2010年9月28日火曜日
死にざまの理想形を、この仏教の国で見たの巻き
臨終の迎え方も、人さまざまではないでしょうか。
ごく普通には、家で、畳の上で、家族に囲まれて迎えたいと思うものです。
でも、人には予期せぬ運命が待ち受けている時もあるのです。
犯罪・事故など、思わぬ事件に巻き込まれ無いとも限りません。
このお坊さんの場合、どうなんでしょうか。
何と、座禅の座り方のまま入寂されました。
御歳、72歳です。
結跏趺座(けつかふざ)の姿勢を保ったまま、旅立たれたのです。
真に尊い死に様であったと申せましょう。
この方は、タイ北部のピサヌローク県に住んでおられました。
近隣の住民からもあがめられていた高僧です。
それで、この入滅のさまがあまりに畏れ多かったようです。
写真では、亡き骸の移送に苦慮した様子が伺えます。
結局、病院の関係者が、座したままの状態で運び出しました。
これって、日本でも同じような逸話が残されていますよね。
中国より渡来して、奈良の唐招提寺を開いた鑑真大和尚もそうでした。
その時のお姿を、弟子達が死期を悟って坐像として残しています。
他にも、弘法大師様も入定は、このお姿であったと言い伝えが残されています。
でも、このような尊いお話は、どうもありがたみがありすぎて肌にあいません。
戒律を犯した破戒僧侶のネタの方が、下世話で面白い。
しかも、マイペンライのタイのことです。
女性信者とみだらな行為に及んだエロ坊主もおります。
はたまた、ゲイのオカマ坊さんもいたりして滅茶苦茶なのでした。
言うわけで、尊い話しが一変して下卑てしまいました。
それはなぜか。
実は、道産子社長は、坊主漫画の傑作「快僧のざらし」が大好きなのです。
抹香臭い説教話より、笑いで明日の英気を養った方がマシだと思うのでした。
(この巻き、終わり)
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5 件のコメント:
すばらしい写真ですね。まるで生きているようです。ドイツのグンター・フォン・ハーゲンス博士がいくらでも出すからと言って来そうです。
覚悟と言うのか立派ですね。生にも当然、性にも執着しないお方でしょう。
俗界の唸声は性にも生にもしがみ付いています。
ある朝の会話
弟子「ご気分は如何ですか?」
高僧「まだ死んでおらぬ」
唸声さんへ、
コメントをありがとうございます。
このお坊さんの入滅は、タイCH3の朝のニュース番組でも紹介されておりました。
お坊さんと言えば、私は江戸時代の仙厓和尚さんが大好きです。今際の言葉として、弟子たちに「死にとうない」と一言を残してしまいました。自分に偽らず、素直にありのままを言う人間臭さが、好きですね。
堀和久さんが小説に書かれておられますが、二回も読み直してしまいました。お勧めしたいと思います。
ぐりぐりももんが様
うらめしや わがかくれ家は 雪隠か 来る人ごとに 紙おいてゆく
読んでみます。
この方はフランス座にもいたそうで三十数年前にかぶりつきで見てきました。
踊りの合い間のコントが実に軽妙でおかしく大笑いしました。TVでは放映できない内容ですが・・・。
生臭坊主肯定派(しょうがねぇなこの坊主)のアタシは全く同感です。
そして山上たつひこは大好きであります。
喜劇思想大系はしっかり本棚にあります。
南風道灌さんへ、
山上たつひこさんは、漫画の筆を折ってしまい、今は小説を書いていると聞きました。あの、シュールなギャグが好きだったのですが、、、、
それで、神奈川といえば、のざらしより凄い怪僧:織田無道がおりましたね。一頃、偽って霊能者として活発にテレビ出演したりしていました。
鎌倉が本山の臨済宗建長寺派圓光禅寺の住職を努めていたそうです。一千の檀家もあった立派なお寺ですから、のざらしの昇天寺も顔負けでしょうなー。
でも、今は行方不明なんですよ。
色々なところで、揉め事を起こしていましたから、仏様が天罰を下したんだと思いました。
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