beach and Wifi net surfing, is this out of all bounds 462 THB charge per day? 

This is the bandit whiteface performance and that rat is already accustomed to the Thai asshole manner for cheating Foreigners.

If he could serve the cups of coffee for us at no charge by apology way, we might have accepted with our reluctance.
BUT, NOTHING.

THUS, NEVER NEVER GO TO THIS TERRIBLE MAERA BEACH HOUSE IN RAYONG.

This is our supreme recommendation that it perfectly blew up our last trip in Thailand during our four years stay in Bangkok before our return to Japan soon. 

That's all.

新しい躁うつ病は、自分で症状を自覚しているの巻き

部下に敬意を払わない上司は、会社に大きな経済的損害を与えている。
敬意を払うことが報酬の一部であるということは、それが不足しているぶんだけ、給与を引き上げないと金銭的報酬は少なくても、より多くの敬意報酬を支払ってくれる競合他社のトータルの報酬額の方が大きく、人材を引き抜かれてしまうからだ。

雑庫/雑録/Tumblrから引用させてもらいました。
敬意の払われ方は、色々あると思います。
礼儀の作法として、社員を大事にするのは当たり前でしょう。

他にも昇進であったり、昇給だったりするわけです。
自分は定年まで七年ですから、敬意は払われないのかもしれない。
駐在で社長を務めて四年間、間もなく日本に変えるわけです。

帰っても、こちらに赴任した時の役職のままです。
給料が上がらなくても、肩書きだけでも何とかならないのか。
まあ落胆して、やる気がなくなりました。

ところで、タイの現地法人は設立して、およそ四半世紀です。
自分の在任中、過去最高の業績を残しました。
事業拡張を狙って、工場用地も取得してあります。

新社屋の増築も終えつつあり、最近、新しい社長室にも入れました。
一方、昨年の洪水被害を無事に乗り切れたし、言うことはありません。
私としては、120%の成果です。

それがなぜか報われないんですよ。
帰っても四年前の肩書きと同じままで働くのです。
これまでの歴代社長で、唯一昇進しなかった人物となりましょうか。

一抹の寂しさは隠せようもありません。
今日は、海浜のローカルな観光地でのんびりしています。
でも、明日からは仕事があると思うと、気乗りしない。

工場長は、社長には日本にもどって昇進してもらいたい。
一人でも多くの元社長がそうなれば、こちらの現地法人をサポートしてくれる。
だから、業績を伸ばし続けるのが目的だと言っていました。

こんなことを、酒の席で聞かされていたのです。
道産子社長の場合、選外も選外、論外でしょうなー。
日本に帰っても彼らを助けてやることは、できないようです。

これって、すでに軽いそううつ病かもしれませんね。
週刊新潮を買って読んだ記事に、新タイプの症状が紹介されていました。
まさに、自分が似ているんで、ぞっとしました。

と言うわけで、これからの日本企業には、この手の躁うつ病患者が激増していくんじゃないかと、自分を振り返って思いました。どんなに頑張っても敬意が払われないのであれば、若い人は意を決して会社を去っていくのかも知れない。一方、自分みたいなロートルは、しがみつくだけなのだろうか。既に老後の準備を終えつつあるので、年収には関係ないのです。海外でも良いから敬意を表してくれる会社は、どこかにないかと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月3日土曜日

英語ができると格安旅行がもっと楽しくなるの巻き


マエ・ランプンには、ちょっとした岩場の突端があります。
そこには海浜全体が見渡せるような広場が造られていました。
駐車場もありますし、椰子の木も植えられてトロピカルです。

なかなか風情のある場所ですが、出店の屋台が出色です。
イカの串焼き、焼き鳥などなど安くて酒の肴として買いました。
スタンドバーもありまして、ビールの値段も安い。


こう言う観光地は、本当に地元の人が来る場所です。
でも、白人観光客も何気なくいるんですね。
方や、日本人は絶滅危惧種です。

ほとんど見かけないのですが、なぜなのでしょうか。
おそらく、英語が使えるかどうか次第だと思いました。
こう言った予算限定派の旅行は、口コミ情報だけが頼りです。

この点で欧米の人たちは、バックパッカーを見ても活動的です。
どんなタイの田舎でも白人を見かけて驚いたりします。
どうやって、口コミ情報を仕入れてくるのでしょうか。

先ず、ネットの英語サイトが実に役に立ちます。
これは、自分がタイでせこく旅行をする中で覚えてきました。
間違っても日本語のサイトは役立ちませんし無用です。

Tripadvisor”なんかが良いですね。
ただし英語版だけでして、最近できた日本語版は無意味です。
はっきり言って役に立ちません。

情報が不足しているし偏りが目立つのです。
まあ、英語サイトだけで情報収集されるのをお勧めします。
次にホテル予約サイトの”Agoda”が役立ちました。

ここは、星無しから五つの最上級まで紹介されています。
よりどりみどりですが、星の少ないホテルを絞り込みます。
続けて、コメント欄で評価の高い宿泊施設をチェックですね。

ここは、日本語のサイトでも構いません。
ですが、コメントは英語が多いので読めなければアウトです。
なぜ良いのか理由を探ってこそ、旅を楽しめるんじゃないでしょうか。

と言うわけで、英語の海外旅行情報は実に豊富でして、困ることがありません。最近はアゴダでもゲストハウスに投稿する日本人が増えていますので、役に立つ機会が増えました。でも、紹介情報の絶対量が少なく、英語とは比較になりません。そんな、タイ語を余りしゃべられない道産子社長は思ったのでした。
(この巻き、終わり)

マエ・ランプンはそれなりの海浜景勝地の巻き


沖合いには、リゾート地サメット島が見えております。
子供たちが服を着たまま、海水浴をしていました。
地元の人たちは、公衆の面前で肌を晒すことがないみたいです。

その代わり、白人オババの水着姿がありました。
寸胴、ボンレスハムみたいな容姿は、ものすごい。
まるで、借景の破壊魔のように振舞っていたのです。

それで、若い外人観光客は、ほとんどいません。
五十代以上のシルバー指定みたいな保養地です。
あの有名なパタヤの喧騒とはまるで違っていました。


あそこから車で一時間しか離れていないのに静かです。
砂浜の海岸にめぼしいスポットは何もありません。
道路に沿って居並ぶ宿は、質素で星が付くのかどうかも分からない。

それで、泊まったゲストハウスにも驚かされました。
オーナーはアメリカ人だと聞いていました。
でも、到着したら店番みたいなタイ人の女性しかいない。

アゴダで予約したバウチャーを見せると携帯で電話を掛け始めます。
二三分したら、そのオーナーが実にラフな短パン姿でやって来ました。
何でも、部屋に至る給水管が壊れて水道が使えないらしい。
 
※値段勝負ですが、朝飯はOKらしい。

近くに代わりの宿を紹介するから、泊まるように言われました。
はっきり言いますが、コミュニケーションは全て英語です。
語学にチャレンジしたい人だけが、ここに来て見てください。

まあ、ここまで来て帰るわけにもいかない。
オーナーは、突然、荷物を取り上げて外に出始めました。
ご沙汰に従って、後を追っかけるしかないのです。

すると、五十メーターほど離れた場所には、ちんけなホテルです。
どうも話がついていたらしく、部屋を紹介されました。
請求書まで出されたんですが、既に振り込んだいって無視しました。

とにかく、部屋まではたどり着けました。
でも、無料Wifiも専用ビーチもゲストハウスまで出かけなくてはならない。
なんだか、とても気乗りしなくなりました。

と言うわけで、波乱に富んだケチケチ旅行が始まったのでした。それでも、午後からは木陰の砂浜でゴロゴロしながらゆっくり過ごしました。本当に海岸しかない観光地ですが、のんびりするには最高かもしれない。シルバー世代ご指定なのも、むべなるかなと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月2日金曜日

忙しくなる前に、帰国の前に、一休みの巻き

今日は金曜日ですが、お休みしました。
週末と併せて二泊三日の休暇です。
タイトルどおり、休養して英気を養っておきます。

それで、出かける先はラヨンの海岸です。
マエラビーチハウスと言う2.5星の格安な宿泊先でした。
日本風に言えば民宿に毛の生えた程度でしょう。

ただ、トリップアドバイザーなんかも、お勧めしています。
コストパフォーマンスが最高と言うことらしい。
こう言った懐具合にやさしい投宿先をみつけるのが楽しみなんですよ。

と言うわけで、出発の刻限になりましたの。運転手さんがロビーで待っていますので、家を離れます。これが、タイを出国する前の最後の旅行になるのだと思ったら、ちょっと感傷的になってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

豚の鼻で連想されること、したことの巻き


読んでもらえば分かりますが、面白い連想ですね。
直前の投稿では、実際のコンセントの話でした。
日本では豚の鼻って言いますけど、海外では似つかぬタイプもあるようです。

と言うわけで、これは日本だけの表現なのかも知れませんね。ネットで拾ってきたコボちゃんの作者の想像力が上出来でしょう。微笑ましいですが、そこまで連想できたとなると、コボちゃんて、IQが150以上あるのかも知れないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年3月1日木曜日

豚の鼻は、ミャンマーで通用しませ~んの巻き

※左クリックで拡大してご覧下さい。


要するに、電気のコンセントは種類がたくさんあると言うことです。
この間、ミャンマーを旅行した際、そのことを痛切に感じました。
上の表を参考しますと、どうやらカテゴリーIのイギリス型がほとんどでした。

もっとも、ミャンマーはイギリス植民地だったので当然でしょうか。
形態的には、日本で主流の豚の鼻(A型)とは全く違っています。
コンセント自体が無骨でして、ここまで頑丈にする必要も無いと思うのです。

ただ、電圧が220ボルトと高めで、安全のために必要なのかもしれません。
しかも、アースのピンをちゃんと差し込まないと通電しない気がしました。
いやはや、A型に変換するアダプターが無いと日本製は全く使えません。

これが、 四つ星ホテルのロイヤルパークホテルでもそうなのです。
唯一、洗面所のシェーバー・コンセントだけが、似ていなくも無い。
まあ、PCの充電だけだったので、無理やり差し込んで使いました。

※この組み合わせタイプは日本で良く売られています。

ところで、こう言った体験は、かつてベトナムでも経験しました。
このため、変換アダプターなるものを買って、出張時に備えたと覚えています。
今回は、タイの駐在が滞在が長くなってて、記憶が飛んでいました。

と言うのも、タイではA型が結構主流になりつつあります。
でも、未だに丸いピンが二本の電化製品も見かけるには見かけます。
ですが、そこは良くしたもので、コンセント側が両方差せるようになっているのです。

今回のミャンマー滞在ですが、ソケットの形状が全く違いましたのであわてました。
アダプターさえあれば、充電に苦労しなかったと反省しました。
それで、タイに戻ってから、予備のアダプターを買い求めました。

※少し嵩張りますが、部品を失くさない一体型です。

お値段は、何と159バーツ(430円)です。
リゾート地ホアヒンのセブン・イレブンで買い求めました。
何気なく店内をぶらついていたんですが、何個もフックに引っかかっていました。

と言うわけで、これって需要があるから売られているんだろうと思うのです。タイのリゾート地では欧米人が多いのですが、イギリスとアイルランドはミャンマーと同じプラグのご本家なので、差し込めない滞在客が出てくるのかもしれません。それで、困った人がコンビニへ駆け込んで調達すると言う展開は、ありえると思いました。もっとも、ミャンマーのホテルの方こそ、安直な豚の鼻(A型)に切り替えてもらいたいと思ってしまった、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)