2011年4月30日土曜日

日本国恥辱劇:ペコペコ謝る総理大臣の巻き


空き缶:
 国としても全力を挙げますので、
 あのー、それが一番だと思っています。
 本当に大変でしょうが、
 (声に張りの無い感じで)

被災者1:
 どうぞよろしくお願いします。
 わざわざ来ていただいて、ありがとうございます。
 よろしくお願いします。
 (ちょと、やらせぎみの強さで)

アナウンサー:
 今日午後、福島県田村市の避難所を奸総理が訪問。
 ところが、
 (冷静を装うように、慇懃無礼な感じで)

被災者2:
 もう帰るんですかー。 
 (ちょっと間をおいて)
 もう帰られるんですか。

アナウンサー:
 この声に戻って来た奸総理。
 しかし、住民の怒りは治まりません。

被災者2:
 そういう無視されたら、俺達、どうするんですか。
 (怒りの治まらない様子で)

被災者3(女性):
 すごく傷つきました。
 (抗議の気持ちを持って)

空き缶:
 すみません、あのー、知らなかったものですから。
 (ちょっと驚きを隠せない様子だが、儀礼的に)

被災者2:
 知らなかったって、俺らここで待ってましたよ、総理。
 (強い口調は変えずに)

被災者3(女性): 
 総理が来るって言うから待ってんのに、
 ここ、通り過ぎられていったら、
 どんな気持ちだか分かりますか。
 (抗議の気持ちを高めて)

空き缶:
 いや、ほんとにごめんなさい。
 そんなつもりで、あのー、
 通り過ぎるつもりは無かったんですよ。
 すみません。
 (ぼそぼそ、しょうがないような感情で)

被災者3(女性):
 信用できるものもなかなか出来ないですよね。
 (はきすてるような言い方で)

アナウンサー:
 総理は、涙ぐむ母親に、
 ”全力を尽くしてやっている”という言葉を
 繰返すしか、ありませんでした。
 (冷徹に感情を交えず、見下したように)

と言うわけで、皆さん声を出して、感情を込めて演技してみてください。
空き缶のふがいなさにあきれ果ててきますよ。
この葛尾村は、日山という名山があるのですが、この山にも登れ無くなってしまいました。これから、山頂は山ツツジの花が満開を迎えて真っ赤に染まるのだそうですが、何とも残念な思いの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月29日金曜日

負け組み上がりだから貧乏性は治りませんの巻き


ビジネス用のカバンが壊れそうです。
手に持つ柄の部分が、千切れそうになっていました。
これまで、十年近く使ってきたので愛着があります。

通勤でも出張でも欠かさず持って歩いてきたのですよ。
なるべくなら、修理してでも使い続けたい。
日本にいた頃、一ヶ月以上掛けて探したカバンです。

何も変哲の無い品物ですが、自分なりに機能性を判断しました。
既に十年近くの年月が経ちましたが、意外にくたびれていない。
でも、柄が壊れてしまえば使い物にはなりません。

それで、一時帰国したときに代わりのカバンを探してみました。
あれやこれや見たのですが、今一、しっくり来ません。
これなら、タイでも程度の良いパチモンがあるかもしれない。

そう思って、今回は強いて買い物するのをあきらめました。
ならば、修理して当座を使い続けることにしよう。
テープをグルグル巻いて補強したらどうだろうか。

そんな貧乏性の発想が涌いてまいりました。
何せ、買った頃、四十台の半ばで年収六百万ちょっとでした。
正に人生負け組みのしがない管理職だったのですよ。

そういう人が、二万円近くも豪勢にカバンに奮発した分けです。
愛着より、ケチな根性の一心で使い続けたくなって来る。
駐在になって手当てを貰うようになっても、悲しい性根は変わらないのでした。

それで、グーグルで補修の材料を探してみます。
先ずはテープなんですが、自己融着テープと言うのを探し出しました。
何でも、テープ通しが貼り付き合う性質を持っているようです。

巻きつけると、重ね合わさった部分が自然に接着してくれます。
しかも、時間が経てば経つほど互いに密着しあうのです。
糊の付いたならテープならはがれやすいのですが、そんなことも無い。

まさに、粘着気質のストーカーみたいな材料です。
とにかく、日本で買い出してきました。
一時間も掛けて歩いたDIYの店で見つけられたから、満足です。
 

と言うわけで、巻きつけて見た結果、修理はバッチリでした。
これなら、当分の間は使い続けられそうです。
その内、バンコクで代わりの品でも、ゆっくり見つけようと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
カバンのブランドは”WENGER”でして、カバンのAceが販売しています。
ネットで検索できますので、追々、新しいのを探してみることにします。

2011年4月28日木曜日

犯罪は国境を越えて、どこまでも連鎖し続けるの巻き

※バンコクポスト紙(4/28付け)

タイはチェンライで、タダシ・コンドウという日本人が亡くなりました。
ツアーガイドに射殺されたと言うのですから、危険極まりない。
連れ立っていたヒロミチ・ナガノさんも銃撃を受けて重体のようです。

タイは、よく微笑みの国だとよく言われます。
だからと言って、安全とは限らないのです。
むしろ、外面如菩薩内面如夜叉の世界だと思ったほうが良いでしょう。

冒頭の写真は、犯人のアピチャット(41)だそうです。
結構、平然としておりまして、痛くも痒くも無いのが不気味です。
そして、左下の顔写真は犠牲となったコンドウさんでした。

※左クリックで拡大してご覧になれます。

でも、どうしてガイドが拳銃なんか所持して車の運転をしていたのでしょうか。
北部の山岳民族のガイドと言っても、普段は持ち歩いて仕事をしないはずです。
それほど、治安が悪いと言うことはないし、この地域には道路の検問もあります。

だから、第一報を聞いたとき、異様さを感じました。

こちらでは、拳銃が比較的自由に所持できますが、庶民は持てないのです。
拳銃は、一般庶民が気軽に買えるほどの値段ではありません。
かなり高価ですし、届出制に加え不法所持は罰金刑です。

だから、市井に暮らす庶民は、誰も銃を持とうなんて、これっぽちも思いません。

だとしたら、このガイドは何か特殊な役割を請け負っていたのかもしれません。
その後のニュースでは、被害者が先に銃を抜いたと発表されました。
だから、対抗上、ドンパチにならざるを得なかったのでしょう。

でも、このガイドは、遺体の側に残された遺留品に全く手をつけていません。
つまり、ありきたりの物盗りでは無いような感じなのです。
コンドウさんも重態のナガノさんも、併せて二万ドルの現金を持っていたのですよ。
一人当たりのGDPだって、タイは日本に比べて十分の一で、未だ貧しい。

普通なら、金に目がくらんだ犯罪を引き起こしたと考えるのが妥当でしょう。
何かが怪しい、殺しの動機はどうも別にある。
そう思っていた矢先、NHKのニュースが真相を教えてくれました。
どうも、このコンドウさんは、国際手配されていたようです。
しかも、元暴力団員とみられると、タイの警察当局が通報してきました。

ただですね、バンコクポスト紙を読んで、どうも腑に落ちません。
何で、銃撃戦になったのか、動機も書かれていないしつまびらかでない。
それに、係わり合いの人物として、突然、チェンライ在住の老人を取り上げている。

しかも、スコタイの邦人女性殺人事件の捜査を改めて行うことで、記事を締めくくっています。
この事件は、もう五年も前のことですが、未だ解決していません。
唐突に過去の事件を取り上げるなんて、今回の事件とどんな関連性があるのでしょうか。
いよいよ持って、分からなくなってきました。

それで、今回の登場人物を整理してみました。

先ず今回の事件の被害者は、タダシ・コンドウとヒロミチ・ナガノの二名で暴力団関係者です。
そして事件に関連性の有るご老人は、オガサワラ・ナリアキと言います。
一方、五年前に被害にあったのは、川島智子さんでした。
そして彼女と一緒だったと思われる重要参考人に、イトウ・マコトもおります。

さて、ここからグーグルで検索しまくってみました。


この人、冒頭のコンドウさんに似ていませんか。
国際詐欺で指名手配を受けているんですが、重要参考人の氏名でもあるんですね。
そして、五年前の事件でさっさと帰国したイトウ・マコトの顔写真も見つかりました。


同姓同名ってこともあるんでしょうが、川島さんのパスポートが盗まれています。
しかも、所持金三千バーツの現金は盗られなかった。
それで、こちらのイトウも行方が分かっていない。
これって、パスポートでも偽造してタイへ入国していたんじゃないでしょか。
その時、ひょっとしたら川島さんのものが使われたのかもしれない。

加えて、チェンライ在住の72歳のオガサワラさんも気になります。
それで探したんですが、ひょっとしたらと思う人物に当ってしまいました。
それは、オガサワラ・ナリミツさんと言います。


この方、日本のテレビドキュメンタリーで取材を受けて出演されておられました。
以前はチェンマイに住んでおられましたが、 今はカンボジアのプノペンです。
地雷を踏んで足を無くされた方のために、手こぎの車椅子を作っておられます。

既に組織とは縁もきっぱり切っていて、足を洗っておられるとのことでした。
ですが、名前が似すぎているし、チェンマイに住んでいたこともある。
変なことに巻き込まれていなければと、心配になってしまいました。

と言うわけで、調べてみると色々なことが分かって来るものです。タイにおいては、アンダーグラウンドの世界でもさまざまな日本人が活躍しているのかもしれません。自分も巻き込まれては大変だ、くわばらくわばらと思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
上さんによりますと、重要参考人:イトウマコトの写真も含めて、同一人物のように思われると話しています。皆さんは、どう思われるでしょうか。

2011年4月27日水曜日

どう見たって真っ黒くろすけ、小沢一郎尊師の巻き


まあ、小沢尊師は13階段を着実に上っているのだと思いました。

今日の公判では、水谷建設の元社長が噂の賄賂受け渡しをはっきり認めています。
元秘書大久保某が、工事受注の見返りに一億円を要求したのですよ。
そして、04年と翌年には、五千万円ずつ渡したんだそうです。

やっぱり、やってたってことですよ。

この画像は、グーグルの画像検索で拾ってきました。
単純に”小沢一郎”で入力すると見つかります。
一頃、ネットで良く使われていましたので覚えていました。

※左クリックで拡大してお読み下さい。

懐かしいと思いましたが、一年そこそこしか過ぎていないのが事実です。
小沢一郎さんは、とにかく政治資金に関してダーティーな噂が絶えません。
法の目をかいくぐり、利己的な蓄財に流用し励んできた印象がぬぐえないのです。

いつかは尻尾を出すだろう。
そうしたら、検察が黙っちゃいない。
お白洲の前で裁きを受けて、悪事が白日の下に晒される。

正に、一罰百戒の通りだったのですが、検察も以外に腑抜けでした。
東京地検特捜部は、立件できる目処が立たず、小沢幹事長を不起訴処分にしています。
ですが、検察審査会と言う、耳慣れない制度が役に立ちました。

とにかく、一般市民の異議申し立てが、今の公判までに至っているのです。
それで、小沢一郎さんが強制起訴にまでいたった経緯を、自分も改めて振り返ってみました。

グーグルで、”小沢一郎 不起訴”のような単語を入力して検索してみます。
かなり小沢一郎を擁護する投稿が、見受けられました。
陰謀論めいた論調で、電波を発しているような気がしないでもない。

片っ端から読んでみましたが、信じる者は救われているのでしょう。
今となっては、きじるし以外の何者でもない印象です。
そこで、検索結果について、昨年を時系列的に見てみました。

不起訴の昨年二月から、起訴相当と検察審査会が判断した十月までが面白い。

冤罪を主張して擁護するブロガーが多かった印象を受けるのです。
この間、「新潮45+」と言う月刊誌が、本人の出生に関わる疑問点も取り上げています。
要するに、本人が朝鮮の血を引いていると言うのです。
親類縁者が商戦信用組合から融資を受けている不可解さが、傍証として取り上げられています。

つまり、火の無いに所に煙は立たない式の論法でしょう。
なにゆえ、民主党が韓国に対して甘ちゃんの便宜を提供するのか。
親分がこうだから、類は友を呼ぶで、子分もご多分に漏れないのかも知れない。

とにかく、保守系の論客は攻撃の手を緩めることが無かったと言うことです。

そして、最近は執拗に擁護するブロガーも減り気味のようです。
これも、東北大震災の被害が甚大すぎて、小沢一郎レベルは枝葉末節なのかもしれません。
いや、旗色が悪くなったと見て、尻尾を巻いて大人しくしている雰囲気もあります。

何せ、地方統一選では、大量の隠れ民主党候補者が存在していました。
政治思想において、帰属する政党を偽る行為など、詐欺師の集団でありましょう。
このような破廉恥な政治家連中ですから、支持者いや信者も鳴りを潜めているはずです。

と言うわけで、公判は着実に進んで行くのです。政治資金規正法がザル法ならば、巧妙に違法な手口を使うのは、最初から読めているはずでしょう。目には目を、歯には歯をで、処罰も厳重すぎるぐらいにしてもらいたい。それが政治家に対する戒めなはずと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月26日火曜日

都留文科大学って、私的にはものすごい大学の巻き


上杉 隆と言う似非ジャーナリストがいます。
ものすごく胡散臭くて、礼儀をわきまえなさが出色の人種です。
この写真では、総理大臣をけなした色紙を持って、ひょっとこ顔で写りました。

まことに非礼千番の素行を見せていて、これはラジオ番組に出演したときのものらしい。
メディアには化石的なAMラジオにご登場したらしく、そのHPも残っていました。
他にも、テレビに出演して他のジャーナリストと一悶着を起こすわ、かなりの業界問題児です。


それで、この男、最終学歴が都留文科大学です。
山梨県河口湖近くにある小都市の公立大学なんですが、私は知っています。
なぜかと言うと、この大学、北海道の札幌でも受験できました。

つまり、地方試験を行っていたのです。
偏差値もそれほどでないし、いっちょ肝試しには良い学校でした。
もちろん、教員になるつもりも無く、最終的には遠慮させてもらいました。

ところで、ここの卒業生で有名人と言えばモッちゃんでした。
しかも、北海道限定で深夜放送ファンだけに限られる情報です。
それは、はるか三十数年前、STVラジオに出演していたディスクジョッキーなのでした。

確か番組は、”アタックヤング”だったと思います。
ご本名は、村上元昭さんと言うアナウンサーで、結構、声がキンキンしていました。
それで、自分が卒業生だと紹介していたので、今でも覚えていたわけです。

ですが、上杉隆だとイメージが悪い。
どうも、素行も人品も悪すぎです。
しかも、教員養成の大学とあっては、ここ出身の教師なら怪しい限りでしょう。

ところで、この大学に辺英浩(ピョン・ヨンホ)教授がいます。
一時期、インターネットでかなりの話題になった人で、知る人ぞ知る有名人です。
今となっては過去の人ですが、グーグルのキャッシュは覚えていました。


この情報は、載せて見ただけの話です。
文句があるなら、グーグルに言ってもらえばよいと思います。
それより、もっと驚いたのは、大学院の同級生でした。

なんと、民主党のぶってぶって姫の”姫井由美子”参議院議員です。
下半身的には似たような根性ですから、類は友を呼ぶのでありましょう。
それに、上杉某も五年間ハトポッポの秘書だったので、思想的に近似していそうです。

※ピョンさん、ご尊顔を拝見できて本望です。

先ず、私が子の親なら、絶対にここへ入学を勧めることは無いでしょう。
かなり危ない学び舎のような気がするのです。
地方だからと言って、純朴で安全とは言っていられなくなりました。

と言うわけで、幸いなことには、この上杉某が、今年限りでジャーナリスト活動を止めると言ってくれたことです。大学ひとつでも、こんなに変態的な赤いつながりがあるのですよ。調べて見て、思いもしなかった発見で驚く道産子社長なのでした。
(子の巻き、終わり)

2011年4月25日月曜日

ノーベル賞は無理でも、上場企業の社長はOKですの巻き


自分の卒業した大学は、北辺の地、小樽にあります。
とても小さな大学で、卒業生は未だに五六百人に過ぎません。
高校の延長みたいな学校でしたが、和気藹々としていたものでした。

一方、札幌には旧帝国大学を系譜に持つ北海道大学があります。
学生総数は一万八千人で、ちょっとした町の人口になります。
加えて、札幌農学校が前進ですから、有に一世紀半も歴史を持つ総合大学です。

正直言いまして、自分の母校は比較の対象になりません。
文科系の国立単科大学なのも異色ですが、規模には全くかないません。
キャンパスもどでかくて、札幌駅から北西の近辺にでんと構えております。

それで、この四月、札幌に帰省した時に訪れて見ました。
上さんが、ご当地名所のポプラ並木を拝見したいと言うのです。
自分は札幌っ子ですが、北大のキャンパスに入ったことすらありませんでした。

まあ、今は北海道を離れましたから、観光客気分の乗りです。
早速、すすきの界隈の投宿先から出発しました。
正味の時間としては、小一時間も歩いたでしょうか。

先ずは、キャンパスに到着して、構内をそぞろ歩きます。
その内に、冒頭の写真にある総合博物館に行き当たりました。
何でも、ノーベル化学賞を受賞した鈴木 章名誉教授の特別展が始まっています。

これは、面白そうです。
私の興味が先立ちまして、ポプラ並木を後回しにしました。
やっぱり、大学からノーベル賞受賞者を輩出するのは、名誉なのだと思いました。


この後、ポプラ並木へ回って見ましたけど、やっぱり北海道の春は遠かった。
やっと、水芭蕉が咲き出したぐらいです。
次回は、日本に帰参したら、墓参りに併せてもう一度訪ねようと思いました。


と言うわけで、日経新聞の記事で知ったのですが、大学の十年先輩に当たる方が、このたびダイキン工業の社長に就任されることになりました。ダイキンと言えば、業務用エアコンでは世界のトップメーカーですが、後輩としては頼もしく感じます。ノーベル賞の受賞者は無理でしょうけど、実業の世界であれば、最高を極めるのも可能と思った次第の道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
この特別展示会は、6月5日(日)まで開催されています。
北海道観光のついでに、寄られることをお薦めします。

2011年4月24日日曜日

「韓国人ってどんな人たち?」、その四の巻き

■ 韓国人の人物像

韓国人は、ハングルを制定した「世宗大王」と近代化をなし遂げた「朴正熙大統領」、コブク(亀)船を作った李舜臣将軍、そして独立運動家だった金九を尊敬し、彼らを模範として考える。
これらは、彼らの業績と教えが、21世紀の韓国の「指導者精神」に足りえると判断されるからである。
(朝鮮日報が1998年7月16日に実施した大韓民国50年特別展「ウリの物語」から)



と言うわけで、その一~四までを目を通して、どう思われたでしょうか。
分析すると、意外にシンプルなパターンによる行動様式なのかもしれません。
ネットを活用していますと、韓国のネチズンによる反日・嫌日の言動がことのほか目立ちます。

でも、実際に顔を突きつけて付き合えば、気心の知れる人も出てくるでしょう。
ただ、国内では在日の問題もあります。
ですので、近くて遠い国には違いないと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

「韓国人ってどんな人たち?」、その三の巻き

D. Intelligence: 清廉潔白とMy Way(儒教精神に基づく独自の道) 



◇ 豊かな創造力と多才な民族性
 ▰ 独創的、かつ科学的である実用的なハングル、世界初と言われる金属活字、 世界初の「測雨器」の発明、韓国陶磁器など。

◇ 士人(ソンビ)精神
 ▰ 士人は清廉潔白で独自性を大事にする。どんな場合でも「儒教」にのっとった品位を保ちつづける孤高の精神と、世俗に染められないで常に学問(朱子学)を大切にする人である。韓国人は、この「士人」を伝統的な「人間観」として捉えてきた。

◇ 高い教育熱と学歴中心の社会
 ▰ 「学ばなければ死あるのみ」「知は力なり」
 ▰ 師匠の影を踏まない: 先生が尊敬される社会
 ▰ 馬が生まれたら済州道に送り、人が生まれたらソウルに送る(学問をさせる)べし。


E. Community: ウリ(我々《 WE-NESS 》)



◇ 家族-人間関係中心の社会
 ▰ 韓国人は、「ウリ(=我々=「ウチ」の論理)」と感じる時には、簡単に自分の本音をさらけ出す。
 ▰  韓国の「ウリ」は家族、人間関係の中心だが、日本人は、集団または組織の活動が中心的である。
 ▰  韓国人の心理の中には、「ウリ」という特徴が非常に良く形態化されている。
 ▰ 韓国人は、「私は誰なのか」より、「私がどのウリに属するのか」によって、自らの安定感や社会的な身分と役割の期待が異なってくる。
 ▰  話す相手がウリに含まれなくても、私の母、私の家、私の学校ではなく、ウリのお母さん、ウリの家、ウリの学校と日常生活で話す。

◇ 仲間同士の文化
 ▰  仲間形成は自分、家族、血族、親族、地縁、学縁、知り合い、一般生活で知り合った人の順番へと広がる。 同じ人でもウリの仲間であれば良し、他人であれば悪し。

(この巻き、終わり)

「韓国人ってどんな人たち?」、その二の巻き

A. Bubble: 韓国社会の意識イメージ(バブル)


◇  「東方礼儀の国」
 ▰ 韓国人は朱子学における儒教の影響で長幼の序を重んじ、儒教における「道徳規範」にしたがって、幼は長に謙譲する。「忠」、「孝」、「礼」、「義」、「信」の価値を強調。

◇  「情」
 ▰ 「捨てる神あれば拾う神あり」、「会えば会うほど情は深まる」、「やさしい情、あきられた情」
 ▰ 日本人の人間関係を「義理」と「甘え」で定義するなら、韓国人の場合、人間関係の親密さは「情」の強弱で表現される。
人情とヒューマニズムの人間中心主義という思考の反面に、公の利益や客観性と私的な感情とを混同させかねない面もある。

◇  「恨(ハン)」
 ▰ 欧米人は、制度とパワーに順応的であるが、韓国人は貧しさと不平等などを現実として受け入れながら、心の奥に「恨(ハン)」を育む。 
 ▰ 民族的情緒ともいわれる恨を芸術的に浄化させた代表的な歌謡作品として「アリラン」と「ハン五百年」がある。

◇  「メンツ」
 ▰ 「両班(貴族)は溺れても、犬かきはしない」、「水を飲んでも楊枝」
 ▰ 韓国人は「大義名分」、「形式主義」、「メンツ」を重要視する。これは当為性と名分を強調する儒教の倫理観と深くかかわりをもっている。

◇  「おまけ」
 ▰ 韓国人は取引きの際、買い手は品物のほかに平然とおまけを期待し、売り手もおまけをあげる。


C. Speed: 「パリパリ=早く早く」


◇ 「ポット気質」
▰ 一時、朝鮮半島をすっぽり覆った「ベンチャー熱」、これは韓国人の瞬間急騰、瞬間冷却という性格をよく表している(熱しやすく冷めやすい)。
▰ キャンディーをなめないで噛んで食べてしまう子ども。青信号を待てないで、停止線からはみ出す自動車。最初は行きたくないと怠けていた配達員も、いざ出発したら風のように仕事を済ませて帰ってくる。

◇ 「結果オーライ」 ▰ 「過程」は無視、「素早い結果」が大事。
▰ 「田舎の麦畑には必ず近道がある」という諺は、結果重視の意識の産物だ。

◇ 「爆弾酒(ビール+焼酒)」
▰ 「早く飲んで早く酔いましょう」--酔うために飲む。「燃焼効率」が大事だ。
▰ 韓国人の時間単位でのアルコール摂取濃度は、世界のどの民族にも負けない。

◇ 「手抜き、事故」
▰ 「適当に」と「早く早く」の気質から来る結果が、「手抜き」「事故」だ。
▰ 現在、韓国社会では、過程の重要性と原則の尊重が強調されている。

(この巻き、終わり)

「韓国人ってどんな人たち?」、その一の巻き


もう、五六年も前のことで、日本で仕事をしていたときの話です。

こんなタイトルの資料が、韓国から送られてきました。
親会社は、韓国に独資の現地法人を経営しております。
あの頃は、日本人の社長が駐在しておりました。

今でこそ、現地に経営を委ねましたが、当時はそのような環境でした。
多分、歴代の日本人社長は、赴任して苦労したのだろうと思います。
事細かに、韓国人の性格を分析しアドバイスしている資料でした。

もっとも、海外事業に関っている部署です。
現地の社長は、参考までに送ってくれたのでしょう。
将来、この部署から社長が派遣されるとも限らなかったからです。

それで、この資料をタイで発見してしまいました。
日本から持ち込んだラップトップに保存されていたのです。
偶然のことですが、駐在になって読み返すとなかなかに興味深い。

国が違えば、こんなに思考方法が異なると言うことでしょう。
しかも、日本、韓国、タイを比べると、歴然と違いが分かります。
でも、お付き合いするならタイですよ、仕事がしやすいもん。

と言うわけで、これから資料を順に追って紹介してみることにします。
驚きの韓国ワールドをお楽しみ下さい。

韓国人ってどんな人たち? - 民族的自我

A. Bubble: 韓国社会の意識イメージ(バブル)


◇ 「適当に」
▰ 韓国人の「適当主義」は「韓国病」として、病根の深さが取り上げられたこともあるほど社会的な問題である。韓国社会のあらゆる分野において落し穴(聖水大橋と三豊百貨店の崩壊などの事件例)の要因として底流し、改善キャンペーンも行われた。

◇ 「タダのもの好き」
▰ 韓国人はとにかくタダが好き。人気となったテレビコマーシャルにも、「私はタダが好き」というセリフが挿入されたこともある。
▰ 「タダのものなら、汚水でものむ」、「タダよりこわいものはない」◇ 「コリアンタイム」
▰ 相手を10分くらい待たせるのは当たり前、そのかわり30分くらいは自分も待つ。

◇ 「背伸び」
▰ 韓国人は一般に「特別席(地位、タイトル)」が好き。小学校の班長、中学校、高校の「規律部長」、大学の学生会長、社会に出たら同窓会の会長など、人が2人以上集えば「長」ができ、なりたがる。これは「人にうらやましがられたい」、「優越感を感じたい」という劣等感の裏返しでもある。
▰ 「龍の尾より巳の頭」(鶏頭となるも牛後となるなかれ)◇ 「目端がきく」
▰  お互いの顔色をうかがうことは韓国の典型的な間接的コミュニケーションの方法である。間接的に自分の意志を示し、対人関係においても重要な意思疎通方法のひとつになる。
▰ 相手の気配をみてしらを切る。「鳥を食べたのにアヒルの足をつきだす」(知らぬふりする)◇ 韓国式建て前(儀礼性)
▰ 韓国人は食事の時間帯に他人の家を尋ねたら、普通「もう食事を済ませた」と本当のことを言わない。一方で相手もこの言葉は、額面通り受け取らない。相手に対する気配りでもあるが、相反する心理の二重性からくる慣行ともいえる。
 
(この巻き、終わり)

2011年4月23日土曜日

デジカメを買い換えてみたの巻き


デジカメを新調しました。
前から使っていたカメラは、ラオス出張でオシャカになりました。
朝食時、誤って味噌汁漬けにしたのは、お恥ずかしい限りです。

それで、日本へ一時帰国した時に、探して見ました。

一万円以内で、前のカメラの充電池が流用したいのです。
それに、なるべくワイドに撮影できるのなら、ありがたい。
仕事柄、施設の全景なんかを撮影しますので、ワイドが重宝します。

画素なんか、あまり気にしません。
今時のカメラは、みんな一千万画素以上ですから十分すぎます。
後は、夜景や暗い室内の撮影がきれにできたら、なおさらOKです。

結局、帰省先の札幌で見つけたのが、冒頭のカメラになりました。
オモチャみたいですが、千四百万画素の高解像度です。
手ブレ防止だし、ワイド画面から四倍ズームになります。


それで、レンズの焦点距離が、4.9~19.6mmと書かれていました。
ところが、どれぐらいの範囲まで撮影できるか分からない。
自分の人生では、カメラといえば知識は、フィルムが中心でした。

まあ、それだけ小父さん領域に入ってますので、致し方ない。
とにかく、フィルムカメラの焦点距離が判断に必要と言う分けです。
幸い、換算して27~110mmと説明がありましたので理解できました。

これって、広角~望遠の撮影が可能でかなり高機能です。
とても、一万円を切る値段で買えるとは思えません。
でも、お値打ちな8,880円の在庫処分なのでした。

しかも、本体の前面がブロックを使って自分なりにデザインできるのです。
自分の買ったのモデルは、サファリ仕様でした。
ブロックでライオンを組み立てて、取り付けることも可能です。

遊び感覚がちょっと行き過ぎの感がしないでもありません。
でも、自分なりにデコレーションのできる面白さメラです。
自分としては実用を重んじたので、説明書の迷彩柄にしてみました。

※すすきの夜景。
※バンコクのワットポー
(涅槃寺)

と言うわけで、使ってみて、夜景も室内の暗い照明も難なくこなせる便利なカメラだと言うのが分かりました。中学生の頃、ペンタックスの一眼レフカメラSPFにあこがれたものですが、その機能が今となっては一万円もしないのです。技術革新の凄さには驚く、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月22日金曜日

ラオスの話いろいろの巻き

首都ビエンチャンに行く時は、たいてい一泊の出張です。
これまでは、あわただしい日程が多くて、点と線の移動でした。
ですので、今月三日の出張は時間を作ってみました。

何せ、休日を削って日曜日の出発です。
午後に到着しても、所要があるまで、時間はあります。
ですので、街中をプラプラ歩き回りました。


泊まった先は、チャンターゲストハウスです。
ダウンタウンですからぶらつくには格好の場所でした。
それで、ショッピングモールのあるところまで探索に出かけました。

途中には、シサケット寺院があって訪ねてみました。
20バーツの拝観料で中に入ります。
そこで気がついたのは、タイと建築様式の違いでした。


これは、北部のタイでも見受けられます。
でも、バンコクにはないものです。
そんな印象で見学させてもらいました。


ここからは、凱旋門の一本通りを歩きました。
ショッピングモールは、寺から歩いて5分くらいです。
ここは何度も訪ねています。


もちろん、お目当ては、今回もCDやVCDの卸屋さんです。
正規品に加えて海賊版の宝庫なので、探しがいがあります。
今回は、往年のマリーワンを探したのですが見つかりませんでした。
もっとも、フィリピン系タイ人の歌手でポップスが得意です。
ですので、地元の嗜好に合わないのかも知れません。


ワッフル屋さんが結構多いです。
さすが、旧仏領植民地の伝統なのか洒落ております。
しかも、日本語でPRしているのがすごい。
クールなって言う表現が分かりませんが、格好良いぐらいのものでしょう。


ラオスに来るたび、楽しみなのがビールです。
ラオビールは、のど越しが軽くて飲みやすい。
すっきりした味わいなので、ぐびぐび飲んでしまえます。

一方、タイガービールの看板をレストランで見かけました。
モデルさんは、日本女性を思い出させてくれます。
なかなかの美人ですが、黒いハイヒールの靴が気になってしまう。
強い色なので、ブルーの衣装とバランスが今一でしょう。


と言うわけで、ショッピングモールの中では、大抽選会のイベントも行われていましてにぎやかでした。ラオスは、のんびりとしていますが、着実に経済成長しています。そんな印象をはっきりと受け止めた道産子社長なのでした。

(この巻き、終わり)

2011年4月21日木曜日

まいんはまいんでもミャンマー出身が好みの巻き


今、タイに来ている有名なブロガーさんがおります。

その名もネットゲリラさんといいます。
この人、過去の経歴がとても興味を引きます。
エロ写真家、ポルノ小説家だったと公言していて怪しい。


しかも、ロリコン道にも年季が入っているようでした。
冒頭の写真にあるまいんちゃんなんか、一時期かなり入れ込んでいます。
多分、この手の趣向は、かつての生業だった領域から発しているはずです。

ところで、このまいんちゃんですが、ミャンマーにもおるのです。
ネットゲリラさんは、タイのことばかりでつまらなくなりました。
時代は、インドシナ全体で見る必要があるのですよ。


と言うわけで、その名もヤダナー・マインちゃんです。ミャンマーでは、結構、人気のある歌手・女優さんらしいのですが、野暮ったさはこの際抜きにします。たぬき顔の可愛い日本風アイドルと言うことで、道産子社長の一押しにしておきたいと思ったのでした。

(この巻き、終わり)

2011年4月20日水曜日

中国製は値段が半分なんだってさの巻き

今日、ミャンマーから重要なお客様が当社を訪ねてこられました。
いつものことですが、アポの連絡はほとんどが前日です。
突然、現れては、さっと軽く工場見学をして立ち去ってしまう。
とても、面白く感じるのですが、それがミャンマー風の流儀なのかもしれない。

そんな風に思いました。

ですが、この工場見学を兼ねた来訪は、非常に重要です。
なぜなら、製品を購入するに当たっての下見に他ならないからです。
今回も、14台口の見積もりをすでに出しています。

交渉では、中国製の価格を紹介されて、値引きを強く要求されました。
値段が半分だって言われても、赤字になってまで売る気はありません。
誠意を見せて少しはディスカウントしましたが、なかなか大変です。

このお客さんですが、企業の規模がかなり大きそうです。
金融、建設、鉱山、観光、貿易など関連企業を数多く抱えていると説明を受けました。
何でもミャンマー国内でも、五本の指に入るのだそうです。

そんなお客さんですが、これまで中国製の機械を使って来ました。
どうも、業務提携先の関係で購入していたらしい。
ところが、細かい故障が頻発するわ、通信機能にトラブルを抱えるわで、嫌気が差したようです。

つまり、品質に優れ耐久性の高い製品が、どうしても欲しくなったのですよ。
値が張っても良いものは良いと、決心がついたのではないでしょうか。
何と言っても、メンテさえよければ二十年はお使いいただける製品です。

と言うわけで、訪ねたこられた方は、お父さんがヤンゴン市長に就任したばかりだと、お聞きしました。よりによって、VIP絡みの方が来れられて恐縮する次第ですが、絶対に名刺交換に応じてくれません。なんだかんだ言ってかわされるのですが、商売は利権がらみですから、それもありと心得た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月19日火曜日

豚汁こさえて、納豆食っての巻き

上さんは、台湾に残ったままです。
友達と会うのだと言って、用事をこさえておりました。
ですので、今週の金曜日まではチョンガー生活です。


一人で家に帰ってきますと、誰も居ない。
居候のぬいぐるみ二匹が出迎えてくれるだけです。
ただいまと声を出しても、返答の無いものは詰まらんものです。

着替えをしながら、さてにどんな食事にしようかと考え出します。
つまり、夕飯が悩みの種な分けです。
こう言う時、上さんの何時も用意する晩ご飯に感謝したくなります。

外食するのも面倒くさい。
こうなりゃ、何か自分で食い物をこさえるしかない。
先ずは、近所の日本人向けスーパーへ買い出しに行きました。

とりあえず、豚汁にでもしましょう。
豚バラ肉、じゃがいも、豆腐、きのこ、玉ねぎの食材を買いました。
それに納豆が食べたくなりました。

現地製は、タレ付き二個パックで25バーツです。
量も少し小ぶりですが、68円ならそう高いものでもありません。
それに、ご飯一パックを10バーツ、27円で買いました。

まあ、お安く食事ができると言うことです。
他にも、うま煮のお惣菜を40バーツで買って、もう一品のおかずにします。
これに、デザート用にリンゴ二個も25バーツで買いました。

さて、家に帰って豚汁を調理し始めます。
これは、誰が作っても失敗することはありません。
適当に具を切り刻んだら、お湯を張った鍋に入れます。

煮込みながら、表面に浮いてくるアクをお玉で掬い取ります。
適当な頃を見計らって、ミソを溶かし込んで味をつくります。
ゆっくり、ふつふつと煮込む感じで具に味を行き渡らせます。

これで、出来上がりました。

と言うわけで、南国タイでふうふう言いながら食べる豚汁は最高でした。お椀二杯をいただいても、鍋にはまだ半分以上が残っています。明日になれば、味がしっくり具に馴染んで、もっとおいしくいただけるはずです。そんなチョンガー料理に満足した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月18日月曜日

人の流れが極端に落ち込んでいないだろうかの巻き

台北桃園国際空港にて

成田からチャイナエアラインの台北行き18便に搭乗しました。
驚いたのは小型の機材に変更されていたことです。
通常なら、エアバスのA330-330機が使われています。

これは、国際線のフライトならおなじみの機体でしょう。
ところが、今日はボーイングの737-800になっていました。
つまり、300人乗りから四割ほど搭乗客が減ったことになります。

何だか、国内線のフライトに乗った気分になりました。
この737ですが、スカイマークが羽田~千歳間に使用しています。
ですので、帰国で墓参りの里帰りをするたびに乗っていました。

それほど、搭乗客が落ち込んでしまった言うことでしょうか。
やっぱり、東日本大震災の影響があるのです。
もっとも、地震災害だけなら一過性のものだと思いました。

一ヶ月も経てば、ヒトもモノも流れは回復してくるはずです。
ですが、今回は福島原発の原子炉事故が伴いました。
これほど、災いな事故はありません。

放射能汚染の風評被害が、人々の往来を著しく阻害してしまった。
しかも、放射能は人体への影響が無くなるまで時間がかかる。
ひょっとしたら地震直前の成田空港の賑わいに戻るまで、数年が必要かもしれません。

と言うわけで、本当は、四月なら外国人客が、多数日本を訪れていたはずです。各地で、桜の花見が楽しめますから、行楽にはうってつけでした。気分的な自粛で、世界中の人々が訪れなくなり、日本経済が窒息してしまわないだろうか。そんな心配を抱いた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
台北から乗換えてCI0835便の中型機でバンコクを目指すところです。
どうやら、ほぼ満席のようで搭乗直前の待合は、ごった返しています。
やはり、風評被害は甚大な印象を強く受けました。

大震災の影響で孫受け会社が倒産したの巻き


週刊新潮4月21号を読んで驚きました。
そうか、大震災の影響は自分たちの仕事まで及んでいる。
波紋は、ひたひたとじわじわと迫ってきている感じです。

記事の見出しが振るっていました。

”会社の業績「真っ逆さま」」でどこから潰れていくのか”
その名も花島電気産業さんといいます。
この3月28日に自己破産を申請したそうです。

※左クリックで拡大できます。

この会社との関係は、直接にはありませんが孫受けの会社です。
しかしながら、重要なバルブ開閉用コイルを製造してくれていました。
それが、部材の電線を卸す業者も被災して、材料が揃わない。

結局、工場は空けたものの、操業ができなかった。
まことに残念な結果になってしまいました。
それで、この基幹部品の納入が滞り始めています。

親会社の横浜工場から仕入れですが、約一ヶ月の納期遅れです。
これには、かなり困ってしまいました。
これから、受注ずみの五月生産分を、どうやって処理するか問題です。

と言うわけで、納期遅れの状況は、客先へていねいに説明するしかないでしょう。日本からの部品供給が正常に戻るのは何時になるのでしょうか。ちょっと気がかりな思いで日本を出国するに道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月15日金曜日

高校時代の軽音楽部で、先輩後輩の間柄の巻き

千歳空港で搭乗待ちになっております。
九時過ぎの夜間飛行ですから、帰宅は午前様でしょう。
火曜から今日まで札幌滞在でしたが、十二分に堪能しました。

今回は、大学時代の同窓生と飲んだり食べたりしました。
そして話しているうちに、高校の同窓生なのも分かってびっくりしました。
その学校は、札幌開成高校といいます。

超進学校の東京開成高校だったら尊敬されましょう。
私の卒業は、北辺の片田舎高校ですからありきたりです。
でも、同じ軽音楽部の所属でもあったので驚いてしまいました。


その名は、富岡荘みょうてんさんです。
08年日経おとなのバンド大賞を受けておられる、輝くおやじドラマーです。
私のほうは、同じ軽音楽部でベースをやっておりました。

三年歳が離れておりますので、高校時代はすれ違いです。
ですが、あの頃の見知っている先輩連中の話で盛り上がってしまいました。
ですが、今のバンドはメンバーが札幌を離れるので解散してしまうそうです。



と言うわけで、ちょっと、残念に思いながらも、もう一つのプログレバンドは続けられるそうです。
未だに、馬力があるなーと感動してしまいました。ですので、エールを送る気持ちで、記事を投稿させてもらう道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

中年のオジジ闖入者、歓待にどうもありがとう

※右がまんべ君、左は分からん。

まんべ君へ、

大通り公園で、予期せぬ接近遭遇ができて、大興奮してしまった、中年オジジの”ぐりぐりももんが”でござる。

今は、タイに住んでおってな、年に一度の墓参りに帰参したと言うわけなのじゃ。大学時代の同窓生にも出会えたし、その上、望外の喜びとしてゆるキャラの至宝、貴殿にも偶然面会を果たせたのは、祝着至極じゃ。まっこと、故郷は良いものじゃと思いを一層強くしたのでござる。

そこでじゃ。

この喜びをバンコクに住む道産子連中に伝えたい。いや、全世界で活躍する道産子のみなさんに、貴殿の人となりをお伝えしようではないか。
かくなるは、北海道庁とかけあって世界の北海道人会を訪ねる企画をおったてて貰えんものかのー。

タイ国北海道人会は、下記のホームページを訪ねてくだされ。左側に、ちゃんとオジジの顔も発見できますぞよ。


先ずは、お礼まで世界に羽ばたく”まんべ君”になることを、祈念しております。

ぐりぐりももんが拝


と言うわけで、本物のまんべ君に出会えたのでした。上の文章は礼状としてまんべ君ブログにコメントさせてもらったものです。ゆるキャラ界の将軍、ひこにゃんにも彦根城で出会って来たけど、故郷の北海道で、ご当地ゆるきゃらに、まさか出会うとは思ってもいなかった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月14日木曜日

僕のお気に入り、松本俊介に再会するの巻き

※宮城県立美術館のHPから借用

この絵は、宮城県立美術館の収蔵品です。

常設展示の目玉と言っていいでしょう。
夕闇の迫ってくる中、画家は期するところがあったのでしょう。
そこには、セピア色にくすむ背景の中で、直立不動で遠くを見据えようとしています。

実は、この絵を初めて見たとき、最近の作品と錯覚しました。
絵の描き方が、いかにも都会的で洗練されていたからです。
そして、この絵がすっかり気に入ってしまいました。

誰が描いた作品なのだろうか。
そんな興味が涌いて、展示の説明に目が向きました。

松本俊介
<< 画家の像 >>
1941年

なんと、描かれた時期は、1941年、戦争の始まる直前でした。
 もう既に、七十年近くが経過していますが、この絵の緊張感は失われていません。 
なんとすばらしい画家なのでしょうか。

確か、三十年ぐらい前のことです。

以来、道産子社長はすっかり松本俊介のファンになってしまいました。
ただ、この画家は戦後まもなく早世したため、作品数が限られています。
ですので、美術館で作品が展示されると、逃さずに鑑賞するようにしてきました。

それで、この火曜日に鶴岡八幡宮に参拝したときのことです。
毎年、日本に帰国したら、必ず出向いて来ました。
家内安全・商売繁盛を祈願して、お札をタイへ持ち帰ります。


おやっ、これは松本俊介の作品じゃないか。
思わず、掲示された看板に目が向きました。
確か、ここの境内には神奈川県立美術館の鎌倉館があります。

そして、看板には開館六十周年の作品展が案内されていました。
これは、ぜひに行かねばならん。
松本俊介の収蔵作品が待っている。

と言うわけで、タイへ駐在で赴任してから、これまでそんな余裕もありませんでした。今回は、一時帰国で休暇したのですから、自分の思うがままに鑑賞することにいたしましょう。そう思うと、上さんを誘いながら美術館へ足取りを変える道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月13日水曜日

グーグル様はお見通しでござったの巻き


札幌のホテルにチェックインしてくつろいでおります。
それで、インターネットを見ていたんですが、思わず爆笑してしまいました。
グーグル様は、巷間の判断と言うものを、シビアに分析し把握しております。

つまり、誰しもが”菅直人さんを有能”だと、間違って入力などしないのです。
このため、誤って入力したと判断して、即座に適切な候補を選び出してくれました。
その意味は、”菅 無能”です。

これは、言いえて妙でありましょう。
いや、そのものズバリですから否定のしようもない。
因みに、”菅直人 有能”と打っても、”無能”が推奨されます。

これは、実にギャグそのもので面白い。
ですが、被災地の人々にとっては、不愉快極まりないでしょう。
こんな人間が一国の宰相として国政を担うのですよ。

何時まで経っても復興の対策など画餅のままではないでしょうか。

と言うわけで、しばしくつろいだら大学時代の同級生と一杯飲みにすすきのの町へ繰り出すことにいたしましょう。なんでも、大震災もあってネオンの点灯が長らく自粛されていたらしい。幸い、昨日から復活したようですが、そんなちまちました精神論で国土の再興などありえないのだ。無能者の置き換えこそ特効薬だと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

デジカメ、味噌汁浸けになって昇天でござるの巻き

誤ってデジカメを汁椀の中に落としてしまいました。
あっと思った瞬間、後の祭りです。
味噌汁のワカメが貼りついてベトベトになってしまいました。

この不注意な出来事はラオスで起きました。
ゲストハウスで和食の朝ごはんが食べられたのです。
しかも二万キップ、200円くらいですから御の字でしょう。

目玉焼き、煮物、のり おひたし、味噌汁が出てきました。
これは面白いと思って撮影しようとしたのです。
カメラを取り上げると、上から見下ろすように構えようとしました。

その時です。
思わず手が滑ってしまい、カメラは自由落下運動に入りました。
その真下には味噌汁のお椀があったのでした。

バシャッと汁が飛び散ります。
気が動転しました。
店の日本人もあわててテーブル布巾を持ってきてくれます。

急いで、塗れたカメラを拭きました。
その後、スイッチを入れるとズームは動きました。
完全に死んだようではありません。

良かった、良かったとホット胸をなでおろしました。
それで、何とか朝飯を食べて、部屋に戻りました。
後は完全に撮影のできうる状態にあるかどうかです。

恐る恐るシャッターを押してみます。
あれっ、確認用の画面が真っ白けだ。
何度か押すうちに、ボヤッとした画面が浮かび上がってきました。

でも、それだけのことで画質は上向きませんでした。
そして、シャッターが下りてもピントのずれた写真しか取れなくなったのです。
デジカメ、昇天、なんまいだ~。


と言うわけで、デジカメは死んでしまい、この後、携帯電話のカメラで撮影の用を足しました。既に買ってから四年以上経ちましたので、買い替えの時かもしれません。ただ、リチームバッテリーが三パックも残っているので、代用できるデジカメを日本で必死に探す道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
お陀仏になったカメラはペンタックスのOptioM-30です。
バッテリーは、D-LI63といって、オリンパスでもかなり使われています。
型落ちでもいいし、中古でも良いから探しまくっております。

2011年4月12日火曜日

恐怖の放射能フライトだからご免でござるの巻き

これから桃園国際空港を離陸いたします。

フライトは中華航空のCI18便ですが、お客さんが続々と集まってきました。
フライトアテンダントが20名ぐらい乗り込んできます。
学童の遠足じゃあるまいし、列を作って乗り込むアテンダントに驚きです。

ただ、後ろに座っていた搭乗客が、ホノルル行きだと話していました。
きっと、五百人近くの搭乗客に対応するので、人手が要るのでしょう。
となれば、サービスが良いのだろうと期待しました。

さて、今回の帰国は、やっぱり放射能が不安です。
このために、ミネラルウオーターをスーツケースに忍び込ませました。
四本ですから二リットル以上になります。

ホテルのコンプリメントで毎日二本サービスしてくれたのがラッキーでした。

そんなかんだで、二時間半のフライトはあっという間でした。
成田空港に着陸したら、ぞろぞろ入国審査に向かいます。
ところが、列が分かれまして、ホノルル行きの人が大半でした。

入国審査のゲートもほとんど開いていません。
列に並ぶ人もわずか数人です。
地震の影響なのでしょうか、人の動きも滞っているのかもしれません。

と言うわけで、昨日の震度6の余震で、JRの列車が乱れていました。
それでも、横須賀線に無理やり乗り込みながら、何とか帰ってきたのです。
マンションに戻っても、電気・水道は止められたままです。
札幌へ旅立つまで、ちょっと我慢の自宅生活を覚悟する道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年4月11日月曜日

台湾を点描したらどうなるの巻き

あっという間に、台北の三泊も過ぎてしまいました。
名残は惜しいのですが、今日の午後、成田に向けて移動します。
途中の経由地ですから、本国に帰参するのがまず大事なのです。

あの東北大震災で、家の中がどうなったか確かめに行かねばなりません。
横浜でも地盤の良い場所ですから、揺れもひどくはなかったと聞いています。
でも、心配なことは心配なのです。
だから、ようやく自宅に戻れると言うことで安心しています。

それで、台北とその周辺で撮り溜めした、面白い写真を紹介してみます。
説明を付け加えながら、自分なりに思い出を残しておくことにいたしましょう。

☆大震災を支援してくれた人々に感謝!!


台湾は野球の盛んな国でして、日本の選手や監督も多数活躍しています。
何気なくホテルでテレビを見ていましたら中継が流されておりました。
この画面なんですが、”頑張れ!日本”と広告が打たれていました。
きっと、東北大震災で被災された皆さんを励ましてのことだろうと思いました。

球場のバックネットは、番組の画面的には、もっとも多くの時間が割かれています。
だから、バックネットの広告宣伝効果も飛びぬけて高い。
そんな場所に日本語で応援を、そして、中国語で”加油!日本”と歌われていました。

どちらも意味は同じですが、温かい支援には感謝の念を覚えました。
台湾では、義捐金がすでに百億円も集まったそうです。
外国なのに同じように支援してくれる人々をありがたく思いました。

☆三代にわたって乗る竹製四輪車


台北から北東にある九份の町で見かけた乳母車です。
竹製と言うのが、アジアのエスニックな印象です。
上さんが、このおじいさんに話してかけて見ました。

なんでも、この車に初めて乗った人は、年齢で七十を越えているのだとか。
車輪だけは一度、交換したそうですが、それ以外はオリジナルだそうです。
なんとも雰囲気のある手押し車でしたので、断って撮らせていただきました。

九份の町は、メインの商店街から外れると、のんびりとした生活に浸れるのです。
そんな雰囲気を楽しむのも、この土地柄の観光です。

☆小麦の製粉屋が食堂を開いただけのことなんだよ!


鼎泰豊(ディンタイフォン)といえば、いわずと知れた点心のレストランで有名です。
それで、この本店の近くに親戚が住んでおります。
かなりご高齢なので、台北の町は良くご存知でして、この店が話題になりました。

先ず、タイトルの通り、昔は製粉業を営んでいたのだそうです。
その内に、副業と言うか食堂を始めて、小籠包(ショーロンポウ)を出し始めた。
その味がおいしいので評判になり、製粉屋はたたんで食堂一本の仕事に入ったと聞きました。

今回、近所の台湾料理のレストランへ行った帰りに通ったのですが、驚きました。
マスコットができていたんですね。
店舗も改装されてきれいになっていたし、従業員のユニフォームも格好よくなった。 

あまりにもモダンな印象で、驚きました。
あの、ちょっとごちゃごちゃした昔日の面影はありません。
ですので、高級感が増してしまった以上、特にこだわって行く必要はないのかもしれません。 

であれば、近くにある上海料理の「高記」でも上海点心の小籠包が楽しめます。
ちょっと天邪鬼気分になった、今の鼎泰豊なのでした。

☆野柳地質公園は、月世界の雰囲気



この公園は、観光地の九份からさほど距離がありませんでした。
伊豆で言うところの真鶴岬のように、岬が突き出している地形です。
先端まで歩いていけますが、其の途中途中に不思議な光景が広がっています。
海岸侵食で、岩が浪に洗われた結果、さまざまな造形を作り出していました。 

特に有名なのが、女性の頭部に見立てられる岩です。
みんな、記念写真を撮りたくて、列を作って並んでいました。
このため、公園内にはレプリカまでおかれている始末です。
とりそびれた観光客のために、わざわざ置かれたもののようです。



この写真は、反対側から撮りました。
裏からとっても女性と思しき感じですので、問題ないでしょう。
できれば、半日かけて周ってみるのも悪くない景勝地でした。

と言うわけで、これから日本に帰ります。日本に帰ったら、桜が未だ咲いているのでしょうか。そんなことを希望しながら、鎌倉八幡宮に行って、今年もお札をもらってこようと思案している道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)