2010年10月31日日曜日

ビールは涼しくなってから飲みましょうの巻き

いやー、今日は涼しかったのです。

朝からひんやりして、これは北海道の夏だと感じました。
しかも、日がな曇りがち気温も上がらず、爽やかそのものでした。
三十度を絶対に超えていないはずです。

どうも、タイに長く住んでいると暑さが体に馴染んでまいりました。

このため、朝で25度近くまで気温が下がりますと、涼しいのです。
今日の朝なんか、短パン・ランニング一枚でくしゃみをしていました。
もっとも、裸同然ですから致し方ないのかもしれません。

ベランダからは、ひんやりした北風も吹き込んで来ます。
日本の初秋を少しだけ感じさせてくれる気分です。
今年、北向きの部屋をわざわざ探して住み替えて正解でした。

ところで、日本なら、朝の最低気温が25度を超えると熱帯夜と言います。
これがタイですと、5度くらい高いような感じがするのですよ。
つまり、30度以上の朝がピュアな熱帯夜なんだろうと、思っています。

そうなると、そんな夜は外にいても蒸し暑いだけです。
いくら暑いのに慣れっこなタイ人だって、過ごしやすくはないでしょう。
つまり、屋外で過ごしやすくなる季節は、これからなのです。

と言うわけで、乾季に入ってビアガーデンが開かれるのも、理由があるからなのでした。
日本だったら、これが夏の風物詩になりましょう。
でも、こちらバンコクでは十一月からが本番を迎えるのです。
晩酌で、ビールを飲みながらふと考えた道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
夕方の地元TVニュースを見ていたのですが、明日の天気予報で驚きました。
バンコクは、最低気温が19度、最高気温が28度だそうです。
これが、本当なら20度を切る日と言うのは、十一月では珍しいでしょう。
昨年は、11月23日で20度でしたから、三週間以上も早い。
何れにせよ、過ごしやすくなってくれるのはありがたいことです。

2010年10月30日土曜日

今でも無料の赤バスに乗る駐在で悪かったなの巻き

今日、赤バスに乗りました。
番号は60番で、ラームカーヘンのモール辺りから乗ったのです。
行きたかったのは、ラムイントラ通りのショッピングモールでした。

ファッションアイランドと言いまして、先週、見かけていました。
あの時は、ミンブリのチャトチャック2市場からの帰り道です。
バスで道すがら見たのですが、あまりの巨大さにびっくりしました。

 ※左クリックで拡大してご覧になれます。

それで、是非行きたいと思いまして出かけました。
でも、直行するバスがなかなかやって来ません。
仕方ないので、乗り継ぎの道草になってしまいました。

さて、この赤バスと言えば、オンボロバスの代表です。
木製の床が懐かしいのですが、扇風機をほとんど見かけません。
ただただ、7バーツ(≒20円)の極安感がとりえなのです。

それに、無料で乗車できるサービスも続けられています。
これが始まったのは、08年の8月1日でした。
実は、その前月、原油価格が140ドルを超えてしまいました。


石油価格の高騰ともなれば、物価全般が上昇します。
そうなれば、庶民の生活は苦しくなるでしょう。
政府も見過ごすことができなくなりました。

こうして、景気刺激策の一つとして採用された分けです。

当時は、タダより安いものは無いとばかり、赤バスは超満員でした。
逆に、民営の白バスはガラガラになってしまった。
これがきっかけで、赤バス車掌が嫌がらせの暴行を受ける事件さえ起きています。

ところがですね。
最近は、皆さん有料バスを当たり前に使うようになりました。
タイの景気がすごく良いもんですから、懐具合に余裕があるようです。

と言うわけで、今日はかなり空いていまして、ついつい乗ってしまいました。
だって、今日は久々に暑くなく爽やかな日だったのです。
バスの窓から流れ込む涼風を受けながら、赤バスも乾季には捨てたもんじゃないと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
帰りは、71番でしたが、これも無料でした。
スクンビットの通りにある電光掲示板では、夜八時で26度です。
涼しい一日だったと思います。
無料バスについては、フーフー岡村さんのブログを参照にしてください。

2010年10月29日金曜日

岡崎、あんたでキャバレー現代を思い出したよの巻き


飲み疲れであくびでもしてるのでしょうか。
正に、場末のキャバレーでババー相手に楽しむジジイ一人と言った光景です。
緊張感も無く、怠惰に日々を繰返す俗人の風情に違いありません。

これが市井の人々であれば、時には許されもしましょう。
しかしながら、国政を担う政治家の執務が、このようでは国辱そのものです。
政権与党は、本当にレベルが低い。

権力を掠め取った悪党集団と称して過言ではありません。
そして、わが世の春を謳歌し、酔いしれた挙句、あくびを押さえる。
田分けにもほどがありましょう。

しかし、岡崎某は老いたホステスそのものです。
本物に見えてしまうのが、愚かしく悲哀を感じます。
二人とも、赤い思想の情交を交わした仲に違いないのだ。

それで、ふと小樽のキャバレーを思い出しました。
その名は、「キャバレー現代」といいます。
既にお店を閉じてから、十年近くが経ってしまいました。


でも、道産子社長が学生の頃は、まだまだ現役でした。
確か、ホステスさんの平均年齢が六十歳くらいだったと思います。
かなり異色のキャバレーには違いありませんでした。

たぶん、昔は若い娘で一杯だったのでしょう。
それが、年月の経つうちにお客さんも年を取ってくる。
そして、ホステスさんも一緒に年を重ねて、そのまま続いたようです。

きっと、小樽の町は揺りかごのように居心地が良かったのでしょう。
水商売であれば、浮き沈みは激しいはずです。
そうでなければ、半世紀もお店は続きますまい。

と言うわけで、社会主義の妄信者たちは政権に胡坐をかきつつ、退廃かつ退行的な惰性の国会にうつつを抜かしているのでした。
こんなことなら、キャバレー現代の赤いネオンに誘われた方が良かったのです。
国民は愚昧な輩を選んだと悟る道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
このネタのインスピレーションは、ネットの産経ニュースがベースになりました。

2010年10月28日木曜日

一面トップのタコは洪水の被害以上なのかの巻き


パウエル君が、二歳九ヶ月と言う天寿を全うしました。
普通、タコの寿命は三年なんだそうです。
それから言えば、相応の年月だったということでしょうか。

それにしても、バンコクポストの一面を飾るとは凄い。
占いの才覚で、世界を股に掛けて一躍有名になりました。
ワールドカップサッカーの勝利チームを占ってすべて適中です。

たかがタコ一匹、されどタコ一匹なのですよ。
ドイツ代表の全七試合と決勝戦の計八試合を当ててしまった。
ただ、確率としては256分の1なので天文学的でもないでしょう。

でも、軟体動物のタコちゃんが達成してしまったのです。
人間のタコ八郎だって、できそうにない偉業です。
そこでちょっと興味を持ちまして、ウイキペィディアで調べて見ました。

☆無脊椎動物の中で最も高い知能を持っている。
☆色を見分け、形を認識する。
☆問題を学習し解決することができる。
☆環境に対応した保護色や体形を記憶する。
☆生存のために道具を利用する種類がいる。

いやはや、タコ君は知的生命体なんじゃないでしょうか。
となれば、自分自身の考えがあって占ったのかもしれません。
たとえ、水族館の飼育員が、二つ並んだえさ箱を選ばせたとしてもです。


でも、軟体動物の分際で一面を飾るほどの価値があるのでしょうか。
タイはワールドカップに出場もしておりません。
せいぜい、闇賭博で国民が熱狂的になった程度でしょう。

一方、タイ全土は、洪水の被害で非常事態の真っ最中です。
どちらが、紙面を飾る記事として重要なのでしょうか。
タイ人の報道姿勢がおふざけのようにも感じるのでした。

と言う分けで、バンコクポストは、創刊以来六十有余年の歴史を持つ英字紙なのでした。
自分の国ではありませんから、どんな報道をしてくれようが構いません。
ですが、次元の低さを依然と感じる道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月27日水曜日

1万5千通もありゃ、ふん詰まりでしょうの巻き

いやはや、メールボックスが満杯になっていました。
昨日までは、サクサク開けられたし、動きに異常はなかったのです。
でも、本日に、会社に来て異変を感じました。

先ず、メールアプリのアイコンをクリックしました。
立ち上がることは上がるんですが、肝心のメール一覧が表示されてきません。
隅っこで、作業中を示す、くるくる回るアイコンが動きっぱなしです。

十分くらい経ったころでしょうか。
ようやくボックスが全開になりました。
でも、怪しい表示が出てきました。

何々、どうやら容量一杯までメールが溜まってしまったらしい。
英語アプリなので、そのような表現だと読み取りました。
会社では、サンダーバードと言うメールソフトを使っています。

※会社では英語バージョンを使用中。

他の会社でしたら、アウトルックが普通ではないでしょうか。
でも、当社は違うんですね。
日本の親会社からして違います。
昔は、グループワイズと言うノーベルの開発したメーラーを使っていました。

※参考画面で、英語バージョンです。

ノーベルなんて皆さん知らないでしょう。
この会社は、ネットワークを構築するシステムで名を馳せていました。
ウインドウズでなくて、DOSアプリでもLANが構築できた時代の話です。

でも、今はウインドウズ全盛の時代です。
排外的なシステム環境ですから、相乗りも難しくなりました。
結局、ノーベル自体がアプリの維持保守を放棄しています。

ですので、親会社も、今ではグーグルの提供する企業向けメールシステムを使っています。

一方、タイに赴任して気がついたことがありました。
それは、このサンダーバードについてです。
グループワイズとそっくりなレイアウトだったのです。

英語のメーラーでしたが、違和感なく使い始められました。
これって、元のオリジナルソフトが一緒だったのかもしれません。

と言うわけで、二年半前から溜めに溜めたメールは、なんと一万五千通に達していたのでした。
これでは、ボックスが満杯になって当たり前でしょう。
今週は、それほど忙しくも無いから、不要なメールはこつこつ削除してしまうしかないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年10月26日火曜日

今日は、風邪気味なのでおやすみなさいの巻き

と言うわけで、先に休ませていただきます。
そう言えば、北海道では初雪だったと風の便りに聞きました。
もう、日本は冬なんだ。 鍋が上手いだろうなー。
ちょっと里心が付いてしまいました。
一方、四季の無いこちらは、まっこと詰まらんと思う道産子社長なのでした。


(この巻き、終り)

2010年10月25日月曜日

旗ごときで迷う為政者は、傾城の典型の巻き

ミャンマーの軍事政権が国旗を改めました。


国内最大の都市ヤンゴンでは、一斉に華々しくへんぽんと翻ったようです。
きっと、旗屋さんも政府の肝いりで、秘密裏に制作していたのでしょう。
国営メディアを通じて、法律が発表されたのと同時ですから、上手いもんです。

先週の21日、木曜日のことだったと言います。
残念ながら、全然知りませんでした。
それでも、いつも拝見しているブログの投稿から教えてもらいました。

実を言うと、デザインそのものは、08年の新憲法で制定されていたらしい。
それが、どうして急に実施に移されたのか不思議です。
二年以上も放置しながら、奇をてらったように行動をする。

ミャンマーって面白い国ですよね。
以前、ネピードーへ遷都とした時は、占い師の御告げによるともっぱらの噂でした。
今回は、どうなんでしょうか。
やっぱり、新国旗も占い師のご託宣に従ったのかもしれません。

それとも、11月の総選挙を前にして国政を一新する気構えだったのでしょうか。
こちらの方が無難な想定とも言えます。
何れにせよ、門戸を開放しない国ですから、色々と憶測のできる国だと言うことです。

しかし、新国旗がなんだか、灼熱のアフリカっぽい感じがしました。
普通、赤・黄・緑の三色の組み合わせと言えば、アフリカを象徴するカラーなのです。
ラスタカラーと言う思想的な背景もあって、国旗によく使われています。(巻末のおまけを参照下さい。)

そして、この国旗の色と言えば、日本人はカメルーンを思い出します。
あの日韓ワールドカップで、大分県中津江村をキャンプ地としたものの、遅参した国で有名になりました。
あのころ、マスコミが盛んに取上げましたので、覚えておられる人も多いでしょう。

でも、ミャンマーはアジアの国ですよ。
アフリカの思想に共鳴する道理は無用なのです。
しかも、この三色は過去に使われていたと言うから驚きです。
太平洋戦争中、旧日本軍が樹立させた傀儡政権の旗にそっくりなのだそうです。

つまり、国旗自体は真似っ子なのです。
オリジナリティーがありません。
占い師に見立ててもらったのだから、ここは万全を期すべです。

要するに、世界に一つとない国旗を作り上げる必要があったのですよ。

ですので、国旗に使われていない色合いで作ればよいのです。
色々調べたのですが、紫・ピンク・オレンジ・茶は、使われていないようです。
この色で、国旗を作るべきなのです。

そうすれば、世界も唖然とするでしょう。
話題づくりにもなって、ミャンマーの認知度は世界で高まるはずです。

★ミャンマー国旗試案

と言うわけで、ミャンマーの新国旗は、個人的にどうしても馴染めませんでした。
そして、私のこさえた試案で、トライすることをお薦めしたい道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:左クリックで呼び出し、もう一度左クリックで拡大してご覧下さい。

2010年10月24日日曜日

チャトチャックは2もあったけど、場末なのだったの巻き


チャトチャック市場ですが、その2もありました。
ミンブリー区にありますが、本家とは雰囲気が違ったのです。
ただ、ウイークエンドマーケットには違いないのでしょう。

普通だったら、モチットにある市場へ出かけます。
BTSや地下鉄を使えば、交通も至便です。
ほとんどの人は、そうするでしょう。

でも、すでに出かけすぎました。
ここは一つ、のれん分けをした方に注目です。
ただ、マニアック過ぎてブログの紹介も少ない。

それで、面白くなってきまして出かけました。
ただ、直通のバスがなかなか来ません。
しびれを切らしまして、適当に行けるところまで行って見ました。

まず、トンロー通りからソンティーの乗合いバスに乗ります。
センセ-ブ運河へ出たら、水上バスでバンカピのモールで降ります。
ここからは、27番のバスに乗り換えて行きました。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

本当ならエアコン501番のバスに乗るだけなのです。
これだけ遠回りしてみたのですが、なかなか楽しかった。
乗り継ぎの小さな旅と言って良いでしょう。

そうこうしている内に、何とかたどり着けました。
バンコクの街中から来る買い物客や観光客は見当たりません。
極めてローカルなマーケットです。

実を言うと、近くのミンブリ中央市場のほうが活気があって面白かった。
こちらの方が、本家チャトチャックの雰囲気を彷彿とさせます。
バス公団のターミナルに隣接していて、車の往来も多くて活気がありました。

と言うわけで、このマーケット以外で、途中に”Fashion Island"と言う巨大ショッピングモールも発見してしまいました。
ものすごい規模なのですが、それだけタイの人たちが消費好きって言うことでしょうか。
庶民が買物を楽しむパワーを見るにつけ、デフレの日本をちょっと寂しく思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月23日土曜日

出安居なので、おいらも外出しますたの巻き

今日、10月23日の土曜日は、オークパンサーでした。
日本語では、出安居(であんご)と呼ぶそうです。
地元のお坊さんが修業のお籠もりに入ったのは、三ヶ月前のことです。
そして満月の日に入って、満月の日に出られたのでした。

めでたし、めでたし。

と言うわけで、話が終わってしまっては、なーんにもなりません。
ただ、仏教の信心から遠ざかってしまった自分には、縁遠い話なのです。
自分には、いつもの週末がやって来たと言うのが本音でした。

でも、違いがあるとしたら、三連休の初日なのでした。
月曜日がお上の肝いりで、振り替え休日にしてくれております。
うれしい、たのしい、連休スタートなのですよ。

ところで、近所の表通りスクンビットは、交通量が少なめでした。

どこかのブログで読んだのですが、地元の人はかなり帰省するそうです。
故郷が数百キロ離れていようとも、ウサギ追いしかの山なのでありましょう。
それに、北部や東北部は洪水の被害が連日ニュースで報道されています。
きっと、みんな帰ってしまったのでしょう。

そうです、安否を気遣う気持もあって、みな郷里を目指したのですよ。

一方、こちらは何もしないで午前中を過ごしてしまいました。
朝ごはんを食べたら、眠くなって寝てしまう。
食っちゃ寝じゃ、会津の小原庄助さんではないか。

これでは、いかん。
修業を終えたお坊様にも、失礼に当たるであろう。
こちらも出安居なのじゃ、いざ出撃するといたそう。

と思い立ちまして、外出しました。
場所は、”シーコンスクエア”なるショッピングモールであります。
バンコクは東にあるシーナカリン通りに位置しています。

 
 ※ドナルドもワイの格好で出迎えなのだ!

いやはや、行って見たら巨大でした。
ロビンソンデパートにテスコロータスのスーパーも入っております。
ただ、バンカピのモールよりちょっと小ぶりでした。

と言うわけで、道産子社長は、副長の上さんと共にスクンビットからバスに乗って出撃いたしました。
でも、間違ったバスに乗ってしまったのです。
車掌さんからは乗り換える方法を教えてもらったり、帰りは帰りで6バーツのソンテーに乗ってみるなど、冒険心一杯の小旅行を楽しんだのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:出かけ方(左クリックで拡大してご覧下さい。)

2010年10月22日金曜日

新手の”ナイジェリアの手紙”を受け取ったの巻き

ナイジェリアと言えばサッカーの強い国でしょう。
そして、石油産出国としても有名です。
ただ、それ以外に、印象を残す国でもありません。

西アフリカは遠いのです。
地球の反対側にある国なので、思い浮かばないのが普通です。
でも、海外業務の経験者にとっては、非常に意味深長な国です。

そして、胡散臭さでは超一流と言って良いかもしれない。

特に、巷の”ナイジェリアの手紙”が証明してくれています。
詳しくはウイキペディアを訪ねると良いでしょう。
アフリカを舞台とした国際的な詐欺犯罪を、詳しく紹介しています。

それで、今日、宛先不明の水色の郵便封筒を受け取りました。
宛名書きの無い手紙なんて、初めから怪しさ一杯です。
とにかく、開封することにしてみました。


 ※左クリックで、拡大してごらん下さい。

中には、タイプされた便箋が一枚だけ入っていました。
レターヘッドが無いから、私信なのかもしれない。
何だろうと思って、気軽に読み出します。

でも、最初の三行で素性が分かってしまいました。
今度はイラクですが、話の筋がまるで”ナイジェリア御一行”とそっくりです。
また来たのかって、思わず苦笑してしまいました。

ただ、舞台がタイのバンコクに移されていて、それが新鮮です。
資金はあるが、ビジネスを起こすのにノウハウで助けていただきたい。
そのためには、タイでお会いしたいと言うことです。

それで、メールアドレスがふるっていました。
MSNの無料で作られるやつですよ。
そんなもん、どこの馬の骨だか、氏素性が分かりません。

こんな手紙、初めから信用するお人好しなんかいないでしょう。
ただ、携帯電話の番号までおまけしています。
面白半分で掛けたら、運の尽きかもしれない。

と言うわけで、こういうのは完全に無視するのが上等と言うものです。
面白い投稿ネタを授けてくれた方には、感謝感激雨あられの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年10月21日木曜日

長く住めば活動範囲は広がりますの巻き


バンコクの地図を買いなおしました。
タイトルは、”BANGKOK City Atlas”と言います。
シンクネットと言う出版社が発行していて、現在は第五版でした。

今までは、第三版を愛用してきました。
カバンにしまっておいて、いつも持ち歩いていました
必要な時、さっと出しては居場所を確認する分けです。

もっとも、仕事だけで使っていたのでもありません。
土日の休日にも、よく使いました。
バスでちんたら遠出をするとき、よく携行したのです。
バス路線の走り方を確かめるのに、本当に重宝しました。

この地図の一番のメリットは、場所の特定が容易なことです。
目印になりやすい施設が、かなり網羅されています。
特に、銀行、給油所、コンビニまで、こと細かいのが役立ちます。


それで、ちゃんと会社のロゴで目印を指し示してくれるのが楽しい。
給油所なら、PTTの水牛、シェルの貝印と言ったようにです。
他にも、コンビニのセブンイレブンは7の数字ですから分かりやすい。

ですから、車やバスなど速度のある移動中でも、大丈夫です。
一つを見落としても、次のポイントで確認ができてしまう。
これって、結構役に立ちますので便利な分けです。

他に今回は、バス路線図も買って見ました。

バンコクのバスマップと言えば、DACOが有名です。
日本語版ですから、正に日本人御用達と言って良い。
ただ、郊外の路線情報が少ないので、市内近郊に限定されます。

ひょっとしたら、このシンクネットのバスマップは広域版かもしれない。
そんな期待もありまして、試しに買って見ました。
結果かどうだったかと言うと、正解でした。

バンコク周辺の各県まで路線図が拡大されています。

特に、勤務先のパトンタニ県まで情報に拡がりがありました。
実は、工場のある通りを543番のエアコンバスが通ります。
これまでは、起点と終点がはっきり分かりませんでした。
このバスマップですと、バンコク市内の終点が特定できました。

と言うわけで、三年近くもバンコクに住んでいますと、自然と郊外まで足を伸ばすようになりました。
土日はほとんど運転手さんを使わずにバスに乗って出かける主義です。
どうしても詳しい情報が欲しくなっていましたので、値千金の地図をゲットしたと満足げな道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月20日水曜日

やっぱりゾウさんはかわいいの巻き


双子のゾウさんが生まれました。
とても珍しいそうで、タイ国内では15年ぶりだと言います。
前の時は、雌の双子が誕生していました。
今回は、雄ですから世界で初めてになります。


いやー、ゾウさんってかわいいですね。
特に生まれたてのゾウさんは、まさに赤ん坊です。
小さくてとてもキュートです。
まさに、タイはゾウさんの国ですよ。
こちらで、身近に直接に触れて、そう思いました。
でも、今は四千頭を割ってしまったらしい。

近年、タイは経済発展が著しいのです。
地方の開発も急激に進んで、豊かな自然が狭められつつあります。
大型野生動物の暮らせる環境も減ってしまいました。

かれこれ二年前の話でしょうか。
16歳のゾウ使いとゾウさんが、交通事故で亡くなりました。
バンコクへ上京したばかりの不幸だったそうです。
酒酔い運転の車にはねられるなんて、かわいそうな話しです。

はるかイーサンの東北地方から、てくてく歩いて来ました。
ようやく首都にたどり着いて、見世物の商売を始めようとした矢先です。
運命は非情としか言いようがありません。

本当は、ゾウさんがバンコクに入ることは許されていないのです。
でも、厳しい取り締まりは控えられてきました。
みんなゾウさんが好きだから、見て見ぬふりをしていたのですよ。

と言うわけで、最近は何が何でも機械頼みの世の中です。
結局、ゾウさんが野山で活躍する力仕事も、めっきり減ってしまいました。
だからこそ、数百キロも歩いて出稼ぎに来てしまうのです。
以前、自分の働く会社があるパトンタニにでも、ゾウさんが歩いているのを見かけました。
こんなところで商売になるのだろうか、ちょっと心配に思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月19日火曜日

仙谷、おまえは正真正銘の売国奴だなの巻き(改)

論より証拠です。
ネットで拾ったニュースを読んで唖然としました。
報道されてしまえば、反論なんか無意味ですよ。

※左クリックで拡大してお読み下さい。

「暴露された会話の記憶がない」とほざいた、柳腰の仙谷姐さんも鉄面皮ですなー。
でも、間違いなく狆頃への「属国化は今に始まったことじゃない」と言ったのは事実でしょう。
そう思える傍証があるのですよ。

それは、丸山和也さんのツィッターです。
電話のやり取りの翌日に投下されています。

※左クリックで拡大してお読み下さい。

属国と言うキーワードを、あやつは吐いたんでしょうなー。
あの仕分け作業で「政治の文化大革命」と「自画自賛」した御仁ならではのことです。

私は、今、海外で働いています。
日本と言う国家、国民と言うバックボーンを背負って、働いているのです。
その存在証明、アイデンティーを平気で揺らがせるような政権は、私は断じて許しません。

私は、キジルシの老いた紅衛兵と一緒にされたくはないのです。
道産子社長は、そう思うのでした。
(この巻き、終わり)

補足:
仙谷官房長官の発言には、二つの考え方があります。
「属国化が今に始まったことじゃ無い」と答えた背景には、

・ 一つは、米軍基地が国内にあり、既にアメリカの属国状態だと言う見解
・ もう一つは、中国よって属国化の浸透工作が進行していると言う見解

と言う風に、推論が成り立ちます。
前者の考えであれば、反米思想であることを立証されますので、外交上の対米政策ではマイナスです。
また、後者の考えは、丸山議員との会話の流れとしては、素直に理解しやすいですし、文化大革命の信奉者であると言う背景が、信憑性を後押しします。

本当は、二つの意味があるのでしょう。
東大在学中に司法試験に受かる俊英ですから、頭の回転が良いはずです。
売り言葉に買い言葉で、ぱっと、二つのアイデアが湧いて答えた感じもしました。

ただですね、いずれにしても、批判は招きます。
記憶に無いとシラを切るしか無いのです。
それだけ、退路を絶たれた、代償の大きな失言であったといえます。

2010年10月18日月曜日

リアルタイムな更新なら、そりゃ水浸しの巻き

こちらは、先週末から雨続きでした。

※バンコクポストより

そのせいですか、洪水に見舞われる地域が増えてきました。
特に、スラナリ工業団地のあるナコンラチャシマは、ひどいようです。
朝のニュースでも紹介されていましたが、水浸しでした。

そこには、大切な協力会社さんがあるのです。
樹脂製形のパーツを納めてもらっています。
実は、これが無いと製品が完全に組み立てられません。

もし、浸水して工場が止まっていたりしたら大変です。
心配になりましたので、朝一番で電話を掛けて見ます。
折り返し、社長さんのいつもの明るい声が返って来ました。

どうも、工場は問題ないようですが、人のやりくりが大変そうです。
ちょっと納期遅れがあるかもしれません。
でも、何とかカバーできそうな範囲なのでホッとしました。

正直言いますと、具体的な話しはしませんでした。
社長ですから、お見舞いがてらのおしゃべりに過ぎません。
後は、購買の担当者同士で、話し合ってもらいましょう。

でも、交通網が寸断されているらしい。
バンコクへ出る国道2号線がノロノロ運転だそうです。
それに、ゲートウエー工業団地へ向かう304号線もほとんど動いていないと聞きました。

※アユタヤのエレファントキャンプでは、ゾウも避難しました。

と言うわけで、今年は、日照り続きだったんですが、雨季の最後で季節の本領発揮と言ったところでしょうか。
グーグルマップで探してみたのですが、アユタヤ県は水浸しの青一面でした。
これが本当なら、チャオプラヤー川の下流に当たるバンコクは、今週末が山場かもしれない。
そんなふうに思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月17日日曜日

百年市場、バスで行ったらどうなったの巻き


 一言、いやはや、バスに乗り疲れました。
距離は、さほど無いと思っていたのです。
ところが、渋滞もさることながら、バスがオンボロでした。

エアコン無しのレギュラーバスは、ガタガタです。
サスペンションがヘタっているのでしょう。
道路の凸凹を直接座席に伝えてくれます。

それに、ドライバーのシフトチェンジが凄まじい。
無理やりガギッとギアが唸って入ります。
すると、ノッキング気味に加速し始めるのです。

エンジン音もけたたましい。
ゴォーッと床から唸りが上がります。
震動が体を揺さぶり続けながら、爆走してくれます。

しかも、使い古しの座席が、お尻にくい込みます。
レザー張りシートに、ぺしゃんこのクッションがつらい。
時々、座りなおしては我慢し続けました。

実は、バンプリーの百年市場へ行ってみたのです。
場所は、サムットプラカーン県にあります。
スワンプーム国際空港からも、南へ下って十キロ程の近さです。

それで、プラカノーンから乗った133番のバスではたどり着けませんでした。
車掌さんが気を使ってくれました。
親切にソンティーの乗り換えを教えてくれます。

それで、ちんたら乗り継ぎながら行って見ました。


面白いことに、川向かいはショッピングセンターのBig-Cなのです。
お客さんを取られてしまったのかもしれません。
時代に取り残された市場の面影は、隠せませんでした。

でも、昔懐かしい雰囲気が心地よいのです。
百年市場と呼ばれる歴史の重みを感じてしまいます。
きっと、日本だったら有形文化財になっているでしょう。


つまり、タイの生活様式が、がらりと様変わりしたってことです。
だから、昔の暮らしぶりが残る町並みに郷愁を覚えるのかもしれません。
そう、地元の人も昔にはもどれないのだ。

と言うわけで、タイは経済発展も著しいですし、生活も豊かになって余裕ができました。
庶民の生活を過去に遡って、町並みを保存したい思う気持ちが広がっているのです。
それが、時として観光誘致だったりもしますが、地元の生活が潤うのであれば、それはそれで結構なことと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
市場までの行き方ですが、経路地図を紹介しておきます。
それ以外に出かける方法があったら教えてください。
経路は、邦人の住むスクンビット地域からになっています。
(地図は、左クリックで拡大できます。)

①バス133番・552番の停留所(バンナー・トラット通り)

②停留所近辺の拡大図(ソンテー乗り場)

③Big-Cからバンプリー市場までの歩き方

2010年10月16日土曜日

ドンくさいですが、将来性はありますの巻き


この水牛さん、泥んこの水溜りみたいな池にはまり込んでしまったようです。
三日間、脱出できずにいたらしい。
見かねた近所の住民が力ずくで引きずりあげました。

この様子は、朝のTVニュースでも放送されました。
餌をあげても食べずにぐったりしていたのですよ。
きっと、牛さんも絶食状態で食べる気力もなかったのでしょう。


現在、タイには水牛が130万頭ほどいるそうです。
でも、三十年前にくらべれば、六百万頭も激減してしまいました。
かつては、水牛が世界で最も多い国だったのですよ。
あまりの減り方に驚いてしまいます。

こちらでは、もともとは農耕用の家畜でした。
北部や東北部で、主に稲作のために活躍して来ました。
お百姓さんにとっては、それはもう大切な生き物だったのです。

でも、今はトラクターがその代わりを務めてしまう。
餌の草をあげる必要も入らないし、休ませる必要も無い。
機械の方が安直で手っ取り早いのですよ。

何でも効率万能の世の中です。

あんなのんびりとした耕し方では、時代遅れでしょう。
ですから、水牛さんは敬遠されてしまいました。
そんな肩身の狭い水牛さんですが、愛嬌がありますね。

地元の人たちにとっても、未だに身近な動物には違いないのです。

と言うわけで、こんな水牛さんですが、耕作の貸出し料金は、二年前の記事で1ライ(1600平米)120バーツの激安でした。(日本円で330円)
仮に耕耘機を使いますと、燃料費は当時で250バーツに達したそうですから、かなりお得なはずです。

近い将来、石油価格はきっと再高騰するでしょう。
そうしたら、水牛さんはきっと安上がりでエコな働き手になるのだろうな、と思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年10月15日金曜日

退社時刻まで、あと二十分の巻き

今日は週末の金曜日です。

当社は、週休二日制ですので土日はお休みです。
でも、受注残を意外に抱えております。
このため、工場の生産ラインは明日も出勤にしました。

ですから、お休みの取れる社員は事務職なんですね。

他にも、メンテナンス部門の社員も土曜日は出勤にしてあります。
何せ、連絡を受けたら六時間以内に初動措置を取るのです。
これができないと、ギャーギャー文句を言われます。
しかも、その達成率が90%以上とハードルが高すぎです。

何と言う業突く張りの大手チェーンの顧客なのでしょうか。

でも、お客様は神さまのなですよ。
タイ人であったとしても、それに変わりはありません。
商売ですから、あっさりと従ってしまうのでありました。

さて、退社時間まであと二十分を切りました。

事務所の中は、ほとんどやる気が見られません。
今年は、業績が良いので、みんなイケイケの鼻歌気分です。
なんと、今月中に昨年度を上回ってしまうかもしれない。

これは、スンバらしい成果です。
今週、経理部から報告された経営概況をみて卒倒しました。
日本の親会社が沈没寸前だから、ねたまれそうだなー。

配当をもっと寄越せ。
ロイヤリティーを引き上げてやる。
色々と無理難題を言ってくるかもしれない。

と言うわけで、現地法人と言うのは儲かりすぎても良くないのです。
色々と虫眼鏡で日本から見られてしまう。
ここは、でしゃばらずに姑息にしこしこ励むべきでありましょう。
でも、儲かってしまったのだから仕方ありません。
いけるところまで飛ばしてやるぜと意気込む、道産子社長なのでありました。
(この巻き、終わり)

2010年10月14日木曜日

日本語って難しいよねーの巻き


”KOKO”って、ご存知ですか。
バンコク在住の邦人なら、読んだことがあるでしょう。
無料で配られているミニコミ誌なのです。

フジスーパーなんかで配布されています。
ですから、駐在マダムが持ち帰るケースが多いはずです。
帰宅して、居間で手に取るご主人も多いのではないでしょうか。

この冊子ですが、日本人向けとしては二番手っぽい感じです。
大手は、DACO、Wise、自由タイランドとかが挙げられます。
発行部数も多いし、編集内容も豊富で力が入っています。

それに比べて、このKOKO何ですが、やや見劣りします。
タブロイド版の12ページ構成ですが、記事が少なめです。
特集の紙面が三ページもあれば、それ以外は広告になってしまう。

紙面のレイアウトや文章の段落構成、お世辞を言うのも難しい。
しかも、翻訳機で直訳したような日本語が、ぎくしゃくそのものです。
これは、言葉の反面教師なのかもしれない。

※かなりヤバイ日本語です。

自分だってビジネスでは英語を使いますが、正しいかどうかは分かりません。
母国語を話す人が聞いたり読んだりしたら、噴出すかもしれない。
そんな戒めを、改めて教えてくれる感じもしました。

でも、特集記事は、正気言って興味を引きます。
おかしな日本語だろうが、拾ってくるネタが値千金です。
知る人ぞ知る地元の情報が紹介されている気もします。

「スントーンプー(詩人日) Vol.276」
※学校で必ず習うほどの、タイの国民詩人を特集。
 
「リゲー Vol. 285」
※地元ではお祭りの定番と言われる大衆演劇を紹介
 
「華僑報徳善堂の活動 Vol.287」
※救急医療システムの活動を説明

この他、中秋節の月餅もこと細かく紹介してくれました。
最新号では、タイの楽しいことわざを紹介しています。
ハズレの号もあるにはありますが、他には無い独自さがピカイチです。

でもですね。
ちょっと、オーナーさんが紙面で一言、言ってしまいました

最近、KOKOの紙面で日本語が少し変だと言う言葉を頂きます。ウエブサイトを見ていると「タイのフリーペーパーについて語れ」があり、この件に関して散々けなされていたことは本当に遺憾と言えます。
弊社の発行しているKOKO誌は、現在タイ人スタッフを中心として編集されています。日本語フリーペーパーが、日本人の編集でなければいけないと言う規則も法律もありません。タイに居てタイ人と一緒に仕事をするのですから、日本に居るのと同じ文章でなければならにと言う贅沢は通じません。
(冒頭部のみ、抜粋)

こんなこと、語らなくてもいいと思うんですよ。
何となく変な日本語とか、みんな分かっていました
それを補って、ネタで勝負していただければ、読者はハッピーなのです。

ネットの住人は匿名ですから、発言が過激になるだけです。
それに振り回されないほうがいいかもしれません。
ただ、広告のページだけは、広告主に配慮してください。
営業収入に影響しないとも限らないでしょうから。

と言うわけで、上さんも最新号を見かけると、しっかり持ち帰ってくれています。
このキッチュなレイアウトが、DTP創世記の時代を髣髴させたりくれたりして、懐かしい。
今後とも面白ネタで勝負してほしいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年10月13日水曜日

電気掃除機を買い換えて見ましたの巻き

タイで家電製品を買うと激安ですね。
ただ、品質が伴っているかどうかは不明です。
どちらかと言えば、安かろう悪かろうの感覚でしょう。

昔は、日本でも「当たり品」って言葉を使いました。
ちゃんとしたメーカー製でも品質にバラつきがあったのです。
保障期間内で故障するのもあれば、十年使っても壊れない。

そんな千載一遇の雰囲気で用いた言葉なのかもしれません。

それで、タイで売られている掃除機ですが、これがまやかしです。
三年前の赴任当時、上さんのために先ず一台を買いました。
1200Wと比較的小型で、メーカーは国産のImarflexと言う会社でした。
日本円で換算して、四千円しなかったと思います。

ですから、品質・耐久性はほとんど当てにしませんでした。

先ず、一年も経たずに排気口から火花が飛び散りだしました。
それに、使用中、モーターの焼けるような匂いもして来ます。
上さんが、だましだまし使いましたが、怖くなって止めてしまいました。

ただ、一年たってスイッチを入れたところ、未だ生きていました。
上さんも時々使いましたが、ついこの間、完全に昇天したのです。
使用期間は、正味、一年ちょっとと言ったところでしょうか。

加えて、集塵用の紙パックが、どこにも売っていませんでした。
スーパーのテスコロータスでも、カルフールでも探しました。
でも、見つかりません。
代わりに、有名なElectrolux社用の紙パックだけが置いてあるのです。

仕方がありません。
こうなれば、自己流で凌ぐことに致しましょう。
付属品の紙パックの底をカッターナイフで切っておきます。
テープで封をしますが、ゴミが満杯になったら、剥がしてゴミを捨てます。
こうして、紙パック二個で順繰り使い回すようにしていました。

しかし、紙パックの在庫も無い電気掃除機なんて無価値です。
ですから、”まやかし”だと初めに断っておいた分けです。
何れにせよ、モーターに耐久性は無いわ、紙パックの消耗品も売らないわで、呆れました。

とうとう、上さんは掃除機をあきらめて、ほうきで床を掃く始末です。
でも、最近は面倒くさくなってきたのでしょう。
掃除機を、改めて買いたいと相談を受けました。
それに、駐在期間も延びそうな話しも出ています。

と言うわけで、決心して新しいのを一台買いました。


今度は、紙パックの置いてあったElectrolux社の製品です。
キャンペーンの特売だったので、五千円しません。
しかも、タイ国産ではなくて中国製でした。
ただ、集塵袋も紙パックでは無くて、再利用できる布製になっています。

と言うわけで、保障期間がちゃんと一年付いてきましたので、今度こそ使えそうです。
でも、修理に出すとなると手続きが面倒くさいですね。
そうならば、当たり品であってくれよと、現物を見ながらつぶやく道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年10月12日火曜日

タイでは、放火のような消火訓練を行いますの巻き

こちらでは、9~10月に掛けてセーフティー・デーの行事がおこなわれています。

工場で働いている限り、安全衛生は最も重要な課題です。
従業員を、作業中の事故や怪我から守るのは、会社の使命でしょう。
それは、社長の責任でもあるわけです。

わたしなどは、毎日、工場の中を歩き回って現場を観察しています。
注意を怠らなければ、大きな事故は防げるかもしれません。
従業員にも良い意味で、緊張感や注意を促すことになります。

従って、日系企業の工場では、色々なイベントを企画されておられるはずです。
当社も、例年、色々な行事をしますが、ざっと挙げると次の通りです

① 避難訓練
② 消防訓練
③ 健康診断
④ 救急処置

どちらかと言うと、健康管理まで含めた多角的な安全衛生と言うことでしょう。

それで、本日、消防訓練を実施しました。
消防署から隊員が来てくれたのです。
どのように、消火器を扱うか実演してもらい、従業員も取り扱いました。

始めに、火の扱いを説明するんですが、これが恐ろしい。
LPGボンベにつないだホースに、ライターで引火します。
これ自体、日本でやったら危険行為ですよね。

でも、タイではマイペンライです。
危ないレベルとは思われていないのかもしれません。
それで、隊員がホースの筒先を指先で塞いで、火を消す実演をしました。

熱くないと言う実演なのでしょう。
これだけを見ましても危ないと感じてしまいました。
ところが、今度は、見学していた従業員に体験させようとします。


とにかく、派手めな演出で参加者の興味を引く作戦らしい。
最初のグループは、先ず男性だけで行います。
次に、女性従業員だけで火を消すデモを始めました。

でも、みんな喜々としてやっております。
少しでも防火の意識が高まるのであれば、それに越したことはありません。
今回の消火器取り扱い訓練は、まだ序の口でしょう。


と言うわけで、去年の社内消防隊による消火訓練は、もっとド派手なのでした。
もちろん、消防署員の適切な指導もありましたので、無事やり終えております。
日本だったら絶対に経験できないはずですし、やる分けがありません。
そこに、放火みたいな消火訓練を、こっそり陰に隠れて遠巻きで見学する道産子社長が居るのでした。
(この巻き、終わり)

2010年10月11日月曜日

頼むから、賞味期限だけは守ってくれの巻き

食あたりに罹ってしまいました。
出社して仕事をしている端から、お腹がゴロゴロして来ます。
結局、午前中に二回、午後にも二回、下痢をしてしまいました。

水みたいにシャーっと出てしまいます。
もっとも、午後からのほうは、私の卑しさのせいです。
好物のグリーンカレーを昼飯に食べたせいもあるはずです。

いやはや、タイに来てから三年近くになりましたが初体験です。

たぶん、昨日の夕食に何か悪いものを食したせいでしょう。
朝起きた時から、既にお腹の重い感じがしました。
胸焼けもひどくて、朝ごはんの後で正露丸を飲んで出かけました。

悪寒は走ってくるわ、熱はありそうな感じもします。
ちょっと心配になったので、上さんはどうか電話を掛けてみました。
案の定、上さんもお腹の具合が悪そうです。

とにかく、帰宅することにしました。
今日は日本が体育の日で祝日です、
早退したとしても、業務に支障は出ず、構わないでしょう。

それで、不安になった上さんから電話がちょこちょこ入っています。
未だ帰らないのかとか、催促もあります。
ただ、一点、原因らしいことを話しました。

それは、味噌汁に入れた豆腐の賞味期限なんです。
二日前に切れていたとか話しました。
これは、かなりやばそうです

以前に酸えた匂いの豆腐を買わされた経験もあります。
しっかり、製品は賞味期限内でした。
でも、食べられなかったんですね。

あの、日本人御用達のスーパーですら売ってしまうのですよ。
二日も切れていたら、かなりやばいんじゃないでしょうか。
きっと、上さんは日本で生活していた感覚で調理したのでしょう。

でも、それが命取りになったかもしれない。
けっちい、みみっちいこと言っちゃいけない。
これからは、食べずに捨ててもらいたいと思うのでした。

と言うわけで、足元に悪寒が走って熱が出ていそうです。
過去の経験が活かしきれず、下痢ピーになってしまった道産子社長は、おらを殺さんでくれーと哀願するのでありました。
(この巻き、終わり)

2010年10月10日日曜日

ロケーションが分からなきゃ、ただのクソ情報の巻き

※HPは、こちらから。

タラートロイピーは、タイの言葉です。
日本語に訳せば、”百年の市場”とでも申しましょうか。
時を止め、昔のままの古風なたたずまいを残したまま、今を活きています。

時代に取り残された侘しさはあるかもしれません。

でも、地元の人だって昔を懐かしむようになりました。
週末のお休みには、わざわざ市場へ出かるのです。
観光地化した場所もありますので、今流行りなんでしょう。

最近では、この百年を冠とした市場が、続々と誕生しています。
どこが元祖で、本家なのかは知りません。
でも、一度は歴史の片隅に埋もれてしまったのが息を吹き返したのです。

まあ、地元の経済が活気付けくのは、とてもよいことでしょう。

自分も、似たような趣の水上マーケットは訪れたことがあります。
アムパワーやダムヌーンサドゥアクは、既に観光ルートに組み込まれています。
その時に撮って来た写真も、ブログのタイトルバーを飾りました。


でも、最近、脚光を浴び始めた市場は、未だ外人向けではないかもしれない。
日本人向けのツァーバスで探しても見つけるのが難しいようです。
なのに、冒頭のミニコミ誌WEBが大々的に紹介してくれました。

でも、記事では交通手段も住所もおなざりな触れ方です。
どうやって行けと言うんじゃ。
仕方ないので、一生懸命、ネットで情報を探してみました。

グーグルマップでも引っかからないし、途方にくれました。
ところが、上さんがさらっとからくりを教えてくれたのです。
それは、特集の最後にさり気なく書かれていたのでした。

”★市場はアクセスがわかりづらい場合があります。”
”車をチャーターして便利に、リーズナブルに旅しませんか?”

よく見ますと、右の欄には旅行会社の連絡先も紹介されておりました。
なんじゃい、タイアップ記事ではないか。
フリーペーパーだから、取材コストを稼いだと言うことでしょう。

しかしですよ、調べ出した以上、腹の虫が納まらないのです。
こうなったら、納得の行くまで調べてみることにしました。
駐在ですから運転手さんもいます。
場所さえ分かれば、自分たちで行けないことはないのです。

と言うわけで、判明した分だけ、みなさんに地図付きで情報を公開します。
もし、間違っているようでしたら、アドバイスをお願いします。
自分も、今週の土曜日には出かける予定にしていますので、ちゃんとたどり着いてくれと期待する道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:画像は左クリックすると、拡大してご覧になれます。
①一日で三ヶ所回れそうな百年市場です。(対象は②~④)
②クローンスアン100年市場
③ボラーン・ナコーンヌアンケート130年市場(毎日8:00~17:00頃の開催)

④バーン・マイ市場 (毎日10:00~17:00頃の開催)
⑤バーンプリー水上マーケット
バンコク市内からバスで出かけらます。
エアコンバス537番・バス133番のバンプリー行きに乗り、Big-C前で降ります。
(おわび)現在、537番は運行していないようです。また、133番は直接にはBig-Cまで行かず、一本北のバンナートラット通りを走ります。途中でソンティーの乗換えが必要です。

2010年10月9日土曜日

ギンジェーが始まりゃ、中華系ですから便乗商法でしたの巻き

十月八日から、ギンジェー(菜食週間)が始まりました。

もっとも、この行事は十日近く続きますので、週間ではありません。
そこは、マイペンライのタイ人で誤差内と言うことにしてあげましょう。
この間、信奉者は肉や魚を食べずに菜っ葉ばかり食べて暮らさねばなりません。

英語で格好よく言えば、ベジタリアン・フェスティバルですよ。
しかも、禁欲的に節制した生活を送る掟が定められています。
全部で十項目の規律だそうですが、これを守るには、結構しんどそうです。

それで、この習慣に従う人々は、中華系の人々だと聞きました。
中国ですから、菜食主義者の人も多いのです。
こっちに渡ってきた際に、風習を持ち込んだ名残なのでしょう。

となれば、バンコクの中華街は、ギンジェーたけなわなはずです。
何かイベントを行っているかもしれない。
そんな話がきっかけになって、上さんと一緒に出かけることにしました。


行って見ましたら、黄色い横断幕が通りをしつこく飾っておりました。
漢字で「齋」と書かれた一文字が躍ります。
もっとも、中国の精進料理が起源ですから、「齋食」から借りたわけです。


黄色の満艦飾と言った感じですが、信者は白色の装束でした。
期間中は、身体を清める意味もあるからでしょう。
でも、ほとんどお祭り状態でして、禁欲的な印象は微塵もありません。

黄色いデコレーションで飾った屋台が通りを埋め尽くしております。
出される食べ物は、みんな精進料理ですね。
ですが、おいしく作られておりますのでヘルシーに感じてしまいます。


このスープは、一杯四十バーツです。
ふかひれスープのレストランが、店先に屋台を出していました。
さすが、スープの出汁が上品でおいしく頂きました。

と言うわけで、地元のローカルニュースでは、ギンジェーのおかげで野菜の価格が高騰していると報道しています。
これに関係のない人には、はた迷惑な話しなんじゃないでしょうか。
まあ華僑の文物ですから、転んでもただで起きずに便乗商法でもうけているのであろうなと、改めて思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
スクンビットからは、エアコンバス40番がメイン通りへ直行します。
地下鉄のファランポーン駅からは、ちょっと歩きます。
それに、ギンジェー中はお休みするレストランもあり、ご注意下さい。
飲茶で有名なカントンハウスは、ちゃんと営業しておりました。

2010年10月8日金曜日

クレーム調査のついでに出会った乙な味の巻き

お客さんから、クレームが再発してしまいました。
暫定の対策で、ほぼ根絶できると踏んでいただ矢先です。
数十台規模の同時多発だっただけに、思い出しても厄介です。

しかも、対象となったお客様は、一社だけです。
その販売系列の営業店だけに、クレームが集まりました。
他にも数多く出荷してきた製品なのです。
不思議に思いましたが、何とか対策を施しました。

それで、やれやれと思っていたのにまたぞろです。

こちらとしても、めぼしい原因が見当たりません。
電圧変動が大きいから、データが飛んでしまった可能性もあります。
いや、EEPROMのメモリーが不良品だったかもしれない。
しかも、再発の製品は、未だ一台です。

いずれにしても、悪い噂の立つ前にやっつけてしまいましょう。
社長自ら、お客さんの挨拶がてら応急処置に出向きました。
とにかく、現場では作業で誠意を見せておけば時間が稼げます。

そんなことを考えつつ、所在のシンブリ県まで車を急がせました。
このシンブリ県ですが、観光地で有名なアユタヤの真北にあります。
地図で見ますと、可愛いぐらいに小さな県でした。


到着すると、メンテ担当者が先に到着して準備していました。
仕事柄、手馴れたもので作業も手際よく終わります。
お客さんに、手仕舞いの挨拶をしたら解放です。

うーん、これだけではせっかく来たのに物足りない。

地元のおいしいレストランで、昼飯を皆に振舞うことにしました。
ただ、知らない場所で勝手が分からない。
メンテ担当に、いい加減なタイ語で頼みます。

トンニー、ティアン。(今、お昼でしょ)
ヤーク・パイ・ティー・ラナアーハン・アロイ。(おいしいレストランに行きたいのよ)
ティーナイ。(どこにある?)
カウチャイ・マイ。(知りませんか)

いやー、念力で通じさせました。
分かったらしく、運転手さんに行き先を告げています。
運転手さんも分かったのか、すいすいと連れて行ってくれました。

それで行ったのが、ビール瓶で積み上げた瓶型のタワーがあるレストランです。
何でも、ライギョのバーベキューが上手いとか説明されました。
とにかく、後でメンテ要員が着席したら、すぐ食事するようにオーダーします。


ウエイトレスさんが、写真入の英語メニューも出してくれました。
多分、外国人旅行者も立ち寄る、有名なお店なのでしょう。
それで、お勧めの名物料理のライギョ四人分を頼んでもらいました。


出てきましたよ、結構、大きな魚で二皿です。
ステーキと言うより、煙でいぶし上げたような焼き魚でした。
ほのかに、燻製のような香ばしい香りも漂っています。

食べましょうとばかりに、魚の身をほぐして食べてみました。
いや、これはおいしい。
見た目がグロな感じですが、大正解の美味です。
煙でいぶした調理で、川魚の泥臭みもまったく消えていました。

酸っぱいたれにも、甘いたれにも合いますね。
日本人ですから、本当は醤油の方が良かったかもしれません。
かなり大きな魚でしたが、半分以上を自分が食べてしまいました。

と言うわけで、一匹三百バーツでしたのでそれなりに値の張る料理なのかもしれません。
運転手さんに言わせると、夜になればお客さんでにぎわうのだとも言っていました。
次回は、来れるチャンスがあれば上さんをぜひ連れて行きたいと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
このレストランは、国道32号線沿いにあります。
シンブリの市街に入らず、そのまま北上して少しでは無いでしょうか。
お出かけの際は、立ち寄ってみてください。
お土産屋さんも併設していました。