名残は惜しいのですが、今日の午後、成田に向けて移動します。
途中の経由地ですから、本国に帰参するのがまず大事なのです。
あの東北大震災で、家の中がどうなったか確かめに行かねばなりません。
横浜でも地盤の良い場所ですから、揺れもひどくはなかったと聞いています。
でも、心配なことは心配なのです。
だから、ようやく自宅に戻れると言うことで安心しています。
それで、台北とその周辺で撮り溜めした、面白い写真を紹介してみます。
説明を付け加えながら、自分なりに思い出を残しておくことにいたしましょう。
☆大震災を支援してくれた人々に感謝!!
台湾は野球の盛んな国でして、日本の選手や監督も多数活躍しています。
何気なくホテルでテレビを見ていましたら中継が流されておりました。
この画面なんですが、”頑張れ!日本”と広告が打たれていました。
きっと、東北大震災で被災された皆さんを励ましてのことだろうと思いました。
球場のバックネットは、番組の画面的には、もっとも多くの時間が割かれています。
だから、バックネットの広告宣伝効果も飛びぬけて高い。
そんな場所に日本語で応援を、そして、中国語で”加油!日本”と歌われていました。
どちらも意味は同じですが、温かい支援には感謝の念を覚えました。
台湾では、義捐金がすでに百億円も集まったそうです。
外国なのに同じように支援してくれる人々をありがたく思いました。
☆三代にわたって乗る竹製四輪車
台北から北東にある九份の町で見かけた乳母車です。
竹製と言うのが、アジアのエスニックな印象です。
上さんが、このおじいさんに話してかけて見ました。
なんでも、この車に初めて乗った人は、年齢で七十を越えているのだとか。
車輪だけは一度、交換したそうですが、それ以外はオリジナルだそうです。
なんとも雰囲気のある手押し車でしたので、断って撮らせていただきました。
九份の町は、メインの商店街から外れると、のんびりとした生活に浸れるのです。
そんな雰囲気を楽しむのも、この土地柄の観光です。
☆小麦の製粉屋が食堂を開いただけのことなんだよ!
鼎泰豊(ディンタイフォン)といえば、いわずと知れた点心のレストランで有名です。
それで、この本店の近くに親戚が住んでおります。
かなりご高齢なので、台北の町は良くご存知でして、この店が話題になりました。
先ず、タイトルの通り、昔は製粉業を営んでいたのだそうです。
その内に、副業と言うか食堂を始めて、小籠包(ショーロンポウ)を出し始めた。
その味がおいしいので評判になり、製粉屋はたたんで食堂一本の仕事に入ったと聞きました。
今回、近所の台湾料理のレストランへ行った帰りに通ったのですが、驚きました。
マスコットができていたんですね。
店舗も改装されてきれいになっていたし、従業員のユニフォームも格好よくなった。
あまりにもモダンな印象で、驚きました。
あの、ちょっとごちゃごちゃした昔日の面影はありません。
ですので、高級感が増してしまった以上、特にこだわって行く必要はないのかもしれません。
であれば、近くにある上海料理の「高記」でも上海点心の小籠包が楽しめます。
ちょっと天邪鬼気分になった、今の鼎泰豊なのでした。
☆野柳地質公園は、月世界の雰囲気
この公園は、観光地の九份からさほど距離がありませんでした。
伊豆で言うところの真鶴岬のように、岬が突き出している地形です。
先端まで歩いていけますが、其の途中途中に不思議な光景が広がっています。
海岸侵食で、岩が浪に洗われた結果、さまざまな造形を作り出していました。
特に有名なのが、女性の頭部に見立てられる岩です。
みんな、記念写真を撮りたくて、列を作って並んでいました。
このため、公園内にはレプリカまでおかれている始末です。
とりそびれた観光客のために、わざわざ置かれたもののようです。
この写真は、反対側から撮りました。
裏からとっても女性と思しき感じですので、問題ないでしょう。
できれば、半日かけて周ってみるのも悪くない景勝地でした。
と言うわけで、これから日本に帰ります。日本に帰ったら、桜が未だ咲いているのでしょうか。そんなことを希望しながら、鎌倉八幡宮に行って、今年もお札をもらってこようと思案している道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
0 件のコメント:
コメントを投稿