2009年7月31日金曜日

すまんな、ボーナス少なくての巻き

結局、要求額を支給しなかったのである。

これまでは、通年でかなりの額を支給して来た。今年は、会社の方針を変更したから、年一回から二回に改めたのである。それで、初めて夏の支給になった分けだ。つまり、半年で換算し直して、その分相当のボーナスになるのが目論見だった。

それが、出来なかったのである。

思った以上に利益が伸びなかった。売上だけだったら、前年とほぼ横ばいで来ていたから、まあ御の字だ。実際に、下期になれば景気が回復してくれて挽回できる筈だと皮算用していたのである。それ迄は、じっと我慢の経営だなと感じていた。

ただ、利益が実際に伸び悩んでしまったのである。

二割の落ち込みは厳しい。ボーナスは、純益にある一定の配分率を掛けて支給する業績給だから、出せないものは出せなくなってしまったのである。

経理部長からは、理由をちゃんと管理職クラスに説明して欲しいと要求されてしまった。うーん、下期に向けて業績を好転させるには、従業員にもう一踏ん張りしてもらわんといかんのである。発奮させるにはどんな風に説明すべきなのか、、貧乏社長にとって至難の業になってしまった。

そのため、必死に英文で原稿を仕上げて、彼らの前で演説をぶってみた。こんな時、タイ人は神妙に聞いてくれる。その場でとかく批判をすることも無い。だから、あっと言う間に終わってしまって拍子抜けしてしまった。まあ、めでたしと言うことで、この演説原稿を、巻末の”おまけ”で原文・翻訳付きで載せて見たので、ご批評あらばコメントをお願いしたい。

こうして、月末のこの日に、夏のボーナスは従業員の銀行口座に、無事、振り込まれたのである。

しかし、他の企業はどれだけ賞与を支給しているのだろう。ちょっと、興味も湧いて来る。ここバンコクでは、日本人商工会議所が組織されていて、毎年、賃金労務の実態を調査している。日系企業が約千二百社ほど加盟しているんだが、集計結果は信頼性もある。

手にした資料をざっと眺めて見た。昨年度の支給月数は製造業の平均で2.8ヶ月だから、当社はかなり待遇が良いのが分かってしまう。今年はそんなに出せなくても、世間相場並みだと言ってしまえば理屈は通るだろう、ホッとした。ただ、回答企業で1.5ヶ月未満の会社も二十社近くあるし、金融機関の中には、景気後退の中でも驚きの7ヵ月以上も出している。多分、日系企業の収益体質に違いがハッキリしていて、その差を反映しているのだろう。

と言うわけで、今月はボーナスもちゃんと支給できたし、経営者らしく一丁前の仕事をこなしたなと振り返る貧乏社長なのでありました。(この巻き)

おまけ:(ぶった演説原稿)
Good morning, everybody,

First of all, I as the president, strongly appreciate everybody's contribution to our better management up to now.
Herewith, the management side notifies you of Summer Bonus decision.

Summer Bonus Payment : *.* months based on Monthly salary
Payroll date : July 31st (Friday)

Until the last year, we have been adopting the payment style once a year.
In this regard, from this year we switch the style to twice a year being comprised of First half : Jan. to Jun. & Second half : July to Dec.
As this payroll formula was already approved through Board of Directors meeting, it can be implemented through the warm-up period.

As you know, Bonus payroll is based on the business performance and the payroll amount is alloted in a proportion to Net Profit in the relevant accounting terms. Therefore, if Net Profit is smaller in comparison with the last year achievement, it is
sure that we can only receive the smaller amount.

Moreover, even if we can achieve the same Net Profit from the last year, if the working force is increased, the per capita Bonus amount will become lower.
Of course, the management side has been also always using the same calculation formula for the fair judgment.

Actually, in this first half year we can not be satisfied with our performance because of about ?? percent short of target profit.

From now, we shall study the cause & effect and practically use the countermeasures in the last half year. If we can do so, the management believes that you can get much more profit and bonus to feed back to you.

Thank you so much for your listening my long speech.

(翻 訳)
皆さん、おはようございます。

先ず初めに、社長として、皆さんがこれまでにより良い経営のために、誰しもが貢献して来たことに感謝申し上げます。
ここにおいて、経営サイドとして、夏の賞与を決定しましたので通知いたします。

夏期賞与支給:月給をベースに*.*ヶ月分
支給日:7月31日(金曜日)

昨年まで、当社は年一回の至急方式を採用して来ました。
今年からは、年二回至急の方式に切り替えます。それは、前期として一月から六月分、後期として七月から十二月になります。
この支払い方法は、取締役会を通して既に承認されておりましたの、準備期間を経て実行されるものです。

ご存知の通り、賞与の支給は業績を踏まえておりますし、該当する会計期間の純益に比例した割合で配分されます。ですから、純益が昨年の業績に比例して少なければ、受け取る額が少なくなるのは確実です。もっと言うのなら、昨年と同じ純益を達成しても、従業員が増えているのなら、一人当たりのボーナスは低くなるでしょう。
もちろん、経営サイドは、公正な判断のために常に同じ算定方式を利用してきました。

実際に、上半期は満足の行く実績では無く、目標利益の約?パーセントが足りませんでした。今から、当社は原因を究明して、下期には対策を実際に利用しなければなりません。もし、これができるのであれば、当社はいっそうの利益を手に入れ、皆さんに賞与を還元することができるのです。

この長い説明を聞いていただきありがとうございます。

2009年7月29日水曜日

自分のブログに急き立てられるの巻き

グーグル(Google)の提供しているブロガー(Blogger)は、無料だから何時でも気軽にブログが始められるスグレモノだろう。

実際に、いざ始めてみようと思い立って、サービス一覧からこのブロガーを選んで指示通りに設定していくと、簡単に始められてしまう。ブログをデザインする必要もなくて、テンプレートから好きなデザインを選んでしまうだけだ。

ただ、ブログに何か変化をつけたい場合は、Blogger の使いやすい編集ツールで、好みに合わせて簡単にページをデザインする必要がある。

貧乏社長も、ブログを始めてから一年たって大掛かりにページレイアウトの改造を行ってみた。

ガジェットと呼ばれるページ上に配置できる小間割りがある。例を挙げれば、今まで読んできた自分自身のお気に入りブログをリストにして、ページへ表示させることができるのだ。これは、大概のブログで見かけられる。

他にも、ブログ人気ランキングに登録しているなら、アイコンをページ上に設置して、訪問してくれた読者の人にランキングアップを狙って、クリックをお願いすることもできる。

これは、ブロガーの設定ではちょっと難しい。HTML/JavaScriptを厳しく解析するようで、プログラム文章がおかしいと判断すれば容易に受け付けてくれない。そのため、若干の知識が必要で、ページにお目見えさせるまで一週間ぐらい試行錯誤を繰り返すことになった。

それから、ブロガーお仕着せのガジェットタイトルでは、つまらない。デフォルトのタイトル”ブログリスト”は”好きなブログ・HPだべ”に、”基本情報”は”自己紹介でもするべ”等に変えてしまった。

これで、道産子らしい北海道方言満載のブログに変身ができた。

そんでもって、一つ発見したことがある。
この”好きなブログ・HPだべ”のガジェットが持つ機能は、嫌らしいと言えば嫌らしい。

(クリックすると大きく見られます。)

何時間前、何日前に更新されたのかをチェックしてくれて、表示してくれる。実を言うと、これがけっこう重荷になるのですね。仲間達が、けっこう頻繁に更新しているときに、自分自身ができなければ、もどかしさを覚えるのです。一日前、二日前、一週間前と表示されて来ると、結構、日本人のまめな気性に火がついて、これでもかこれでもかと、気負って記事を書きまくってしまう分けです。

こうして、今月は、これが17本目の投稿になってしまった。

しかし、家庭不和も起きそうなのである。
上さんが、毎日毎日、画面ばっかり見ているとぶつぶつ文句を言い出した。しまいにゃ、私のことを嫌いになったんでしょとか、、、、

海外へ出て来てまで、家庭内の揉め事はなるべく避けたい。うーん、これを回避する知恵があったら教えてたもれと、ため息を付く貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

2009年7月26日日曜日

悟りのための、お隣さん印象度テストの巻き

設問:
次のフレーズの下線部に当てはまると思われる、もっとも適切な字句を,解答群の中から選びなさい。

 本当に__い中国人 (週刊文春7月23日号より)

[解答群]
1.悪(い) 2.怖(い) 3.キモ(い) 4.賢(い) 5.要らな(い)  

正解は、2.の”本当に怖い中国人”でした。

思うんだが、最近の日本では、中国のイメージがどれを取っても悪くなっている感じがする。この記事の見出し副題を見ていただきたい。おぞましさが募ってくるのだ。

①ウイグル暴動「女子大生の首を切り木に吊るした」
②あなたのとなりの中国人「一気に刃物」の恐怖

(クリックすると大きく見られます。)

それで、この週刊誌の電車の中吊り広告を見ても、この記事の扱いが比較的大きいのが分かる。昔の日中友好は、とっくに夢幻となってしまったようだ。

一体どれほどの人がこの中吊り広告を目にするのであろうか?

調べてみれば、首都圏では昼と夜の間で一日当たり約三百万人の人口が増減すると言う。つまり、何らかの目的で首都圏へ大量に毎日を移動する人が居るのだ。たいていは、通勤、通学がメインだろうし、JR・私鉄・地下鉄などを乗り継いで来るのだろう。しかも、行き帰りとなると、交通網を利用する人は、乱暴に計算して倍の六百万人の頭数になるかもしれない。

これは、途方も無い人数だ。確実に中吊り広告を目にする人はかなりになる。広告も、読者層のサラリーマン狙いで週の平日にわたって長く露出されるし、75%の人が中吊り広告を読んで時間をつぶすと言うアンケートも出ているぐらいだ。

こうして、中国の印象は、悪い方向へ急旋回した感がある。
どんなに平和ボケした日本人でも、悪いイメージで把握するはずだ。

現実に、チベットやウイグルの民族問題やら、中国輸入食品の安全問題、海外からの批判を主権の侵害・内政干渉と傲慢に跳ね除ける大国主義など、いかがなものかと思う。中国はここに来て、自らがネガティブな印象付けを行い、墓穴を掘ったのである。自業自得だろう。

もう、お分かりですね。
ウイグル暴動で「女子大生の首を切り木に吊るした」のような行為は、自然なのですよ。

しかも、中国にとって日本は仮想敵国になっていることを忘れてはならない。核武装した中国が、日本を攻撃する時、選択肢に核攻撃が当然存在しているのを覚悟するべきだろう。これは、何とやらに刃物だな。

だからと言って、中国を何から何まで拒絶せよと言う気は毛頭無い。ただ、何時でも損をしないように撤収できるように、ドライに商売で付き合えば良いと言うだけだ。

しかも、反日教育が徹底している。

反日感情を国民の意識に植付け、あるいは煽るために行われる教育なのだ。それは、国家あるいはある組織が行う集団的思想教育・洗脳教育に違いない。日本人を、倭奴と言い、小日本と言い、小鬼子と言い、蔑む中国人の本質を理解した方が良い。

中国で仕事をしている駐在員は、陰で何を言われているのか分かったものじゃない。だから、感情は移入しないことだ。理解しあえることは金輪際無いだろう。しょせんコストが魅力で雇っているだけと、思えば良い。技術移転は絶対にしないこと、裏切られるのがオチだ。

さらに、分かりましたね。
あなたのとなりの中国人は、「一気に刃物」で向かう恐怖の塊なのです。

と、ここまで書いてきて、タイの駐在員は幸せだなーと思ってしまった。タイの人たちは、本当に親日的だもんなー。あんまり幸せすぎて、サバーイサバーイの怠惰な日常で脳が退化してしまい、日本へ帰ったら役立たずになってしまうだろう。

おいらは、どうなるのだろうか。

未だ使い捨てにならないように、三年で年季奉公が明けてくれれば良いのだがと、思ってしまった貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
中韓で反日教育が行われているのは残念ですね。しかも外交カードです。友好はありえません。比較的、特定アジアに好意的といわれる週刊朝日の中吊りでも、驚く記事を見かけています。
(クリックすると大きく見られます。)

2009年7月25日土曜日

巻いて巻いてモグモグよ~んの巻き

要するに、手巻きで楽しむ春巻き風お菓子なのであった。


これまでも、アユタヤから仕事の帰り道に、点々と立ち並ぶ道端の露天商を車中から見かけて来た。ただ、何を売っているのかは見当も付かなかったのだが、物は試しと買ってみようと思い立った。

運転手さんはいい迷惑だったろう。

”ティーニー、ジョッロッ、スーコン、スーコン”と滅茶苦茶なタイ語をほざいて、無理やり車を止めさせたからである。言いたかったことは、”ここで車を止めてくれ、買い物、買い物”と言う意味なのだ。それでも、運転手さんはおいらの赤ちゃん語レベルを理解したらしく、無理なく露店の真ん前で車を止めてくれる。

ドアを開けて、吹き抜け掘っ建て小屋風の露店を覗き込んでみた。多分、三十過ぎと思われる女性の視線がおいらを探っている。何か、お菓子みたいなのを売っているようだ。これは、時折、近所でも見かけている。

”アンニイー、タオライ (これ、いくらなの)”
”サムシップ????バーツ (三十?バーツだよ)”
”ホック、タオライ (六つでいくら)”、
”サムロイ (二百だよ)”、
”ヌンロイハーシップ、ダイマイ (百五十じゃ駄目かい)”
”メダーイ (駄目だよ)”、
”ロコッ、ジェプッ、ソムロイイーシップ、ナッ (それじゃ、七つで二百二十ねっ)”

良く通じたなと思う。女性は、うなづいたのかどうかは分からなかったのだが、早速、一つ一つを小さなプラスチックの手提げ袋に詰め始める。こっちも、一つ、二つと、三つと数えて七つあるのを確かめた。こちらの買い物の趣旨は分かってもらえたようだ。


買ったは良いが名前も分からぬまま、事務所まで戻ってきた。買ってきたお菓子らしいものを事務所の女性に配ってみる。”コップン、カー”とかお礼を言ってくれるので、ついでに訊ねてみた。

”アンニー、チューアライ (これ、なんて言うの)”
”カノン、ロッティー・サイマーイ (サイマーイの春巻きお菓子よ)”

後で、食べ方もお茶の時間に実演で教わった。最初に書いたように、繊維状のカラフルな具を春巻きのようなクレープに巻き込んで食べるものらしい。早速、忘れないように名前だけは手帳に書き込む。

それで、帰宅してからその顛末について、一くさり講釈を上さんへたれてみた。好奇心の強い上さんは上さんで、話をそっちのけで手巻きに作り出してほお張り始めている。

本当だ。

お菓子の生春巻きなのである。春巻きは、ほのかに甘みがあるだけで、具の方が圧倒的に甘さが濃い。シュロ皮をほぐした繊維がお菓子に化けたみたいで、口の中に含むとすっと溶けてしつこくない甘みが残る。多分、綿菓子と似たなものだろう。

後でネットで色々調べてみたら、結構ブログで紹介してあるのも分かって来た。アユタヤ近辺では、有名なお土産として売られているから、従業員も喜んでくれたのだと思う。

そんなかんだで、お菓子一つを買ってみるのも結構な経験になった、貧乏社長なのでありました。(この巻き、終り)

2009年7月23日木曜日

34万円以上の部分日食もあるわいの巻き

ここバンコクでは、四割欠けるかどうか、だったのである。

どうも部分日食は、太陽が総てお隠れになる皆既日食と違って、話題性では見劣りする。それでも、地元の人たちは、結構盛り上がっていたような感じがした。地元のテレビ番組なんか、朝6時過ぎのニュースで、この天体ショーを見ようと準備に余念が無い光景を、現場から実況中継していたのである。それもそのはず、お天道様が欠け出すのは、中継直後の朝七時からで、期待の高まりがあったんだと思う。


それで、貧乏社長もニュースを見ながら、ふと窓の外を眺めてみたのだ。ところが、どんよりした雨雲が空一面を覆っているばかり、すぐに期待は失せてしまった。そして、その後、晴れる事も無く、天体ショーが終わる午前9時まで、あっと言う間に過ぎ去ってしまったのである。

(バンコクポスト、7/22付け)

今は、雨季だから晴れることを期待するほうが空しいかも知れない

何となく満たされない感じもしたが、一方で皆既日食帯の通過する日本では、金はぼったくられるわ、見られないわ、雨には打たれるわで、散々な目にあった旅行者もいたようだ。つまり、皆既日食を見るツアーだけのために34万円も気前良く払ったのである。はるか洋上の離島、鹿児島県トカラ列島が、いくら、陸上では最良の観測ポイントだと謳われていても、そんな高額払ってバクチに賭ける空け者は居るまい。そう思うのが常人なのだが、それがたくさんいたのである。ご愁傷さま、そんな感じがした。

ところで、貧乏社長は道産子なんだが、幼稚園に行くか行かないかの頃に皆既日食に遭遇しているらしい。地元では、「網走日食」とか呼んでいて、それは昭和33年、1963年に北海道東部で起きた。ただ、あまりに小さい子供時分の話なので、残念だが記憶は全く無い。

これとは別に、はっきり記憶に残っている北海道の日食が一つだけある。食分90%と言う、ほぼ一夜月、月齢一まで欠け上がった部分日食に遭遇できた年があった。多分、昭和56年頃の7月末だったと思う。

週末のその日、おいらは当時通っていた小樽地獄坂大学の図書館へ暇つぶしに本を読みに出かけていたんだな。すると、午後の明るい時間帯なのに、辺りが旧に暗くなり出して来た。それにつられて、カラスはカーカー鳴いて飛ぶわ、ヒヤッとする風が吹き抜けたりするわで、得体の知れない異変の起きた心持がした。

それで、驚きつつ空を見上げると、なんと薄い弧を描く太陽が光っている分け、驚きましたね。

でも、翌日の北海道新聞の記事はずいぶんと小さな扱いであった。それは、その日食帯自体が日本を通過しなかったせいもある。今となっては誰も覚えていないだろう。しかし、自分自身に取ってはすごい経験に違いなかったのだ。だからこそ、未だに網膜に光景が焼きついているし、記憶もはっきりと残っているわけだ。

と言うわけで、半世紀も生きていると、日食一つ取ってもそれなりに思い出があって、駄文を書き散らす貧乏社長なのでした。(この巻き、終り)

おまけ:本投稿は、ブログ:だべさ通信さんの”皆既日食はみれるべか”の記事に宛てたコメントを手直ししたものです。色々な人のブログを読んでいると、触発されることも多く記事になります。

2009年7月21日火曜日

日本のテレビ番組にすがる奴に品格は存在しないの巻き

ちょっと前の話だが、ネタ帳に書き散らしを見つけたので書いてみる。

警視庁には、「ハイテク犯罪対策総合センター」と言う職場があるのだそうだ。ただ、警視庁も分からんようでは話が先へ進まんのでおさらいをすると、「日本国首都特別警察」の意味があって、別格な組織のようだ。平たく言えば、大都会東京の治安を担う警察な分けである。あそこには、色んな人間が住み着いているから犯罪も多種多様で、取り締まりには強固な組織が必要だってことだろう。それで、特殊な傾向に分類される犯罪で件数も多ければ、スペシャリスト集団をあてがうみたいで、このハイテク犯罪うんだらかだらも、そうだろうと思う。

ホームページには、”情報セキュリティー広場”まで、設けられていた。
そんなところを見ると、俗に言うネット犯罪の闇の深さは大きいのかもしれない。

それで、遠回りをしながら話を元に戻してみるんだが、このハイテク犯罪対策総合センターが、タイに本社を置く日系企業の社長と従業員を逮捕したと言うニュースが、去る五月二十九日に世間を駆け巡った。どうも、海外の邦人向けに日本のテレビ番組をネットを通じて断りも無く配信したのが、法に触れたらしい。お堅く言えば、著作権法に違反して、公衆送信権、複製権侵害の容疑で摘発されたのである。

その会社は、「ジェーネットワークサービスインターナショナル」と言う。

要するに、勝手にテレビ番組を収録・データ化して、そのデータを希望者から金を取ってネットで流したのである。どうも、他人のふんどしで相撲を取るような、いかさま商売らしい。日本人はまだマシな人種だと思っておったのだが、タイの緩い社会に馴染んで善悪の価値判断も付かない程、恥知らずになってしまったのだ。しかも、同じ日本人をカモにしてあこぎな金稼ぎに悪事を働くのは田分け者であろう。

この会社の雑誌広告は、良く見かけてきた。この地で、DACOと言う無料のミニコミ誌を知らない人は居ないだろう。頻繁に載っていたのを貧乏社長も知っている。


だがな。

外国に来てまで、日本の番組を懐かしむ日本人こそ、下衆と言うものであろう。海外で働いていて、日本の番組に固執して視聴したがる邦人の悲しい性にはあきれるもんだ。最近、マスメディアの偏向報道に拍車の掛かった実情を見るにつけ、貧乏社長は見る必要は無いと判断して来た。

言っとくが、ネットだけでも暇つぶしが十分にできる時代になったし、こちらでテレビばかり見ていると、そうでなくてもマイペンライの能天気なタイの生活スタイルに毒されて脳が退化するだけだろうから、ブログでも書きなぐって老後のボケ防止に努めるのが懸命なんだろうと思う。

テレビは、もう過去のメディアだよ。

T豚Sなんか、水戸黄門の再放送がある日の一番高い視聴率で8%にも達しなかったそうだから、末期のあがきだろう。在住半島人を特定採用枠で拾って、乗っ取られた結果がこうなったのである。終末的な雰囲気の漂うホームページを見るが良い。

最後には過激な言動で締めくくってしまった貧乏社長なのですが、『進め!電波少年』でお馴染みになったテレビプロデューサーの土屋敏男さんが、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里さんとの対談で、『テレビの制作者が視聴者を信じていない、バカにどう見せるか、とどこかで思っているフシがある』と、言っていたそうです。

あなたは、バカと思われたいですか?
(この巻き、終り)

おまヶ1:バンコクで、このような配信ビジネスを行う会社は、3社あると思う。記事の通り、一社は既に捕縛されて事実上、胡散霧消した。残りの二社が今後のサービスを継続保障できるのかどうかは判然としないが、一社はコンピュータ関連で昔から営業していて名が通っているし、もう一社はバンコク日本人商工会議所会員企業を謳っている。だから安全だとは言い難いのだが、どうなんだろうか。

おまけ2:
http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052901000434.html

日本の番組を無断送信容疑 海外邦人向け、男女逮捕

海外の邦人向けに日本のテレビ番組を無断でネット配信したとして、警視庁ハイテク犯罪対策総合センターは29日までに著作権法違反(公衆送信権、複製権侵害)の疑いで、「ジェーネットワークサービスインターナショナル」(本社タイ)の経営者守谷和真容疑者(40)=広島県熊野町=と、従業員中川春香容疑者(32)=千葉県市原市=を逮捕した。

逮捕容疑は今年2月、フジテレビの番組「ごきげんよう」を、千葉県と大阪府に設置したサーバーに保存し、ネットで海外の会員顧客が視聴できるようにした疑い。

警視庁によると、同社は基本料金月額5000円で、約50カ国に約5000人の会員を集めていた。NHKと民放各社の計21チャンネルを、ストリーミングと録画で見られるようにしていた。日本での放送とほぼ同時に見られるサービスが摘発されたのは初めて。警視庁は、2006年12月のサービス開始から約2億7000万円の売り上げがあったとみている。

海外向けテレビ配信をめぐっては、東京の会社が、顧客のパソコンに直接、番組を転送するサービスを展開している。守谷容疑者らは自社の広告でこうしたサービスに言及し「著作権侵害に当たらない」と強調していた。

2009年7月19日日曜日

誰が4千バーツ払って、インフル検査受けるもんかの巻き

とうとう、タイ保健省がインフルエンザの感染者数の翌日公表を止めてしまった。

これからは、毎週水曜日の一回の発表に止めるのだと言う。これまで、保健省は毎日毎日データの更新をまめに行ってきたから、努力は評価はできる。ただ、患者数が増えるばかりで、減ることも無かったから、報われないと感じたのも無理は無い。むしろ、増加する数値が国民の不安を煽ると判断して、報道発表を間引く作戦に出たのだろう。

それで、これまでにインフルエンザを罹患したと断定された患者数をグラフ化してみると次のようなデータになった。

注:クリックするとグラフが大きく表示されます。

7月16日時点で、患者数は4469人に達した。7月に入ってたった半月で3千人も増えたのだ。6月初めの頃から比べると、最近はカーブの傾斜も徐々に急になってきている。要するに、延べ一日で発見される患者数が増加しつつあり、残り半月では3千人を上回るのは確実なようだ。これを裏付ける数字が、怖いことに英字紙:バンコクポストの記事に載っている。

それは、

1.インフルエンザ判定検査の結果を待っている受診者が、5千人もいる。
2.この内、80%(=四千人)は、必ず陽性を断定されると保健省が推測している。

つまり、発症して症状が進行してから検査を受けた人が殆どだと言うことだ。

この推測値を元に、7月末までに患者数がどこまで増大するかは、計算するのか簡単だ。16日時点の患者数:約4千5百人に陽性と判定される4千人を単純に足しただけで、8千5百人になる。それに、指数関数的に罹患者が増加する傾向をみると1万人を超えてしまうかもしれない。

まあ、検査を請け負うラボも処理能力に限りがあるようで、現状では過剰労働気味だと言う。そうなると、処理しきれずに診査結果待ちを残せば、1万人は超えないのかもしれない。つまり、数値はいくらでも操作されるのだ。この地の感染状況を、統計的に明確に反映した数値の出ない可能性がある。

こうなると、信頼できる数字は何一つ無くなって来る。
そして、言えることは感染者は意外に多いと言う憶測、伝聞だけなのだ。

しかも、地元の人々は、少しの熱が出たぐらいでは検査を受けようとしない。熱が下がらずに肺炎気味に至って初めて病院に駆け込んで検査を受けるのだ。それはなぜか、誰しもが容易に4千バーツの検査料を払えないからだ。(検査は有料。)

次のグラフを見るが良い。


これは、国家賃金委員会が昨年5月に定めた県別最低日給を踏まえて、検査料を支払うために何日働かねばならないかを、図式化したものだ。見ての通り、賃金の高そうな首都圏バンコクですら、二十日間は働かなければ払えないのである。ましてや、スコタイならほぼ一ヶ月を働く必要があるのだ。何の蓄えも持たず、日々をようやく送る労働者にとって、生活するのがやっとで、検査は二の次、三の次になってしまうのが分かる。

これが、タイ 人のリアルな生き様なのだ。

自分の素敵なバンコクライフに錯覚してはならない。なあ、駐在マダムさんよ、あんたのアヤさんは大丈夫かい。コホンとでも言ったら、ちゃんとお金を包んで検査はしっかり受けさせた方が良いよ、と貧乏社長はつぶやくのでした。(この巻き、終り)

おまけ:因みにおいらの上さんは、アヤさんを遠慮しています。自分のプライベートな生活に、他人を入れるのは許容できない潔癖性があります。おいらも同感です。

<バンコクポスト一面記事:7/16付け>
The Public Health Ministry has ended daily updates on the type A (H1N1) influenza pandemic, saying it wants to avoid public confusion.
The virus claimed another life yesterday, as a health specialist attributed a recent increase in new infections to better reporting rather than increasing prevalence of H1Nl.
Disease Control Department director-general ML Somchai Chakra-bandhu said new cases of flu, normally reported daily on the Public Health Ministry’s website, www.moph.go.th, now will be updated every Wednesday.
"We will give weekly updates instead, to avoid confusion," he said.
The department has also decided to change the process of laboratory testing for A (H1N1).
Tests now will be done for severe cases and sampling cases only;
ML Somchai said lab tests mean nothing at the moment because 80% of people with flu symptoms probably also have the H1N1 virus.
“We have over 5,000 samples pending for tests, and we assume most are infected with A (H1N1).
"Lab staff have been overworked, so we plan to get a lab confirmation test only in severe cases or risk groups, to provide faster treatment" he said.
Deputy Public Health Minister Manit Noparnornbode promised not to withhold any information.
He Said the daily updates were scrapped to avoid confusion amnong the public.
Some hospitals which are not under the ministry and some private hospitals did not report infections.
"Health officials will check every hospital for information. We will not withhold or hide information about flu casualties," he said.
More than 2,100 people yesterday called the ministry's around—the—clock hot line service to inquire about the pandemic.
Deputy permanent secretary for public health Paichit Varachit said most callers wanted to know about symptoms and treatment.
The ministry expects to receive two million doses of A (H1N1) vaccines from Sanofi Pasteur, a pharmaceutical company, in October.
The vaccines will be given to three priority groups — medical staff, patients with chronic diseases and the country’s executives, ML Somtchal said.
But a former public health minister Suchai Charoerirataiiakttl yesterday warned the government not to rush into using the flu vaccine.
Dr. Suchai, who worked under the Thaksin Shinawatra administration, urged the government to study vaccine development to make sure those receiving the vaccine do not have a life threatening reaction.
Now back at the Respiratory Disease Division at Siriraj Hospital, Dr. Suchai cited a 1976 incident in the US, when 33 people died after getting a low-quality flu vaccine.
He called on the government to take more aggressive and preventive measures including possible closure of all schools nationwide and bans on all social events and activities for at least one week..
The government should also encourage shopping centre and cinema operators to clean up their places daily, Dr. Suchai said.
Prime Minister Abhisit Vejjajiva yesterday said he was open—minded on all-suggestions for lighting the flu and said the government was ready to take decisive action should the outbreak worsen.
The prime minister insisted that the quality of the vaccine the government was importing in October would be guaranteed.
Karnnuan Uengshusak, a health specialist, said the H1N1 pandemic in Thai-land was not critical when compared to other countries.
He attributed a sharp increase in the number of new infections and deaths to better surveillance against the new strain of the virus.
The latest fatality from A (H1N1), the country's 25th was reported in Chumphon province. The 62-year-old victim died on Tuesday, a day after she was admitted to hospital. The patient had underlying health problems.

2009年7月18日土曜日

つべこべスープカレーを言う前に、タイへ来いの巻き

札幌スープカレーなるものが、この世にあると聞く。

貧乏社長は、道産子で札幌っ子なんだが、内地へ転進した三十年近く前には、そんなもの影も形も無かった。この料理を初めて知ったのは何年前だろう。自分の好みでない、ある意味では恥知らずの大泉洋とか言うタレントが、番組で紹介していたからだ。どこの東京キー局の番組だったか忘れたが、自分の人となりが曝された上で、おまけで地元の好物を紹介させられていたのである。

つまり、それがスープカレーとか言うものだったのだ。
第一印象は、カレーシチューの親戚みたいなブイヤベースに感じられた。

ただ、良く煮込んであるので、素材の旨味が十分に煮汁の中に引き出される。それに、特別に調合したスパイスには薬膳的な発汗作用も加わる、だから汗を掻き掻き舌つつみを打つことが体に良いのだとか、など適当に薀蓄の披露も加わり、視聴者の興味を掻きたてて健康志向メニューを売り込む趣向だと思った。

テレビの画面からは、さらさらのスープ状のカレーが写し出された。当時、トロミのあるカレーしか知らない貧乏社長には、かくもこんな食い物があるのかと新鮮な印象をもったものだ。

しかしだ。

タイに来てしまえば、何のことは無い。このメニュー、在り来たりにどこにでもあるのである。スープカレーなどとほざく前に、こちらの地元のカレーを食してみれば良い。どっちが元祖なんだか本家なんだか家元なのか、自ずと分かるはずだ。もともと、日本以外のアジア圏のカレーは、トロミとは無縁なのが当たり前だ。

つまり、ご飯の掛け汁なのである。

ただ、違いもある。とにかく煮込み料理だからシンプルなのである。南方の国は、年中暑いから自然に汗を掻く。それで、日本と違って薬膳にすがる意味も無い。辛いスパイスが使われているのも、食欲を増進させる意図だろう。ただ、ココナッツミルクが隠し味に使われているのが大きく違う。これは、日本には無い食材だ。特有な匂いのクセもあって、受け付けない日本人もいるかもしれない。


カレーの具もあまり豊富とは言えない。しかし、タイならではの竹の子のスライスやら、小さな丸ナスやら、大根やら、コショウ豆(pea aubergine)やら、赤とうがらしの切り身に、加えて魚のつみれボールなんかも入っていたりする。逆に、じゃがいもや玉ねぎは全くと言って良いほど、見かけない。

貧乏社長工場の食堂でも、週に一回は昼食のメニューでカレーが出される。スープの色が分けてグリーンカレー、イエローカレー、レッドカレーのように呼び分けるんだが、基本の味はカレーなので味が大差が無い。


ただ、この間のカボチャカレーは、すごく煮込んだようで具がスープに溶け出して、トロミがかなりついて日本のカレーに似通っていた。しかし、あきらめやすいタイ人の性格に煮ているのか、粘着気質の感触はなく、あくまでもサラッが基本なのである。

このタイカレーは、どうやって作るのかは上さん任せなんで分からんのだが、地元のスーパーに行くとカレールーみたいなペーストが売っているし、ココナッツミルクのパウダーも売っていたりする。これをベースに適当に混ぜ合わせて煮込むとでき上がるんじゃやないだろうか。ペーストもパウダーも安い。ビラスーパーで見たら11.5バーツ(35円)から、ココナツミルクパウダーは14バーツ(42円)から品揃えがあった。


要するに、こちらのカレーは安く早くおいしくがモットーの庶民の料理なのである。

カルフールのフードコートへ言っても、グリーンカレーとレッドカレーの二品にご飯をつけても30バーツ(90円)にしかならない。方や、日本のスープカレーは仰々しくて能書き垂れながら、結構なお金をふんだくられて食べると言うではないか。そこまでして、味わう意味があるのだろうか。

そんなことを思いながら、スープカレーを食べるんだったら、つべこべ言わずにタイへ来いと叫びたくなる貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終り)

2009年7月14日火曜日

将軍さまをお救いするのは日本だけなのだの巻き

北朝鮮の金正日総書記(67)が、膵臓(すいぞう)ガンを患っていると言う噂が、半島方面から漂ってきた。外交筋の話と言うのも眉唾なんだが、将軍様は最近、西洋医学の治療に見切りをつけて、薬草を煎じて飲むなど漢方の療法に一縷の望みを掛けたようだ。しかも、五年以内に死去する確立は71%とかで、死神の魔の手に翻弄されて逃げ切れないものらしい。

今までにも脳卒中で倒れたとか、糖尿病を患っているとか、色々な健康不安で国際社会を賑やかして来た。もし、今回の新情報が本当なら、三途の川の渡し賃は用意して観念せねばなるまい。

それでも将軍さまは、この間の故金日成主席の中央追悼大会に、体を張って健気に出席している。しかし、この時のお姿があまりに変わり果てていたから、病気の信憑性はますます高まったようだ。朝鮮中央テレビの8日放映では、足元もふらつき、顔色も悪く、髪の毛も抜けているように見えたらしい。

まあ、後継者すら決まっていない王朝だから、死にきれんだろう。ならば、我が日本が将軍様へ救いの手を差し伸べて上げても良いと思う。

日本に来れば助けられる可能性はあるのだ。皆さんは、がんペプチドワクチン療法をご存知だろうか。言っとくけど、ワクチンだから、手遅れで手術できない患者さんも助かる可能性が高くなったのである。しかも、将軍様のすい臓がんは、病状が進行してから発見される末期ガンのケースが多い。これは打って付けだろう。

実は、この情報、この四月四日の犬HK教育番組の「サイエンスZERO」で紹介されていたのである。現在、ワクチンの研究開発で先頭に立っているのは、天下の東京大学医科学研究所 中村祐輔研究室なのだが、臨床試験では和歌山県立大学第二外科も積極的に参加している。



もし、将軍様がこの情報を知ったなら、すぐにでも治療のために、日本へ訪問したくなるんじゃないだろうかと思うのだ。

この時、日本政府は次のような交換条件を出せばよいのである。

1.日本人拉致被害者の生存者全員帰国
2.戦後賠償の即時放棄
3.日本国に対する片務的不戦条約
4.在日朝鮮人の全員帰国

もちろん、お尋ね者のならず者国家を手なずけるには、これぐらいの条件をビタ一文負けてはならない。何度、煮え湯を飲まされたことか。押し通して、要求を飲ませるのが道理と言うものであろう。まあ、匪賊国家が受け入れるはずも無いか。だったら、あの世に行って王朝の末路を憂いて貰うのみである。

そんな妄想をしてしまう貧乏社長なのでありました。(この巻き、終り)

おまけ:安めぐみさん、意外と科学番組の司会で健闘しています。貧乏社長の好みなのでした。(上さん、御免)

2009年7月13日月曜日

ラーメン逍遥亭にタイ人現るの巻き

ラーメンと言えば、北海道。 

わが玉ネギ高校の先輩が始めた”ラーメン逍遥亭”も、ご当地札幌の激戦区で商いの真っ最中にある。そんなことから、後輩の貧乏社長もエールを送りたく、”先輩、商売繁盛を願って已みませんよの巻き”で、勝手に紹介させていただいた。

その後、だいぶ時間も経ってはいたんだが、先輩に当てた暑中見舞いのなかで、その件に触れて見た。挨拶もしないようでは、後輩としてまことに失礼に当たると思ったのである。


それで、早速先輩から返信がきたんだが、読んで驚いてしまった。

”昨日タイからの観光客が三名来ました。
ブログ効果だったのでしょうか?!だとすれば大変嬉しいことです。今後も大いに期待しちゃいます。
先ずはお礼旁々ご報告まで…暑い日々くれぐれもご自愛を

と言うことなので、再度、ラーメン逍遥亭の名刺を紹介させていただく。
これを読んでから札幌に出かけてしまった御仁は、誘導催眠のごとく是非に来店していただかねばならない。

店の主に成り代りまして、貧乏社長が平にお願い申し上げます。
(この巻き、終わり)

2009年7月12日日曜日

電気がズドンでストンなのは何なのだの巻き

この二三週間の日曜日、朝7時ごろになると決まって、停電が起きている。

さしたる理由は分からない。ただ、その直前にズドーンと言う爆発音に近い鈍くて低い音がしたかと思うと、電気が来なくなる。ストンと電圧が落ちた後、不安定ながら供給は戻るようで、通電を確認するライトを仕込んだACタップのスイッチが、か細く不安定な光り方をし続ける。多分、この近辺の変圧器か何かがぶっ飛んだ影響ではないかと思うんだが、今日は完全に供給が一時間近く止まってしまっている。

こう言う時、大抵はパソコンでネット情報を漁っている最中なんだが、切断されていじけるし、電化製品全体の動きも怪しくなる。突然、パソコンのACアダプター電源から内臓バッテリーへ切り替わってLEDメーターが光りだす。付けてもいないエアコンのセンサーが突然働いてピピピと鳴り出す。果ては、そよ風モードでもないのに扇風機の回転が微妙に揺らぐなど、見ていて面白い。電気の供給が不安定で、電圧が下降しながら仕舞いには落ちてしまっているようだ。

ただ、このピピピ音は結構甲高い。気持ちよく朝寝の上さんをいらだたせるらしく、しかもおいらが何か悪さをしていると思わせるようだ。寝室の方から寝ぼけ声で、寝かせろと喚いたりする。そこはそこで、説明しても厄介だから停電らしいと説明して終り、後は無視する。

十三年前にバンコクに住んでいた時、確か一ヶ月に二三回は必ず停電があったような記憶がある。例えば、夜の八時ごろに突然停電して、何もできなくて不貞寝したりとか、不便な国と思わせる一面があった。それだけ、電力インフラが貧弱だったのだろう。それに比べて、最近は電力供給が安定して来たと思わせぶりだったが、ここに来て正体を表した感じだ。不意打ちを食らうと、結構不満が残る。日本なら停電など無いのが常識なんだが、やはりここはタイなのであった。

改めて、電気の有難味を感じさせてくれる日曜日の朝なのでした。(この巻き、おわり)

2009年7月11日土曜日

本歌取りで、政治狂歌を炸裂なのじゃの巻き

本歌取りってご存知だろうか?

ぶっちゃけて言えば、和歌、連歌などの技巧の一つなんだそうだ。しかし、貧乏社長は、この手の素養も教養もへったくれも無いから、高尚な話はこの際置いて置く。我等の誇るべき日本文学の云々とかまくし立てても、受け売りだけでメッキはすぐに剥がれる。

しかも、人に読ませる文章の才覚など、持ちようも無い。恥の上塗り次いでに、駄文の書き連ねやら書き散らしで、ブログ界隈のお騒がせな不逞の輩なのである。

だから、間違っても平安時代の古今和歌集などから本歌を失敬するなど、思いも付かない。そんな高邁な技能も無いので、せめてと、江戸時代の狂歌を借りながら、語呂合わせで歌を捻って見た。

主題は簡単である。

母国日本の混乱状態にある政界なのだ。政権交代の欲念一点張りで、大陸由来系のミンス党は爆走しまくりの状態にある。片や、公僕に振り回されっぱなしで、李下に冠を正した与党:痔眠は、まこと不甲斐無い。ここまで、迷走・混乱した極みに至れば、愉快爽快で唖然として、おいらもからかって見たくなって来た。

もちろん、オリジナル狂歌の存在や趣向はできるだけ敬意を表したい。その上で、アレンジしたりパクったりするのだ。こうして、具にも付かない駄歌が出来上がった。

それでは、ご覧いただこう。これが、貧乏社長の本歌取りワールドなのである。

★本歌
白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき.

★本歌取り入魂作(その1)
友愛の ポッポのミンスに 住みかねて、もとの濁りの 自公恋しき

★本歌取り入魂作(その2)
政権の ミンスで民も あきれ果て もとの腐れ縁 自公恋しき

解説:
江戸時代、不正・汚職で乱れた田沼老中の治世を正すべく、松平定信の寛政の改革は始まった。しかし、行き過ぎの清廉潔白な政治が、経済を疲弊させ、庶民はかっての景気の良い田沼時代を懐かしんだ。ネットでは、ミンス党の政権交代をこの改革になぞらえる人もいる。そんな印象から作ってみた。

★本歌
世の中に かほどうるさき ものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)と 夜も寝られず

★本歌取り入魂作(その1)
世の中に ミンスほどうるさき ものはなし こくさくこくさく(国策)と 真を言わず
★本歌取り入魂作(その2)
世の中に シナほどうるさき ものはなし ないせいかんしょう(内政干渉)と 有無を言わさず

解説:
これも寛政の改革の狂歌。江戸幕府の風紀の乱れを正すため、文武両道がこれでもかとごり押しに推奨された。しかし、庶民にとっては物見遊山の方が良かったわけで、ぶんぶん飛び回る蚊のようにやかましいと感じたようだ。二句めは、中共を取り扱った。鸚鵡返しの文言は、進化の無い証拠で、教条主義かつ冗談の解さない石部金吉である。

★本歌
太平の 眠りを覚ます 上喜撰(蒸気船) たった四はいで 夜も眠れず

★本歌取り入魂作(その1)
西川の 悪事を曝す ハトポッポ たったの辞表で 麻生も裁かず

★本歌取り入魂作(その2)
オザワンの 金庫を暴く 胆沢ダム 達増土下座で 岩手は動かず

解説:
幕末の黒船来航は、開国を巡る問題で日本を大きく揺るがした。蒸気船と極上のお茶の名を掛けて、夜も眠られないと茶化すのは粋である。本歌取り(その2)は、ちょっと説明を要する。オザワンの影響力が岩手県政まで及んでいることに触れたもので、それでも県議会は屈せず達増知事を土下座させたのを皮肉って見た。

★本歌
田や沼や 汚れた御世を 改めて 清くぞ澄める 白河の水

★本歌取り入魂作(その1)
ハトやオザワン 穢れた御金に 味をしめ 清くとだます ミンスの詐欺

★本歌取り入魂作(その2)
自や公や 汚れた官吏も 改めず 清くぞうそぶく ミンスの勝利

解説:
これも、江戸時代の寛政の改革を皮肉る狂歌。ミンス党代表の献金問題は、からかうには格好と思う。ユーチューブなんかでも、ミンス党を料理したパロディー動画が多くて笑ってしまうが、ミンス党翼賛者からは痔眠党をいたぶる発信が何も無い。それだけ、形骸的で独善的で頭が固いということである。

★本歌
はたもとは 今ぞ淋しさ まさりけり 御金もとらず 暮らすと思へば

★本歌取り入魂作(その1)
ハトポッポ 故人の献金 まさりけり 代表も取れて 政権交代と思えば

★本歌取り入魂作(その2)
長妻は 今ぞ自公より まさりけり 年金もとれて 暮らせると思へば

解説:
江戸時代の寛政の改革では、景気が後退して旗本への給与が遅れたらしく、それが風刺された。本歌取りでは、金にまつわる茶化しとしたが、ミンス党長妻議員が取り組んできた年金問題の追及は、評価できるものがある。

★本歌
陣羽織 異国から来て 洗いはり ほどいてみれば 裏が(浦賀)大変

★本歌取り入魂作(その1)
自公都議 選挙しだいで 野党落ち 連立ほどいて 麻生大変

★本歌取り入魂作(その2)
ジンバブエ ドルも目減りで 大混乱 印刷すれば 桁が大変

解説:
幕末の黒船来航により、江戸幕府の混乱した対応ぶりが窺え、長い鎖国で、武士の本領である有事の備えが無いのとからかったようだ。本歌取りでは、7月の都議選が鍵を握ると考えた。それと、ジンバブエは国の運営能力すらないようである。白人による植民国家の運営が安定していたことは、黒人主権へのアンチテーゼでもあろう。

(この巻き、終り)

2009年7月9日木曜日

たけのこのアク抜き初体験はバンコクでの巻き

本格的な雨季に入ったから、旬のたけのこが店先に並ぶようになった。


もちろん、ファラン(外人)御用達のショッピングスーパー”カルフール”で見かけ出したのである。とは言っても、バンコクの麻布みたいなスクンビット近辺には、八百屋さんなどあるはずも無い。貧乏社長の金銭感覚なら、八百屋で十分なのだが、何せ、ここは異国でもある。勝手も分からず、便利さからカルフールで用を済ませているに過ぎない。

しかし、それでも生鮮野菜は安い。このたけのこだって、値札を見たら一本20バーツ(60円)だった。日本で買ったら数百円以上はするかもしれない。当時、面倒臭さもあったんだろう、上さんはいつも水煮を使っていた。

こちらのたけのこも、たぶん孟宗竹だと思うんだが、旬の時期は趣が多少異なる。日本なら、三月中旬から五月が時期だが、タイは六月から八月に掛けてと遅く期間も長い。しかも、雨季に入ってから収穫の時期を迎える。所変われば品変わると言うところか。

それで、上さんが最初にたけのこを買ったのは去年の話だ。ナコンナヨークと言う、バンコクから車で二時間くらいの手軽な観光地へ行った時に、道路脇に並ぶ露店でたけのこを見かけたのである。一個二十バーツと値段を聞いたつもりが、買ってみたらドデカイのを三個も袋に入れてくれた。

持ち帰ったのは良いが、どんな風に下ごしらえすべきか、上さんも始めてのことなので皆目見当が付かない。パソコンを開いて、ネットでその方法を検索してみる。分かったのは、どうもアク抜き無しではエグミが残って食べられないようだ。ヌカとたかの爪を入れた湯でぐつぐつ煮こめとか書いてあるんだが、何となく怪しい。もっと調べてみたら、重曹を湯に溶かして煮込むのが手っ取り早いと紹介されていた。

重曹なら、ベーキングパウダーでも代用できるし、どこにでも売っている。しかも、余ったらお菓子作りに使えるから、無駄にならない。と言うわけで、やってみたら意外と簡単にアクが抜けてしまった。それで、煮物やらグリーンカレーやら、色々な料理にたけのこを入れてみた。旬の味を楽めたのは、言うまでも無い。


つまり、今年のたけのこの煮物は、去年のチャレンジ無くしてはできなかったのである。バンコクでアク抜き初体験をするなんて、夢にも思わなかった貧乏社長、いや上さんなのでありました。(この巻き、終わり)

2009年7月7日火曜日

お坊さんキットでお寺へゴーの巻き

今年は雨季の入りが事の外、早かったようだ。

五月の初めから、激しいスコールが降り出していたから、地元の人も普通の年とは少し違うと言う。例年なら、本格的な雨季の始まりは、六月を過ぎてからだろう。そして、本当の季節になったと感ずる頃に、ワンカオパンサー (入安居)が巡ってくる。この日は、旧暦八月の満月を過ぎた、翌日の十六夜(いざよい)に当たるんだが、毎年の日取りは暦の特性で変化する。

昨年は七月十八日だったが、今年は七月八日がそれに当たった。なれば、何時かは七夕の日にぶち当たるのかもしれない。それも面白いと感じる。

この日から、お寺のお坊さん達は、オークパンサー(出安居)の日までの約三ヶ月間、修行に専念するため、寺にお籠もりをする。恵みの雨季は、稲作を初めとして様々な作物が育つ時期でもある。もし、お坊さんがお百姓さんの大切に植えた作物を誤って踏みつけてしまっては、生きとし生けるものの殺生を禁ずる教えに背くことになる。だから、外出せずに寺に篭ったのが始まりなんだそうだ。

そして、現代でも、この習慣は続いている。貧乏社長は、カルフールのショッピングセンターで思わぬものを見つけてしまった。



お題の通り、お寺へ修行に入る際に必要なアイテムが詰め合わせになって売られている。カタログには、生活道具・托鉢用品とか、お世話になるお寺へ納める品々などが満載だ。それと、この時期に寄進される彫刻を施した高価な”ろうそく”も売られている。これは便利なのである。一つ一つ選ぶ手間が省けるのだ。もっとも、時間を掛けずに済ませてしまうのが安直過ぎて、仏の教えのありがたみにつながらない。最近では、三ヶ月間では長くて仕事や学業の差し障りになるから、一月とか、ひどい時には一週間の短期促成で済ませてしまう人も増えて来た。

(バンコクポスト:7月8日付、追加)

とは言っても、仏教の教えはタイの生活に深く息づいている。商売とはいえ、こんなお坊さんキットが、頭をそって厳粛な心持で修行に入る青年達を想像させてくれて、清清しく感じた貧乏社長なのでありました。(この巻き、おわり)

2009年7月6日月曜日

朝のベンチャリ公園は、体操パフォ-マンスの巻き



朝早く起きた休みの日、貧乏社長は上さんと連れ添って外出する。

目的は、運動も兼ねて近くのベンチャリ公園へ散歩に赴くことだ。バンコクへ来てから、どこへ出かけるのも運転手さん付きで車に乗ってしまうせいか、とかく運動不足になりがちだ。出勤したら、工場の構内を毎日歩き回るように心掛けてはいるが、距離もたかが知れている。焼け石に水で、足腰が衰えてしまうのではないかと一抹の不安を覚えていた。

それなら、健康のためにゴルフでもプレーすれば良いと貴兄はお考えであろう。

そんな助言は、貧乏社長も重々承知である。しかしながら、上さんと一緒に休日をゆっくり過ごすことを優先させたい。その一念で、ゴルフは遠慮することにした。こちらで覚えたとして、日本に帰ればその遊びに遠ざかるだろう。なぜなら、はるかに料金も高いし遠出が必要で時間も取られるからだ。覚えた遊びで不自由するのが分かっていて、たしなむ必要も無い。

もちろん、上さんも運動不足を心配して散歩のような外出を薦めてくれる。だから、最近はベンチャリ公園へ、気軽に出かけるようになった。いつもは、朝六時過ぎに起きられたら、短パンにTシャツと行った格好に着替えて、一緒にアパートを出る。公園は、大通りをはさんで向かい側にあるから、歩いてもあっという間に到着してしまった。


公園は比較的大きくて、歩くと一周するのに十分ほど掛かる。運動がてら、上さんと一周目をのろのろ歩いた後は、二週目をゆっくりジョギングして、三週目はリラックスして回るのがパターンだ。この手の運動をする人たちは、公園で本当に多く見かける。歩いたり、走ったり、セパタクローみたいな球技をしていたり、各自が自由に体を動かしている。

おやっ、踊っている人もいるぞ。
いや、失敬、失敬。あれは、どうやら体操のようである。

まさに、踊る体操軍団なのだ。興味もあってビデオで撮影してみた。再生してもらえれば分かるんだが、貧乏社長の印象に残ったグループは二つあった。一つは、公園入り口付近で剣舞を舞う太極拳の一団、もう一つは公園奥のスケボーリンク脇でダンス体操をしている一団なのだ。それなりに、集団の規模も大きくて体操が様になっている。

ただ、微妙に踊りがずれていて、全員がシンクロしていない。細かいところはマイペンライ(気にしない)で、おもいおもいの自主性に任せた感じだ。やはり、ここはタイなのである。、一糸の乱れも無いなんて、ありえないのだ。ばらんばらんも個性の多彩な主張と言うことにしておこう。

そんなことで、朝の運動からしてタイのお国がらを見てしまった貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり。)

2009年7月5日日曜日

タイの式典は何が何でも読経で挙行の巻き


7月4日は、偉大なる我が社の創立記念日であった。

この日のために、何も因果はないのだが、北朝鮮民主主義人民共和国殿より、魯鈍だか愚鈍だか知らんが、祝砲代わりにミサイル七発もぶっ放してくれた。それを見ても、いかに貧乏社長の会社が国際的なのかが分かる。(ウソだよ。)
それと、このタイの巷では、メリケン国が独立した記念日だと言う蜚語が飛び交っておるようだ。下々から聞いたのだが、我が社の記念日には全く縁の無いことなので、この際、為すがままにさせておこう。

あんまり飛ばし過ぎると、顰蹙を買いそうなので通常モードに復帰。

7月4日が会社創立記念日というのは本当の話で、しかも今年は創立二十周年に当たる。例年、この記念日を祝うべく、近くのお寺からお坊さん 一団を招いて、記念式典を執り行って来た。当然、これから一年間息災で会社も繁盛するように祈願も込めて、読経してもらうのである。

もう一度言う、お経なのである。

タイだから、間違っても神道の祝詞にならない。日本だったら、神主さんが御幣を振ってお祓いしていただくのが、ごく普通の流儀ではある。地鎮祭、竣工式、創立式典など、大概のお祝い事は神社にお願いしてきた。

タイは、敬虔な仏教の国である。総ての冠婚葬祭は、仏教を中心にして行われる。つまり、仏式なのである。日本は、もっぱら法事をお寺で済ませながら、お祝い事は神事で済ませると言う、行事を二股で来た感じがする。ところが、タイは総てが御仏の教えに従って日常が回っていることになる。

だから、式典でお経を上げてもらうのは、とても尊いのである。

貧乏社長も、副社長や会社関係者、従業員一同と共に、この読経をありがたく拝聴した。お坊さんの一団も七八名で連れ添って、あしらわれた台座に並んで、朗朗と読み上げていく。ただ、それが長く、始めは三十分ほど続いた。そして、お礼の食事を終えてから、もう一度読経が始まり終了となる。

現地の儀式には、色々な手続きがあるのだが、貧乏社長は良く分からんので、見よう見まねで従っていたに過ぎない。後は、お坊さんもお帰りになって、昼食会のパーティーで食事をみんなで楽しんでから、お開きとなった。


二十周年の記念式典も盛大に終える事ができて、ホッとした貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)

おまけ:
言い忘れましたが、記念式典は7月3日(金)に執り行われました。昼食会の後片付けも、午後3時まで掛かってしまい、それ以降は自由に帰宅させています。翌日から四連休が始まりましたので、一同喜んでくれたはずです。

豚インフルで勝っても直線距離では多分負けたの巻き

いやー、ここタイではインフルエンザの流行の勢いが止まらない。

7月3日現在では、日本でも国内感染者が千五百人を越えたが、こちらはそれを上回って勝どきさながらに千七百人以上の報告が出された。死亡者も6人と徐々に増えつつある。週末になってお休みだからと言って、サイアムとかMBKのような繁華街へショッピングにでかけるのも気後れしそうだ。でかけて不特定多数の人と接触していれば、知らずにウイルス保菌者に遭遇しているかもしれない。感染し易くなる危険行為はできるだけ避けたい。ならば、日本大使館から出された、不要不急の外出は避けると言うお触れに従うのが無難ではあろう。

実際、来週の7日火曜日はアサラハ・ブーチャ(三宝節)と言って祝日だから、土、日、火と飛び石連休になる。そこで、4日土曜日が創立記念日だし会社創立20周年でもあるので、6日を臨時休業日に当てて四連休を従業員に大奮発してみせた。ところが、このインフルエンザである。外出はまかりならんと言われれば、家でじっとするしかない、と言う分けで、貧乏社長は、今日も、シコシコ、記事を書き上げているのである。

それで、豚インフルの広まりではタイが遺憾ながら優勢にあると確定した。
ならば、お題の"直線距離では多分負けた"と言う意味とは、何ぞや?

道路の事なのである。
直前の記事で、タイは道路の国だと断じて見せた。山間地も少なくてだだっ広い平野部が比較的多い国だから、都市と都市を直結するような道路網が縦横に発達できるだろう。しかも、ベトナム戦争の間接的な軍事支援が目的で、アメリカから友好ハイウェーなる高規格の道路まで作ってもらっている。



そんな国では、まっすぐな道が多いのが当然だ。実際に、東北部(イーサン)の国道二号線を走ってこの目で確かめてみたが、五分や十分間はカーブに出くわすことも無い。ひたすら、四車線の立派な道が直線の定規のように続く。これなら、直線道路を比べてみてもタイが優勢であると想像に難くない。

一方、島国の日本は、平野部より山間地域が圧倒的に多い。しかも、日本アルプスみたいな急峻な山岳地帯もあるから、まっすぐな道路なんか作れないだろう。谷あいを上手に縫いながら、それが駄目ならトンネルを掘って道を設ける。これが日本の道の原風景と言う気がする。高速道路だって、直線路では単調すぎてドライバーの居眠りを誘わないように、交通事故を防ぐ配慮からわざとカーブが付けられている始末だ。

しかしだ、北海道は違う。

日本一の直線距離を誇る国道が存在するのだ。主要道路の多くは、百五十年前に始まった北海道開拓に併せて切り開かれた。未開の原野や原生林を開削し、後追いで途中途中に町並みが発展整備された。だから直線の道路ができやすかったという事実は存在する。そして、その中でも国道12号線の一部が、日本で一番長い直線区間になっているらしい。

何とその距離、29.2キロ


これは、タイでも匹敵する区間がないのではないだろうか?

貧乏社長も目を皿のようにして、タイ国内の道路地図帳から競い合えそうな区間を探し出そうとした。ところが、微妙にところどころでわずかな曲がりのある場合が多く、これぞと思える区間は見つけられなかった。二十キロくらいならありそうだが、それ以上はちょっと厳しいのである。

この国道12号線は、道都の札幌市中心部から道内第二の都市である旭川市までを南北に結ぶ幹線道路だ。その途中、美唄市光珠内(びばいしこうしゅない)のJR函館本線を越える陸橋から、滝川市市街地の空知川を越えた国道 38号線との交差点にいたる区間が、最長に当たっている。

明治の開拓初期、開拓拠点の旭川を結ぶ道路が必要になった。当時、行こうとすれば、唯一、船で石狩川を遡るしかない。そこで、その地の開拓を早く進めたいと考えた北海道庁は、道路のインフラ整備に乗り出す。しかも、そのお達しが物凄くて、「可成(なるべく)直線路に為すを主とし」と書かれていたんだそうだ。はじめから、何が何でも真っ直ぐな道で短期促成を目指そうとしたのが分かる。もちろん、原野に住んでいるのは極僅かな開拓民だけだから、立ち退き問題も起きるはずが無い。

いやー、北海道の父祖が築いた直線国道は、タイのだだっ広くて標高差も少ない緩やかな国土に敷かれた道々をも、フロンティアスピリットで凌いでしまったことになる。

だから、道産子は偉いのである。

そう自画自賛しながら、この投稿を無理やり締めくくろうとした貧乏社長なのでありました。 (この巻き、終わり)

おまけ:
この三宝節は、旧暦8月の満月の日で、悟りを開いた釈迦が初めての弟子5人に説法を行い、仏・法・僧の三宝が成立した日だそうです。タイの国と言い人と言い、かくも仏教の教えに帰依しているか判断できますね。

2009年7月3日金曜日

友好ハイウェーで隣国蹂躙の巻き

タイと言えば、道路の国である。

とは言っても、タイにも国有鉄道(国鉄)がちゃんとあって、総延長四千km ほどの路線で営業している。他の交通機関と比べて、長距離を安く移動できる庶民の足として未だに健在なんだが、本数は少ないわ、速度は期待できないわで心許ない。今では、飛行機やバスのような他の交通手段に、大量移動のお株をすっかり奪われてしまった。


一方、長距離高速バスは、国内の主要都市を結んでいて価格も手頃だ。地元の人に移動手段として重宝されている。もちろん、道路が網の目のように国内で発達していなければ、こんなにバス路線も充実するわけがない。

タイの道路網は、本当に全国津々浦々へ発達したのか?

貧乏社長にも興味は尽きない。それで、この間のラオス出張からの帰り道で、地方の道路を走ってみた。友好ハイウェー(国道二号線)で、ノーンカイの町から東北部の中心都市、コーンケーンまで下ってみたのである。スタッフは、鼻歌交じりでぶっ飛ばすわ、ぶっ飛ばす。スピードメーターは、時速百キロを上回って貼り付いたままだ。高速道路なのか一般道路なのか判然としないまま、とにかく、目的地まで着いてしまった。スタッフはハイウェーと言っていたんだが、途中途中で信号や、横断歩道があったから一般道だったのだろう。


分かったんだが、ここタイでは道路網が発達して、地方都市が急速に成長をしたように思える。その背景には、アメリカが軍用目的で道路建設を積極的にタイ政府へ支援したのが一因らしい。確かに、60年代初めから70年代半ばまで、アメリカがベトナム戦争を勝利に導くためには、周辺国から軍需物資の供給網を作っておく必要があったのだろう。タイが米軍の兵姑基地となり、「友好道路」が建設され、道路が急速に整備された。

地図を見ても、その理由がはっきり分かる国道があって、特に24号線はそうだ。カンボディアの国境に寄り添うように走り、しかも途中にあるスリン、ブリラムの地方都市には寄らず、最終目的地の都市ウボンラチャタニへは、南から直角以上に折れ曲がって東北東に30キロ以上を北上して到達する。およそ、都市間を結ぶ交通のための国道には見えない。カンボディアに兵員、武器弾薬を効率よく送り込むために一直線に敷かれたと言うしかない。国道二号線だって、当時、パーテート・ラオ共産主義革命勢力と戦うのが目的で、4車線のハイウェーをアメリカがポンとプレゼントしたのである。

それで、フレンドシップ・ハイウェーとか名づけて友好なんだそうだ。友好にあやかったタイは恵まれたと思うんだが、蹂躙されたインドシナ周辺国、特にベトナムは堪ったものではなかっただろう。

貧乏社長は思う。戦争では、当事者が最終的には潤わないのだ。周辺の物資供給基地となる国が、潤って豊かになるのである。わが国日本を見てみるが良い。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも物資の供給元になって経済発展を遂げたではないか?

これをタイになぞらえて見てもしかりだ。

そして、このおかげで十二分に出来上がった道路は、首都バンコクと地方を結ぶ便利さを高めたのである。流通が進み、地方都市は地域の経済の中心として成長して、大きな市場も形成された。地方都市の発達は、タイの経済発展に一役かっているのだ。

だから、会社は地方へ商売に出かけるのである。お客さんのガソリンスタンドは、このような街道に林立している。宝を掘り出しにこれから行くぞと、決意を新たにした貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)