2010年9月16日木曜日

イスラム教徒が憎まれても致し方ないだろうの巻き

※小学校でテロの警戒に当たる兵士 (南部ヤラ県)

最近、コーランを巡る話題が世界を駆け巡りました。
コーランは、ご存知の通りイスラム教の経典です。
教徒にとっては、神聖なものに違いありません。

でも、アメリカのキリスト教牧師から見れば、それは邪悪そのものに見えたようです。
彼は、このイスラム教の経典を燃やそうとしました。
何ゆえ、そんなショッキングな暴挙に出たのか。

それには、過去の忌まわしい思い出があったからです。
誰しもが、九年前のニューヨークで起きた同時多発テロは忘れられません。
六千人以上の尊い命が犠牲になりました。
しかも、実行犯はイスラム教徒でした。
旅客機をハイジャックして、世界貿易センタービルに自爆攻撃を仕掛けたのです。

何と無慈悲で残忍な犯罪なのでしょう。

そして、常識的に見て市井の人はこう思うのです。
この宗教は、排他的で非寛容で暴力性に満ち溢れていないか。
そんな過激さを誇示して余りあったのが、あの事件でした。

だから、米フロリダ州のキリスト教会がコーランを燃やす計画を打ち出したのです。
しかも、神経を逆なでするイスラム教徒の行動も事前にありました。
同時多発テロ跡地付近に、モスクの建設を計画した人々がいたのです。

これでは、全米で論議を巻き起こすのは必至です。
国民の大半がキリスト教のアメリカを、挑発しないはずが無いのです。
彼らは、どうして過激で両極端な行動に走るのでしょうか。

実を申さば、このような発想は、このタイにおいても見受けられるのです。

タイは仏教徒の国と思われがちです。
しかしながら、少数ですがイスラム教徒の国民もおります。
特にマレーシアと国境を接する最南部三県は、逆に仏教徒が少なくなります。

最近、この最南部のナラティワート県で殺人事件が起こりました。
被害者は、、地元の学校に勤務する五十代の教師夫婦でした。
オートバイに乗った2人組の男に襲われ、ライフルで射殺されています。

もちろん、襲撃の犯行声明はありません。
ですが、宗教対立が原因で、繰り返し殺戮が行われてきたのは事実です。
なぜなら、2004年以来、135人の教師がこうした暴力の犠牲になりました。

教師達は、南部では政府当局の象徴と考えられています。
特に、イスラム過激派は、学校制度が政府による仏教文化の押し付けだと見なしているようです。
そして、このようなテロの犠牲者は合計で四千人以上に上っているのです。

と言うわけで、タイが微笑みの国だと言われるのは、実に表面的な印象です。
反面では、テロと呼ぶべき暴力性の高い事件が頻発する社会事情を抱えている事実を忘れてはなりません。
本音で、イスラム教徒は人の命を粗末にしたがると思わざるを得ない道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

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