おいらがバンコクに仕事で初めてやってきたのは、1996年の5月ころだったから、かれこれ10年以上も前のことになる。その頃は、BTSも地下鉄もないし、国際空港はドンムァンだった。エアコン無しのクソ暑いバスなら、3.5バーツ(15円)さえ払えば終点まで乗れた時代だ。今浦島のようにバンコクもすっかり変わってしまったなと感慨に浸っていて、ふと思い出したことがある。
そう言えば、96~7年当時、日本ではウインドウズ95からインターネットが普及し始めていたのに、バンコクでは雑音だらけのパルス電話回線しか使えず、つながっても19.2Kbpsの送受信スピードがせいぜいで、できることと言ったらパソコン通信ぐらいだったことを思い出した。当時、流行のISDNもバンコク中心部のごく限られた地帯でしか導入されていなかったと思う。
当時、パトンタニの工場ではISO認証取得の活動をしていて、おいらも助っ人として品質管理文書のライターとしてタイへ来ていたわけだが、出張報告を出すのにパソ通を使い始めた思い出がある。ニフティーの会員登録も、出張前に日本でしておけばよかったものの時間に余裕が無くて、バンコクへ来てから行った。回線の切断トラブルもあって3回もトライしながら、何とか登録できて工場の事務所から報告を送信できたときはうれしかったのを覚えている。
おいらの会社はとんでもないしわい屋で、業務用にラップトップPCを持参したいと希望したのに趣旨を理解してもらえず拒絶され、出張手当をこまめに貯めては原資を作って自腹で秋葉原へ買出しに出かけて購入し、タイへ持参する羽目になった。
当時のスペックは現在から見ると想像もできないほど幼稚なもので、画面は10.4インチのDSTN液晶で800X600ドットしか表示できない、CPUも486DXでメモリーも12メガと貧弱、810メガのハードディスクにOSも自分でインストールした。確か、秋葉のツートップで特価品を15万近くも払って買ったと記憶している。メーカーは、台湾GVC社製だった。モデムの外付けが必要になり、バンコクのシーロムにあるOffice-Depoみたいなパソコンショップから、U.S. Robotics社の28.6Kbpsモデムを購入して接続したはずだ。
仕舞いには、アプリもプリンタも結局仕事の効率化には必要になって、Office97、Visio、BJ-210もISOのために自弁した。結構、あれやこれや仕事の自己実現のために投資したが、今となっては懐かしいし、ISOも取得できたから本望だと言うことにしておこう。
もうひとつ思い出がある。
宿泊先のサービスアパートでは、電話交換機に細工がしてあって電話機からモデム接続ができず、不便極まりなかったのだが、今なら、宿泊客から大ブーイングが起きるだろう。当時は、苦情をアパート経営者に言うのが精いっぱいで、日本へ帰国するまで改善されることはなかった。実名で糾弾しておこう、このクソ”ユーロパークホテル”め。
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