2011年12月31日土曜日

みなさまも良いお年をお迎え下さいの巻き

とうとう、大晦日になってしまいました。
でも、大掃除を適当にあしらって、のんびりと過ごしております。
なぜかって、それはちゃんと理由があるのですよ。

それは、タイで過ごす最後の正月になりそうだからです。
だから、きちんと掃除をしたところで、意味も無い。
三月末には祖国に戻れるのですから、これで良しとしましょう。

はっきりと後任者を聞かされているわけでもありません。
でも、親会社からのメールを読むと、ご苦労さまの言葉が増えました。
この四年間とか、微妙な言い回しが増えて来ているのも事実です。

だったら、帰れるんだろうと勝手に判断しました。

もう、四年間も日本人一人で経営して来たのだから、十分でしょう。
会社創立以来の最高業績も達成しました。
従業員には、過去最高のボーナスも支給できました。

それに、日本だったら経験できないような前代未聞の出来事に遭遇しました。
空港閉鎖、首都の市街戦、大洪水、二度の総選挙などなど。
こんなこと、体験したくてできるものじゃないですよ。


と言うわけで、残り少ない今宵の時間で、今年一年を振り返るといたしましょう。もう、何が起きたってあわてなくなりました。なるようにしかならないものですが、これを乗り越えるには、起きてしまった後で、迅速な行動を取れるかどうかだけだと、改めて思いました。あの東北大震災の民主党が取った行動・手法は、一体なんだったのでしょうか。それに比べて、道産子社長の方が、ここタイではマシだったはずと、酒を飲みつつ思い返すのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月30日金曜日

ナコンパトムを歩き回って見たの巻き


駅に降り立つとデーンと市内中心にそびえ立っていました。
なんと、世界一の高さを誇る黄金の仏塔だそうです。
その名は、プラ・パトム・チェディ、全高が120.45メートルもあるのです。


先ず、これを見るために最初は鈍行列車で出かけました。
南線の普通列車は、トンブリ駅から発着します。
場所が中央駅のファランポーンではないので注意が必要です。


それで、トンブリ駅はタクシーで行ってみました。
運転手さんが、”サターニー・トンブリ・バンコクノーイ”なのかと聞かれました。
どうやら、トンブリ駅だけだと間違った駅に連れて行かれる可能性があるようです。

なぜなら、チャオプラヤー川を渡った西には、二つの発着駅があります。
他方は、メークロン線のウォンエンヤイ駅でした。
これは、支線で同じ名のBTS駅近くにありますので、ご注意下さい。

キップは10バーツの三等車で、一時間ちょっとの汽車旅です。
年末なのかダイヤも変則でして、7時25分発が小一時間遅れました。
まあ、タイ国鉄では、これぐらいは誤差なんでしょう。

こうして、ナコンパトムにやってきたのですが、仏塔より市場が面白い。
駅の目抜き通りを歩くと、最初にぶつかります。
クイティオが一杯30バーツと安くてうまいかった。

果物も、季節を過ぎたのにンゴとシー・チョンプーが並べられていました。
1キロで35バーツと25バーツですが、これがバンコクなら倍はするはずです。
とにかく食べ物が安くて、豚肉の燻製屋さんで買い物もしてしまいました。



と言うわけで、仏塔を見た後、サナーム・チャン宮殿にも寄ったのですが、お正月らしく入り口が閉じられていて残念なことをしました。後はテクテクと、ビッグCまで歩いて行ってから、ロットゥーに乗ってバンコクまで戻ってきました。この街の名物は、この二箇所のようですので、日帰り旅行には格好の場所かも知れません。そして、宮殿を見られなかったことを少し悔いた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
地図に散策ルートを書き込んであります。赤い星はロットゥーの発車場所です。
ビッグCまでは、バイクタクシーに乗るのも手です。
※左クリックで拡大してご覧下さい。

かわいいディズニー風宮殿の写真を貼っておきます。見たかった。

これからナコンパトムに出かけてきますの巻き

深夜の二時過ぎから目が覚めてしまいました。
朝の六時に出発を予定しているので時間があります。
ネットを見たりして時間をつぶしましたが、眠くなってきました。

このナコンパトムと言う町は、県庁所在地です。
県名も同じでして、世界一高い仏塔があるので有名です。
高さは127メーターで、大阪の通天閣より高いですよ。

それえ、前の投稿でも書きましたけど、30日が休みになりました。
一日を家でぼーっとするのも何だかもったいない気がします。
それで、急きょ上さんと一緒に外出することにしたのです。

と言うわけで、未だ一時間半以上あるので、一眠りします。朝が早いの鈍行列車の本数が限られているからです。ミニバンのロットゥーに乗ってもいいのですが、旅は汽車ですよ。情緒を楽しみたい。普通列車しか発着しない南線トンブリ駅まで、先ずは出かけることになっている道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月29日木曜日

これから、正月休みに入りますの巻き

午前中だけ出勤していまして、午後からお休みに入ります。
来年、1月3日が始業日ですから、四日半の休暇です。
本当は、30日まで操業を予定していましたが繰り上げました。

これだけ休みがありますと、従業員も帰省できるんじゃないでしょうか。
イサーン(東北)地方出身の社員が多いですから喜んでくれると思いました。
ところが、この休みで、昨日、ひと悶着があったのです。

まず、昨日の内にミャンマー、ラオス、カンボジアの輸出も終えました。
残っていた国内出荷分も何とか完了できたわけです。
これに味を占めたのか、突然、工場長が今日明日を休みにしたいと言い出しました。

いやはや、前日に計画を申し出るなんて進捗管理の出来ていない証拠です。
先ず、週初めの月曜日に想定される予定を上申すべきだったと思いました。
それすら報告されずに、寝耳に水のごとく突然申し出たのは尋常でない。

私はものすごく怒りました。
会社で、余り立腹してはいけないと思うのですが、手口を卑怯に感じました。
日系企業で肝心かなめの報・連・相が、まったく守られていないのです。

これでは、会社のビジネスルールに抵触してしまいます。
ですので、反論を聞かず有無を言わさずに、今日の午前中の出勤を申し渡しました。
実は、これには伏線があったなと、後になって思い出したことがあります。

つまり、昨日の夕方から全社で忘年会を開いたんですね。
29、30日を残して宴会を開くのも、何となく不自然な気がしないでもない。
つまり、仕事が早く切り上げられたら、休みに突入する気分だったのかもしれない。

でも、結果オーライは、会社経営で許してはならないことです。
幹部達も、安易に考えて許されると思ったのでしょう。
しかしながら、こんなことを自由放任にしたら、会社の規律が守られなくなってしまいます。

ですので、ここはガツンと社長の決断で本日午前中を出勤としました。
もし、休みたければ有給休暇をとるだけです。
休みを想定していない人もいて、大掃除を残していた人もあるはずなんだ。

と言うわけで、実際、道産子社長は大掃除をしていませんでした。それで、残ったメールの返信を打ちながら、今、掃除もしております。ところで、へっぽこ社は日本人が社長の私一人だけです。立場も弱いせいか、こんな年末にしこりを残して、本当に今日は出社してくれるのか心配になっていました。でも、地元の社外取締役が、宴会の挨拶で、明日もう一日仕事で頑張りましょうと、さりげなく申し渡しをしてくれたのです。支援してくれたようですが、ホッとしたのが本音だった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月28日水曜日

文章を分かりやすく書くのに心がけて来たの巻き

ビジネス文書にせよ、私的な手紙にせよ、読みやすいのは大事なことです。
正直なお話、自分は文章で簡潔に理路整然とまとめるのは不得手でした。
ただ、タイに来てから文章を書く状況が、かなり変化しました。

日本側を、説得させたり承認を勝ち得る時、これが総てメールになりました。
外国では、距離がありすぎて直談判や打ち合わせも出来ない分けです。
このため、メールでのお願いに腐心しなくてはならない。

それと同時に、ブログを始めた時、読み安いスタイルを考えながら書き始めました。
自然とビジネス文書の書き方が流用さされていったようにも思います。
それで、一つのセンテンスを50字前後でまとめるようにしました。

これは、文章が単刀直入になり分かりやすいです。
主題と結論でまとめて直結していますから、飲みこみが早くなります。
次に、単文を三行でまとめて括り、この節を相手に理解してもらいます。

こうして、この節=段落を積み上げながら、一つの文書が完成します。
最終的には、起承転結のスタイルに仕上げる場合が多いみたいです。
まあ、理路整然とせざるを得なくなった結果が、幸いしているのでしょう。

つまり、人生の中で海外駐在になったことに感謝せねばならないのかもしれない。

と言うわけで、ブログの記事では、ネタがネタだけに論理が破綻しいていようが気にしません。個人的なできごとや感想を好き勝手に書き連ねているだけですから、理詰めで書く気もないのです。他方、ビジネス文書は、日本に帰ってからも論理の平明な記述にこだわり続けるのでは無いかと思います。でも、もう五十路になってしまっているのです。やっと、文章道が会得できたと言うのは、ちょいと情け無い気持ちも致しました。これが、もっと早い時期に出来たのであれば、出世も早かったかもしれないと慨嘆した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
この投稿は、前ネタでいただいた”とよこさん”のコメントに触発されえて書いてみました。

2011年12月27日火曜日

メールが使えないと、こんなにもすることがないなんての巻き

今日はメールサーバーがぶっ壊れています。
不調でしてメールの着信は見られるようですが、発信がダメです。
それとインターネットもほとんどつながりません。

親会社の仕事用メアドも残してあるので、ネットは必需です。
メールボックスがネットを通じてアクセスできるからなんです。
しかし、両方のメールが不調だとなると、することはほとんどありません。

現地法人の社長職は、どちらかと言うと調整役みたいなものでしょうか。
こういった作業では、相手との打合せ・連絡・折衝が肝心です。
毎回、会ってばかりもいられないし、海外のお客さんもかなりいます。

こうなると、メールでのやり取りは実に便利です。
まず、時間が節約できます。
次に、画像のような資料まで送れて相互の理解が深まります。

そして、その途中の経過を残しておけます。
なぜ、経過を重視するかと言うと、それには理由があります。
実は、結論以外で問題が発生すれば、過去のやり取りがヒントになります。

議論の内容に、ひょっとしたら問題の種が残されていたのかもしれない。

そんなこともあって履歴が実に重要になるわけです。
現在のメールシステムでは、受信メールに続けて返信が書き足せます。
長くなれば長くなるほど、分量は増え続けます。

実際に印刷してみると分かりますが、かなりの情報量です。
ロール紙で印刷したら巻物になってしまう。
このため、そんな印象から、これを俗に「ふんどし」などと言って来ました。

ところで、報告・連絡・相談は、日本人の仕事の基本になっています。
何でもボトムアップですが、これは責任逃れになりかねない。
あーでもない、こうでもないと言って意思決定が遅れがちになります。

この結果が、ふんどし状態だったのなら、それは最悪の経営でしょう。
でも、日本企業全体がこのような雰囲気を否めなくなってきました。
このタイに来て、日本人一人で仕事をしていると感じるんですね。

別にワンマンではありませんが、たまにはトップダウンも良いと思うのです。
ごり押ししてでも進める経営計画が成功したなら、ハッピーですよ。
その代わり、撤退とか軌道修正は早め早めに見極める必要もある。

常に、必ずそのことを視野に入れて仕事をするのが、社長業です。
それこそ、経営者の責任だと思うようになりました。
でも、その割りには給料が安いなーとか不満をほざきたくなるんですね。

と言うわけで、メールは正に文明の利器なわけで、こんなことを一気呵成に書き上げられとは思っても見ませんでした。この間、実に一時間もかかっておりません。以外にタイプするのが早くなったと思うのも、ブログで投稿を始めて、頭の中で文書の練り上げが訓練されたことからでしょうか。何事も経験して見ると分かって来ますから、やっぱりサラリーマンは、メールの文章道に磨きをかけるべきなのです。そして、トップまで登り詰めるのを目標にすべきだと改めて思ったのが、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月26日月曜日

こりゃー、ブラックユーモアの極致だねの巻き



ちょっと遅れ気味なんですが。
ささやかなクリスマスプレゼントです。
ブラック過ぎて笑うに笑えない。
Mr.ビーンって人が悪いですね。

あの9.11から十年が経ちました。
世界はどう変わったと思いますか。
いや、悪化するばかりなのかも知れない。

宇宙船地球号は、ちっぽけなんだ。
六十億人が乗って、やっとこさ太陽を回る。
そんな中で、いがみ合ったりだまし合ったり。
挙句の果ては、戦争で殺しあう。

ああー、こんな世の中いやだ、いやだ。
こんな事なら、ずぅーっと独り者でいようか。
子孫を残す必要なんか要らないよ。



と言うわけで、”革命的非モテ同盟”なる革命同士が、クリスマスでいちゃつくカップルを見事に圧倒したのでありました。この戦線は、非常に好戦的でして、来年2月にはバレンタインデー粉砕デモも予定しているとか。ビーンもチョンガー想定なら、非モテ同名諸君も、一生その宿命を背負って人生を全うするのでありましょう。世の中、景気も悪いですし、「座って半畳寝て一畳の精神」で生きたって悪くない。そんな風に感じてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月25日日曜日

サントリーレッドにまつわるお話


その名も、レッド・サン、すなわち旭日であります。
サントリーのウイスキーなんですが、タイ限定ブランドです。
日本だったら、RED(レッド)になりますね。

このウイスキーには昔からお世話になりました。
高校時代から、友達の家に遊びに行って飲んだくれてました。
一番の思い出は、大学の合格発表を二日酔いで聞いたことでしょうか。

確か全員、国立大学を受験した分けですよ。
地方だったので有名私大もないし、偏差値に見合う大学を選びました。
自分は経済系でしたが、他はみんな教育大を受けていたと思います。

それで、何時も酒宴をホスト役の友達は、残念ですが不合格となってしまいました。
でも、翌年のチャレンジで合格しましたから、ホッとしたのを覚えています。
もう、三十年以上も前の話ですよ。

しかも、彼は札幌市立美香保中学と玉ネギ高校を一緒に卒業した仲間です。
名前は、篭谷って言いましたでしょうか。
まだ郷里の北海道に住んでいると思いますが、酒を酌み交わしたくなりました。

まあ、レッドをタイで見かけてそんなことを思い出してしまったのです。
このライセンス生産なんですが、お値段は315バーツでした。
フジスーパーで買ってきたんですが、地方では若干お高いようです。

他には、スコッチの100パイパーとかベン・モアが同じぐらいの価格です。
味的には、好みが分かれる程度で可もなく不可もありません。
ちなみに、ブラックニッカクリアは輸入品で、760バーツと倍以上しました。

315バーツですと、日本円にしても国内の販売価格にほぼ同等です。
でも、ニッカは輸入税の55%が掛かっていて、軽く二千円を越えました。
他方、タイ産の角瓶ウイスキーが500バーツちょっとで未だ手ごろなんですね。

と言うわけで、やっぱりライセンス生産のほうがコスト的には有利だって言うことです。このレッドですが、ハイボールを作るにはピッタリでして、ちょっと辛めな味付けに仕上がっています。もっとも、スコッチウイスキーが競合していますので、日本製より味が豊かでして贅沢な気分で飲めました。やっぱりハイボールを飲むにはレッドだなと、タイで再認識してしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月24日土曜日

EMS探しで奔走中に、嘘つきは民主党の始まりを思うの巻き


基板の実装業者さんは、手作業だと大変労力の要る作業です。
一点、一点、部品を間違えないように生基板に差して行きます。
裏面の半田付け作業は自動ですが、その前に部品漏れを防がねばなりません。

ラインで色々なアイデア工夫が凝らされていますが、それが企業秘密です。
自分は専門外ですが、皆さん、品質管理に苦労されておられるのが分かりました。
ところで、こう言う業者さんを総称してEMSと読んでおります。

正式には、Engineering Manufacturing Service と言うんですね。
長ったらしいので、頭文字を取って略称で呼ぶようになりました。
そう言えば、台湾のフォックスコン社は、アップルのiPadを生産して有名になりました。

今や、電子回路を組み込まない機械製品は無いと言ってよいでしょう。
ただ、自社で基板の製造ラインを作るとなると投資がかさみます。
しかも、制御部が複雑化して開発コストが膨らむようになりました。


少しでも会社全体のコストを下げて、価格競争力は高めなければなりません。
それで、こう言った物の作りこみは専門会社に委託するようになりました。
当社も、日本では昔から付き合いの企業が何社かありました。

片や、このタイでは見つけられずに苦労して来た分けですよ。
それでも、三年前、やっとある会社を見つけて納品を続けてもらって来ました。
ところが、最近、もう供給はできないと一方的な通告で取引停止です。

理由は、この大洪水で工場を閉鎖するのだと言うのです。
これから、新しい工場を探して再開するが、何時になるか分からない。
迷惑がかかるので、撤退させてもらうとのことでした。

しかし、これは相手の勝手なご都合と言い訳ですよ。
こっちは、基板が無いと製品が作れなくなってしまうのです。
費用がかかっても良いから、代替生産をするように懇願しました。

でも、ダメだったんですよ。
再投資の負担がのしかかっているので、利益の出る大口顧客を選んだらしい。
当社は発注量も小規模でして、採算も悪く切捨てに掛かったようです。

はっきり言いますが、この会社、モラルが低いです。
少なくとも受注済みで納品できなかった製品ぐらい、何とかして納めろよ。
こうして、他のEMS業者を探す羽目になってしまいました。

と言うわけで、この会社もひどいですが、それ以上なのが民主党でして、彼らは嘘つき以外の何者でも無くなりました。なぜなら、国交省が決定した八ツ場ダムの建設工事再開すら否定できずに認めてしまったのです。マニフェストの提言は、どこへ行ったのでしょうか。子供手当も高速道路無料化も取り止めるし、片や上げないと誓約した消費税は財務省の走狗となって引き上げを画策する。挙句に公共事業の削減はどこへやら、マニフェストは総崩れの上、無残な公約の残骸を残して敗走です。民主党自体が、詐欺師集団の政治マルチ商法団体だったとは、道産子社長もあきれてしまったのでありました。
(この巻き、終わり)

2011年12月23日金曜日

外回りはつらいでござるの巻き

今日は、夕方五時過ぎにようやく会社へ戻ることが出来ました。
朝は直行で、お客さんをホテルでピックアップしてから、外回りです。
先ず、バンコクの中心部から東部の工業団地に向かいます。

次に、高速のS.A.で軽く昼飯を食べたら、西へ引き返しました。
チャプラヤー川を渡って、トンブリ地区のお客さんを訪ねます。
これも終わって、ようやくパトンタニの工場事務所まで戻ってまいりました。

続けて歓迎の酒宴ですよ。
工場の近くなので、地元には高級なレストランは無いのです。
ですから、タイ郷土のイーサン料理で歓待させていただきます。

と言うわけで、これから客さんをお連れする前に、時間を盗んでタイプしてしまいました。日本人はわたくし一人だけですので、対応せねばならない時はアテンドでてんてこ舞いになります。こうして一日と言うか、夜の吹け行くのでありましょうが、これも仕事、仕事と、体に鞭打つ道産子社長なのでありました。
(この巻き、終わり)

2011年12月22日木曜日

人違いにしても、この落差は大きいのだの巻き


この女性も、金正恩さんと言います。
韓国の女優さんですが、身長170センチの長身です。
すでに三十代後半に入っておりますが、なかなかの美形です。

ですが、紛らわしい上に朝鮮人は朝鮮人だと、書いた人もいました。
まあ、そうなんですが、この名前って男でも女でも使える名称みたいです。
なんだか両刀使いの名前ですけど、北の方は大将同士です。


でも、この人、双眼鏡の持ち方すら知らないんじゃないかと思います。
軍人ですから、敵陣の様子を覗き込むのは当たり前でしょう。
逆さまに構えて、ピント調節リングも回せないなんてお恥ずかしい限りです。

一方、兄貴の金正男さんは、世襲に反対していたようですね。
それを疎ましく思ったのか、大将同士は暗殺まで企んでいたようです。
そんなお兄ちゃんは笑顔もかわいくて、善人っぽい印象が目立ちます。


と言うわけで、金正恩でググッたら美形のお姐さんばかり出てくるんで、何事かと思って調べて始めた分けです。ところで、正男兄さんは、マカオの自宅を離れて北朝鮮に戻ったようですね。もちろん、お父さんの葬儀に参列するのが目的でしょう。でも、お国では権力闘争に勝利した弟が、待ち構えていますよ。変死みたいな事件だけには、巻き込まれないようにと忠告したくなった、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わ)

2011年12月21日水曜日

タイで土地を手に入れるのは至難の業でありましたの巻き

これが、Land Development Officeです。
日本で言うところの法務局でして、土地の登記を管理しています。
工場からは、車で三十分も運転すればたどり着けます。

それで、いろいろと土地のことで相談に出かけて見たのです。
もちろん、タイ語のやり取りなので、道産子社長はよく分かりません。
とにかく、業務部長が担当官といろいろと話し合っていました。

それで、後になって分かったのですが、ちょっと落胆しました。
この国では、先ず外国企業と外国人は土地を購入できないのは知っています。
問題は、地元の資本が過半数を越える企業は、どうなるかです。

この場合ですと、タイ・ローカルの企業として扱いを受けることができます。
会社の設立だって法的に制限を受けません。
でも、こう言った会社が自由に土地を入手できるのかと言うことです。

どうやら、問題は地元資本の出資比率のようでした。
これは、現在、62%以上がローカル資本であることを求められています。
つまり、外国資本は38%以下の出資比率でなければいけない。

まあ、昔は過半数の51%でよかったのが、かなり厳しくなりました。

この他にも、取得できる条件として、こんな説明を受けました。
株主がダミーでなく資本の裏付けがあること。
土地購入の目的が明確に説明できること。

先ず、こう言った条件をクリアしなくてはならないのです。
こっちは、改めて工場用地を探そうとしている分けです。
目的はハッキリしていますが、資本の裏づけって何だと思いました。

この点は、業務部長が詳しく聞いていました。

株主の中には、株式会社が保有する株もあります。
例えば、A社の資本構成で62%が地元資本だとしましょう。
これなら、説明に従えば、速攻で問題なく土地が取得できるはずです。

一方、このA社の資本では、B社が20%分の株を所有していました。
このB社の資本構成は、地元資本が51%、外国資本が49%です。
これは地元資本の企業扱いですが、ポイントは株数20%の詳細な内訳です。

この株数20%の49%分は、B社の外国資本がコントロールする分です。
これを計算すると、9.8%分になりました。
一方、地元資本は51%ですので、計算すると10.2%まで下がります。

つまり、62%の地元資本でも、B社の外資分が混じっているのでした。
これを詳しくさかのぼって計算したらどうなるのか。
結局、地元資本の純粋な比率は、再計算したらこうなってしまいました。

A社の純粋な地元資本 : 52.2% = 62% - 9.8% 

と言うわけで、これでは土地が取得できなくなってしまいます。このような法改正は、もうニ十年以上も前に実施されたらしいのですが、かなり厳しい土地の購入規制条件と言えましょう。へっぽこ社は、元々地元資本の比率が高くないので、あきらめるしかなかったのですが、タイ国投資委員会(BOI)から奨励特典も取得しておりますので、これで工場用地の認可を取り付けようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月20日火曜日

今日はネタ切れなので、ネコちゃんでなごんでたもれの巻き


斜め上の半島では、金豚も死んだと言う今日この頃。
誰しもがこぞってブログネタにするんでありましょう。

あの国は一人当たりのGDPが五百ドルにも達しない貧困国。
ミャンマーより経済が劣っていると言うだらしなさです。

なので、ミサイルぶっ放そうが、核実験しようが、ままごとの世界です。
海を隔てた収容所国家レベルだと思って、高みの見物も悪くない。

ところで、こんな統治レベルの国家は禁忌なのでおしまい。
ですので、今宵のネタ切れをネコちゃんの動画で誤魔化してみました。

ところが、ここバンコクにもネコちゃんを良く見かけるのです。
かわいらしいのか、寝転がって横着を極めているのか。



と言うわけで、おやすみなさい。
今晩は、お粗末さまでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月19日月曜日

火病を起こした李明博と、尊厳の無い解剖をうけた金正日の巻き


偉大なる指導者、金正日が無くなったのが、先週土曜日の17日午前。
それとほぼ同時に、韓国の大統領イミョンバクは、韓国を離れて来日しています。
何も情報が無かったのでしょうかね。

それとも第二第三の従軍慰安婦像が立つと脅すのに、ためらいを見せて切れ味が悪くなるのを恐れて、側近達がわざと知らせなかったのでしょうか。

今朝の朝刊を読みながら思ったんですが、今回の韓国の手口は、北朝鮮が得意として来た恫喝外交の十八番を奪うような印象でした。
韓国の大統領と言うのは、任期も後一年を残すようになると、求心力も低下して国民から支持を集めるのに躍起となるようで、そんなお国柄を見せ付けたわけです。


このため、叩きやすい日本を生贄にしようとするのは、先代のきじるし=ノムヒョン閣下で、我が国家も学習済みでした。
ですので、いまさら驚くには当たらないのかもしれない。
韓国と言う常識外の存在は、過去の事例にそっくりの路線を踏襲しながら、外交儀礼もなんのその、火病=ファビョって駄々をこねた児戯を見せ付けてくれた、ワンマンショーの世界です。

ところで、偉大なる指導者の方ですが、病理解剖せねばならないほどに、毒殺やら他殺のような危険が絶えず彼の身辺にあったと言うことでしょうか。
一国の独裁者と言うお仕事も、死んでから体を切り刻まれるように弄ばれると言うのも、意外と尊ばれない淋しい職業なのかもしれませんね。

と言うわけで、国際的に政治的な国家間の緊張が走らないことだけを祈ります。2012年は人類が終末する年だと予言している人も結構いるくらいですが、今回はその予兆なんでしょうか。そんなことは杞憂であったと、来年の今頃は笑っていたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月18日日曜日

シラチャとシーチャン島を写真で紹介してみるの巻き


カンタリーベイは、ホテルと言うより実はサービスアパートメントです。
お部屋の清掃サービスもあり、単身の長期滞在者に格好です。
家族連れの方も多くて、2ベッドルームが用意されているようでした。

それで、この写真は子供たちが小学校へ登校する一コマです。
玄関でお母さん達が、見送っていますが、通学はミニバンでした。
ここシラチャは日本人学校でして、一昨年の開校になり出来たてです。


ホテルから程近いナイトバザ-ルで出合った屋台です。
干物の魚を中心とした乾物商ですが、品揃えが豊富です。
バンコクの中心では見かけない魚も、かなりありました。

地元の人は、どうやって食べているんでしょうか。
炭火のコンロか何かで、焼いて食べるのでしょうか。
だとしたら干物のまんまですが、調理方法が知りたくなりました。


土曜日、海辺の健康公園で絵画大会が開かれていました。
数百人規模で生徒が公園に散らばっています。
海岸の風景をていねいにスケッチしていましたので、画題がそうなのでしょう。

中には、色を塗りつぶすのを手伝っている親御さんもいました。
それって、ルール違反じゃないのかと思いました。
まあ、タイですからマイペンライなんでしょうね、いい国です。 


シーチャン島へ、この渡船で向かいました。
さほど大きくは無くて、二百人も乗船したら満員でしょう。
沖合いに出るに連れて、うねりも出て意外に揺れました。

だとしたら、この辺りは海が深いのかも知れません。
近くには製油所もあって、大型のタンカーも停泊しています。
レ-ムチャバン港ですが、貿易港としての地位が高まっています。


シーチャン島では、トゥクトゥクかバイクが住民の足になっています。
多分、燃費が良いんでしょうね。
給油所が無くて、ペットボトルに詰めたガソリンが売られていました。

実際、島内の移動距離など、たかが知れています。
バイクだったら、1リットルで一週間以上、燃料が保つのかも知れません。
片や、ラン島はピックアップを改造したソントゥーが走っていました。

多分、観光客の数と観光のスタイルが違うんじゃないでしょうか。
ラン島では、観光客は日がなビーチで過ごします。
観光めぐりはしませんので、移動手段だけ必要になります。

一方、このシーチャン島はビーチもなく観光めぐりがメインです。
このため、運転手さんはお客さんを捕まえようと桟橋に集まります。
ちょっとしたことなんですが、島の違いが分かって面白いものです。

※左クリックで拡大すると値段が分かります。

晩ご飯は、街中の居酒屋、いもやに出かけてみました。
このお店は、シラチャに住む邦人の間では人気があるみたいです。
お店に入るのと入れ違いに、家族連れも出てこられましたのでそうでしょう。

メニューも豊富ですが、値段も安い。
一品25、35バーツのつまみも、そろっています。
シンハーの大瓶が80バーツだから、二百バーツで晩酌ができてしまいます。


と言うわけで、写真も交えてシラチャの町とシーチャン島を寸描してみました。この町には、シラチャFCというフットボールクラブもあって、昨日は試合が行われていました。泊まっていたホテルの隣が、サッカー競技場ですから賑やかな応援の音も聞こえてきます。スポンサーが自動車メーカーのスズキなんですが、お隣のラヨン県に、来年工場も竣工しますので、サポートするのもむべなるかなと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月17日土曜日

第三の島に上陸したでござるの巻き


シーチャン島に上陸してみました。
シラチャからは、海辺の公園から対岸に見えています。
もっとも、桟橋道路で結びついたロイ島の方が間近です。

それで、島へ上陸するには、このロイ島から渡船に乗ります。
片道40バーツ、毎時間出発しますので便利です。
船はちっぽけでして、漁船に毛の生えた程度なのか揺れました。

シラチャと島の中間地点まで来ますと白波も立ち始めます。
うねりは少ないですが、船が小さいの意外に左右に傾くのです。
上さんが怖がっていましたけど、自分は意外に平気でした。


さて、日本は島国ですけど、タイにも離島がかなりあります。
道産子社長は、今までサムイ島やパタヤのラン島は訪ねました。
それで、今回のシーチャン島が第三の島となった分けです。

実は、この島はリゾートではありません。
ビーチが少なくて磯場の多い島なので、日光浴には不向きです。
このため、訪れる白人観光客は少ないようです。

ただ、釣り場が有名なようで、釣竿を抱えた乗船客も見かけました。
さて、着船しましたが、観光スポットも分かりません。
桟橋の観光案内所で貰ったパンフだけが便りです。


その内、オート三輪の運ちゃんが、ツアーを誘ってきました。
食べ物に群がるハエみたいでしつこくてうるさい。
何とか追い払い、その場を離れて近場の中国寺院へ向かいました。

てくてく歩きながら、参宮をくぐって階段を上ります。
結構上りましたけど、街中まで遠望も効いて疲れも吹っ飛びます。
この後、もうっちょっと先の仏足石まで足を伸ばしました。

※赤いのが中国寺院、その上の白い建物が仏足石

いやー、これがきつかったです。
階段が三百段以上あったんじゃないでしょうか。
この島の最高峰の頂きまで、あと少しまで登山してしまいました。

見晴らしが良くて、吹く風もさわやかです。
空には、ツバメもたくさん舞い踊っています。
タイに来てから久方ぶりのハイキングになりました。


と言うわけで、シーチャン島の日帰り訪問は、意外に満足した旅となったのでした。この島は、のんびり浜辺で日光浴よりハイキングですよ。あるいは、磯場で釣りを楽しむのもOKかもしれません。リゾートでのんびりするより、体を動かして一汗掻くのに、最高な島だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

シラチャって田舎っぽくてなごみました巻き


昨日は、バンコクから東にある工業団地をたずねました。
実は、顧問をお努めの方が、間接的に関係があるのです。
株主の会社の専務を引退された後に、この仕事に就かれています。

ぜひ会おうと思っていたのですが、時間が取れませんでした。
パトンタニの工場からですと、片道で二時間以上もかかります。
往復すれば、ほぼ一日で日帰り出張です。

そんなことなら、近くの街シラチャに泊まってみようか。
金曜日で週末だし、二泊三日にすれば旅行にもなります。
それで、午後から上さんを連れ出して出かけました。

仕事自体は打ち合わせ程度ですから、後はホテルにチェックインです。
カンタリーベイと言うホテルですが、市内のど真ん中でした。
サービスアパートも兼ねていて、一泊2300バーツと手ごろです。

邦人の駐在員がたくさん滞在していました。
みなさん、近隣の工業団地へ通勤されておられるようです。
禁煙の部屋が無いのですが、部屋自体はヤニ臭くもありません。


ここは、ナイトバザールや歓楽街に近いのが便利です。
日本食のレストランも見かけたし、夜の賑わいはかなりのものでしょう。
しかも、食べ物の屋台が多いですね。

地元の人も買って帰って、家で食べるようです。
上さんとぶらぶら歩きながら、そんな風に思いました。
それで、こちらも酒の肴になるおかずを買い求めました。

と言うわけで、後はコンビニのセブンで酒を買ったら、手に一杯の買い物袋をぶら下げて、ちんたらホテルに戻りました。つまり、外食しないで部屋で酒盛りってことです。実に安上がりですが、これが、結構、楽しめました。明日は、どこに出かけようか、そんなことを上さんと相談しながら、酒宴の夜は更けていくのでありました。
(この巻き、終わり)

2011年12月15日木曜日

水位が2メーター以上って本当だったんだの巻き


昨日、世界遺産のあるアユタヤまで出かけました。
ここには、洪水で一躍有名になったロジャーナ工業団地があります。
当社も取引先が一社ありまして、そこの工場を訪ねました。

重要な部品を納入してもらっていましたが、ここは閉鎖するようです。
貸し工場での操業ですから、未練も無くバッサリお引越しと言うことです。
まあ、気軽に移動できるのなら、それも良い決断かも知れません。

今度は、洪水の恐れが無い東部へ移動すると聞きました。
でも、操業の再開は来年四月からだそうです。
工場を建てて、製造装置を発注して据え付けるまで長い道のりでしょう。

当社も、そんなに流暢に待ち構える余裕もありません。
残念ですが、今年一杯で取引を終了させてもらうことにしました。
それで、貸与していた試験装置を撤収しに行った分けです。

行って見て驚いたのは、その水位を示す痕跡でした。
壁が薄く汚れたように線を引いていますが、ドアの高さとほぼ一致します。
手を伸ばせるぐらいの高さですので、2.3メーターはあるはずです。

しかし、これほどのまでの洪水が押し寄せたのなら、製造装置は全滅でしょう。
これは悪夢としか言えず、引き払うのも当然だと思ってしまいました。
でも、この水位に達するのは、もっともな理由があるのです。


実はこの工業団地は、地盤が沈下しているのです。
出入り口の表通りからは、1メーター以上、低くなっています。
写真を見てもご覧の通り、緩やかなカーブを下って団地へ入ります。

もっとも、この辺りはメナム川から運ばれた土砂が堆積しただけの地面です。
地盤もゆるゆるで、工場みたいな重量物が載ったら、どうなるでしょう。
時間が経過すればするだけ、地面も沈降していくのは当たり前です。

要するに、この状態は二十年以上も前から分譲を始めた、成れの果てだと言うことです。
こうなると、この工業団地は、すり鉢状の底にあるようなもので、水が集まりやすくなります。
堤防は高くしてあったようですが、水圧を防ぎきれなかったと言うことでしょうか。

と言うわけで、地盤の低下を防ぎたかったら、整地に基礎のパイル杭をじゃかすか打ち込めば良いだけなんですが、お金がかかり過ぎて投資としては旨味がありません。工業団地側だって、手をこまねいている分けでも無く、万里の長城みたいな鉄壁の堤防を作って洪水を防ごうとはしているようです。でも、何時来るのかも分からないのに、洪水にお金を投資するよりは、費用効果からみたら引越しが一番簡単なことです。かつての取引先が選んだ決断は、一番の安全策なのかも知れないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)


2011年12月14日水曜日

今年の言葉、絆(きずな)に寄せての巻き



このパラパラ漫画って、ジーンと来るものがあるでしょ。
タイトルは、絆って言います。
今年の漢字でも、この一字が選ばれました。

きずなって、やはり東日本大震災なのです。
未曾有の天災を乗り越えるには、人々の助け合う力が必要です。
その意味を象徴して余りあるのが、きずなだったと言うことでしょう。

それ以外の漢字では、災、震、と続きました。
でも、想像がストレートすぎて災害の生々しさが残ります。
禍々しさだけでは、過去を振り払い立ち直ることすらできない。

では、災害から、どうやって復興すればよいのか。
それは、先ず行動を起こす気持ちが大事です。
気力の湧いてくる言葉こそ、復興の未来につながるのです。

と言うわけで、このきずなの一字、今年を表現するのにピッタリだったのでしょう。鉄拳さんは、パラパラ漫画の上手な芸人さんですけど、意外に繊細な感性を持ち合わせていますね。きずなを素直に意識できるようなストーリーに仕上がっています。今年は、タイも洪水で大変でしたが、こちらの被災民も、このきずなが必要なのは言うまでもありません。日本もタイも、いち早く立ち直ってもらいたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月13日火曜日

キアヌ・リーブスみたいに、ふらっと出かけてみることにしたの巻き



上さんは、アメリカに留学していました。
ですので、キアヌ・リーブスぐらいのイケメンは、意外に見かけたようです。
だから、格好にこだわらないと、誰も本人とは思わないと言っていました。

しかも、大都会のニューヨークに住んでいるせいもあります。
人種のサラダボウルって言われるぐらい、雑多な人が住んでいます。
そんな都会では、隣に座っている人がよもやキアヌなんて思わないものです。

映画スターって言うのは、虚像の世界です。
マトリックスで弾丸をよけられるのも、あくまでも銀幕の世界でしかありえない。
でも、実生活ではごくありきたりに市井の人であって、その落差は想像しがたいものがあるのかも知れません。

そんな彼から、席を譲られた女性は、まったく気が付いていないような感じです。
人から教えられない限り、彼女は一生、分からないでしょう。
それぐらい、ごく普通にキアヌさんは自由な都市生活を送っているのでした。

ところで、道産子社長は、運転手さんが付いていて会社まで送迎してくれます。
これが、自分には監視されているような気もして苦痛なんですね。
自分で好きなように、バスに乗って電車に乗って会社まで通勤したいのだ。

ところが、工場までは意外に交通が不便でして、車の送迎にならざるを得ない。
となると、せめて週末だけは自分の好きな手段で行動させてもらってます。
バスに乗ったり鉄道に乗ったり、公共の交通手段が大好きな分けです。

と言うわけで、今週末は長距離バスに乗ってシラチャの町まで出かけてきます。片道で二時間くらいしかかかりませんので、金曜日の午後から早退して二泊三日の小旅行としゃれ込みました。キアヌ・リーブスさんみたいな超有名人でもないから、衆人環視で盗撮されることもありません。ここは上さんと一緒に、心置きなく気ままな旅を楽しみたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月12日月曜日

知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だの巻き

開高健さんの残した言葉。


一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。


野狸首相の支持率も、風雲急を告げて絶賛降下中です。
民主党の化けの皮を知ってしまった選挙民のみなさん。
後戻りできない”知る悲しみ”だけを残されてしまった。

将来は路頭に迷うのも必至と心得て、生き永らえてください。
この言葉は、含蓄がありますなー。
文学界の巨匠は、すでに予言めいた言葉すら残していたのでした。

ところで、冒頭の絵はスイスの画家、ハンスエルニが描きました。
スポーツを対象にした作品が、結構、有名かと思います。
具象画でもなく抽象画でもなく、イメージが湧き上がるような描き方です。

これを、とある雑誌では”パンタレイ感覚”と表現していました。
つまり、「万物は流転する」と言う意味なんですね。
古代ギリシャの哲人・ヘラクレイトスの言葉だそうで、描き方がピッタリです。

画題が、スポーツと言う躍動感に満たされています。
しかも、一瞬の動きが切り取られてイメージが再構成されています。
でも、どうして開高健とハンスエルニが関係があるのかって言うことです。


それは、開高健自身が、小説の題材に絵画を取上げているからでした。
そして、そのタイトルは「裸の王様」と言います。
もちろん、作品の中でも、この画家をスイスのピカソだと紹介しています。

でも、ピカソの作品は、なんだか絵が止まっているようにしか見えない。
一方、エルニは、常に動態的な印象が絵の中に存在しています。
この違いが明らかですから、ピカソになぞらえずとも巨匠ではないでしょうか。

と言うわけで、冒頭に掲げた作品は、ハンスエルニならではのものでしょう。ところで、開高健の箴言ですが、どこの作品から抜粋されたものか、よく分かりません。結構、ネットで流布されているのですが、それらしくでっち上げて、ほくそ笑んでいる奴もいそうな気がして、ちょっと疑っています。だれか親切に出典を教えてくれる人はいないものか、と思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月11日日曜日

アウトドア用コンロを買って、来年は日本でキャンプだの巻き


カセットタイプのボンベが使用できます。
キャンプ用の携帯コンロですが、499バーツの特価品でした。
日本円で1350円ですから、かなりお買い得感がします。

ただ、つくりは多少チャチなので、一生ものと言うわけには行かないでしょう。
ボンベの取り付け口は、通常のカセットコンロと同じようです。
購入したボンベは韓国製でして、同じ規格品が流通しているのかもしれません。

多分、日本に持って帰っても使えると思うんですね。
そう期待しながら買ってしまいました。
つまり、来年は必ず帰参すると心に決めておるのです。

こちらは、駐在天国みたいな国です。
通算四年もタイに住みますと、仕事のセンスでボケているかも知れません。
もう一度、磨きなおすには、一旦、日本に帰るべきだと思い始めました。


ところで、カセットコンロのLPGボンベのことです。
タイでの洪水騒ぎの最中、スーパーへ行くと、このコンロをよく見かけました。
ただ、ボンベは自国製では無くて輸入品だったようです。

一本45バーツ、120円くらいですので割安感はあります。
まあ、被災地域で煮炊きをするのに緊急で必要だったのでしょう。
かなり輸入されてお店の棚に並んだと言う分けです。

それでは、このカセット口の規格は日本と同じなのでしょうか。
姿かたちでは、かなり似通っていますが断定できる自身はありません。
日本製と比べられれば良いんですけど、そこがハッキリしないのです。

このボンベの規格ですが、かつては日本でも統一されていませんでした。
このため、1995年に発生した阪神淡路大震災の時に、大変な問題が起きています。
つまり、救援物資でコンロを送っても、被災地でボンベが装着できませんでした。

ピッタリ合う地域もあれば、持ち物しだいで困った被災民もいたのです。
結局、この教訓が生かされて1998年よりJISで統一の規格が定められました。
こうして、現在は、どのコンロにもどのボンベでも取り付けられるようになっています。

それで、日本では百均の店に行くと中国製のボンベが売られていたりします。
つまり、カセットコンロの日本規格がアジアに広まったんじゃないでしょうか。
今度は、逆にアジアから日本へ製品が流入するようになったのかもしれません。

だとすると、タイで買ったコンロに、韓国製のボンベが装着できたとしても、それほど不思議はない分けです。

と言うわけで、アジアは一つの経済ブロックとして大きな貿易の活動をしているのだと言うことを、このLPGボンベが証明しているように見えました。たかがボンベですが、その背景には、日本の先行した統一規格も影響しているようです。この規格を、アジア全体でどの国でも採用することで、コンロとボンベを安く供給できる国から輸入することができるようになれば、人々の生活が豊かになるのかもしれません。そんな風に考えて見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月10日土曜日

洪水は未だ終わらず、加齢臭といわれてギャフンの巻き


今宵は土曜日だと言うのに、接待からただいま帰還してまいりました。
昨晩も同じお客さんですので、連チャンで飲んでくると体力的にしんどい。
でも、今日はビールだけと控えましたので疲れもありません。

ですが、明朝、五時起きでお客さんを空港まで送り届けなければなりません。
これで、土日はお仕事でつぶれてしまいましたなー。
かろうじて明日は朝だけの拘束なので、その後はゆっくりするといたしましょう。

ところで、上さんから加齢臭がしたと、衝撃的な発言をたまわりました。
酔っ払って帰っては来ましたが、シャワーを浴びて寝床に入りました。
ところが、酒臭いのと汗の臭いが交じり合って、鼻つまみだったらしいのです。

これが加齢臭なのねと、皮肉を言われてしまいました。
ガツーンと一発、ノックアウトを喰らった感じです。
でも五十路のオヤジですから、これからはゴシゴシシャワーで洗うしかない。

年を取ったのだと観念させていただいて、酒の飲みすぎには要注意と言うことにして起きましょう。

さて、冒頭の写真は、夕闇迫るバンコクの某所です。
まだ、洪水が引いていない場所が散見されるのです。
残念ですが付近の住民には、通常の生活が戻っているとは言えません。

道路には陥没した箇所があるらしくノロノロ運転でした。
ただ、拾ったタクシーは気軽に通行してくれました。
ラッキーな気持ちでしたが、なんとか地下鉄の駅まで戻れました。

と言うわけで、バンコクや周辺地域は、洪水から復旧して日常生活が戻りつつあるようで、片や水は年内一杯は引かないと言うような絶望的な地域もあるのでした。すでに、洪水復興景気だとか浮かれ騒いでいる雰囲気も出てきましたが、こう言った現場を実際に見てしまうと陽気になれないのです。こんな状況なら、加齢臭を少しぐらいプンプン振りまいたって、どうってことはないのですよ。早く被災地が元通りになってほしいと願う道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月8日木曜日

民主党にはフテキセツな人種しか存在していないの巻き

世論の津波に対し十分に応え、
国民から信頼を回復しなければならない

ええっ、
なんで世論が津波になるのでしょうか。
世論は、それほど天災のように禍々しいものなのでしょうか。

なんとも邪悪な言葉の言い回しでしかないような気もします。
きっと、吐き捨てたいような気持ちがこもっているとしか言いようがありません。
こんな暴言を吐いたのが国会議員だとしたら、皆さんはどう思われますか。

その名も、藤田幸久、御年61歳です。
しかも、財務省の副大臣と言うのだから恐れ入りました。
国民から、税金を騙しむしり取ろうと画策する官僚の手先なのでしょう。

国民感情が非常に強いという程度の問題の形容詞だとも、うそぶきました。
東大日本震災の記憶が覚めやらぬ中、鸚鵡返しをする単細胞です。
これでも、慶応大学を卒業したと言うのですから実にけしからん。

ZAKZAKでは、こんな見出しを載せました。
”財務副大臣アホか!国民の声“津波”に例える”
民主党の議員は、アホ風情がなるものなのでしょう。

しかも、民主党は国民を裏切る確信犯です。
マニフェストで約束した公務員給与削減法案の成立すら絶望的にしました。
臨時国会の延長もできずに、明日、閉会ですよ。

政権の延命だけが目的で、野党の攻撃から逃げ回るだけです。
だって、野ダヌキには、問題閣僚の任命問題が残っています。
問責決議が可決される崖っぷち状態なのです。

そこで、あの一川防衛省のトンデモ発言をピックアップしてみました。

「安全保障に関しては素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」

「ブータン国王が来て宮中で催し物があるが、私はこちら(政治資金パーティー)の方が大事だ」

沖縄米兵少女暴行事件について問われ、「正確な中身を詳細には知らない」。
翌日の記者会見でこの事件を「少女「乱交」事件」と失言。


と言うわけで、問責決議ではマルチ山岡も存在しておりまして、野ダヌキは正に絶対絶命なのでした。マルチ商法の業界団体から献金を受けていた不逞な、氏名ロンダリング野郎が、公平な裁定を受けるのは当たり前でありましょう。とんでもない奴ばかりを、派閥均衡で、おっと失礼、グループバランスで任命するなど、誰のために政治をしているのでしょうか。国民など眼中に無く、任期満了まで延命し歳費(給料)を掠め取るのが本望なのであろうと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月7日水曜日

タイで日本のコミュニティーFM局を聴いていみるの巻き



SimulRadio(サイマルラジオ)とは、コミュニティFMの自主制作番組をネット配信するサイト、およびそのためのプロジェクトである。

Simulは、英語の同時を意味する「Simultaneous」の略で、各局が電波で放送するものと同じコンテンツまたは放送内容を、インターネットのストリーミングで同時に配信し、誰でも居ながらにして日本全国各地のコミュニティFM局の放送をインターネットを介して聴取できることを目指す。
ウイキペディアより)

いやー、実にローカルなFM番組をタイで楽しんでおります。
北は北海道の稚内市から、南は沖縄・石垣島まで全国津々浦々です。
コミュニティー放送局がこれほどあるとは、思いもよりませんでした。

もちろん、電波で放送された番組が、同時にネット配信されています。
リアルタイムだって言うことですね。
聴くのは簡単でして、サイマルラジオのサイトからアイコンをクリックするだけです。

ウインドウズならメディアプレイヤーが立ち上がって放送がスタ-トします。
ただ、各局で再生音質の良し悪しがありますね。
24kbpsくらいですとシャリシャリして、耳ざわり感が残ります。

64kbpsですと音楽も聴取に耐えられますが、音質はちと物足りない。
音声だけで、128kbpsまで上がれば最高ですね。
さすが、心地よい音楽の提供が命の”湘南ビーチFM”だけのことはありました。


と言うわけで、沖縄県だけで放送局が六つもありました。石垣島なんか、町内有線放送の延長線上みたいで、実にのんびりしています。こう言った番組を聴くと、日本に帰りたくなりますなー、里心が付いてしまいました。ですので、来年こそは絶対に帰参すると誓った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月6日火曜日

洪水も終わったことだし、土地でも買ってみようかの巻き


これが、タイの土地権利書です。
コピーをさらっともらいましたが、これから手に入れようと言うのです。
日本だと登記簿になると思います。

でも、ここはタイですから、国章のガルーダがデカデカ躍っています。
タイ語なので何が書いてあるのか分かりませんが、書類は綴りでした。
二枚目には所有者が、三枚目には土地の面積が記述されていました。

土地の大きさは、今の工場敷地よりふたまわり大きくなります。
これだけありますと、いろいろと使い勝手がありそうです。 
でも、今のところ具体的な用途は未だありません。

とりあえず、小さな倉庫でも建てて置きましょうか。
製品倉庫も手狭になってきました。
しかも、この土地は洪水の被害が軽くて済みました。

ここなら、お客さんの要請で製品を預かったとしても洪水は大丈夫でしょう。
でも、湿地帯の原野みたいなので、先ず更地にしなくてはならない。
そうしておけば、将来の事業拡張で第二工場をすぐ開くことだってできます。

ところで、土地の単価ですが、1タランワーで決めます。
タランワーと言うのは、こちらの土地単位で4平米になります。
日本なら、さしずめ坪(3.3平米)に当たりましょうか。

これがもっと大きくなると、1600平米で1ライと呼称されます。
つまり、1ライはタランワーの四百倍ですね。
大きな敷地ですと、1ライの単価で取引価格が提示されるケースも多いです。

それで、詳しくは言えませんが、億の単位で金が動きそうです。
どでかく、二万平米は買っておきたいのですよ。
経営者ですから、どーんと、でっかい工場をぶち立てる夢だけはあります。



と言うわけで、いま時の日本は、法務局がコンピュータで登記事務を行うようになったので、価値はデータだけなんですね。でも、タイの権利書みたいにガルーダが表紙に載って権威づけられると、登記簿に価値そのものを認めたくなります。大きな買い物ですから、単なる金と所有者の移動だけで済ませたくないと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月5日月曜日

ディズニーのパレードの方が、きれいだなんて言うなの巻き


今日、12月5日は、タイのプミポン国王の誕生日です。
御年、84才になられました。
干支を七度も巡られたことになり、大変おめでたいのです。

晴れやかに広がる青空の中、日光がさんさんと降り注いでおります。
そんな、国民の祝日でして、人々はお祝いで王宮前に集まってきました。
祝賀ムードが一気に盛り上がる中、王宮前で衛兵パレードです。


軍楽隊もにぎにぎしくマーチを奏でております。
曲名はなんだか分かりません。
この長い列のパレードは、こうして王宮の中にはいっていくのでした。

それじゃ、このパレードの後で拝観できることになるのでしょうか。
よく分からないのですが、ホイッスルを持ったおっさんが怒鳴っていました。
英語でワン・ピーエムとかほざいています。

そうしているうちに、一人のおっさんが親切に船着場まで案内してくれました。
王宮を訪問した観光客を相手とするポリスだと触れ込みです。
ここから、別のお寺ワットアルンに行けば良いと言ってくれました。

でも、やけに親切すぎます。
実際のところ、こうして騙すトゥクトゥクの運転手だって大勢います。
嘘を付いて別な寺院とか連れて出して、料金をせしめるのです。

この国はモラルもクソもありません。
信用できないのですが、何時までたっても拝観させてくれない。
いたずらに時間を費やすだけで、開館は午後からなのでしょう。

まあ、ちょっと騙されたと思って後に従いました。
案の定、船着場に着いたら、携帯で誰かを呼び出そうとしました。
やっぱり、法外な値段を吹っかける白タクボートの一味でしょう。

後で、紹介料の小遣いでも貰う気なんだ。
実に公務なのか、アルバイトなのか、いい加減な人種です。
あきれてしまい、さっさとおさらばしました。


さて、この後は、次のターティアン船着場まで歩きます。
そこから、渡船でワット・アルンを詣でました。
いやー、天気が良かったので仏塔からは最高の眺望です。

と言うわけで、それなりにお客さんを観光案内できた一日となりました。何時もなら、会社の運転手さんのバンに乗るのですが、洪水でエンジンが逝かれてしまい修理中で、それもできません。運転手つきのレンタカーだと勝手も違います。必死のタイ語で、どこ行け、あそこ行けと命じて、お客さんを満足させるのに必死だった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年12月4日日曜日

日本人は既得権益のむしり合いなんだろうなの巻き

これから、お客さんを迎えに空港まで出かけてきます。
ピックアップしてホテルまで送ります。
しばし、休憩していただいたら歓迎の晩餐会です。

それで、その前に思いついたことを書いておこうと思います。
自分は、海外ビジネスがサラリーマン稼業の中心でした。
アセアン各国の代理店もいて、彼らと営業で丁々発止の仕事だった分けです。

大概、輸出先の国には、既得権益があるものです。
そう言った勢力は、役人が絡んだり、売り先の購入担当者だったりします。
何らかの袖の下も必要でして、コミッションとして割り切ったりします。

まあ、食事で済んでしまうケースなら、お安いものです。
他方、購入代金の3%をよこせとか、堂々と請求されてしまいます。
買ってくれるなら致し方ないところですので、眠り口銭は当たり前です。

「水清ければ魚棲まず」の例えもありますし、郷に入りては郷に従えでしょう。
速攻で金で解決できてしまい、後腐れもありません。
実に単純明快な明朗会計?、としておきましょうか。

ところで、日本の場合は、役人の既得権益の維持がすさまじい。
いろいろと権謀術数を考えながら、結局は長期的に私利私欲を追求するようです。
こんなことを思ったのも、先週月曜日の「TVタックル」と言う番組を見たからでした。

特に、財務省などは、日本国は破綻するぞと国民を脅かし続けています。
挙句の果ては、消費税を引き上げて赤字財政の解消を画策をする分けです。
一人当たり七百万円の借金だと、野ダヌキ首相も国会で説明しました。

もちろん、癌チョクト政権の財務大臣だった頃から、役人に吹き込まれて育て上げられた性悪だけのことはあります。
実に忠実に財務省のシナリオをなぞりながら、増税路線を突っ走ろうとしております。
先ず、そんな畜生どもに国民は騙されてはいけません。

財務省の役人も、民主党のマニフェスト破りのペテン国会議員どもも、騙す魂胆です。
そんな話を、上手にTVタックルが説明していました。
実に、面白くて小気味良かったです。


先ず、役人は、国内では破綻すると吹聴して来ました。
ところが、海外の金融機関には財政状態が堅実だと釈明していいます、
何と言う、二枚舌の狡猾さでしょうか。

破綻すれば、ギリシャ見たいになると強調したりもして来ました。
でも、破綻の確率を示す保険レートのCDSもフランスより低いのだ。
こんなに信用されている国なのに、なぜ貶めるのか。

しかも、一人当たり七百万円の借金を返済しなければならないと言うのです。
そんなもの、国民は借金した覚えはありません。
国民に負託された政府が勝手に国債を発行しただけの事です。

しかも、資産をみると一人当たりで未だ五百万も保有しています。
なんと、その差し引きは二百万円の借金にまで減ることになるのです。
全然、計算があっていないじゃないですか。

こんな狡猾な騙され方で、国民はハイハイと従ってよいのですか。
デフレで経済が沈滞化して、国民の生活も上向かない。
そんな時に増税したら、もっと景気が悪くなるだけじゃないですか。

国のためを思わず、自分の役人の既得権益を守りたいだけなのでしょう。
産業界には、増税の例外規定を設けてあげる。
その代わりに、天下りを要求して退官後の仕事を確保し渡りを繰返すのです。

と言うわけで、こんな自己中心的な卑劣な役人など、総とっかえでありましょう。財源が無いと、ぬらりくらりしたまま、東日本大震災の補正予算すらままならない状態です。こんなに初動措置を遅らせた民主党政権も無能ですが、それをまんまと操縦してきた財務省賞の役人も、きっと売国奴に違いないのだ。そんな風に思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)