貧乏社長がガキだった時分と言えば、もう半世紀近くも昔の話になる。
当時の子供の遊びや生活は、とても単純でンプルだったと思う。
当時は、画面に色の付かない白黒テレビが茶の間にあって、鉄腕アトムとか鉄人28号とかテレビアニメを友達と一緒に見ることもあった。だが、それは邪道だ。
やはり、おいら達の遊びの本領は、小学校が終わった放課後から繰り広げられる、外での遊びだったと思う。缶けり、ポコペン、だるまさんが転んだ、はないちもんめとかいろいろその日その日で取っ換え引っ換えして遊んでいた。
特に、鬼ごっこもそうだったが、貧乏社長が暮らしていた北海道には、風変わりな言葉使いがあって未だに忘れられない。
それは、鬼が逃げまわる子を捕まえたときに、”エッタ”と叫ぶのである。何ゆえ、”エッタ”と言うのか今もって分からない。子供だから、年長の遊び仲間から口伝えに覚えて来たと思うんだが、大人になってからも不思議に記憶に残ったままだ。
”エッタ”って、どんな意味があるのだろう。今だったら、バタ臭くタッチとか言うんじゃないだろうか、これって北海道弁なんだろうか。
またぞろ、好奇心の塊みたいな貧乏社長の探求心に火が付いた。早速、グーグルで検索を開始する。”エッタ”と入力してトップに出たのは、ネット百科辞典のウイキペディアだった。
面白いのは、おせっかいなグーグル機能だ。検索用語の、複数キーワードの関連付けで検索上位に並べられた、検索例を紹介している。
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はっきり言って、余り良い言葉ではないらしい。むしろ、差別用語と理解した。
この階級的な差別は、開拓が始まって百五十年にしかならない北海道には、存在しないものだ。むしろ、差別があったとしたら和人とアイヌ人の間だけであったのだろう。内地(本州)から開拓で移り住んだ人々は、渡ってから北海道で戸籍を作り直した人が多い。
貧乏社長の爺さんも、次男坊のせいで家督を継げずに、閉塞的な環境から抜け出すつもりで、新潟は長岡からこの北海道に渡ってきた。祖父さんが置いた本籍は、俳優の高倉健主演の名作映画「
網走番外地」の網走監獄に程近い呼人(よびと)と言う辺鄙で殺風景な場所にある。
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だから、北海道の人は、皆がかの土地で新しい人生を作り出そうとした人たちなのだと思っている。このためには、新しい戸籍も本籍地も自分なりに創生すれば良かった訳だ。単純な考えかもしれないが、穢多だか非人だか分からんような差別を受けるぐらいだったら、北海道へ来れば良かったのもしれない。
ただ、自由を勝ち得た代償は大きい。
移り住んだ人々は、取り合えず雨風をしのぐ仮住まいをすぐに作らねばならなかっただろう。札幌の
北海道開拓の村にある、当時を再現した”開拓小屋”を見ても、質素以外に言葉が見つからない。笹や茅(かや)で屋根や壁を葺き、出入り口・窓にはむしろが垂れ下がっただけの原始的な粗末な掘っ立て小屋、入り口には扉もなくムシロが垂れ下がっている。
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こんなわび住まいを拠点にして、手にした未開の原野を開墾しなければならなかったのだ。これは、言葉に尽くせない労苦を重ねたはずだ。経験した事の無い、北国の寒冷な気候が特に冬場では耐え難い苦痛となっただろう。余りの生活苦で一家離散してしまった家族もあるかもしれない。
そうやって、北海道人は生きてきた。
そして思う。何ゆえ、その人々はその地を離れられなかったのだろうと。
多分、自由を選ぶことよりも、そこで手にしていた日々の糧が、道産子達の創世よりまだ安定していたのかもしれない。外界との接触を避けて、その社会の中で肩を寄せ合い、助け合えれば暮らしていけたのだろう。他にも理由はあるかもしれない。
比べれば、あの頃の北海道にとっては差別のやりようも無かったのだ。
自由な北海道に生まれて良かったと貧乏社長は、自分の家系に感謝している。因習やしがらみが一切無く、自由に自分の人生を選んで好きなように生きていける。こんな土性骨が道産子にあるから、何時でもどこでも、そしてこのタイにおいても、飛躍できる能力を発揮できるのだと改めて感じ入った。
大分、寄り道をしてしまった。
”エッタ”の語源探しが終わっていない。
ネットで色々調べるだけ当たってみたが、語源はハッキリしなかった。
”獲った”と漢字で書く場合もあるし、鬼ごっこの鬼を英語で”it(イット)”と言うのでそれがなまって転用されたとか、はたまた、ロシア語の「エータ(これ)」から来たとか、諸説紛々なのである。はっきり言っておくが、北海道ではこの言葉に差別の意味が無い。道産子の子供達が使う純真無垢な言霊には、忌まわしい意味など微塵も無いのである。
こうして、貧乏社長はたった一つの北海道弁で、自分の郷里を思い返しながら、鬼ごっこに何も罪は無いんだよと呟いたのでありました。(この巻き、終わり)
おまけ1:
用語として、差別と区別の意図的なスリ替えを認める時期に来ている。ご都合で悪いことに対しては、すべて差別と主張すべきでは無い。
以前、関西の方では
○○○○同盟の支部長をしながら、病気を理由に5年9ヶ月もの間に休暇32 回、休職2回を取り、その間に市との団体交渉に出席し、給料を満額もらいながら、僅か8日しか勤務しなかった
極悪な地方公務員がいたことを、忘れてはならない。差別でビジネスを創造できるのだろう。
おまけ2:
親父も仕事の関係で札幌へ引越してからは、戸籍謄本を取り寄せるのにいちいち網走の市役所へ頼むのが面倒くさくなったらしい。終いには、札幌の自宅に本籍を変えてしまった。その内、貧乏社長も上さんとの国際結婚が複雑だったので、手続き上、横浜に本籍を移してしまいました。我が家系は、北海道から内地(本州)へ捲土重来した感じもいたします。
おまけ3:
アイヌの人たちは、遺伝学的に見ても日本人と同じ特質を持っていて、縄文人系なんだそうだ。つまり、日本人なのである。とは言っても、北海道の気候が厳しくて農耕も出来ないし、狩猟・採集中心の生活だったから、生活習慣・文化・言語で内地の和人に大きな隔たりが出来てしまったんだろうと思う。少なくとも、貧乏社長が北海道を出るまでアイヌの人を差別したことも見たことも個人的にありません。断言いたします。