2010年7月30日金曜日

明日は、日帰り出張なので寝まーすの巻き

明日は、シンガポールまで日帰り出張します。
と言うわけで、一杯飲んじゃったし、長い文章を起こす気も失せたので、寝ます。
ネコちゃんの可愛い寝顔でも見て、和んでください。


(この巻き、終り)

2010年7月29日木曜日

愛する上さんへ、三等車に乗った駐在がメールしますの巻き

ネコちゃんへ

パタヤから帰りはケチって、汽車の三等車に乗って帰ってきました。
運賃は、たったの31バーツでしたが、イスが堅い木のため、お尻が痛くてたまりませんでした。
それで、結局、二時二十分まで待たされたのと、汽車の速度が遅くて、バンコクまで四時間近く掛かってしまいました。

でも、パヤタイ駅で下車してBTSに乗り換えられたため、七時前には帰ってこられたので、ぎょうざを焼いて食べました。
おいしかったのですが、冷凍で団子状に固まっていたので、フライパンで焼きながらほぐしましたが、きれいに一個ずつ分 けられず、かたまり上で焼きあがりました。
味は悪くなかったのですが、見た目が今一です。

まだ、ぎょうざはストックがあるから、次回の焼き方を工夫してみることにします。
それでは、一人暮らしで不便でしょうが、しばらくの辛抱です。
おやすみなさい。
愛してるよ、バンコクから。

オジジより

と言うわけで、勝手に思い立ってパタヤへ旅立って、帰ってきました。

申し開きみたいな側面もあるんですが、上さんにメールしたわけです。
今、上さんは日本へ戻って、在留許可の延長を申請しております。
ですから、お互い離れ離れの生活になってしまった分けです。
しかも、上さんもそうですが、自分はバンコクでチョンガー回帰です。

それで、メールを初めに振り出して、この顛末の最後を書き始めています。

パタヤからは、タイ国鉄の鈍行・三等車両で帰宅しました。
物珍しかったせいもあり、デジカメで写真を撮りまくっています。
この列車なんですが、以前の記事では十五年振りだと書きました。

でも、これが勘違いだったんですね。
実は、昨年末、カンチャナブリへ激安旅行した時にも乗りました。
クワイ川沿いに、切り立った崖にそって走る、三十分ほどの乗車です。

と言うわけで、論より証拠で、撮影した写真をこれから貼り付けて行きます。
三等車の旅を少しでも感じていただければ、うれしいと思います。


田舎の駅だから、切符も硬券だと思ったら違いました。
プリンターで打ち出されるペラペラのチケットは、風情もなくてちょっとがっかりです。
因みに、往路の高速バスは片道113バーツで3倍以上しました。


改札は無くて、代わりに切符の売り出しが三十分前から始まりました。
この三等車の運賃は、タイ人なら無料です。
低所得者に対する、政府の支援策なんだそうですが、半年の期限が未だに延長し続けています。
政府も国民の支持を取り付けたいから、大盤振舞いなんでしょう。
自分はファラン(外人)ですから、ちゃんと払いましたけど、31バーツなら有料でも良い感じです。


先頭のディーゼル牽引車がやって来ました。
かなりのオンボロで汚いし、整備不良の印象は拭えません。
これに、六七両の客車が連結されていました。


硬い木製の椅子だけの三等車に乗りました。
ビニール張りのクッションのシート席もありましたが、汚らしくて座る気が起きなかったのです。
この三等車は、敬遠されているのか、四人掛けを一人で占領できました。
ただ、チェンチェンサオの駅からは満席になりました。
通路に立つ乗客も出たほどです。


チェンチェンサオ中継駅で見た、コンテナを積載した車両です。
実は、この線路は貨物鉄道が頻繁に往来しています。
石油荷役用のタンク車も数多く見かけました。
外洋貿易港のレムチャバン港やラヨン地区の石油精製所に接続しているからでしょう。


今年は、日照りが続いていて、雨量が少ないと思っていました。
でも、車窓から見る田んぼの風景は、青々としていました。
雨は少ないながらも降っているのでしょう。
既に田植えも終わっているようでした。

(この巻き、終り)

2010年7月28日水曜日

帰りはドケチ貧乏旅行に豹変したの巻き

さて、前の投稿は英語で入力せざるを得ませんでした。
とりあえず、泊まったゲストハウスにはパソコンが2台あり、無料で使用できたのです。
でも、入っていたウインドウズは、オランダ語版なのでした。
さすが、オーナーの出身国だけのことはあります。
まさに、Holland Guesthouseには違いないのでした。

さて、このパタヤ旅行なんですが、一泊二日を急に思い立って決めました。

実は、タイは三連休だったのです。
今年は、仏教行事の「アサラハブーチャ(三宝節)」にちなんで月曜日が休日でした。
ですから、週末を加えて三連休になりました。
学校とか官公庁は、これに火曜日の入安居(カオパンサー)を加えてお休みしますから、四連休らしいです。
うらやましいとはお思いましたが、私は民間企業が勤め先です。
月曜日だけなんですね。

それで、土曜日はブロガーのOVERDOPEさんと楽しく一杯飲みました。

でも、後二日が残っています。
上さんも在留許可延長で日本に戻ってしまったし、一人ですることも無い。
それで、思い立って旅立ったわけなのでした。

泊まったゲストハウスは、既に書きました。
日本語で情報をお望みなら、リア姉さんの元外交官夫人のブログを参照にしてください。
まあ、ジョムティエン・ビーチはパタヤと違って、落ち着いています。
ゲストハウスから、道路を渡ればすぐそこは海です。
のんびり海を見つめて、日がな時を過ごすのも良いかと思いました。

さて、チェックアウトして帰ろうとしたときのことです。

道路を渡ってソンティーを止めました。
多分、長距離バスのターミナルまでは、たどり着けるだろうと言う安易な思い付きでした。
ところが、途中で降ろされしまいました。
バスターミナルに行かないと言うのです。
もし、行くのであれば、二百バーツを出せと言うのでした。
交渉で百五十まで下がりましたけど、バカらしいので止めて降りてしまいました。
結局、そこで払った料金は二十バーツです。

次にソンティーがやってきたので、止めて乗ってみました。
行けるところまで行きましょう。
駄目なら、何か別の手立てを考えればよいのです。

それで、往路で見覚えのある十字路まで、10バーツで走ってくれました。
ここは、セカンドストリートとか言うところです。
北側に走る一方通行で、往路のソンティーは、ここを曲がって北進しました。
あとは、細いソイを抜けて海外沿いの一方通行を南へ走って、ジョムティエンへ向かった分けです。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

となれば、ここから歩いてバスターミナルまで行ってみましょう。
途中でショッピングモールのカルフールを見かけたので、中に入って休憩です。
フードコートの座席に、ヨッコラショと腰掛けました。
宿でもらったパタヤの無料観光ガイドの地図を開きます。
カルフールは意外に簡単に地図で見つかりました。
ところが、バスターミナルが見当たらない。

幹線道路の北方向にあったようなーとか思い出して、探します。
結局見つかりましたけど、まだ数キロはありそうです。
こりゃ、歩くのは少しつらそうです。
何気なく、探すとパタヤ・ステーションと英語で書いてありました。
幹線道路からそれて、二三十分で歩いてたどり着ける感じです。

じゃあ、十五年ぶりにタイ国鉄のオンボロ列車に乗ってみるのも悪くはない。

それで、道程は長そうだったのですが、方針転換です。
テクテク、ちんたら歩き始めます。
でも、駅までは長かったですなー。
汗ダクダクになってしまいました。


駅に着いたら、駅員らしい人もいないし、時刻表もタイ語なので分からない。
でも、私服の地元の人に聞いたら、二時二十分発車で、切符は一時五十分から発売だそうです。
ニ時間も早くついて、かなり退屈しそうだなー。

と言うわけで、列車に乗ったら、それはそれで記事にしてみますので、今回はここまでです。
この記事を書き終えて、パソコンをスタンバイにしながら、切符を買おうとする道産子社長が、そこに居るのでした。
(この巻き、終わり)

2010年7月27日火曜日

ジョムティエン・ビーチは、パタヤよりひなびておりますの巻き

前回は、ゲストハウスから、怪しい英語で投稿させていただきました。
やっぱり、パタヤ周辺のリゾートは、白人毛唐向けにできておるようです。
どうも、ここでは日本語、いや日本人は影が薄い感じです。
むしろ、中国語の方が血気盛んなようで、いたるところで耳にしました。
恐るべし、チャイナ・マネーでありましょうか。

でもねー、パタヤビーチは、自分の趣味ではありません。
どっかの観光繁華街と浜辺がドッキングしているような造作で、すごく人為的です。
自然もへったくれもありません。
不夜城のごとく、毎夜、酒池肉林の饗宴でありましょう。
そう言うのがお好きな人は、お楽しみしてください。

さて、自分の行ったジョムティエン・ビーチは、場所が違います。
パタヤより、一つ岬を隔てて、南側にあるのです。
しかも、岬の辺りは、意外と険しそうな地形でした。
家に戻ってから、グーグルの地図を眺めながら、そう感じました。


さて、ジョムティエンビーチは、海沿いに一本の海岸通が走っています。
通りに沿って、陸側は、ホテルやレストランがまばらに並んでいます。
道路を渡れば、すぐそこは浜辺が広がるだけです。
レンタルのビーチパラソルが、そこかしこと林立しておりまして、正に海辺です。

しかも、パタヤの出店のようなみやげ物屋もほとんど無い。
ショットバーとか、飲みに出かけられそうな場所も、限られている。
むしろ、地元の人たちも遊びに来るような、手軽さです。
何となく、パタヤから見れば、ひなびた雰囲気は隠せないのでありました。


まあ、それが良いところなんですよ。
潮風に浴びたいとか、朝の浜辺をゆっくり歩いて見たいなら、お薦めでしょう。
ですから、ちょっとお年を召したご夫婦が、長逗留するのにピッタシですね。

でも、ゲストハウスの二軒隣には、変なショットバーもあったのです。
怪しい姉ちゃんたちが、たむろしていました。
何となく薄暗くて、陰気臭い。
ほとんど”おばば”ばっかりで、幽霊屋敷さながらでした。
”ハロー”とか声かけられたって、絶対に行くもんか。。
照明が暗いのは、容姿と年齢を隠しているに違いない。

と言うわけで、ここジョムティエン・ビーチは、本人の気持ち次第で楽しめる海浜なのでした。
自分は、前日が午前様だったので寝不足ですぐ寝てしまいましたが、熟睡できたのだから良しとしましょう。
そして、翌朝には浜辺を気持ちよく散策する道産子社長がいるのでした。

(この巻き、終り)

※写真のおまけ
※地元の人は、絶対に水着を着ません。

※バナナボートで楽しむこともできますよ。

※潮干狩りをしている地元の人もいました。遠浅なのでOKかもね。

 ※ホランド・ゲストハウスの隣は、チューリップハウスです。
共にオランダつながりみたいです。

2010年7月26日月曜日

At Jomtien beach, I am enjoying

Now, I am staying at Holland Guest House being located along Jomtein beach road.
This house was introduced by Lady Leah who is a popular blogger living in Pattya.
I can only type English now because this house PC can not be set for Japanese language input mode.
However, anyhow I can read Japanese articles at least.
I am so happy.

Thus,  I can not introduce that blog`s Japanese name in this article.
Instead, please look for it from the right side - My favorite blogger corner and visit the site.
Moreover, if you do not want to look for, you can crick this linkage to go directly.

In my booking case, I directly calld up the front recepton in the day before staying.
English communication is better for each other understanding.
The one night rate is 1,000 Baht with Breakfast and very reasonable.
As she already introduced the nice room pictures,  the room is quite large and clean.
(In my case, I used Green room and the room layout was almost same.)

You can go to the convenience stores - Family Mart and Seven Eleven very neas the house.
The next guest house is Tulip House.
Are the both houses operated by Dutch persons?
Otherwise, is one guy managing the both?
Lady Leah also wrote Holland guest house under Dutch management.     

Anyway, I have no idea and the unnecessary consideration is senseless.

By the way, Jomtien beach is very nice.
Especially, early in the morning you had better walk at beach side.
I believe that you can feel the sea nice breeze.
Please do not expect Night spots compared with Pattaya beach.
Just in front of the house, you can only cross the road for reaching the beach.

Please take care of the breakfast time.
The time is a little bit late from 09:00 to 10:00.
If you have to leave the house early morning, its is sure that you can not eat.

Finally, I still have a time to leave Pattaya.
After having the breakfast, I will arrange for my packing and go towards the terminal of long distance bus terminal without hurrying up.
Of course, there is Hokkaido born president who is thinking that I can only arrive at my home within today.

(That`s all.)

Gurigurimomonga's side remark ;
After my back home, I found many spelling errors and fixed all.
The machines made by Acer, the key stroke was a little bit deep and not suitable for me.
Thus, that's the way of my poor typing.

2010年7月25日日曜日

一献差し向けできて、OVERDOPEさん感謝の巻き

いやー、何年か振りの午前様になってしまいました。

正に、タイトルの通りですよ。
いつも拝読申し上げるOVERDOPEさんに、このバンコクの地でお会いすることができました。
色々と、タイやミャンマーの話を聞かせていただきまして感謝申し上げます。
それで、ソイ33の居酒屋いなかっぺへ繰り出したんだけど、釜飯は上手かったです。
今宵は、感謝、感謝の一時でした。

さて、OVERDOPEさんから一つだけ、バナーの写真をなぜ頻繁に変えるのかって 質問を受けました。
これは簡単ですよ。
我が家では、報道部写真班として上さんが君臨しておるのです。
今年の二月には、パナソニックの広角デジカメまで支給しました。
その果敢な撮影の挑戦に応えるべく、道産子社長は、バナーをギャラリーとして解放したのです。
ですから、このブログをご覧になった皆さんも、写真を楽しんでください。
タイに限らず、社長の郷里、北海道の写真がこれからも登場します。

と言うわけで、酔っ払っていまして、これでご就寝にさせていただきます。
いやー、OVERDOPEさんの別れ際が鮮やかでした。
振り返らずに、手をひらひらさせながら、今宵はソイ・カウボーイへとのたまうなど、ご当地の夜を酸いも甘いもかみ分けた通人の仕草、道産子社長も真似したいと思ったのでありました。
(この巻き、終り)

2010年7月24日土曜日

待ち人来たらず、OVERDOPEさんの巻き

待てど暮らせど、電話が来ないのです。
一献差し向けたくって、携帯の番号を付けてメールを送ったんだけどなー。
都合が悪くなったのかしら、よく分かりません。


このOVERDOPEさんのブログは、自分のお気に入りです。
この方を知ってから、かれこれ数年前になります。
特亜、つまり特定アジアの諸問題に造詣が深いのです。
それをネタに、きつーい冗談で三馬鹿兄弟国家をギャフンと言わせてくれました。
だから、読んだら次回の投稿が待ち遠しくて、堪らなかったですね。

しかも、昔はバンコクのカオサン地区に出没していたそうです。

わたしも、90年代に、二年間、仕事の都合でバンコクに住みました。
だから、なおさら親近感も増してしまった分けです。
その沈没生活の思い出を語る辺りは、リアルですね。
自分の生活に照らしても、バンコクの生活が理解できます。
そんな共感もありまして、今まで、チェックを欠かさずに続けてきました。

それで、今回、彼が出張でタイに来ると言うのですよ
以前にも、コメントで一杯飲もうねって、お誘いしてありました。
だから、楽しみにしていたんだけど、ちょっと待ちくたびれてきました。

まー、夜は長いのです。
ちょっと、不貞寝して英気を養うことにいたしましょう。
と言うわけで、ちょっと遅めの昼寝をとることにした、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
メールのアドレスしか分からんから困ったなー。
本当は、向こうの都合が悪ければ、諦めてパタヤにでも行く予定にしていました。

おまけ2:
電話が来ました。忙しそうでした。
とりあえず、会えるのを楽しみにしましょう。

2010年7月23日金曜日

ルイス転換点で見た、中国の限界・タイの底堅さについての巻き

要するに、中国が何時まで「世界の工場」でいられるかって言うことです。

最近、沿海部の大企業の工場では、賃上げ・待遇改善を求めて激しい労働争議が行われてきました。
発端は、広東省深圳市にある富士康科技集団(フォックスコン)での連続飛び降り自殺事件です。
一つの企業の内部で、短期間の内に十名以上が自らの命を絶つのは異常でしょう。
労働環境が苛酷すぎるのは、単純に考えても想像の付くことです。

このような現状は、労働者の意識を目覚めさせました。
一度覚醒が始まれば、矛が鞘に納まるまでは、かなり時間を要します。
今時の闘争道具なら、携帯電話、PCが挙げられますね。
労働者がちょっとお金をためれば、簡単に手に入るのです。
そんな、情報戦のツールを使えば、労働者のネットワークは簡単にできてしまう。

ショートメッセージ、メール、掲示板、コメント、何でもござれです。
目に見えない知の連鎖反応、組織活動が始まったのは言うまでも無い。
しかも、この火種は、中国に進出した日系企業へも大きく飛び火しました。

中でも耳目を集めることになったのは、広州ホンダとその関連企業です。
きっかけは、去る五月中旬、ホンダの部品(変速機)工場で始まりました。
待遇改善を求めた闘争は、フォックスコンと同じです。
ただ、操業停止がかなり長期化しました。
本体の自動車生産を停滞させましたから、経営のダメージは大きかったでしょう。

この後、色々な日系企業で労働争議が勃発した中で、不思議なこともありました。
国営企業には、不思議なほど争議が伝染しなかたのです。
もちろん、予防的な措置がとられて事前に押さえ込まれたのかもしれません。
まあ、経営状態の悪い国営企業のことです。
従業員の方も、とばっちりで解雇されるとも限られません。
お互い、賃上げをしたくてもできなかったと言うことでしょう。

ただ、賃金の急速な上昇は、これから一二年内で加速化するはずです。
生産コストも、ぐんぐん、駆け上がることでしょう。
農村から出稼ぎで来る労働者(民工)も不足ぎみで、この現象にもっと拍車を掛けるのではないでしょうか。

考えてみてください。
出稼ぎ生活はつらいことでしょう。
工場の寄宿舎の寮費や食事代を徴収されて、残りは切り詰めて実家へ仕送りする。
使えるお金は、タバコ代かおやつ代ぐらいでわずかなもんです。

一方、近年は内陸部の地方経済が急発展中です。
遠出しなくとも、仕事が簡単に見つかるようになって来ました。
ちょっとぐらい労賃が安くたって、自分の家から働きに行けるのに越したことはありません。

つまり、賃金を引き上げても、簡単に労働者をかき集めることができない時代になったのです。
中国沿海部の工業地帯は、それだけコストが高騰した現実に直面しています。
そして、ルイス転換点と言うのは以上のような状況を指すのです。
冒頭でもお話しましたが、コストが増えれば、国際競争力が損なわれるのは事実です。
中国が、世界の工場でいつまで居続けられるのでしょうか。

と言うわけで、中国について、未だにバラ色の世界を描こうとする日本人が多いので困りものです。
これとは別に、タイでものづくりにこだわり続ける有名日本企業を見つけてしまいました。
ミネベアの社長、貝沼由久さんが日経新聞の取材で次のようにおっしゃっていました。

現在は、中国の労賃はタイより割安だが、一二年内でタイに追いつく。
タイの主力工場に五百億円を掛けて増強する。

要するに、タイへ直接投資する魅力が底堅いものであることを、改めて認識した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ルイス転換点を簡単に再説しますと、加工輸出産業を維持していくためには、低賃金の農村労働力が継続的に供給されることが必要で、それができなくなって限界点に達すると、生産コストが上昇し始め、輸出競争力も落ちて行くと言うことです。
この転換点につぃて、中国も既に入ったと言う論説が、最近、マスコミでも取り上げられています。

2010年7月22日木曜日

今日は、生産ラインのみんなと飲み食いしてまいりますの巻き

と言うわけでして、へべれけになりそうなので、更新代わりのおまけを貼っておきます。

Speed-Eating Contest [Yorkie v.s. Maltese]

でも、ワンちゃん、ネコちゃんのペット動画って和みますよね。
(この巻き、終わり)

チョンガーでギンギンロックだぜーいの巻き

そうなんです。

今日から一ヶ月近く、チョンガーに戻ってしまう羽目になりました。
上さんが、日本に戻ってしまったのですよ。
途中で親元のところで遊んでいくとも言っていたので、里帰りも兼ねています。

とにかく、日本に住める在留許可が間もなく切れてしまうのです。
せっかく、長い期間を獲得したのだから、日本で住んでおれば良かったかもしれない。
でも、そこは宮仕えの辛いところです。
うだつの上がらないと思った旦那も、嘘か真かタイの駐在になってしまったのでした。

こうして、でこぼこ夫婦は、バンコクでこうして今まで住んできました。
住み始めて三年を迎えるのも、もうすぐ目の前です。
でも、その前に上さんが日本に住め無くなってしまう。

こう言う時、国際結婚と言うのはややこしいものです。

日本に住んでいないのに、在留許可の更新だけは必要になる。
もし、更新を忘れて帰国したら、どうなるでしょう。
その時は、もう一度七面倒くさい申請を一からやり直しですよ。
しかも、一回目で許可される期間は、三年と長くない。

連続更新すれば、在留期間が、どんどん長くなります。
究極は、永住許可を取得することですね。
そうとなれば、金が掛かろうが何しようが、帰っていただくことにしました。

いやー、お気楽なチョンガー・ライフですよ。
ハードロックも音量上げて、聴きまくっております。
実は、これまでは上さんがこの類の曲を好きじゃないから、遠慮しておったのですよ。

どんな曲を聴いているかって、、、、
今宵は、ちょい渋めの三人組ロックバンドを選んで聞いております。
じゃ、ちょっとだけ紹介しておきますね。

Lady - Beck, Bogert & Appice (Live In Japan) 

このLPを持っています。
スティービーワンダーの”迷信”をカバーした曲が、最も有名ですね。
とても三人組みの演奏とは思えない重厚なロックに仕上がっております。
それで、このようつべにアップされたコメントを読むと、この曲は、74年の日本におけるライブが音源なんだそうです。
いやー、ライブにして、この完成度、史上最強のトリオロックグループでしょう。

Budgie - In for the Kill

このグループは、かれこれ三十年以上前、高校生の頃に知りました。
当時、これはと思ったロックグループがあると、NHKのFMラジオをエアチェックしては録音していたものです。
それで、このバンドですが、たまたまエアチェックのオマケに聴いて、ヘタウマな演奏に惚れました。

ギター、ドラム、ボーカル、一歩間違えば、アマチュアバンドの延長線上です。
アンサンブルのバランスが今一で、これじゃビッグになれない予感が残りました。
でも、このバンドはしぶとくミュージックシーンを生き抜いております。

実際、健在なのですよ。オフィシャル・ファン・サイトもありました。
しかも、今改めて聞き返すと、曲は意外に粒ぞろいで個性的です。

Robin Trower-Little Bit of Sympathy.

ジミヘンの再来と言われたギタリストなんですが、日本では今一、人気が出ませんでした。
自分も、この曲とフール・アンド・ミーぐらいしか知らなかったのですが、お気に入りです。
唸るようなギターフレーズが自在に繰り出されています。
じぶんもこんなに弾けたら、楽しいだろうと思うんですよね。

最近では、ユーチューブに沢山アップされてくるようになりました。
このトロワーさんですが、年齢から言えば六十代後半です。
すでに、おじいちゃんの仲間入りですが、未だに一本気なギター演奏です。
パワフルで元気なプレーを見せてくれています。

Emerson Lake & Palmer "Jerusalem" 

これは、クラシックの名曲みたいなものです。
ELPは、プログレッシブロックのバンドに数えられていました。
ロックとクラシック音楽を融合しようとする壮大な試みが、こう言う曲を生み出したのでしょう。

と言うわけで、こうしてとっかえひっかえしながら曲を聴けば、夜も更けていくのでした。
上さんが毛嫌いしていましたから、鬼の居ぬ間に心の洗濯気分で、ロックミュージックを楽しむ道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年7月21日水曜日

ビフォー&アフターで見る宴の後の巻き

参議院選挙が行われたのは、七月十一日のことでした。

つい十日前のことですけど、ずい分と昔のような気がしています。
民主党の鮮やかな敗北って感じですが、昨年の衆議院選挙は、真逆でしたね。
自民党が歴史的な大敗北を喫した分けですよ。
取られたら簡単に取り返すって、国政は、お山の大将の陣地合戦みたいなもんでしょうか。

安直過ぎる結末なんですけど、これも小選挙区制のせいかもしれません。

こう言う時の政党リーダーって、どのような心境にあるんでしょうか。
偶然なんですけど、NHKの選挙速報番組の画面を撮影してありました。
昨年と今年で、どんな顔ぶれが出てきますか、とくとご覧下さい。

<ビフォー>
ハトポッポの厳しい顔ですけど、今となっては演技としか思えませんなー。
それに、最近では引退発言を撤回したり、単なる鉄面皮です。


<アフター>
しかし、予算が無いのか、視聴者をたぶらかしているのか、画面のレイアウトが去年とそのまんまでした。
もう少し、工夫しろよって、番組中で犬HKを嘲っておりました。


<ビフォー>
この自民党の当選者数をみて、あまりの劇的な減り方で気が滅入りました。
何と有権者は、行く末を占えない、単なる気分屋なのでありましょう。
今もって反省しても始まりません。麻生さんを気の毒に思いました。


こいつは、嘘を上手に付けるために東大を卒業したんでしょうなー。
”思い”と言う詐術の用語を連発しましたけど、ただの世間知らず、ぼんぼんでした。


<アフター>
谷垣さんは真面目すぎるんで、どうかと思いましたが、なかないか良い結果を出しましたね。当面は、期待させていただきましょう。


落ち武者は哀れですなー。
選挙結果がほぼ固まりかけたところで、のこのこテレビに出てきて釈明会見です。
敗残の将が何を言おうが、負けは負けなんですな。


「枝野氏が革マル幹部と覚書」を交わしていたと月刊誌が報じるぐらいの、投票欲しさの破廉恥、無分別男です。
テロリストの同調者が、政権与党の幹部なのだ。世も末です。


<おまけ>
この人は、馬鹿の一つ覚えでアジェンダと連呼していました。
あんたには、アジャコングで十分かもしれないよって、はっと気が付きました。
でも、躍進しましたね。期待はずれにならないよう、頑張って頂きましょう。


(この巻き、終り)

2010年7月19日月曜日

クイティオが好物な駐在で悪かったなの巻き

これは、最近、気が付いたことなんです。

※スクンビット・ソイ26のクイティオ屋さん

おいしいクイティオ(米粉麺)が急に食べたくなるのです。
いつも食べ歩く店へ出かけても、芸がありません。
そこで、ご新規開拓と言うことで、出かける前に調査し始めます。

先ずは、パソコンを使ってググって見ることですね。
クイティオとかクイテオとか、発音に似せた言葉を入力してみます。
それに、ご当地限定であれば、バンコクも検索条件で追加します。

でも、最近、新鮮な紹介ネタにぶつからないのです。

二三余年前のブログネタなんかは、結構見つかります。
きわどいバンコク人生で有名な、フーフー岡本さんのブログでも紹介がありました。
でも、その屋台も今はありません。
ひいきにしてくれるマッサージの店が閉じたせいです。
屋台ですから、客足が遠のけば、すばやく移動してしまう。

となれば、店を構えた食堂を見つけるしかありません。
ところが、これが意外に見当たらない。
安近短の食べ物ですから、住まいと近接は必須です。
となると、スクンビット界隈の店がターゲットです。
さくらぎちょうさんが、二三紹介した店は、出かけてしまいました。

そうなると、新しい店を絶対ゲットしなければなりません。
しかしです。
新しい情報が、ネットで拾えない状況にあるのです。
もう、日本人は地元の大衆メニューに見向きもしないってことでしょうか。

うーん。
日本人は、贅沢この上ない食生活にご満悦のようだ。
バンコクだと、日本食で不自由することも無い。
しかも、イタリア、中華、韓国と各国レストランも結構そろっています。
よりどりみどりで、当地の物価も安く、グルメが楽しめてしまう。

となれば、あえてご近所の安手な食堂まで出かける奇特さな御仁は、居ないのかも知れません。
しかしながら、駐在にもA層・B層が居るのですよ、
自分なんかは、絶対B層でしょう。
ようやく、予算ぎりぎりでスクンビット地区に住めたぐらいです。
それに、日本に居たままなら、負け組みで席を暖めていたかもしれない。
何せ、五十近くになっても年収が七桁に届いていませんでした。

つまり、B層の食生活では、飽食が舌に合わんのですよ。
毎日のご飯は、上さんの手料理が最高なわけです。
外で食べる日本食だって、値段の割りに食べておいしいとは思えません。
だから、自分の生き様にあった食い物が、一番似合っているのです。

となれば、クイティオは時々、無性に食べたくなってきます。
だから、今回は探してまいりました。

何のことは無い、ご近所のソイ49にありました。
先ず、スクンビット通りから折れて、ソイに入ります。
ほんの少しで、コンビニのセブンイレブンがあって、その隣です。


細麺のクイティオ・センミーが30バーツです。
ソイ26の兄弟隣りあわせで経営しているお店より、10バーツ安くおいしい。
味は、しっかり鶏がら風のお出汁が、普通に出ておりました。
あのお店より、塩加減が押さえ気味でヘルシー風味です。

と言うわけで、こんなに近場で見つかるとは思いもよりませんでした。
上さんに言わせると、見つけるには定石があるんだそうです。
常に、卓の半分程度に、客が腰掛けている食い物屋は、おいしいらしい。
この店も、汚い造りの割りにご多分に漏れなかったようで、古今東西の道理に感心する道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ソイ26の兄弟のれん分けで営業中の隣り合わせクイティオ屋さんですが、角の狭いお店のほうがおいしいような感じがです。
お客さんが、何時行っても混んでいるんですよね。

2010年7月18日日曜日

ブログの実態に関する調査研究の結果の巻き

何と日本では、ブログ総数が約千七百万もあるんだそうです。

これは、単純に日本の人口で割ると、八人に一人が書いている計算になります。
これは凄い割合です。
ひょっとしたら、お隣さんもお向かいさんも書いているかもしれない。
そんな錯覚に陥ってしまいます。

ただ、アダルト・出会いとか販売営業を誘導する営利の運営が六割以上だそうです。
ですから、仮に残りを個人が書いていれば、二三十人に一人の割合かもしれません。
記事総数で見れば、約13億5000万件、データ総量ならCDで六万枚分にもなります。
これは、自分が想像できないレベルです。

ただ、これが調べられたのは、2008年の一月時点です。
もう既に、その時から二年が経過してしまいました。
となれば、ネットをさまようデータもブログも飛躍的に増え続けたことでしょう。


この調査なんですが、総務省のお堅い情報通信政策研究所(IICP)が発表しました。
しかも、この資料は、ネットで簡単に入手できるのです。
お役人が、何ゆえデータを取ってまで研究したかったのかは、これで分かるんですね。

まず、ブログを定義付けております。
★ブログは個人やグループなどにより運営され、時系列的に更新されるウェブページ。
★CGM(消費者発信型メディア)の1つとしてこの数年急激に普及したメディア であり、日本語による発信量が世界一と言われている。

その上で、調査の目的を明らかにしております。
★我が国のブログについて、その数や発展の経緯をコンテンツ量の面から把握するとともに、ブログ開設者の利用の傾向等に関する分析を行う。

ややこしい言い回しで、分かりにくいでしょ。
要は、ブログと言う日々更新される日記的なウエッブサイトが爆発的に増えてきている。
この現象は、一体どういうものなのか、政府も物好きだから調べておこうと、言うことです。

それで、ブログの調査結果を自分なりに考えて見ました。

ブログを始める人は、実に多いようです。
毎月、四五十万のサイトが新規に誕生しております。
ただ、記事を活発に更新する運営者は、さほど多くありません。
例えば、一ヶ月に一回以上の頻度で記事を更新するは、二割程度です。
それでも、約三百万のサイトなんですから、驚きといえば驚きですね。

自分のブログも、更新する頻度が高い方です。
だから、その三百万分の一と言うことです。
自己表現だったり、ストレス解消に一役買ってくれたりしています。
ウェブ日記みたいな利用なんですよ。
これは、自己表現型で一番多くて、三割の人が当てはまります。
十代、二十代の割合が高いそうですが、初老のオヤジだって張り切っているわけです。

と言うわけで、拙ブログは、なんでもありのダボハゼ悪食ブログです。
ジャンルは問わず、自分の興味の赴くまま、駄文を撒き散らしながら、バンコクで怪気炎を揚げる道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
この投稿は、昨年のうちに書き始めました。
ただ、途中で放り投げていたのを思い出して仕上げました。

<ブログを始める目的>
当然、自分はマジョリティーの自己表現でした。
1位:自己表現(30.9%)
2位:コミュニティの形成(25.7%)
3位:アーカイブ型利用(25.0%)
4位:収益目的(10.1%)
5位:社会貢献(8.4%)

2010年7月17日土曜日

今日は、お休みしておりますの巻き


と言うわけで、このネコちゃんみたいに夢見心地でのんびり休んでおります。
 

2010年7月16日金曜日

タイの役人根性は公僕の意味を知らないの巻き

しかし、勤務時間中にご飯を食べて、化粧をするような役人には驚きました。

タイのことですから、それも許されるのかもしれません。
何でもありですよ。
こちらは、マイペンライ(気にしない)の国なのです。

実を言いますと、今日、入国管理の事務所へ出向きました。
自分は、こちらでは外国人の長期在留者扱いになります。
もちろん、駐在員の労働許可証を手に入れましたので、優遇はされています。

他方で、タイ人と結婚した外国人は、結構、面倒です。
三ヶ月おきに出頭する必要があるのです。
パスポートに更新の判子を押してもらわねばなりません。

まあ、自国の人間では無いわけです。
外国での生活は、色々と厄介だらけと言うことです。

それに、所轄の事務所が辺鄙な場所に変わったせいもあります。
昨年までは、バンコク市内で用事が済みました。
ところが、今年はパトンタニ県のド田舎事務所になりました。

これは、以前にも記事で書いたので、そちらを参考にしてください。

さて、滞在許可と言うのは、最長一年間です。
書類の申請もかなり面倒くさい。
受理されたしても、審査期間が一ヶ月入ります。

※審査期間中の限定ビザを取ると出入国は可能みたい。

しかも、この審査でOKになっても、ビザは自動で発行されません。
もちろん、その間に出国する気が無ければ、不要です。
でも、冠婚葬祭やら会議やら、出入国は容易に想像できます。
そうなると、年間の滞在許可を活かせるマルチ・ビザの取得は欠かせないのですよ。

なんと、手続きが複雑怪奇なことでしょう。
これって、外人受け入れを拒んでいるのでしょうか。
きっと、暮らしやすいタイのことです。
後を絶たない不良外人をブロックしているのかもしれません。

さて、審査機関が丸一ヶ月掛かって、在留許可が下りました。

ところが、上さんはその期限になっても、承認が下りませんでした。
結局、下りたのは、一日後のことでした。
つまり、上さんは、一日だけ滞在許可を失くした不法入国者だった分けです。

でも、複次のビザ申請は、問題なく取得できたのでした。
ずい分と変なことです。
でも、このことはタイでは、至極当たり前なんですね。


以前に、タイ在住者のブログを読んだことがあります。

こちらでは、自動車免許証の有効期限は、目安程度なんだそうです。
しかも、期限切れになってから、初めて更新を受け付けてくれるとか。
期限切れから二ヶ月経っても、平気だそうです。
要するに、まっとうに試験を受けて、技能が確認されたのだから、免許は一生ものなのです。

と言うことであれば、パスポートも肌身離さずの一生ものでしょう。
一日や二日くらい、間違って滞在しても関係ない。
申請日が遅れても、在留期間の一年先は既に特定されています。

と言うわけで、パトンタニの入国管理局は、態度も傲慢・横柄の極致で最悪の役人たちでした。
書類を出したら、コピー、コピーとぶっきらぼうに言われて何がなんだか分からず、やっと分かって、複写機のおばちゃんに頼んだら料金ぼられそうになったり、散々です。
きっと、田舎の公務員たちは態度がでかいのです。
そんな役人たちに虐げられた農民たちが、反政府運動の赤シャツ隊に加わるのは、当然だろうなと悟った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年7月15日木曜日

ランパンの夜市で、レトロな風情を満喫の巻き

ランパーンは、タイ北部の古都です。
のんびりと穏やかな時間が移ろいで行きます。
そんな、ゆったりとした街中を懐かしく感じました。

昔は、チェンマイもきっとこんな町の風情だったのでしょう。
でも、観光地として有名になりすぎました。
街中は、喧騒ばかりで、右も左も外国の観光客ばかりです。

でも、この町には未だ情緒があったのです。

そして、土曜日の夜、偶然に夜市の立つ通りに出会えました。
レトロな木造家屋が、通りをはさんで並んでいます。
子どもの頃に、タイムスリップしたようで懐かしさがこみ上げてしまう。
夜店のある風景は、とても素敵です。
しかも、十時ごろには閉まってしまう奥ゆかしさなのでした。

と言うわけで、写真にキャプションを貼っておきます。
タイに来たのなら、一度は、訪ねていただきたいと思った町なのでした。

★暮色に染まり出した夜市の通り

★カオソイ(カレーラーメン)のお店

★瀟洒な建物もありました

★古い木造家屋が郷愁を誘います

★手作りの品物が並びます

★かわいらしいキャラクターが並びます

★カキのオムレツでしょうか

★日本の食文化恐るべし、たこ焼き屋です

★タイ風煎餅焼きです

★歩くだけでも二時間は掛かります

おまけ:翌朝は、一周30分の馬車にも乗って見ました。

(この巻き、終り)

2010年7月14日水曜日

ミャンマーは、今ちょっとした自由化の波が起きておりますの巻き

最近、工場を訪問されるミャンマーのお客さんが増えて来ています。

五月の間は、誰かが、毎日、入れ替わり訪問して下さる感じでした。
エンドユーザーだったり、仲介の商社だったり、問い合わせ経路は千差万別です。
しかも、二股三股の引き合いをするお客さんもいますので、注意が必要になってきました。
まあ、それだけ市場が活況になってくれば、商機ありと見て群がるビジネスマンが多いと言うことです。

さて、自分たちの商売は、ガソリンスタンド向けの製品を扱っています。

インドシナ市場を商圏に持ちますので、ミャンマーも輸出先として販売実績はありました。
ただ、細々としたもので、一年に一二回の注文を受けるかどうかです。
そんな状況が、ここ数年続いてきた中で、今年はさま変わりです。
投資ブームと言った感じもいたします。

これまで、ミャンマーは軍事政権で、政治経済とも鎖国政策を採り続けてきました。
民主化運動の極端な弾圧もあって、海外の目は厳しい。
このため、欧米各国は、経済制裁を発動して、自由な貿易を封鎖しています。

このような色々な制限もあって、おおっぴらな商行為は、ほとんど無理でした。
ですが、タイとミャンマーはお隣通し、地続きの国境です。
色々な商品が、合法非合法でミャンマーへ流れ込んでいます。

実際に、この四月にミャンマーへ出張した際に、ヤンゴンのショッピングモールをたずねました。
以外に物資は、豊富でした。
制裁を受けている割には、物が豊かな感じもしました。
しかし、一人当たりGDPがまだ500ドルくらいの国です。
買い物を楽しめる層は、まだ限られているでしょう。

ですが、いったん、経済が自由化されれば、消費の欲望は開放されるはずです。
私が、ベトナムを担当していた十年近く前の頃と、雰囲気は似通っています。
まもなく、一家に一台、バイクを買うモータリゼーションの波が押し寄せてくる予感がしました。

そこで、思ったのです。
ミャンマーのガソリンスタンド業界は、どんな状態なのか。
興味もあったので、調べてみました。
ピンロンさんのブログでは、石油の小売業界は既に自由化されたとありました。
改装中のスタンドの写真が大きく紹介されています。

実は、この四月に出張した時、写真撮影が許されませんでした。
案内してくれた現地の人が、給油所は軍事施設に準じるからダメだと言うのです。
その時は、素直に残念に思いました。
ですが、この方の写真から市場の息吹きを実感させていただきました。
それに、ジェトロさんのホームページでも”燃料スタンドの民営化が進行(ミャンマー)”とトピックが掲載されています。

では、実際にガソリンスタンドの数で他国と比較して見ましょう。











ミャンマーって、二百五十ヶ所しかスタンドがありません。
もちろん、ペットボトルに石油を詰めて売っているような屋台は勘定されていません。
それにしても、他の国と比較しても、少なすぎのような気がしました。


いかに一人当たりのGDPが小さいとはいえ、国土は日本の二倍近くあります。
道路の延長距離だって、それに応じてかなりの規模なはずです。

これって、ひょっとしたらガソリンスタンドが、緊急で必要ってことじゃないでしょうか。
観光開発するにも、内陸部の商工経済を発展させるにも、道路と給油所は不可分です。
つまり、特需でも何でもない。
必要に迫られて、軍事政権が資金力のある民間を利用することにしたのです。

と言うわけで、ミャンマー経済のからくりが、少しずつ分かって来ました。
排外的な政治・経済政策だけでは、国民が窮乏化するだけなのです。
内政が立ち行かなくなっている証拠でしょう。
そんな時に、タイの日系企業の皆さんには、隣国の市場をちゃんとウオッチするべきだと、感じる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ミャンマーは親日的な国家です。
日本の軍艦行進曲が、ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ/Myanmar Tot Ya Tatmadaw、つまりミャンマー陸軍マーチとして採用されております。

2010年7月12日月曜日

獄中は伊太公が勝ち、選挙は菅公が大負けしたでござるの巻き


タイ字紙の報道によると、タイで服役中の各国受刑者によるサッカートーナメント「獄中サッカー・ワールドカップ(W杯)2010」の決勝戦が10日、バンコクのクロンプレム刑務所で行われ、イタリアチームがアメリカを2対0で下し優勝した。3位はナイジェリアだった。

試合前、ドイツの占いタコ「パウル」を真似て、刑務所のテンジクネズミ「ポーラ」に箱の中のエサを選ばせたところ、イタリアの国旗つきの箱を選んだという。

獄中W杯は今年で3回目。第1回はナイジェリア、第2回はドイツが優勝した。
(出典:日本語総合情報サイト@タイランド(newsclip.be)より)

と言うわけで、参議院選挙の速報番組に熱中して、夜長で観てしまいました。
ですので、睡魔には勝てず、ワールドカップの決勝戦を見逃しました。
しかも、決勝戦は火曜日だと、勝手に勘違いをしたせいもあります。
まあ、自民党が改選第一党になったのに大満足して、上の空だったわけです。

何ともお恥ずかしい限りですが、致し方ない。
自分としては、スペインの優勝に味方していました。
このチーム、小気味良いです。
確かに、重厚な攻撃力も無いし、ディフェンスで食い止めることが多かった。
ただ、カウンター攻撃で敵陣を突破するスピードが、巧妙でピカイチでした。
しかも、ディフェンスがコンパクトによくまとまっていて、隙を与えないのです。

僅少差で勝とうが、勝ちには変わらんのですよ。
そんな、まとまったチームを見て、日本代表に似た印象を持ちました。
ただですね。
日本チームには、攻撃力が今一足りませんでした。
世界一のチームと比較するのは、おこがましいでしょう。
でも、目標になるサッカーのスタイルが見つかっただけでも、良しとしましょう。

※昔はよく汽車に乗ると、この看板を見かけました。

さて、ザルみたいな負け方の民主党ですが、現職閣僚の討ち死には華々しい。
神奈川で、チーババがみんなの党に屠られたのは、ご存知の通りです。
でも、これが大臣を辞めないんですな。

九月の党代表選までは、いじらずさわらず、民意を置き去りにするらしい。
国務大臣を民間人から登用するのは、憲法の理屈には適っております。
そうとは言え、落選者には違いない。
議員資格を取り上げられた、ただの婆さんに、大臣続行だなんて狂気の沙汰なのだ。

でも、予算委員会委員長のやなせさんは、代わらねばなりません。

これは、改選第一党の自民党から出るのでしょうか。
よく分かりませんけど、予算委員長と言えば、閣僚並みの重要ポストです。
これを撃沈された民主党は、結構な痛手です。
国会運営もしどろもどろになるのが、見えてまいりました。

と言うわけで、こんな、けがれただれた、へたれ内閣が続行するのですよ。
まあー、自分としては、民主党の敗北は愉快爽快、随喜の涙でありました。
混乱必至で、ワクワク、ドキドキ、ハラハラの道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:

2010年7月11日日曜日

民主党の国会議員は、破産者もいるおぞましさの巻き

民主党の渡辺義彦氏は、破産者なのです。


齢五十も超え、分別もありましょう。
社会的地位もおありなのに、自己管理もできないのです。
国民に示しが付けられるとでも思っているのでしょうか。

この方は、昨年の衆議院選挙で、比例近畿ブロックで出馬して初当選しましたが、大阪地裁は、去る三末、破産手続開始決定を下したのでした。

驚きなのは、この手続き中だった時に選挙活動をしていたと言うことです。
つまり、破産の時期は遡って見なされますので、候補者自身が破産者だったと言うわけです。

そんな人に国政を任せられますか。
自己の金の管理も杜撰な人間に、国家予算の運営を任せられるでしょうか。
おそらく、議員の歳費を使って借金返済に四苦八苦するような愚か者でありましょう。
このような田分け者は、金輪際選んではいけないのです。

なんと民主党は、身内に甘い徒党なのでしょう。
もはや、政治の集団ではありません。
金目当てのたかり連中が、政治を司るとたぶらかしているようなものです。

そして、この事例は、今回の参議院選挙にも当てはまるのです
改めて、要注意な候補者に焦点を当てて見ましょう。

[2010年7月10日7時17分 日刊スポーツ紙面から]
見出し:借金トラブル報道で岡崎友紀氏が提訴
「週刊文春」で借金トラブルを報じられた民主党の比例候補、岡崎友紀氏(56)が、同記事の証言者で元所属事務所社長の石田重広氏を提訴したことが9日、分かった。同記事で石田氏は、昨年6月時点で岡崎に貸していた約3700万円のうち1600万円余りが未返済と主張。これに対して岡崎事務所は「記事は全く事実無根。石田氏の意図は、岡崎候補を落選させる目的の悪質な妨害行為だと判断」し、訴訟に踏み切ったとしている。

何と、不始末な政党でしょうか。
こんな噂を立てられるような候補者を出す集団こそ、存在すら許されないのです。
正に、勝つためなら何でもありの選挙ブローカー、小沢一郎さんの真骨頂でしょう。
目先の政治的利権ばかりしか、配慮の及ばない衆愚こそ民主党なのです。

と言うわけで、今日こそが決戦の日なのでした。
政権交代があってから、どれだけ日本が迷走したか、思い起こすべきなのです。
そんなことを考える道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年7月10日土曜日

おむつ男に国家は担えましぇーんの巻き


子ども手当て絶賛バラマキ中の愚か者集団と言えば、まさに厚生省です。
この一味が、かつてこんなポスターのデザインをこしらえさせたんだそうな。
官主導の愚昧総理が、厚生大臣時代に作ろうとしたらしい。

これって、お年寄りを愚弄するにもほどがありましょう。

だって、介護保険制度の啓発ポスターなんですよ。
一生懸命、介護の面倒を見ているご家族の気持ちをいたわる配慮など、微塵も無い。
ギャグにしては性根が腐っておるのです。
徹頭徹尾、冷酷無比に対象をいたぶり尽くそうとする非道のやからです。

結局はお蔵入りになったのだそうですが、本人は気に入っていたと伝え聞きました。
長らく、議員会館の事務所に掲出していたそうです。
こうなると、おむつを被るぐらいの脳みそしか、役割が無くなっているのだ。

そんな人を首相に選んだことを、われら日本国民は恥ずべきでありましょう。

しかも、菅総理はわれら日本の国歌と国旗が嫌いなのだ。
平成11年には、民主党の代表として「国旗・国歌法案」に正々堂々と反対票を投じております。
これは、みなさんご存知のことでしょう。
これらを認めたくないという御仁が、今をときめく日本国の首相なのです。

うーん、頭がくらくらして来ました。

さて、日の丸ですが、原形は平安時代からあったと言うし、戦国時代では武将がよく軍扇に図案を用いておりました。
日の本に民が集うと言うのであれば、農耕民族の日本人なら素直な考えでして、とてもシンプルですが、良いデザインだと思います。
だって、バングラディシュもパラオも図案を借用するぐらいですからね。


次に、国家の「君が代」ですが、天皇制を讃えるものではないと思います。
君が代、大奥とタイプしてググって調べてみてください。
つまり、この歌詞は、徳川政権下の大奥の儀式で使われたフレーズが元歌のようです。
為政者が末永く権力を保てるようにと願った歌なんだと思いました。

であれば、菅首相は君が代を大声を出して謳わないとねー。
もうすぐ、確実に敗北するでしょう。短命ってことですよ。
”菅が世なら、一代に一代に(ひとよひとよに)、やぶれおむつの、漏らしとなりて~”

もうひとつ、歌詞がいやなら曲だけにすればいいんですよ。
実を申しますと、スペインの国歌には歌詞がありません。
曲だけが先ずできあがり、国民の賛同を得られる歌詞が出来上がっていないのです。
そのため、ワールドカップの国旗掲揚に際しては、選手全員が口を真一文字にしておりました。

と言うわけで、我が同郷のドリカムは”決戦は金曜日”と謳っておりました。
いや、今こそは日曜日が決戦なのです。
そして、ワールドカップの決勝戦では、スペイン選手が歌わないことを確認したい道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:吉田美和さんの故郷、十勝に親戚が多いので親近感があります。

週刊誌は、未だマスゴミに陥っていないようだの巻き

今日の週刊新潮の新聞広告をご覧になりましたか?


民主過半数なら覚悟せよ、

人権侵害救済法、
夫婦別姓法、
外国人参政権、

天下の悪法が国会通過を待っている

なんとも小気味の良い挑発的な大見出しでしょうか。
国政選挙の投票日は、来週の日曜に待ち構えております。
正に国政選挙狙いのドンピシャタイミングに違いありません。
しかも、今話題の角界の野球賭博疑惑を敢えて外しました。

正に裏を掻いて、狙い打ちと言ったところでしょうか。

これでは、民主党もたまったものではありません。
過半数割れが既に危ぶまれているのです。
しかも目標の54議席どころか、50議席割れまで攻め込まれています。
マイナスイメージ落選運動の大展開となってしまいました。

実を言うと、マスゴミは民主党に不利な情報を流さないで来ました。
かなり前から、メディアの偏重は、間違いなく感じられたものです。
でも、大きく潮目が変わったように思うんですね。

この間、枝豆幹事長は、消費税に絡んで高額所得者の所得税引き上げを公言しました。
おそらく、この辺りが転換点でしょう。
先ず、テロ朝が政府部内で消費税15%導入を試算していたと暴露しました。
そして、今回、週刊誌新潮が追い討ちを掛けました。

これは、政権与党が有権者をだまそうとしている切り口を暴き出したと言うことです。
つまり、庶民を搾取の対象にしようとしている実態を、白日にさらしたわけです。
でも、選挙直前なので余りにタイミングがドンピシャ過ぎます。

きっと、高額所得者が多勢のマスゴミ関係者も、増税には敏感なようです。
これまでは、何らかの役得があるから、かばい続けたのでしょう。
でも、自分たちに災いが掛かるようになると、手のひらを返して攻撃しました。

しかし、この週刊誌では、テレビすら新聞ですら本音を言えなかった核心を突いてくれました。
さすが、体制におもねず、媚びずと言ったところで称えたい。
一方、文春では、岡崎友紀、不誠実すぎる借金生活、民主党56歳のアイドル、と見出しを躍らせました。


これだけでも不利に働くはずなのに、民主党はダブルショックですね。
日刊ゲンダイが民主党へ投票しようと記事で煽動したのが空しい。
これで、二大週刊誌の記事が止めを刺しつつあるんじゃないでしょうか。

と言うわけで、これを契機に、民主党は今以上に五議席位は軽く減らすんじゃ無いかと思いました。
形勢逆転はもう無理でしょう。
民主党には厳しい結果が待ち受けていそうです。
(この巻き、終わり)