ここバンコクでは、四割欠けるかどうか、だったのである。
どうも部分日食は、太陽が総てお隠れになる皆既日食と違って、話題性では見劣りする。それでも、地元の人たちは、結構盛り上がっていたような感じがした。地元のテレビ番組なんか、朝6時過ぎのニュースで、この天体ショーを見ようと準備に余念が無い光景を、現場から実況中継していたのである。それもそのはず、お天道様が欠け出すのは、中継直後の朝七時からで、期待の高まりがあったんだと思う。
それで、貧乏社長もニュースを見ながら、ふと窓の外を眺めてみたのだ。ところが、どんよりした雨雲が空一面を覆っているばかり、すぐに期待は失せてしまった。そして、その後、晴れる事も無く、天体ショーが終わる午前9時まで、あっと言う間に過ぎ去ってしまったのである。
(バンコクポスト、7/22付け)
今は、雨季だから晴れることを期待するほうが空しいかも知れない
何となく満たされない感じもしたが、一方で皆既日食帯の通過する日本では、金はぼったくられるわ、見られないわ、雨には打たれるわで、散々な目にあった旅行者もいたようだ。つまり、皆既日食を見るツアーだけのために34万円も気前良く払ったのである。はるか洋上の離島、鹿児島県トカラ列島が、いくら、陸上では最良の観測ポイントだと謳われていても、そんな高額払ってバクチに賭ける空け者は居るまい。そう思うのが常人なのだが、それがたくさんいたのである。ご愁傷さま、そんな感じがした。
ところで、貧乏社長は道産子なんだが、幼稚園に行くか行かないかの頃に皆既日食に遭遇しているらしい。地元では、「網走日食」とか呼んでいて、それは昭和33年、1963年に北海道東部で起きた。ただ、あまりに小さい子供時分の話なので、残念だが記憶は全く無い。
これとは別に、はっきり記憶に残っている北海道の日食が一つだけある。食分90%と言う、ほぼ一夜月、月齢一まで欠け上がった部分日食に遭遇できた年があった。多分、昭和56年頃の7月末だったと思う。
週末のその日、おいらは当時通っていた小樽地獄坂大学の図書館へ暇つぶしに本を読みに出かけていたんだな。すると、午後の明るい時間帯なのに、辺りが旧に暗くなり出して来た。それにつられて、カラスはカーカー鳴いて飛ぶわ、ヒヤッとする風が吹き抜けたりするわで、得体の知れない異変の起きた心持がした。
それで、驚きつつ空を見上げると、なんと薄い弧を描く太陽が光っている分け、驚きましたね。
でも、翌日の北海道新聞の記事はずいぶんと小さな扱いであった。それは、その日食帯自体が日本を通過しなかったせいもある。今となっては誰も覚えていないだろう。しかし、自分自身に取ってはすごい経験に違いなかったのだ。だからこそ、未だに網膜に光景が焼きついているし、記憶もはっきりと残っているわけだ。
と言うわけで、半世紀も生きていると、日食一つ取ってもそれなりに思い出があって、駄文を書き散らす貧乏社長なのでした。(この巻き、終り)
おまけ:本投稿は、ブログ:だべさ通信さんの”皆既日食はみれるべか”の記事に宛てたコメントを手直ししたものです。色々な人のブログを読んでいると、触発されることも多く記事になります。
4 件のコメント:
ぐりぐりももんがさんのコメントを見て、旦那さんが「思いだしたぞ。そうそう、風が吹いたんだ。それが何とも言えない風だったんだ」
私は、全く覚えがないのですが、その話題で、しばしの時間、旦那さんは興奮気味でした。
忘れていた事を思い出させていただいて、旦那様にかわり、お礼を申します。
それから、『おまけ』に、だべさ通信を紹介して頂いて、重ね重ね、ありがとうございます。
ポプラさんへ、
北海道の日食については、色々な思い出が詰まっています。
記事のきっかけになったのは、この四月に里帰りした時に、学校の同級生が日食を九州まで見に行くと言っていたからです。おいらは曇ったらどうするんだとか言いたかったのですが、せっかく盛り上がった雰囲気をぶち壊しては悪いと思い、反論もせずにニコニコ聞き役に回っていた自分がありました。
そう言えば親父が網走日食の新聞のスクラップを作っていたのも、思い出しましたね。
こうして見ると、何かブログに書いてみたくなるのも、深層の意識とか過去の記憶なんかがフラッシュバックして自分を強く触発すると思いました。
そんな時、北海道の生活の何気ない日常を紹介してくれるポプラさんが、結構、その後押し役になっていたただいているのかもしれませんね。
因みに、日食なら下記のホームページが役に立つと思います。
http://eclipse.star.gs/index.htm
網走日食は覚えていませんが、後記の方は覚えていますよ。
ぐりぐりももんがさんの感想とは違って
「掛ける割合が大きい割には意外と明るい」
そんな事を思い出しました。
細かい事は忘れましたが、90%も欠けたんですか。
NHKの硫黄島から生中継の動画がYOUTUBEに有りますが、レポーターがその瞬間言葉を失っていました。
どらねこさんへ、
実を言うと小生は、小学生の頃から天文ファンでして、この部分日食に関する情報も天文年鑑などを通じて知っていたのです。
ただ、食分90%と言っても部分日食には違いなく、下宿住まいで天体望遠鏡も実家に置いたままでしたから、観測する気になれませんでした。
それで、小生の場合、逆に部分日食でも夕方の光景とは微妙に異なって、全体がフィルターを掛けた様にくすんで行くのが、非常に印象に残りました。昔の人なら、これぐらいでも天変地異に感じたであろうと思いました。
私も、思ったより暗くならなかったと感じたのですが、変化の推移に驚きを感じたと言うことです。
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