2010年12月29日水曜日

明日からマーケティング調査旅行に出かけますの巻き

明日はもう晦日です。
鳴いても、笑っても、屁をひっても、新年は必ず来るのです。
ですので、皆さんも良いお年をお迎え下さい。

こちらでは、タイで三回目のお正月を迎えます。
毎年、必ずどこかへ大なり小なり旅行をしてきました。
今年は、思い切って海外に出かけることにしました。

場所は、隣国のカンボジアです。
あの世界遺産のアンコールワットを訪ねてみます。
これで、タイに国境を接する国をすべて踏破することになりました。

それで、タイを取り囲む国は、四カ国になっています。
カンボジアに加えて、ラオス、ミャンマー、マレーシアです。
各々の国へは、陸路で国境を通過することができます。

特に、ラオスは内陸国です。
タイから、車両による物資・人の往来が錯綜して来ました。
一方、カンボジアの西部も、タイからですと陸路が至便です。
そのため、近年は国境貿易が殷賑を極めるようになりました。

これは、ひょっとしてビジネスチャンスかもしれない。
なんだか仕事のネタが転がっていそうな気もします。
実は、自分の働く会社は、道路交通に縁の深いビジネスです。
道路が拡張・整備されれば、自然と商売が拡がるのです。

それで、この旅行は、お題の通り市場調査も兼ねることにしました。
先ず、カンボジア国境まで車で越えてみます。
次に、車を乗り換えてアンコール遺跡観光の拠点シェムリアップを目指します。

もちろん、空路なんかで行くことはご法度です。
時間が掛かろうが、実際に道路を走るのが一番でしょう。
そうすれば、ビジネスの予感がするかどうか、分かるものです。

※左クリックで拡大してご覧下さい。想定走行ルートの地図です。

と言うわけで、ユーチューブによると、カンボジア国内の道路が完全舗装されたのは。つい最近のようです。おまけで、舗装前と後の道路を紹介した録画をアップしておきますが、様変わりですよ。行きも帰りも車による移動ですから、舗装道路でホッとした道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
12月30日~1月2日までバンコクを離れます。
その間、更新が難しくなりそうです。
次にアップした国道の整備状態を見比べてください。
年々、経済開発の急速に進んでいるのが、道路だけでも分かります。

<舗装前:2009年>
<舗装後:2010年3月>

2010年12月27日月曜日

小学唱歌をまったりと聞き込む年の瀬の巻き


昔は、こう言う小学唱歌を歌っていたものです。
ユーチューブには、かなりアップされておりました。
手軽に、タイで楽しんで聞いているのですよ。

よりによって常夏バンコクの南国で聞いております。
聴かずにはいられない正月が巡ってくるのです。
あー、日本の正月が恋しや、いとほしきや。


もう、駐在になって三年が経とうとしております。
いつの間にやら、親会社からの頼りも途絶えがちになりました。
まるで、遠島流罪のように日の本からは孤立無援です。

寂しいですなー。
雪が恋しいですなー。
寒い季節の露天風呂にも入りたいなー。


そう言えば、クリスマス寒波で日本は大荒れでした。
特に、北日本の大雪がものすごかった。
会津地方の国道49号線では、車三百台が立ち往生したようです。

でも、スキー場は万々歳です。
年末年始のスキー客も、喜ぶんじゃないでしょうか。
たっぷりと積もって、北海道のニセコやキロロなんか、既に2メーターを超える積雪になりました。


と言うわけで、今年の正月も帰省いたしません。
カンボジアにぷらりと上さんと旅行してくるぐらいです。
来年の墓参りまで、帰参がお預けですから、日本の恋しさが募る道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月26日日曜日

バンコクで、さわやかな木枯らしに出会うの巻き

バンコクにも北風が吹いてきました。
実に爽やかな風でして、過ごしやすい乾季の恵みです。
確か、明け方の朝四時くらいからだったと思います。
木立を揺らすような風が吹きだしました。

さほど強くはありません。
午前中にかけて、ざわざわと枝葉がゆらいでいます。
七階のベランダ越しから、木立の動きが見えるのです。

 ※乾季の二月には、タイ桜が咲きます。

実は、昨日は、蒸し暑くて夕立がさっと降りました。
乾季は、めったに雨が降りません。
12月に入ってから二回目の雨になりました。
それに、雨こそ降りませんでしたが、雷の落ちた日もありました。

何だか、天候が変なんですね。
でも、今日はすっかり爽やかな天気に戻りました。
これから、新年に向けて快適に過ごせそうです。

ところで、タイの北風って、南国風の”木枯らし”なのかもしれません。
今、日本は強い冬型の気圧配置に入りました。
全国的な雪に見舞われ、所によっては1メーターの降雪です。

と同時に、日本を覆ったシベリア寒気団は、南下を続けます。
どんどん、中国大陸を南下し続けるわけです。
そして、この風の終着点がこのタイなんですね。

多少、ぬくまった風かもしれません。
南へ下るたびに、暖められて来たのは否めない。
でも、その風はさわやかで、しのぎやすい季節をもたらしてくれるのです。

と言う分けで、今日、エアコン無しの38番バスに乗っても、ぜんぜん暑さを感じませんでした。汗っかきの自分が、ハンカチで汗をぬぐうことが無いのは、珍しいことです。そんな素敵な季節を、思う存分楽しみたい道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月25日土曜日

ぐるっとバンコクを小旅行するの巻き

今日はクリスマスでした。

だからと言って、特別な思いはありません。
キリスト教徒でも無いし、プレゼントする人もおりません。
上さんと二人だけで暮らす、静かな週末です。
つまり、お定まりの年の瀬の土曜日を過ごした感じです。

それで、がさごそ起き出したら、朝の十時を回っておりました。
うーん、すっかり寝坊をしてしまった。
このまま、だらだらしていたら、あっという間に一日が終わってしまう。
これではいかん、どこかへ外出するとしよう。

と思い立って、ネットで探し当てた情報を頼りに外出してしまいました。

まず、BTSに乗ってチャオプラヤー川を渡ってみます。
次に、終点のウォンウィアンヤイ駅に到着したら、バスに乗り換えます。
ここで、先に来たバス次第で目的地を変えることにしました。

まるで、ロシアンルーレットみたいです。
もし、84番のバスが最初に来たら、バンケーのフューチャーパークに出向きます。
ここは、大型のショッピングモールがあり、買い物や食事が楽しめそうです。

一方、20番のバスが先に来たら、終点でフェリーに乗り換えます。
次にチャオプラヤー川を渡り、サムットプラカン県に出てから帰宅する道のりです。
こちらは、渡し舟に乗るのが魅力なのと、水産物で有名なパークナム市場が見学できます。

それで、どちらかに行ったのかと言うと、後者の旅になりました。

実を言うと、84番のバスこそ、頻繁に通行して見かけました。
ところが、乗車できると想定したバス停には目もくれません。
その代わり、折り返してきて反対車線のバス停には、必ず止まりました。

ですので、20番が来るまで30分だけ待って見ることにしたのです。
それで来なければ、反対車線で乗ればよいだけでしょう。
ところが、20番が運良く時間内にやって来たと言うことです。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

 と言うわけで、この旅は意外に順調でした。帰りの511番バスが、途中までしか行かない便もあり注意を要するぐらいで、半日の小さなたびを十分に楽しむことができました。
バンコクには、意外な観光スポットもあるものだと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:参考までに写真を貼っておきます。
※クィティオ屋さん、アヒル肉入りで30バーツ。船着場近所。
※渡し賃は、3.5バーツ。船着場の前は、中州の島です。
※タグボートが渡し舟を横切っていきました。
 ※係留中の船を見ると、外港なのが分かる。
※パークナム市場の賑わい。
※豚の頭が三百バーツです。格安?。
※水産物がお安く買い求められます。
※果物も安い感じです。
※パークナム市場の前は、一方通行でした。

2010年12月24日金曜日

出ました、ナイジェリアの手紙第二段の巻き

以前にも紹介したんですが、電子メールで騙そうとする手口です。
発信源は、アフリカ地域のナイジェリアだったのですが、ちょっと拡大気味です。
今回は、コートジボアールの首都アビジャンから発信されてきました。

この国、昔は象牙海岸共和国って呼ばれていました。
現在の名称は、フランス語で読み流しております。
ただ、厳密に訳して意味を取ってしまえば、昔の通りです。

でも、現地政府がフランス語で読んでもらいたいらしい。
日本でも、その要請を受けて片仮名名称になってしまいました。
その方が、外国らしくて良いのかもしれません。

さて、今回のメール・ターゲットは、ご同様に先進国など裕福な国に住む人です。
道産子社長にも送られてきましたが、これって私も小金持ち認定なのでしょうか。
社長と一口に言っても、親会社の駐在派遣組みなのですよ。
もらうサラリーでは、たかが知れておりましょう。

もっとも、メアドをどこからか拾ってきただけなので、実態を知らないだけのことです。
残念ですが、騙される余裕も無いし、騙される気もありません。
ですので、ここは皆さんにご注意いただくために、翻訳して紹介しておきます。

先ず原文ですが、分かりやすい英語です。

From : Jesse David
Abidjan Cote D\'Ivoire.
david052372@live.com

Hello,
I am Mr. Jesse David from Abidjan Cote D\'Ivoire (Ivory Coast).
I want to invest my sum of USD6.5millions in your country with your help if you are interested.

If you are interested to invest with me ,reply back to me so that I can give you my full information and the source of this my money and on how this transaction will take place.
God bless you for your prompt attention.
I need your guidance.
Anticipating to hear from you soonest.

I am a Boy of 22 years old and I inherited this money from my late beloved father.
Mr.Jesse David. Please reply me through this my private email address (jesse052372@ymail.com)

次に、邦訳しておきますね。

ジェシ・デビッド
コートジボアール・アビジャン
david0*2*7*@live.com (フリーメールメアド、信用度ゼロです。)

こんにちは
ボクは、ジェシ・デビッドでコートジボアールからです。(象牙海岸)
ボクは6億5千万ドル(550億円)を貴方の国に投資したいのですが、もしご関心がおありなら助けが必要です。
あなたが、僕と一緒に投資するのに興味があるなら、ボクに返事を下さい。
そして、ボクが誰なのか、この資金はどこから出たのか、どのように取引をするのか、と言ったことをあなたに教えましょう。
あなたがすぐにでも対応していただけるように、祈っております。
ボクは、貴方の導きが必要なのです。
すぐにでも、あなたからの話しを待ち望んでおります。
ボクは22歳で、最近無くなった最愛の父から、このお金を受け継ぎました。
ジェシ・デビッド拝
どうか、この個人メールアドレスでご返事下さい。

と言うわけで、メール一通で莫大な投資のお誘いなんて、すっとこどっこいの世界です。
胡散臭さでは人語に落ちません。これを信用する人などこれっぽっちもいないでしょう。
仕事の合間にギャグで、ちょっと一息できた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年12月23日木曜日

オフショア開発を考えておりますの巻き

オフショア開発って聞きなれない言葉ですよね。
でも、日本のIT企業は、大方このシステムを採用しています。
要するに、コンピュータプログラムを開発する、一つの発注形態です。

人件費の高くなった日本では、プログラミング代もバカになりません。
少しでも開発コストを安く上げねば、製造業の死活問題です。
このため、なりふり構わず海外の企業に開発を委託することになります。

まあ、プログラムの設計は日本で実施します。
開発デザインが一番重要ですから、発注者が行うのです。
次に、力仕事になるプログラミングが、外国に流失するのです。

もし、日本人のプログラマーに能力があって費用効果が望めるのなら問題ありません。
でも、給料が安くて優秀な人材を抱える国々は、色々とあるものです。
中国、ベトナム、インド、フィリピンなどなどです。


あれっ、タイが含まれて居ないと気づいた方も居られましょう。
タイは人件費も安いし、日系企業もたくさん進出してノウハウがあるような感じもする。
なのに、タイから海外へ発注するなんておかしいかもしれません。

ところが、ぎっちょんちょんなのです。
こちらの国民性は、本来、根を詰める仕事など、到底向いておりません。
複雑な思考、推論を重ねて論理を紡ぎ出すようなおつむではないのです。

とにかく、マイペンライの気にしない、何とかなるさの性分です。
しかも、著作権の尊重など微塵もありません。
バッグ、DVDなど、コピー品は巷に溢れ返っております。
開発を委託すれば、誰かにコピーされ盗まれてしまうのは当然の成り行きです。

つまり、そんなモラル無法の低俗社会で仕事は頼めません。

一方、製造ラインでワーカーに単純作業をさせるだけなら、日系企業も成功できました。
つまり、反復作業だけは、お家芸でお手の物です。
農耕民族の国ですから、つらい田植え作業が転じて、組み立てに代わっただけのことです。

もし、それ以上の仕事なら、ここタイは未だ代償が高いと言うことでしょう。

さて、実は、私どももオフショアができないものか検討し始めました。
最近、海外のお客様からレシートプリンターの供給を求められているのです。
付属機器の範疇ですが、高価なPOS機器を必要としない市場もあります。

それに、日本の親会社が販売する機器は、発行機のオプションが三十万円もするのでした。
当社の輸出向け主力製品は、高くても四十万円ですよ。
オプションが本体に近い値段だったら、お客さんもびっくりしてしまう。
しかも、競争相手の中国製は、数万円しかしないのです。
この値段と比較すれば、当社のオプションは売るなと申し渡されたも当然です。

と言うわけで、オフォショアの頼み方にも色々ありまして、わが社の場合、組み込み機器の開発に相当するのでした。プログラム開発の前に、先ず、必要な電子基板や周辺のデバイスを探さねばまりません。スタッフも素人同然だし、社長は事務系出身だし、どうしようか途方に暮れる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ネットで、オアフショア.comの紹介サイトを見つけました。
来月の帰国時に相談しようと思って、目星の企業にはアポ取りのメールを出しております。

2010年12月22日水曜日

今日はお休みしますの巻き



ただいま、帰宅しました。
今宵は、電子基板の納入協力会社さんから接待を受けました。
タニヤなんか、ほとんど行ったことが無いので久しぶりです。
焼肉を食べさせてくれて、どうもありがとう。
でも、あれぐらいで値上げされたらかなわんなー。
何とも小心者の道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月21日火曜日

勘違い商品でも、感度は高かったのだの巻き


むかしむかし、テレビ漫画に巨人の星があったとさ。
初めのテーマソングが、良かったべなー。
”お~も~い、コンダ~ラ”って、始まるんだべ。


重ーい、重ーい、ローラー転がして整地すんだ。
主人公の星飛馬も、新入部員でさぞや辛かったろう。
思わずショッペー涙がこみ上げてくるっちゅうもんだ。

と言うわけで、これは勘違いソングの王道とも言うべきでありましょう。
作詞家は、”思い込んだら、試練の道を”と歌わせたかっただけに過ぎないのです。
でも、どういうわけだが、コンダラ(転圧ローラー)の作業が重なってしまった。

そもそも、運動部の先輩が新入部員をしごき上げるイメージです。
まあ、陰湿ないじめには違いない。
かわいそうかな、新人諸君は地均しの重労働ばかり強いられるのです。

そんな イメージが湧くほど日本人は発想が貧困なのかなー。
しかし、これを逆手に取った商品があったのを覚えています。
それは、Kondara MNU/Linuxと言うのでした。


たしか、十年位前に発売されたリナックスのOSです。
ペンギンのキャラクターが、なかなかに格好よかった。
ウイキペィディアによると、手動式整地ローラーの「コンダラ」の名に由来する命名であるとはっきり書かれていました。

実を言うと、このリナックスを所有しております。
でも、操作が結構難しかった。
インストールは簡単なのですが、各種の設定がコマンドラインで行います。

グラフィックな設定画面が全く存在しないのです。
インストールが出来たのは良いが、 それ以降は何もできず挫折。
結局、使用するのをあきらめました。


 と言うわけで、リナックスのペンギン・マスコットのタックス(Tux)君は、引退気味のようです。代わりに登場したのが、聞きなれないタスマニアン・デビルのトゥズ(Tuz)君なのでした。マスコットがちょっとマイナーな印象に見受けられるのです。リナックスが、本当にウインドウズを凌ぐ日は来るのだろうかと、心配になった道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
このリナックスKondaraプロジェクトは、残念ですが、既に解散してしまいました。
でも、開発者たちの一部でMomonga Linuxが立ち上がっています。
ですので、ぐりぐりももんがですから、近いうちに挑戦してみるとしましょう。

2010年12月20日月曜日

クイティオ食って、渡船しての巻き

週末が日曜しかありませんでした。
何となくあわただしいい感じです。
土曜日が振り替え出勤だったので致し方ありません。

上さんは、遊びに来た友人と一緒にアユタヤへ行ってしまいました。
残されたのは自分一人と、居候のぬいぐるみ達だけです。
することも無いし、ネットもどう言う訳かつながらない。


ソファーに寝そべりながら、ついゴロゴロしてしまいました。
これではいかん、怠惰な一日を過ごしてしまう。
と思った、その矢先、つい寝込んでしまいました。

小一時間が経ちましたでしょうか。
はっと、われに返って起き上がりました。
うーん、ゴロンタになってしまった。

 ※ゴロンタ音頭は、こちらから

えっ、ゴロンタって記憶にありませんか。
あの、70年代は後半の頃でしょうか。
犬HKの”おかあさんといっしょ”で有名だったキャラです。

とにかく、今日は暑くないし天気も爽やかだ。
こんなもったいない季節ですから、どこかに出かけましょう。
当てのない外出でも、何か発見があるかもしれない。

それで、トンローからソンティーにのってペブリー通りまでのこのこ出てきました。
本当は、水上ボートに乗りたかったのですよ。
でも、乗り場に棒が渡されていて通せんぼでした。

ちょっと、初っ端からくじけてしまいました。
ここは、小腹もすいたことだし、先ずは食事としましょう。
思わず速攻で、クイティオを食べてしまいました。


このクイティオ屋さん、とてもおいしかった。
トンローからソイ39方向にちょっとだけ歩きます。
歩道橋の手前、アーケードのちょっと奥にありました。

この後、ちんたらラムカムヘンのBig-Cまでやってきました。
この付近の水上バス停留場が、「ラマ29桟橋」となっています。
停留所近くには、渡船までありまして2バーツで渡してもらえます。


と言うわけで、運河沿いには遊歩道もあり、歩道者専用の橋もあったりして楽しめました。乾季ですから、暑くもなくドブ臭い川の匂いもきつくありません。そんな時には、運河沿いの散策も乙なものだと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月19日日曜日

中国は情報統制がお家芸ですの巻き

上海を訪れていた時、ノーベル賞の授賞式がありました。
今年度は、化学賞で二人の日本人に授与されています。
まことに、日本人として誇らしいかぎりです。

このニュースは、NHKの衛生放送でも報道されました。
11日の土曜日、朝方にホテルの一室から視聴できたのです。
その時、上さんと一緒に見ていたのですが、不思議なことが起きました。

一瞬、画面がブラックアウトしたのです。
声も聞こえなくなってしまった。
故障かもしれない。
それとも、衛星からの電波が乱れたんだろうか。

その状態が、一分くらい続いたと思います。
突然、画面が復帰しました。
すると、ニュースの内容が別の記事に変わっていました。

変だねーと、上さんも驚いています。
何だかおかしいと思いながら、ふと思いつきました。
これって、ネットでよく紹介された検閲による放映差し止めなんでしょう。

一体全体、不利益かつ有害な情報はなんだったのだろうか。
すぐに思い当たりました。
それは、中国の民主活動家、劉暁波氏の平和賞でしょう。

共産党一党の独裁国家にとって、彼は獅子身中の虫なのです。
何せ、中国政府が政治犯として収監中です。
罪人に平和賞を与えられては、面子(メンチー)も立たないのでしょう。

しかし、この情報統制こそ、中央集権国家のお家芸なのかもしれません。

体制を危機に陥れる情報は、即座に遮断されてしまう。
これは、インターネット利用者とて、同様なのです。
政府にとって、都合の悪い情報にはアクセスできません。
情報をふるいに掛けては、自己都合の情報だけを垂れ流します。
全くもって、国民の知る権利、表現の自由など尊重すらありません。

このファイアーウォール機能は、”金盾"とご大層な冠名が授けられました。
金の盾ですから、五星紅旗の錦の御旗でありましょう。
はたまた、万里の長城をもじったGreat Wallならぬ、 Great Firewall(グレート・ファイアウォール)と、巷では源氏名もあるくらいです。

と言うわけで、上海の浦東空港からネットで自分のブログにアクセスしようとしました。
でも、アクセスはできませんでした。それもそのはず、グーグルのブロガーですから、弾かれるのも当然です。ブログを続けたいので、上海の駐在は内示を受けても固辞しようと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月18日土曜日

今日は振り替えの休日出勤ですの巻き

あと一時間で、退社時間が迫ってまいりました。
今日は土曜日ですが、出勤して働いております。
年末の正月休暇を長くしてあげるために振り替えにしてあげたのです。

それで、午前中はごく普通に勤務しましたが、午後からは違います。
年末のクリ-ニング・デーと言うことで、少し早いのですが大掃除中です。
工場・事務所の従業員が全員で作業をしております。

BGMを流し始めたりして、お気軽モードですね。
結構、流行のタイポップスが放送されています。
それで、分かったのはナムチャの曲だけでした。


タイの人は音楽好きなんですよ。
昼休みにもBGMを流したいと言って、伺いを持ってきました。
理由は、とにかくリラックスしたいのだそうです。


まあ、それも良かろうと思って半年くらい前に許可しました。
ただ、流す曲のストックが少ないらしくて、いつもお決まりの曲しか流れません。
しまいには、社長自らがMP3のデータを提供したりしました。

さて、そんなことも思い出しながら、自分も掃除しました。
かなり不要な書類も出てきましたし、処分します。
それでも、裏紙がプリントに使えそうな紙は、捨てずに残しました。

メーカーの会社ですから、コスト意識だけは失わないつもりです。
プリンターや複写する用紙は、裏紙を使うのが鉄則です。
ささやかなコスト意識付けですが、普段からの心がけが大事だと思ったりします。

それと、今日、経理部長にボーナス支給額の通知をしたのです。
当社は、日系企業にありがちな半年毎に支給する方式です。
今年の下半期は神がかりのように業績が伸びました。

ですから、ボーナスは4ヶ月以上の支給です。
日本じゃ信じられないような月数ですね。
でも、それぐらいタイの経済成長は、凄かったと言うことです。

GDPの成長率が、今年度は7.6%と予測されています。
前年が-2.3%の落ち込みでしたから、急激に復興しました。
自動車業界でも、生産台数が前年比より6割以上伸びたんじゃないでしょうか。

と言うわけで、5S活動の実践で工場の整理整頓も、かなり浸透しました。
これからは、日本から学ばすに自分達で水準を維持し、向上していくのみです。
タイの製造業は着実に進歩しているなと、この日の行事で感慨を新たにした道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
社長はボーナスが出ません。
日本からの駐在員手当てに、ボーナスが含まれているのだそうです。
なんだか腑に落ちないのですが、仕事をするのみです。

2010年12月17日金曜日

明日は更新できないので与太話をしますの巻き

明日は、夜が遅くなります。
ひょっとして更新ができなくなる可能性が出てきました
ですので、予め、おまけの更新をしておきます。

それで、ウイキリークスって、国家の政治的安定まで脅かしかねないようです。
ご参考までですが、グーグルで”Wikileaks (王家のご尊名)"を打つと不本意な結果が出てまいります。
ただそれだけのことです。
しかし、ブログ:タイの地元新聞を読むさんが、興味ある記事を取上げてくださいました。


そして、これ以上は深入りできないのですよ。
改めて恐るべしウイキリークスであります。
(この巻き、終り)

2010年12月16日木曜日

周荘で日本鬼子の言葉に出会うの巻き(その三)


中国の人って、日常的に日本人を侮蔑するみたいです。
何せ、南京大虐殺をした極悪人と決め付けていますので、致し方ありません。
その決まり文句として、”日本鬼子”が良く使われています。

何でも、中国語で「鬼」の字が最上級の侮蔑語になるんだとか。
発音は、リーベングイズ(Rìběn guǐzi)と言います。
私は、これまで直接に聞いたこともありませんでした

でも、この周荘で実際に話された現場に出くわしました。

実は、中国語の達者な上さんが聞いてしまったのです。
それは、周荘の手漕ぎ遊覧船の中でした。
同じツアー客が意気投合して、船に乗った時のことです。

その中には、頭を丸刈りにした中国人の青年がおりました。
何でも人民解放軍に所属しているそうです。
一人でツアーに加わっていたのですが、士官の雰囲気を醸し出していました。

※詳しくは、こちらのサイトから

それで、この丸刈り姿が珍しかったようです。
船の中で隣に座っていた女性が、ふと言ったのです。
映画だったら、”日本鬼子の役が似合っている”と、、、

これは、からかい気分で冗談を言ったのでしょう。
上さんが聞いていて、ちょっと気分を害したそうです。
私は、その顛末を後から聞きました。

やっぱり、中国の人は日本人をはっきり侮蔑するのです。
それも、日常茶飯事なのでしょう。
今回の旅行では、それをはっきりと確認することができました。

と言うわけで、中国人は日本が嫌いなのです。
それにも拘わらず、十数億の市場と低賃金にたぶらかされて、日本企業は中国進出を繰返したのでした。君子危うきに近寄らずでしょう。いい加減に目を覚まして、アセアンへ投資をするべきと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月15日水曜日

周荘で日本鬼子の言葉に出会うの巻き(その二)

とにかく、周荘のツアーバスに乗ることができました。
バスの中は、ツアーの説明がすべて中国語なので、何を言っているか分かりません。
時々、上さんが通訳してくれますが、説明に追いついて行かないのです。

それに、周荘の地理も知りませんでした。
上海よりに西に存在しているのは確かです。
行けば何とかなるでしょう、そんな気分で出発しました。

二時間も乗っていたでしょうか。
ぐっすり眠っているうちに、最初の観光地に着きました。
周荘だと思ったのですが、お寺に立ち寄ると説明を受けました。


二十四孝院と門に扁額が、掲げられています。
このお寺は、昔から科挙の試験に合格した進士を輩出していたようです。
由緒はあるのでしょうが、多分、建て直しをしたような感じでした。

なぜかと言えば、柱に書かれた銘文がヒントになりました。
つまり、文章が簡体字だったのです。
これが使われだしたのは、中華人民共和国が建国されてからです。


これは、半世紀ちょっとの新しい書体なのです。
それに、社会主義の国ですから、信仰の自由が認められていない。
加えて、文化大革命の最中、宗教弾圧が厳しく行われました。

当然、関連する施設がかなり破壊されています。
要するに、旧い繁字体で装飾された構築物は、消え去ったのです。
後になって、古を偲び、再建でもしたのでしょうか。

しかも、仏様に向かってお祈りする作法すら、観光客は知りません。

寺の観光ガイドが丁寧に説明してくれるのです。
しかも、お寺にいた坊主がどうも胡散臭い。
商売で頭を剃り上げただけなのだろうと思わずにはいられませんでした

と言うわけで、周荘に到着するまで半日を費やしてしまいました。
お題の驚き発言を聞くまで、あと少しです。
そんな地元の人たちのバスツアーなのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月14日火曜日

周荘で日本鬼子の言葉に出会うの巻き(その一)


 今回の上海出張では、日程の都合で一日が空いてしまいました。
展示会を参観しましたが、一日で充分だったのです。
二日にわたって見続ける必要も無い。

引率して来た二人のマネージャーも、そう希望しています。
初めての中国ですから、気ままに行動したかったのでしょう。
結局、彼らとは行動を別にしました。

本当は、一緒に水上の街と言われる”周荘”に行く気だったのです。
でも、自分なりに計画があるのなら話は別でしょう。
こちらはこちらで、そこに行くのも善しで行ってみることにしました。

実は、タイでネットから一日周遊バスの予約をしていました。
しかも、価格はネット優待で百元です。
普通ならは、百六十元かかるところが、この割引です。

タイバーツに換算してみましたが、五百にも達しません。
日本円なら、千五百円もしないと言うことです。
ずいぶんと安かったので、思い切って予約してみました。

中国語のサイトですので、分かる人だけチャンレンジして見て下さい。

ところが、予約完了のメール返信すら来ません。
不安でしたが、集合場所さえ行けば何とかなるでしょう。
そう思って旅立ってしまいました。

それで、当日の早朝、上海大劇院まで二人して出発しました。
タクシーで何とかたどり着きましたが、誰が担当者なのか分からない。
観光ガイドらしき人が三角の旗を振っています。

上さんが、一人一人訪ね歩きました、
でも、それらしき人が見当たりません。
仕方が無いので、近くの別のガイドさんに訪ねます。

そうしたら、その女性の言い方が振るっていました。
座席が空いていれば、その場で乗れるから心配ないそうです。
それなら、乗せて欲しいと交渉し始めます。

と言うわけで、百元のままで乗せてもらうことができました。
他のバスツアーは大型だったのですが、こちらは十五人くらいのオンボロマイクロバスです。
日本語ガイド付きの観光バスより、五分の一で乗れる超格安ツアーに成功しました。
やはり、上さんが中国語を話してくると、違いはこんなに大きいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
わたしは、中国語ができません。
上さんが達者なので交渉してもらいました。
ですので、ごく普通には、HISの日本語通訳付きの半日コース(料金580元)のゲキ高をお勧めします。

2010年12月13日月曜日

12月の雨で梅雨を思い出したの巻き


明け方の四時頃から雨が降り出しました。

雨は、強くもなくしとしと降る雨です。
あまりに蒸し暑くて、眠れない。
そのせいか、つい起こされてしまいました。

そして、今、通勤途上の車の中です。
雨足が次第に強くなって来たようです、
車の屋根をたたきつける音が聞こえてきます。

実に奇妙で、不思議な雨です。
この時期、タイは乾季に入ります。
雨の降ることは、ほとんどありません。

それでも、去年は晦日に朝方ちょっとだけ降りました。
後は、晴れ間の広がった一日になったのを覚えています。
それに比べると、今日はどんよりした雨雲が広がっています。

しかも、雲も低く、圧迫感があって鬱陶しさが募ります。
今日は、終日、雨でしょう。
月曜日に加えて雨ですから、ちょっと気分が乗ってきません。


と言うわけで、車にたたきつける雨音を聞きながら、思わず日本の梅雨を思い出してしまいました。あの頃、早く夏が来れば良いのにと思いながら、傘を差して職場まで駅から歩いていたものです。こちらでは送り迎えがあるので便利とは言え、日本の通勤がふと恋しくなってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
バンコクの週間天気予報では、今週雨模様の日が多そうです。
乾季なのに雨季へ逆戻りした感じで驚いています。
こう言う年もあると言うことでしょうか。
それとも、地球温暖化の異常気象なのでしょうか。
そこら辺、分かりかねております。

2010年12月12日日曜日

上海のラッシュアワーに遭遇したの巻き

今、地下鉄9号線に乗っております。

朝の八時過ぎです。
始点の駅に乗るときは運良く座ることができました。
乗っていくうちに、どんどん、込み具合が進んで来ます。
いやー、日本のラッシュアワーと変わりません。


乗客の服装出で立ちも、日本の都市圏に比べて遜色がありません。
社内の混雑度に比例しながら、マナーも良いので心配ありません。
乗っている間の時間のつぶし方も同じです。

MP3プレーヤーを聞く女性もいます。
携帯の画面を見ながらメールを打つ人もいます。
DSのようなゲーム機で遊ぶ人もいるのです。

面白いのは、新聞を読んでいる姿です。
タブロイド新聞を性別に関係なく読んでいます。
ただ、大判の新聞を上手に折りたたみながら読む人も見かけませんでした。

そこがちょっとした違いなのかもしれません。

実を言うと、地下鉄はミステリーゾーンみたいな期待感があったのです。
ユーチューブでは、しばしば、上海の地下鉄が取り上げられています。
でも、けったいで変わりな格好をした乗客も見かけません。
子供に床へ直に小便をさせているお母さんもおりません。

※この程度はご愛嬌と言うものでしょうか。

そんなことは微塵もなかったのです。
ちょっと拍子抜けしてしまうくらい、普段着の都市生活です。
いやはや、これは日本と変わりが無く同じです。
上海の人は、生活水準がほとんど日本と変わらんのでしょう。

ただ、上海は未だ物価が安いと思いました。
この地下鉄だって、始点から終点まで乗っても百円しません。
乗車時間は、一時間半近くも掛かると言うのにです。

これが、日本だったら運賃は四五倍になってしまう。
上海ですと、月給が二万円クラスの人が多いのも事実です。
このため、中国の物価水準は、まだまだ低いと感じました。

と言うわけで、上海の合弁企業は、松江新城駅からタクシーで十分くらいのところにあるのでした。
会社の車が迎えに来てくれますので、工場見学へ行ってまいります。
中国の工場は、どんなものかタイの工場と比較するのが楽しみな、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

十年は一昔だったの巻き


しかし、上海の経済は際限なく過激に発展しておりました。

”十年は一昔”とよく言われております。
あの、フォーク歌手の井上用水さんも、そう歌っておりました。
思わず”夏祭り”の曲が浮かび上がってきます。

上海は、本当に国際都市の風格を備えたと思いました。

以前に訪れたのは、2001年です。
内陸の虹橋国際空港で降り立ったし、地下鉄の路線も限られていた。
浦東もリニアカーも、後々にできたものです。
地下鉄だって十五路線まで増えていました。

※イントロで上海の都市風景が見られます。

高層ビルが増えたのって、驚いてしまいました。
町並みの景観がすっかり変わってしまった。
高いビルを見上げるたびに、そう思わざるを得ません。

あの時、世界商城とか第一百貨店も訪ねました。
でも、社会主義の国のイメージは拭えませんでした。
無愛想な店員の応対とか、並んでも横入りする客もいました。

でも、今は何でもスマートになりましたね。
都会風の流儀も礼儀も身に着いたのかも知れない。
本当に近代化したのでしょう。

と言うわけで、なかなか素敵な街らしく、上さんが写真を撮りまくっていました。
実感として、バンコクより都会的な印象に加えて、ちょっと物価は割高です。
自分は田舎ものですから、まだバンコクの方が似合っていると思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
この原稿は、12月9日(木)に書きました。
ところが、ホテルのインターネット接続料が、一時間60元(780円)なのです。
あまりにバカ高いので、投稿アップを帰国してからにしました。
バンコクだったらネットの接続料金は、宿泊費込みですよ。
上海の物価は、軽くバンコクを突き抜けておりました。

2010年12月7日火曜日

タイを離れますの巻き

今日から、土曜日まで中国の上海へ出張です。
その間は、それほど忙しい日程を組んでおりません。
ですので、ブログの更新はできるんじゃないかと思います。

上海は、一昔前、2001年に訪問しました。

まだ、浦東の国際空港ができる前の時代です。
あの頃は、国内線だけになってしまった虹橋空港に降り立ちました。
グループ会社の工場も移転しましたし、地下鉄路線の数も劇的に増えました。

ですから、今回はどれぐらい変貌したのか、楽しみにしています。

それに、上さんにも同行してもらいました。
そこに住んでいるの友人に出会うのが目的です。
表向きは私的な旅行になりますが、ホテルの部屋は同じです。

だって、海外では一人泊まっても二人泊まっても料金に変わりはありません。
まあ、中国語がバリバリなので何かと助けになります。
一日ぐらいは、連れ立った社員の観光ガイドもしてもらいましょう。

と言うわけで、バンコクからは四時間半のフライトです。
つい最近まで上海駐在だった知合いの話では、バンコクの方がまだまだ物価が安いと話をしておりました。どれぐらいの差があるのか、ちょっと調べて、タイの国際競争力を推し量りたい道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

日程はほとんど無視で始まる旅行だったの巻き(ラオス編)

この忘年会旅行、過激といえば過激でした。
今、思い返しても、強行軍だったのです。
なぜかと言えば、日程の半分も消化できなかったからです。

とにかく、泊まるホテルまでたどり着かねばならない。
場所は、バン・ビエンと言う新しいリゾートでした。
首都のビエンチャンから150キロも北上します。

※ユーチューブから、Vang Viangを検索して見てください。

道路がよければ三時間程度でしょう。
タイの道路事情を考えれば、そう思ってしまいます。
ところが、ラオスは全く違っておりました。

幹線国道でも、対向が一車線しかない舗装道路です。
しかも、補修が少ないため、穴だらけの凸凹道でした。
ところどころで砂利道が顔を出します。

※左クリックで拡大してご覧ください。

これが、首都と世界遺産のルアンパバーンをつなぐ国道なのです。
番号の若い10号線と13号線ですから、絶対幹線でしょう。
ところが、あまりに劣悪な道路事情でした。

それゆえ、日程は有って無いものになりました。

先ず、ラオス支店だけは、従業員全員で訪問します。
ここで、既にお昼になってしまいました。
後は、御飯にありつける場所まで、ひたすらバスを走らせます。

※松島っぽい風景、訪れる価値はあります。

どうも、このナムグムダム貯水湖は外せない目玉だったようです。
途中、バスが故障して予想外の休憩もありました。
ここで、到着して午後三時です。
でも、何とか遅めの昼食は取ることができました。

この場所には、一時間も居なかったんじゃないでしょうか。
後は、バスに乗ってひたすら宿泊先を目指しました。
ようやっと、ホテルに着いたのが五時半でやれやれです。

※民間信仰による、幸運を祈る儀式をしてもらいました。

と言うわけで、 みんなバス強行軍の疲れが出て、忘年会パーティーはちょっと消化不良に終わりました。それもそうでしょう、昨晩は、夜行バスに乗ってラオス入りしたのです。
それでも、従業員みんなで外国へ社員旅行をしたのだから、満足だろうと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:面白い写真だけ貼っておきます。

※ビエンチャンのフランスパン。旧仏領植民地だけのことはあります。

※バスが故障して休憩した給油所、結構まともな感じです。

※田舎の荒物屋さん、物資が結構豊かですね。

※地鶏の放し飼い、昔の日本を思い出します。

※高い位置から見た本堂の屋根様式。

2010年12月6日月曜日

日程はほとんど無視で始まる旅行だったの巻き(ノーンカイ編)

やっとこさ、ラオスの忘年会旅行から帰宅しました。
ほとんど、バスに乗りっぱなしの旅です。
しかも、どこに宿泊するのかも、聞いていない任せ旅です。

初日、とりあえず、国内線でウドンタニの空港に到着しました。
未だ朝の七時過ぎです。
もやに霞んでいまして肌寒く感じます。

そこからは、 待ち合わせ場所まで車で移動です。
チェンマイの課長さんが運転してくれました。
どうも、待ち合わせ場所はノーンカイの市内らしい。

以前に一度、来たことがあるので土地勘は多少あります。
メコン川を渡る友好橋の道に左折しなかったのです。
程なくすると、通り沿いのお寺に入って駐車しました。

※左クリックで拡大してご覧下さい。本家のHPはここから

名前がよく分かりませんでしたけど、聞いたらワット・ポーチャイでした。
それなりに立派な作りのお寺です。
正直言いますが、タイのお寺は見すぎるとどこも同じに見えてしまいます。


それで、この建築様式も似たり寄ったりでしたが、大きな違いがありました。
それは、立派な鐘搗き堂が建立されていたことです。
タイのお寺で、このお堂を見ることは珍しいんじゃないでしょうか。

※自由に登れます。地元のおじさんが薦めてくれました。

タイのお寺を数限りなく見てきましたけど、初めて関心を持ちました。
ただ、王宮のワットプラケーオ(エメラルド寺院)にもあるらしい。
何度も行ったのですが、気が付きませんでした。
灯台下暗しってことですね。

ただ、このお寺は、簡素な建物の構成だから目立ったのかもしれません。
それに、興味を引いたのは鐘と太鼓の組み合わせでした。
二階に大きな太鼓が一張り、でんと置かれています。
三回には小型の梵鐘が、数個、吊り下げられておりました。


ただ、保存・維持の状態がかなり悪いです。
皮も破れかけていたり、鐘もひび割れたままでした。
時を知らせる大切さも、今はその役目を果たし終えたようです。

さて、このお寺では、とても縁起の良いことがありました。
それは、出家する地元の青年に出合ったことです。
タイでは、多くの若い男性が出家して徳を積みます。
これは、親孝行になるんだそうで、その日も、一族郎党が列席しておりました。


時期はいつでも良いらしく、修業も一週間から三ヶ月までと自由です。
ただ、これを終えないと結婚できない仕来たりになっているようですね。
となれば、みんなしっかりやり遂げるんだと思いました。

※街中を練り歩くのが恥ずかしかったのか、サングラス姿です。

この儀式なんですが、なかなか派手です。
先ず町内をピックアップトラックを仕立てて、楽隊付きで出発します。
お寺に到着したら、このバンドおじさんが延々がなっておりました。


その間、出家する若者は、寺の廊下を右回りに三周します。
それも終わると、最後にお寺へ拝観中の方へおひねりをばら撒きます。
これも、タンブン(お布施)の一種だろうと思いました。

このお捻りですが、五バーツの硬貨が入っているそうです。
拾ってもらえた人には、幸運に招かれると教えてもらいました。
地元の人じゃないのに、従業員が奪い合っています。

と言うわけで、ラオス国境に入る前から、なかなか面白い旅モードに突入したのでした。
ところで、お寺に行ったら必ず何でも右回りをしてください。
左に回る時は、不幸のあったときだけだそうです。
輪廻転生で、右と左で帳尻を合わせるのかもしれないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月5日日曜日

これから、ラオスへ忘年会旅行に行って参りますの巻き


イヤー、眠いのなんのって言ったらありません。
何せ、朝三時半にガサゴソ起き出しております。
これから支度をして軽い食事をとったら出発です。

四時半には、車が迎えに来てくれます。
ご一緒する株主の社長さんの好意に甘えました。
それから、ドンムアン空港までひとっ走りです。

しかし、ウドンラチャタニ行きのフライトは桁外れに早い。
朝六時に離陸して、現地は七時十五分に着陸です。
後は、現地の従業員がピックアップしてくれます。

でも、これはVIPご一行だけの特別な待遇です。
他の従業員は、夜八時の夜行バスを仕立てて出発します。
夜通し走って、明け方にはラオス国境までたどり着く段取りです。

いやー、これは民族の大移動みたいな規模ですよ。
社員の百人以上が、一挙に異国に終結します。
しかも、忘年会のパーティーでドンチャン騒ぎの予定です。

規模も大きいですが、外国に行くと言うイベントが魅力らしい。

従業員は、このことで舞い上がってしまいました。
ただ、メコン川に掛かる友好橋を渡るだけなのです。
ですが、海外旅行には違いありません。

家族持ちの人もいますし、給料の違いもかなりあります。
お金を自由に使える社員が限られているのです。
ですから、海外旅行なんて夢のまた夢でしょう。

なので、従業員は本当に喜んでおるのです。

と言うわけで、ラオス語はタイ語の親戚みたいなもんで言葉がほぼ通じます。
コミュニケーションが楽ちんだから、地元の人には初心者向けの海外旅行なんでしょう。
そして、従業員には思う存分楽しんでもらいたいと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月3日金曜日

カンボジア三泊四日の価格破壊旅行を予約したの巻き

正月休みが増えました。
この話は、昨日の投稿であらまし紹介しました。
とにかく、二日増えて六日間になったのはうれしい限りです。

でも、土曜日出勤が、二週間続きます。
週末の土日に馴染んでいるだけに、日曜だけなのはちょっときつい。
でも、振り替え出勤ですので止むを得ないでしょう。

それでも、まとまった休みが取れてワクワクして来ました。
どこかへ旅行しないと時間がもったいない。
どこへ行こうか、すぐに思案し始めました。

それは、社内告知の文書に署名した直後のことです。

早く予約を取らないと、空きが無いかもしれない。
こちらは、今、観光客にとっては最高のハイシーズンです。
一ヶ月前でも予約が難しいかもしれない。
ちょと考えあぐねて、いつも使う旅行代理店へメールしました。
仕事時間中ですが、躊躇している暇が無い、善は急げです。

それで、思い出したのも、以前に紹介されたカンボディア旅行でした。
何しろ、三泊四日を一万バーツポッキリだと言われて驚きました。
一万バーツって三万円しないのです。

あまりに過激に安すぎる。

しかしながら、話を聞くうちにからくりが分かってきました。
当然、飛行機なんか使いません。
ミニバスに乗って、陸路で国境を越えるのです。

このため、移動時間がとてつもなく長い。
二日間を、まるまる自動車で移動する強行軍です。
ですが、この値段の安さには誘惑されていました。

しかも、世界遺産のアンコールワットもアンコールトムも訪ねるようです。
これに、三つ星ホテルに泊まるというのですから信じられない。
朝、昼、晩も食事が付いているなんて、驚愕のコストパフォーマンスです。

と言うわけで、ちょっと早めに会社を抜け出して、上さんと一緒に旅行代理店へ相談に出向きました。
ただ、諸物価高騰の折、ちょっと値上がりしていました。
ですが、騙されても良いぐらいの値段でもあり、速攻で予約です。
この旅がどんな結末となるか分かりませんが、旅支度が楽しみだと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
旅行の日程を紹介しておきます。
興味のある方は、リンクで紹介した旅行代理店へコンタクトしてください。
ただし、英語でコミュニケーションできる方に限ります。

1st day : Bangkok to Siem Reap in Combodia
07:00 Pickup and transfer from your hotel to Poi pet by Mini bus
11:00 Arrive at Poi pet border (You can make a visa to Cambodia by yourself)
Our staff welcome and pick you up from the border by private car (joint 4 seats) to Seim Reap.
16:00 Arrive at Siem Reap the city of Angkor (Meet your guide) And then Tour to visit EAST BARAY.
18:00 Chek in at Hotel After tat at local restaurant.

2nd : Sightseeing Tour - Angkor Wat & Angkor Thom
06:30 Breakfast at your hotel
07:30 Transfer to Banteay Srey Temple (One of the most beautiful sand stone Khmer temple). After that we visit "Preah Khan, Taphrom, Bayon, Phymeanaks, 12 Women temple, Elephant Terrace, Lapper King".
12:00 Lunch at local restaurant, and then continue to visit Angkor Wat (One of the world's Seven Amazing Sites in a Thousand Year Time)
17:30 Enjoy watching sunset on Phnom Bakeng, after that Dinner at the local restaurant.

3rd day : Seim Reap - Phnom Kou Lean & Apsara Show
06:30 Breakfast at your Hotel or Guest House
07:00 Transfer to visit Phnom Kou Lean (Kou Lean Mountain) Preak Thom and WaterFall.
12:00 Lunch box. after lunch transfer to Folk art & Handicraft Center.
17:30 Dinner with Apsara Show at the local restaurant.

4th day : Seim-Reap - Bangkok
06:30 Breakfast at your hotel or Guest House
07:00 Pickup and transfer from your hotel to Poi pet by private car.
12:00 Lunch at local restaurant and continue to Bangkok send to Phayathi Sky train and Hualumphong train station.

2010年12月2日木曜日

忙しいので出勤日を前倒しで、休みは長くの巻き

何と師走になってしまいました。
今年も、わずか一ヶ月しか残されておりません。
こんなにも時間が早く進むものだったのでしょうか。
年を取ったもんだと感じてしまいました。

あと一ヶ月働きゃ、来年がやって来てしまうのです。
そうなると、年をまたいでお正月の休暇もやって来ます。
でも、今年は実に休暇が少ないのでした。

なんと、当社の就業カレンダーは、晦日の30日まで出社です。
やっと大晦日で休暇になっても、出社は来年の四日なのでした。
ですから、お正月休みは僅か四日間と限られています。

こんなに短いお正月では、張り切りようもない。
歳ですから、根性入れて旅行する気も無い。
これは、寝正月に限ると思って、自宅の引きこもりを決意しておりました。

ところがですよ。
従業員も、短い正月休みはどうもいやだったらしいです。
今日、突然総務課長が振り替え休日の案を持ってきました。

先ずは、11日と18日の土曜日を振り替出勤する提案です。
そして、代わりに29日と30日を休みたいとのことでした。
となると、正月休みは俄然長くなって、一週間近くになるのでした。

実は、今月、工場の納期が間に合わない事態に陥りました。
突然、お客さんから六十台と、当社にしては大きな注文が入てしまったのです。
納期一ヶ月の商品を三週間で納めてくれなんて虫が良すぎます。

ならば、出勤日を前倒しして間に合わせましょう。
わたしも状況を把握していましたので、すぐに書類にサインをしました。
もちろん、従業員は待望の長い休みが取得できるのです。

みんな、田舎に帰省するんだろうなー。
こっちは、引きこもりの正月を決めてしまった。
だから、ちょっと時間をもてあましそうです。

と言うわけで、六日間の休みをいかにエンジョイしたらよいのでしょうか。
悩んでしまいましたが、思い切って外に出ることにしました。
上さんがちょっと悩んでいましたけど、そこはゴリ押しです。
どこへ行くかは、次回の投稿を読んでもらいたいと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年12月1日水曜日

なんか生えて来ましたが、安い方にしますの巻き


「Nuhair5」って、名前になっていました。
成分は、ミノキシジル5%の含有です。
いわずと知れた毛生え薬ですよ。

一ヶ月前、「ロゲイン」で御髪の淡い復活を願って始めました。
一日二回、朝晩にしこしこ振りかけてきたのです。
もちろん、同じミノキシジルが入っております。

ただ、値段がお高い。
1590バーツ、日本円で4千5百円もしました。
でも、初めてですから、ちょっと不安もあったのです。
なので、初めは舶来ものでリスクを回避することにしました。

今度は、安くても良いんじゃないか。
頭皮も、ミノキシジルに馴染んできただろう。
多少のバチモンでも何とかなると考えたのです。

そう思って、タイ製を買ってまいりました。
690バーツの格安な値段が気に入っております。
日本円なら二千円しませんから、半額以下なのだ。

 ※製造元は、ポリファーム社で、しっかりしている感じです。

ところで、本当に毛が生えたのかどうかです。
前回の投稿では、手厳しいコメントもありました。
額が禿げ上がるタイプには効果が無いのだそうです。

要するに、通称総退却型の頭髪には効かないらしい。
わたしの場合、退却と言うより頭頂全面撤退なのです。
じわりじわり進行したのでもない。

つまり、分類できる範疇には無いのです。
だから、ひょっとしたら奇跡があるかもしれません。
そう思って、興味津々で始めて見ました。

結果はどうだったのでしょう。
たったの一ヶ月ですが、ちょっと生えてまいりました。
効果があるのかもしれません。

と言うわけで、もう一ヶ月、ミノキシジルを頭に振りかけてみることにします。
生えてくるのかどうかは、神のみぞ知るところでありましょうか。
いや、髪のみぞかと思って笑ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)