2009年7月3日金曜日

友好ハイウェーで隣国蹂躙の巻き

タイと言えば、道路の国である。

とは言っても、タイにも国有鉄道(国鉄)がちゃんとあって、総延長四千km ほどの路線で営業している。他の交通機関と比べて、長距離を安く移動できる庶民の足として未だに健在なんだが、本数は少ないわ、速度は期待できないわで心許ない。今では、飛行機やバスのような他の交通手段に、大量移動のお株をすっかり奪われてしまった。


一方、長距離高速バスは、国内の主要都市を結んでいて価格も手頃だ。地元の人に移動手段として重宝されている。もちろん、道路が網の目のように国内で発達していなければ、こんなにバス路線も充実するわけがない。

タイの道路網は、本当に全国津々浦々へ発達したのか?

貧乏社長にも興味は尽きない。それで、この間のラオス出張からの帰り道で、地方の道路を走ってみた。友好ハイウェー(国道二号線)で、ノーンカイの町から東北部の中心都市、コーンケーンまで下ってみたのである。スタッフは、鼻歌交じりでぶっ飛ばすわ、ぶっ飛ばす。スピードメーターは、時速百キロを上回って貼り付いたままだ。高速道路なのか一般道路なのか判然としないまま、とにかく、目的地まで着いてしまった。スタッフはハイウェーと言っていたんだが、途中途中で信号や、横断歩道があったから一般道だったのだろう。


分かったんだが、ここタイでは道路網が発達して、地方都市が急速に成長をしたように思える。その背景には、アメリカが軍用目的で道路建設を積極的にタイ政府へ支援したのが一因らしい。確かに、60年代初めから70年代半ばまで、アメリカがベトナム戦争を勝利に導くためには、周辺国から軍需物資の供給網を作っておく必要があったのだろう。タイが米軍の兵姑基地となり、「友好道路」が建設され、道路が急速に整備された。

地図を見ても、その理由がはっきり分かる国道があって、特に24号線はそうだ。カンボディアの国境に寄り添うように走り、しかも途中にあるスリン、ブリラムの地方都市には寄らず、最終目的地の都市ウボンラチャタニへは、南から直角以上に折れ曲がって東北東に30キロ以上を北上して到達する。およそ、都市間を結ぶ交通のための国道には見えない。カンボディアに兵員、武器弾薬を効率よく送り込むために一直線に敷かれたと言うしかない。国道二号線だって、当時、パーテート・ラオ共産主義革命勢力と戦うのが目的で、4車線のハイウェーをアメリカがポンとプレゼントしたのである。

それで、フレンドシップ・ハイウェーとか名づけて友好なんだそうだ。友好にあやかったタイは恵まれたと思うんだが、蹂躙されたインドシナ周辺国、特にベトナムは堪ったものではなかっただろう。

貧乏社長は思う。戦争では、当事者が最終的には潤わないのだ。周辺の物資供給基地となる国が、潤って豊かになるのである。わが国日本を見てみるが良い。朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも物資の供給元になって経済発展を遂げたではないか?

これをタイになぞらえて見てもしかりだ。

そして、このおかげで十二分に出来上がった道路は、首都バンコクと地方を結ぶ便利さを高めたのである。流通が進み、地方都市は地域の経済の中心として成長して、大きな市場も形成された。地方都市の発達は、タイの経済発展に一役かっているのだ。

だから、会社は地方へ商売に出かけるのである。お客さんのガソリンスタンドは、このような街道に林立している。宝を掘り出しにこれから行くぞと、決意を新たにした貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)

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