祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もつひには滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ
この平家物語の冒頭を暗記しました。
中学生の頃だったでしょうか。
何度も読み下すうちに、格調の高さに触れました。
漢語を交え、余韻の残る体言止です。
滅びのはかなさが、この一節に凝集されています。
リズム感のある文体が、現代にも通用するかもしれない。
それで、どういう分けかバガンでふと思い出しました。
朽ち果てた仏教遺跡は、例えそのものです。
祇園精舎は、インドにあるお寺の音読みだそうです。
そんなお寺つながりが、容易に連想させてくれました。
遺跡を見るにつれ、栄枯盛衰を強く意識せざるを得ないのです。
しかも、三千もの仏塔・寺院が林立する光景は圧倒的でした。
なぜ、往時を極めたパガン朝は衰亡していったのか。
ちょっと、興味を持ちましてネットで調べてみました。
まず、直接の原因は、モンゴル(元王朝)の侵攻でした。
これにより、王都が放棄されたのが始まりです。
しかも、モンゴル人によって略奪されたと考えられています。
完全に都市機能は崩壊してしまったのでしょう。
それでも、この地に留まった僧侶達は仏教に帰依し続けました。
その後も、仏教研究の場としては繁栄を続けたとあります。
これが、バガンの遺跡を保存させることになったのかも知れません。
と言うわけで、他に間接的な理由もありまして、王族や貴族が過度に寺院へ寄進をしたことから、極度に財政を悪化・疲弊させたのが、大きな要因なんだそうです。他方では、仏教を国教として定めることで、安定して国家を統治できたのも事実でしょう。行きすぎた帰依ゆえに衰退してしまった現象は、同時期に栄えたアンコールワット遺跡で有名なクメール王朝も同様ですが、皮肉としか言いようがありません。そんな諸行無常を感じてしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
0 件のコメント:
コメントを投稿