”KOKO”って、ご存知ですか。
バンコク在住の邦人なら、読んだことがあるでしょう。
無料で配られているミニコミ誌なのです。
フジスーパーなんかで配布されています。
ですから、駐在マダムが持ち帰るケースが多いはずです。
帰宅して、居間で手に取るご主人も多いのではないでしょうか。
この冊子ですが、日本人向けとしては二番手っぽい感じです。
大手は、DACO、Wise、自由タイランドとかが挙げられます。
発行部数も多いし、編集内容も豊富で力が入っています。
それに比べて、このKOKO何ですが、やや見劣りします。
タブロイド版の12ページ構成ですが、記事が少なめです。
特集の紙面が三ページもあれば、それ以外は広告になってしまう。
紙面のレイアウトや文章の段落構成、お世辞を言うのも難しい。
しかも、翻訳機で直訳したような日本語が、ぎくしゃくそのものです。
これは、言葉の反面教師なのかもしれない。
※かなりヤバイ日本語です。
自分だってビジネスでは英語を使いますが、正しいかどうかは分かりません。
母国語を話す人が聞いたり読んだりしたら、噴出すかもしれない。
そんな戒めを、改めて教えてくれる感じもしました。
でも、特集記事は、正気言って興味を引きます。
おかしな日本語だろうが、拾ってくるネタが値千金です。
知る人ぞ知る地元の情報が紹介されている気もします。
「スントーンプー(詩人日) Vol.276」
※学校で必ず習うほどの、タイの国民詩人を特集。
「リゲー Vol. 285」
※地元ではお祭りの定番と言われる大衆演劇を紹介
「華僑報徳善堂の活動 Vol.287」
※救急医療システムの活動を説明
この他、中秋節の月餅もこと細かく紹介してくれました。
最新号では、タイの楽しいことわざを紹介しています。
ハズレの号もあるにはありますが、他には無い独自さがピカイチです。
でもですね。
ちょっと、オーナーさんが紙面で一言、言ってしまいました
最近、KOKOの紙面で日本語が少し変だと言う言葉を頂きます。ウエブサイトを見ていると「タイのフリーペーパーについて語れ」があり、この件に関して散々けなされていたことは本当に遺憾と言えます。
弊社の発行しているKOKO誌は、現在タイ人スタッフを中心として編集されています。日本語フリーペーパーが、日本人の編集でなければいけないと言う規則も法律もありません。タイに居てタイ人と一緒に仕事をするのですから、日本に居るのと同じ文章でなければならにと言う贅沢は通じません。(冒頭部のみ、抜粋)
こんなこと、語らなくてもいいと思うんですよ。
何となく変な日本語とか、みんな分かっていました
それを補って、ネタで勝負していただければ、読者はハッピーなのです。
ネットの住人は匿名ですから、発言が過激になるだけです。
それに振り回されないほうがいいかもしれません。
ただ、広告のページだけは、広告主に配慮してください。
営業収入に影響しないとも限らないでしょうから。
と言うわけで、上さんも最新号を見かけると、しっかり持ち帰ってくれています。
このキッチュなレイアウトが、DTP創世記の時代を髣髴させたりくれたりして、懐かしい。
今後とも面白ネタで勝負してほしいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
4 件のコメント:
日本語は難しい。 特にポーランド人の友人に教えていたときに、『理由』が解からない。 日本語ほどTPOに応じた多様な使い回しがある言語はないですからね。
良く言えば、情緒的
悪く言えば、非合理的
日本語ってラテン語とか中国語、アラビア語の系列を組む言語と違って、『作られた』り『相手に建設的に理解させるため』と『議論をするため』の言語言語ではありませんからね。 どうも、その気分を表す言語でしょう。
もともと、文明との衝突がなかった東アジアの辺境の言語ですな。
しかし、体系的に教えようとおもうと難しい。 だから、日本語学びたい人々には真面目に勉強すると頭痛を起こすから、マンガやアニメなどを視聴したり、日常会話から慣れて行く方が覚えやすいと言いました。
日本語は難しいですね。その意味だって、時代と共に変わってきちゃう事があるし、年齢によっても理解の仕方が変わっちゃうし。
しまいには、常識非常識の物差しにまでなったりしますね。
それに、方言だって日本語なのに、東京言葉が日本語だよと言われると、『そんなことないしょや』なんて、思ったり。
オーナーさんの言葉に、応援したくなっちゃう道産子でした。
Oblige347さんへ、
日本語は、情緒的であると言うより文学的、物語りの言葉ではないでしょうか。
先ず、書き言葉の文字体系が複雑です。
漢字、平仮名、片仮名、ローマ字を組み合わせて複雑に表現します。
表現では、擬態語が存在します。これは、欧米の言葉にも中国に見当たりません。
そして、時制の文法が厳然と存在します。現在形、過去形、完了形、進行形、未来形です。
実は、中国語とタイ語には過去形・完了形がありません。
これは、私の邪推ですが、中国人が歴史を捏造するのは、時制の感覚が無くて意義と重要性を重んじないので、簡単にすり替えるのであろうと思いました。
こうして見ますと、日本語は実に実学に不向きな言葉です。
ですが、それを補って表現の豊かさが、日本人の感性と思考法を研ぎ澄ましてくれたのではないでしょうか。
そうでなければ、たった百数十年の間で、欧米列強を乗り越えて先進国に仲間入りすることなど、無理だと思うのです。
そこに、日本人と日本語の面白さと凄さがあります。そこに、日本人は未だ気が付いていないんですよ。残念に思います。
ぽぷらさんへ、
日本語は、思ったことを素直にていねいに書けばよいのです。
ただ、言葉に出して言う時に、こんな直裁でつっけんどんな表現は控えると思えば、文章にするのは差し控えた方が良いと思いました。
話し言葉は、一瞬聞くだけなので、深い理解が伴いません。文章は残りますので、後で熟考されて粗探しもされます。
一時期、わたしは企業の広報部で、ニュースリリースの原稿書きを担当していました。相手にプラスアルファの印象を持たせる書き方に苦労を重ねました。
ちょっとした表現が、相手の不興を買い、火に油を注ぎます。そんな風に思っています。
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