2009年5月2日土曜日

メコン河に赤い国境線は無かったのだの巻き

貧乏社長は、子供の頃、五歳年上の姉貴が持っていた地理の世界地図集をお下がりに貰っていたせいか、世界の国名やら首都名やらを片っ端から暗記しては、小学校のクラスで自慢げに諳んじていたりしていたことがある。

今となっては、ブータンはチンプーとかタジキスタンがドゥシャンべとか、トンでも地名ばかりが記憶に残ってしまっていて、覚えいてもとても役に立ちそうに無いのだが、あの頃は、世界各地の地図をまじまじと見ながら地続きの国境には、各々の領土を明快に区切る赤い線が引かれているのだと、子供心に本気で夢想していたものである。

こんな愚にも付かない想像は、おいらが大学生のバックパッカー貧乏旅行をした時分に、陸続きの国境線を実際に横断することで、砂上の楼閣のごとく崩れ去ってしまった。今から二十五年前、当時ですらインドとパキスタンは仲違いが激しかったんだが、貧乏社長は、ターバンを巻いたシーク教徒の聖地:アムリツァールから、世界遺産のお城があるラホールへ向かって旅をしていた。

途中には、両国の国境検問所があって通過しなければならない。国境に沿って一キロほどの巾で非武装中立地帯が連なっているので、それを横断する荒野のデコボコ道を、バックパックを背負ってテクテク歩いて横断した。感銘はほとんど無かった記憶がある。鉄条網で厳重に仕切られている風にも見えず、何とのんびりした雰囲気かと思ったのが本当だ。

今回のメコン河も同じ様なもんで、タイ・ラオス・ミャンマーの三カ国を悠々と流れる川面には、ただただ、その黄土色をした水の流れしか存在していない。
のどかとしか言いようの無い、タイ北方の国境の町、チェンセーン。
国境警備兵なんかどこにもいないし、不法な越境入国者を監視する歩哨なんか土手を見渡しても見かけない。対岸を見たって、自然に出来上がった土手しか見当たらず、向こう岸はラオス領で、左岸を流れるメーサイ川が合流する辺りは、真ん中に伸び出た三角洲があってミャンマー領なんだと言う。この細長いミャンマー領の奥にはカジノもあるらしく、確かに遠くの方で赤い建物の一群を見ることができた。
かっては、世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯と言われた黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)も、今となっては単なる観光地な分けで、未だにテロ組織のタリバン勢力が実効支配している、アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近にある”黄金の三日月地帯”とは全く趣が違うんだろう。

タイ側は暮らし向きも良くなって、観光客相手に土産物でも売って日銭商売をした方が確実な稼ぎになるから、住民が危ない仕事に手を染める事も無くなった。

しかしだな。

隣国のミャンマーでは未だに麻薬生産を続行していて、密造・密売が横行し続けているらしい。年間で麻薬の原料生産がおよそ三千トンにも上ると発表されているぐらいだから、タイ政府も油断する事はできないだろう。グーグルマップで縮尺をどんどん上げても、タイ側は綺麗に道路網が表示されて行くが、ミャンマー・ラオス川は空白に切り替わってしまうだけだ。要するに、まともな地理情報がないと言う事は、政府もかの地の自治を掌握しきれていない分けで、悪い事はやりたい放題なのかもしれない。

まあ、チェンセーンには、コンビニのセブンイレブンだってあったし、市中銀行の出先支店も多くてATM機がかなり設置されていたから、タイと言う国は確実に平和に日々進歩して来たんだなーと思った、貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)

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