2010年8月31日火曜日

ローシーズンだから、お手軽に泊まれたのでしょうの巻き

やっぱり、雨季が本格的に始まったせいでしょう。
昨日の正午前にリゾートに到着しました。
でも、着いてから雨は降ったりやんだりで、空模様が悪い。

このシーズンを地元の人は、ローシーズンと呼びます。

低い季節って単純に訳しますと、意味からして不思議な言語感です。
ただ、雨季の時期に重なり合うのは事実です。
五月中に始まり十月に終わる雨模様の日々では、何事も活動に制約を受けます。

特に観光産業では、海外からの客の出足も遠のくことでしょう。
この言葉ですが、英語の使い方としては正解なのです。
逆にシーズン・オフの方が、和製英語で誤りでした。

このエデンリゾートのパンフレットを見ましたが、宿泊料金は意外に高いのでした。
正規料金なら一室三千バーツ以上します。
私の聞いた限りでは、一人当たりの宿泊予算が半分以下だったはずです。
しかも、朝食・夕食込みの料金なのでした。
団体の上に、閑散期なのでかなりのディスカウントだったと感じました。

それで、翌日は研修も終えたことだし、社員全員が観光モードに切り替わりました。
この近辺には、温泉だとか滝めぐりなんかもできるようです。
ただ、この日は、あいにくの雨だったので手軽に行ける近場に切り替えました。

初めに、”Candle Galore”と言うオリジナルのろうそくを売っているお店を見学しました。

※入り口です。

※ろうそく手作りの実演中。

※お坊さんが可愛いろうそくです。

※ろうそくを灯す室内は魅力的ですが、ちょっと蒸し暑い。

 続けて、ヒツジの飼われている”Scenery Resort”を訪ねました。

※夜になると景観の変わる面白いホームページです。

※駐車場そばの牧草で作ったマスコット

※40バーツでヒツジに餌をあげることができます。

※可愛いけど、400バーツもします。

と言うわけで、ラチャブリはそれなりの観光地なのでした。
ネームバリューでは、カンチャナブリよりちょっと劣りますが、ちゃんとリゾートも存在しています。
しかも、バンコクからは手短な場所にあって気楽に出かけられるのです。
そんな会社の宿泊研修に、参加できたことをうれしく思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月30日月曜日

ミャンマーへ行くと必ず発熱しますの巻き


と言うわけで、熱が38度近くありまして、早退はするわ、病院へ行くわで、てんてこ舞いです。
前回、四月にミャンマーへ行った時は熱中症でダウンしましたけど、今回の日帰り出張では風邪を引いてしまいました。
ちょっと、体もだるいので、今日はお先に休ませていただきます。
皆さんも、夏風邪には十分にご注意下さい。
(この巻き、終り)

2010年8月29日日曜日

ラチャブリはバンコクの西にありましたの巻き

自宅と工場を往復する毎日が大半です。
そのせいか、あまりタイの地理には詳しくありません。
ただ、地方の支店は、時々訪問して来ました。
このため、飛び石状態で、その場所の地理だけは理解しています。

それで、バンコクの郊外となると、からっきし知りません。
ゴルフができれば、地名や場所を覚えるのには好都合でしょう。
でも、私はしないのです、する気が起きません

だから、知っているのは、ラヨンとかアユタヤなどの工業団ぐらいなもんです。
このため、会社の外部研修に参加するのはありがたい。
私が赴任する前から、例年、実施されているようです。

ここ二年間は、ナコーンナヨーク県のリゾートに出かけました。
リゾートと謳っていますが、地元の人のためのようです。
多分、ファラン(外人)は来ないか、こちらに住み着いた人なら来るでしょう。
そんな、手頃なイメージがありました。

それで、去年の施設は残念ですが見劣りしました。
食事も部屋も劣ったので、今年はちょっと予算を気持ちで上げてみました。
それで、場所もこのラチャブリに変えました。

名前も、Eden Garden Resort(エデン・ガーデン・リゾート)です。
インターネットのホームページを見る限り、そこそこのPRをしています。
期待が持てそうなので、楽しみにしていました。

※ホームページはこちらから

そして、今日土曜日に昼から参加しました。
朝からびったしの人間関係に関するセミナーは、いつもご遠慮させていただきます。
タイ語なので、社長が参観してもちんぷんかんぷんですから。
ですので、昼飯、パーティーに参加して親睦を深めると言うのが、主たる目的です。

でも、昨日のミャンマー日帰り出張からすぐに参加するのは、きついですよ。
あわただしいのですが、顧客もいることですし、致し方ありません。
到着して、すぐに昼ごはんをみんなと食べた限り、食事は及第点でした。



と言うわけで、晩のパーティーを楽しみにすることにいたしましょう。
そんなパーティー直前で、思いついたことを書き連ねる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
パーティーは、ヒューマンリレーションズのセミナーに関る発表会もありましたが、盛り上がりました。

2010年8月28日土曜日

ミャンマーは日帰り出張が可能でしたの巻き(証拠写真付)


いやはや、ミャンマーのヤンゴンへは日帰り出張です。
エア・アジアの早朝便と、夕方便を使えば、日中に仕事の用を足す時間が充分に作れます。

往路 FD3770便 バンコク発07時15分初 ヤンゴン着08時00分着
復路 FD3773便 ヤンゴン発18時05分初 バンコク着19時50分着

今、復路の機内で記事を書いているんですが、やろうと思えばできるもんです。
ヤンゴン市内やその近郊へ訪問して商談する程度なら可能でしょう。

とにかく、POSのプレゼンテーションは終了しました。


でも、ユーザーの皆さんが、POSに何を求めていたのかは、結局、よく分かりませんでした。
ある意味では、スーパーマーケットにあるレジカウンターについている精算器の延長線上を考えているようです。
さもなくば、イメージはLANケーブルとつながったパソコンなんだろうと思いました。

確かに一部のお客さんは、既に事務所内に会計ソフトが稼動しているそうです。
ところが、我々が販売した製品機器とは接続ができないのです。
いちいち、売り上げのデータを手入力して管理する手間があります。
マニュアルで入力するのなら転記ミスも起こるでしょう。

もし、接続ができた販売データを会計ソフトに手渡せれば、問題が簡単に解決できます。
幸いにして、我々のシステムでは、ウインドウズ上でアプリが起動できます。
会計ソフトもウインドウズで動いているのならデータの橋渡しは、可能でしょう。

ですので、データを簡単に橋渡しするプログラムを提案することにしました。
これを、お客さんが受け入れるかは、これからの営業交渉にあります。
とにかく、何とか顧客のニーズに応えられそうな感じなので、ホッとしました。

と言うことで、我々のアプリは英語とタイ語でしか表示できませんので、不便でしょう。
ミャンマー語のプログラムで伝票も印字されるのなら、それに越したことは無いと考える道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
うーん、何時の間に中国製の製品がジャカスカ入っているんじゃ!!
これは、中国製との競争に突入したと実感しました。

おまけ-2:日帰りした証拠です。

2010年8月27日金曜日

今、ミャンマーへ飛んでおりますの巻き

今年に入って、ミャンマーのヤンゴンに飛ぶのが二回目です。
初めは、四月に出かけました。
市場調査の意味もあったのですが、顧客への営業訪問が目的でした。

この出張はとても重要な意味を持っていたのが、後になって分かりました。
程なくして、エンドユーザーの企業が大挙して当社の工場を見学訪問してくれたからです。
時には、前触れもなくアポもなく、訪問してくれます。

こちらとしては、うれしい悲鳴でした。
会社や取り扱い製品の説明もそつなく終えると、実際に工場見学をします。
組み立てラインでは、色々な質問を受けますので丁寧に答えるわけです。
この製品説明が気に入れば、お客様は一週間以内に注文してくれます。

このように、ユーザーが実際に製造現場で品質を確認する習慣は、地元タイでも良くあります。
多分、ぼったくりの品物をつかまされたくないのだろうと思いました。

さて、今回の二度目は、製品のプレゼンテーションです。
POSを導入したいと言う顧客の強い希望があって、デモすることになりました。
確かに、タイではコンビニエンスストアやスーパーのレジを見ても、オートメーションの導入が当たり前です。
ただ、それがミャンマーで本当に必要なのか判断が付きかねます。

そのため、POS動作の実演を実施して、顧客の反応を確かめることにしたのです。

ただ、当社が扱う製品を使用するユーザーの業界は、一般小売業界とはかなり異なります。
まず、屋外の開放した区画に一台一台の機器が設置されていて、それにPOSが有線で接続されます。
簡単に言えば、PCのLANネットワークみたいなものです。
そして、POSが色々な操作の司令塔になって各機器をすべてコントロールします。

このコントロールには、効率の良いアプリケーションが必要です。
当社は、二年前に既にアプリ開発を終了しました。
目的としては、中小規模の運営者・経営者向けに営業展開する予定でした。

大手の企業は経営規模のビジネスのために、POSをネットワーク化しています。
このため、これまで売れたのはタイ国内でわずかに数台でした。
予想外の営業不振です。
何が問題なのか、判然とせずに、模索していました。

一つは顧客のニーズに応えたアプリケーション開発をしたのだろうか。
さらに、各機器との通信状態が完璧なのだろうか。
そんな不安な状態ですが、とにかく、プレゼンをしなくてはいけません。

と言うわけで、飛行機の中で、そんなことをつらつら考えながら、プレゼンでスピーチする会社紹介の内容を考える道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年8月26日木曜日

殺風景なミャンマー大使館のビザ申請窓口は、お国柄?の巻き


先週末に申請したビザを、週明けに受け取って来ました。
ビザの配布は、普通なら三時半から始まるらしいのです。
ですが、今日は十分ぐらい繰り上げて始まりました。

この申請を受け付ける部屋は、陰気くさくて薄暗い感じです。
照明も明かり窓も少ないし、受付の窓口には鉄格子がはまっていました。
しかも、今日は曇りのどんよりとした天候でした。
ですので、なおさらその印象を受けたようです。

どうも、軍事独裁政権の印象がまとわり付くのが否めないのです。

閉じていた窓口が、ガサッと音を立てて開かれます。
それが合図なのでしょう。
ガタガタになった待合せ用のイスに座っていた人々が、立ち上がりだしました。
七八人の人がぞろぞろ並びだします。

見ていると、中には代行業者にような人もいます。
ビザのシールが貼られた旅券を、数冊まとめて受け取っていました。
その際、申請した用紙に受け取りの署名をしています。
人数分だけ、繰り返して作業をするので分かります。

自分の場合は、もちろん一人です。
さっと署名してしまえば、すぐに旅券を手渡してもらえました。
ちゃんとシールが貼られているか確認しましょう。

※ビザのみほん

このビザなんですけど、今年二回目です。
前回は、取引先の助けでビザを取ってもらいましたけど、今回は自分で申請してみました。
ただ、あまりにサービスが悪くて難儀しました。

申請フォームをどのようにもらうのかも説明がありません。
仕方が無いので、適当に並んで窓口で要求するともらえました。
しかもこの書式が、分かりづらい。

商用と観光の目的で、どちらでも使える両用の申請書式です。
保証人を書く欄とかあります。
観光ビザで入国する気だったので、どこまで書き込んでいいのか分かりませんでした。

とうとう、判断できかねる部分も出てきて、取引先に電話してしまいました。
そうしたら、相手も心配になったのでしょう。
車で駆けつけて、記入の仕方で手助けしてくれました。

分かったのは、観光ビザなので保証人の欄は記入しなくて良いのです。

当たり前といえば当たり前ですが、不慣れだと戸惑いますね。
アジアの国々でも、日本人でビザの必要な国は、限られています。
それだけ、ミャンマーは未だ鎖国なのかもしれません。

と言うわけで、この五月からは到着ビザが入手可能になりました。
ヤンゴンの空港に着いたら、写真二枚を用意しておいて30米ドル支払えば、入国が可能なのです。
でも、かような国はいつ制度が変わるか知れたものではありません。
事前に取得することをお勧めする道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
バンコクのミャンマー大使館では、パスポート用写真二枚と810バーツを用意して申請してください。
おつりは絶対にくれませんので、ご注意をお願いします。
また、9月1日よりアライバルビザは中止になる情報が入っております。ご注意ください。

こうしてのんびりさせていただいておりますの巻き


 今日は、夜の九時過ぎに帰ってきばかりで、ネタを考え付く暇がありません。
ですから、ゆっくりくつろぐことにして、投稿するの諦めました。
こう言うネコちゃんみたいに、毎日、のんべんだらりと生きていけたらなーとうらやましく思う次第です。

ところで今宵は、シンガポールの客さんを空港まで見送りして来ました。
色々とおしゃべりする機会も多かったのですが、日本の政治とか経済を聞かれたので、民主党の政権が絶望的で未来が無いと、英語で説明してやりました。

特に、菅直人首相がとんでもない人間だと表現するのに苦労しましたね。
それで、例えとして、一国のリーダーが国家を歌わず国旗に敬意を払うのも大嫌いであると説明したら、驚いていました。

それで、どうしてそのような行動を取るのかとも聞かれたのです。
もちろん、左翼色の強い人間なので、現在の政治体制を何でも否定したがる、でき損ないだと言ってやりました。

と言うわけで、私のつたない英語で説明しても、彼は理解してくれたのです。
現首相の行動論理は、一国のリーダーとして実にふさわしくないのが、意外に説明できると悟った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月25日水曜日

ぬいぐるみを偏愛して何が悪いのだの巻き


欧米は、個人主義が徹底しています。
個人の意思を第一に尊重し、その責任を第一に重んじるという、実に割り切った考え方です。
向こう三軒両隣なんて、日本的な横丁の付き合いはナンセンスなのでしょう。

ですから、家族の中でも、親と子どもの関係はドライと言えそうです。
夫婦で過ごす余暇は、子どもは干渉してはならないのだ。
そうなると、子ども達は夜の早いうちに寝かされ、あてがわれた個室へ追いやられるのです。

つまり、小さい頃から自立を促す目的で、一人で寝かせる家庭が多いことになります。

こうまで書くと、ずい分と白物の人たちは、家族の情愛が乏しくぎすぎすしたようにも感じられます。
ですが、映画やドラマなんかを見ていましても、それなりに家族愛がきちんと成立していますよね。
そこが、自分には実に不思議でした。
きっと日本人=アジア系人種とは違う感性で家族関係が存在しているのでしょう。

もちろん、欧米は先進国ですから、個人が豊かな生活を享受できます。
占有できる個室自体を持てるだけでも、うらやましい限りです。
でも、本当は、このような環境は子どもにとっては辛いのかもしれません。

だって、五歳くらいから、一人で自分の部屋に寝なくてはならないのです。
夜の暗い部屋で、寂しく寝るのですから、何かしら恐怖におびえるかもしれない。
不思議な物音や夜風におののき、怖くて眠れない時もあるのではないでしょうか。

おばけでしょうかね。

自分も、子ども時分には暗闇が怖くて眠れない時もありました。
そんな時、子ども達は、一緒に寝てくれる友達が欲しくなるんですよ。
寂しさを紛らわしてくれる相棒が大事だってことです。

だから、ぬいぐるみやタオルなど、自分のお気に入りのものと一緒に寝るのは大切なことなのです。
そんな習慣は、みなさんも良くご存知のことかと思います。

そう言えば、犬のスヌーピーが登場するほのぼの漫画で有名なピーナッツにも、お誂えの登場人部がいました。
その名は、ライナス・ヴァン・ペルト君と言います。
彼は、いつも「安心毛布」を持ち歩いて、これがないと落ち着かないキャラです。


多分名前からして親はドイツ系でしょう。
ドイツ人は、子供のしつけに厳しいと聞きました。
夜、子供部屋で子供が寂しさ余ってわめき泣いても、部屋の外から鍵をかけて寝かせるのが普通です。
そんな両親と一緒の生活ですから、ライナス君も夜の御供は欠かせないんだと思いました。

さて、そんな欧米の個人主義ですから、大人になっても毛布やぬいぐるみは欠かせないようです。
そんな証として、イギリスではなんと3人に1人の大人がテディベアなどのぬいぐるみと一緒に寝ていると答えました。
しかも、平均保持年数はなんと27年にもなるんだそうです。
体格の良い奴らの割りに、ガキの性分が抜けないのかもしれません。

と言うわけで、冒頭に掲げた写真は、道産子社長が日本の自宅に残してきた番兵のぬいぐるみ諸君であります。
正直に申しますと、独身時代、家に帰っても一人だけで暗い部屋に明かりを灯しても、寂しさは残りました。
そんな時、気を紛らわしてくれる相棒として、デパートから拉致したのが、この面々の中のサンタベアニ頭です。
かれこれ居候して十数年になりますが、テディーベアのお膝元の年数には適わないと感じたのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月23日月曜日

電源換えたら、ウインドウズXP死にましたの巻き

バンコクで自作したパソコンが動いてくれません。
電源を交換しただけなのです。
ところが、立ち上がりの初期段階で、トラブル発生をお知らせる画面が出ます。

この画面が出ると、確か、ウインドウズの正常な起動が難しくなっているはずです。
セーフモードとか言う、必要最低限の機能だけで立ち上がる方法を選択しました。
途端、ハードディスクからファイルを読み込みだしました。
画面の下隅に、読み出しているファイルが、猛烈な速度で表示されています。

二三秒後、あれ、画面が真っ黒けになった。

何も表示してくれません。
すると、パソコンは電源をオンした時の、最初の画面に戻ってしまいました。
しょうがない。
もう一度、同じ操作を繰り返します。

でも、同じ箇所で動きがクリアされて、元に戻ります。

理由がはっきりしないのです。
でも、警告を知らせる画面には、それらしい説明を読みました。
ハードウエアを換えたのが、原因らしい。

電源を換えたのが仇になったと言うことでしょうか。
しかし、最近は電源の性能がヘタって来たのか、突然、リセットしていました。
これを換えずにはいられなかったのも事実です。

結局、換えたのですが、ウインドウズ様が拒否反応を起こしました。

最近のウインドウズは、自作マニアにとっては扱いづらいのです。
インストールしたパソコンの仕様を、データにしてチェックしているようです。
つまり、複数のパソコンにインストールされたくないのです。
購入したOS一つで何台ものパソコンに増殖されたら、マイクロソフトも商売が上がったりでしょう。

ですから、ちょっとでも改造したりすると、いかさま行為に及んだと認定するようです。
これを、企業の営利行為に抵触する悪事とみなし、教育的指導とでも申しましょうか。
自分は、悪いことは何もしていないのですが、パソコンは動かなくなりました。

ただですね。
部品を交換するのは駄目でも、パーツを増設するのは問題ないようです。
メモリーやハードディスクを増やしても、ウインドウズは立ち上がってくれます。
新しい部品の情報を、データに追加して記録するだけだからでしょう。

と言うわけで、XPをインストールしなおす必要が出てきました。
でも、このインストールも途中で止まってしまい、打つ手がなくなりました。
後は、パンチップへ言ってウインドウズ7の海賊版でも入手して、インストールしてみることにしてみましょう。
もうちょっと、ラフに動いてくれるOSが無いものか、途方にくれる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ウインドウズXPは、インストールした後、四ヶ月間は正規作動の認証を受け付けなくなります。
つまり、別のPCにインストールはできますが、まともには使えません。
四ヵ月を我慢して、それ以降に、別のパソコンにインストールしてみてください。
増殖が可能になり、一つのOSで二台が使えます。
これは、ウラ技です。

2010年8月22日日曜日

おれの変態ディスコグラフィーの巻き


外道ってタイトルが決まってるでしょ。
おれ、このLPレコードを持ってんだな。
それで、歌詞カードも何にも付いていなくて、トリオレコードって超マイナーなレーベルから出ていました。

当時、二千円、普通は二千五百円だったから、お買い得レコードだった分けです。
もう、三十数年前の話ですよ。
確か、札幌の玉光堂ってレコード屋で買った思い出があります。

この外道なんですが、NHK第一ラジオの若者向け番組「若いこだま」に誤って出演していました。
パーソナリティーのサンディーさんが、メンバーのつけていた香水が臭うと話すんですね。
質問しても、はぐらかしたりまともに答えなくて、番組の進行が危うくなりそうだったのを未だに覚えています。

あの頃、頭脳警察のパンタさんもDJを担当していましたなー。
彼はいたって真面目だった記憶があります。
そんなことを思い出してしまいました。

さて、そんな中で、ブログ友の海治朗さんが、迷曲の”香り”を紹介されておられました。


荒削りですが、今になって何回聴き返しても、ドライブしている感じが素晴らしいです。
特に太鼓を叩いている人の、ズシンズシン来る安定感が、このバンドを支えていたのかもしれません。
ライブ録音のLPですから、観客が”世界一”とか、他の曲では”今日は回し飲みだ”とか叫んでいるのも聞こえて来るんですな。
ただ、回し飲みと言った直後で、急にヤジのボリュームが下がるのが面白い。
未成年の発言なので、発禁にされるのを恐れたんじゃないかと思います。

それで、この曲なんですが、今の今まで歌詞がすべて聞き取れていませんでした。
歌詞カードも付かない、お粗末レコードなので、自分に取っては迷宮入りだったのです。
でも、ようやくにしてユーチューブのコメントで、親切な方が紹介してくださいました。
歌詞の全容も分かりましたので、感謝感激、お礼申し上げます。

♪♪聞き取れなかった人用の歌詞♪♪

げーろげろげろげろげげげげげげげげーろげーろげーろげろの外道

げーろげろげろげろげげげげげげげげーろげーろげーろげろの外道­

外道は己が香り 外道は己が姿

さーさーさーさーささささささささーさーさー猿真似乞食

さーさーさーさーささささささささーさーさーさっぱりしたぜ

外道は己が香り 外道は己が姿

げーろげろげろげろげげげげげげげげーろげーろげーろげろの外道

げーろげろげろげろげげげげげげげげーろげーろげーろげろの外道

(この巻き、終り)

タイの日本食は、変態進化を遂げるの巻き

最近、はまってしまったレストランがあります。


その名も、SHABUSHIと言いまして、しゃぶしゃぶ+寿司が食べ放題です。
きっかり一時間十五分の時間制で、セルフサービスが基本です。
一人当たり税込み282バーツなので、値段の手ごろさが受けているのでしょう。
このため、昼飯や夕飯の食事時ともなると、お客さんがごった返しています。

地元のタイ人はおろか、日本人、白人など外国人の客層も混じってまして盛況です。

それで、週末には、上さんと一緒に必ず出かけてしまうようになりました。
場所はBTSエカマイ駅近くのシネマコンプレックス・メジャーにあります。
家からさほど遠くないので、食事の後は腹ごなしで歩いて帰ります。
そんな手軽さもあって、安直に週末の食事を楽しんでいます。

このSHABUSHIですが、OISHIという食品グループ企業のチェーンレストランです。


このコマーシャルを見ますと、日本人が茶化されている感じがしなくもありません。
でも、タイと言う異国でこれだけ日本食の文化が浸透しただけでも、誇らしいといえば誇らしいものがあります。

それで、ネットでこのレストランの評判を調べて見ました。
驚いたことに、四五年前ではブログネタとしては、さんざんたる悪評でした。
何せ”恐怖のOISHIレストラン”とタイトルを見ただけで、印象が分かります。
他にも、「勘違い日本料理店」とレッテルを貼っている方もおりました。

はっきり言って、あの頃は、評判が悪かった感じもするんですね。
どうも、店の運営管理が杜撰だったようです。
それに、食材の品質管理が今一歩及んでいなかったのかもしれません。

ところが、最近のブロガーの皆さんは、比較すると好意的です。
次のような投稿記事を見かけました。

最近MKのタイスキも高くなったし立派なネタにこだわらなければ こちらの方が安上がりなのではと?
まぁ、気軽にタイスキを食べたい方にもお勧めかも。
 ”そんなタイの回転 Shabushi けっこう楽しかったりします。

と、それなりにコストパフォーマンス+おいしさで評価も上がっております。
ただ、しゃぶしゃぶの認識で食べている感じがしません。
つまり、お湯にくぐらす作法は同じでも、ここは異国のタイです。
タレは全く異なり、要するにタイスキと言うことです。
からーい、どろっとしたタレに浸けて食べるのも、郷に入りては郷に従えでしょう。

それで、足繁く通っていると食べ方にコツのあるのが分かってまいりました。
伝授と言うわけでも無いのですが、ヒントを箇条書きにして見ます。

★飲み物の甘さが気になれば、水かソーダで薄めて飲む。
少しだけ飲んで味を確かめて下さい。
★お寿司は、それなりにおいしいので食べた方が良い。
★天ぷら、フライ、おでんは、興味が無ければ食べなくても良い。

次は、しゃぶしゃぶのスープ・ネタの選び方です。

★透明なスープを選ぶのが無難。
(スープ、マイ・サイ・アライと言いましょう。豆乳、トムヤム味もあります。)
★海鮮のネタは、エビ、貝がおいしい。
(湯通しした後、わさび醤油で食べても乙です。)
★練り物、魚の切り身は好み次第。
(私は、味、鮮度の点で食べなくなりました。)
★ 肉は、薄い切り身の、ラム肉か脂身の少ない豚バラ肉を選ぶ。
(丸い輪切りがラム肉だと思います。ラムしゃぶの食感でおいしい。)
★チェーンコンベアに出てこない皿は、ウエイトレスに頼む。
(エノキとか、きくらげとか頼むと持ってきてくれます。)

最後にデザートですが、アイスクリームがあります。
私の楽しみは、コーラ・フロートなんですね。
昔、子どもの頃に食べた味が懐かしくて、ついつい自分で作って食べてしまいます。

と言うわけで、あの回転コンベアも気になって調べましたら、タイで日系が国産化していました。
一方、日本では石川県に本拠のある石野製作所がほぼ独占状態です。
元々、二社あったんですが、他社はデフレで業績が振るわず40%のシェアでも事業を止めました。
世界に誇るアイデアとは言え、企業の栄枯盛衰を垣間見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月20日金曜日

かわいくて、ふてぶてしい居候の巻き


つい昨日のことです。
たまたま、構内の駐車場を歩きながら、一匹のネコを見かけました。
首輪が無いから、野良猫だろうと判断しました。
栄養事情の良い飼い猫と違って、少し細身だからです。

その時は、すぐ社有車の下に駆け込んで見えなくなってしまいました。
この近辺で、猫を見かけるのはまれなことです。
その代わり犬は、多いですよ。
工場前の通りの歩道を、うろちょろしています。
首輪が無いのですが、飼い犬なのか野良犬なのか、良く分かりません。
なぜなら、近所の住人が勝手にご飯を恵んでいるようです。

そんな、タイの飼育方法なんですが、日本には動物愛護法って立派な法律がありました。
この法律の定義が実に面白い。
人が専有している動物、つまり飼育動物または家畜動物が、対象の愛護動物なんだそうです。
じゃあ、野良犬とか野良猫は、飼っていないから対象外じゃん。

残念でした。
愛護動物の定義では、いぬ、ねこを無条件指定しています。
ですので、野良でも人間は面倒を見なくてはならないようです。

それで、もし法律を破ったらどうなるのでしょう。

これが意外に厳しい処罰が科せられます。
殺したり、傷つけたりした人は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金です。
餌を上げずに、衰弱させるような虐待行為は、五十万円以下の罰金になります。

すなわち、法律でペットの飼い方を指導していることになります。

ところで、タイではどうなのでしょうか。
こんな明文化した法律は、多分ないでしょう。
ですが、タイの人は敬虔な仏教徒がほとんどです。
御仏の教えに従えば、殺生など無慈悲なことは絶対にできません。

プミポン国王陛下ですら、路上の野良犬を引き取って王宮で一緒に暮らしていました。
名前は、トーンデーン(赤銅色という意味)と言い、その生活をつづった「トンデン物語」も出版されています。
ただ、国王陛下は、現在、病院で静養中です。
このワンちゃんも、離れ離れで寂しがっているのかもしれません。


と言うわけで、このシンデレラ・ワンちゃんと、闖入者の猫ちゃんを思わず比べました。
立派な王宮には及びもしませんが、雨風をしのげるひさしくらいは提供できそうです。
しかも、居候を決め込んで、既に立派に寝そべっているのでした。
そんな、マイペンライ猫ちゃんのふてぶてしさが、かわいいと感じる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年8月19日木曜日

今宵は睡魔が勝っているのでベッドへ直行の巻き

 
これぐらい無防備なネコちゃんは、微笑ましいぐらい可愛いものです。
と言うわけで、まだ夜の十時前ですが、まぶたがとろんと落ちそうなぐらい眠たいのと、ネタが思いつかないので、就寝することにいたします。
では、お休みなさいませ。
(この巻き、終り)
 

2010年8月18日水曜日

食い物が豊かだからと言って、死体に手を出しちゃまずいの巻き

タイのマスメディアは、非常に鷹揚なのでしょうか、それとも、倫理規定が微塵も無いのでしょうか。
良く分からなくなる時があるのです。
例えば、グロテスクな報道画像ですね。
流血の殺人現場やその死体写真が、平気で新聞の紙面を飾ったりしています。

もう二年前の事件になってしまいましたが、インドのボンベイでテロ事件が発生しました。
この時、バンコクポストの英字紙は、すごかった。
駅に死体が散乱する光景を平然と掲載したのです。

※ネットの関連記事はこちらから

驚きましたよ。
日本だったら、自主規制の縛りがきつくてできる分けが無い。
でも、どうして、報道されないんでしょうか。
不思議に思っていたんですが、どうやら、日航機墜落事故(1985年8月12日)が契機だったようです。

あの時、マスコミは過剰に遺体の写真をメディアに露出させました。
それが、遺族の感情を逆撫でして、猛反発を受けてしまった。
その結果、メディアは過熱ぎみの報道を反省して、以降、自主規制を掛けるようになりました。

ですから、最近は見かけることなど、一切ありません。
こちらタイでは、そんな自主規制はお構い無しです。
血まみれ、血だらけ、流血の惨事などは、読者・視聴者獲得の絶好ネタなのです。

ところで、この間、反政府運動によるバンコク繁華街焼き討ち炎上が怒りました。
反政府リーダーのカッティヤ少々が、狙撃された暗殺事件は、記憶に新しいところです。
頭を血だらけにして、病院へ担ぎ込まれる写真が、これまたバンコクポスト紙をデカデカと飾ったくらいです。

ちょっと、日本人の感性とは違うんですが、このグロな”人体パン”も同じような考えなんだと思います。
もともと、パンはカノンパンと言っていました。
カノンはお菓子なので、地元の人は大事な主食として把握していないと思いますよ。
ですから、パンを食い物と見なくて粗末にするのかもしれません。
実際、国民性が雑な印象を受けざるを得ないとは思いますが、本人達の考え次第ですので、これはこれでマイペンライなんでしょう。


と言うわけで、タイ人の感性には、かなり日本人と隔たりがあるようです。
いかに食料自給率が100%だからと言って、食い物をおもちゃに扱うことに、ちょっとついていけない道産子社長がいるのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月17日火曜日

いすゞの四トントラックがやって来たの巻き


新車を見るってのは、好いもんです。
会社が新しく購入したトラックなんですが、積載量が倍増しました。
今までは、韓国の自動車メーカーKIA(起亜)の二トン車を長らく使ってきました。

タイは日本の自動車メーカーの金城湯池ですよ。
普通なら、日本ブランドを購入するもんだ。
ところが、これだけは違いました。

なんで、韓国製にしたと聞いたら、一言、安かったとだけ言われました。

まー、製品の貨物を設置先まで運搬するだけの使い道です。
何処ぞのパチもんみたいでも良かったのかもしれません。
ですが、今回は慎重に日本製を選ばせたんですね。

トラックも大型になって、運搬できる搭載貨物も増えました。
やっぱり、信頼性の置けるメーカー製が一番ですよ。
しかも、二トン車一台では運搬にも限界がありました。

そんな時、外注の運送屋さんに頼まざるを得なかったのです。
このせいで、毎月、十数万バーツの出費が嵩みました。
だから、リースでいっそのこと買ってしまえと決断したわけです。

それで、座席のシートを触ったんだけど、クッションがちょっと柔らかめでした。
これじゃ、一日、四五百キロのドライブは辛そうな感じです。
担当部門の部長にクッションとか用意したらとアドバイスしておきました。

そうそう、いすゞさんの名前で、私のお気に入りの深夜番組を思い出しました。
高校時代、夜更かししながら良く受験勉強をしたものです。
そうすると、知らず知らずの内に、明け方も迫っていました。

そんな時、気分転換でラジオのスイッチを捻るのです。
その番組は、”いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ”と言いました。
深夜から早朝にかけて、長距離走行のトラックドライバーたちに憩いの場を与えていたはずです。


この番組は、東京の”T豚S”がキー局で、深夜帯にも拘わらず全国中継でした。
だから、道産子社長は、あの頃、札幌に住んでいても聞けたわけです。
当時は、まともな編集姿勢で番組を編成していた頃で、番組は良かった。
今時の偏向報道振りを見るに付け、残滓と成り果てた彼らに落涙するのみです。

と言うわけで、タイではいすゞといえば、1トンのピックアップトラックも有名ですね。
トリペッチいすゞさんの国内営業力は大したもんで、長らくピックアップトラックの商用車部門で首位を獲得してきました。
最近は、トヨタさんのヴィーゴにぞの座を奪われてしまいましたけど、会社自体の業績は良好ですよ。
お国が違えば、同じブランド企業でも、その活路は大きく異なるもんだと、感慨に浸る道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月16日月曜日

賃金労務実態調査報告会に出てまいりましたの巻き


例年、七月末に行われる恒例行事です。
要するに、タイへ進出した日系企業が、幾ら給料を払っているかと言う調査です。
盤谷日本人商工会議所が主催していますが、これが役に立ちます。

細かい調査項目がありまして、会員企業は、例年回答しております。
この回答をしますと、ちゃんとした冊子になった”賃金労務実態調査報告書”が貰える分けです。
もちろん、報告会に出ますと、調査結果のあらましについて説明を聞くことができます。

今年は、去年と同様に、在タイ日本人大使館から、一等書記官の武田氏が報告をされました。

道産子社長の勤める会社も、企業発足から会員になっています。
当然、毎年、調査報告もしっかり行っておるのですが、回答は勤労関係の課長に任せっきりです。
回答したデータは、写しでもらっているので、目を通すことは可能です。
ただ、タイ語の調査票なんで、よく理解できないところもあります。
ですから、面倒なので、発表された報告書を頼りにしていしまいます。

それで、去年、今年はどれぐらいの賃上げ・賞与支給が行われたが、おさらいしてみます。

先ず大卒の初任給です。
一万~二万バーツの間が相場でした。
ただ、製造業・非製造業、事務職・技術職の条件で、バラついてしまうのです。
これに業種やら、経営の業績次第で、巾も出ます。

これを日本円に換算しますと、3万円から6万円ですね。
日本では、大卒初任給が平均で20万円くらいですから、かなり安い分けです。
まあ、タイは物価が安いので、暮らしが成り立つのです。

屋台で米粉麺のクイティオ一杯が、30バーツ、80円ちょっとです。
アパートを借りたとしますよね。
家賃で三千バーツも出したら、広くはありませんが充分に借りられます。

これで、何とか暮らせると言うことだと思います。

では、ボーナスはどれぐらい支給されたんでしょうか。
昨年は、大体、4ヶ月から4.5ヶ月でした
結構、自動車関連の日系企業が大盤振る舞いしています。
ただ、業種によっては二~三ヶ月しかだせない場合もあります。
電子・電気機械なんですが、やっぱり世界の工場、中国と競争が厳しいのかもしれません。

最後に、賃上げ率も見てみましょう。
去年も今年も、5.0~5.5%の上昇でした。
中央値なのですが、しっかり上がっています。
一方、日本のデフレ状況では、定期昇給もままなりません。
そんな世相とは、タイはまったく異なるわけです。

このことで、去る四月、一時帰国での経験を思い出しました。

買い物をしましたが、物の値段が落ち続けているような気がしたのです。
自分は、日本を離れてから二年以上が経ちました。
ですから、なおさら強い印象を受けたのかもしれません。
最近では、牛丼の安売り合戦がニュースをにぎわせました。
一杯250円なんて、かつての定価より三割以上も下落している分けです。

と言うわけで、日本の労働者は、給料の上がらない分、デフレで物価が下がっているので助けられているのでしょう。
タイは、景気も良いから給料も上がるし、インフレ気味で物価も上がっています。
気分的には、景気の良い方に越したことは無いのですよ。
日本は、大丈夫なのだろうか、救いようの無い民主党政権で沈没し続けるのではないだろうとかと、不安に駆られる道産子社長なのでした。(この巻き、終わり)

2010年8月15日日曜日

今年の日本は全然暑くないじゃんの巻き

駆け足の日本滞在でした。
先週の水曜日に帰国して、今日15日の出国ですから、わずか四泊です。
日本で会議の招集があったから帰国しただけに過ぎません。

日本に帰っても、夏の真っ盛りですから、日中の暑さではタイと変わりません。
でも、明け方五時ごろに気温が25~6度くらいまで下がるのは、快適に感じました。
バンコクに住んでいますと、夜中でも30度くらいは当たり前です。
気温が、26度くらいまで下がるようだと、今日は涼しいと感じるものです。

もう、三年近くタイに住んできました。
ですから、暑さの感覚が熱帯向けに変わったようです。
毛穴も開いたのか、汗をものすごくかくようになりました。
ハンカチは、替えも欠かさずに持ち歩くようになったし、水分補給のペットボトルは手元に欠かせません。
多分、一日で一リットル半以上の水とかお茶は飲んでいるような気がします。

それだけ、熱帯の気候に体が順応してきたおかげでしょう。
日本の真夏に帰っても、今年は格段に暑いとは感じませんでした。
逆に、この程度なら過しやすいと感じてしまったのです。

うーん、熱帯の土人化現象が、体内で覚醒されたのでしょうか?

これはいかん。
私は、四季折々の変化で彩取られた、美しき日本国の生まれなのです。
のんべんだらりと夏の季節しか無い国々の生まれではありません。
もう、日本に帰らなければなりません。
脳みそまで、いい加減なマイペンライ思考に毒されてしまっては、後が無い。

と言うわけで、精神的にも、サラリーマン人生的にも、リハビリの効く内に帰国を真剣に考えるようになりました。
タイは、駐在にとって居心地のとても良い国には違いありません。
ただ、それに耽溺してしまえば、日本人としての美徳や価値観は限りなく劣化し変質していくでしょう。
それが、自分に取っては危機感に違いなく、成田空港の搭乗ゲートで座りながら、真剣に考える道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
成田空港ダニターミナル、4F出発ロビーにあるコイン投入式のパソコンでは、グーグルのブロガーへログインができませんでした。
セキュリティーの関係もあるのでしょうが、ブログの更新ができなかったのです。
しかも、書き溜めた記事をアップしたくても、USBのプラグすら見当たりません。
”この糞PCめが...”と毒づきながら、ミニノートでこの原稿を打ってしまいました。

2010年8月12日木曜日

これから帰国します、そして、しましたの巻き

今日は、朝五時半に空港に到着しました。
離陸まで二時間半以上もあるので、充分時間に余裕がある過ぎるほどです。
でも、早く来らざるを得なかったのです。
通路側の席をどうしても確保したかったから、致し方ない。

おかげで、窓側の27Bと言う前方の席を何とか確保してくれたようです。

前回の記事では、社内の航空券予約で、あまりに段取りの悪さを書き連ねました。
社内の人間の手配が悪いのか、旅行代理店の対応が拙いのか、判断はしかねます。
それで、こちらも改めて、空港での待ち時間に考えてみました。

今回は、予約を入れて一週間前の最終確認で発券しました。
もし、社内の人間が通路側の座席確保を念押ししてくれれば、その時点で通路側のリクエストが入ったはずです。
行きの便は難しくても、帰りの便は十日以上、時間の間隔があります。
多分、帰りだけでも席に取れたはずです。
でも、出発前日になっても、旅行代理店がアクションを取った形跡がありません、

私は、社内の人間に通路側の席を取るようにとだけ、指示しました。
これが往路だけの指示になったとは考えにくいのです。
田分けでも無い限り、復路も含めて両方を押さえるように依頼するに決まっています。
でも、旅行代理店は、往路をリクエストしただけで復路は何も動いていませんでした。
普通、往復チケットなら、通路側の席を希望すれば、行きも帰りも押さえるのが当たり前でしょう。

と言うわけで、これは社内で指示遅れがあったとしても、旅行代理店の対応は拙いと言うべきでしょう。
はっきり言って、サービスのサの字も知らない怠慢以外の何物でも無いと思えました。
ひとまず、出入り禁止にするとしても、他に適当な代理店が見当たりません。
今度は、日本人が営業で在勤していて、文句の言えそうな、学習効果のありそうな代理店をきっと探すと、決意した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
帰国しました。
TGよりANAの方がサービスがいいですね。
これまでは、タイの国に敬意を払って、フラッグシップを選んできました。
ですが、食事の内容とか機内で視聴できる映画の種類で、ANAに満足です。
特に、アイアンマン2は見たかったので、充分に楽しめました。
これからは、自分に偽らないで日本人ですから母国のエアラインにしようと感じました。

飛行時間は、ちょっと二十分くらい遅れました。
けれど、上手い具合に快速の成田エアポートライナーに滑り込みました。
これから、横浜方面へは二時間以上の道のりです。
これが結構、遠く感じます。

後は、上さんと一緒に近くのかっぱ寿司に出かけて、たらふく堪能したいと思うのでした。
(おまけの終わり)

2010年8月10日火曜日

修士で猿嫁レベルは、よし子さんの巻き

明日から日本に戻ります。

寛大なる親会社さまが、半年に一回、海外事業法人会議を召集してくれます。
この粋な計らいもあって、真夏と真冬に帰ります。
それで、今年の日本は、熱暑、炎暑、猛暑、酷暑、、、、のようです。

はっきり言って、タイのほうが涼しいかもしれません。
なぜなら、空梅雨で遅れ気味だった雨季も、最近、ようやくにして始まりました。
連日、どこかでゴロゴロ雷の音が聞こえて、土砂降りのスコールになります。

こう言う日々は、実を言いますと過ごしやすいのです。
タイは緯度の低い熱帯地域にある国です。
真昼時に見る太陽の高度は、遥か天上で、ぎらぎらと直射日光もきつい。
それが、雨季に入ると、雲の多い雨がちな天気で、日光をさえぎってくれます。

日照り続きで気温が四十度近くまで上がるようなことも無くなりました。
今では、三十度ちょっとの気温を、心地よく感じています。
自分も、タイの風土に慣れ親しんだのかなーと、改めて思いました。


それで、タイトルに関係ない前振りが長くなりすぎました。
本題に戻しましょう。

実は、帰国に当たって会社で航空券を予約してもらいました。
最近は、Eチケットといって航空券を入手する手間が不要です。
メールで予約確認を貰ったら、先ず印字しておきます。
後は、空港に着いたら、チェックインのカウンターでそれを見せるだけですね、
搭乗券が簡単に発行してもらえます。

しかも、最近は通路側の席なども簡単に指定できるようになりました。
予め頼んでおけば、予約確認の内容で座席番号も参照できます。
それで、今回は一ヶ月前から、会社の総務課長を通して通路席を指定して貰いました。

それで、先週末に予約確認は届いていたのです。
ただ、後で確認しようと思って、印字して斜め読みしたのが、運の尽きでした。
昨日、もう一度内容を確認しようと、詳しく眺めました。

そう言えば、通路側の席だったな。
座席番号は、どこに書いてあるかな。
見当たらないなー!?
おかしいぞ、、、、、、、、
よもや、頼み忘れじゃ~無いよね???

一ヶ月前は早過ぎと思って心配だったから、折に触れて聞いてきました。
それで、取れていないって、どう言う事なのでしょうか。
おいおい、イギリスの大学を修士で卒業した課長に頼んだんだぜ。
忘れたってことないでしょう。
じゃあ、あの念押しは徒労だったということなのか。

でも、結局、頼み忘れだったみたいです。
課長が忘れたのか、旅行代理店が忘れたのか、真相は闇の中になりました。
課長の方は、代理店が忘れたとだけ言い張るのです。

確かに、課長は一ヶ月前に通路側の座席指定をしたのかもしれません。
でも、その後で私が確認を求めた時に、代理店に問い合わせたのでしょうか。
これは私の憶測ですが、課長は何もフォローをしなかったのだと思いました。
つまり、タイ人は、確認しない習性が遺伝子レベルで染み付いているのです。

なんとも情け無くなってしまいました。
会社の中で、よくやってくれるものです。
これが、一般の家庭だったら、どうでしょうか。

よく、タイ人の奥さんは猿嫁だと悪口を言う日本人がいます。
頼みごとをしても、すべてをこなせずにどこか抜け落ちてしまうと言うのです。
だから、猿レベルの脳みそなので、猿嫁と言うわけです。

多分、座席の指定なんかも抜け落ちてしまう一つなのかもしれません。
しかも、その言い訳を聞いていれば、面倒くさくなってマイペンライと言ってしまいそうです。
日本人の旦那さんには、ちょっと頭の下がる思いがいたしました。

と言うわけで、今回のポカミスは三回目で、その旅行代理店を出入り禁止にします。
課長も悪くないと主張する以上、代理店を犠牲にするのです。
自分も我慢してきましたが、堪忍袋の緒が切れました。
明日は、三時間前にカウンターに行って、通路側席を確保しましょう。
家を出るのが朝五時になってしまい、かなり気の滅入る道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月9日月曜日

中国はやはり偽造品、模造品の世界チャンピオン!! の巻き


90年代の初めでしたでしょうか。

私の働く会社でも、日中友好の経済協力の旗頭の下に、製品六百台を輸出したことがあります。
ところが、注文はそれだけで、期待していた次回の発注が、さっぱりと来ませんでした。当てが外れてのかもしれません。
そして、その時は忙しくて、みんな忘れてしまいました。

後年、かの地を出張した社員が現地の風景を写真撮影して来ました。
その中には、街中に私どもの製品が氾濫していたのでした。
話しによれば、推定二万台です。

えっ、六百台じゃなかったのって、言葉を失いました。
つまり、模造でした。そっくり何から何まで猿真似です。
でも、機械の精度までは、絶対に真似できませんでした。

そして、15年以上を経て、彼等は悟りに至ったのです。
中国にある私どもの工場から、基幹部品だけは買うようになりました。
値の張る、長い時間を掛けた暗闘の代償とでも申しましょうか。
その時以来、私は中共の人を信用しません。
そんな思い出があるのです。

まあ、究極のイソップ寓話のような、すごい体験談だと思ってください。
でも、これは実話なのです。
そして、これに後日談が伴っています。

その後、中国では特有の法律が設けられたこともあって、日本仕様のまま製品が輸出できなくなりました。
なぜか。
中国政府認可の脱税防止装置を取り付けなくてはいけないのです。

民度については人語に落ちない国ならではのことでしょう。

あれやこれやと参入障壁を作りまくり、市場を開放することなど、これっぽちも考えてはいないのでした。
我々も、中国へ進出して孤軍奮闘してきました。
ですが、基幹部品を地元の競合メーカーが購入してくれるまでは、赤字の垂れ流しが十年以上続く、体たらくでした。

中国へ直接投資をする場合、大企業なら中共は大事にしてくれるでしょう。
先々のむしりがいがあると言うものです。
我々のような、中小企業では、即刻、収奪・簒奪の対象ですね。
くれぐれも、投資については魑魅魍魎が跋扈する危険な地域だと思ってください。

と言うわけで、タイは投資するに当たっては、中国に比較して安心して進出できる国ではないでしょうか。
そんな思いを強める道産子社長がいたのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:この記事は、産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員の古森義久さんが書かれておられるブログにコメントした内容に加筆したものです。

2010年8月8日日曜日

有線のお経チャンネルなんか子供騙しの巻き

そう言えば、日本に居りました時のことです。
ニ十年近く前のことでした。
仕事柄、時としてスタジオに籠もりました。
カメラマンの製品撮影に立ち会うためです。
あの頃は、広告宣伝の仕事をしていた分けなんです。

それで、朝の九時から夜中まで、スタジオに篭城です。

立ち会いだけですから、自分がメインですることも無い。
何時なのか、昼なのか、夜なのか、分からなくなる。
背後では、軽く有線放送でBGMも流されていました。

それで、手持ち無沙汰のあまり、このBGMを面白半分で変えたりしました。
スタジオ内に、チャンネルガイドの冊子が置いてあるのです。
ペラペラめくりながら、手当たり次第に換えてみます。
もちろん、仕事の邪魔にならないよう、休憩時間にトライです。

それで、お経のチャンネルがあったんですね。
確か、般若心経だったと思います。
えんえん、お経を上げ続けるのです。
これを聞いていると、非常にシュールでした。

それに、不眠症の人向けなのでしょうか。
ひつが一匹、二匹、三匹と数え続けるだけのチャンネルもありました。
なんで、こんなのが必要なんだと不条理にも感じました。

でも、440チャンネルもあれば、一部は遊びとか洒落なんでしょう。
私のように、面白がって聞く人もいたのですから、良しとしましょう。

それで、なぜ今頃思い出したのか?
驚く無かれ、お経のテレビ局が、このタイに存在しておりました。
多分、ケーブル放送だと思うのです。
どうも、宗教チャンネルらしく、仏様の教えを説いています。
実際のお寺での宗教儀式も解説していたり、親切だと思いました。


 と言うわけで、お経を上げ続ける画面は、やっぱりシュールなのでした。
タイは、国民の九割以上が、仏教徒ですし敬虔な信者も多いのです。きっと、とても真面目にお経の教えをテレビを見ながら、覚える視聴者もいるのだろうなと、得心した道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月7日土曜日

金融工学は賭博そのもので、借金返済は自己責任ですの巻き

前回の記事では、生産部材が払底して、会社が四苦八苦している記事を書いてしまいました。
では、なぜそういう事態が起きてしまったのか。
簡単に申しますと、この先、売れるか売れないかの読みを誤っただけに過ぎません。

どの会社でもそうでしょうが、ここ一二年の短期的な経営計画は立案しています。
これを踏まえて事業に取り組みますが、これからの景気に山を張るのは、とても重要なことです。
つまり、この山次第で、生産体制を先んじて縮小したり拡張することになるからです。

それで、今年の場合、良い意味で山が外れました。
思った以上に景気の回復が良かった言うことです。
うれしい悲鳴なのは違いありません。
ですが、回復が良すぎて、資材の取り合いをするようでは困りものです。

しかも、製造業では、ジャストインタイムの生産方式が当たり前になりました。
無駄な在庫を持たずに、計画的に納入させる方式です。
俗に、トヨタの看板方式といえば、お分かりでしょう。

でも、これが問題なのです。
末端の下請けや原材料メーカーまで、景気を予測して生産体制を絞ってしまった。
みんな、需要のぎりぎりしか生産しないことになります。
つまり、市場にはバッファーになるような流通在庫すら残らないのです。

まるで、産業界全体で、究極の適正な在庫管理に挑んだかのようです。
だから、景気回復が良すぎれば、あだになるのです。
部材が払底して、足りなくなるのは当たり前なのかもしれません。

予測って、なかなか当たらないもんだと思いました。

先ず、景気には波がありますよね。
前の記事では、Obilige347さんがコメントでコンドラチェフと言う学者を取り上げていました。
この人は、世の中の経済には、長期の景気循環が存在することを主張した学者です。
私も、大学で一応経済学を専攻しましたので、この説明に興味を持ちました。

それで、コンドラチェフの長期経済波動によれば、ウイキペディアを見たのですが、近代では五つの主だった循環が導き出されているようです。

1. 蒸気機関、紡績 (1793-1847年頃まで)
2. 鉄道、蒸気船、製鉄 (1893年頃まで)
3. 電気、化学 (1939年頃まで)
4.自動車、石油、電子工学 (1984年頃まで)
註:自分なりには、原子力も加える必要があります。
5. 情報、知識、生態学 (2039年頃まで(?))
註:ここでは、金融工学を絶対に落とせないはずです。

この中で、4.までの時代は、実物経済が主流だったと感じました。
そして、この実物の流れを円滑に行えるような補完的役割を担っていたのが、金融経済でしょう。
つまり、金融は、まだメインの経済では無かったのです。

ところが、5.の時代になって、初めて情報を大規模に商売の道に活用できるインフラが整ったと思います。
今や、インターネットなんて常識ですが、80年代はまだ無かった。
当時は、ATMによるエレクトロバンキングとか、携帯も自動車電話がやっとで、黎明期だった分けです。
これを見ますと、情報に付加価値が付いて商品化できるようになったのだと思いますね。
情報なんて空気みたいなモンですが、この時代になって金融は、実物経済からひとり立ちしました。

つまり、金融商品=マネーゲームって奴ですね。
お金を投資すれば、一定期間で利ざやが稼げると言うわけです。
要するにバクチです。
しかも、元本の保証されない商品が多い。
つまり、リスクは自己責任で追うことになります。

それで、現在、この金融経済によって形成された資産は、実体経済に比べ数倍にも膨らんでいるようです。
景気の良い時は、この潤沢な資産を使って、いろいろと贅沢ができました。
高額なローンを組んで、家も車も購入したわけです。

でも、一度、不景気になってローンを返せなかったりすると、どうなるでしょうか。
昔だったら、借金を返し終わるまで、体で働いて返してもらうのは当たり前でした。
でも、今の時代は良い時代ですよ。
返せなくなったら、破産宣告してしまえば良いのです。
あとは、弁護士と相談して終りです。

でも、借金=負債は、帳簿から消えません。
誰かが返し続けるのですよ。
もし、実物経済なら、解決は簡単です。
借金の肩代わりに、土地とか建物とか目に見えるものを差し出して、相殺してしまえばよいのだ。

ところが、金融経済でこしらえた借金は、実物で返済できる限度をはるかに超えてしまいました。
どうやって、この先返済していくのでしょう。
つまり、実際の稼ぎに関係ないところで、賭博の借金を作りまくってしまった。
とんでもない、チンピラばかりが当たり前に生きている世の中です。
しかも、世界中の国家までが、マネーゲームに参戦して破産寸前まで追い込まれつつあるのです。

まっとうに暮らせば、ささやかでも幸せに生活できたのにねー。

まあ、借金は帳簿から消えない限り、誰かが返し続けるのです。
どんなに借金の査定方法を変えようが、借金は消えません。
言っておきますが、当社はこの十年、銀行から金を借りたことがありません。
設備投資をしても、こつこつ溜めた内部留保から小出しにして来ました。
だって、あの97年の金融危機では、誰も融資をしてくれなくなりましたから懲りているんですよ。

と言うわけで、コンドラチェフさんの景気循環を見て、いろいろな考えが湧きました。
来る新しい循環までには、後ニ十年が残っているそうです。
とある国は、借金を返すだけでデフレになり、疲弊して没落するのでしょうか。
他方、タイは、実物経済で地道に成長しているから、国も人々も豊かになっていくのでしょうか。
そんなことを素直に思いつく道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年8月6日金曜日

戦国時代さながらの分捕り合戦だの巻き

いやー、想像もしない事態が起きました。
最近、産業界では電子パーツが極端に不足・払底しています。
その結果、生産・出荷が極めて困難になるケースがぞろぞろ出始めました。

そう言えば、ついこの間も、日産自動車の日本国内4工場の生産が止まっていました。
原因は、日立製作所のエンジン制御装置の納入が遅れたことだそうです。
部品を構成する半導体市場の逼迫が背後にあるようで、調達先を一社だけに絞るとリスクを伴います。

実を言いますと、小生の勤めるタイの工場も、そろそろ危うくなってきました。
先ず、汎用電源です。

  

供給元から納期が大幅に遅らされて、発注ずみだった二ヶ月納期が、五ヶ月に変ってしまいました。こちらの受注残分を、どうして生産しろと言うのでしょう。
それにマグネットを使ったシンプルなスイッチ類も、二ヶ月近く遅れて来る始末です。
フェライトコアなので、電気では重要な部品になり争奪戦を繰り返しているのかもしれません。

実を言えば、世界中のものづくりメーカーが、恐慌がやってくると心配しすぎたのです。
挙句、生産供給力をいたずらに見直し、削減してしまいました。
こうして、不幸の連鎖は始まってしまった。

生産資材の分捕り合いなんて、信じられません。
正に、実物経済一本やりの市場ですよ。
このタイを含めてですが、インド、中国、アセアンなど新興国は、そんな感じです。

一方、欧米は金融危機の煽りで、景気が足踏み以上で後ずさりの感じもします。
日本も、先進各国の雰囲気に呑まれしまいました。
気分は曇天みたいなもんでしょう。

どうも、景気回復の波は、国々によって異なるんじゃないでしょうか。

こちらの景気は絶好調ですよ。
物価も賃金も上昇し続けているのです。
アセアンでは、好況あるのみなのだ。

となれば、欧米は墓穴を掘ったに過ぎません。
CDSとか言う金融博打と言う、実体の無いいかさまに手を出したからです。
自らをあがなうのは当然でしょう。

欧米が没落しても、アセアン諸国は関係ないのです。
依存度を下げながら、自立的に発展成長できる下地が、既に確立されました。
タイで仕事をしていて、そう思うのです。

と言うわけで、こちらは七月末の出荷を、どうしようか頭を抱えて折る最中です。
もう、欧米の経済を見るのは止しましょう。
代わりに、日本は見通しの明るいアセアンと確固たる経済関係を維持し続けなくてはなりません。
アセアンの旗をググって見ることです。
意味が分かりましたね。


(この巻き、終わり)

2010年8月4日水曜日

お葬式から帰って参りましたの巻き

従業員のチーフのお母さんが亡くなりました。
享年87歳だそうです。
タイの人にしては、長生きをされたと思いました。。
日本人の女性だと、 平均寿命が86歳ですね。
それに匹敵する人生を送ったとになります。

タイの場合、平均寿命は、男性が67歳、女性が73歳です。
日本に比べると、十歳以上も離されているのです。
それを考えると、チーフのお母さんは天寿を全うされたと言うことでしょう。

それで、今日、お通夜に行ってまいりました。

チーフを初めて知ったのは、15年前のことです。
あの頃、自分はタイの工場に出張で来ておりました。
ISOの認証取得活動の助っ人だった分けです。

確か、チーフはその頃入社してきたと思います。
地元の人にしては、長身で細身だったせいで、覚えています。
それから今まで、勤め続けてもらえたのは、ありがたい。

十五年の会社勤めは、地元の人から見れば長いでしょう。

工場のラインなら、ちょっとでも給料の高い会社があれば移ってしまう。
それが、辞めずにこつこつ働き続けてくれました。
だから、今、製造工程の最後の段階で、チーフをしてもらっております。

ですから、会社としても葬儀に参列するのは当たり前だと思いました。
ただ、お寺までは遠かったですよ。
雨の日だったせいもありますが、車で一時間近く掛かりました。

ところで、着いたらお坊さんがお寺に到着していないのです。
式までまだ一時間あると言われました。
どうすれば良いものか。
すると、テーブルと座席が用意されて案内されました。
なんと、食事を提供するというのです。

日本だったら、お通夜の式の後で お清めの振る舞いがあります。
でも、タイはまず先に食べてもかまわないのでした。
それで、式に出て分かったのですが、読経の中休みでも軽い食事が出ました。
中華風のとろみの付いたスープなんです。
断りきれずに食べてしまいました。

隣の席には、チーフのお姉さんが座りました。
この方が面白くて、英語を少しだけ喋るのです。
私を見て、ビッグヘッドかと問いただすのです。
初めは、意味が分かりませんでしたけど、頭目みたいな感じがしたので社長でしょう。
そうだと、答えて置きました。

ただ、英語の達者な総務課長が笑って聞いていました。
家に戻ってから、辞書を見たのですが、意味が違うようです。
自負心、うぬぼれ、二日酔いとかで、社長の意味は微塵もありませんでした。

もっと、面白いのは、ユーノーとお姉さんが相槌を打つのです。
”You know”なんですが、”あのねー”ぐらいの文句です。
発音が慣れていて、使い慣れた感じがしました。
きっと、仕事で白人を相手にしていたんじゃないかと思いました。

と言うわけで、お通夜は無事に滞り無く終りました。
ただ、式の途中では蝋燭を点したり、線香をあげたりして、役目を果たす必要もあったので、見よう見まねで何とかやり終えました。
親戚の参列者もさほど多くないし、こじんまりとしたお通夜だったのですが、これが地元の人の葬式なのでしょう。
最後に、お姐さんから、感謝の礼で握手を何度も求めらた道産子社長が、そこに居るのでした。
(この巻き、終り)

タイの歌謡曲が好きな駐在で悪かったなの巻き

会社で飲み会をしますと、従業員の女の子がよくカラオケで歌うんですよ。
それで、大画面を見ていると、タイ語でニョゴニョゴみみずの這った字が繰り出されます。
多分、曲の流れに併せて歌詞が表示されているのでしょう。
残念ですが、皆目読めないので、ほったらかします。

まあ、歌は素人ですから、割り引いてあげるしかない。
でも、選曲が良いので、聞きほれてしまいます。
ただ、誰の曲なのか、いつも分からずじまいです。
酔っ払っているから、その場で聞いても、翌日にはけろっと忘却の彼方です。

そんな繰り返しだったのですが、ついこの間、翌日まで覚えていた歌手がありました。
その名前は、南無茶といいます。
いや、あだ名ですよ。
しかも、即席で漢字をただ当てて見ただけです。
タイ語のナムチャは、お茶と言う意味ですが、通称にしては面白いです。

実は、タイの人は名前が長ったらしいので、あだ名にして呼び合う習慣があります。
自分の会社にも、Mさんと言うチーフが居るんですね。
何でも、スタミナドリンクのM-150を良く飲んでいるので、呼ぶようになったとか、、、
実に単純な動機で、名づけられたもんだと思ってしまいます。

さて、この南無茶さん、ナムチャ・チラナットと言うみたいです。
曲の旋律も日本の歌謡曲には無い独自さが合って、すぐ好きになりました。
それで、この曲がユーチューブでちゃんとアップされていたんですね、


このプロモーションビデオですが、曲のタイトル・歌詞が英語で載っています。
”True love....What is it?”って言うから、”本当の愛、それって何?”ぐらいなもんでしょう。
歌詞もついでに読んで見ました。
タイトルどおりに、他愛の無い女の子の恋愛感が、ストレートに表現されています。

それと撮影現場は、Big-Cと言う大手スーパーの店舗みたいです。
出だしで、ナムチャがカウンターのマイクを奪って歌いだすシーンに注目してください。
着ぐるみの熊のマスコットが出てきますが、どうも会社のキャラクターのようです。


しかも、それとなく分かるようにBig-Cのロゴマークが出て来ます。
会社の良い宣伝になっているなーと思わず感じてしまいました。
もちろん、実際のスーパーで、こんな踊っている人なんか見かけやしません。
でも、買い物に出かけたくなるような、楽しい雰囲気が伝わってくるのが良いですね。

と言うわけで、ナムチャさんは、他にも名曲がありまして、しっとりとバラードを歌い上げています。
これが、しびれるんですね。
でも、会社の従業員ががなれば、豚に真珠でしょうか。
もう少し、お稽古してから歌ってくれよと願う、道産子社長なのでした。


(この巻き、終り)

2010年8月2日月曜日

屋台をうろちょろする駐在で悪かったなの巻き

屋台は照明がきれいです。
夜ともなれば、バンコクのいたるところで見かけます。
昨日は、BTSのトンロー駅高架下へ出かけました。
ソイ38に連なるこの屋台街です。

※BTトンロー駅から撮影、屋台街の全景

この通りは、奥が行き止まりになっています。
一応、他の通りへ抜けられますが、わざわざ使う理由も無い。
そのせいか、交通量も少なくて出店には格好です。

まあ、バンコクの街中は、いたるところが屋台だらけです。
外国人の多く住むスクンビットでも、ご多分に漏れません。
もちろん、地元の人が買い食いするんです。

そもそも、タイ人の食事はとても回数が多いのです。
日本のような朝昼晩にきちんと食べるというイメージがありません。
習慣が違うから、何度も食事を取っていますね。
量も少ないし、始終間食している感じです。

もっとも、タイは常夏の国ですから暑い。
体力の消耗を防ぐには、食べて栄養補給です。
だから、のべつ幕無しなんでしょう。
地元の人に、屋台の買い食いは当然です。

それで、観察していると分かってきました。
メニューで営業する時間が分かれているのです。
朝ごはん、日中のごはん、晩ごはん+晩酌の三パターンがあります。

特に、朝ごはん限定のおかゆとか揚げパンは、時間限定です。
大抵、店は朝九時までに閉まってしまう。
持ち帰りができますから、みんなに買いに来るんですね。
家でゆっくり食べているんだと思いました。

でも、トンロー駅専門は、一風変わっています。
夜中心で賑わうせいか、メニューにお構い無しで屋台が開いていました。
パートンコーの揚げパン屋もあります。
おかゆ屋も、営業時間が延長されていたのです。
そして、一杯飲みながら食事を楽しむ海鮮の屋台まで繰り出されるのでした。

※おかゆ屋の中から撮影

※パートンコーの店、一番奥まったところ

※TV屋台グルメコンテストで優勝した海鮮屋台、何と賞金10万バーツ!

と言うわけで、トンローの屋台街は、時間にとらわれないオールキャスト登場のおもしろストリートなのです。
こう言う屋台を冷やかしながら食べ歩いたり、おかずを持ち帰ったりする、無敵の駐在夫婦が、ここバンコクに住んでいるのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:①パートンコーは、甘いのとプレーンの二つがあります。
プレーンは、スクンビット・ソイ31の入り口セブンイレブン脇の店が極上です。
甘いタイプは、トンローの屋台街が乙です。

②おかゆ屋は、煮込む出汁が決め手のようです。
特に、ソイ31側のレストラン”コヨーテ”前で営業する店は、味付けが良い。
トンロー屋台街の店もおいしいですが、個人的にはもう一歩です。
 ※トンロー屋台街のおかゆ屋




2010年8月1日日曜日

シンガポール日帰り出張は、とんでもないことになったの巻き

帰りの飛行機が、三時間以上の遅れですよ。
晩の7時20分初、夜も更けて10時40分初に変更です。
きっと、どこかから経由して飛行機が飛んでくるのでしょう。
機材の持ち回りで、遅れに遅れて来ているのです。

それで、午前様のバンコク着になるかとおもったら、23時55分の到着だそうです。
飛行時間が、二時間ちょっとですから、そう思っていました。
でも、シンガポールから見てタイは時差で一時間遅れなのです。
ですから、かろうじてその日のうちに到着すると言うことなのでした。


それで、今回はJetstarと言う格安フライトの航空会社を選びました。
グーーグルで探していただいてもお分かりの通り、日本語のサイトもあります。
ホームページでは、あのベッキー姉ちゃんがはしゃいでおりました。
もう、二十もだいぶ過ぎたんだから、少しはおしとやかにしろよとか言ってあげましょう。

さて、航空券の入手方法ですが、全部インターネットなんですね。
割り切ったとは言え、予約が面倒くさいのです。
最初の入力画面は、名前とか住所とか、メールアドレスぐらいだから、ささっと入力できてしまいます。
ところが支払方法の画面に入ってから、訳の分からん入力を求めて来ます。

私は、マスターカードを使いました。
そして、一番終わりで、ウエッブパスワードを入力してくださいと求められました。
そんなの、見たことも無いし、使ったことも無い。
しょうがないから、DC・ニコスカードのホームページを見に行ってみましたが、チンプンカンプンです。
でも、ひょっとしたら、引き落とし明細の通知をメールに切り替えた時、パスワードを設定しました。

きっと、それだろう。

そう思って入力してエンターボタンを押しました。
やったー、画面が切り替わりました。
成功なのでしょうか、期待でワクワクです。
でも、現れたのは、タイムアウトを説明する画面でした。
ギャフンです。

そして、冷たく、初めから入力し直して下さいと言われました。

もうやる気がおきません。
この日は、作業をあきらめてしまいました。
そして、翌日、航空券の予約と支払いの作業を繰り返しました。


もちろん、予約はできたのです。
そして、今、こうしてシンガポールから帰路の飛行機を待ち続けているわけです。


と言うわけで、機内の食事も飲み物も有料と言う、超ドケチフライトなのでありました。
しかし、バンコク~シンガポールを1万9千円ちょっとで往復してくれるのだから、ありがたいもんです。
これで、シンガポールへは日帰り出張が可能だと言うことを証明できただけでも良しとしましょう。
なんでも、トライしてみるもんだと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
でも、どうして土曜日なんかに出張設定するんだよ。
エンジニアーがパスポート取りに忘れていましたって、説明にならんよー。
実際に離陸したのは、11時過ぎで、結局タイへは午前様になりました。