2009年7月9日

たけのこのアク抜き初体験はバンコクでの巻き

本格的な雨季に入ったから、旬のたけのこが店先に並ぶようになった。


もちろん、ファラン(外人)御用達のショッピングスーパー”カルフール”で見かけ出したのである。とは言っても、バンコクの麻布みたいなスクンビット近辺には、八百屋さんなどあるはずも無い。貧乏社長の金銭感覚なら、八百屋で十分なのだが、何せ、ここは異国でもある。勝手も分からず、便利さからカルフールで用を済ませているに過ぎない。

しかし、それでも生鮮野菜は安い。このたけのこだって、値札を見たら一本20バーツ(60円)だった。日本で買ったら数百円以上はするかもしれない。当時、面倒臭さもあったんだろう、上さんはいつも水煮を使っていた。

こちらのたけのこも、たぶん孟宗竹だと思うんだが、旬の時期は趣が多少異なる。日本なら、三月中旬から五月が時期だが、タイは六月から八月に掛けてと遅く期間も長い。しかも、雨季に入ってから収穫の時期を迎える。所変われば品変わると言うところか。

それで、上さんが最初にたけのこを買ったのは去年の話だ。ナコンナヨークと言う、バンコクから車で二時間くらいの手軽な観光地へ行った時に、道路脇に並ぶ露店でたけのこを見かけたのである。一個二十バーツと値段を聞いたつもりが、買ってみたらドデカイのを三個も袋に入れてくれた。

持ち帰ったのは良いが、どんな風に下ごしらえすべきか、上さんも始めてのことなので皆目見当が付かない。パソコンを開いて、ネットでその方法を検索してみる。分かったのは、どうもアク抜き無しではエグミが残って食べられないようだ。ヌカとたかの爪を入れた湯でぐつぐつ煮こめとか書いてあるんだが、何となく怪しい。もっと調べてみたら、重曹を湯に溶かして煮込むのが手っ取り早いと紹介されていた。

重曹なら、ベーキングパウダーでも代用できるし、どこにでも売っている。しかも、余ったらお菓子作りに使えるから、無駄にならない。と言うわけで、やってみたら意外と簡単にアクが抜けてしまった。それで、煮物やらグリーンカレーやら、色々な料理にたけのこを入れてみた。旬の味を楽めたのは、言うまでも無い。


つまり、今年のたけのこの煮物は、去年のチャレンジ無くしてはできなかったのである。バンコクでアク抜き初体験をするなんて、夢にも思わなかった貧乏社長、いや上さんなのでありました。(この巻き、終わり)

2009年7月7日

お坊さんキットでお寺へゴーの巻き

今年は雨季の入りが事の外、早かったようだ。

五月の初めから、激しいスコールが降り出していたから、地元の人も普通の年とは少し違うと言う。例年なら、本格的な雨季の始まりは、六月を過ぎてからだろう。そして、本当の季節になったと感ずる頃に、ワンカオパンサー (入安居)が巡ってくる。この日は、旧暦八月の満月を過ぎた、翌日の十六夜(いざよい)に当たるんだが、毎年の日取りは暦の特性で変化する。

昨年は七月十八日だったが、今年は七月八日がそれに当たった。なれば、何時かは七夕の日にぶち当たるのかもしれない。それも面白いと感じる。

この日から、お寺のお坊さん達は、オークパンサー(出安居)の日までの約三ヶ月間、修行に専念するため、寺にお籠もりをする。恵みの雨季は、稲作を初めとして様々な作物が育つ時期でもある。もし、お坊さんがお百姓さんの大切に植えた作物を誤って踏みつけてしまっては、生きとし生けるものの殺生を禁ずる教えに背くことになる。だから、外出せずに寺に篭ったのが始まりなんだそうだ。

そして、現代でも、この習慣は続いている。貧乏社長は、カルフールのショッピングセンターで思わぬものを見つけてしまった。



お題の通り、お寺へ修行に入る際に必要なアイテムが詰め合わせになって売られている。カタログには、生活道具・托鉢用品とか、お世話になるお寺へ納める品々などが満載だ。それと、この時期に寄進される彫刻を施した高価な”ろうそく”も売られている。これは便利なのである。一つ一つ選ぶ手間が省けるのだ。もっとも、時間を掛けずに済ませてしまうのが安直過ぎて、仏の教えのありがたみにつながらない。最近では、三ヶ月間では長くて仕事や学業の差し障りになるから、一月とか、ひどい時には一週間の短期促成で済ませてしまう人も増えて来た。

(バンコクポスト:7月8日付、追加)

とは言っても、仏教の教えはタイの生活に深く息づいている。商売とはいえ、こんなお坊さんキットが、頭をそって厳粛な心持で修行に入る青年達を想像させてくれて、清清しく感じた貧乏社長なのでありました。(この巻き、おわり)

2009年7月6日

朝のベンチャリ公園は、体操パフォ-マンスの巻き

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朝早く起きた休みの日、貧乏社長は上さんと連れ添って外出する。

目的は、運動も兼ねて近くのベンチャリ公園へ散歩に赴くことだ。バンコクへ来てから、どこへ出かけるのも運転手さん付きで車に乗ってしまうせいか、とかく運動不足になりがちだ。出勤したら、工場の構内を毎日歩き回るように心掛けてはいるが、距離もたかが知れている。焼け石に水で、足腰が衰えてしまうのではないかと一抹の不安を覚えていた。

それなら、健康のためにゴルフでもプレーすれば良いと貴兄はお考えであろう。

そんな助言は、貧乏社長も重々承知である。しかしながら、上さんと一緒に休日をゆっくり過ごすことを優先させたい。その一念で、ゴルフは遠慮することにした。こちらで覚えたとして、日本に帰ればその遊びに遠ざかるだろう。なぜなら、はるかに料金も高いし遠出が必要で時間も取られるからだ。覚えた遊びで不自由するのが分かっていて、たしなむ必要も無い。

もちろん、上さんも運動不足を心配して散歩のような外出を薦めてくれる。だから、最近はベンチャリ公園へ、気軽に出かけるようになった。いつもは、朝六時過ぎに起きられたら、短パンにTシャツと行った格好に着替えて、一緒にアパートを出る。公園は、大通りをはさんで向かい側にあるから、歩いてもあっという間に到着してしまった。


公園は比較的大きくて、歩くと一周するのに十分ほど掛かる。運動がてら、上さんと一周目をのろのろ歩いた後は、二週目をゆっくりジョギングして、三週目はリラックスして回るのがパターンだ。この手の運動をする人たちは、公園で本当に多く見かける。歩いたり、走ったり、セパタクローみたいな球技をしていたり、各自が自由に体を動かしている。

おやっ、踊っている人もいるぞ。
いや、失敬、失敬。あれは、どうやら体操のようである。

まさに、踊る体操軍団なのだ。興味もあってビデオで撮影してみた。再生してもらえれば分かるんだが、貧乏社長の印象に残ったグループは二つあった。一つは、公園入り口付近で剣舞を舞う太極拳の一団、もう一つは公園奥のスケボーリンク脇でダンス体操をしている一団なのだ。それなりに、集団の規模も大きくて体操が様になっている。

ただ、微妙に踊りがずれていて、全員がシンクロしていない。細かいところはマイペンライ(気にしない)で、おもいおもいの自主性に任せた感じだ。やはり、ここはタイなのである。、一糸の乱れも無いなんて、ありえないのだ。ばらんばらんも個性の多彩な主張と言うことにしておこう。

そんなことで、朝の運動からしてタイのお国がらを見てしまった貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり。)

2009年7月5日

タイの式典は何が何でも読経で挙行の巻き

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7月4日は、偉大なる我が社の創立記念日であった。

この日のために、何も因果はないのだが、北朝鮮民主主義人民共和国殿より、魯鈍だか愚鈍だか知らんが、祝砲代わりにミサイル七発もぶっ放してくれた。それを見ても、いかに貧乏社長の会社が国際的なのかが分かる。(ウソだよ。)
それと、このタイの巷では、メリケン国が独立した記念日だと言う蜚語が飛び交っておるようだ。下々から聞いたのだが、我が社の記念日には全く縁の無いことなので、この際、為すがままにさせておこう。

あんまり飛ばし過ぎると、顰蹙を買いそうなので通常モードに復帰。

7月4日が会社創立記念日というのは本当の話で、しかも今年は創立二十周年に当たる。例年、この記念日を祝うべく、近くのお寺からお坊さん 一団を招いて、記念式典を執り行って来た。当然、これから一年間息災で会社も繁盛するように祈願も込めて、読経してもらうのである。

もう一度言う、お経なのである。

タイだから、間違っても神道の祝詞にならない。日本だったら、神主さんが御幣を振ってお祓いしていただくのが、ごく普通の流儀ではある。地鎮祭、竣工式、創立式典など、大概のお祝い事は神社にお願いしてきた。

タイは、敬虔な仏教の国である。総ての冠婚葬祭は、仏教を中心にして行われる。つまり、仏式なのである。日本は、もっぱら法事をお寺で済ませながら、お祝い事は神事で済ませると言う、行事を二股で来た感じがする。ところが、タイは総てが御仏の教えに従って日常が回っていることになる。

だから、式典でお経を上げてもらうのは、とても尊いのである。

貧乏社長も、副社長や会社関係者、従業員一同と共に、この読経をありがたく拝聴した。お坊さんの一団も七八名で連れ添って、あしらわれた台座に並んで、朗朗と読み上げていく。ただ、それが長く、始めは三十分ほど続いた。そして、お礼の食事を終えてから、もう一度読経が始まり終了となる。

現地の儀式には、色々な手続きがあるのだが、貧乏社長は良く分からんので、見よう見まねで従っていたに過ぎない。後は、お坊さんもお帰りになって、昼食会のパーティーで食事をみんなで楽しんでから、お開きとなった。


二十周年の記念式典も盛大に終える事ができて、ホッとした貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)

おまけ:
言い忘れましたが、記念式典は7月3日(金)に執り行われました。昼食会の後片付けも、午後3時まで掛かってしまい、それ以降は自由に帰宅させています。翌日から四連休が始まりましたので、一同喜んでくれたはずです。

豚インフルで勝っても直線距離では多分負けたの巻き

いやー、ここタイではインフルエンザの流行の勢いが止まらない。

7月3日現在では、日本でも国内感染者が千五百人を越えたが、こちらはそれを上回って勝どきさながらに千七百人以上の報告が出された。死亡者も6人と徐々に増えつつある。週末になってお休みだからと言って、サイアムとかMBKのような繁華街へショッピングにでかけるのも気後れしそうだ。でかけて不特定多数の人と接触していれば、知らずにウイルス保菌者に遭遇しているかもしれない。感染し易くなる危険行為はできるだけ避けたい。ならば、日本大使館から出された、不要不急の外出は避けると言うお触れに従うのが無難ではあろう。

実際、来週の7日火曜日はアサラハ・ブーチャ(三宝節)と言って祝日だから、土、日、火と飛び石連休になる。そこで、4日土曜日が創立記念日だし会社創立20周年でもあるので、6日を臨時休業日に当てて四連休を従業員に大奮発してみせた。ところが、このインフルエンザである。外出はまかりならんと言われれば、家でじっとするしかない、と言う分けで、貧乏社長は、今日も、シコシコ、記事を書き上げているのである。

それで、豚インフルの広まりではタイが遺憾ながら優勢にあると確定した。
ならば、お題の"直線距離では多分負けた"と言う意味とは、何ぞや?

道路の事なのである。
直前の記事で、タイは道路の国だと断じて見せた。山間地も少なくてだだっ広い平野部が比較的多い国だから、都市と都市を直結するような道路網が縦横に発達できるだろう。しかも、ベトナム戦争の間接的な軍事支援が目的で、アメリカから友好ハイウェーなる高規格の道路まで作ってもらっている。

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そんな国では、まっすぐな道が多いのが当然だ。実際に、東北部(イーサン)の国道二号線を走ってこの目で確かめてみたが、五分や十分間はカーブに出くわすことも無い。ひたすら、四車線の立派な道が直線の定規のように続く。これなら、直線道路を比べてみてもタイが優勢であると想像に難くない。

一方、島国の日本は、平野部より山間地域が圧倒的に多い。しかも、日本アルプスみたいな急峻な山岳地帯もあるから、まっすぐな道路なんか作れないだろう。谷あいを上手に縫いながら、それが駄目ならトンネルを掘って道を設ける。これが日本の道の原風景と言う気がする。高速道路だって、直線路では単調すぎてドライバーの居眠りを誘わないように、交通事故を防ぐ配慮からわざとカーブが付けられている始末だ。

しかしだ、北海道は違う。

日本一の直線距離を誇る国道が存在するのだ。主要道路の多くは、百五十年前に始まった北海道開拓に併せて切り開かれた。未開の原野や原生林を開削し、後追いで途中途中に町並みが発展整備された。だから直線の道路ができやすかったという事実は存在する。そして、その中でも国道12号線の一部が、日本で一番長い直線区間になっているらしい。

何とその距離、29.2キロ


これは、タイでも匹敵する区間がないのではないだろうか?

貧乏社長も目を皿のようにして、タイ国内の道路地図帳から競い合えそうな区間を探し出そうとした。ところが、微妙にところどころでわずかな曲がりのある場合が多く、これぞと思える区間は見つけられなかった。二十キロくらいならありそうだが、それ以上はちょっと厳しいのである。

この国道12号線は、道都の札幌市中心部から道内第二の都市である旭川市までを南北に結ぶ幹線道路だ。その途中、美唄市光珠内(びばいしこうしゅない)のJR函館本線を越える陸橋から、滝川市市街地の空知川を越えた国道 38号線との交差点にいたる区間が、最長に当たっている。

明治の開拓初期、開拓拠点の旭川を結ぶ道路が必要になった。当時、行こうとすれば、唯一、船で石狩川を遡るしかない。そこで、その地の開拓を早く進めたいと考えた北海道庁は、道路のインフラ整備に乗り出す。しかも、そのお達しが物凄くて、「可成(なるべく)直線路に為すを主とし」と書かれていたんだそうだ。はじめから、何が何でも真っ直ぐな道で短期促成を目指そうとしたのが分かる。もちろん、原野に住んでいるのは極僅かな開拓民だけだから、立ち退き問題も起きるはずが無い。

いやー、北海道の父祖が築いた直線国道は、タイのだだっ広くて標高差も少ない緩やかな国土に敷かれた道々をも、フロンティアスピリットで凌いでしまったことになる。

だから、道産子は偉いのである。

そう自画自賛しながら、この投稿を無理やり締めくくろうとした貧乏社長なのでありました。 (この巻き、終わり)

おまけ:
この三宝節は、旧暦8月の満月の日で、悟りを開いた釈迦が初めての弟子5人に説法を行い、仏・法・僧の三宝が成立した日だそうです。タイの国と言い人と言い、かくも仏教の教えに帰依しているか判断できますね。

2009年7月3日

友好ハイウェーで隣国蹂躙の巻き

タイと言えば、道路の国である。

とは言っても、タイにも国有鉄道(国鉄)がちゃんとあって、総延長四千km ほどの路線で営業している。他の交通機関と比べて、長距離を安く移動できる庶民の足として未だに健在なんだが、本数は少ないわ、速度は期待できないわで心許ない。今では、飛行機やバスのような他の交通手段に、大量移動のお株をすっかり奪われてしまった。


一方、長距離高速バスは、国内の主要都市を結んでいて価格も手頃だ。地元の人に移動手段として重宝されている。もちろん、道路が網の目のように国内で発達していなければ、こんなにバス路線も充実するわけがない。

タイの道路網は、本当に全国津々浦々へ発達したのか?

貧乏社長にも興味は尽きない。それで、この間のラオス出張からの帰り道で、地方の道路を走ってみた。友好ハイウェー(国道二号線)で、ノーンカイの町から東北部の中心都市、コーンケーンまで下ってみたのである。スタッフは、鼻歌交じりでぶっ飛ばすわ、ぶっ飛ばす。スピードメーターは、時速百キロを上回って貼り付いたままだ。高速道路なのか一般道路なのか判然としないまま、とにかく、目的地まで着いてしまった。スタッフはハイウェーと言っていたんだが、途中途中で信号や、横断歩道があったから一般道だったのだろう。


分かったんだが、ここタイでは道路網が発達して、地方都市が急速に成長をしたように思える。その背景には、アメリカが軍用目的で道路建設を積極的にタイ政府へ支援したのが一因らしい。確かに、60年代初めから70年代半ばまで、アメリカがベトナム戦争を勝利に導くためには、周辺国から軍需物資の供給網を作っておく必要があったのだろう。タイが米軍の兵姑基地となり、「友好道路」が建設され、道路が急速に整備された。

地図を見ても、その理由がはっきり分かる国道があって、特に24号線はそうだ。カンボディアの国境に寄り添うように走り、しかも途中にあるスリン、ブリラムの地方都市には寄らず、最終目的地の都市ウボンラチャタニへは、南から直角以上に折れ曲がって東北東に30キロ以上を北上して到達する。およそ、都市間を結ぶ交通のための国道には見えない。カンボディアに兵員、武器弾薬を効率よく送り込むために一直線に敷かれたと言うしかない。国道二号線だって、当時、パーテート・ラオ共産主義革命勢力と戦うのが目的で、4車線のハイウェーをアメリカがポンとプレゼントしたのである。

それで、フレンドシップ・ハイウェーとか名づけて友好なんだそうだ。友好にあやかったタイは恵まれたと思うんだが、蹂躙されたインドシナ周辺国、特にベトナムは堪ったものではなかっただろう。

貧乏社長は思う。戦争では、当事者が最終的には潤わないのだ。周辺の物資供給基地となる国が、潤って豊かになるのである。わが国日本を見てみるが良い。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも物資の供給元になって経済発展を遂げたではないか?

これをタイになぞらえて見てもしかりだ。

そして、このおかげで十二分に出来上がった道路は、首都バンコクと地方を結ぶ便利さを高めたのである。流通が進み、地方都市は地域の経済の中心として成長して、大きな市場も形成された。地方都市の発達は、タイの経済発展に一役かっているのだ。

だから、会社は地方へ商売に出かけるのである。お客さんのガソリンスタンドは、このような街道に林立している。宝を掘り出しにこれから行くぞと、決意を新たにした貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)

2009年6月30日

うなぎ上りで日本を抜いたからと言って自慢にならん、の巻き

ここタイで、三人目の死亡者が出たとなると安閑とはしていられなくなった。いわずと知れたインフルエンザが発症して命を落とした現地の人の数である。

感染者もうなぎ上りで、日本をすでに抜き去って、6月29日現在で1330人に達してしまった。10日過ぎで、確か二百人程度だったから加速度的に患者の数が激増した感じだ。

(感染症情報センター、2009年6月30日 12時 更新より)

大使館では、在留邦人に向けて緊急一斉メールを流しているらしい。内容は、現地のインフルエンザの感染状況、流行地域の紹介、感染予防対策の紹介等なんだが、とある人のブログでは、親切にもこまめにその情報を記事として取り上げていてくれて、参考になった。

それで、加速度的に感染が広がっていく状況をグラフにしてみた。これを見ると、たった一週間で倍近くに患者の数が増えているのが分かる。チェック体制が強化されて患者が急増したのかもしれないが、それでも増えすぎだ。感染が爆発的に広がる臨界点としての患者数を超えたような恐ろしさを感じる。

※バンコクポスト紙(6/30付け)

会社では、豚インフルエンザに注意を喚起する意図もあって、掲示板に予防を啓蒙する張り紙を出させてみた。ところが、総務課長は、ブタさんの可愛いイラストなんかを加えたりして、全然、緊迫感が漂ってこない。
まあ、これでも張り出さないよりは増しだろう。工場のある行政県では、すでに百名近くの患者を出している。近隣では、ランシットのような郊外型ショッピングセンターとか幾つか大学もあるから、人の往来は激しい場所だ。従業員も感染しないだろうかと、ちょっと気になってくる。

ところで、三人目で無くなった方は、徴兵で兵役についていた若い男性のようだ。所属していた部隊では、五百人近くが感染している可能性で、監視下に置かれているらしい。この男性は、すでに6月15日の時点で発熱していたにもかかわらず、病院での治療を拒んでいた経緯がある。地元の人は、病院へ行くとお金がかかるから、自分で薬を買って飲んで直してしまうケースも多い。完全に症状が出てから、病院へ担ぎ込まれても手遅れになるだけだ。現に、この男性も肺炎を併発してしまい回復できないまま世を去った。

やっぱり、感染拡大の臨界点を超えてしまったのではないだろうか?

こうなったら自己防衛しかないのだ。大使館から呼びかけていた、”手洗い、うがいを励行する”とか、”不要不急の外出を控えること、人混みを避けること、また、人混みにでる場合にはマスクを着用すること”などをやってみよう。

何だか予防一方の対応策で大丈夫なのかと思いつつも、やらないより増しと決意した貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)