2008年12月31日水曜日

2009年、明けましておめでとうございます!!

今、バンコクは夜の9時45分なんだけど、日本からは二時間の時差があるから、NHK衛星放送の紅白歌合戦も終わってしまった。
そして、”行く年来る年”の新年を祝う初詣の番組が始まっている。

貧乏社長にとって、海外で新年を迎える初めての年になる。

こちらでは、畏くもプミポン国王が国民に向けて新年の挨拶をテレビ放映されておられたので、撮影することが出来ました。
国王のご長寿を祝うと共に、タイ国がこの新しい年を迎え繁栄することを、おいらは願って止まない。


アピシット首相がテレビ番組でパペットショーに出るようになってしまったんだが、政府の基調方針演説も年を越さずに済んだので、民主党政権もしばらくは安泰と言うことだろう。

こんな、バンコクの年越しになりました。
みなさん、明けましておめでとうございます。

貧乏社長、ギター小僧に復活へんしーんの巻き

おいらと上さんは、毎週、土曜日にラーマⅣ世通りにあるカルフールへ食料の買出しに出かける。

時間はいつも昼飯時分なんだが、フードコートのプリペードカード売り場を通ると、その脇にあるギターと電子キーボード販売の出店を何時も見かけるんで、気になっていた。

実を言うと、今から30年以上も前の中学校や高校時代は、おいらも安手のアコースティック・ギターを持っていて、当時流行していた吉田拓郎とか井上陽水なんかのフォークソングをコピーしては、ガチャガチャとかき鳴らして、上手くも無いのに文化祭とか学級パーティーで歌っていた思い出がある。



こっちのバンコクで、陳列され売りに出されているギター、一番安いのだと2千バーツ(5千円5百円)もしない。何でこんなに安いのだろうと、訝しくも感じた。なぜかと言うと、日本で最初に買ったモーリスのウエスタンギターが二万円もしたからで、それでも下から二番目に安いグレードだったはずだ。
お年玉と貯めて来た小遣いを全部吐き出して、やっとこさ買えた思い出があるのに、バンコクではその3割程度で買えてしまう。この値段の違いは、いったい何処から来るのだと自問自答してしまった。
あの頃の日本は未だ貧しくて楽器なんか弾く人も少なくて需要が無かったから高かったのかなーとか、一方、タイでは一家に一本ギターを欲しがるくらい流行っていてニーズがあるから量産してるんで安いのかなーとか、無理くり思案したものの、下手な考え休むに似たりで、あほらしくなって考えるのを止めた。

買って弾いてみようか、もう一回、ギター小僧にでもなってがなりたててみようか!

これぐらいの金額だったら、ちょっとしたゴルフ場一回分のプレー料金より安いはずだ。もし、予想以上に手が固くなって、コードを押さえ切れなかったり、スリーフィンガーとかアルペジオとか爪弾け無かったとしても、お遊び代としては無駄にはなるまい。それより、手を動かしながら大声を出して歌うのはボケ防止になるかもしれないと、最近、めっきり記憶力の悪くなった貧乏社長はひそやかに期待しつつ買うことを決断した。

上さんは、毎週、おいらがあの出店で物欲しそうに見ていたのを知っているんで、買いたいと断ったら、すんなりどうぞと同意してくれる。駄々をこねられたら、こんな大きい赤ちゃんでは堪らんと思ったのかもしれない。

上さんの気が変わる前に買出しに言ってしまえとばかりに、先月の11月23日に511番のエアコンバスに乗って、世直し一派の「民主市民連合(PAD)」が占拠した首相官邸からさほど距離も無い、カオサン近辺の近くの楽器・ミリタリー用品街に繰り出す。(全然、安全だったので気抜けした。)

この通りはアサダンとか言うらしい。

前もって、ネットでバンコクで楽器を購入した体験談を探してみたんだが、値ごろ感のある、悪く言えばバッタもんの品物はここで売られているようで、フェンダーとかギブソンなどモノホンが欲しい人は、セントラルワールドプラザなんかの楽器屋へ直行することをお薦めする。
おいらは、気まぐれに思い出していじくってみようと考えているアマチュア乗りのロートルなもんで、この当たりがお似合いと思って、買出しを決めたわけだ。

お店は、ありました、ありましたよ。十数件はあるんじゃないかと思う。

そのうち、二三軒は、そこそこのブランド品とかブラス楽器、ドラム打楽器なんかも扱っていた。おいらの目指しているのは、そんな格好の良いもんじゃなくて、いかに見栄えが良くて安く買えるかにあるのであって、音の優先順位は下がってしまっている。
冷やかしながらアコギの値段を聞きつつ交渉をしてゆくと、どんなに安くても1300バーツまでは値引かない感じがしてきた。ヤマハのギターはたまに見かけるんだが、ほとんどは地元のブランドらしくて、SAKURAの名前が多い。

結局、最後に残った二軒の内、どう見ても楽器屋の主人とは思えない30代のママさんが、お茶を挽いている店で買ったのが、このVivid(ビビッド)と言うブランドのギター。

ソフトケース、肩から掛けるストラップ、替えの弦とか色々付けて、1700バーツ位になったが、本体だけなら1350バーツくらいまで値引けた気がする。一式5千円で買えたわけだから本人は大満足なんだが、上さんに言わせると値引き交渉がまったくなっていないそうで、交渉途中で”安い”とか”こんなもんだろう”とか日本語を連発していたんで、店側に悟られたんじゃないかと思ったらしい。

とにかく、お金を払ってダンボールケースに入れてもらって、後生大事に抱えてアパートまで持って帰って来た。早速、箱から取り出して、もう一度検品してみる。
このギターの値段の割りに凄いポイントは、弦を張る棹、通称”ネック”にたわみを是正する金属製のロッドが埋め込まれていることだ。弦の張力でネックが曲がってしまう場合があるのだが、付属品の六角レンチを使って回しながら調整することができる。このほか、ネックのヘッドをはじめ部分部分に象牙の様な素材で縁飾り加工までされてあって、一見、バッタもんのギターには見えない。


ただ、ボディーの側面や裏面は真っ黒けでどんな材質の木が使われているのか、木目も分からず判明しない。サウンドホールから覗いて見たが、あんまりきれいな木目も見えないからただの合板だけかもしれない。一応、表面のニス塗りもムラ無く仕上げられているので合格と言うことにしておこう。

しかしながら、糸巻き”ペグ”だけはギアの動きに遊びが少しあって、微妙に音合わせがしずらかったり短い時間でチューニングがズレたりする気がする。そこは、値段相応と言うことで、自分なりにこまめに音合わせをして我慢することにした。

音は、一応出るので気にしない。

演奏が上手くないから、良い音なんだかどうか自身も判別が付かない。後は、貧乏社長の練習しだいで、このギターも良い音を出してくれるようになるんじゃないかと思う。ギターも結構弾き込んでくると、音に厚みが増してくるようになる逸材もあるから、期待して見よう。

この後、チューニング用フリーソフト(尺八向け!)をダウンロードしたり、無料歌詞検索サイト(コード譜表示)で歌える歌を探したり、元唄をユーチューブなんかで聴いておさらいしてみたりと、結構ノリノリで、ギター小僧ならぬギターオジジに変身してしまった、貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり。)

おまけ:一点豪華主義とばかり、カポタストだけはギブソン純製を買ってしまいましたとさ。

2008年12月21日日曜日

アピシット首相がパペットショーに出るのは未だ未だよの巻き

貧乏社長は、毎朝7時前に出勤するもんで、朝6時頃には起床してきてテレビのスイッチをつけると言う習慣になっている。

もちろん、NHKの日本語ニュースは見向きもせずに、NBTとかチャンネル5とか現地のテレビ局ニュースを言葉も分からぬまま、ながら族風に流す習慣だ。NHKは、2時間の時差がある関係上、向こうでは8時頃のため”今日の話題”みたいなトピックに移ってしまっていて、メインの時事ニュースを聞くこともできず役に立たないので、聞いていない。

こんな習慣になってしまったのも、昨今のタイの政情不安があったからで、日本側からどうなっているんだと再三再四の問い合わせに答えるためウオッチして来た事実がある。

いやはや、反政府派市民団体「民主市民連合(PAD)」が、この8月下旬から首相官邸を乗っ取り集会活動を繰り広げたり、デモ行進したり、挙句はタイ国営放送NBTやスワンナプーム国際空港を占拠してまったからで、海外のマスメディアも興味本位で局所的な派手な光景のシーンばかり流して来たもんだから、バンコクは街角に鉄条網でも敷かれて要所要所に歩哨兵が立ってていて、市街戦の勃発でも警戒しているかのようなイメージを与えてしまったようだ。

実際は、そんなことは何も無く、ごく当たり前に日常の喧騒は続いてきたわけなんだが、政界は政界で輪を引っ掛けて首相は憲法違反で辞任するわ後任者は二ヶ月しか続かなかったりとドタバタが続いたのも本当だ。

そんな政治情勢を皮肉るかのように、タイ国営放送のNBTチャンネルが政治家・言論人の登場するパペットショーを放映していたんだが、これは、ご本家イギリスの『Spitting Image』と言う、有名人の特徴を誇張し作られたラテックス製の人形をフィーチャーした風刺番組をパクったものじゃないかと、おいらは考えている。

イギリス人のデフォルメ・造形観は、ややもするとグロテスクでアクの強いせいか、農耕民族の日本人にはなじめないのだが、こちらのパペットショーは、同じ仏教徒の民らしく大人しめにそっくりと作られていて、好感が持てる。どっちかと言うと、長い間繰り返し再放送されて人気のあるSF人形劇「サンダーバード」のキャラクターと、このパペットショーの登場人物の雰囲気が似通っているようだ。

ところで、この劇中に登場する人物が、どんな政治家なのか言論人なのか貧乏社長も分かっていなかったので、会社の従業員に聞いてみた。どうやら、このシーンに出て来る左側の人物は、民主党のチュアン・リークパイ元首相で、右のスキンヘッドは、地元英字紙「ネーション」の編集長スティチャイ・ユン氏らしいと、判明した。

ただ、右側に登場する女性の人物は、現地の人でも分からない。結局のところ、普通のタイ人は政治には余り興味が無いのが普通らしい。

ところで、この人形劇にアピシット首相は、まだおいら見かけていない。と言うより、最近は政争も混乱も収まって日本側から問い合わせがほとんど無くなったんで、番組を観ていないのが本音だ。

まさか、首相に任命されたての人物が登場するとも思えないので、この人形劇を折に触れてチェックだけはしておこうと思っている。

さて、新首相アピシット氏なんだが、取引先から聞いた話では、貧乏社長の住んでいるアパートからさほど遠く無いところに私邸があり、その住所はスクンビット通りのソイ31なんだそうだ。おいらも上さんも一国の宰相とはどんな家に住んでいるのか興味があったので、暇つぶしに散歩がてらソイ31を探索してみた。
メインの通りから脇のソイ小路に入って五百メーター進んだところに十字路があって、邦人が結構投宿しているユーログランドと言うホテルがある。その向かいに、個人の邸宅が並んでいるのだが、歩道に沿って普通とは違う黒っぽい制服姿の警官が数人、することも無しに俄か仕立てのベンチに座っている。
おいらと上さんは、何とはなしにその警官たちが休んでいる歩道を通り越したんだが、多分、ここに邸宅があるんだと感じた。それで、少し行きかけてから戻ってきて、歩道を清掃している現地のオネーちゃんに問いかけてみる。
”ノーン、ノーン、ティーニィー、バーン・ナーヨックラッタムントリー・アピシット・チャイマイ”(もしもし、ここってアピシット首相の家と違いますか?”、”チャイカップ、.....”(そうです、後は意味不明。)
なるほど、この四つ角にある邸宅が彼の家なんだ、記念にと思って撮ったのがこの写真。

地元バンコクポスト紙では、ポリスヘルメットを模した臨時交番が写真入り記事で紹介しており、確かにこの目で見ることが出来た。

と言うわけで、年明け前に色んな話に落ちも付いて、みんなで良い正月を迎えられそうだと感じた貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2008年12月18日木曜日

オックスフォード大学を首席で卒業なら首相は当たり前の巻き

タイの新首相にアピシット民主党党首が、選出された。

15日の月曜に開催された下院の特別本会議で、新首相の指名投票を行った結果、アピシット氏が過半数を超える235票を獲得した結果なんだそうだ。
一方、宅診取り巻き一派の受け皿「タイ貢献党」が擁立した対立候補の得票は、198票だったので、貧乏社長が思うに意外と差のついた感じを受けている。
もっとも、アピラット候補が選出される伏線の山場は、2日のタイ憲法裁判所で、与党だった国民の力党(PPP)の解党とソムチャイ首相等の被選挙権を5年間にわたって剥奪する命令が下されたことが大きく影響していて、これを司法クーデターなんて称する人もいるくらいだ。
まあ、この結果を受けて、民主党が与党の連立少数政党に対して積極的に働きかけてきた結果、切り崩しに成功して民主党の連立政権樹立まで引き寄せたと言うイメージだろう。
少数政党だって、与党内部の寄らば大樹の陰的な存在な分けで、このままタイ貢献党にコバンザメ状態で政治活動を続けたとしても、汚職腐敗のイメージダウンは付きまとう。
この際、渡りに船と宿主を変えてイメージを刷新しながら勢力を維持したままで、大臣職のおこぼれまで預かってしまおうという一挙両得の寝返り技を仕掛けた感じがする。

かくして、1932年の立憲革命以来、アピシット・ウェチャチワ氏は27代目の首相に選出された。

これまで、サマック首相の7ヶ月、ソムチャイ首相の2ヶ月弱と言う短命で終わった政権を引き継いで運営してもらうんだから、安定して二年ぐらいは続けてもらいたいもんだ。
民主主義市民連合(PAD)による国際空港閉鎖など一連の混乱で、景気が悪化しており、経済の立て直しが急務だろう。政治混乱で失墜した国際的な信頼の回復も大きな課題になって来る。
さて、17日はプミポン国王より首相任命の勅命がアピシット氏に対して下賜されたのだが、タイのテレビ局は夕方6時過ぎからこの伝達式のもようを実況中継していた。
本来なら、国王は謁見の作法に則って任命の式典を執り行うそうだが、国王は4日の誕生日前の訓話を欠席して以来、体調の勝れないことを理由に公務では国民の前にお出ましになっていない。
ちょっと、心配な気もするのだが、貧乏社長にとってタイのこのような公式行事は初めてであるので、興味が湧いてテレビに見入ってしまった。これを画面撮りをしてみたんで紹介してみたい。

任命式典の会場は、民主党本部だと思う。ピムペン夫人と民主党首班の第20代首相を務めたチュアン・リークパイ元首相が談笑している。

こちらは勅命状を携えた伝達官が来る前の夫妻。

伝達官が会場へ到着。

勅命下賜の式典が始まり、伝達官は勅命状を読み上げる。

プミポン国王のご真影を掲げた祭壇に、勅命状が捧げられる。この後、アピシット首相は床に座り手を合わせて服従の姿勢を取り、中央の壇上の鉢の蓋を取り上げた後、式典は終了した。

就任演説を行うアピシット首相。

こんな感じで式典は終了した。
貧乏社長もみんなもそうだろうが、政権が一日でも長く続いて欲しいもんだと思う。そうすりゃ、政治の安定して来た裏づけとして、経済も順調に立ち直ってくるのではないだろうか。
それにしても、ピムペン婦人は一男一女のお母さんだけど、国立チュラロンコン大学の講師を勤めているぐらいのエリートで才色兼備だな。
アピシット首相なら、きっと上手くやれるよ、なんとなく、そう思った貧乏社長なのでした。 (この巻き、おわり)
<おまけ>
【プロフィル】 アピシット・ウェチャチワ
タイの有力華人系のウェチャチワ家出身。英中部ニューカッスルで生まれ、両親とも医師。英オックスフォード大学で哲学、政治学、経済学などを学び、帰国後、タイの国立タマサート大学で講師を務めた。1992年、下院選で初当選し政界入り。民主党報道官のあと、97年から2001年まで首相府相などを担当、05年に民主党党首に就任した。06年9月のクーデター前には反タクシン派として元首相に辞任を要求。だが、昨年12月に実施されたクーデター後初の下院選で、次期首相と取りざたされながらもタクシン派の「国民の力党」に敗北した。
即断のタクシン氏に比べ、理路整然と道理を説明する熟考型といわれる。現国立チュラロンコン大学講師のピムペン夫人との間に1男1女。44歳。

2008年12月7日日曜日

国王誕生日は、12月5日の巻き

12月5日は、賢くも恐れ多いラーマ9世プミポン現国王の81歳の誕生日だった。

貧乏社長は、タイに住んでいる外国人と言うカテゴリーに入るんだが、日の本日本にも皇室があるように、タイもチャクリー王朝と言う立憲君主制による国体があって、何人も敬うべき象徴こそ、この国王ではないかと思っている。

読売新聞のYOMIURI ONKINEにある用語解説では、

”タイ国王とは タイ憲法は、国王を国家元首であり、「不可侵の存在」と規定し、軍の統帥権も付与している。国会が可決した法案を差し戻す権限があり、議会審議を経ない法律(緊急勅令)も制定できる。首相は下院で選ばれた後、国王が任命する。王位継承者の任命権も国王が持つ。また、憲法は、憲法規定にない事態が生じた際、「国王を元首とする民主主義制度の政治慣習に従う」としている。”

と定義付けしてあって、国家運営を担う絶対的権限を付託された存在には違いない。

片や、日の本の皇室は吹けば飛ぶような象徴まで落魄してしまって情けないとは思うのだが、如何せん戦争に負けた国でもあるし、我々も戦後は民主主義で国づくりに励んで来たのだから、皇室がこのまま末永く万世一系として国民と共に繁栄を分かち合っていただけるような、真の象徴として、おいらは本当に切望している。

さて、タイの国民はみんな王様をどのように敬っているのか、おいらは気になって来た。
色々と、王室に関係する言葉を入れてググってみたら、兵庫県立大学経済学部の野津隆志さんがホームページで、タイの学校で使われている教科書の中に見られる国家と国王を紹介している。

先ず、タイと言う国はこのように定義づけられている。

生活経験科の1年生教科書(教育省学術局版) 「タイ国家」
「私たちはタイ人である。タイ民族は古くから広大な国土を有してきた。」
「タイ人は上品でおとなしい。私たちはお互いを愛し合い助け合う。私たちは勤勉で忍耐強い。」
「タイ人は陽気で朗らかで他人とうまく交際する」
「タイ人はタイ民族衣装を持つ。私の母親も大事な儀式があるときは、美しいタイ民族衣装を着るのが好きだ」
「私たちはタイ語という同じことばを話す」
「私たちは民族の衣装とことばを誇りにする」
「私たちは私たちの母国である国を愛し大切に思う」
「私たちはタイ国家が発展するために力を合わせる」

古い歴史を持ち、陽気で勤勉な国民性、共通の言語や衣装など単一国民文化を共有する国家
国民はこの国を愛し発展するために努力する
国内集団や地域の多様性よりは国内の文化的同質性

国を愛すると言うことと、タイ人であると言う単一国民意識を国民の中に形成する考えが教育理念の根底にあるような気がする。
ただ、タイ人と言う民族的なくくりは広範囲で、実業界・産業界で力を握る印僑(インド系)や華僑(中国系)も一翼を担っており、彼らもタイ人でありタイ語を話すことが要求されているのだろう。

実際に、華僑系の中華学校は長い間、政府から圧力を受けてきた弾圧の歴史もある。1980年以降、中国の政治・経済の国際社会における台頭から、中国語の経済的な価値が高まったことを背景に、華語教育に関する規制緩和にタイ政府が踏み切ったとは言え、タイ人としての意識は今後も弛まなく育まれるものと、思いたいものだ。

次に、タイの庶民が思い描いている王様への尊敬と言うものはどんなものなのだろうか。これも野津さんによれば、

(a)尊敬心の育成
「私たちは王室の家族を尊敬する」
「私たちは国王賛歌を尊敬する」
「タイ人すべてが国王、王妃、王族を尊敬する」
「私たちは国王と王室を愛し、尊敬し、忠誠を致す」
といった表現が頻繁に見られる。

国王や王族に対して尊敬を示す礼儀作法の訓練
カウロップ(尊敬する、敬う:khaurop)

などの国王を敬う教育が強力に推進されていることが分かる。

おいらは思うんだが、プミポン国王の人柄・資質そのものが英明で、これまでクーデターなど国難にも適切で国民に不平等を生むことなく対処されて来たし、60年以上もの長きにわたって在位されてご健勝であることが、この教育自体に何も違和感を感じさせないと思っているわけだが、どうだろう。

さて、プミポン国王の誕生日に当たってどんな行事が行われるか、上さんもおいらもはっきり分かっていなかった。

ただ、誕生日が近づくにつれて地元のテレビ放送局がゴールデンタイムに祝賀行事の実況やら収録映像を流していたんで、大まかに大きな行事は二つだと分かってきた。一つ目は、12月2日に行われた国軍のパレードで、国王と王妃が儀仗兵・近衛兵を閲兵されていた実況中継の番組から画面撮りしてみたもの。


ちょっと、国王陛下の立ち振る舞いにふらふらした感じを受けたので、この時お加減が悪いのでは無いかと思ったのだが、まさかこれが的中するとは思わなかった。と言うのも、前日に誕生日を祝う仏教儀式がバンコクの王宮で行われたものの、お体の不調を理由にお姿をお見せにならなかったからだ。

毎年、誕生日前夜のこの儀式で国民向けに訓話を行うのを恒例としているのだが、王族のご一行が代理出席した形で、ワチラロンコン皇太子・シリントン王女らがお取り止めの事情を説明された。

皇太子が始めに挨拶ならびに事情を心もとない印象でお話されたようなのだが、何やら尻切れとんぼに終わって、後を受けてシリントン王女がフォローした印象を受けた。もちろん、タイ語なので何を説明されたのか分からないのだが、毎日変体新聞の記事を読む限り、”王女は「国王はのどの調子が悪く、大事を取って休養してもらっている」と説明し、重病ではないと述べた。”とあるから、大事な説明は王女がなされたものと思われる。

その後、国王のご容態をバンコクポストの英字紙などでも、回復に向かっていることを王室広報局が発表しているから、いち早い健康の回復をお祈りしたい。

だれだ、お隠れとか不謹慎極まりないガセ情報を流している日本人は...タイへ遊びに来て、誰かに通報されて、不敬罪で捕まったって知らないよーんでした
。(この巻き、終わり)

追伸:ワチラロンコン皇太子が何をお話されたかおいらも興味があるんで、後日、上さんのタイ語の先生に聞いてもらうことにしてあるんで、後からリポートするかもしれません。