よもや、母が鬼界の門をくぐるとは知らされず、のんびり試験を受けていた。
父親も、姉も、私をどのように扱ったのかは分からない。
ただ、学校の先生は不憫に思ったのだろう。
数IIなど、試験を受けなくても十段階で九の成績をもらった。
結局、試験を受けても受けなくても、成績はかなり良かったのである。
と言うわけで、大伯父が通夜の晩に自分が試験勉強をしていたのを見て、そんなにまでし無くてもいいのにと言われたことを未だに覚えている。でも、母は自分が少なくとも国立大学は通ってもらいたかったから、死期が分からずとも、予感のようなもので自分もそれなりに答えていたのかもしれない。そんな、3月11日のことだから、昨年のことは分からない。はるか昔の母の記憶で、今日を過ごそうと思う。
(この巻き、終わり)
2 件のコメント:
ぐりりん社長のお母様、若くしてなくなられたのですね。3月11日。大震災のことよりも、お母様のことを思い出すのは当然のことかと思います。
私は結婚記念日が阪神大震災と重なりました。何もなかったようにその日を過ごしています。
私のブログにも書いたのですが、震災のあった日をマスゴミやプロ市民などが、追悼やら哀悼やらの表現でイベントを行ったり、映像で追いかけたりすることが、私は好きになれません。
御霊への哀悼も大切ですが、今、生きているものへの手助けは遅れっぱなし。政治家も大きな利権が絡むから、何かと身勝手な自己主張の連続・・・。今を生きている人へ雇用の1つでももってこい、と思ってしまいます。
とよこさんへ、
実を申しますと、とよこさんのブログを読んで、ごく普通にその日を過ごすのが良いのかと思いました。
そうするうちに、そう言えば母の命日だったと改めて思い出しました。ですので、そう思って過ごしました。
どんなに儀礼的な言葉を吐いても、無くなった人は戻っては来ないのです。
悲しみに打ちひしがれる前に、先ず前を向いて生きていかなくてはならない。
この点では、NHKを初めとするマスゴミは、視聴率欲しさのお涙頂戴番組だらけです。
どこかのブログで、”日本は終了しました”って、書いてありましたけど、海外に住んでいると、そんな風に思うようになりました。
タイの洪水被害は、過ぎ去ってしまえばお気楽なンだけどなー。
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