タイは敬虔な仏教徒の国である。
人々の生活は、仏教の教えに支えられ彩られていると言っても過言でない。人々の信仰は厚く、托鉢のために朝早くから街中を歩くお坊さんに、お布施の食物を差し出す習慣は、ごく普通だ。このバンコクの都会の喧騒ですら、ごく当たり前に見かけることができる。自分も、通勤途中の車中から、この光景をたびたび目にして来た。
そして、この地が微笑みの国と言われるのも、この教えにいざなわれているからだと思う。
わずか九歳の日系タイ人、佐藤啓吾君も、そんな仏の教えを信じていたのではないだろうか。この少年は、五年前に帰国し行方不明となった日本人の父親を捜していた。離婚した母親は、不治の病に倒れ、明日をも知れぬ命の中で、懸命に面倒を見る少年に向かって、こう言い残したのだと言う。
「タールアン寺院の本堂で待っていなさい。あなたのお父さんに会えるから。」
このお寺で、両親は運命的に出会い結ばれたらしい。思い出のある掛け替えのない無い場所に違いない。母親の姉も、そのような話を聞いていたようだ。そして、少年には、色あせた一枚の父親の写真が形見に残された。
それから、少年は母の遺言を信じ、寺を訪れる観光客に写真を示しながら、父親の消息を毎日訪ねるようになったのである。
結果的には、この努力が実を結び、再会まで漕ぎ着けたのは、真に喜ばしい限りである。思うに、少年のすばらしさは、ただお父さんに会いたいと言う純真無垢な気持ちで行動したと言うことだ。養育費やら生活費のように、金目当ての話が最初から微塵も出てこなかったのが、気持ちよい。だからこそ、幼い少年の健気でいじらしいさまは、人々の耳目を集めたのだと思う。
つまり、お寺が約束の地となって願いがかなったのである。これを、仏の教えが導いたと、地元の人であれば素直に考えるのではないだろうか。仮に、そのように思わなくても、地元の人であれば日常生活に馴染んだ仏教の教えや行事が、深層心理として息づいて、皆がこの少年を背後から後押したのだと思う。このお寺は、バンコクからもかなり遠方のピチット県と言う田舎にある。素朴な人々の生活と仏の教えは一体化していると考えたほうが良い。
そんなわけで、お父さんの克己さんもちゃんと名乗り出て会えたことだし、ハッピーエンドで良かったと思う貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)
おまけ:
啓吾君の母親は、16歳で実家を飛び出してゴーゴーバーで一躍売れっ子になったものの、副業で長い間春をひさぐ商売をしていたせいか、HIVに罹って帰らぬ人となったのです。実話としては、とても悲惨な暗部もありまして、タイ国民総てが健康で幸せに暮らすのは、まだまだ長い道のりがあると言うことを感じさせられました。父親の佐藤克己さんも、啓吾君を長子として自分の戸籍に入れておりますし、その後、法的な手続きを踏まえて離婚をしております。若気の至りと言うこともありましょう。ちゃんとバンコクまで来て啓吾君に泣きながら再会したのです。ご本人は、ごく真面目な方だと感じました。
【共同通信】(2009/10/02 23:31)
【バンコク共同】行方不明になった日本人の父親を捜す子供として、タイで大きな話題になった9歳の男児が2日、バンコクを訪れた父親と5年ぶりに再会を果たした。
男児はタイ中部ピチット県で暮らす日本国籍の佐藤啓吾君。父親の佐藤克巳さん(31)=東京都=とタイ人の母親の間に生まれたが、克巳さんは2004年に離婚、帰国した。
母親は今年4月に病気で死亡。啓吾君は母親から「お父さんが訪ねてくる」と聞かされていた寺で、克巳さんの写真を観光客に見せるなどして父親捜しを始めた。この姿がタイのメディアで大々的に取り上げられたため、タイ外務省が日本外務省に父親の所在確認を要請。5月中旬、克巳さんと連絡が取れ、タイを再訪する運びになった。
バンコクの空港で再会を果たした啓吾君は「やっと会えた」と克巳さんのほおにキス。克巳さんも「うれしいです」と声を詰まらせながら、啓吾君を抱き締めた。
2 件のコメント:
啓吾君の話、切ない気持ちで読ませて頂きました。
きっと、同じような身の上の子が、まだいるんじゃなかろうかなどとも思ってしまいました。
啓吾君、幸せになってくれたらいいですね。
ところで、北海道人会の写真、見せて頂きました。皆さん、いい顔をしていらっしゃいますね。
ぐりぐりももんがさんは、この方かな〜なんて、思いながら拝見してました。
ぽぷらさんへ、
そちらへコメントするときは、記事を読んでインスピレーションの湧いた内容を、自分なりに書いてしまいますので、そちらの趣旨と若干異なる時もあろうかとは思いますが、そう言う一風変わった読者もいるのだと察して、末永くお付き合い下さい。お願いします。
さて、啓吾君については、お父さんの克己さんを批判したブログがあったり、お母さんの水商売絡みの噂が変に流れたり、金目当てで親探しの子供が何人も現れたりして、人間の生臭いあさましさを思い知りましたので、記事にせずネタ帳にしまったままでした。
ようやく、再会と言う幸せな結末を見るに付き、この子の希望は本当に純粋であったかも知れないと考えるようになりました。それで、記事にしたのです。
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