2011年10月31日月曜日

洪水の来る来る詐欺は、クルクルパーの巻き


今日、バンコクは快晴でした。
気持ちの実に良い日です。
雨季も過ぎ去り、待望の乾季が来ました。

なのにバンコクの洪水は、まだ終結していない。
大量の水が、北の平野部から首都になだれ込んで来ました。
その流路は、ドンムアン空港を飲み込んで南下中です。

しかし、そこには政府のこしらえた洪水対策本部があったのでした。
この本丸を意図も簡単に、天災に攻め取られてしまったのです。
なんとも情けなく、だらしないクソ政府ですよ。

しかも、日本政府による支援の物資を逃げ捨て遁走です。
これほどまでに、国際社会の信義を無視するとは呆れました。
無きに等しい危機管理とは、タイ政府の代名詞なのかも知れません。

まあ、工場は沈没させられて、逆上寸前な道産子社長です。
カッカしたとしても、憤りのやり場はないのですが怒りがこみ上がります。
ちょっと、外にでも出て頭を冷やすことにしました。

そう言えば、この地区の北側には運河が走っています。
ここから水があふれれば、危険といえば危険です。
はっきり言って、確実に浸水してしまうでしょう。

でも、アパートの基礎は路面から50cmあるし、七階に住んでいます。
水が来ようが溺れ死ぬことはないのですが、心配なのも事実です。
それではと言う分けで、運河をこの目で確かめてみることにしました。


結局、運河は平常通りの水位でして、水上ボートも運航していました。
渡船も営業中だったし、護岸通路ではネコも寝転んでいます。
しまいには、あのドブ川に子ども達がダイビングしているのでした。


と言うわけで、洪水騒ぎの昼下がりの中、センセーブ運河はごく普通の日常でした。そこから、冒頭の写真の終点まで水上ボートに乗りましたが、閑散としてはいるものの、ありきたりなのです。洪水がどこにあるのよって、来る来る詐欺を言う奴は、クルクルパーに違いないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月30日日曜日

洪水なんか三味線ロックで吹っ飛ばせの巻き


とうとう、工場が冠水してしまいました。
でも、明日があるさ。
こう言う時はロックでも聴いて、憂さをスカットと晴らしましょう。

そこで、ひょんなことから見つけた三味線ロックです。
いやー、津軽三味線はワイルドな音作りにピッタリです。
それでいて、結構、繊細なメロディーも弦に載せてくれます。
 
他のサイトでは、アイアンメイデンの曲を紹介していました。
ヘビメタなんですが、今一、人口に膾炙しない曲です。
なーんだと思ったのですが、興味があったのでようつべを訪ねました。
 
ありましたよーん。
貴方も僕も、みんなが知っている名曲です。
オンパレードでアップされていました。
 
 

と言うわけで、タイの中北部を襲った洪水は、徐々に南下を繰返して首都のバンコク市内に侵入してまいりました。自分の住むスクンビット地域は、まだまだ安全なようですが、この先どうなるかは分からないのです。洪水の進み方がじれったくて、精神的にまいって来るのは事実でして、こんな時は音楽でも聞くしかないと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月29日土曜日

へっぽこ社の洪水による避難について(ご報告)



海外営業部 XXXX常務殿

お世話になります。
工場周辺の水位が上昇がしたままで、昨夜より塀から洪水が構内へ流入するようになりました。
現在、工場・事務所とも膝が浸かる程度です。
このため、車高の高い四トントラック車で逃げられる限界と判断して、水害防災隊の撤収を実施いたしますので、ご了承下さい。

皆様には、これまで精神的にご支援をたまわりありがとうございました。
弊社従業員も、最大限に会社を守ると言う懸命な努力をしてきました。
今はもう、よくやってくれたと言う言葉だけを掛けてあげたいと思います。

なお、この地域の水没は、2メーター未満と想定しています。
工場の二階は、高さがその倍以上ありますので、警備員が常駐します。
貴重品ならびに工場周囲の警戒を目的に、警備会社の了承ずみです。

なお、同地区にある株主の新工場も同様な深さの浸水です。
社長のご自宅も、洪水が後三キロと迫っているそうで危険と説明を受けました。
水は、一ヶ月以上引かないのではないでしょうか。

年内は、平常業務の復旧と被災店舗の再開支援だけが、せいぜいでありましょう。
このため、発注いただいた分については、年内出荷は無理だと思います。
来年以降、上手く言っても一月末になりましょうか。

この件では、改めてご相談いたしたく、ご了承下さい。
宜しく、お願い申し上げます。
以  上

へっぽこ社:道産子社長

追伸:
小職の住まいするスクンビット地区は、今のところ安全です。
政府はこの地区を優遇すると言っておりました。
従業員が全国各地に避難した中、日本側も含め連絡役を果たしますので、ご理解下さい。

2011年10月28日金曜日

自分も不幸なら他人の不幸は蜜以上の味の巻き


ちょっと、不謹慎なお題かも知れません。
でも、勤務先の工場が冠水したのが落ち着きそうです。
裏手の運河なんですが、対岸の堤防が決壊しつつあるようです。

こうなると、運河の水はバンコク市側へも流れ込んでくれます。
サーイマイ地区と言いますが、急ごしらえの堤防が造成されました。
土のうをうず高く積んで、二キロにもわたる防衛線を築いたのです。

ただ、ここが決壊されれば、洪水対策本部までは簡単に水が押し寄せます。
場所は、ドンムアン空港ですが、その前に滑走路も冠水してしまいました。
おそらく、サーイマイ地区の土手も耐え切れ無くなったと思います。

バンコク市だって防衛する意味が無くなったのではないでしょうか。
そのため、決壊されれば浸水するに任せるでしょう。
運河の水はこうしてバンコク市内へ流れ込んでいくのです。

そうなると、当社の工場周辺は水が少しでも引くかも知れません。
いあや、このまま水位が増えてくれないことを祈ります。
何せ、工場周囲の塀まで、あと20センチしか残されていません。

と言うわけで、何が何でも首都バンコクを防衛するなど、エゴのかたまりだと思うようになりました。隣県のパトンタニは、ほぼ全域が洪水の被災地になっています。工場もそこに立地しているのですが、近隣の地区が経済的に立ち直るには、これから半年が必要でしょう。少しでも、洪水をバンコクに流して散らしてもらいたいと思うようになった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月27日木曜日

土のうの堤防は、誰がためにあるのかの巻き


会社の4トントラックが、堂々とやって来ました。
荷台を見ると、ラムルッカ地区の被災民と思われる人々を積載です。
見るに見かねたのか頼まれたのか、緊急の搬送でしょう。

今回は、手元不如意の資金を手渡すだけでした。
月曜日に五万バーツを渡したのに、今日が三千バーツで底を突きました。
なにせ排水ポンプを四基稼動中でして、燃料代がバカになりません。

経理部長もスラタニまで避難してしまいました。
バンコクから飛行機で一時間ですよ。
誰も手当てして上げられないので、自分がATMから下ろしてきました。

でも、近くのATM機って五百バーツしか出てこない。
しかも、一回で25枚しか引き出せないのです。
結局、12500バーツを四回繰返すことになりました。


こんな簡単な目的なのに、大型車でしか来られなくなったみたいです。
何しろ、水かさが腰当たりまで増えています。
工場の行き来に難渋する始末で、工場は何日保てるのか。

カウントダウンの開始かなー。
 
工場の洪水防災隊長とバンコク市の北端で出会いました。
場所は、サイマイ通りの給油所です。
とにかく、給油客でごった返していました。

彼は、もし、この地区の土のう積みの土手が壊せたらと言いました。
そうすれば、水位も下がり工場が助かると言うのです。
笑いながらでしたが、正直、本音だと思いました。

もちろん、そうなれば洪水は首都に流れ込んで行きます。
まあ、そんなことは政府が許さないでしょう。
でも、首都を防衛するために、隣県が犠牲にされたのは否めません。


と言うわけで、今回の洪水では、防災隊の宿直員はウイスキーソーダをかっくらいながら英気を養い、日夜、監視してくれています。”プロジェクトX”のテレビ番組見たいに、高潔な理想に燃えているはずもありません。ですが、きっと働き場所の居心地がよいからこそ、ここまでがんばってくれるのだと思って、黙認してしまう道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月26日水曜日

工場前の通りは川になりましたの巻き


船で通りを通行する住人が増えてきました。
いやはや、工場が何時まで安全なのか、神のみぞ知るところでしょう。
じたばたしても始まりません。
と言うわけで、写真で状況をご確認下さい。


車でボートをレンタルしてきたのでしょうか。
ワンちゃんを一緒に連れて避難する人も多いのです。
ホッとする光景です。


日傘を差しながら、発泡スチロールの戸板で非難です。
結構、浮力が高いみたいでボートの代わりに使っている人も多いようです。


ボートの無い人は、ひたすら漕いで歩きます。
表通りへ出れば、中央分離帯が高くなっているので避難できます。
泥水ですから汚いですよ。
実際に自分も工場へ入る時、漕いで歩き渡りました。


水位が上昇して、自家用車の通行はできなくなりました。
車高の高いトラック、バス、ピックアップだけが何とか走れます。
一方、レジャー用のバギーに乗っている人を見かけました。
ここは公道なんだけど、非常時なのでOKなのでしょう。


ゴミが流れ出してプカプカ浮き始めました。
完璧な汚水状態に変わりつつあります。
衛生状態の悪化が心配です。


ガソリンスタンドも閉じていました。
水が引いたら、すぐに再開出来るでしょうのか。
燃料がなければ、生活に支障を来たしてしまいます。

(この巻き、終わり)

2011年10月25日火曜日

洪水がついに来たかと言う感じの巻き


午前中、パタヤから何となく胸騒ぎを感じてバンコクに戻りました。
途中、バンナートラットのモーターウェイから左右に工業団地が流れます。
ウエルグロー、バンプリーを見ましたが、バンコク東部は大丈夫でしょう。

帰宅後、運転手さんを大至急呼んで、工場に向かいます。
工場からの電話では、表の道路が膝下まで冠水したみたいです。
しかも、運転手さんが気を利かして、車高の高い自家用車で来てくれました。

早速、乗り込みましたが、東環状道路はものすごい渋滞です。
通勤に使うルートから代えたのですが、抜け出すのに苦労しました。
途中、ラムルッカの通りは、まだら上に冠水が発生しています。


たどり着いた弊社の工場も、構内道路が10センチほど浸水していました。
道路から下水へ洪水が逆流した模様です。
大型ポンプを付け直して、昼夜兼行で排水中だと報告を受けました。

10名が宿直で待機しております。
工場より北側の水門が閉止されたので、運河の水位低下に期待しましょう。
ところで、帰宅したら、アパートが玄関前にブロックで敷居を作り出していました。


15年間、洪水を見たことがなかったと言っていたはずです。
上水道の水の色が黄ばんで来たし、臭い始めています。
スクンビット地区でも、ちょっと緊張感が出てきたのかもしれません。

と言うわけで、地元スタッフが洪水対策に奮闘してくれている以上、日本に避難するなど言語道断です。ボートが見当たらなければ、わざわざ、スラタニの支店が購入して運んできてくれました。こんなにも、従業員が機転を利かしてくれているのです。なんとしても、工場を水害から守り抜きたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月24日月曜日

都市型リゾートなので、きれいなビーチへ移動しますの巻き


パタヤは、バンコクの延長線上にあります。
何でも、便利に手軽にできる観光地だっていうことです。
都市型リゾートの典型といっても良いでしょう。

それにプラスアルファで海浜リゾートです。
海岸通の海辺へ出向けば、簡単に日光浴もできたりします。
でも、自然に囲まれた野趣は全く期待できません。

人里の恋しい、海の水も気にしない人は、それでも良いでしょう。
でも、きれいで静かなビーチでのんびり過ごしたい方は、面食らうと思います。
ですので、そういう時は、すぐ沖合いのラン島へ出かけるのが良いかもしれません。


南パタヤの桟橋から渡船が出ております。
片道運賃は、30バーツ(80円)で小一時間の乗船時間です。
気軽に行けますので、お客さんでごった返しておりました。

その内、定員オーバーになったらしく、定刻前に離岸しました。
後は、島を目指して一直線です。
しかし、バンコクの洪水騒ぎとは打って変わって、快晴で日差しも強いのです。

これだけ、天気が違うと面食らってしまいますね。
でも、地元のカップルとか家族連れが結構乗っていました。
やはり、三連休ですからエンジョイしたいんですよ。

一方、ホテルで洪水情報をネットでチェックしていたカップルもいました。
多分、自家用車で来ていたのでしょう。
道路が冠水しているのかどうか、気になっていたのだと思いました。

やはり、洪水の影響は、そこかしこに見受けられます。
これも仕方ないですが、島へ渡ってビーチを満喫すれば、そんなことも忘れるはずです。
だんだん島が見えてきまして、桟橋に接岸いたしました。


島は無人島と聞いていたのですが、人がちゃんと住んでいました。
沖合いからお寺の建物を眺められましたし、セブンイレブンも発見しました。
ゲストハウスもできていたし、喫茶店もあります。

エアコン付なら一週間で四千バーツの看板もありました。
まだ、ネットで情報が少ないようですが、これから期待できそうです。
さて、この島にはビーチがいくつか分かれているようです。

特に、起き合いに面した西岸のビーチが美しいのでしょう。
そこへ行くには、20バーツのソントゥーを使って移動します。
もちろん、桟橋付近の海岸も思いのほか、水が澄んでいてきれいでした。


というわけで、たった一時間の上陸でしたけど楽しい体験をいたしました。自分は、かなづちですので海水浴とは無縁なのです。こうして、船で渡って海岸をプラプラとさえ歩けたのなら、上出来でして満足いたしました。帰りの船便も満員ですから、きれいなビーチを観光客が求めているのは事実でしょう。そんなことを察した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月23日日曜日

今だからこそ、駐在員と家族はパタヤで楽しもうの巻き


パタヤに逃避行です。
まあ、三連休の骨休みも兼ねて出かけてきました。
洪水の最中に不謹慎だと思われるかもしれない。

でも、こういう時にこそ人は、消費する必要があるのです。
金は天下の回りものです。
天災で気分も景気も落ち込んでいるなら、なお更使いまくりましょう。

そうすれば、やがて地元の人にもめぐりめぐってお金は落ちて行きます。
被災者と同じ気持ちで、自粛するなど言語道断です。
少なくとも三連休ですから、非難がてら憂さ晴らしに楽しみましょう。

でも、洪水騒ぎのおかげで、パタヤの観光客は少ないです。
日本人もあまり見かけません。
たまに、ホテルで出会った日本人は駐在員家族のようです。

みんな、ニュースを見て敬遠しているのでしょうか。
はっきりいいますが、パタヤは方角が異なるんですよ。
国際空港から見て、バンコクから逆に遠ざかって行きます。

被災地から間逆に位置する観光地なのに、敬遠してしまう。
はっきりいいますが、ホテルは空いていました。
予約サイトで見ると、前日でも300件近くが可能だったのです。

これが先週金曜日のことです。
日系の旅行代理店サイトを見ても、今が楽しめると紹介していました。
しかも、バンコクの高級ホテルはガラガラなようです。


まあ、近くのバスターミナルからパタヤまでは二時間半ですよ。
いざとなったら、すぐに戻れる範囲です。
ですので、決行してはりきって出てきてしまいました。

しかし、観光客に露助が多くてびっくりです。
ハラショーだか、スパシーボだか知りませんけど、しゃべっております。
それで、露助は一見して、その国から来たらしいのが分かります。

何となく、微妙に南国の観光地の楽しみ方に親しんでおりません。
やけに肌が白くて、場違いな服装も合ったりして、このちぐはぐさが乙です。
この雰囲気は、中国人もそうですが、団体で行動しないのでした。


というわけで、露助は、ボンレスハムのす巻きかビヤ樽見たいなずんぐりババアもいるかと思えば、金髪、美麗なバッチグーのネーちゃんもいたりして、実にバラエティーに富んでおり、心行くまで民族鑑賞を楽しませてもらいました。しかし、夜の海岸通りには立ちんぼの春をひさぐ女性も多いのです。上さんに説明しているうちに、あれもお持ち帰りだねとか、自然に口から出るようになってしまいました。夜のパタヤは、実に男性天国なのだと改めて悟った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月21日金曜日

ミネラルウォーターが見つからないので避難しますの巻き

実は、スーパーの商品棚から消えてしまいました。
エビアンとか、高い輸入品は売れ残っています。
でも、お値段が、結構、張りますな。

4Lのペットボトルで35バーツくらいが普通です。
今なら、90円くらいでしょうか。
安くてガブガブ飲めますが、売れ残りは500mlでこの値段です。

日本だったら普通の値段かも知れません。

でも、現地の値ごろ感では、こんなの、もったいなくて飲めません。
駐在マダムが金に物を言わせて買いまくっているのでしょう。
洪水が来る来る詐欺みたいに惑わされて、買い漁りですよ。

その内、地元の人までパニクって来て、郊外のスーパーも似てきました。
商品棚に陳列されたら、即座に売切れてしまうようです。
上さんが、三軒スーパーを回りましたけど、ほとんど売り切れ状態でした。

ですので、土日にアパートにいても水が足りなくなりそうです。
上水道を沸かして飲んでもいいのですが、いやな話が起こりました。
実は、この取水口に洪水から泥水が流れ込んでいるそうです。

これって、チャオプラヤー川から回り込んで来た汚水です。
しかも上流の工業団地も全滅で冠水しました。
中にはメッキとか、電子基板実装とか化学薬品を多用する工場も多いのです。

もし、これらが流れ込んで汚染されていたら、どうしましょう。
上さんは薄められているから大丈夫だと言うのですが、怖くなりました。
どうしたらよいか、これは逃げるが勝ちですよ。

ここタイでは、土日月と三連休が始まります。
洪水が来るかも分からないアパートでまんじりしたって、しようもない。
そこで、バンコクの洪水とは縁の薄いパタヤまで、避難することにしました。

と言うわけで、パタヤまではバンコク市内からバスで二時間半と距離も短いのです。ですので、すわ鎌倉となれば、比較的短時間で戻られると考えて決断しました。ここ一週間、警戒疲れもありますので、静養も兼ねて英気を養おうと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月20日木曜日

今日の午後から会社を臨時に休みにしましたの巻き


マネージャーがメールで写真を送ってくれました。
住んでいる団地が冠水したと教えてくれたのです。
ボートで行き来しかできなくなっているようで、かわいそうに思いました。

今は、避難してなんとか別に仮住まいができたようです。
この写真は、状況を確かめに団地へ戻った時の撮影です。
しかし、こんな時にでも出勤してくれるのには、頭が下がります。

実は、自宅の浸水している社員が徐々に増え出しました。
工場は何も被害を受けていないので、ちょっと心苦しい。
被災した社員の顔にも、疲労の色を隠せません。

これはいかん。
明日は臨時休業にしてしまおう。
朝一番で、社員の雰囲気を見て検討を指示しました。

ところが、午前中には突然停電も起きてしまいました。
一時間以上経っても復旧しません。
これでは、仕事のやる気も失せてしまうだろう。

もう、午後から仕事をしても能率など期待できません。
これは、午後から臨時休業ですよ。
周辺の思わしくない水害状況を見聞した上で決断しました。


と言うわけで、来週月曜日が祝日なので、四日連続のお休みとなりました。これで、従業員も住まいなど身の回りの整理もできるでしょう。場所によっては、本当にボートが必要になっているのです。近所の鉄工所では、緊急で鉄製ボートの溶接作業が行われていました。これも洪水特需なんでしょうが、こんなビジネスより、当社はまっとうな商売で稼ぎたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月19日水曜日

バンコク東部7区に浸水の恐れが出ましたの巻き

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◇Jiji News Flash◇
バンコク東部7区に浸水の恐れ=首都に初の警報-知事


◎バンコク住民に避難準備求める=首都に初の警報-知事
【バンコク時事】バンコク都庁(BMA)のスクンパン知事は19日午前、記者会見し、バンコク東部7区に浸水の可能性があるとし、住民に避難準 備を始めるよう呼び掛けた。バンコクで避難準備を求める警報が発せられたのは、これが初めて。ただ知事は、「直ちに避難を求める『避難勧告』ではない」と している。知事は、今後3時間ごとに状況を知らせると語った。
スクンパン知事はこれまで、バンコク東部の4区、ラカバン、ノンチョク、ミンブリ、クロンサムワーの住民に注意を促していたが、新たに東部カン ナーヤオ、サイマイ、バンケンの3地区を加えた。バンコクの行政区は全部で50。知事は、「水は急に入ってくるのではなく、少しずつ入ってくる」と指摘。 避難には十分な時間があるとの認識を示し、各区役所が指定している避難場所や避難誘導に従うよう住民に促した。
知事の説明によると、政府の洪水対策センターは同日午前、BMAに対し、バンコクの北側から計12億立方メートルの水が流れ込むと連絡してきたという。バンコクの排水能力は4億立方メートルにとどまるため、東部7区が浸水する恐れが高まったとしている。

タイ時事通信 E-Mail: info@thaijiji.com

2011年10月18日火曜日

老いて枯れても仕事が大事だってことの巻き


90歳の誕生日にギターを弾きこなしております。
レス・ポールってジャズギタリストです。
享年は、94歳で一昨年のことになります。

しかも、死ぬ年まで自分の名前を冠したライブを行っていました。
ジャズの本場、ニューヨーク市マンハッタンのイリジウム・ジャズ・クラブだそうです。
枯れていますが、まさにプロフェッショナルな演奏です。

アーティストって言うのは、うらやましい。
リタイアに年齢の制限もないし、自分の辞め時は自分で決められる。
その代わり、サラリーマンには必ず退職がやってきます。

自分も既に五十代になりました。
勤め人の人生としても、指を数えるだけの年になりました。
これから自分に何ができるんだろうか、ちょっと感傷的になりました。

と言うわけで、ここタイでは洪水の被害が増していて、なすすべも無いまま、日々が過ぎていきます。会社としては最善を尽くしていて、後は洪水が過ぎ去るのを待つだけですが、被災した企業を見るにつけ、なんともやりきれません。今宵は、レス・ポールさんの渋い演奏で慰めてもらおうと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月17日月曜日

洪水被害の工業団地をおさらいしてみましたの巻き

※左クリックで拡大してご覧下さい。

10月17日時点での、タイにおける水害状況です。
アユタヤ県を中心にかなりの工業団地が被害を受けました。
自分も、地理的な位置を確かめたくなってマップを作成してみました。

それで、冠水したり避難中・停止中の工業団地って言うのは、物流網を計算に入れて造成されたのではないでしょうか。

確かに、工業団地の周辺には主要幹線道路が通っています。
しかも、チャオプラヤー川に沿っていると言うのが興味を引きます。

歴史的に見ても、タイの交通網は、川を利用した水運が先ず発展しました。
次に、近代化の流れとして鉄路、陸路が開発されたと言うことでしょう。
つまり、初めに川沿いに発達した都市に沿って、他の交通手段も伸びて行ったことになります。

それに、工業団地の労働者を募集しやすい方が便利です。
となれば、周辺に人口の多い都市部が必要になってくる分けです。
結果として、タイの工業団地は、川の近辺に作らざるを得なかったのではないでしょうか。

と言うわけで、タイは洪水が年中行事の国なのですが、今年は半世紀ぶりのレベルだそうで、諦めるしかないのかもしれません。幸いなことに、自分の勤める工場には、まだ洪水に見舞われておりません。ですが、明日になれば来るんじゃ無いかと疑心暗鬼になってしまい、夜も寝られなくなってくる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)


おまけ:

[ アユタヤ県の工業団地 ]  
 ① ロジャーナ
 ② ハイテック
 ③ バンパイン
 ④ ファクトリーランド
 ⑥ サハラタナナコン  

この五つの工業団地すべてが、冠水して閉鎖中です。
ホンダ、ソニー、ニコンなど大企業の製造拠点が進出しています。

[ パトンタニ県の工業団地 ]
 ⑤ ナワナコン
 ⑦ バンガディ

この二つは、一部が冠水していますが、被害は最小限に食い止められています。

2011年10月16日日曜日

日曜は自宅待機でクラシック鑑賞の巻き


なかなか美形のお嬢さんです。
クラシック音楽界のトランペッターとは思えません。
その名も、ティーネ・ティング・ヘルセット(Tine Thing Helseth)さんです。

まだ、二十代前半ですから、初々しいです。
なのに、CDもすでに複数枚リリースしておりました。
美貌の才媛ですから、ヨーロッパを中心に存分に活躍中です。

実を言いますと、今日は自宅待機で終日過ごしました。
洪水被害の連絡待ちもあったし、激しい雨も間断なく降ったせいです。
外出もままならなくて、暇つぶしにインターネットで時間をつぶしました。

それで、ユーチューブでクラシック音楽の鑑賞としゃれこみました。
特に、バロック音楽のライブラリーがすばらしい。
ビバルディーなんか、人口に膾炙している楽曲なら簡単に見つかります。

合奏協奏曲の「四季」もあれば、フルート協奏曲の「夜」もあります。
マンドリン協奏曲みたいに、ちょっと通の作品までアップされていました。
そう言えば、バロック音楽は演奏時間がそれほど長くありません。

Vivaldi - Concerto for Mandolin in C Major RV425

ユーチューブの収録時間は制限が15分ですが、楽に納まってしまいます。
例えば、「四季」の各季節ごとのパートだと、最長で13分弱です。
一方、ティーネさんのトランペット協奏曲も、長い楽章で10分止まりでした。

しかも、CD一枚丸ごと演奏作品がアップされています。
視聴して気に入ったら、お買い上げくださいと言うことでしょうか。
CDレーベルのマーケティング戦略かもしれません。




と言うわけで、高校時代、FM番組で「バロック音楽のたのしみ」を聞きながら、朝の予習をしていたのは、三十年以上も前の話です。そのせいか、当時、ロックバンドを組んでいた割には、クラシック音楽もかなり傾倒していました。こんなことを思い出せたのも、洪水のおかげと言うには、ちょっと不謹慎かもしれません。でも、ユーチューブの楽しみを新たに発見できて満足した、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月15日土曜日

これがタイ人の英語力でござるの巻き


Please Check your belonging before you leave,
The company will not responsible any case of lost items.

このプレートはトイレに貼ってありました。
オイシグループが展開するスキシと言うタイスキのお店です。
寿司が食いたくなると、上さんを誘って出かけます。

ネタの数は限られますが、手軽に楽しめます。
それにデザートで、コーラフロートを作って食べるのもうれしい。
これも、セルフサービスだから気ままな食事です。

さて、この英語の看板に戻ってみましょう。
ざっと訳しましたが、こんな感じです。
”店を出る前に身の回りを確かめてください。
 失くし物があっても、当店は責任を負いかねます。”

それで、英語の文法がかなり怪しくて間違っています。
用を足している時に気づいた人もいたらしい。
看板の上に、ボールペンで添削をしてくれました。

Please Check your belongings before you leave,
The company will not be responsible for any case of lost items.

と言うわけで、地元の人の英語力は、こんなものなのです。致命的な意味の取り違えは無いので、意味は理解できますから、第二外国語でのコミュニケーションを最低限果たしたと言う点では、良しとしましょう。でも、一国の首都なのですから、世界の公用語とも言うべき英語の誤りは、慎んでもらいたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月14日金曜日

バリケード封鎖したけど、洪水は来ませぬの巻き


洪水を防ぎとめるためにバリケードを構築です。
鉄パイプは、正門ゲートに溶接しました。
コンクリート地面には、アンカーを打って、パイプとこれまた溶接です。

一方、スチールの重たい什器で正門を支えました。
これで、かなりの水圧を受けても何とか防ぎきろうとする考えです。
もちろん、門の外側には土嚢を積んで水止めにしました。


これで、1メーター弱の水位には耐えてもらわねばなりません。
鉄格子から水が漏れないように、5ミリ厚の鉄板も立てかけます。
そして、部分的にスポット溶接で固定しました。

これで、木曜日のうちに準備を完了しておきました
洪水が早めに到達しても、このろう城作戦なら万全でありましょう。
金曜日に出社しても、心配には及ばないと思いました。

それで、金曜日に会社へのこのこ出てきました。
洪水は、、、、、、
無い、まったく来ておりませんでした。

これは、果報者と言うべきでありましょう。
あのアユタヤのロジャーナやハイテックの工業団地が水浸しなのです。
こちらは、すぐ隣の県ですから、押し寄せてくる可能性も高かった。

しかも、夜半からは激しい雷雨にも見舞われました。
それでも、水かさが増さなかったのは幸運としか言いようが無い。
裏手の運河も、多少、住宅地を冠水させた程度です。


と言うわけで、パトンタニ県のクロン運河からチャオプラヤー川につながる根元の水門は、上限が3メーターです。話によると、昨日の水位が2メーターだと言っていたので、これを上回る恐れも出たことから用心しておきました。何もなくて無事だったことにホッとしていますが、土日の大潮による高潮が去らない限り、安心はできないと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月13日木曜日

お見舞いへの返礼メールの巻き



大先輩殿

お見舞いのメールをありがとうございます。
ロジャーナ工業団地が、総て冠水したのに驚いております。
タイの工業団地の看板的存在だっただけに、工業国としてリスク面でイメージ低下が避けられないでしょう。

昨年の洪水も被害が大きかったのですが、アユタヤ県内でも工業団地の手前で洪水が止まりました。
もともと、アユタヤ以北の県は、バンコクを守るために雨季は水浸しになって、チャオプラヤー川の増水を緩和して来た図式もあるのです。
このため、被害の程度に差こそあれ、洪水は年中行事でした。

しかも、国土が緩やかで高低差もかなり少ないので、増水もゆったりしてのんびりと構えてきたのが実情では無いでしょうか。
それゆえ、この洪水への対応を見るにつけ、マイペンライの国民性が出来上がったような気もします。
でも、今年はさすがに笑えないです。

ところで、当社はパトンタニ県内で洪水リスクのある場所として指定されました。
裏手には、クロン4と言う運河もあり、これがチャオプラヤー川につながっているからです。
増水の第一波は間もなく来ますが、メインの通りには冠水も無く日常のままです。

さすがに交通量がまばらになっており、緊急事態が察知されているのでしょう。
これからどうなるかは分かりませんが、第一弾の対応措置は終わりました。
しかし、赴任以来、国際空港の長期閉鎖、二回の総選挙、バンコク中心部での反政府活動衝突など、めまぐるしくできごとが重なりました。

今度は人災に加えて洪水と言う天災ですが、従業員がしっかりしてくれていますので、慌てずに対応しています。
長文になりましたが、メールにて返礼申し上げます。
来タイされるときはお声掛けを下さい。
日本人に余り知られていないリゾートも見つけていますので、ご紹介できるかもしれません。

ぐりぐりももんが拝

=サム・ロイ・ヨッド=

2011年10月12日水曜日

洪水が来るみたいで、着々と準備中の巻き


排水ポンプを二台購入しました。
下水溝から洪水が逆流してきたときに備えてあります。
構内に流れ込んだ水は、敷地の外へ排水してしまう算段です。

工場自体は、三面を高さ二メーターのブロック塀で囲ってあります。
表通りの面は、一メーターほどの壁で、その上は鉄条網です。
ですので、腰ぐらいまでの高さなら何とかしのげるでしょう。

水位がどれぐらい上昇するのか、色々と噂も流れてきます。
準備するに越したことはありませんので、土のうも用意し始めました。
四百個用意するのに、五万バーツが必要って言われて予算を承認です。


この土のうは、先週の内に作っておいたものです。
素人が詰めたので、大黒様が担いでいる袋みたいです。
不恰好なので、ちょっと機能を果たせるか怪しい感じもします。

これから、追加で作る格好の良い土のうに期待しましょうか。
それで、ここパトンタニ県の工場裏手には運河が流れております。
この運河は、ラーマ五世が都市計画区の一環として開通させました。

チャオプラヤー川から東の方向へ、一本、メインの水路が延びています。
これから、南へ枝分かれした水路が、二キロ間隔で設けられました。
もし、メインの水路にある水門が閉じられてさえいれば、この周辺は無事でしょう。

現状では閉じられていますので、慌てずに準備しているわけです。
でも、他の水門では水位が上昇して、流れ込んで水浸しになった場所も多いのです。
洪水のヤマ場が週末ですから、前以て準備するのに越したことは無いでしょう。


と言うわけで、工場裏手の草ぼうぼうですが、まだ洪水が押し寄せてきたわけでも無く、今のところは安全なようです。ただ、運河が自然の堤防で、ちょっとでも水位が上がれば、すぐに水浸しですから、今後どうなるかわからない。今夜は六人体制で宿直もさせますし、災害対応の備えはある程度できました。後は神のみぞ知るところと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月11日火曜日

にゃんこ先生登場、サム・ロイ・ヨッドのこぼれ話


このネコちゃんは、リゾートで飼われています。
ものすごく人馴れしていまして、レストランに現れました。
ニャーオって鳴きながら、食事中の我々に近づいてきました。

おやっと思ったら、上さんに並んで座り込みました。
二人掛けの椅子ですから余裕はあるんですが、何ともずうずうしい。
でも、悪さをするわけでも無いので、食事を続けてしまいました。

それで、翌朝には自分たちのロッジにまたまた現れました。
バルコニーの石造りのテーブルに寝転がっております。
その寝顔の気持ちよさと言ったら、至福なのでしょう。

なんとも、宿泊客を気にしないふてぶてしさです。
それで、外出から戻っても未だ寝ておりました。
こいつ、午前中はごろ寝のうたた寝かよ。


しかも、日差しを浴びるようになると暑くなったらしい。
寝場所を変えて、今度は玄関マットを占領です。
これじゃー、ドアを開けて部屋に入れないのです。

ネコちゃん、ごめんねー、開けるよって断りました。
それで、外に出るときもぶつからないように注意して開けます。
なんじゃい、どっちが客なんじゃ。


と言うわけで、このネコちゃんのぐうたらぶりには脱帽です。しかも、宿泊客をまったく気にしないで、寝場所をころころと変えては惰眠を貪るのでした。今回の旅行では、こんな登場人物、いやネコちゃんも加わって一層思い出深いものとなったのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月10日月曜日

カヤックで沖に漕ぎ出すのでござるの巻き


日曜日は、対岸の島へ渡ってみました。
二つありまして、一つは猿島、もう一つは寺島です。
本当の名前かどうかは分かりません。

でも、宿のカウンターの白人が言っていました。
それで、猿島って言うと横須賀にありました。
でも、あの島には名前の割りにサルが住んでおりません。

一方、こちらの島には、本当に住んでおります。
これに会いに行くのが楽しみだったのですよ。
ネットの紹介写真を見ると、カニクイザルのようでした。

このサルは、頭の毛が少し尖った格好をしています。
人間との関わりも深くて、椰子の実取りもできたりします。
それだけ、賢いサルだってことでしょう。


それで、泊まった宿では手漕ぎ舟を貸し出してくるのでした。
ボートではなくてカヤックです。
これは、浮力が高くてひっくり返っても絶対に沈みません。

ひっくり返ったとしても、またひっくり返して乗れば良いだけです
ですので、ライフジャケットを着ておれば溺れないでしょう。
上さんが不安がっていましたが、ここは決行することにしました。

実は、道産子社長は、若い頃、ヨット部員でした。
会社のクラブでしたが、逗子のマリーナに通ったこともあります。
かなづちの癖に乗っていましたから、ライフジャケットは必須です。

まあ、沖合いに出れば、経験で風の向きや潮の流れを覚えます。
何となくですが、波の穏やかな午前中に船出をすることにしました。
朝九時、浜辺からカヤックを繰り出して出港です。

それで、漕ぎましたなー。
上さんがパドルを漕いだ経験が無くて、助けになりません。
パシャパシャ水面を叩くだけなのです。

仕方が無いので、一人で思いっきり漕ぎまくります。
ただ、右と左の腕力が違うらしくて、左へ舵がよってしまう。
軌道修正を繰り返しては、猿島へ到着しました。


いましたよ、人懐っこいサルが。
小猿ですけど、カヤックに興味があるらしく寄ってきました。
先端にのっては揺らして、遊んでおります。

たぶん、餌でも暮れると思っているのでしょう。
こちらから目を向けると、じっと見つめ返してくるのでした。
まあ、サルに引っかかれたら危ないので、そばには寄りませんでした。


ちょっと休憩したら、次は寺島へ寄ります。
この島には、お寺が建立されています。
多分、島自体がお寺なんだと思いますね。

人は住んでいなくて、猿島と同じ無人島でした。
漕ぎつくと、暑さでヘトヘトになってしまいました。
午前中とはいえ、快晴で日差しもかなりきついのです。


しばし、休憩したら、後は出発地まで戻りました。
ところで、この島の間から、沖合いには二つの島が眺められました。
勝手にハーロン湾モドキ島と名づけて、漕ぐのを止めてしばし見入ります。
そう、あのベトナムの世界遺産の島に似ているのです。
石灰質の岩でできた島なんだと思いました。

ところで、訪れた島の名前は勝手に名づけていました。
二つ目の島は、帰宅して地図を見ましたが、Nom Sao Island です。
”若い女性の胸の島”ですから、胸の形に見えなくもありません。
一方、猿島の方は、Ku Ram Island と言うみたいです。
訳すと、”おれの踊り島”か”おれのふすま島”になります。
よく分かりませんけど、何か意味があるのかも知れません。


と言うわけで、渡島の人力手漕ぎツアーは、無事に終了したのでした。しかし、カヤックを無料で貸し出してくれる、ブルー・ビーチ・リゾートの太っ腹なところが最高です。ライフジャケットやパドルは当たり前ですが、カメラが水にぬれないように防水袋まで貸し出してくる親切なところがうれしい。達成感で大満足の道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)