2011年1月7日金曜日

いとも簡単に国境侵犯なのであるの巻き

このタイトルが出ますと、すぐに思い出します。
我が日本国領土の尖閣諸島沖で起きた事件です。
昨年起きた重大ニュースの中では、ダントツのトップにあげられました。

これほど領土問題に目覚めた事件は、過去に無いのです。
中国漁船は、悪逆かつ非道の限りを尽くました。
海を守る巡視船に衝突をけしかける行為など論外ですよ。

ですが、こう言った領土紛争は、世界中で起きています。
実際、今住んでいるタイでも領土問題では根深いものがあります。
中でも、カンボジアとは犬猿の仲と言って良いでしょう。

とにかく、地続きの国境では、領土の分捕りあいが歴史の基本です。
カンボジアのクメール王朝は、12~13世紀に掛けてもっとも領土を広げました。
タイ、マレー半島、ベトナム南部に及んでいたといいますから、大国に違いなかったようです。


ところが、時代を経るとクメール朝は衰退の一途をたどったみたいです。
一方、タイ人は次々と王朝を打ち立てて領土の拡張を進めました。
結局、クメールの人たちは王都シエムリアップ(アンコールワット)から逃げ出して、プノンペンに遷都をしています。

※シエムリアップは、タイ領土になっていました。

ですから、カンボジアの人たちは、タイ人が領土を掠め取ったと未だに思っているんじゃないでしょうか。
一方、なりあがってきたタイの王朝も、力こそ正義とばかりで領土を誇示してきました。
ところが、この領土に横槍を入れたのが、欧米列強なのですよ。

とくに、英仏のインドシナにおける植民地化競争は激しかった。
タイは、その煽りを食って、かなり領土を割譲しています。
現在のカンボジアの西半分、ラオス全体は、本当ならタイの国土だったのです。

ですから、タイも大きな犠牲を払って独立を維持したってことなんでしょう。
ここまで、ネットで手当たり次第に調べて読んでみました。
結構、インドシナの歴史も奥が深いと感じる分けです。

 ※マスコミも一緒だったようですが、なぜ逮捕されなかったか?

実を申しますと、昨年末、タイ人七名の一行が、カンボジアの国境警備隊に逮捕されました。
1キロも入りこんで、プラプラ歩いていたら、そりゃ捕まりますでしょう。
中には、国会議員も含まれていたと言うから驚きです。
あっさり、タイ外務省も罪の意識はなかったと認めてしまいました。

こう言った経緯は、英字紙バンコクポストの記事が紹介しています。

それで斜め読みしましたが、面白いことが分かりました。
現在、タイの国境線は確定しているらしく、各地点に標石が埋め込まれたらしい。
タイ人の一行は、47番の標石を確認してから、入り込んだと書いてありました。

 ※国境警備隊が、のんびり侵犯の様子を観察しているのでした。

これって、確信犯じゃないですか。
しかも、事件の後になって、隣の標石まで鉄条網がしかれたみたいです。
ところが、この作業に非難の声を上げたのが、この付近の住民です。

カンボジア側と交易ができなくて、村の倉庫は荷物で一杯なんだとか。
これは、はっきり言いまして密貿易です。
まあ、地続きで見渡す限り平原みたいな場所ですから、取引はお茶の子さいさいなのでしょう。

しかも、この辺り一帯は、内戦で逃げ出したカンボジ難民が住み着いています。
タイ政府は、カンボジアに送還したいようですが、どっこい住民もしぶとい。
つまり、この地域では国境線なんて、あって無いようなもんだと言うことです。

※この地域には、有名なクメール様式の遺跡:Prasat Sadok Gok Tomがあります。

と言うわけで、地元に取っちゃあ、国境は無用の長物なのでしょう。
日々の糧が稼げるように、両国を往来するのは土地の掟に違いない。
そんな逞しさを感じた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
カンボジアのシエムリアップを旅した時のことです。
現地の人は、タイ人に対する印象が良くないと何となく感じました。
それに加えて国境侵犯事件もありましたので、色々と調べた中で記事にして見ました。

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