2011年2月2日水曜日

世紀と言う言葉の使えるお年頃の巻き

※グーグルストリートビューは凄いですねー。

四半世紀ぶりと言う言葉があります。
もし、人が人生でこの言葉を使うとしましょう。
おそらく、その人には相応の年齢が必要だと言うことです。

二十代の青年など、幼き頃を覚えていますまい。
物心がついて、分別も伴って来て、人は初めて人生を考え出すのです。
そんな時、色々な出会い、経験が生まれ、積み重ねるのでしょう。

そんな昔の一時期、出会った人や経験した事柄があったとします。
一期一会とも言いますよ。
それっきりでご無沙汰になってしまうかもしれない。

でも、ふと思い出したように、昔を邂逅する。
懐かしくなり、人を訪ね歩き、出会いを楽しんだりする。
それが、四半世紀ぶりになったとしたら、思いはなおさらです。

最近、なんとなく自分を振り返るようになりました。
年を取ったなーと感じつつも、否定はあえてしません。
相応に働いて、その給料でちゃんと生活できています。

それが、海外で働いていたとしても関係のないことです。

二十代の頃は、飲んで歩いていたのだ。
一時帰国をして、夜の繁華街をぶらついて、ふと思い出がよぎります。
そういえば、あの頃の、飲み屋のママはどうなったのだろう。

数年前のことでしょうか。
そのお店を思い出して、電話をかけたことがあります。
ママは、新橋で健在でした。

一人でお店を切り盛りしていたスナックです。
ママは、なかなかの美貌でした。
シャンソン歌手もしていたとかで、デュエットが上手です。

それで、月曜日の会議の打ち上げの後でした。
あの店、どうなったんだろうって、記憶がよみがえりました。
ほろ酔いの千鳥足で、思い出してしまったのです。

それで、何となく新橋に出てしまいます。
烏森口から、飲み屋の集まっている路地をぶらつくのです。
たしか、ここだったんだよなー。

ありましたよ、「みとっぽ」を見つけてしまいました。
飲み屋の集まった小さな雑居ビルは変わっていなかった。
階段をおりて、戸を開けます。

あー、変わらない。
二十五年前の空気がそのままでした。
でも、面影は同じでもママは年取ったなー。

お茶を引いていたらしく、新聞を読んでいました。
わたしが入って行くと、すばやく隠したのです。
商売は大丈夫かなー。

ママは覚えていてくれました。
話が弾みますが、ちょっと寂れた印象は隠せなかった。
お礼にボトル一本入れて、後は会社の後輩に託します。

と言うわけで、ママのご主人も六本木でお店をやっています。
道産子のマスターですから、店の名前がふるっています。
その名も「蘭しま」でして、出身の小樽に程近い海水浴場の名前になっていました。
その店は次回に改めて行くことにしましょう。
そんな四半世紀ぶりが板に付いて来た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

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