2011年12月12日月曜日

知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だの巻き

開高健さんの残した言葉。


一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
本にせよ、スーツにせよ、シガーにせよ、酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。
でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
つまり知識や経験は人生に悲しみも もたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを
知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方が高級だ。


野狸首相の支持率も、風雲急を告げて絶賛降下中です。
民主党の化けの皮を知ってしまった選挙民のみなさん。
後戻りできない”知る悲しみ”だけを残されてしまった。

将来は路頭に迷うのも必至と心得て、生き永らえてください。
この言葉は、含蓄がありますなー。
文学界の巨匠は、すでに予言めいた言葉すら残していたのでした。

ところで、冒頭の絵はスイスの画家、ハンスエルニが描きました。
スポーツを対象にした作品が、結構、有名かと思います。
具象画でもなく抽象画でもなく、イメージが湧き上がるような描き方です。

これを、とある雑誌では”パンタレイ感覚”と表現していました。
つまり、「万物は流転する」と言う意味なんですね。
古代ギリシャの哲人・ヘラクレイトスの言葉だそうで、描き方がピッタリです。

画題が、スポーツと言う躍動感に満たされています。
しかも、一瞬の動きが切り取られてイメージが再構成されています。
でも、どうして開高健とハンスエルニが関係があるのかって言うことです。


それは、開高健自身が、小説の題材に絵画を取上げているからでした。
そして、そのタイトルは「裸の王様」と言います。
もちろん、作品の中でも、この画家をスイスのピカソだと紹介しています。

でも、ピカソの作品は、なんだか絵が止まっているようにしか見えない。
一方、エルニは、常に動態的な印象が絵の中に存在しています。
この違いが明らかですから、ピカソになぞらえずとも巨匠ではないでしょうか。

と言うわけで、冒頭に掲げた作品は、ハンスエルニならではのものでしょう。ところで、開高健の箴言ですが、どこの作品から抜粋されたものか、よく分かりません。結構、ネットで流布されているのですが、それらしくでっち上げて、ほくそ笑んでいる奴もいそうな気がして、ちょっと疑っています。だれか親切に出典を教えてくれる人はいないものか、と思ってしまった道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今日は格調高いですね。

ぐりぐりももんが さんのコメント...

匿名さんへ、

ハンス・エルニは、僕の好きな画家なんですが、意外に日本では知られていません。
昔から絵は好きだったので、時々、思いつくとブログで紹介しています。
松本俊介も一頃より有名になりましたが、若い頃の絵の描き方は、この画家のようにイメージが画布の中で生き生きとしています。

http://gurigurimomonga.blogspot.com/2011/04/blog-post_14.html

しかし、バンコクには良い美術館がありませんなー。さびしく思います。

匿名 さんのコメント...

BTSがサヤムの駅で北へグーと曲がるところに美術館があります。大抵いつも催し物をやっていて、最上階まで見ると結構面白いです。無料です。
 場所は、外に変なオブジェを置いているので、すぐ分ります。知っていたら、失礼。

ぐりぐりももんが さんのコメント...

匿名さんへ、

是非、行ってみたいと思います。
ちょっと思い出したんですが、DACOで紹介されていた、モダンアートの美術館じゃないでしょうかね。