2008年12月18日木曜日

オックスフォード大学を首席で卒業なら首相は当たり前の巻き

タイの新首相にアピシット民主党党首が、選出された。

15日の月曜に開催された下院の特別本会議で、新首相の指名投票を行った結果、アピシット氏が過半数を超える235票を獲得した結果なんだそうだ。
一方、宅診取り巻き一派の受け皿「タイ貢献党」が擁立した対立候補の得票は、198票だったので、貧乏社長が思うに意外と差のついた感じを受けている。
もっとも、アピラット候補が選出される伏線の山場は、2日のタイ憲法裁判所で、与党だった国民の力党(PPP)の解党とソムチャイ首相等の被選挙権を5年間にわたって剥奪する命令が下されたことが大きく影響していて、これを司法クーデターなんて称する人もいるくらいだ。
まあ、この結果を受けて、民主党が与党の連立少数政党に対して積極的に働きかけてきた結果、切り崩しに成功して民主党の連立政権樹立まで引き寄せたと言うイメージだろう。
少数政党だって、与党内部の寄らば大樹の陰的な存在な分けで、このままタイ貢献党にコバンザメ状態で政治活動を続けたとしても、汚職腐敗のイメージダウンは付きまとう。
この際、渡りに船と宿主を変えてイメージを刷新しながら勢力を維持したままで、大臣職のおこぼれまで預かってしまおうという一挙両得の寝返り技を仕掛けた感じがする。

かくして、1932年の立憲革命以来、アピシット・ウェチャチワ氏は27代目の首相に選出された。

これまで、サマック首相の7ヶ月、ソムチャイ首相の2ヶ月弱と言う短命で終わった政権を引き継いで運営してもらうんだから、安定して二年ぐらいは続けてもらいたいもんだ。
民主主義市民連合(PAD)による国際空港閉鎖など一連の混乱で、景気が悪化しており、経済の立て直しが急務だろう。政治混乱で失墜した国際的な信頼の回復も大きな課題になって来る。
さて、17日はプミポン国王より首相任命の勅命がアピシット氏に対して下賜されたのだが、タイのテレビ局は夕方6時過ぎからこの伝達式のもようを実況中継していた。
本来なら、国王は謁見の作法に則って任命の式典を執り行うそうだが、国王は4日の誕生日前の訓話を欠席して以来、体調の勝れないことを理由に公務では国民の前にお出ましになっていない。
ちょっと、心配な気もするのだが、貧乏社長にとってタイのこのような公式行事は初めてであるので、興味が湧いてテレビに見入ってしまった。これを画面撮りをしてみたんで紹介してみたい。

任命式典の会場は、民主党本部だと思う。ピムペン夫人と民主党首班の第20代首相を務めたチュアン・リークパイ元首相が談笑している。

こちらは勅命状を携えた伝達官が来る前の夫妻。

伝達官が会場へ到着。

勅命下賜の式典が始まり、伝達官は勅命状を読み上げる。

プミポン国王のご真影を掲げた祭壇に、勅命状が捧げられる。この後、アピシット首相は床に座り手を合わせて服従の姿勢を取り、中央の壇上の鉢の蓋を取り上げた後、式典は終了した。

就任演説を行うアピシット首相。

こんな感じで式典は終了した。
貧乏社長もみんなもそうだろうが、政権が一日でも長く続いて欲しいもんだと思う。そうすりゃ、政治の安定して来た裏づけとして、経済も順調に立ち直ってくるのではないだろうか。
それにしても、ピムペン婦人は一男一女のお母さんだけど、国立チュラロンコン大学の講師を勤めているぐらいのエリートで才色兼備だな。
アピシット首相なら、きっと上手くやれるよ、なんとなく、そう思った貧乏社長なのでした。 (この巻き、おわり)
<おまけ>
【プロフィル】 アピシット・ウェチャチワ
タイの有力華人系のウェチャチワ家出身。英中部ニューカッスルで生まれ、両親とも医師。英オックスフォード大学で哲学、政治学、経済学などを学び、帰国後、タイの国立タマサート大学で講師を務めた。1992年、下院選で初当選し政界入り。民主党報道官のあと、97年から2001年まで首相府相などを担当、05年に民主党党首に就任した。06年9月のクーデター前には反タクシン派として元首相に辞任を要求。だが、昨年12月に実施されたクーデター後初の下院選で、次期首相と取りざたされながらもタクシン派の「国民の力党」に敗北した。
即断のタクシン氏に比べ、理路整然と道理を説明する熟考型といわれる。現国立チュラロンコン大学講師のピムペン夫人との間に1男1女。44歳。

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