2012年2月29日水曜日

ミャンマー経済の開国前夜は一年前に知っていたの巻き


この写真は、一年前に撮影されました。
ミャンマーはヤンゴンの中古車青空市場です。
台数で二百台近くはあったでしょうか。

ほとんどが日本車でした。
しかも、かなり年式の古いモデルばかりです。
日本で走っているのを見つけるのは、無論難しいです。


いやー、懐かしいです。
自分も乗っていたことのあるファミリアでした。
たしか、80年代のデザインですので三十年近く前でしょう。

しかし、あの時、どうして現地販社の人が案内してくれたのでしょうか。
へっぽこ社は、自動車社会を下支えするメーカーですが直接的ではありません。
でも、自動車が増えれば関連するインフラも求められるのは事実です。

だから、動かぬ証拠としてこの市場を紹介してくれたのだと思いました。
この販社は、なかなかスマートな演出をしてくれます。
まさに、百聞は一見にしかずと言った感じでした。

※こんなレトロな車も走っていました!

ところで、日本経済新聞がミャンマー経済を記事で取上げたのは、つい最近です。
見出しに熱が入っていまして”ミャンマー経済 「開国前夜」"となっていました。
確かに、鎖国同然の国家運営でしたから、外資は黒船の例えどおりでしょう。

と言うわけで、日本企業もスタートラインにこぞって並び出したのは間違えないようです。日経が記事で取上げたのは、自動車業界に加えて社会インフラ関連の企業でした。先ずは、こう言った産業からスタートでしょうが、ついこの間、味の素が輸出ライセンスを取得した記事を見かけました。もう食品関連が、市場に食い込み出しているんですよ。 経営者の皆さん、出遅れないようにと忠告したい道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

オレは総理大臣以上と言う自負心だけの巻き

質問:なぜプリキュア28人の名前は覚えられるのに、たった17人しかいない平成の総理大臣を覚えられないのですか?


回答:プリキュアは最低一年以上戦ってるからです。


と言うのなら、自分は四年間海外で戦って業績を出してきました。
時間的な尺度でものを見るなら、先ずは総理大臣よりマシだったと言うことでしょうかね。
しかし、プリキュア程度と比較される政治家などは、塵芥のレベルにしか見えませんなー。

自分はタイで仕事をして、自分なりに市場開拓を現地の従業員と共にしてきました。
だから、成果として創立二十数年来の最高売り上げ、最高利益、最高ボーナス、工場用地取得、新社屋竣工とできることは総てしました。

と言うわけで、タイのへっぽこ社は今が旬なのでしょう。表現としては、後ろ髪を惹かれる思いもありますが、でも実際には髪の毛もそうありませんから、自負心だけの帰国になりそうです。また、底辺管理職からの日本再スタートなのかと思いつつ、笑うしかない道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

引用のご紹介:
雑庫/雑録/Tumblrからです。なかなか面白いです。

日経新聞は、ミャンマーに熱い視線を注いでいるの巻き

※拡大して読む場合は、末尾を参照してね。

以前、「ミャンマー経済は開国前夜なのかの巻き」でアップしました。
まさに、同国はタイトルどおりの状況にあるのかもしれません。
今回は、その前触れになった2月10日付けの記事も取上げます。

記事を読んでいただいて分かると思いますが、インフラはこれからです。
現状でも、実用的な工業団地は数えるほどのようです。
ただ、国土面積が日本より倍近くあるのと、人口六千万人は有望です。

輸出基地もさることながら、営業先としての市場が期待できましょう。
これに、隣国のバングラデシュが一億五千万人ですから巨大市場です。
一方、インドシナ半島の諸国で合計すれば、二億五千万人になります。

この他、資源開発が未開拓なんですね。
天然ガス田の開発は先行していますが、石炭など鉱山資源はこれからです。
宝石の採掘も盛んですし、まさに宝の山 と言ってよいでしょう。

と言うわけで、ミャンマーの市場環境は、どんな業界の日系企業にとっても魅力的といえるんじゃないでしょうか。 特にヤンゴン市内の発展は、半年ごとに訪れるだけで、その進展ぶりに驚かされて来ました。かつて、ベトナムで経験した経済発展ブームのフロンティアですが、ついにこの国に移ったようだなと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

注:
スクラップ記事の拡大の仕方です。
<ブラウザー:IEの場合>
手順は、右クリックで”リンクを開く(O)”を選択→現れた画像を左クリックし拡大。
Firefoxの場合、右クリックで”リンクを新しいタブで開く(T)”を選択します。

2012年2月28日火曜日

目標を達成しても評価されなければ意味も無しの巻き


日本人が一人で駐在しているのは、さみしいものですな。
いろいろな文書にサインをしたり暇をつぶすことはできます。
でも、もうすぐ帰国なので、これと言った本気の仕事もありません。

後一ヶ月で新社長にバトンタッチなので、任せておけばいいだけのことでしょう。
もうすぐ帰国できることは、うれしいと思われるかもしれない。
ところが、極度に憂鬱でして、日本では出社拒否症に陥りそうです。

母国に帰っても、昇進するわけでもない。
窓際管理職のままで、営業ノルマを押し付けられるのです。
一方、親会社は組織を拡充したらしく管理職が半分以上になってしまった。

しかも、営業職でなくて間接職ばかりのようです。
仮に営業へ転進させても、四十代から即戦力になるのは無理です。
全員特攻で玉砕してまで、売り上げを死守せよと無慈悲な社命でしょうか。

ところが、こちらでは引継ぎ書類を作らなければならない。
方や、株主総会・取締役会の資料も、一人で総て作成するのです。
忙しくなるのは分かっているのに、全くやる気が起こりません。

いやー、困ってしまった。
本当にうつ病になってしまいそうだ。
些細なことで一喜一憂して、判断力が低下しております。

でも、今日は一つだけ、うれしいことがありました。
それは、工場が目標としていた労働安全衛生時間の達成です。
目標は百万時間の無災害連続でしたが、二月に入って越えておりました。

ただ、従業員の誰も報告に来ないなんて、これもまたさみしい。
過去の記録が六十万時間強だったので、大幅な更新ですよ。
自分でふと思い出して、構内の専用掲示板を見に行って確認してきました。

と言うわけで、今度の目標は、掲示板に二百万時間と既に書き換えられていたのでした。きっと、後任が記録を塗り替えてくれるものと思います。安全衛生の観念も社内にしっかり定着したことだし、うれしいことはうれしいのですが、こう言った業績は日本側など関心は微塵もないのでしょう。だって、一度も聞かれたことがありませんから。だから、窓際課長のまま帰るんだろうと、変に納得してしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月27日月曜日

ミャンマー経済は開国前夜なのかの巻き

※拡大して読む場合は、末尾を参照してね。

日本経済新聞の2月15日付スクラップ記事です。
自分が先行して切り開いたミャンマー市場が紹介されるとうれしい。
「開国前夜」と言う見出しが、期待感の高まりを感じさせてくれますね。

と書き出して保存していたら、後半部が吹っ飛んでしまいました。
書き直す気も起きないので、スクラップでもお読み下さい。
と気落ちしてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

注:
スクラップ記事の拡大の仕方です。
<ブラウザー:IEの場合>
手順は、右クリックで”リンクを開く(O)”を選択→現れた画像を左クリックし拡大。
Firefoxの場合、右クリックで”リンクを新しいタブで開く(T)”を選択します。

2012年2月26日日曜日

マスカラ、アイシャドーの仏様はなまめかしいの巻き


いやはや、この仏様、なまめかしいです。
マスカラに、アイシャドー、果ては口紅まで付けている感じもします。
それに、マニキュアも塗っているような印象まで受けてしまいました。

この涅槃物ですが、ミャンマーはヤンゴンに寝そべっております。
寺院の名前は、チャウタッジーパゴダ(CHAUKHTAGYI PAGODA)でした。
1909年創建のお寺だそうですが、鉄骨で無粋な施設はまめに修繕されているように感じました。


もちろん、仏様のお化粧も濃くて、肌がつるつるして輝いております。
足踏まずの無い足裏も、仏足石そのまんまです。
片や、ダイヤモンド初めとする宝石がちりばめられた宝冠がきらきらしておりました。

ここでは、少女の尼さんたちが拝観に訪れておりました。
十名以上はいましたでしょうか。
グループの中には、寺の小僧さんらしい少年も連れ添っていました。


と言うわけで、かわいい尼僧さんたちの僧衣は、ピンク色を貴重とした配色のようで、あでやかさを多少なりとも残しております。タイですと無垢の白色だけなんですが、こちらは衣装だけを見ても、男性か女性なのかすぐに判別できるのでした。もちろん、尼寺もありまして修行が認められております。ミャンマーは、尼僧の認められないタイの上座仏教とは違って、人間総てに解放されているところが崇高だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月25日土曜日

海浜の景勝地、ホアヒンで宿泊中の巻き



バンコクからホアヒンまでやってきました。
三時間もあれば移動できます。
宿泊先は、バーン・タレー・ダオ・リゾートです。

一泊二食、二人で一万程度で朝食がおいしいようです。
それで、かなり酔っています。
バランタインの17年物を上さんと二人で飲み続けて来ました。

昼間からですよ。
アルコール漬けですが、酔うのもまた楽しい。
ちょっと、海岸線を散策してコンビニで買い物して酔い覚ましです。

それが済んだら、また晩酌、晩酌と飲み続けております。
日本に帰っても、昇進無しとむごいお沙汰もでまして自暴自棄です。
この四年間、過去最高業績は何だったのだろうと暴れております。

と言うわけで、コンビニも近いので、ビールにつまみは買い物して持ち込んで飲みまくって荒れております。上さんも乗ってきて酔いまくり状態ですが、日本にだんだん帰りたくないと思うようになりました。出世するわけでもなし、この四年間の頑張りは、いったいなんだったのかと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月24日金曜日

カエルもストレスで八つ当たりするんでしょうかの巻き


このようつべを見ていると、カエル君がかわいそうです。
画面を下ってくる餌のアリさん欲しさに、パクついています。
でも、実物じゃないですから、食事にありつけるわけでも無い。

でも、タッチパネルですから舌の攻撃でアリさんがダウンします。
スコアがカウントされているんじゃないでしょうか。
かくして、ゲームオーバーになってしまいました。

食べられなくて餌のアリさんまで画面から消えてしまいました。
これは、フラストレーションがたまるんじゃないでしょうか。
カエルじゃなくたって、人間だって怒り出すに決まっています。

そして、とうとう飼い主の親指に喰らい付いてしまいました。
あまりの痛さに飼い主は、スマートフォンを放り出してしまいます。
本当に痛かった感じがしますね。

と言うわけで、”一寸の虫にも五分の魂”と言うことわざを思い出してしまいました。どんなに小さく力が弱い者にもそれなりの意地や思いというもの持っていると言う意味ですが、正にこのカエル君はそうなんじゃないでしょうか。飼い主はからかいすぎですが、自業自得と行った感じもしまして、カエル君に喝采を送りたくなった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月23日木曜日

感動の経営格言と糞オリンパスの巻き

規模が大きい会社よりも、
意思がきちっと伝わる会社の方が強い。

加藤 修一・ケーズホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)

いやー、この言葉をネットで見かけましたが理解できます。
上意下達 が速やかで正確な場合、よい組織の第一条件でありましょう。
途中で意図的に伝達が潤色されるのなら、組織は腐敗しています。

まあ、オリンパスなんてそんなもんでしょう。
経営陣の意図である粉飾決算を、徹底的に隠蔽することでした。
上位はそれをひた隠し、下位には知らされないまま経営が迷走する。

しかも、聞こえの良い内部通報精度を悪用しました。
問題社員を洗い出しては、心の病に問題があるとして排除する。
目的は、途方も無い巨額の粉飾決算を暴かれないようにすることだけです。

※片棒かつぎらしい弁護士

こう言った会社は、企業の公徳心など見るも無残です。
モラルなど形骸しか残されていない。
上場など廃止はおろか、こんな企業は清算した方が良いのだ。

そして、会社の資産は、切り刻んでどこかに売り飛ばすのがマシです。
内視鏡のブランドがもったいないとか関係ありません。
一罰百戒なくして、日本企業のモラル再生などありえないからです。

と言うわけで、このブラック企業の労務管理における顧問弁護士が、日本四大法人の一角であったと言うことは、法曹界もまっくろくろすけのブラックだったということです。弱きを助け、強気をくじくなど、夢幻のごとくなのでした。産業医を使って内部通報者を精神異常に仕立て上げようなど、企業の存在自体が外道だと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月22日水曜日

帰国前にスーツケースを買い換えるの巻き


今使っているスーツケースも古くなりました。
キャスターも壊れてしまっています。
五年間、だましだまし使って来たのをあきらめました。

もうひとつ、他のスーツケースも十年使いました。
ですので、バンコクで捨ててしまいましょう。
日本に持って帰ると、粗大ゴミの廃棄で厄介です。

それで、代わりをいろいろと探してみました。

サムソナイトはどこにでもありましたが、非常に高い。
他に、世界二位のメーカー、デルセー社もありました。
品質は、サムソナイトより優れているんじゃないでしょうか。

個人的には、かなり気に入りました。
ですが、まだ値が張り過ぎますので我慢しました。
こうなると、デパートをハシゴして探すしかありません。

地下鉄に乗って、カルチャーセンター駅まで遠征です。
ここにはロビンソンデパートがあります。
外人観光客が大型バスで駆けつけ、しかも5%の値引きになります。

ここなら、スーツケースも買い求める客がいるとおもいました。
やっぱり、そこではエミネントのブランドを紹介されました。
日本のメーカーですが、結構、有名みたいです。

まあ、ディスカウントで手ごろな価格まで下がりました。
ちょっと食指が伸びたのですが、展示品らしい。
何となくくたびれた感じもしてあきらめました。

やっぱり新品がほしいですからね。
それで、上さんと一緒にデパートを出てしまいました。
次にとなりのビッグCに移ったのですが、ここが大正解です。


コストパフォーマンスの良さそうな品を見つけてしまいました。
BP WORLDって言いますが、タイのブランドみたいです。
日本円ですと、小が六千円、大が九千円程度の価格になりましょうか。

面白かったのは、派遣されていたメーカーの店員さんでした。
上さんと一緒に物色していると、突然、側によって来ます。
取り出したケースに、わざと大げさな格好をしてデンと座りました。

いやはや、そのパフォーマンスにびっくりしました。
何のことかと思ったら、頑丈だということらしい。
そのあと値段を聞かせてもらって、買うのを決心しました。

と言うわけで、タイ製の品物は独自ブランドでマーケティングができるようになったんじゃないかと思いました。先月購入したアウトドア用のテントもそうですが、値段の割にデザインも品質も向上しています。こうして、タイは着実に中進国の経済発展を歩んでいると感じた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月21日火曜日

バガンの仏教遺跡で、平家物語を思い出すの巻き



 祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の花の色
 盛者必衰の理をあらはす
 おごれる人も久しからず
 ただ春の夜の夢のごとし
 たけき者もつひには滅びぬ
 ひとへに風の前の塵に同じ


この平家物語の冒頭を暗記しました。
中学生の頃だったでしょうか。
何度も読み下すうちに、格調の高さに触れました。

漢語を交え、余韻の残る体言止です。
滅びのはかなさが、この一節に凝集されています。
リズム感のある文体が、現代にも通用するかもしれない。

それで、どういう分けかバガンでふと思い出しました。
朽ち果てた仏教遺跡は、例えそのものです。
祇園精舎は、インドにあるお寺の音読みだそうです。

そんなお寺つながりが、容易に連想させてくれました。
遺跡を見るにつれ、栄枯盛衰を強く意識せざるを得ないのです。
しかも、三千もの仏塔・寺院が林立する光景は圧倒的でした。


なぜ、往時を極めたパガン朝は衰亡していったのか。
ちょっと、興味を持ちましてネットで調べてみました。
まず、直接の原因は、モンゴル(元王朝)の侵攻でした。

これにより、王都が放棄されたのが始まりです。
しかも、モンゴル人によって略奪されたと考えられています。
完全に都市機能は崩壊してしまったのでしょう。

それでも、この地に留まった僧侶達は仏教に帰依し続けました。
その後も、仏教研究の場としては繁栄を続けたとあります。
これが、バガンの遺跡を保存させることになったのかも知れません。

と言うわけで、他に間接的な理由もありまして、王族や貴族が過度に寺院へ寄進をしたことから、極度に財政を悪化・疲弊させたのが、大きな要因なんだそうです。他方では、仏教を国教として定めることで、安定して国家を統治できたのも事実でしょう。行きすぎた帰依ゆえに衰退してしまった現象は、同時期に栄えたアンコールワット遺跡で有名なクメール王朝も同様ですが、皮肉としか言いようがありません。そんな諸行無常を感じてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月20日月曜日

日本を考えなくなったら、土着化しているの巻き


毎日、朝六時に起床します。
出勤までの一時間ですが、あわただしい。
先ず、テレビのスイッチをオンします。

番組は、NHKの海外衛星放送からにしています。
今、NHKの朝の連続ドラマ小説が面白い。
”カーネーション”って、日本における女性デザイナー草分けのストーリーです。

コシノ・ファミリーといえば知らない人はいないでしょう。
その一家を描いていますが、女性実業家の誕生といった感じもします。
まあ、ゆっくり座ってみるわけにいかず、色々な用足しの最中に盗み見ですね。

これが終わると、奥さま向けの情報番組”あさいち”がはじまります。
これって、二時間の時差がありますから、日本は八時半です。
タイは遅れていますから、早朝になってしまうのが変です。

コーヒーを飲みながら、上さんと話をして見ています。
おやっ、今日は””OOが咲かない”とクイズ風のテロップが出ました。
ピンと来たのは、先ず草花の話でしょう。

咲くとありますから、花しかありえない。
早春の候ですから、日本人なら梅しかありえないでしょう。
一月の頃なら、水仙とかもありめますが、二月は梅です。

それで、取材では神奈川県の曽我梅林が紹介されていました。
なんと、一分以下の五厘咲きです。
ほとんどがつぼみ状態で、梅林は寒々しい風景だけでした。

いやはや、今年の日本の冬は、寒いなんてもんじゃない。
例年なら、二月末には梅の開花は終わってしまいます。
それが、まだまだの状態でして満開は三月にずれ込むはずです。

こうなると、桜も東京・神奈川は満開が四月に遅れてしまうのでしょうか。
ならば、三月末、日本に帰国した時、花見が楽しめるのかもしれない。
日本人ですから、タイに住んでいても日本の季節は気になるのでした。

と言うわけで、タイに長く住み続けますと年がら年中夏だらけの国ですから、日本のような四季折々の季節感を意識しなくなってしまうのも事実です。そうなったら、日本人も現地に土着化したんだろうと思うのですが、道産子社長は駄目でした。四年経っても、雪が見たい、梅や桜を見たいと恋焦がれるのです。そんな帰国前一ヶ月に思った感想なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月19日日曜日

世界三大仏教遺跡・バガン、スラマニ寺院は見落とすなの巻き


バガン観光の一押しは、ぜったいにスラマニ寺院(Su-la-ma-ni Pahto)です。
観光客もさほど多くなく、静けさに包まれています。
しかも、寺院内部を巡る回廊のフレスコ画には圧倒されました。

その場所は、自分で探してみるしかありません。
なぜなら、照明も説明書きも全くないからです。
それほど拝観設備としては貧弱ですが、見つけたら感動的です。

壁画が活き活きとしていて、目の前に迫って来ます。
当時の人々の生活が息づいているように、想像が膨らむのです。
言葉が見つからないほどですから、写真で紹介させてもらいましょう。


これに加えて、寺院外壁の化粧漆喰による彫刻もまたすばらしい。
タイでは、スコータイ遺跡でも見かけますが、剥離や劣化が進んでいます。
それより前の遺跡で、これほど状態がよく残っているのに感銘を受けました。


と言うわけで、このお寺はバガン朝ナラパティシートゥー(Narapatisithu)王により建立されました。1183年ですから、日本で言えば鎌倉に幕府が開かれた頃で、はるか中世の時代になりましょう。歴史的に見て時期の近い寺院では、初日に道産子社長夫妻が訪れた「ティーローミィンロー寺院 (Htilominlo Pahto)」があります。どちらも甲乙つけがたいのですが、スラマニ寺院のほうが仏教芸術では秀逸です。ぜひ、バガンでは訪れてもらいたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

遺跡訪問のヒント:照明設備がないので懐中電灯の携行をお勧めします。

2012年2月18日土曜日

世界三大仏教遺跡・バガン、チャリンコ周遊二日目の巻き(その③)

※左クリックで拡大してご覧下さい。

二日目は、初日と比べて行動距離がかなり伸びました。
ほとんどが砂地でダートの道を漕ぎ回っていたと言う感じです。
時には、砂が深いせいか轍にタイヤを取られて止まってしまいます。

こういう時は、自転車を押しながら、とぼとぼ歩かなくてならない。
ようやく、砂が浅くなったと判断して、また漕ぎ出します。
そんな繰り返しの連続で、かなり体力を消耗しました。

※ヤギの牧畜が盛んなようでした。

今の時期は、乾季ですから砂漠みたいに乾燥しています。
これが、雨季の頃に来たら、道は泥んこになってしまうはずでしょう。
ですので、自転車周遊はこの季節だけがベストだと感じました。

さて、二日目ですが見逃せない二つのポイントがあります。
一つ目は、パゴダに登って見晴らしの利くポイントです。
二箇所ありまして、どちらも捨てがたく撮影ポイントになります。

グーグルで、BAGANのパノラマ写真を検索して見てください。
ここから撮影したと思われる観光写真が、たくさん見つかるはずです。
でも、あまりよく分からずにガイドブックだけを頼りに回ったんですね

なので、絶景ポイントを外さなかったのは幸運だったのかも知れません。
次に、二つ目のポイントは、壁画のすばらしいお寺です。
スタッコ(漆喰)の上に彩色画が描かれていて活き活きとしています。

建築物なんかは、あまたにあって飽き飽きして来ますが、これは違う。
まさに、当時の仏教芸術の到達点を示している感じもします。
この紹介は、この投稿に続けて紹介しますのでご覧になってください。

さて、回った順番は次のようになっています。

 ① Shwe-nan-in-taw Complex
 ③ No. 820 Pagoda
 ④ Pya-tha-da Pagoda
 ⑤ Su-la-ma-ni Pahto
 ⑥ Dhamma-yan-gyi Pahto
 ⑦ Shwe-san-daw phaya
 ⑧ Shinbinthalyaung - Reclining Buddha
 ⑨ SAN-THI-DAR Restaurant

建築物の写真は、それほど撮りだめしませんでした。
初日に比べて見慣れてたせいか、面白みを感じなかったのかもしれない。
それでも、撮影した写真がありますので紹介してみます。

② Tha-beik-hmauk


このお寺では、仏塔の上に上ることができます。
西側から、壁画で有名な Su-la-ma-ni Pahtoが見えました。
一方、東側は中小の仏塔が林立していてパノラマを楽しめます。

③ No.820 Pagoda


台湾の方が修復を支援されたようです。
繁字体の碑文には、仏教に帰依した篤志家の名前が紹介されていました。
こう言った外国人の寄付が多くて、初日では日本人の名前も見かけました。
次に訪れた ④ Pya-tha-da Pagoda は、シンガポールからの浄財でした。
観光バスが来ていまして、容姿ですぐに華僑系の人だと分かりました。

⑥ Dhamma-yan-gyi Pahto


この遺跡は巨大なんですが、保存状態が良くありません。
そばに寄れば寄るほど、ちょっとがっかりします。
中を歩く回廊も、安置された仏様も少し見劣りがしました。
でも、次に訪れた ⑦ Shwe-san-daw phaya からの遠望はすばらしい。
スケールの大きさを十二分に感じさせてくれます。

⑦ Shwe-san-daw phaya


このパゴダも、登ることができます。
手すりが付いていて安全ですが、勾配がかなり険しい。
下りる時は、 膝が笑ってしまって要注意でした。

⑧ Shinbinthalyaung - Reclining Buddha


⑦ Shwe-san-daw phaya に隣接する講堂のような建築物です。
レンガ造りで何の変哲もないのですが、入ってびっくりしました。
涅槃仏が横たわっていて、 かなり大きく見ごたえがあります。


と言うわけで、お昼を取るレストランが見つけられなくて、ようやく ⑨ SAN-THI-DAR Restaurant をニューバガンへ向かう道路の途中で見つけて入りました。炒麺、炒飯、ミネラルウォータで三ドルちょっとは、かなりの格安です。でも、油っこい味付けで胃もたれがしそうでした。ミャンマー料理の典型みたいな調理でしたけど、平らげた後は、ひたすらホテルへの帰路を急ぐ道産子社長夫婦なのでした。
(この巻き、終わり)

2012年2月16日木曜日

世界三大仏教遺跡・バガン、チャリンコ周遊初日の巻き(その②)

その①の投稿では、午前中の周遊を紹介しました。
午後からは、サラバーレストランを出発して、かなりの強行軍になりました。
行程ですが、その①で紹介した地図を参照にしてみてください。

⑦ Tha-ra-ba-gate
※ただの門です。舗装道路が凸凹でサドルに尻が当たって痛い。

⑧ Golden Royal Palace
※5ドルを払って見るのは野暮。遠望で見ておけば十分です。

⑨ Ananda Temple
※ほっぺたに塗るタナカ粉の原料(木の枝)の直売です。

このアーナンダ寺院は、バガン遺跡の中でも最大級の大きさを誇るパゴダです。ですので、ツアーで訪れても外すことは絶対にない名所でして、仏様のお姿に感動しました。

⑩ That-byin-nyu Temple
※アーナンダ寺院とセットで訪れる名所です。

⑪ Shwe-gu-gyi
※パゴダに上って遠望が楽しめます。
Ta-Bet-Kya と Ananda が遠望できる撮影ポイント。

⑫ Maha-Bodi Pagoda
写真を撮り忘れましたが、ググって画像を探してみてください。
それなりに美しい仏塔だと思います。

⑬ Paya-nga-zu group
※こじんまりとしていますが、仏塔群の景観が絵になります。

⑭ Hti-lo-min-lo

⑮ Min-myaw-yaza
※石像がかわいい。中では二体の仏様が寝そべっています。

⑯ Min-o-chan-tha
※ヤギの牧畜が絵になりました。

⑰ Hsu-taung-pyi
※アーナンダ寺院の近くでした。

と言うわけで、途中でミネラルウォーターが不足して買い足しました。暑い中を自転車で漕ぎ回りましたので、汗を大量に掻くためか、のどが渇きます。いやはや、くたびれました。ホテルに戻ったら、ベッドへバタンキューですよ。そんな初日が過ぎて行った道産子社長夫婦なのでした。
(この巻き、終わり)