2010年12月15日水曜日

周荘で日本鬼子の言葉に出会うの巻き(その二)

とにかく、周荘のツアーバスに乗ることができました。
バスの中は、ツアーの説明がすべて中国語なので、何を言っているか分かりません。
時々、上さんが通訳してくれますが、説明に追いついて行かないのです。

それに、周荘の地理も知りませんでした。
上海よりに西に存在しているのは確かです。
行けば何とかなるでしょう、そんな気分で出発しました。

二時間も乗っていたでしょうか。
ぐっすり眠っているうちに、最初の観光地に着きました。
周荘だと思ったのですが、お寺に立ち寄ると説明を受けました。


二十四孝院と門に扁額が、掲げられています。
このお寺は、昔から科挙の試験に合格した進士を輩出していたようです。
由緒はあるのでしょうが、多分、建て直しをしたような感じでした。

なぜかと言えば、柱に書かれた銘文がヒントになりました。
つまり、文章が簡体字だったのです。
これが使われだしたのは、中華人民共和国が建国されてからです。


これは、半世紀ちょっとの新しい書体なのです。
それに、社会主義の国ですから、信仰の自由が認められていない。
加えて、文化大革命の最中、宗教弾圧が厳しく行われました。

当然、関連する施設がかなり破壊されています。
要するに、旧い繁字体で装飾された構築物は、消え去ったのです。
後になって、古を偲び、再建でもしたのでしょうか。

しかも、仏様に向かってお祈りする作法すら、観光客は知りません。

寺の観光ガイドが丁寧に説明してくれるのです。
しかも、お寺にいた坊主がどうも胡散臭い。
商売で頭を剃り上げただけなのだろうと思わずにはいられませんでした

と言うわけで、周荘に到着するまで半日を費やしてしまいました。
お題の驚き発言を聞くまで、あと少しです。
そんな地元の人たちのバスツアーなのでした。
(この巻き、終り)

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