どんな田舎の小さいな村にもお寺があり、住持もおります。
きっと、住人はお布施や喜捨を欠かさないのでしょう。
お坊さんも、安心して修行に専念できる分けです。
訪れた日本人が村始めてと言う集落にも、お寺はありました。
村の集会所を間借りしたような、侘しさが残ります。
雨季ともなれば、道路が寸断されてしまうほどの辺鄙さです。
そうなれば、四輪駆動車しか交通の手段はなくなってしまう。
人々の日々の糧もそう多くない感じもします。
そんな雰囲気の中、人々は仏の教えを実直に信じているのでした。
日本の頃は、由緒のある社寺を巡るのは、割と好きでした。
住んでいる場所も鎌倉から遠くなく、眼と鼻の先だったのかもしれません。
上さんと一緒に、四季折々にお寺をよく訪ね歩きました。
日本の寺は、自然の風景に溶け込んでいるような気がします。
木造の建築物ですから、建物自体の風合いも地味です。
昔は、金箔の伽藍もあったのでしょう。
時とともに、それは剥げ落ち、周辺の景色になじんだ気分です。
ところが、タイのお寺は雰囲気が違いました。
壁は白い漆喰のようで、装飾はまばゆいばかりの金ピカです。
いつも、滞りなく補修がしっかり行われる雰囲気でした。
つまり、自然との調和を求めていない感じなのです。
きっと、タイでは仏の教えが自然界を超越しているのでしょう。
この修養の場所は、特別な領域なのだと思いました。
どうも、日本人にはちょっとしっくり来ないところがあるんですね。
コンクリートの建物構造は、頑丈でしょうが画一的です。
しかも、真っ白けなお寺の壁は、微妙な雰囲気になっている。
物のわび、さびが味わえない造りなのです。
新しくて、よそよそしい感じがしています。
※チェンライの「ワット・ロン・クン」
確かに、タイのお寺は昔から木造が主流ではありません。
アユタヤとかスコータイの遺跡を歩くと分かります。
レンガ造りに、白く漆喰を塗り立ててお化粧したようになっています。
ちょっとは、木造様式の寺があれば、和むんだけどなー。
そんなことを、期待する日本人なのですよ。
そして、このことを日々思うようになったとき、ドンピシャのお寺にめぐり合えることができました。
それは、北部地域のランパンにありました。
ランパンも歴史的な古都には違いありません。
チェンマイに比べれば、規模はかなり小ぶりですが、それなりに観光都市として有名です。
それで、前にも書いたんですが、この六月に出張したんですね。
翌日が日曜日だったので、従業員と一緒に観光気分で寺回りをしました。
そこで、このすばらしい木造建築のお寺に出会ったのです。
寺の名前は、ワット・プラタート・ランパーン・ルアンと言いました。
ランパンの市内から、たどり着くまでに二十分くらい掛かりました。
まことに、美しい出で立ちの寺院です。
木のぬくもりを感じながら、ホッとする一時になりました。
正直な話、ここタイでは、木造建築は永く保てないようです。
日差し(紫外線)はかなりきつく、日本に比べれば朽ちてしまうのが早いと思いました。
そのためレンガ造りだったり、クメール様式のように石造にしたりするのかもしれません。
と言うわけで、未だ、ランパンはタイ北部で緯度も高いので、多少は日差しが和らぐのでしょう。
だからこそ、木造寺院が残されたのだと、勝手に判断する道産子社長が、そこにいるのでした。
(この巻き、終わり)
おまけ:こちらのお寺も、木造としてはなかなか秀逸でした。
※ワット・ポン・サヌック・ヌア
0 件のコメント:
コメントを投稿