2011年2月28日月曜日

ミャンマー査証が変わっておりましたの巻き


今日、運転手さんに査証を取りに言ってもらいました。
ミャンマー大使館まで行ってもらった分けです。
受け取り時間は、15時半から一時間の間で、いつも通りです。

ただ、貰ったパスポートを見て驚きました。

査証のデザインが全面的に変わっておりました。
顔写真まで載っていて、ちょっと洗練されていました。
前のデザインは、以前にも紹介しましたけど、ドンくさかった。

民政移管のうそ臭い選挙もしたことだし、ちょっと前向きな雰囲気かもしれません。

ところで、明日からカンボジアに出張してきます。
こちらの国もビザが必要なんですが、到着ビザで構いません。
空港で申請して、金額も20ドルで済んじゃいます。

ところが、バンコクの大使館だと豪快にぼったくられます。
1500バーツって、倍以上じゃないですか。
と言うわけで、速攻で空港申請にしました。

と言うわけで、明日は早起きなのでもう寝ることにします。
おやすみなさいませ。
(この巻き、終わり)

2011年2月27日日曜日

ムカデが原料だったらどうしようの巻き

ちょっと最近、体調がすぐれません。
仕事が忙しくて、疲れから風邪も引いて長引きました。
そのくせ、三連休は欲張ってロッブリーに行ったりしています。

体が休まる余裕が無かったんだと思うのです。
その上、咳き込むようになりました。
体がボロボロになると、軽い喘息のような症状が出ます。

ここまで来ると、体調は黄色信号が点滅したようなものです。
上さんも心配して、現地の咳止め薬を買ってきてくれました。
名前は、“五蜈蚣标止咳丸(中葯)”と言います。

ちゃんとホームページもありました。
華僑系タイ人のメーカーらしく、三代七十年の歴史があるようです。
でも、パッケージのデザインがちょっと不気味です。


ムカデがデザインされているんですよ。
確かにムカデは漢字で”蜈蚣”って書くそうです。
まさか、成分がムカデだったらどうしましょうか。

ちょっと、怖くなってきて上さんに聞いて見ました。
すると、ムカデはデザインだけで成分が違うと言われてしまいました。
どうやら、気になってインターネットでも調べてくれたようです。

ちょっと、紹介しておきましょうか。

五倍子 80% → 抗菌作用(煎剤;タンニン)があり咳止めの主成分
甘草 2% → 根にサポニンを含み、去痰(きょたん)の作用
他に、白蓮子 2%、杏仁 3%、麥门冬 2%等です。

※サイトはこちらから

要するに咳止めなんですね。
それで、服用方法が変わってて、飲込まずに口の中で溶かします。
これが、実に苦くて酸っぱい味がします。

一回辺り、二錠から四錠だそうですが、二粒がやっとでした。
この後、水を飲んだのですが、すごく甘い後味がしました。
薬のせいで、よほど口中が酸性になっていたのかもしれません。

と言うわけで、溜まった疲れを解消するには休むのが一番だと悟りました。

ですので、あんまり外出もせずに、土日をまったりと家でくつろいでいるのであります。でも、来週のカンボジア出張が気になって、資料作りの内職に励む道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月26日土曜日

信楽焼の狸か、わさおか、はたまた富市かの巻き

米倉弘昌:日本経済団体連合会会長(第3代)。

この方は、米倉弘昌さんです。

日経連の第三代会長に奉職されておられます。
いかにも好々爺と言った感じが致しますね。
なぜなら、既に古希をお迎えになっていらっしゃいます。

年齢的に重責を果たしえるお年頃かどうか、疑問符もつきます。
でも、なってしまったのだから、やってもらうしか無いでしょう。
本来なら、ご自宅で孫かひ孫と遊んでいた方が無難だとも思えます。

それで、このお仕事が名誉職だと思うほうが誤りです。
経済の視点で、我が日本国の経世済民を考えて貰わなくてはなりません。
国家の大計を担う役割が、あの役職には存立するのです。

でも、首を傾げざるを得ない言動も目立ちます。

中国漁船衝突事件のビデオ映像流出では、発言の偏向が目立ちました。
”衝突事件は済んだことだしこれ以上追及すべきでない”って、どう言うことでしょうか。
我が日本は法治国家なのです。
しかるべき、法の裁きを受けるべきで、中国に味方してどうするのでしょう。

今年に入ってからは、”将来は外国からの移民を受け入れるべきだ”とも述べました。
現在、EUでは移民政策の見直しを進める国が後を絶ちません。
隣国は、半日教育の権化みたない国ばかりですよ。
このような人々を受け入れても、日本国のためにならないと普通は思います。

加えて、消費税は少なくとも10%に引き上げるべきとか、TPPに参加しろだとか、およそ熟慮が見当たりません。
つまり、誰かのために操縦されているロボットとしか思えないのですな。
こうなって来ますと、尊敬も尊厳もへったくれもありません。

この人、何だかおかしいと思っているうちに、思い当たりました。

要するに名誉職みたいなもんです。
財界の広告塔、信楽の狸の置物程度なんだと思いました。
そして、ここまでの言動や行状を見ますと、人選は過ちだったと思うのです。


つまり、わさおレベルの思考・行動パターンではないかと直感しました。
顔つきが似ているので単なる連想ですが、ご本人に洞察なんか無いんでしょう。
東大卒って優秀かと思われるでしょうが、私は知っています。
 
転職前の会社でも、社長は東大でしたが呆れました。
特別な出身校って、いいもんだと思いました。
その会社は、競合に吸収された挙句、株主代表訴訟まで起こされ敗訴しています。

 
と言うわけで、眉毛については、あの変節奸、村山富市元首相を思い出してしまいました。
あの神戸大震災で自衛隊派遣をためらい、緊急対策本部の設立では韓国より遅れたと言う、お恥ずかしい限りの為政者です。似たような眉毛は、国を傾けるのに長けたお人であろうなと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月25日金曜日

ミャンマーのバンコク大使館は、伏魔殿かもしれんの巻き

ぽこぽこ社長殿

色々とお手配をありがとうございます。
ミャンマービザについては、28日受領となりました。
カンボジア出張直前ですが、問題なかろうと思っております。

さて、ミャンマーのビザ申請の手順が昨年と、また変わっております。


大使館のオープンは、9時ちょっと前に空きました。
八時半から車内で待機していましたが、すでに十人以上が並んでいます。
初めに申請の記入内容を確認され、OKなら整理券を渡されます。(左端カウンター)
かなり、突っ返される人を見かけけました。
おっしゃるとおり、背景が白い顔写真じゃないとダメなのかもしれません。
 

件の番号が呼び出されたら、パスポートと申請書を渡します。(真ん中のカウンター)
3日でビザが支給される通常コースは、810バーツの料金に変わりありません。
カウンターの男も、あの格別に愛想の悪い奴が同じく座っておりました。

たまたま、日本人の男性がいましたのでおしゃべりをしてみました。

何でも、チーク材の買い付けだそうです。
入札に参加されるそうですが、長さの単位もヤードらしく、計算が面倒だと言っておりました。


つまり、あちらの度量衡は、未だに植民地宗主国のルールを引きずっているとういことです。

取り急ぎ、お手配のお礼までメール申し上げます。
以 上

道産子社長:ぐりぐりもももんが



2011年2月24日木曜日

鉄道に乗って猿の街を訪れたの巻き

プラ・プラーン・サム・ヨート

先週の土曜日、ロッブリーまで行って来ました。
バンコクから北に120キロくらい離れた、地方都市です。
五万人くらいでこじんまりしていますが、観光の目玉があるんですね。

それは、プラ・プラーン・サム・ヨートって言います。
建立者は、クメール朝のジャヤーヴァルマン7世で、13世紀頃の創建だとか。
この王様は、アンコール遺跡のバイヨンも建立しています。
つまり、クメール朝って勢力範囲がタイにまで及んでいたと言うことです。

ところで、この遺跡なんですが、実は以前に一度見ていました。
国鉄の線路脇にあるので、列車に乗っていれば通りすがりで見られます。
あの時は、スコータイ遺跡へ見に行く途中でした。

チェンマイ行きの急行列車に乗っていましたが、車窓に突然現れました。
ロッブリー駅を発車してから、すぐのことです。
三位一体の塔が見え出したと思ったら、すぐに通り過ぎてしまいました。

でも、その印象は結構鮮烈でして、素晴らしさの余韻が残りました。
どうしても、もう一度、じっくりこの目で見てみたい。
そんな思いが強まりまして、上さんと一緒に出かけたと言う次第です。

それで、穴が空くほど見た結果ですけど、、、、
正直言って、汚らしかったです。
この一月に荘厳なアンコールワット遺跡群を見た来たせいもあります。
つい、比較してしまいますので、見劣りがしたのかも知れません。

一方、ロッブリーは猿の街って言われていますね。
確かに、この遺跡、たくさんの野生の猿を見かけました。
鉄道の踏みきりを挟んで、遺跡の向かいにあるほこらをねぐらにしているようです。

そこにも行きましたけど、給餌されたえさがかなり食い散らかされていました。
住民や観光客のお布施もあって、お猿さんは安泰に暮らせるのでしょう。
悪戯をする猿もいると言う話でしたが、自分たちには何もありませんでした。

さて、このロッブリーへの行き方なんですが、鉄道をお薦めします。
鉄路の旅が絶対に面白い。
道中に、色々な物売りが社内を練り歩いてくれます。
お弁当、冷たい飲み物、ホットコーヒー、果物、焼き鳥とカオニィヤウ、肉まん、本・雑誌などなど。

とにかく、これを見学しながら、おやつ代わりに買ってみてください。
楽しいですよ。
缶ビールも売りにきたし、つまみには茹でピーナッツが最高でしょう。

朝七時にファランポーン駅を発車する快速111です。
二等車はリクライニングの指定席で、94バーツを払いました。
現地には十時前に到着の予定ですが、当たり前に遅れます。
気にせず、マイペンライの気持ちで楽しんでみてください。

と言うわけで、ロッブリーは日帰りの鉄道の旅としては、もっとも適した行楽地です。
帰りの快速112に乗るまでの小半日で、街中の散策を楽しんで見て下さい。
そんな風に思い出しながら、ロッブリーの旅を反芻する道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:ロッブリーの写真を紹介しておきます。
二等席はリクライニングでゆったりしています。
駅のホームにある猿の黄金像
駅前のクイティオ25THBはおいしい。
クイティオ
やっぱり、モンキー・シティーです。
駅前の遺跡も圧巻です。
駅前の蒸気機関車です。
猿のお土産も売っております。
テスコロータス近くの遺跡。どれも同じに見えてきます。
帰りの電車は一時間以上遅れました。

大志を抱き、それが叶い国家を滅ぼすの巻き

※あと何日で、このようなお姿になるか、、、、

カンチョクト君は、昔から首相になる野望を持っていたらしい。
なんでも、20代後半の頃、周囲の人にその大志をほのめかしていたようです。
となれば、今ある姿はその大望を実現した形骸ということです。

政治家の頂点でもある内閣総理大臣です。
若いうちからすぐになれると言うものでもない。
人生の後半生を折り返して、ようやく頂点に上り詰められるのです。

ですから、本人にとっては個人的大偉業と言うことでしょう。
まあ、いやでもおめでとうぐらいの言葉は掛けて上げてよさそうです。
はっきり言って、義理ですけど結果は結果です。

しかし、政争と知略と智謀の果てに分捕った首相の椅子です。
本人が首相の器であると言う保証は、どこにもありません。
そこら辺は、国民が一か八かでやらせてみるしか無い分けです。

その結果、どうだったでしょうか。
笑うしかないですよね。
役人にたぶらかされ、消費税は10%に上げると豹変した。

四年間増税はしないとマニフェストで約束したにもかかわらずです。
手のひらを返したような行動は、詐欺師ですね。
子供手当ての財源も見出せず、自治体に補填を押し付ける。

どう見たって、嘘つきがまつりごとを行っているようなものです。
理念が無く、己の自己実現のためにだけ生きてきたのでしょう。
何をもって、市民活動家出身の政治家といえましょうか。

要するに、あやつはジコチュウ以外の何者でもないのですよ。

自分も20代の頃は社長になる気でいました。
当時、勤めていた会社の周りからは、あきれたような目つきで見られたのを覚えています。
ただ、カンチョクトと違ったのは、道産子の田舎者で純真無垢だったに過ぎないと言うことです。

と言うわけで、サラリーマンになったのだから、それぐらいの夢は持ってしかるべきでしょう。
でも、現実は厳しく、実力はおろか、学歴、出身校が巾を利かせるのが、現実の世の中です。
自分も、やがてそんなことを忘れて日々に忙殺されていったのですが、今となっては、カンチョクトよりましな舵取りをしていると自負する道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月22日火曜日

クライストチャーチに思いを寄せるの巻き

※大聖堂も崩壊してしまった~

あの町は、とても美しい町並みでした。
中央をエーボン川が流れているのです。
緩やかに流れる小川は清らかで、絵本のようでした。

いや、本当に絵になるような街でした。


中心街には大聖堂の尖塔がそびえ立っています。
訪れた時は、印象がちょっと薄かったのも事実です。
ですが、帰国してから写真を見直すたびに、美しいと思いました。

でも、直下型の大地震で崩壊してしまったのですよ。

空に向かってそそり立つ塔は、すっかり消え去ってしまいました。
他の建物もどうなったのか、すごく気になります。
あの落ち着いた雰囲気に似合うレンガ作りが、とても心配になりました。

ウイキによると旧州政府庁舎のようです。

と言う分けで、上さんと訪れたのは五年前のことでした。
帰宅してニュースで地震の惨事を聞きながら、ふとあの時の旅行の記憶が蘇ったのです。
そして、いち早い復興を願いながら、もう一度訪れたいと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:RTニュースより

2011年2月21日月曜日

汎用電子部品を懸命に探しておりますの巻き

現在、社長自らが新規購買の担当をしております。
何しろ、現地スタッフは通常業務で手一杯なのです。
製品開発の部材探しまで余裕がありません。

こうなりますと、社長自らがこの仕事の役割を担います。
先ずは、グーグルで検索するしか手立てがありません。
企画中の製品は、市場ニーズの限られた製品です。

需要としましては年間数百基あるかないかでしょう。
簡単に言いますと伝票発行機なんですね。
ただ、お客様の名前とかID番号を印字する必要が出ました。

そのためのキーパッドも、確認用LCD画面も、プリンターも揃えなくてはいけない。
どこで調達したらよいのか、ちょっと考え込んでいます。
実を言いますと、当社はこれまで設計は日本任せでした。

調達する基幹部品も、親会社から購入するだけだったのです。
指定された電子基板、電源などは、特にその対象でした。
ですから、どうやって調達先を探すかなんて経験も知識も無い分けです。

こりゃ、大変ですよ。

でも、以前にタイで商品開発をやった時、自らで基板実装メーカーを探し出しました。
この商品は、たった一年半で主力商品にのし上がってくれています。
ですから、ここは自分がやるしかないと思っています。

さて、ここまで判明してきたのは次の商品です。

小型組込プリンターは、スター精密がタイで販売拠点をつくったらしいこと。
製品企画先から、このメーカーから調達できないか問い合わせを受けていました。
探し出せたので、ニーズがピッタンコです。

次に、難しいのが汎用ディスプレーなんですね。
コストを下げるために、どうしても使わなくてはいけません。
そこで、ググって良く引っ掛かってきたメーカーが、二社ありました。

どちらも台湾の台中市に本社のあるWINSTAR社とSUNLIKE社です。
でも、タイに代理店が無いみたいです。
困ったなー、どうやってサンプルを入手したらいいのだろうか。

と言うわけで、会社に帰ってもググリ続けているところです。
いやー、我が家のパソコンはネットが快適でして、良好な検索結果で喜んでいます。
明日は、これを基にして電話でコンタクトを取ってみようと思う、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月20日日曜日

ゆとり教育世代のレベルは、立派にアセアン諸国と肩を並べるの巻き

まあ、そんな感じがしないでも無いんですね。

この間、取引先の社長さんがわざわざ当社を訪問してくださいました。
仕事上の話が幾つかあったのですが、ひょんなことから前任地の話題になりました。
この社長さん、以前はフィリピンの工場長兼社長を勤められておられました。

フィリピンって言うと、出稼ぎ労働者の国みたいな印象が強いですね。
自国に産業が育たないから、中東のような海外で働きに出かける。
そこで稼いだ金は、家族の生活費として海外送金の仕送りをする。

つまり、これまでは海外の経済に従属した国家経済の印象がありました。

でも、意外に日系企業は進出しているのです。
在フィリピン大使館の調査では、千社以上になっているようです。
中には、ITパークタウンに研究開発型拠点を置いた企業もあります。

つまり、かの地では先端集約型の産業拠点になりつつあると言う分けです。
となれば、従業員の知的レベルはかなり高いはずだと話題が弾みました。
でも、その社長は笑いながら首を横に振るのでした。

とにかく、小学校の計算ができないと言うのです。
あの超難関のフィリピン国立大学卒業生ですら、駄目だと言いました。
例えば、6-3X2は6だと自信を持って言うのだそうです。

これって、ごく初歩の加減乗除が分かっていないと言うことでしょう。
順序として、掛け算が優先されますので、正解は0になるはずです。
そんな算数のいろはさえ理解していないと、社長さんは言い放ちました。

どうも、学校で電卓を使って計算するのが仇になったようです。
電卓さえあれば簡単に回答が出てしまうのです。
結論に至る、計算の過程は考えもしない。

そう言えば、日本も”ゆとり教育”では電卓の使用が許可されています。
要するに筆算をしなくなったということです。
これって、九九も覚える必要が無くなったと言うことですよ。

これじゃ、暗算なんかできるわけが無いのです。
計算式の手順だって、記憶があやふやになるはずでしょう。
かくて、日本の学生諸君はアセアン諸国の同胞と肩を並べるに至ったのでした。

と言うわけで、この投稿は或るブログからヒントを得て書いて見ました。
なにせ、技術系大学院生の入社試験で、中学二三年のドリル問題から出題しても、回答率が四割に達しないのだそうです。こちらの従業員も計算が苦手ですが、そのレベルまで降臨したのでしょうなー。資源の無い国ですから、国民こそが国力の源泉なのですよと、訴えたい道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月19日土曜日

民主党は腹話術人形の宝庫でありますの巻き


小沢一郎さんの刎頚の友と言えば、鳩山由紀夫君でありましょう。
フィクサーの黒子役に徹した小沢さんですが、その力量は凄い。
パペットの鳩山君を、総理大臣の椅子にまで押し上げました。

もちろん、鳩山家の私設子ども手当ての威力も凄まじい。
一国を破壊するには、十分な国会議員の頭数まで揃えてしまいました。
餅代の威力も凄まじいものですな。


まあ、そういうことで、小沢さんは腹話術の人形遣いな分けです。
鳩山君は、ただの人形に過ぎないと言うことなんでしょう。
ここに貼り付けた画像は、良くネットで登場していたものです。
その関係をビジュアルに上手に表現しています。

※あの発言内容なら、東大入学は裏口だってことでしょう。

一方、小沢ポチって取り巻き連中も居る分けですよ。
その筆頭格は、国会議員なら原口一博先生かもしれません。
何しろ、民主党の分裂を加速させる「倒閣宣言」を発表いたしました。

※ご本人のサイトから失敬

産経ニュースで読んだのですが、前総務大臣の大物発言ですよ。
民主党比例代表の衆議院議員16人が表明した、会派離脱なんか”いたちの最後っ屁”に過ぎません。
その内、匂いも消えてしまい、誰も見向きをしなくなるでしょう。

つまり、原口さんはポチなりの最後の勝負に出た感じです。
かつては、次期総理候補までと言われながら、最近、ちょっと影が薄かった。
でも、それは自分で墓穴を掘ったからに過ぎません。

この方は、テレビに出演して失言と言うか、ある出演者に言い負かされました。
確か、”たかじんのここまで言って委員会”と言う番組だったと思います。
相手はみんなの党の江田憲司幹事長です。

確か、話題は沖縄県米軍普天間基地移設問題でした。
元々、江田さんは橋本首相の下で総理大臣秘書官を務めた方です。
実は、辺野古移設問題こそ、橋本首相の行動力で実現に導かれています。

これが現在に至る出発点なのですが、江田さんは当時渦中の人でした。
要するに、事態を経験し内容を熟知していたのです。
ところが、原口さんは飛んで火に入る夏の虫でした。

付け焼刃ははげ易いの例えどおり、論争になって集中砲火を浴びました。
つまり、知ったかぶりで勉強不足が暴露された分けです。
東大を卒業した国会議員同士の対決としては、江田さんに軍配が上がりました。

以来、彼は次期首相候補と呼ばれなくなりました。
当然でしょう、自業自得です。
影が薄くなっても当たり前としか言いようがありません。

だから、今、必至に話題づくりに励んでおるのでしょう。
小沢のポチ振りを発揮して、支援を固めてもらう魂胆なのです。
でも、そうして手に入れた首相の務めも腹話術の人形に過ぎないのですよ。

※どうも連想してしまうんですよ、侵略者のイメージです。

と言うわけで、匿名党さんもかなり嫌っておりました。
腹話術の人形だと断言していて、わたしも、確かにそんな印象を受けています。でも、マグマ大使に出てくる侵略者ゴアとそっくりな感じがしてならないのです。そんな、個人的な思い込みの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月18日金曜日

実用的なフェチって大事ですの巻き

意外と地図マニアなのかもしれません。
バンコクでは、外出する時必ず地図を持参します。
市内地図、バス路線図なんですが、これ以外外に役に立ちます。

バスに乗って車窓を見ながら、自分がどこにいるのかチェックするんですね、
特徴的な建物があれば、地図で確認したりします。
これが意外に楽しいものです。

ところで、タモリさんって地理フェチのようです。
最近、NHKの”ブラタモリ”と言う番組を楽しんで見ています。
毎回、東京近辺の街中で、おもしろ発見をする趣向です。

現地をぶらつくタモリさんですから、まさに番組の通りですね。
時には、江戸の古地図まで使って、情報をその場で求めたりしています。
まさに、現代と往時の時空を越えてしまった散歩と言って良いかも知れない。

この他、タモリさんは、民放番組”タモリ倶楽部”でもかなりのオタクぶりを発揮しています。
”マンホールを見て歩く”とか”江戸時代の市中引き回しのルートを辿る”なんかがありました。
地理にまつわる企画がかなり奇抜です。

さて、実は自分自身もブラタモリをしてしまいました。

先月末、日本に一時帰国した際のことです。
製品企画のためメーカーさんを訪問したのですが、結果的にそうなってしまいました。
場所は、大田区にある中小企業の集合施設”テクノFRONT森ヶ崎”です。

その日は、冬晴れで心地よかったせいもあります。
ちょっと距離はありましたが、決心して京急蒲田駅から歩いてい見ました。
グーグルマップで印刷した地図をたよりに歩きだします。

それで、歩く道の途中で変なことに気づきました。
緑地帯を挟んだ二本の道路が、川のように蛇行しているのです。
なんだか、土手道みたいな感じです。


その内、とうとう、解決のヒントに出会ってしまいました。
それは、”旧呑川緑地”という小さな公園でした。
これって、川を埋め立てた後のようにも感じます。

そして、動かぬ証拠となる陸橋に出会ってしまいました。
”のみかわはし”って書いてあります。
下が遊歩道の陸橋って、実にシュールでした。


ちょうど、犬を連れて散歩中の老紳士がいらっしゃっいました。
唐突なのですが、おたずねして見ます。
すると、”呑川”と言う川が、かなり昔に流れていたようです。

つまり、埋め立てた跡地が遊歩道に変身している、今ある姿を確認した分けです。
自分自身が、ブラタモリをしてしまった。
とても、印象深い企業訪問になった一日だったのです。

と言うわけで、バンコクの駐在員には必ず地図帳を携行されるようにお薦めします。
今時分がどこに居るのか、確認できて初めて仕事ができるとおもいます。
地理に強いと人生の楽しみも増えると思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
ネタバレになるので地図を最後に掲出しました。
新緑の季節が、待ち遠しいような気がします。(呑川の会HP
※左クリックで拡大してご覧下さい。

2011年2月16日水曜日

お風呂に入ってのんびりしたいなーの巻き

打たせ湯を浴びるカピバラ

と言うわけで、日本の湯船に浸かりたいなー。
今、住んでいるアパートはバスタブが非常に狭くて、体が半分ほどしか浸かりません。
狭いのなんのって、いつもはシャワーだけで済ませてしまいます。

今日も九時ごろに帰ってきましたが、ゆったり風呂に入りたいのです。
早く日本に帰りたいなー。
帰れば、ちっぽけなマンションですけど、多少は足を伸ばせる浴槽が待っております。

と言うわけで、シンガポールの客人も帰ったことだし、のんびりしてしまいました。
何せ、客人の製品提案に現地スタッフも賛同したし、LED照明の開発も前進しそうです。
仕事の歯車がかみ合って上手い具合に進んでいるので、かなり弛緩してしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月15日火曜日

お経を上げてごめんなさいEメールの巻き



今しがた、帰還いたしました。

華僑のお客さんとチャイナレストランで接待してきた分けです。
シンガポールの方なんですが、タイの中華料理は上手いと誉めてもらいました。
どうも、タイのイメージに中華は当てはまらなかったのかもしれません。

それに、シンガポール、マレーシアよりおいしいらしいです。
素材が豊富なのと、値段も安いから堪能できると言うのでしょう。
今日は、お酒を飲まなかったせいもあって、三人で千二百バーツでした。

これって、日本円にしますと一人千百円円くらいです。
横浜の中華街でオーダーしたら、三倍近く請求されるでしょう。
とにかく、食べ物に関しては激安の国なのです。

前菜三皿、スープ、メイン二皿、餃子二皿、その他一皿の合計九種類ですよ。
かなりお腹も一杯になって、残したものもテークアウトしました。
いやー、タイは良き国かな、そんな感じが致しました。

と言うわけで、冒頭に上げた写真は、社内のごめんなさいメールです。
お坊さんが木魚を叩くアニメがはめ込まれていて、謝っていると言う趣向になっていました。
タイ人らしい、かわいいユーモアですが、早く報告書をだしなさいとたしなめたくなる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
レストラン名は、老山東(PEKING RESTAURANT)です。
日本語のミニコミ誌の広告を持っていくと、一割引になりました。

2011年2月14日月曜日

ここまでやるとお仕事ホラー映画ですの巻き

Safety Video

これは、他のサイトで既に紹介されていました。
でも、あまりに強烈だったので再掲させていただきます。
しかし、労働安全衛生の啓蒙教育用だとは言え、味付けが濃い。
ホラー映画並みの出来上がりになっております。

血がドピューッて出まくりますし、腕や指がバンバン切断されます。
機械にはさまれ、ぺしゃんこ状態になったり、 胴体が串刺しになります。
事故に遭う事例とは言え、こうなりゃ怖いもの見たさですね。
ちょっと自分でやって見たくなるほどの好奇心に駆られてしまいます。

ERI's Weird Safety Video - The Original

と言うわけで、これをタイ人に見せたら、教材にはならないでしょう。
面白がってしまって、まねされたら困りものです。
ちょっとは表現を抑えて、啓蒙に努めてもらいたいと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月13日日曜日

エジプトって、ちゃんとした民主国家だと思うの巻き

Cairo cleans up after revolution

とにかく、エジプトのムバラク大統領が辞任したのを聞いて驚きました。

三十路に及んだ長期独裁政権にしては、尻すぼみでつまらない感じです。
国民をいたぶるだけ牛耳ってきたのだから、最後は悪あがきしてほしかった。
中共の天安門事件みたいに、華々しい終幕で締めくくってほしかったと思います。

と言ってしまえば、何と不謹慎だと思われるでしょう。
でも、一介の市井の人間など、この程度の考えぐらいですよ。
イスラム諸国って、みーんな独裁政権ばっかりでして、民主化はお題目でした。

でも、チェニジアでジャスミン革命が成功して、ちょっと事情が変わりました。
民衆は、ツイッターやフェイスブックを駆使して政権打倒をものにしました。
不正、横暴、弾圧の情報をユーザーが陰ですばやく交換していたのです。
秘密警察の動きも、ネットの仲間内でバレバレで上手にかわされたのかもしれません。

これは、一種の成功への雛形ですね。
ネットの活用で、民主化への道のりが開けた分けです。
かくて、ベンアリ大統領は、パンドラの箱を開けてしまったことになります。

こえは、独裁者にとって痛い代償でしょう。

昔、共産主義のドミノ理論と言うのが流行りました。
特にアジア各国では、ベトナム戦争を契機に、周辺国へ共産思想が伝播したのです。
あの頃は、清く貧しく美しい思想でめしが食えると思っていた時代です。
みなが信じ、その教えに従い教導、訓導されていた、よき時代でありましょう。

今や、共産主義は形骸化して単なる利権集団の呼称に過ぎません。
汚職、収賄、横領、袖の下、利権、既得権益は、すべて党の下に集まります。
どう見たって、欲得の権化に過ぎ無い感じです。

まあー、チェニジアもエジプトはその一つだったのかも知れない分けです。
でも、我が日本国から海を隔てた大陸の赤い国よりは、マシでしょう。
あの国の闇の深さは、計り知れない感じも致します。

そのため、一党独裁者たちは、ちょっと慌てふためいたようです。

かの国では、北アフリカの政治的混乱について、情報が一切封鎖されてしまいました。
国民は、何が起きてどのような末路をたどったかは知らされていません。
でも、どんなに情報封鎖をしても、かいくぐる人は出てくるでしょう。
その後に何が起きるか、ちょっと興味津々なところです。

ところで、エジプトではデモの群集が、自発的に会場の掃除をしたんだそうです。
公共の施設を掃除するのは前代未聞らしく、目を疑う光景と評した方もおりました。
でも、タイだって”WE CAN”と言ってボランティアが掃除をしました。

BigCleaningDay@สีสันสด24-05-10

昨年5月、バンコクでは反政府団体UDDと政府鎮圧部隊が衝突しました。
首都でもっとも繁華街だった場所が戦場に変わってしまったのです。
商店街は焼き討ちに遭い、多くの犠牲者を伴いました。

この時、市の清掃局とバンコク市民が協力して立ち上がっています。
反政府一派は遁走し、廃墟には大量のゴミや残骸が残されました。
この清掃作業に、市民が一役買って出た分けです。

と言うわけで、タイでもそうでしたが、エジプトの騒乱後の後始末を自分たちでする行動は、清清しいものでは無いでしょうか。
こう言う国民なら、きっと国家の再建も早いのではないか。
エジプト国民に幸あれと、喝采を送る道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月12日土曜日

やっぱりセブンは、ウルトラの方が良いでござるの巻き


 今日は土曜日、休日でのんびりしております。

昨日は、朝四時半起きで、本社ご一行様を空港までお迎えです。
それから、出社して工場見学に対応して夜は宴会までこなしました。
インド人の研修生もホテルまで送って、やっとご帰還です。

結構、一日が長かったですなー。
酔いも少しは回っていたし、ぐっすり眠りました。
プラス昼寝までしてしまい、実に怠惰な休日です。

それで、がさこそ起き出してウインドウズセブンを起動しました。
このセブンは、わずか四百円也の海賊版です。
ちゃんとインストールできて快調に動きます。

でも、ご本家のマイクロソフトさまは見抜いていました。
セキュリティーソフトをインストールしたら、純正で無いと警告が出たのです。
なかなか、チェックが厳しい。

三十日間は使用できるみたいですが、その後は機能停止です。
こうなれば、フリーソフトでも入れるしかないでしょう。
あの世界三大ソフトのAVG、AVAST、AVIRAを選ぶことになりそうです。

さて、このセブンですが、操作方法にはとまどいました。
画面上にショートカットキーを置くにも、操作方法が違います。
その代わり、スタートボタンにあるバーに起動ボタンをセットできるようになっています。
これって、アップルのPCを意識したような感じかもしれません。

それに、日本語入力は簡単に追加することができました。
英語版のOSでも、言語ロケールを日本語に設定するとできてしまいました。
フォントも調べましたが、縦書きも追加されています。
そうなると、添付のワード・ソフトで縦書き入力もできそうです。

と言うわけで、これから本社ご一行様の夕食会があるので外出します。
上さんもお招きにあずかりましたし、いそいそ支度しております。
そんな最中でも、ちょっとセブンをいじくってみた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月10日木曜日

木曜、金曜はご本社様の接待なので投稿はお休みの巻き

< Sleeping puppy >

お題の通りでして、今日は早めに休ませていただきます。

ご本社さまのご一行が、弊社をお訪ねになるという目的で、ご旅行遊ばされるのです。
このため、朝六時に空港へお迎えに上がったり、歓迎会の酒宴を設けるなど、色々と手配が必要なのでした。

朝もはよから、夜なべまで、がんばり抜く所存です。
でも、眠たいなー。
それに仕事が溜まって、週末を残務整理でつぶしそうな予感です。
そんな思いに駆られている道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月9日水曜日

タニマチってのは、最後まで支援し続けるもんだよの巻き

お題の通り、稲盛和夫と言えば政治タニマチです。

これまで、民主党を性懲りも無く支持し続けてきた倒錯者でありましょう。
しかも、元幹事長小沢一郎とは新進党時代からの腐れ縁でもありました。
さらに、何を血迷ったか、前原誠司の後援者なのだそうです。

このようなことは、ウイキペディアでもしっかり書かれております。
隠し立てするようなこともありますまい。
政権を簒奪し、与党となって国家の破壊に血道をあげる民主党の支持者なのです。

でも、最近はずいぶんと覚醒されたようです。
新聞記事によれば、これまでの愚行を恥じ入っている節があるのです。

日本航空の稲盛和夫会長は8日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、民主党政権について、「現在の体たらくをみると、こういうことで支援したつもりはなかったので、大変落胆をしている」と述べた。(2011年2月8日23時11分  読売新聞)

つまり、欲ボケの老醜に目がさめたのかもしれないと言うことです。
ですが、経営者の目としてはかなり曇っていたに違いありません。
本当に醜怪な人物だと思います。

こう言うのは、真の老害と言うべきものなのかもしれません。
そして、この先、未だに何年も生き永らえるのでしょうか。
責任は問われず、財界人として名誉ある肩書きをぶら下げて、脳脳と日々を送ると言う分けです。

ひでぇー御仁だな。

間接的に支援しただけだから、何も責任を問われないのだろう。
これが政界タニマチの無残な姿なのです。
そして、本音を新聞記者の前で吐露する。
許されるんだと思っているのですよ。
何と、無責任な老爺なんだろうと思いました。

と言うわけで、この方は、「1回目の政権交代可能な状態までは一生懸命、熱を入れてやったが、私も年だし、あとは静観してみていこうと思っている」と語ったそうです。
距離を置く考えを示しながら、退いて保身に走る魂胆なのでしょう。
いい加減にしてもらいたいもんだと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月8日火曜日

飲んだので寝ますの巻き

★Pug falling asleep - very funny!!

今宵は、酔っ払って帰ってきたのでご就寝とさせていただきます。
でも、ちょっと会社の将来に不安を感じすぎた飲み会なのでした。

月曜日からインド人の研修生が三名やってきました。
引率は、日本の親会社から派遣されているエンジニアーの課長さんです。
でも、彼は英語がほとんど喋れませんでした。

あの喋っている様子ですと、TOEIC300点台でしょう。
先ず、仕事にならないレベルです。
それで、一ヶ月もムンバイに滞在していたと言うのでした。

連れて来た三名のインド人は、もちろん英語が堪能です。
毎日のリポートも英語で書いています。
わたしとは完全にコミュニケーションも取れていました。
そして、疑問に思ったのです。
あのエンジニアーは、本当に意思の疎通ができていたのだろうかと。
どうやら、ムンバイでは通訳をつけていたとか聞きました。

あれで、今年中に工場建設を竣工させると言うのです。
しかも、生産ラインが稼動することになっています。
ヘソで茶を沸かしそうになりました。

あのエンジニアー一人が、生産技術・品質管理など全責任を負うのです。
でも、英語がほとんど喋れない。
コミュニケーションもできない。

ちょっと、心配になってきました。
でも、トレーニングの受け入れが我々の責任です。
先ずは、責務を果たすと言うことです。

と言うわけで、明日は朝五時半起きで支度をして、ホテルに迎えに行きます。
何でも、朝のラジオ体操を導入したいそうで、当社の八時までに出社できるように出かけます。
飲んで朝早く起きるのも、つらいもんだなーと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年2月7日月曜日

ククリット氏の家に行って見たの巻き


このお屋敷は、伝統的なタイ建築の家です。元首相の故ククリット氏が生前に暮らしていました。
現在は、博物館として土日と祝日に公開されています。

とにかく、閑静な住宅街です。
大きな邸宅が建ち並んでいる一角にありました。
大通りから一本を奥に入っただけなのに、ひっそりとしていました。




ジムトンプソンの家もそうなんですが、タイの家は高床式です。
暑さや湿気をしのぐための生活の知恵でしょう。
地面から高さを保ちながら、家の四方は窓が開け放たれています。

訪れた日も、風が心地よく部屋の中を吹き抜けていました。
こんな優雅なたたずまいの家に、住んでみたい。
そんな風に思わせてくれる、束の間の憩いなんでしょうか。

部屋を巡り、階段を上がり床上の書斎を訪れます。
中には、プミポン国王ご一家の写真が飾られていました。
お母様のシーナカリン王太后、お姉さまのガラニヤ王女のお姿もあります。

特に印象的だったのは、シリントーン王女でした。
首相を務め文化人でもあったククリット氏のことです。
王女と深いご親交があったのかもしれません。
写真を見る限り、敬愛の念があふれているような感じでした。

と言うわけで、ワチラロンコン皇太子の写真が一枚も見当たりません。
とても、意味深長で印象深いものがありました。
王族でもあったククリット氏ですから、その思いを垣間見たような気がした道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
開館時間は、10時から17時です。
入館料は、一人50バーツでした。
スクンビット通りからは、ソイ40角のバス停から149番に乗って、エバーグリーンホテル前のバス停で降りて歩きました。
帰りは、スアンプルー通りから、エアコン62番にのってBTSプルンチット駅まで戻ることができます。
※左クリックで拡大してご覧になれます。

2011年2月6日日曜日

ぱちもん・ウインドウズ7を入れてしまったの巻き


このウインドウズ7のDVDですが、150バーツでした。

もちろん、正規品ではございません。
日本円にして、四百円也のOSでございます。
買う時、あまりの安さに騙されているんじゃないかと思いました。
まあ、そのつもりで楽しみとして買っておいたと言う分けです。

こちらバンコクにも、秋葉原みたいな電脳街が点在しています。
大きなところですと、パンチッププラザとかZEERなんかありますね。
中には、IT-Cityなどと小生意気に自称するモールもあります。

行って見ると分かるんですが、ソフト屋さんでは正規品が見当たりません。
海賊版だらけでして、それが当たり前のご当地です。
それに、PCを買ってもOSがインストールされていないのです。
つまり、OSは自分でインストールするのが、こちらの常識なのかもしれません。

となれば、インストールするのは、こう言うパチモンなのでしょうか。
よくは分かりませんけど、そうかもしれないと思います。
実は、十年前のタイ出張でも、似たようなOSを買った記憶があります。

その時は、ウインドウズ2000のマルチ言語バージョンでした。
値段が六百バーツでしたから、セブンよりも四倍高かったことになります。
多分、まだパソコンが今ほど普及していなかったので、割高だったのかもしれません。

でも、ちゃんとインストールもできたし、日本ではずっと使っていました。
要するに、パチモンでも大量流通で相場が値崩れしたと言うことでしょう
それだけ、ここタイのPCは今や常識の時代になったのかもしれません。

ところで、昨日の投稿では、パソコンの組立中だと書き立てました。
CPUの交換で安定して動くようになり、一安心です。
そうなれば、ウインドウズでも入れてみようかと思い立ちました。

まず、日本から持ってきた正規品のXPを使うのは無難な線です。
でも、当たり前すぎて面白くありません。
それに、SP1バージョンとかなり古めのリリースです。

これに、SP2からSP3までグレードアップする必要も出てきます。
結構、作業に時間も掛かりまして、かなり面倒です。
なら、いっそう、あの騙されたつもりのセブンでトライしよう。


そんな軽~い乗りも手伝ってか、即インストール作業を始めてしまいました。
いやー、インストールは快調に進んでいきます。
何と、三十分足らずで終了していしまいました。

と言うわけで、かなり中古の部品を集めて作っても、ウインドウズ7は軽快に動作するのでした。
ただ、英語版なので日本語入力ができるのか確認できていません。
ネットで調べる限りできるようですので、少しずつ暇な時にトライしてみようと思う道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
自作パソコンの仕様表を公開しておきます。
五年以上前のスペックですが、ネット程度の仕様なら問題ないでしょう。
未だ未だ現役で使用可能だと思いました。

CPU:Athlon-XP2200+(クロック:1.8Ghz)
(結局、このCPUも表面をきれいにしたら、動作しました。)
メモリー:DDR400-1.5GB
グラフィック:Nvidia FX-5500(256MB) AGP8X
ハードディスク:320GB
DVD-RW:LG製
電源:450W(現地仕様なので、入力電圧は220V固定です。)

2011年2月5日土曜日

タイでパソコンを組み立てておりますの巻き

HPで未だに製品が紹介されていました。

日本に一時帰国した時に、マザーボードを買ってきました。
お代は、お安く二千六百八十円也です。
七年前のだいぶ昔に製造された基板ですから、かなりの時代ものです。

でも、秋葉原に行くと、まだ旧式でも見つかるんですね。
しかも、この品物、新品のようでした。
基板の袋は開封されていたのですが、使用感がありません。

しかも、箱もきれいで、当初の値札シールが貼られていました。
Sofmapの帯に8,599円がタイプされています。
多分、在庫の売れ残り回りまわって、中古屋に流れたのでしょう。

つまり、運良く”じゃんぱら”で見つけられました。
このお店は、ネットのサイトも運営していますが、情報になかったのです。
直接、店頭で見つけたのは、ラッキーだったのかもしれません。

それで、タイまで持ち帰って組み立てているところです。
この基板は、通常、マザーボード(主基板)と言われるものです。
これに、CPUやメモリーを差し込んだりして組み立てていきます。


作業ははかどりまして、PCのケースに組み付けます。
後は、電源のコードをつなぎこんで電源を入れるだけです。
ところが、ここで大きな誤りを犯しました。

供給電源のケーブルを誤って差してしまったのです。
スイッチを入れてもうんともすんとも言わず、再チェックで発見しました。
やってしまった、マザーボードもぶっ壊したかもしれない。

一気に、心臓の鼓動が早くなります。
せっかく、タイまで運んできたのにどうしよう。
うーん、こんな単純ミスを犯すとは、後悔しても始まりません。

もう一度、確認して正しいケーブルを差し込みます。
スイッチオン、今度はメモリー通電のLEDが基板上で点灯しました。
良かったー、これでXPがインストールできます。

おやっ、モニターから起動画面が表示されません。
CPUの冷却ファンが勢い良く回りながらも、画面が真っ黒けです。
わからなくなってきました。

ひょっとして、CPUが壊れているのかなー。
これが動いていなければ、脳死状態な分けです。
論より証拠、今回持参した別のCPUに換装して見ます。

※アスロンXP-2200+から2000+へ換装です。

今度は、ピッとバイオスが鳴って動き出しました。
初期画面もちゃんと表示されてホッとします。
でも、初期設定の途中で、突然電源が落ちてしまうのです。

しかも、電源ケーブル脇の赤いLEDが点灯したままです。
この原因が何だか分かりません。
仕方ないので、”AN35N RED LED”と打ち込んでググって見ます。

と言うわけで、このLEDは、CPUがオーバーヒートしていたのでした。
結構、大きなヒートシンクとファンの装着ですが、接触面が悪いのでしょう。
一つ一つ、改良を続けてPCを完成させるのが楽しみな、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
後でマニュアルをチャックしました。
その結果、この赤いLED信号については、10ページに簡単に小さく説明されておりました。

2011年2月4日金曜日

ミンス党は、パロディーネタ宝庫の巻き

今日は、疲れております。
そんでもって、ネットで見つけたビフォーアフターでもお楽しみ下さい。
では、おやすみなさい。

★コーヒーが腐ってるよ~ん!

オリジナルはこちらです。

★バルタン星人のほうがマシだよ~ん。

 オリジナルはこちらです。

★ナチスの方がカッコいい!

オリジナルはこちらです。

(この巻き、終わり)

おまけ:人民服でのパロディーは、格好悪いと思います。