2011年5月31日火曜日

タイで交通事故は死に損の巻き

今朝、チャンネル3のテレビニュースを見ていました。
画面には泣き叫ぶおばさんが映し出されています。
その嘆き方は尋常でなく、最愛の人を突然失ったかのようでした。

キャスターが状況を説明しています。
よくは分かりませんが、ロッ(車)と多用しているので交通事故でしょう。
上さんも興味があったらしく、じっと聞き入っています。

上さんはタイ語のヒアリングができます。
アナウンサーが早口でしゃべっても大まかに意味を把握できます。
自分はからきし駄目ですが、こう言う時頼りにしてしまいます。

それで、ニュースはやはり交通事故とのことでした。
犠牲者は、おばさんの姉と妹らしい。
事故は、自動車の停車中に品物を売って歩く、行商の最中に起きたようです。

イサーンのコラートから稼ぎにバンコクまで来たと話しています。
地元でお金に困っていたので、職を見つけに上京するのはよくある話です。
ただ、今回の事故は悲惨な結末ゆえに哀れを誘います。

この手の行商は、いつも危険と背中合わせにあるのです。
渋滞しやすい交差点で、車が停まっている車列の中を売り歩きます。
よい香りのする花輪だったり、新聞だったり、果ては祝日に小さなタイの国旗を売ったりします。

このおばさんも、多分、そんな商売をしていたのだろうと思いました。
そして、加害者はなんと公共輸送のバスでした。
バスは、民間委託も含めてBMTA(バンコク大量輸送公社)が運営しています。

その中でも、オレンジ色の510番エアコンバスがその二人をはねたようです。
交通量の多い道路みたいで、事故現場には野次馬が群がっていました。
一瞬にして親族を失ったのですから、あまりに悲惨すぎて同情せずにはいられません。

後で、バスの運転手が警察で尋問を受けている風景が流されました。
淡々としていますが、事故の補償はいくらになるのか気になりました。
一般に、タイでは任意の自動車保険であれば、死亡は最大三十万バーツです。

はかないほど安く、日本円にして百万円に満たないのです。
ただ、日給が六百円に満たないお国柄ゆえ、五年分の賃金です。
これを安いか高いか、どう見るかは意見が分かれるでしょう。
まあ、日本人なら納得がいかなくても、地元の人にとっては妥当なのかもしれません。

と言うわけで、我が社のメンテ要員も、最近、交通事故を起こされました。三人の若者が、夜間にバイクの暴走運転で、対向車線からはみ出してぶつかって来たのだそうです。警察の判断ではバイク側が全面的に悪いことになりましたが、こちらとしても後味の悪い話でしたので、三十万バーツの補償に五万バーツの気持ち加えて払うことにしました。そんな記憶もありましたので、今朝のニュースは実に後味の悪いものになった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月30日月曜日

日本で太陽光発電は無理ですの巻き

タイで、太陽光パネルの採算性を聞きました。

1ユニット(KWH)の電気料金は、3.5バーツ(約10円)。

これに、太陽光発電のライセンスを政府からもらえたとします。
10年間、1ユニットに8バーツの政府補助金が大盤振る舞いで支給されます。
これで、投資の回収期間を短縮するのが可能になる分けです。

そこで、投資に対する採算性です。
補助金が付いたとしても、回収に掛かる年数は、大規模発電であっても七年ぐらいのようです。
つまり、補助金の残り三年分が、おいしい利益に計上されます。

ところが、小規模の発電設備では10年も掛かってしまう。
こうなると、政府の補助金をすべてを投資の回収に費やすのです。
10年経って、やっとそれ以降は売電だけの利益で潤うことになります。

今回聞いた話では、小規模な太陽パネルが百平米の面積でした。
もし、補助金が全く無ければ、採算は十数年に伸びます。
こんな息の長い話だと、補助金の話が泣ければ、誰も投資しない筈です。
つまり、簡単に利益を生み出せる商売とは思えない感じがしたのです。

要するに、補助金頼みのエコポイントでして、日本でやっても同じでしょう。
因みに、タイの日照時間は日本に比較して1.4倍増えるそうです。
それだけ条件が良くても、コスト回収期間はかなり長い。
他にも、タイの電力料金が安くて回収しにくいのかもしれません。

因みに、日本のパネルメーカーは、お値段で国際競争力がありません。
その分、大規模発電用に薄利多売をすれば競合できるかもしれない。
でも、単価でみるなら、台湾・中国製に軍配が上がるはずです。

しかも、百平米で発電できる量が10キロワット弱です。
家庭用でも40キロが普通の時代、これを満たすにはどでかい面積が必要なのです。
天気で曇ったり、パネルの面が汚れてくると発電量も低下してきます。
重量も結構あって、たたみ一枚半のパネルが20キロで重い。
どうやって、屋根に取り付けるんだろう。
ただ、パネルの保障期間が20年と言うのは良いかもしれない。

そこで、奸総理がぶち上げた1千万戸に太陽パネルの話です。
本当に国民のためにやっているのでしょうかね。
光から電気に変換する効率を、飛躍的に高める研究に助成金でも出した方が良いんじゃないでしょうか。

と言うわけで、日本で太陽パネルを是が非でも導入したかったら、巨額の補助金は絶対必要になります。その財源をどうするか、多分、何にも考えないで大風呂敷を広げたに過ぎません。国民に画餅だけを与え続ける詐欺師の総理には、もはや退席しかないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月29日日曜日

このままで東北をつぶすのが民主党の役割の巻き

※中国共産党「日本解放第二期工作要綱」の地図らしい。

内閣副官房長官の仙谷さんなる御仁は、中共の政治思想にぞっこんです。
ある時、常人とはかけ離れたキャッチフレーズを使っています。
それは、2009年の秋、毎日新聞のシンポジウムです。
当時、行政刷新担当相だった人は、「事業仕分け」をこんな風に評価しました。

”これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった。”

この「文化大革命」ですが、共産主義を金科玉条とする中国で発生しました。
時期的には、60年代後半から数年間のことです。
聞こえは良いが、改革運動を隠れ蓑にした暴力闘争に過ぎません。

どちらかと言えば、毛主席に歯向かえば粛清されただけのことです。
そして、彼こそが命みたいな個人崇拝が蔓延しました。
「毛沢東語録歌」なる教典も流布し、その教義が強制されました。



引用先はこちらから

忠誠を捧げる意味で、この語録に合せて踊りも考案されたそうです。
「忠の字踊り」と言い、踊れないと列車にも乗せさせてくれない。
それから、「忠」の字を浮き上がった「忠の字豚」も飼育されたそうです。
毛を刈り込んで字を作ったようですが、鰯の頭も信心からでしょう。




こうなると、カルト教団ばりの新興宗教の乗りです。
何だか未開地で繰り出された演芸会の出し物にしか見えない。
思想で飯が食えるわけでも無いし、扇動する演出だけで庶民は熱狂した。

でも、中国共産党は、その後、内乱だったと断罪しています。
そりゃそうでしょう。
数百万人以上とも言われる多数の犠牲者を出したのです。

ウイキは、無政府主義を実現する大規模暴力闘争だと定義しました。
ならば、民主党のかの御仁は、何を持ってなぞらえたのでしょうか。
暴力的な政治闘争で、無政府主義の実現が目的なのでしょうか。

それとも、単なる言葉のあやだと言いたいのでしょうか。
あの頃、日本の若者も、この無教養な熱い風に洗脳されました。
意味も分からず、言葉に酔いマルクスレーニン主義だと叫喚する。

果ては、世界同時革命だと絶叫して学生運動にのめり込む。
あの世代は、学生運動しか能の無い集団だけだったようです。
でも、一度熱が冷めれば、彼らは擬装して社会人になりました。
そして、今の今まで抜け抜けと社会の上層部に生き残っています。

もし、このような思想に耽溺した無分別な人間が成長し、もし政治家になったとしましょう。
あなたは、本当に信頼を置いて政治を任せることができるでしょうか。
老成していますから、巧妙な手口で貴方は騙されているかもしれない。

と言うわけで、この副官房長官も首相も全共闘世代に属し、学生運動しか考えていなかった曲学阿世の徒です。もし、かつての洗脳が解けずに政治を操ったら、冒頭の地図を実現するために、他国をいざなう行動を取るかもしれません。言葉の使いを見ても、その疑惑を深めるばかりの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月28日土曜日

部下は、”俺は聞いていない”って怒れんよの巻き

首相の太陽光パネル表明「聞いてない」と経産相

海江田経済産業相は27日の記者会見で、菅首相が主要8か国(G8)首脳会議(サミット)で表明した太陽光パネルを住宅1000万戸に設置する目標について、「報道を通じて知った。(首相からは)聞いていない」と述べ、エネルギー政策を担当する経産相へ事前相談がなかったことを明らかにした。

海江田経産相は、「総理ですから、自分の思いを発言するのは構わないことだと思う」と説明した。その上で、太陽光パネルの設備費用など、1000万戸設置に必要な財源の確保については「(首相が)日本に帰ってから話をしたい」と述べるにとどめた。
(2011年5月27日20時36分 読売新聞、引用ここまで)

「閣内一致」と言う言葉が、なぜだか懐かしく感じられる、今日この頃。
日本の皆さんは、いかがお暮らしでしょうか。
いやはやもって、日常茶飯事、常態化が、今や閣内不一致なのでありました。

何時になったら閣内一致は、やって来るのでしょうか。
未来永劫、ミンス党政権下では、死語として葬り去られのかもしれません。
そうなってしまった今この時、哀悼の意を表し、愛惜を感じずにはいられません。

自民党政権が、やけに切なく懐かしいのです。
いかに、まともだったのか、皆さんも否が応でもお分かりになったはずです。
情報の共有など、微塵も遵守されておりません。

またの思いつきで延命できると飛びつき、安易に臆面も無く世界に発信してしまった。
これが、わが日本国の夜郎自大なる宰相のご発声です。
正に、笑点の大喜利も真っ青の、もうお笑いのネタが乱発なのでした。


ところで、民主党は議事録すら残さない、悪意の集団でありましょう。
原発事故の委員会では、ほとんど作成されておりません。
あの時、誰が何を行ったのかは、発言者の記憶にもとづくだけです。

だから、発言内容は、ころころ変えられるし、嘘も他愛無く付けるのです。
原子炉へ海水注入する件では、首相が指示していないことに変更されました。
要するに、息をするように嘘を吐き続けるのが、奸チョクトだし民主党もそうです。

ですから、一千万軒の家庭に太陽光パネルを取り付けるなど完璧な虚言です。
二十兆円にもなる補助金を、どうやって工面しろと言うのでしょう。
これは、東北大震災の復興予算と規模が同額です。
震災の予算すら目処が付いてない現状で、何をかいわんやだと思いました。


と言うわけで、日本国民は今後も絶望の淵に立たされ続けるのでしょうか。ならば、野党は、この際、内閣不信任決議案を提出して、是非を問うべきでありましょう。可決されるのか、否決されるのかは、関係無い。今までの政府の不審な行状を見る限り、一定の審判をくださざるを得ないと感じた、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

「団塊の世代」の特徴は、亡国へのいざないの巻き

1.世代人口が無駄に多く、義務教育も二部制・三部制授業でまともに受けていない。

2.親や教師の目が行き届かなかったので野放図に育ち、少年犯罪率のレコードホルダー。

3.高校進学率60%台、進学者のトップレベルは教師を吊し上げて授業を破壊(=恒常的な学級崩壊)

4.大学+短大の進学率15%、高校に引き続きバリケードを築いて講義・演習受けず。

5.無知・無学なのを棚に上げ「俺たちは何でも自分で考え出した、これが真の知だ」と開き直る。

6.無知ゆえに暴力的、無学ゆえに権威主義的。中卒高卒はDQN、大卒は全共闘。

7.「俺は既成の権威を否定する」と吠える一方、自分に対する絶対的服従を要求。

8.「話し合い」とは相手を威嚇して黙らせ、大声でわめき倒せば勝ちだと思っている。

9.歴史的に形成されてきた伝統や文化の価値を理解できず「新しい○○」をやたらに主張する。

10.「現状を変える」と大騒ぎして秩序を破壊し、その後に混乱以外の何も生み出せない。

11.「野武士の風格」と自画自賛するが実際には「山賊」、ゴロツキの性質を有する。

12.やたらと他人を厳しく批判する一方で自分には甘く、ずるいことをやっても「仕方がなかったんだ」とごまかす。

13.目先のわずかな利益に執着し、長期的・大局的な利益を考える視野を持つことができない。

14.基本的にケチで強欲、目下には牛丼1杯、ビール1本をおごって親分気取り。

15.「俺について来い」と経験豊富な指揮官ぶって大言壮語するが、肝心な時に自分だけ逃げる。

16.戦後日本を焼け跡から復興したのは自分たちだと勘違いしている。

17.かつて親を「戦争に関わった人殺し」と罵倒しておきながら、子供には自分たちを尊敬するよう求める。

18.「保険料を払ってるんだから」と微熱でも医者にかかる一方、「最近の子供はたくましさが足りない」と批判。

19.精神論・根性論を好み、「死ぬ気で努力しろ」「がむしゃらにやれ」「今の若いもんはガッツが足りない」が持論。

20.常識を身につけないまま大人になったため子育てもろくにできず、子供を第二の馬鹿世代「団塊ジュニア」に育て上げる。
注:中学校の生徒会でリコールされた生徒会長こと、菅源太郎を育てた菅直人。

と言うわけで、コピペのみ。
(この巻き、終わり)

2011年5月27日金曜日

復刻しないから結構な値段ですの巻き

★とみたゆう子 海のキャトルセゾン

”とみたゆう子”と言うシンガーが、かつて居りました。
でも、今は知る人ぞ知る存在なのです。
それもそのはず、ニ十年以上も前に引退してしまいました。

確か、80年代、二十代の頃だっと思います。
当時働いていた企業の独身寮に住んでいました。
一つ置いた部屋には、同期生の竹ちゃんもいて、仲良くしていました。

彼は、結構な音楽好きでCDの購入に金を結構つぎ込んでいました。
中心はクラシック音楽でしたが、ニューミュージックもありました。
時々、CDを借りていたのですが、その一枚に彼女の物がありました。


タイトルが”Shampoo(シャンプー)”って言います。
ネットで名前を入力すると、たくさん画像も見つかりました。
今改めて見返していますが、少しばかり変です。

なぜかと言いますと、ゆう子さんがお化粧して正装しています。
なのに、誰かがドライヤーをかけているのです。
しかも、雷の誘導なのか、電流の波型が機器を伝わっていました。
それに、突如トースターが黒焦げパンを吐き出すのです。

このジャケットで何を表現したかったのでしょうか。
シャンプーって、いつ、髪の毛を洗ったのか見当が付かない。
道産子社長は、不思議でさっぱり分からなくなりました。

と言うわけで、ユーチューブで探したら、このCDの収録曲が意外に見つかりました。最近になってアップしてくれた方がいたようで、早速、ありがたく聴取させてもらってます。復刻版CDもまだですし、一枚一万円の中古を買うより、先ずはユーチューブで昔を懐かしむ道産子社長がいるのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月26日木曜日

奇特な邦人は、タンホセアン本店を目指すの巻き

※タンホセアン本店

この名前を聞いてピンと来たら、かなりマニアックです。
しかも、男の人で行ったのなら、よほど奇特なはずです。
でも、バンコク駐妻、マダムならかなりの趣味人でしょう。

このタンホセアンは、知る人ぞ知る地元百貨店の老舗です。
場所は、チャオプラヤー川を渡ったシリントーン通りにあります。
この通りは、戦勝記念塔から西に伸びる道路なので、すぐ分かります。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

BTSで降りたら、エアコンバスの515番か539番に乗り換えましょう。
後は、一直線に走るだけで、橋を渡ったら降りる準備をします。
左手に大きなビルが見えますので、分かりやすいはずです。

さて、このタンホセアンですが、華僑系のデパートなのが分かりました。
デパートの玄関を見上げると、陳和盛百貨店公司と書いてありました。
要するに創業者の名前を、そのまんまに名付けただけです。


日本語だったら、”ちんかずもり”さんになります。
でも、上さんに言わせますと、この発音は潮州語らしいと言っておりました。
華僑でも、タイに住み着いたのは、多くが潮州人でした。
広東にある潮州市は、現在でも二百五十万の人口に過ぎません。
つまり広大な中国でも、タイへ来た華僑は、ごく限られた地域の人なようです。

さて、この百貨店は手芸品売り場の品揃えが豊富なことで有名です。
確かに行って見て、その売り場の広さに驚きました。
フロアーの三分の一は占めてるんじゃないでしょうか。

特に毛糸やニットの編み物・織物用品が一杯でカラフルでした。
でも、アクリルの派手な蛍光色の糸ばかりが目立ちます。
一玉で16バーツですから、日本の百均ショップより安い。


それで、ここバンコクではリリアン編みが人気みたいです。
この編み機なんですが、縦二列に並んだタイプが売られています。
編み方の教則本なんかも豊富で、数多く陳列されていました。

パラパラめくって見ましたけど、タイ語なので全く分かりません。
一方、上さんは文字が読めますので、興味を持って眺めていました。
もちろん、編み機を使いはじめて間もないからでしょう。
どんなデザインに挑戦しようか、とても参考になるようです。

グーグルで調べましたが、日本では円筒状に編み上げるようです。
ところが、こちらでは、マフラーやショール、ベストなどが編まれていました。
このため、縦に長く編むのですが、英語では”Mayan Loom”と説明されていました。
きっと、古代マヤ文明の時代から編まれてきた方法なのでしょう。


と言うわけで、タイに来て編み物の知識を少しばかり得ることができました。上さんには、眺めていた本を買ってプレゼントしたので、その内に何か編んでくれるのだろうと思います。それと、タンホセアンはカオサン地区に支店があるそうで、今度はそちらにも行ってみたいと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月25日水曜日

今日はヘトヘトなのでお休みしますの巻き

FVA- Cat Laser Bowling

と言うわけで、眠くて眠くてたまりません。
みなさん、お休みなさーい。
(この巻き、終わり)

2011年5月24日火曜日

外国人ですから、タイの政治には関係なしですがの巻き

パタヤデイリーニュースより

先週19日、木曜日のことです。
長期滞在許可の申請をするために、パトンタニ県の入管事務所へ出向きました。
一年一回の通過儀礼ですが、準備する書類が膨大です。
会社の総務課長も、しゃかりきになっていました。

と言うのも、昨年はミスが重なり、何度も出直しました。

そんな反省もあってか、書類は完璧でお菓子の手土産持参と言う周到さです。
タイのお役人は面白くて、その場でそっけなく受け取ってくれます。
まあ、率直に志を理解してくれる国は、非常に現金で分かりやすいのでした。

しかも、入管の事務所内は、興味を惹かれます。
何せ、テレビが付けっぱなしの、民法番組が流されっぱなしでした。
あれでは、事務効率も上がらんでしょう。
ちんたらしながら、書類を受け付けてもらい、審査されました。

椅子に座って待つ間、することも無いのでテレビに目が行きます。
おやっ、アピシット首相の顔が移りました。
何をやっているんでしょうか。

何だか、ビンゴ見たいな数字の引き当て番組のようにも見えます。
でも、たくさん政治家が出ているのは、不思議です。
よくよく眺めているうちに、分かったのは選挙絡みだと言うことでした。

このタイの総選挙ですが、実施されるのは自分でも分かっていました。
比例候補順位も発表されましたし、既にお祭りモードに突入した雰囲気です。
それで、このビンゴで引いた数字ですが、政党の投票番号らしいです。

比例投票は、支持政党を選択して一票を投じます。
つまり、番号を書き込んで投票すれば、その政党の支持になるわけです。
テレビでは、アピシット首相が10番の球を高く掲げておりました。

さて、総選挙のことですが、自分で感じたことを書いて見ます。

先ず、政権与党だった民主党は、初めから議員の数で第一党になるつもりはないようです。
政権を維持できればよいのであって、第二党狙いでしょう。
これに、タイ誇り党など、コバンザメの政党を集めて連合政権で、前回同様に組閣する段取りです。

従って、タクシン命の貢献党は、何が何でも過半数をとらなければならないのです。

ですが、これはちと難しいのではないでしょうか。
しかも、タクシンさんは、政治がファミリービジネスみたいな考えで傑出しています。
血筋が大事で、妹を何と首相候補扱いの比例順位一位にしてしまいました。

こうなりゃ、中小政党が連立でくっ付いても、おいしい大臣ポストがもらえそうに無いような感じもします。
ですので、民主党に擦り寄った方が無難と思うのではないでしょうか。
要するに、合従連衡の合従になぞらえることのできる状況です。

一方、貢献党は、何が何でも政権を確保したい。
このため、民主党に第一党と大連立を組むよう誓約書への署名を求めたりしています。
民主党も、そう易々とその手口に載るはずも無く、拒否しました。

ですので、第一党なのに政権を担えないと言う、一風変わった政治環境がタイにできあがるのかもしれません。

それと今回の選挙も、簡単に集約しますと華僑系タイ人の権力闘争に過ぎないと思います。
唯我独尊的な客家の華僑系と、潮州出自の王党派華僑系が基本的に争う図式です。
タクシンさんは、バリバリの客家でシンガポ-ルのリークアンユー元首相を尊敬しています。
王室は利用できればと言う乗りですから、クーデターを起こされ失脚したのでしょう。
一方、アピシットさんは貴族の家柄ですから、タイ王室を盛り立てる役割です。

これに利害・利権を伴う権力が、二派に分かれて支援しあう形なのだと思いました。
ですが、日本のメディアは深い掘り下げも無く、バンコクを混乱に陥れた似非民主化運動を心情左翼的に同情するだけです。
こういう報道をされても、困りものだと強く感じました。

日本と言う国にとっては、タイの民主党が付き合いやすいはずですよ。

アピシット首相が、最初の外遊先に日本を選び、中国を外した点でも分かります。
他方、貢献党さんは中共さんとはごじっこんでしょう。
なぜなら、支援団体UDD(赤シャツ隊)の中には、元タイ共産党員がたくさん潜んでいます。
ちょっと、危険ではありますね。

と言う分けで、ものごとを良く観察してみると、ちゃんと道理があるのだと思いました。
それで、赤シャツ隊ですが、イサーン(東北地方)では絶大な指示があると言われているのに、ブログ「ウボンラチャタニに吹く風さん」は、そんなもの地元で見たことも無いと書いてありました。地域によっては、それほど支持が得られていない箇所もあるのかもしれません。とにかく、選挙の結果が楽しみな道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月23日月曜日

おらは、TPPは絶対に反対ののろしを上げるの巻き

ウイキリークスさんが、やってくれました。
この外交書簡の電文を暴露してくれたおかげで、如何にTPPが怪しいかが分かります。

ニュージーランド外交貿易省のマーク・シンクレアTPP首席交渉官は、「TPPが将来のアジア太平洋の通商統合に向けた基盤である。もし、当初のTPP交渉8カ国でゴールド・スタンダード(絶対標準)に合意できれば、日本、韓国その他の国を押しつぶすことができる。それが長期的な目標だ」と語った。(米国大使館公電から)

引用元は、ニコズ・ブログさんからです。
孫引きになりますが、ネタの大元は、「日本農業新聞」さんの記事でした。
何しろ、TPP締結で打撃を被る農家が読者の対象としているだけあって重大事でしょう。

この件で、ワシントンDC在住の保守派の論客、古森義久さんは、どちらかと言えば賛成です。
TPPを後押しする新聞記事を、最近は比較的良く取り上げてきました。
でも、背後にある壮大な罠の国つぶしには、気づいていないのかもしれません。

この中で、日本のみならず韓国までつぶそうとする発想がアジアに対する差別性を感じます。
これまで、韓国は、EUやアメリカと自由貿易協定を結んできました。
貿易依存度が、八割を超える極端な輸出国家のせいもあって、止むを得なかったのかもしれない。
でも、この記事がメディアで紹介された以上、韓国も何らかの反応は示すのではないでしょうか。
なぜなら、隣国の日本のことが気になって気になってしょうがない国ですから。

と言うわけで、東北大震災のどさくさに紛れて、TPPを推し進めようとする経済産業省などの役人は、どっちの国のために公僕として働いているのでしょうか。幸いなことに、優柔不断な菅政権は、最近では、一転考えを翻して、受け入れにはお茶を濁しています。このまま、世論の高まりで、少なくともTPP参加は、遅らせるべきと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月22日日曜日

日曜日の午後は昼下がりで雑念の巻き


”立てば国難、座れば人災、歩く姿は風評被害”のメルト・ダウンで~す。
”よろしくおねがいしま~す。”

先進国G8の世界では前座以下でしょう。
あまりにお粗末な政界ネタばらしが満載で、あきれるかもしれません。
これは、Overdopeさんと三橋貴明さんのブログからコラボしました。

まあ、民主党政権は、お笑いネタぐらいにしかならないのです。
今日の日経で、”風見鶏”と言う論説記事を読んでそう思いました。
プロの漫才作家さんなら、一本や二本は簡単に台本ができてしまうのではないでしょうか。

”国民の皆様に重要なお知らせがある”と言って、浜岡原発停止です。
事前の調整も無く、伝家の宝刀「政治主導」を突きつける。
行政指導されても、法的根拠なんかありません。
根回しすれば反発を受けると恐れて、不意打ちのだまし討ちで国民を袈裟切りです。

ここまで来て、民主党を支援する痴れ者もありますまい。
そして、国政の最高責任者を辞めさせられる人は誰もこの世にいない。
まことに、困り果ててしまいました。

さらに輪をかけてひどいのは、”責任をとりたがらない”と言う習癖です。
これは、民主党のそのものの体質なんだろうと思います。
福島原発事故の被災地支援でも、その場しのぎで責任回避は常套でした。

指示を受けた官僚が、こんな締めくくりの一言に唖然としました。
”直ちにやれ、うまくいかなかったら、お前らの責任だからな”
いやはや、こんな上司と仕事はしたく無いものです。


国家経営を担うのが政治家なら、責任は取って当たり前でしょう。
政治の導きが失敗しても、身代わりに平然と詰め腹を切らせる。
日本人として、これほど卑しい人品を見るのは耐えがたくなりました。

さらに、風見鶏の論説は、けじめに鈍感な体質にも触れました。

なにしろ一度職を辞したものが、同じ職権に舞い戻る前代未聞さです。
枝野某といい、仙谷某といい、それぞれ辞めざるを得なかった責めがある。
それでも、のうのうと時を待たずして復権して仕事にありつきました。

あの、参議院選挙の敗北の総括は、どうなったのでしょうか。
そして、自衛隊を暴力装置となぞらえた失言による問責決議の結果は、尊重されたのでしょうか。

と言うわけで、日本経済新聞さんも民主党ダメ出しに舵取りを切ったのが、ますます明確になってきました。所属する横粂衆議院議員も離党を表明したし、志のある人なら呆れて離反するのは自明でしょう。それでも、離れられないのは、東電労組や日教組が支援するクソ議員だけかもしれないと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月21日土曜日

NCA長距離バス発着場の巻き

※左クリックで拡大してご覧下さい。

上の写真は、ナコンチャイエアー(NCA)のバスターミナルを示す地図です。
ご覧のように、モチットの共同ターミナルとは場所が異なります。
バス自体は、モチットにも停車してくれますが、ごちゃごちゃして分かりにくい。
ですので、専用ターミナルで乗車するのをおすすめします。

それで、どうやってターミナルまで出向くかです。
交通手段としては、タクシーが一番楽で、手っ取り早い。
でも、暇も時間もあるが、金が無いと言う方は、ちょいと面倒です。

特に、バックパッカーの聖地、カオサンからは問題でしょう。
タクシーがもったいないなら、バスで行くしかありません。
色々と調べてみたんですが、二路線は確実なのが分かりました。

一つは、民間委託で運行される157番です。
もうひとつは、エアコンバスの509番です。
どちらも、カオサン最寄りのラチャダムヌンクラン通りを走ります。

※バスマップの購入をお勧めします。

この二路線がどの程度の頻度で走るのか、よく分かりません。
三十分まてば、どちらかはやってくるのではないでしょうか。
そんな程度ですので、時間にはかなり余裕を見る必要があるでしょう。

何せ、BMTA(大量輸送公社)のバス路線には時刻表が存在しません。
バンコクと言えば、渋滞がどこで起きるか予測できないのです。
しかも、交通信号の点灯パターンが未だに手動だったりします。

つまり、渋滞を解消するために手動で点灯時間を調節するらしい。
非常に原始的でして、このために渋滞がひどくなっているんじゃないでしょうか。

※切符売り場(予約可能)。
※一般待合室(ゴールド・シルバー級バス)
※ファーストクラス待合室(エアコンで快適)
※かろうじて英語で行き先を説明。

と言うわけで、ナコンチャイエアーのターミナルは設備自体があたらしいので、おすすめです。ただ、発着ゲートが全部タイ語の説明だったりして分かりづらい。乗るのに迷うかもしれませんので、余裕を持って到着するのをお勧めする道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月20日金曜日

ウボン~旅のこぼれ話の巻き(その弐)

報道:ウボンラーチャターニーキャンドル祭り

ウボンラチャタニの滞在は一日だけでした。
とっても暮らし安そうな感じがしております。
それに以外に暑くなかったので、驚きました。

チェンマイのある北部も良いのですが、これからはイーサンのウボンじゃなかろうかと思いました。
何がウボンかって言いますと、リタイアしたらここで暮らすんですよ。
そんなに都市化していないし、時間の流れがのんびりしてそうな感じです。

それに、テスコロータスもビッグCのショッピングモールもできていました。
日本料理の食材だって売ってないことは無いでしょうし、なんとかなるものです。
ただ、病気になったときはちょっと困りものですね。

地元の病院は、英語なら意思の疎通が可能みたいです。
後は、英語でどうやってく症状を表現するかが、問題です。
わたしだったら、ゲーム機を使って何とかしますね。


任天堂DS2には、「旅の指さし会話帳DS」と言うソフトが売られています。
タイ版とアメリカ版もあって、病気の症状を説明するカテゴリーが付いています。
もし症状が気になるなら、バンコクまで出かけても苦にはならない。
ウボンの飛行場は市内にあるし、一時間のフライトです。

さて、国立博物館横にある屋台市で、CDとVCDの海賊版を発見しました。
なんと一枚20バーツの格安で、思わず買い漁りました。
それで、家に戻って再生したのですが、ちゃんと視聴できました。
他にも市内にCDショップが多くありましたので、買い物が楽しめそうです。


※右上は、モーラム期待の星カオティップ・ティダーディン

と言うわけで、やっぱりイサーンはモーラムの本拠ですなー。モーラム用木製エレキギターを売っている楽器店も見つけてしまいましたし、ホテルでテレビを見ていて、ゴールデンの時間枠でその歌番組も鑑賞させてもらいました。観光名所も多いですし、もうちょっと日本人の観光客が訪れても善い所だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月19日木曜日

ウボン~旅のこぼれ話の巻き(その壱)


※左クリックで拡大してご覧下さい。

現在、ウボンラチャタニ空港で搭乗手続き待ちです。
エアエーシアのチェックインも終わりました。
離陸まで二時間近くもあると、暇を持て余しています。

この空港は、ほとんど市内に隣接しています。
トゥクトゥクに乗ったら百バーツでした。
国立博物館近くのラチャタニホテル交差点からです。
ここにはいつも数台のトゥクトゥクが停まっています。

最初に泊まった宿もここでした。
屋台の夜市もあって食事には便利なところです。
近辺には、ワット・トゥン・シー・ムアンという木造寺院もあります。
まあ、コンパクトな観光めぐりをするには便利な場所かもしれません。


帰りは、この木造寺院で車を降りて歩き回りました。
夕方、3時過ぎからですが、未だ日差しがきつくて汗をかきます。
涼を求めて日陰づたいに通りをぶらつきました。

小さな町の割には、音楽関係のお店が多くて驚きました。
楽器店、CDショップなどが、結構、軒を並べています。
やっぱり、モーラム(タイ演歌)が盛んなイサーン(東北)地方だからでしょうか。


それに、街角で工芸ろうそくの作業場に出会いました。
写真を撮らせてもらいましたが、なかなかの技巧です。
この町は、毎年7月にはろうそく祭りが開かれます。
タイの中でもかなり有名なお祭りですので、そんな伝統が息づいています。


と言うわけで、あの夜市の屋台に立ち寄って、またまた魚の胃袋スープで小腹を満たしてしまいました。30バーツとお安く、おいしくて具もたっぷりで大満足です。ネットで見ますと、ウボンラチャタニの市内情報が比較的少ないようですので、参考してもらえれば幸甚だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:

空港で、アイパッドを三人並んで操作するタイ人家族を見かけました。
旅に来てまでゲームに没頭して遊ぶ姿がなんともこっけいに感じたのです。
見せびらかしたいのか、これ見よがしの感もあって失笑せざるを得ませんでした。

2011年5月18日水曜日

レートチェックアウトで景観を愛でるの巻き


ベランダから眺めるメコン川です。
岩場の中州があって、水かさ次第で隠れるのでしょう。
生えている樹木が流れに押されて、下流に傾いています。

メコン川とムー川が合流した直後ですが、川幅が狭くなっています。
普通なら、水量が増して川は広がるもんだと思うものです。
でも、この辺りは岩盤のせいか、そうならず急所なのかもしれません。

さて、このトーサンリゾートは町の市街からかなり離れています。
なので、お酒とかおやつは事前に買い物をして持ち込みましょう。
因みに、メコンウイスキーの小さなボトルが部屋で二百バーツでした。

たぶん倍ぐらいになっていますので、バカバカしいです。
このリゾートには、素敵なバンガローも併設されています。
そこに宿泊するグループの人は、食べ物持参で来ていました。

スパもありますし、ビリヤード・卓球も楽しめます。
日本ですと、場末の温泉旅館に卓球台がよく置いてありました。
こちらでも、タイのお客さんが夜遅くまで楽しんでいましたので懐かしく感じました。

とにかく、このリゾートはメコン川の景色を楽しむリゾートです。

運が良いと、川の水が二色に分かれて流れるのを見られるそうです。
澄んだ流れがムー川から、濁ったのはメコン川から下ってきます。
混ざり合うのに時間がかかるらしく、分かれたまま流れるらしい。

※川の流れが二色の感じ?

ただ、昨日は日も暮れていまして、川面の色までは分かりませんでした。
一方、ホテルから検索したグーグル地図では、拡大すると川の流れがはっきり二色に分かれていました。
それで、今朝、もう一度確かめると、少し違っていたのです。
何となく、澄んだり濁ったりの境界を見定めたような気分になりました。

と言うわけで、このリゾートは、メコン川の景色を日がな楽しむためにある感じです。チェックインが遅かったなら、翌日は午後二時までのレイト・チェックアウトでのんびりしてください。ゆったりとしたメコン川の景色を楽しみながら、部屋でくつろぐのも一興かなと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
周辺の地図は、一つ前の投稿で紹介していますので、参考にしてください。
また、トーサンリゾートからウボンラチャタニまでは、送迎車を予約できます。
道産子社長の場合、片道1500バーツで個人営業のハイエースに乗りました。
なお、ホテル営業車の送迎ですと片道1800バーツです。
どちらも、ホテルで手配してくれますが、まだ交通の便が良くないのが難点です。

2011年5月17日火曜日

ウボンラチャタニは、お客様+観光名所が一杯だったの巻き


今日はウボンからメコン川周辺を一日観光で周りました。
出張所のナコーンさんがわざわざ案内を申し出てくれたのです。
甘える気は無かったのですが、相談したのがまずかった。

観光タクシーを希望するなら、自分から運転すると言われてしまいました。
これをむげに断るのも差しさわりがあろうと言うものです。
好意は甘えることにして、後でいくばくかの御礼をすることにしました。

さて、約束の朝八時にホテルのフロアーで待ち合わせです。
どこへ行くのかは、まだはっきりしていません。
走り出してから、こちらの行きたいところを説明しました。

でも、メコン川のサンパンボックだけは、120キロもあり遠すぎるとやんわり断られました。
この名所は、女性歌手のオラタイさんがビデオCDのロケ地に使いました。
「モーラム・ドークヤ」と言いますが、舞台の背景として随所に登場してきます

まあ、地元の道路を知っている人が無理と言っているのです。
ここで、言い争いをしてもしょうがないので任せることにしました。
車はウボン市内を南に出て、国道217号線に入って先ず東に向かいました。
※肥大クリックで拡大してご覧下さい。

ここの地域は、新しい給油所が増えていて驚きました。
ナコーンさんに言わせれば、何と90%が当社のユーザーだそうです。
通過するたびに地図に書き込みましたが、あわただしい。

しかも、冒頭の写真のような無印のお客さんには、ありがたく感じました。

この後、ケーン・サプーという川の浅瀬に到着しました。
ここは、メコン川に合流するムー川の名所として有名です。
ですが、満々と水をたたえる川面しかありません。


つまり、推移が下がって川底があらわになる乾季はとうに過ぎました。
雨季のはじまりが、今年はやけに早かったようです。
次回は、乾季の11月になるまで待てと言うことでしょう。

それならば、水量が多そうなので滝に行けば良いのだ。
近くにソイ・サワンの滝がありますので、期待して目指します。
でも、行ってみれば水枯れ状態でちょっと失望しました。


雨季の始まりで、どうも降水量が安定していないようです。
ただ、川は満水でしたのでサンパンボックもどうなったのかは分からない。
行かなかったのも良しとして、ナコーンさんの道案内に感謝するといたしましょう。

この後、この辺りの観光の定番を周ってみました。
奇岩の名所サオチャリアンを経て、コンチアムの川魚料理店で昼飯を食べて一休みします。
この後、ムー川のナナ早瀬にも周ってもらい、コンチアムのリゾートホテルまで送ってもらいました。

※サオチャリアン(阿波の土柱みたいな?)
※古代文字(北海道のブゴッペ洞窟遺跡と同じ?)
※川魚料理屋:コンチアム市街の川岸最上流。
※料理屋からのメコン川景観は最高。料理もグー。
※リゾート前の川岸にて
 と言うわけで、ぐるぐる回っているうちに地理的な位置感覚が分からなくなってしまいました。リゾートホテルから見る川向こうは、多分ラオス領だと思って泊まっていますが、どうなんでしょうか。後で、グーグルで確認しようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
 
おまけ:
ホテルのロビーで何とかネットが使えましたので位置を整理してみました。
グーグルでは、ちゃんと川の水が二色に分かれているのを証明しています。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

2011年5月16日月曜日

ウボン市内で宿を取って夕飯を食うの巻き

ウボンラチャタニでは、出張所の所長さんが迎えてくれました。
今回はプライベートな旅ですが、ホテルまで送ってもらうことにしたのです。
彼もウボンで勤務してから、はや15年が経ちました。

奥さんも地元の人ですから、こちらの水に馴染んでしまったのでしょう。

業務用車に乗せてもらって、ホテルを目指します。
タイ語でどこですかと聞かれたので、ウボン・ホテルだと答えました。
でも、場所が分からないようです。

まあ、並みの三ツ星ホテルですからすぐに分かるとは思ってもいません。
仕方が無いので、知っている限りのタイ語で答えました。
”ユー・ティー・カイカイ・ピピッタバーン”
博物館のごく近くにあると言う意味ですが、分かってくれたらしい。

ターミナルから大通りを南に下り、国立博物館へ左に折れたら到着です。
なんと、博物館の向かいにホテルは位置していました。
これは、とても便利なホテルでして、早速チェックインです。

先ずは所長さんに挨拶して別れ、部屋に入ってのんびりです。
そこで、夕飯がまだなのを思い出しました。
バスでかなり間食をしたせいで、お腹があまり空いていなかったのかもしれません。

とにかく、簡単な麺類でも食べようと外に出ました
フロントで始めに聞いたのですが、道路の向かいにあると教えてくれます。
そんなに安直に見つかるものでしょうか。

そんな思いで通りに出たら、確かに屋台の夜市がありました。
冷やかし気分で歩き回ると、かなりの賑わいが分かります。
結局、ここで食べることにして、クイティオとサテーを食べたのですがまずまずでした。

ホームページはこちらから

と言うわけで、このホテルのそばには、こじゃれたお土産屋さんもありまして、ここで世話になった人にお土産も買ってしまいました。名前は、ラワン・サンと言うのですが、誰もネットで紹介していなかったような気がします。このお土産屋さんは、ウボンに来たら、ぜひ立ち寄っていただきたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年5月15日日曜日

ウボンラチャタニに到着したの巻き


九時間近くを要しましたが、とにかくたどり着きました。
今回は、往路が長距離バスの旅です。
ナコンチャイエアーのファーストクラスバスですが、快適な移動でした。

飛行機に比べて、料金は736バーツと半額以下です。
お暇のある方には、ぜひお勧めします。
何せ、日中の便ならサービスに期待できます。


先ず、乗車してスナック菓子とミネラルウォーターが配られます。
お昼には、簡単なチキンの混ぜご飯が出ました。
そして、三時になるとコーヒーに改めてスナックが配られました。
スナックは、5バーツの小袋ですが小腹を満たしてくれます。


それに、エアコンで社内が冷えますので毛布も付いておりました。
座席は、背もたれと足載せの電動調整で、マッサージ昨日付です。
液晶画面からは、英語やアニメも干渉できます。

こんな優れものの移動手段は、無いんじゃないでしょうか。
六百キロを移動して日本円で、二千円にも満たない。
ただ、バス一台で座席が21席しかないので、予約をお勧めします。


それに、始発バスターミナルは会社専用で、モチットマイとは2キロほど北東に離れています。
もちろん、モチットマイのターミナルにも寄りますが、乗車場が分かりにくい。
ですので、タクシーを拾って専用ターミナルを目指してください。

”ボーリサット・コー・ソー、ナコンチャイエー”と言えば分かってくれます。

私の場合、スクンビット通りからなので高速に入りました。
高速で45バーツを払い、タクシー代は103バーツになりました。
それぐらいのお金は、旅の安全にタンブンした気分でしょう。
乗り遅れては、どうしようにもなりませんから。

さて、ウボンラチャタニまでの経路についてです。
イサーンに入ってからは、国道24号線をひたすらに走りました。
ブリラム県のナンロンまでは片側二車線で快調です。

ですが、その後は片道一車線の対向になりました。
とにかく、直線路が延々と続く単調な道のりです。
そして、この国道は、ブリラムやスリンの県庁所在地を通過しません。

ただ、カンボジアの国境とあくまでも平行して走っているのが面白い。

おそらく、アメリカの援助でベトナム戦争の補給路線として建設されたんじゃないでしょうか。
なぜなら、ウボンラチャタニに向かうため、突然、直角に折れて北上します。
何が何でも、カンボジア国境に沿いたかったような印象を受けました。

バスの方はと言いますと、ウボンの県に入ってからそれて2085号線、2178号線を走りました。
その後、終着になりますが、国鉄駅そばのワリンにも立ち寄るようです。
今回は、降りる人もいなかったので、まっすぐビッグC近くのターミナルに到着しました。


と言うわけで、途中で追い抜いた長距離バスは、バンコク~カオ・プラヒ・バーン行きでした。この名前、世界遺産のプレアヒビア遺跡をタイ語で発音したときの名前です。確かに、国道24号線から221号線へ右に折れて南下すればたどり着けるのですが、現在、カンボジアとは紛争中で危険地帯です。よもや走っているとは思えない道産子社長がいるのでした。
(この巻き、終わり)