2010年7月8日木曜日

輪廻転生のように建物も朽ちるのが早いのだろうの巻き

タイは仏教の国です。
どんな田舎の小さいな村にもお寺があり、住持もおります。
きっと、住人はお布施や喜捨を欠かさないのでしょう。
お坊さんも、安心して修行に専念できる分けです。


訪れた日本人が村始めてと言う集落にも、お寺はありました。
村の集会所を間借りしたような、侘しさが残ります。
雨季ともなれば、道路が寸断されてしまうほどの辺鄙さです。
そうなれば、四輪駆動車しか交通の手段はなくなってしまう。
人々の日々の糧もそう多くない感じもします。
そんな雰囲気の中、人々は仏の教えを実直に信じているのでした。

日本の頃は、由緒のある社寺を巡るのは、割と好きでした。
住んでいる場所も鎌倉から遠くなく、眼と鼻の先だったのかもしれません。
上さんと一緒に、四季折々にお寺をよく訪ね歩きました。


日本の寺は、自然の風景に溶け込んでいるような気がします。
木造の建築物ですから、建物自体の風合いも地味です。
昔は、金箔の伽藍もあったのでしょう。
時とともに、それは剥げ落ち、周辺の景色になじんだ気分です。

ところが、タイのお寺は雰囲気が違いました。
壁は白い漆喰のようで、装飾はまばゆいばかりの金ピカです。
いつも、滞りなく補修がしっかり行われる雰囲気でした。
つまり、自然との調和を求めていない感じなのです。

きっと、タイでは仏の教えが自然界を超越しているのでしょう。
この修養の場所は、特別な領域なのだと思いました。
どうも、日本人にはちょっとしっくり来ないところがあるんですね。

コンクリートの建物構造は、頑丈でしょうが画一的です。
しかも、真っ白けなお寺の壁は、微妙な雰囲気になっている。
物のわび、さびが味わえない造りなのです。
新しくて、よそよそしい感じがしています。

※チェンライの「ワット・ロン・クン」

確かに、タイのお寺は昔から木造が主流ではありません。
アユタヤとかスコータイの遺跡を歩くと分かります。
レンガ造りに、白く漆喰を塗り立ててお化粧したようになっています。

ちょっとは、木造様式の寺があれば、和むんだけどなー。
そんなことを、期待する日本人なのですよ。
そして、このことを日々思うようになったとき、ドンピシャのお寺にめぐり合えることができました。

それは、北部地域のランパンにありました。
ランパンも歴史的な古都には違いありません。
チェンマイに比べれば、規模はかなり小ぶりですが、それなりに観光都市として有名です。

それで、前にも書いたんですが、この六月に出張したんですね。
翌日が日曜日だったので、従業員と一緒に観光気分で寺回りをしました。
そこで、このすばらしい木造建築のお寺に出会ったのです。


寺の名前は、ワット・プラタート・ランパーン・ルアンと言いました。
ランパンの市内から、たどり着くまでに二十分くらい掛かりました。
まことに、美しい出で立ちの寺院です。
木のぬくもりを感じながら、ホッとする一時になりました。

正直な話、ここタイでは、木造建築は永く保てないようです。
日差し(紫外線)はかなりきつく、日本に比べれば朽ちてしまうのが早いと思いました。
そのためレンガ造りだったり、クメール様式のように石造にしたりするのかもしれません。

と言うわけで、未だ、ランパンはタイ北部で緯度も高いので、多少は日差しが和らぐのでしょう。
だからこそ、木造寺院が残されたのだと、勝手に判断する道産子社長が、そこにいるのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:こちらのお寺も、木造としてはなかなか秀逸でした。

 ※ワット・ポン・サヌック・ヌア

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