自分も、はや五十年を生きてしまいました。
もう既に、人生の六割以上を過ごしてしまったのです。
鬼界の門をくぐる方が、時間的に残り少ないのだ。
そんなことに気がついてしまいました。
そうやって考えてしまうと、なぜかはかなくなってしまいます。
こうして生きてきて、何かやり遂げたのだろうか。
ちゃらんぽらんに暮らしただけかもしれない。
ちょっぴり、焦りを感じたりもします。
誰か悲しんでくれる人がいるのだろうか。
上さんを残していくのはつらいなー。
葬式なんか要らないよな。
などと、色々に考えてしまいました。
もっとも、こんな思いにふけるのも、年を取ったのかもしれません。
それで、この三月、マレーシアに出張した時のことです。
ホテルでは、毎朝、地元の英字紙を無料で手にしました。
この英字新聞が、「Star」とか名前なんですが、とにかく分厚い。
百ページくらいの分量はありそうです。
朝食の時に、ペラペラとめくってみます。
地元のマレー語では無くて、英語なので読めなくも無い。
でも、ローカル記事は、事情が飲み込めず、さっぱりです。
現地に義理立てする必要も無いから、さっさと読み飛ばしましょう。
おやっ、なんか個人の情報を取り上げたページが出てきました。
大見出しには、”Cherish”とタイトルが掲げられています。
この単語ですが、”(いい思い出などを)胸[心]にしまっておく”と言う動詞ですね。
しかも、個別の記事には、”OBITUARY”の見出しが必ず出ていました。
つまり、新聞に載せるお悔やみの広告だったのが分かりました。
日本の新聞だったら、黒枠で実に地味なものです。
特に関係の無い限り、あまり注意することは無いでしょう。
でも、この新聞欄だけは、思わず見入ってしまいました。
何だか、この広告を載せた人たちの思いが伝わってきたのです。
亡き人を偲ぶ心情が、手に取るように分かる気がしました。
無くなった方には、まだお若い人がいらっしゃいます。
きっと、家族もおありのことでしょう。
と言うわけで、興味もあって後で調べたのですが、欧米ではこのような広告は普通なのが分かりました。
そして、同じアジアの国のマーレシアでも一般的なのです。
日本ではどうして、このようなお悔やみ広告が広まらないのか、とても不思議に思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)