2009年5月31日日曜日
自作フェースマスクは、便所紙を揉む要領での巻き
□□課長殿
掲題の件、添付の写真を踏まえて下記の通り回答申し上げます。
記
1.上段の産業マスク、即納可、単価23バーツ(65円)
2.中段の活性炭入りマスク、即納可、単価10バーツ(28円)
3.下段の一般的なマスク、現時点で納期まで2週間、単価2バーツ(6円)
注:現在、詳しい見積書を取り寄せています。日本への送付料は改めて相談させてください。
以上
厚生労働省が記者会見を行った29日には、その時点で新型インフルエンザ感染確定者が国内で359人になったと発表したんだそうだ。もちろん、お役人が勇ましく唱えた「水際対策」で確認された、国際空港でのたった八人は除かれている。まあ、それを足したとしてもそんなに数は変わらんし、死者もまだ出ておらんようなので、豚ちゃん風邪は、流行性感冒のちょっと強いレベルで済まされそうなもんだと思う。
貧乏社長の賢くもお住まいするタイでは、患者が発生しているんだか、増えているんだかは、あんまりハッキリしていない。水際対策なんてありそうも無いし、余計な報道発表でタイへ遊びに来る観光客が大挙してキャンセルされても観光収入が激減するだけで、商売も上がったりなので、本音は絶対に発表されないだろう。とにかく、マイペンライで日常の生活が能天気に過ごされて来た印象だ。
そんなありきたりの5月某日、親会社様から特別迷惑指令が、ご当地クルンテープへ舞い降りてきた。
”ニュースでご存知とは思いますが、日本で豚インフルエンザが急増しており東京を含む関東地区でもその脅威が差し迫っている状況です。このような状況下、タイでマスクを購入していただきたいのですが、□□社長へ依頼していただけないかとお願いがありました。”と、賢くも畏れ多き日の本からの絶対服従命令が下賜されたのである。何々、日本で品薄になったマスク千枚をこちらで物資調達せよとの軍命になっておる。申し訳程度に注釈が付いておって、同様の悩みを持つ日本の業者さんから、タイならまだ購入できるらしいとの情報を入手したから、仰せ付けるとのことらしい。
不承不承、総務課長に指示を入れながら、適当に3種類の見本を選び出して、最初のメールのように、すわ鎌倉のごとく忠勤を励むかのように日本へ吹聴してみた。
すぐさま指令が帰ってくる。もう千個足して二千個を買い付けるようにとのお達しであった。そんなことは、お安い御用だ。すぐに出入りの業者へ電話して注文を入れたが、納期は繰り上がらない。二週間は最低必要らしく、こちらでも品薄にある状態は日本と同様で変わらない。後は、納品したら日本へ改めて発送し直すだけなので一件落着ということではある。
しかし、マスク一つで日本人が物欲狂想状態に駆られているのも可笑しい。死者を安易に出しまくる感染済み諸外国は、マスクの効果を疑って着用には無頓着だ。むしろ、ニューヨークタイムズなんかは、日本人誰しもがマスクに執着しているのを、全体主義的で脅迫観念に苛まれる極度に清潔好きな民族だと見なして、記事で皮肉っている。
だがな、感染者を出しても死亡者を出さない。
これこそが、国力であり民度の高さではないだろうかと貧乏社長は思うんだ。衛生観念を悪意で理解してくれる、あっちの人たちの中では命を落す人が今後も出続けるだろう。
それを思うと、つい、憐憫の情で見ざるを得ない。
そうだ、マスクが足り無いなら自分で作ればよいのだ。
日本人は、何ゆえ購入すると言う安直な行動に走るのだろう。知恵があれば何とかなるのではないか? 消費文明社会にどっぷりはまって、自活する能力すら既に枯渇しているんじゃないのかと、貧乏社長は考えた。そこで、グーグル検索を使って、マスクが自作できないものかか、可能性を模索してみた。
ちゃんと、出てくるものである。
★だめだめママ生活★ 新型インフルエンザ対策?キッチンペーパーで手作りマスク
「構造化コーディネート研究所」 見て・つなげ・組み立てよう キッチンペーパーでマスクが作れます。(+5/24追記)
聞いて聴いて こんな事あんな事 キッチンペーパーの手作りマスク [新型インフルエンザ]
ペーパータオルでマスク作り
実を言うと、おいらはその事を親会社様にも通知しておいた。
ただ、一言余計な事を言いすぎたのかもしれない。
それは、
”ご参考までに、フェースマスクをキッチンタオルで作ると言うアイデアがブログでかなり紹介されていました。(参考URLを列記しながら)
私の考えですが、ゴワゴワした感触があるようで、紙を揉みこんで腰を柔らかくすると使いやすくなるような気がします。(尾篭ですが、質の悪い便所紙を揉んだのと同じです。)タイでもマスクは探せるだけ努力します。お急ぎなら、参考情報として社員へ連絡下さい。”、
と言う内容なんだが、今になって思えばやり過ぎだった。
今時の人は、お尻が痛くなるよう粗悪な茶チリと言う便所紙なんか知らないだろう。貧乏社長は、それを知っている最後の世代だと思う。小樽の山の中の下宿屋で、貧乏生活をしていた先輩が使っていた茶チリ。トイレットペーパー買うのも惜しんで、安酒を浴びていたようだが、今となっては懐かしい。
と言うわけで、インフルエンザが古き良き学生時代を尾篭ながらも思い出せてくれたことに、感謝してしまう貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり。)
おまけ:キッチンペーパーを少し揉んでからマスクを作ると本当に腰が柔らかくなり、使い捨てとして実用の粋まで達しそうな感じがしました。でも、タイは、ものが安いから在庫のある限り自作する必要も無いんだけどね。
2009年5月30日土曜日
動かない、喋らないプラコップの巻き
中でも、映画の最終の山場で、警察業務の元締めオムニ社に進入したロボコップが、狂ったサンプルロボットが殺戮を繰り返す役員会議の修羅場で、見事に会長を救い出すシーンがある。現場を後に何事も無かったかのように立ち去ろうとするロボコップを見て、それに感動した会長が、”君の名は?”と聞くと”マーフィー”と無機質にカッコ良く答えるところで映画が終わる。(まるで、別れ際にヒーローへ”せめてお名前でも”と聞くようなもんだ。)
オムニ社は、本人を生体ロボットに改造してしまった元凶なんだが、そのトップを救い出してしまうのが皮肉な結末ではある。しかも、ロボコップにはその社員を逮捕できない足かせのプログラムが組まれていて、マフィアとつるんで会社乗っ取りを企てた社長を役員会議で逮捕できずに動きがギクシャクしてしまう。この当たり、見ていて何とも歯がゆくて、”ほれ、おまえ、何で捕まえないんじゃ、このスカポンタン”とか、貧乏社長も手に汗握りながら心の中で叫んでいた。
このような焦らしの伏線は、シナリオの王道なんだろう。最後には水戸黄門の印籠さながらに、会長から”君はクビだ”の呪縛を解く一言が発せられて、プログラムも通常の逮捕モードに復帰し、社長は自業自得で誤ってビルから転落、あえない最期を遂げる。
他にも突っ込みどころの台詞や筋書きが結構あるんだが、それはさておき、バンコクには動かない、喋らないロボならぬプラコップが存在しているのである。要するに、ただのマネキン人形なんだが実際のおまわりさんと良く似せて作ってある。日本でも田舎に行くと、運転手をけん制する警官パネルを良く見かけるもんだが、ペラペラ平面なのでインパクトは薄い。一方、このタイのおまわりさんは、3次元でなかなかハンサムに作られていて、背丈格好も生身の人間とそのまんまである。
このリアルな彼は、サイアム方面から走ってスクンビット通りのBTSプロンチット駅まで走ってくると、ソイ26を右折するT字の交差点で遭遇する事が出来る。このおまわりさんが何を目的としているかは、貧乏社長も判断が付かない。おそらく、幾ばくかでも街中の治安維持に貢献しているんだろう。(タイ語のパネルが読めれば分かるかも...)
と言うわけで、動かない、喋らないプラコップは微笑みのタイで勤務していて、職務はマイペンライ(気にしない)なのでありました。(この巻き、終わり)
2009年5月28日木曜日
ミス・ティファニーも徴兵検査を受けるのだの巻き
結構、かわいいおねーちゃんが、なぜか、むくつけき上半身裸の短パン姿の男どもに混じって、体育座りをしている。順番待ちの雰囲気にも見えるんだが、物憂げな顔つきが蠱惑的で悩ましい。
毎日読んでいる地元英字紙の「バンコクポスト」には、時折、意味の良く分からんが何かいわくのありそうな写真が、一面を堂々と飾るときがある。貧乏社長だって、おやっと思いながらひきつけられしまうんだが、今回はキャプションまで目が行って読んでしまった。
A pretty near miss
Transvestite Kompat Lertratanaporn, winner of the Miss Tiffany contest in 2005, waits with other youths for the army conscription process at Wat That Thong yesterday. Kompat was excluded from conscription after a doctor concluded (s)he had a disfigured chest. SOMCHAI POOMLARD
可愛い子ちゃんの接近遭遇
女装の好きなコンパット・レルトラタナポンさんは、2005年度のミス・ティファニーの栄冠に輝いていますが、昨日、タット・トン寺院で徴兵検査のため、若者と一緒に並びました。
コンパットさんは、一人の医師が胸を整形していると結論付けたため、その義務を免除されています。
ざっと、こんな感じの意訳だろうか。要するに、この人は美しいオカマなのである。
しかし、こんな可愛い子ちゃんが入隊したら、新兵さんたちにチヤホヤされるのは必至で危険だろうし、入隊教育の風紀を乱す元凶となるだろう。それでも、どうしても徴兵の義務を負わせようと言うのであれば、ミス・ティファニー(オカマ)だけによる慰問部隊でも作れば良いのだ。世界で活躍する国連軍平和部隊の駐留地にでも出向いて、ショーを開いて慰労に従事すれば、国際平和の貢献に間違いなしと思えて来る。
ミス・ティファニーと言うのは、タイはパタヤにあるニューハーフショーパブで老舗中の老舗と行って良く、観光ツアーの目玉になっているから、観賞してきた日本人も多いんじゃないかと思う。そんでもって、余勢を駆ってニューハーフコンテストを始めてしまい、いまでは世界中に「ミス・ティファニー・ユニバース」の美人コンテストの名前を広めてしまった。
今年は、この5月15日に開かれたんだが、Soravi ‘Jazz’ Nadteeさんが栄冠に輝いたらしい。(パタヤ・デイリー・ニュース) しかし、綺麗なもんだと思ってしまう。
でも、本当は、着飾ってコンテストに出て来るより、アンニュイな面影のコンパットさんの方が、生身の女性に思えてきて、ゾクッとしてしまう貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)
2009年5月27日水曜日
タクシー運ちゃんで入国管理局へゴーの巻き
どうしてかと言うと、見ず知らずのタイ人運転手と一緒に、室内の閉鎖空間に一緒に時間を過ごすのは、苦痛を覚えるからだ。
自分は言うなれば外人なのだし、現地語のコミュニケーションもスムーズに出来るわけでもない。バンコクの道路事情とか地理も慣れないので、どこを走っているのか分からない。そのまま目的地まで連れていかれる途中に、運転手がひょっとして強盗に変身して、身ぐるみ剥がされるのではないかと言う恐怖感を掻きたてる妄想が、頭の中をぐるぐる回ってしまう。そんなこともあって、本当に必要な時以外は殆ど乗らない。その代わりに、都市交通のBTSとか地下鉄とか、エアコン公共バスなんかを良く使ってしまうことになる。
ただ、公共交通の乗り入れの無い不便な場所だけはタクシーを使わざるを得ない。
そんな典型的な場所が、入国管理局(イミグレーション)だ。現状は、サトーン地区のソイ・サトーンに位置しているんだが、貧乏社長の住んでいるスクンビットエリアからは、直通バスも無いし、BTSと地下鉄を乗り継いでルンピニ駅で降りたとしても、更に二キロ近くを歩く計算になる。BTSナナ駅で降りてエアコンバス62番に乗れば、そのままイミグレーションの前で降りられるんだが、乗り継ぎ時間が不確かなせいもあって敬遠してしまう。しかも、目的地まで手数が多い割には費用も安くない。(多分、一人当たり34バーツくらい。)
上さんと二人で行くなら、タクシーに乗って渋滞にさえ捕まらなければ、相応な費用でたどり着けるだろう。と言うわけで、この五月に入ってからすでに三回もこの事務所にタクシーで通ってしまう結果となった。
スクンビット通りのエンポリアム・デパート前にあるタクシー乗り場から、いつも出発するんだが、掛かった経路・時間とコストは、バラバラの結果が出た。
最初に乗ったタクシーの運転手さんは、シリキット国際展示場の在るラチャダピセーク通りを抜けて裏道で走りぬけるルートを上手に使ったせいか、所要時間も30分以内で75バーツだった。
二回目の運転手さんは、通常良く使われる、スクンビット通りを抜けてプロンチットからワイヤレス通りへ左折した後、サトーン通りを走ってソイ・サトーンへ左折して到着する運転で、料金は85バーツ掛かった。
三番目の運転手さんも遠回りしたとは思えないが、最初、二回目の運転手さんと同じルートを辿りながら、あの近辺ではごく普通の道順に頼ったため、とんでもない渋滞に陥り、結局50分掛かり121バーツを払った。
いやはや、同じ目的地まででも、こんなに時間と料金に差が出るものである。
三人の運転手さんともわざと遠回りして料金稼ぎをしようとした印象はまったく無いが、自分に覚えのある良く使う道順に従っただけなのだろう。
もし、自分達がタイ語を上手に操れるのなら、二番目のルートを無難に運転手さんに薦めて行ってもらえるのが、良いかもしれない。特に三番目の運転手さんが不幸だったのは、サトーン地区のナン・リンチー通りを北上して管理局へ向かおうとした点で、この当たりは右左折する枝道に入る車両が事のほか多く、しかも交通信号が無いので交通整理がはかどっていないのが実際に通行して分かった。
こうして、バンコクに住んでくると道順たった一本の間違えが、時間と金で命取りになるのを悟った貧乏社長なのでありました。(この巻き、おわり。)
(おまけ)
入国管理局の外壁に掲出されたポスター、詳しくは分からんが、不法入国とか人身売買に対する注意を呼びかけているんだろう。ストレートな写真表現だから、読めなくたって想像できるところが、素晴らしい!?
2009年5月24日日曜日
”今年はへっぺが少ない”で分かった北海道弁の巻き
前説が長くて御免なさい。本題に戻ります。
北海弁では、Hをすることを”へっぺ”と言うのです。ポプラ並木で有名な北海道大学では、内地(本州)から来た後輩に意地悪な命令を下す通過儀礼があります。小銭を手渡しながら、”おい、丸井さんへ行って”へっぺ饅頭”を買ってきてくれ。”と頼むのですが、そんな商品はありません。(丸井は札幌の有名デパート)
不思議な商品名でも、北海道へ来たばかりで地元の有名な土産と勘違いした後輩達は、女性の店員さんが集まる食品売り場で、見当たらないので”へっぺ饅頭”を下さいと大きな声で頼みます。
その言葉を聞いて、うら若き店員さんは顔をを赤らめながら、”そのような商品はお取り扱いしておりません。”と答えます。それもそのはず、”セックス饅頭”くれなんて昼日中にあからさまに聞く、インテリ候補と思われる若い青年がいるはず居ませんものね。
ちょっとあくどい、いたずらの好きな先輩達は、後輩が売り場へ現れるのを先回りして、遠くから一部始終を観察します。そして、現場でクスクス笑いをこらえながら、後でコンパの酒盛りで酒のつまみにしようと言う魂胆です。
それで、こんな話を思い出して、この”へっぺ”の語源って、一体全体何から出て来ているんだと思っていました。グーグルを使って探した中で、行き着いたのはこのブログでした。
やはり、蛇つながりの連想から派生した北海道弁の動詞だったのですね。これで、積年の疑問が氷解しました。
と言う分けで、私の心の故郷=新潟は、意外な深層でつながりました。ちょっと助平下ネタなのは、男と言う事でご先祖様もお許し下さると思います。ありがとうございました。
このコメントを、”ゆきぐにネット”と言う、新潟県魚沼地方のサイトに投稿して見た。ネットワーク関連の事業を行う会社の運営するサイトなんだが、記事は、地元の年寄りが”今年はへっぺ(蛇)が少ない”と話したのを簡単に紹介する格好になっていた。
ここで取り上げた”へっぺ饅頭”の話は、実際に札幌で聞いたいたずら話だ。尾ひれ、はひれが付いた雰囲気があるとは思うものの、本当に誰かやったものだろう。ただし、貧乏社長は、勉強をろくにちゃんとしなかったから、北海道大学のような偏差値の高い大学には行っていない。その代わり、内地(本州)の企業へ就職した時にも、北海道大学の先輩が中には居て、こんなような話を改めてしてくれたのを、未だに覚えている訳だ。
正直な話、北海道弁の”へっぺ”と言う言葉は、今では死語になりつつあると思う。若い人なら、単純に”Hする”で通じてしまうので、一層あっけらかんとしてしまった感じではある。もっとも、自分では語源自体に強く興味があって、コメントの通りしつこく探し続けて来たんだが、絶賛、販売中の”北海道方言かるた”には、”へ”として”へなまずるい”が既に採用されていた。
間違っても、
”昨日の彼は、へっぺがなまら上手だったべさ”
なんて読み札が採用されるとは、到底、考えられない。取り札のイラストは、ちょっとふざけてベッドの上で彼女が彼氏に四の字固めでも掛けているイラストだったら、お茶を濁せられるかもしれないが、まあ、無理な創造は愚にも付かないから、止めた。
北海道は、北陸・東北地方からの移住者も多いせいで、その地方の方言が多く北海道弁へ移植されている。秋田の方言でも”へっぺ”を使うそうだ。”こき使う”と言う意味らしいんだが、道産子の”へっぺ”するは、”蛇をこき使う”ことにもなり、意味深長さも加わって貧乏社長もにやり笑ってしまった。
言葉一つの下らない語源探しでも、結構楽しめるもんだと思った貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり。)
おまけ:この後、ブログで他のネタも見つけました。
”肉汁うどん 『 だんべ 』 群馬県富士見村”-北海道の人なら、勘違いするかもね。
”衝撃映像!これが噂の『だんべ饅頭』!!”-笑うしかないです。
2009年5月18日月曜日
カオサン出撃、第二陣の巻き
上さんも連れて行こうとしたんだが、既に一回行った場所だから面白みに欠けるとかほざいて、腰を上げようとしない。いや、それなりに面白いもんだとか適当な理由を吹聴しながら、しぶしぶ承知させて家を出た。
まだ、乾季が続いていて日中は35度を越える暑さだから、昼間から出たら途中でへたばるだろう。日も傾いて、夕風の吹き始めそうな頃合を見て三時ごろ、BTSプロンポン駅前のバス停からエアコンバス:511番に乗り込んでみる。
貧乏社長が住んでいるのは、バンコクの中心部から西の方角にあるスクンビット界隈で、日本人を含めたファラン(外人)が主に集中して住んでいるエリアなんだが、カオサンは、繁華街のサイアム・マーブンクロン地区を軸として、同じぐらいの距離で反対の東の方向にある感じだ。このエリアは、王宮広場とか政府関係庁舎のあるプラナコーン行政区の北側に位置している。
実際、カオサンから、首相官邸までは距離で二キロくらいしか離れていない。昨年の8月には、民主市民連合(PDA)が、タクシン派で占められていたサマック政権を打倒する目的で、この首相官邸を占拠した。
正直、この辺りはバックパッカーみたいな貧乏ツーリストの吹き溜まりだ。とは言え、一応観光拠点でもあるので、連日デモで道路封鎖を繰り返す政治運動がはびこったんでは、旅行者も怖気づいて自然と足が遠のくと言うもんだろう。
しかも、海外のメディアは、すわ市街戦勃発かのような報道合戦を繰り返す。日本の親会社からも、どうなったんだと特派員並みの報告をせがむ有様だったから、貧乏社長も迷惑至極だったのを覚えている。
実は、カオサンは、貧乏社長の住んでいる場所からバスや車で一時間も掛かるような位置にある。報道は、その周辺で発生した武力衝突を収録しては繰り返しメディアに露出させたに過ぎない。だから、バンコクの地理に疎い海外の人たちは、局所的な不穏な情勢が一千万人の住むバンコク全体に広がっていると錯覚したのだろう。
そんなこともあったなと、貧乏社長は渋滞でノロノロ進むバスの中で思い返していた。
民主記念塔の大きなロータリーが見えてくる。カオサンのバス停はもうすぐだ。これを乗り過ごせば、チャオプラヤー川を跨ぐ大きな橋を渡ってしまうので引き返すのはかなり難儀だ。慌てて下車のブザーを鳴らして、上さんと一緒にバスを降りる。
後は適当に歩き出すだけ。ただ、それだけなんだけど、楽しい。
結婚衣裳のレンタルショップが軒を並べる通りから、プラトゥーナム市場みたいな服飾品・靴の店が立ち並ぶバンプー市場、バックパッカー達が集う通称:寺裏通りを経て、ブラスメン砦の公園で一休みして、この辺りでは小奇麗で手ごろな価格で楽しめるレストラン:ロティで晩御飯を楽しんだら、プラアティット桟橋から公共輸送機関のエクスプレスボートに乗って、サパーン・タクシーンBTS駅で降りてBTSに乗り換えて自宅まで帰ってきた。
こうして一年も住んでいると、色々な思い出を振り返っては小さな旅を楽しめるもんだなと、思った貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終わり)
2009年5月16日土曜日
今夜は仰天かるた大会なのだ!!
販売元に言わせると、北海道弁を読み上げる“新感覚かるた”!なんだそうで、確かに生粋の道産子が読み上げる朗読CDが付いているせいで、商品の発想に面白みが加わっている。
この他、津軽弁とか長崎弁とか方言シリーズとして様々なカルタが発売されているんで、郷土のお国言葉が懐かしい出身者なら、ついつい手に取って買ってしまうかも知れない。
貧乏社長は、道産子なのでこれに手が出てしまったんだが、カルタそれ自体にも興味を持ってしまった。カルタと言えば、”い:犬も歩けば棒に当たる”とか”は:花より団子”のいろはカルタが普通なんだが、ネットで調べて行くうちに、珍・迷・名カルタがこの世の中には盛り沢山なのも分かってきた。
あ:朝一番の大きな便り
い:一のり、二のり、三 発車
う:うまく化けてもエラは隠せぬ
え:恵那山に昇る朝日の美しさ
お:おおうなばらを ひとっとび
か:かせいに すんでいる うちゅうじん
き:きせんをせいして土人を撃破
く:栗きんとん食べて感じる秋の風
け:けやきの木 高森の丘 そびえたつ
こ:こおりのさけ目ははしごをかけて
さ:さされたとたんにわすれたこたえ(あがってしまったこ)
し:しずかな ちきゅうを おそう ジオンの手下
す:諏訪神社 万年太夫と 水穴ロマン
せ:せきどうまつりのかそう大会
そ:そばで警笛、びっくりぎょうてん
た:逮捕されたらザパニーズと名乗る
ち:地の利得て 館構えた 遠馬氏
つ:つり人や 置いてけ堀の 声にビクッ
て:てれーっと振り込うでから気づかいた
と:とどろく爆音しびれるスタイル
な:鳴りひびけ 平和の鐘よ いつまでも
に:忍術を 佐助に教えた 白雲斎
ぬ:ぬるぬる ぶきみな たこの かいじゅう
ね:ねずみ小僧 回向院で ねむってる
の:農民を かばって 義民三太夫
は:その毛ガニと採れたてのイカ、ばくってくんないかい。
ひ:ひのたま となって おちる モビルスーツ
へ:へきちに住む原始種族
ふ:ふしぎな力は バラニウム
ほ:誇る文豪田山花袋
ま:密航してでも日本に行きたい
み:身を守る 盾はバランス C.I.A.
む:むんずと つかむ せんとうき
め:メキシコめいぶつ、とげあるしょくぶつ(さぼてん)
も:もらい泣きする刑事さん
や:やぐらしかことに なってしもうたばい。
ゆ:ゆらぐ大地に 走る イナズマ
よ:世のちり洗う四万温泉
ら:らいでんロックで いっぱつさ
り:りんちを加える暴力団
る:留守の城 守りとおした 小松姫
れ:てれんばれんされんとよ、結婚したら落ち着かんばね。
ろ:はっちゃきこいて、勉強しれ。ろくた大人になんないど。
わ:わが誇り 日本一の信濃川
を:ご飯を食べたら何になる
こんなに前後の意味に脈絡が無い読み札だったら、カルタ取りの参加者も仕舞いには気が狂うんじゃないかと思うんだが、それもそのはず、ネット上に散らばってるカルタ:24種類から適当に札を選んででっち上げて見ただけに過ぎない。
要するに、これは貧乏社長のお手製な分けで、読み札がどのカルタから選ばれているのかは、次の一覧からクリックしてホームページを訪ねて、読み札を探し当ててもらいたい。
a.うんこかるた展
b.交通安全かるた
c.日韓友好カルタ
d.中津川市郷土かるた
e.アトムかるた
f.シルバー仮面(光明社)
g.世界冒険かるた
h.新潟郷土かるた
i.南極観測隊かるた
j.エリートかるた
k.機動戦士ガンダム(セイカ)
l.ひたち郷土かるた
m.海老名郷土かるた
n.すみだ郷土かるた
o.熊本方言かるた
p.I・Sかるた スーパーカー
q.ひたち郷土かるた
r.真 田 氏 カ ル タ
s.北海道方言かるた
t.アイアンゴッド(ピカソ)
u.上毛かるた
v.セキュリティかるた
w.アクションかるた
x.長崎弁かるた
ただ、これらの中で”日韓友好カルタ”だけは、ちょっとコメントしたい。
これは、実際に市販された商品ではなく、インターネット上でデータとしてかなり広まっており、この他”朝鮮かるた”としても知られている。
ライブドアニュースによると、”韓国人や北朝鮮人のとる行動や文化を描写したものから、どう考えても悪意がこもっているように思える描写まで、幅広い内容のイラストと短文で構成されている。この『朝鮮カルタ』は2005~2006年ごろに作られたとされているが、まったくもって作者は不明。企業が作ったのか、個人が作ったのかさえわかっていない。”、と言うように紹介されている。
もっとも、かの地の国民性をいみじくも紹介している可能性は否定できない理由があって、一例としてユーチューブの中でとんでも動画を発見してしまった。(怖い!!ショッキング動画(特ア編))
タイトル:外国に行ったら日本人のふりをしよう
”悪い事するときは、”日本人”と言うんだよな”
”かならずね”
”足をふんだら”すみません””
”ちいさな愛国心ですよ”
”ええ、小さなね”
(字幕)「”SUMIMASEN” うまく言えてましたか?」、「外国で悪いことをしたら日本人のせいにする」、「これが韓国の愛国心」
どうも、韓国の民放番組のバラエティーからの録画らしいのだが、日本人の感覚からすると放送倫理もへったくれも無くて、下手をすれば外交問題まで確実に発展しそうだ。もし、このような発言と行動が、かの地の人の常識の範囲にあるのならば、どう考えたって韓流なんかで”ヨンさま”とか追っ掛けやっている場合ではない。その国自体が日本人にとって危険な存在と見なさざるを得なくなるだろう。
と言うわけで、かるた一つ取ってもさまざまなことが分かってきて、これで遊ばなくても十分に知識を深められた貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)
注:日韓友好かるたの読み札を裏付けそうなネット情報がありましたので、紹介しておきます。
出典 : BG-ブログ、YT-ユーチューブ、WK-ウイキペディア
(あ):あちらこちらでスリ強盗
BG-魚拓マニア もうおなかいっぱい
BG-イプサム
(い):犬は食いたし金は無し
WK-ポシンタン
BG-horizontallines
(う):うまく化けてもエラは隠せぬ
WK-ニダー エラ
(え):エステで聞き込みアガシは無言
BG-newsarchives
YT-エステ経営の韓国人女無資格で美容整形手術逮捕
(か):韓国人を取り締まれ
BG-Irregular Expression
BG-Irregular Expression
(く):糞喰う民族犬も当然…
WK-嘗糞
(け):警察と入管新大久保へ出動
BG-極東新聞
<答え:カルタ札の出典情報>
あ:朝一番の大きな便り うんこかるた展
い:一のり、二のり、三 発車 交通安全かるた
う:うまく化けてもエラは隠せぬ 日韓友好カルタ
え:恵那山に昇る朝日の美しさ 中津川市郷土かるた
お:おおうなばらを ひとっとび アトムかるた
か:かせいに すんでいる うちゅうじん シルバー仮面(光明社)
き:きせんをせいして土人を撃破 世界冒険かるた
く:栗きんとん食べて感じる秋の風 中津川市郷土かるた
け:けやきの木 高森の丘 そびえたつ 新潟郷土かるた
こ:こおりのさけ目ははしごをかけて 南極観測隊かるた
さ:さされたとたんにわすれたこたえ(あがってしまったこ) エリートかるた
し:しずかな ちきゅうを おそう ジオンの手下 機動戦士ガンダム(セイカ)
す:諏訪神社 万年太夫と 水穴ロマン ひたち郷土かるた
せ:せきどうまつりのかそう大会 南極観測隊かるた
そ:そばで警笛、びっくりぎょうてん 交通安全かるた
た:逮捕されたらザパニーズと名乗る 日韓友好カルタ
ち:地の利得て 館構えた 遠馬氏 海老名郷土かるた
つ:つり人や 置いてけ堀の 声にビクッ すみだ郷土かるた
て:てれーっと振り込うでから気づかいた 熊本方言かるた
と:とどろく爆音しびれるスタイル I・Sかるた スーパーカー
な:鳴りひびけ 平和の鐘よ いつまでも ひたち郷土かるた
に:忍術を 佐助に教えた 白雲斎 真田氏カルタ
ぬ:ぬるぬる ぶきみな たこの かいじゅう シルバー仮面(光明社)
ね:ねずみ小僧 回向院で ねむってる すみだ郷土かるた
の:農民を かばって 義民三太夫 海老名郷土かるた
は:その毛ガニと採れたてのイカ、ばくってくんないかい。 北海道方言かるた
ひ:ひのたま となって おちる モビルスーツ 機動戦士ガンダム(セイカ)
へ:へきちに住む原始種族 世界冒険かるた
ふ:ふしぎな力は バラニウム アイアンゴッド(ピカソ)
ほ:誇る文豪田山花袋 上毛かるた
ま:密航してでも日本に行きたい 日韓友好カルタ
み:身を守る 盾はバランス C.I.A. セキュリティかるた
む:むんずと つかむ せんとうき シルバー仮面(光明社)
め:メキシコめいぶつ、とげあるしょくぶつ(さぼてん) エリートかるた
も:もらい泣きする刑事さん アクションかるた
や:やぐらしかことに なってしもうたばい。 長崎弁かるた
ゆ:ゆらぐ大地に 走る イナズマ I・Sかるた スーパーカー
よ:世のちり洗う四万温泉 上毛かるた
ら:らいでんロックで いっぱつさ アイアンゴッド(ピカソ)
り:りんちを加える暴力団 アクションかるた
る:留守の城 守りとおした 小松姫 真田氏カルタ
れ:てれんばれんされんとよ、結婚したら落ち着かんばね。 長崎弁かるた
ろ:はっちゃきこいて、勉強しれ。ろくた大人になんないど。 北海道方言かるた
わ:わが誇り 日本一の信濃川 新潟郷土かるた
を:ご飯を食べたら何になる うんこかるた展
2009年5月9日土曜日
リラ冷えは季語で北海道弁でねぇーの巻き
貧乏社長は、この4月に故郷の北海道に戻るために一時帰国したんだが、そこで見つけ出したのがこの一品。”北海道開拓の村”を上さんと一緒に訪ねたときに、土産物屋の店先で見つけ出した。お代は、2千円をちょっと切るくらいで、読み手CDが付録で付いてくるから手ごろな感じがした。
北海道弁で喋る人物といえば、タレントで花畑牧場主の田中義剛がお茶の間では有名なんだが、彼はみちのく八戸藩の内地出身なので生粋の道産子ではない。大学から移り住んだ余所者だから、変に強調するイントネーションが異様で、貧乏社長は聞くと虫酸が走るのだが、それはさて置こう。
バンコクの埴生の宿に戻ってからカルタの箱を開けて、読み札と取り札を出しながら、一枚一枚の方言を自分で読み上げてみる。
”あ”から、懐かしさがこみ上げて来た。
読み札:いやぁ、汽車混んでるわ。あずましくないねぇ。
(標準語:いやぁ、電車混んでるな。落ち着かないねぇ。)
取り札:”あ”ずましくない。
”じょっぴんかる(鍵をかける)”、”つっぺ(栓)”、”へなまずるい(すごくずるい)”...
親父もこんな言葉を使っていたなーと、思いだして笑みがこぼれる。もちろん、貧乏社長もガキの時分には使っていた。
北海道弁は、意外と歴史が浅い。
この合成的な方言が形作られ出したのは、僅か百五十年前の明治時代の初期に遡るに過ぎない。当時は、開拓のため内地(本州)のさまざまな地域からたくさんの人々が移住して来た。お互いが交流するうちに、色々な方言が混ざり合って使われて行く中で、北海道言葉が形作られていったことになる。
現在の北海道に散らばる地名を見ても、如何に本州各地から移民を受け入れてきたのかを思い返すことは簡単で、北広島市(広島県から)、北海道伊達市(宮城県から)、釧路市鳥取町(鳥取県から)、新十津川町(奈良県十津川村から)などの地名を挙げる事ができる。
さて、か行、た行・・・と進んで行くうちに、ら行で違和感を感じた。
”リラ冷え”って、本当に方言なの?
確か、道産子の作家:渡辺淳一が『リラ冷えの街』って小説を71年に書いてから有名になった言葉ではないのか?
だとしたら、僅か創生40年に満たない単語を方言として採択するには、土台無理があると言うものだろう。あの頃の北海道なら、おいらを含めて人々はかなり標準語に近い言葉を話していたし、リラ(仏語読み)+冷えの合成形も標準語由来だ。そこで考えたんだが、誰がこの言葉を作ったんだろうと思いついて、リラ冷えをグーグルで検索してみる。
一番にヒットして来たのは、”北海道雑学百貨プッチガイド”と言うサイトで、訪ねてみると”リラ冷えは北海道発祥!?”と言うタイトルが表示されてきた。なになに、「リラ冷え」を創ったのは、榛谷(はんがい)美枝子さんという北海道の俳人で、既に1960年に詠まれた句の冒頭に使われているんだそうな。つまり、俳句の季語に当たる分けで、榛谷自身さんは、リラの花が咲いた頃にも肌寒い日があって、それから「リラ冷え」を編み出したのだと言う。
やっぱりだ。
カルタを作成した編者は、ら行で適当な言葉を見出せずに苦し紛れに選んでしまったのかもしれない。なぜなら、”る”は”ルイベ”となっていて、アイヌ語から出た食べ物言葉を選んでいる。
仕事もゆるくなかったんでないかい。
まあ、みったくないことはすんでないよ。
なかったら、なかったで、はっちゃきこくことないよ。
それが、道産子だよ。
そんな風に、貧乏社長はバンコクで北海道弁をつぶやいたのですが、まさか、このカルタが”Made in Thailand”だったとは、露知らずだったのでした。
(この巻き、終わり)
追記:
貧乏者社長は、基本的にこのカルタが好きです。誤解の無いように願います。
あと、参考までに北海道方言に関わるホームページを挙げておきます。
おしゃべりかるた(シリーズものの”ルー大柴編”は悪乗りじゃない?)
北海道方言(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
妖しい北海道弁講座
ほじくりデータベース 北海道弁ch
みなも使おう!北海道弁!
伏田良のお笑い北海道方言辞典
リラ冷えや黒衣に飾る黒真珠(08/05/16)
2009年5月7日木曜日
チェンマイはモグモグ昆虫食だったのだの巻き
会社の事業の性格もあるんだが、取り扱う製品を販売した後は、お客さんの使い方次第で修理や修繕をする必要もある。そのため、メンテナンス業務は欠かせない重要な商売の柱となって来た。扱う製品は、業務用エアコンとかエスカレーターなんかと特徴が似通っていて、定期的な維持保守の仕事は欠かせない。それで、三十人以上のメンテナンス要員が全国各地に散らばって、常時、仕事をこなしている。
彼らを束ねる支店も、北のエリアではチェンマイ、北東のエリアではコーンケーンに、南部はソンクラーの各都市にあって、後はバンコクと近辺の地域を本社が管轄している。
要するに、規模は小さいながら全国展開と言う事になり、アフターセールスまで自社一手に引き受けている日系企業は少ないのではないかと思う。このシステムは、直販・保守を他人に任せない親会社の経営スタイルをタイでそのまま採用していて、貧乏社長はこの地における成功を密かに自負しているのだ。
前置きが長くなってしまったが、チェンマイ行はこの説明が必要なもんで勘弁いただきたい。
さて、歴代の社長は、伝統的に在任中はこれらの支店を出来るだけ視察するのが習わしとなってきたんだが、おいらの方は、赴任してからこの一年、色々な行事が重なってきて訪問する事が適わずにいた。普通、時期は、従業員が使用するサービスカーに積んでいる資材を棚卸しする6月と12月に実行するんだが、今年も行事が重なり気味になっている。意を決して、日本側が休んでいる5月連休中に実行に移す事にした。現地スタッフはチェンマイを選んだが、場所も日程も任せ切りなので止むを得ない。
とにかく国内線の飛行機で飛んで事務所を訪問してみる。
事務所はなかなか小ぎれいで整理整頓が行き届いていた。従業員の就労意識も高そうな印象を受けてホッとしたり、事務所には、蘭の花が植えてあったりグッピーのような鑑賞魚も飼っていたりして心の余裕を感じたりする。
夜には慰労も兼ねて飲み会も開く事になった。
任せるままに用意されたメンテナンスカーの後部座席に乗り込んで、吹きぬけの開放的なレストランに向かう。カントリーミュージックが流されていたり、日本食のメニューが用意されているなど、どことなく無国籍風なレストランの印象を受けつつ、オーダーした料理の皿が運ばれてくる。
何じゃこれは、、、、
皿の上に山盛りに載ったスナックは、どう見たってイモ虫を油揚げしたとしか言いようが無い。ちょっと怖じ気づいてしまった。
もう一皿が運ばれてくる。
おいおい、これは立派な茶色い昆虫のカラアゲですよ。
芋虫は竹の中に住んでいて香りが良いのだとか、コオロギはこの辺りじゃ、みんな普通に食しているのだとか、ご当地自慢の説明を受けながら恐る恐るほおばって見た。
普通だな。
ビールのツマミに新しい蛋白源といった感じで姿を想像しなければ何とも無い。
恐怖感を追っ払うかのようにビールをグイグイあおって、酔っ払いながらモグモグ食べてしまった。
要するに、このレストランは照明が暗いから皿に盛られた料理がはっきりしない上に、乗りの良い生演奏の音楽がガンガン響いて来るから、度胸勝負で食べられるには違いない。
この他にも料理が色々と出てきたが、豚の皮を油で揚げた前菜なんて、至極まともな料理に思えて来て、パクついてしまった貧乏社長なのでありました。
(この巻き、おわり)
おまけ:後でインターネットを調べて分かったのだが、竹虫はタケツトガと言う蛾の幼虫なんだそうで、中国南部からタイ・ラオスでは当たり前のように食べているようです。
2009年5月3日日曜日
糸巻き探してカオサン地区まで出没の巻き
一式5千円で買ってきたギターだから、出来具合はそれほど信用していなかったんだが、これほど早くガタが来ようとは思っても見なかった。
そんなに頻繁に弦を張り替える分けでもないので、しばらくは、我慢できるとしても、いちいちペンチを持ち出して調弦するのも難儀だなーと感じつつ、スペアパーツが売っていないか、暇を見ては週末にサイアム近辺の楽器屋さんで聞いてみた。
ある事はあったんだが、6個一組のフルセットで千バーツ以上と値が張る上に、ネジ止めする位置も異なっているので取り替えは無理に感じる。こうなったら、最初に買った楽器店のある商店街”アッサタン通り”へ出かけて探してみるしかない。この通りは、バックパッカーの聖地:カオサン地区に近くて民主記念塔のある表通りの反対側に位置しているから、スクンビット通りを走るエアコンバス511番を使えば簡単に出掛けられる。
そんなこんなで、貧乏社長と上さんは、休日の土曜日にのこのこ出かけてみた。
楽器店が立ち並ぶ商店街は、前にも出かけているので分けなくたどり着く。お店のショーケースを覗き込んでは、似たような糸巻きのパーツが売られていないか確かめて、切りの好い所で店員さんに値段を聞いて見る。大体、6個セットで250バーツ位の売値を答えてくるので、切り返しで200バーツでどうかと値切ってみた。
相手は220バーツと答える。ちょっと下がったな。
ありがとうと言いつつ、ちょっと立ち去る気配を見せながら、もう一度200バーツはどうかと駄目を押す。店員も苦笑しながら、じゃあ200バーツでOKと言う具合に商談はまとまった。
要するに、サイアム近辺とこちらの商店街では、値段の開きが数倍もあるのである。もちろん、品質と値段は相応しているのだろうが、安かろう悪かろうもここまで来ると、安価な方に手が伸びてしまうのは致し方無いと思ってしまう。
時間もあるから、カオサン地区まで足を伸ばそう。
日本人の駐在員なんか物好きでもこんなところまで出かけては来ないだろうと思いながら、三百米ほどの短い通りを、ぶらぶら上さんと歩いてみる。
しまいにゃ、雑貨を扱う移動屋台もやってきた。長期宿泊者に必要な洗剤とか洗濯バサミとか売っているので便利なのかもしれない。
カオサン通りの喧騒はちょっと別天地な感じもして、糸巻きの買出し以上にエキサイトしてしまった貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)
南洋フルーツ礼賛考の巻き
貧乏社長の住んでいる近辺は、スーパーやらショッピングセンターが多くて果物を買 うには不自由しない。と言っても、大抵は、上さんが一週間分の食料をまとめ買いに出かける土曜日に、貧乏社長も金魚の糞のようにまとわり付いて行って、好きな 果物の選び出しに精を出すことになる。お気に入りの店は、ラーマ四世通りのカルフールが定番で、ソイ26~24を通行するシャトルバスに乗り込んで出かけ るのも毎度のことだ。
輸入しない限り日本では食べられない美味しいフルーツを、手頃に四季折々に堪能できるのが、貧乏社長にとってのささやかな贅沢なんだが、これまでどんな種類のフルーツを幾らで買って食べてきたのか、あんまり気にしないでも来た。
それで、今回は買い出したフルーツの写真と値段を調べて記録に残しておこうと思う。
タ イは熱帯地方に位置しているせいか、一年中いつでも好きな果物が食べられるように思うもんだが、意外と収穫時期のはっきりしているフルーツもあって、マン ゴスチン、ランブータン、ライチー何かは5月の初めにはあまり店頭に並ばない。旬のフルーツを見かけた時、季節が巡って来たと貧乏社長にも感じられるわけ で、食卓のフルーツが季節感を手助けしてくれる。
★スイカは、1キロ10バーツ(約30円)
とにかく安いの一言。2月から雨季の始まる頃までが旬で、甘みも強くて美味しい。最近は、毎週買って食べているんだが、クリームスイカとかラグビーボールみたいなスイカとか、色も形もさまざまで値段も変わってくる。このスイカは、一番安い品種で”Kinnaree watermelon”とか言うんだが、新しい交配種のようだ。今時分のカルフールには山のように積まれて売られている。
★マンゴーは、キロ59バーツ。(約180円)
マンゴーは、比較的、地場もののフルーツにしては高価な部類に入るかもしれない。日本の果物には無い、あの特有の甘みは忘れられない。この品種は、「ナムドクマイ種(Nam dok mai)」と言って、タイの代表的なマンゴーでもあり、日本へは93年から輸出が可能になった。
★パパイヤは、キロ39バーツ。(約120円)
この種類は、”PAPAYA REDMARADO”と言って、3月の頃からカルフールの店頭で、マンゴーと隣りあわせでうず高く積まれて売られている。パパイヤにも種類があって、ひょろ長かったり小粒だったりするものがあるが、このパパイヤが定番のようだ。
★チョンプーは、キロ58バーツ(約175円)
タイ語の「ピンク」もカタカナで書けば「チョンプー」になる。この皮の色から由来していると思うのだが、チョンプーの中には緑色の品種もある。エンポリアムデパートの駐車場の傍らには大きなチョンプーの木があってソンクラン(タイ正月)の頃にはたくさんの実を付けるんだが、誰も取って食べようとしないところを見ると、ピンクの方が美味しいのかもしれない。
★グアバは、キロ39バーツ(約120円)
チョンブリ・グアバなので、ちょっと値段も高い。ノーブランドなら、キロ17バーツ(約50円)でお一人様5キロ分まで購入できる特売も見かける。もちろん高いほうが味はおいしくて、果実が熟してくると果肉にとろみが付いてラ・フランスの梨のような味と食感を味わえる。
★ドラゴンフルーツは、キロ39バーツ。(約120円)
ドラゴンフルーツは、ベトナムから輸入されて来るのが多く一年を通じて食べる事ができる。
元来は、中南米原産の食用サボテンなんだが、タイ産もあって近所のビラスーパーで見かけたら、キロ80バーツとかなり値が張っていたので驚いた。
★ライチーは、キロ29バーツ。(約85円)
楊貴妃も好んで食べたというリンチー。上さんがあまり好きではないので、ほとんど食べない。
今回は、試食程度に買ってみた。
★茹でとうもろこしは、2本で25バーツ。(約75円)
日本人は、これをフルーツとは言わないだろう。しかしながら、タイ人はフルーツ寄りの解釈みたいで、その理由は甘いからである。確かに、タイのとうきびは茹で立てだと甘くて美味しい。昔、貧乏社長の子供時分には、トマトに砂糖を掛けてデザート気分で食べていた記憶があって、それはそれでおいしくて果物の仲間だと勝手に考えていた。所変われば品変わるもんで、お仲間入りと言うことにしておこう。
★番外編:フレンチトースト(二百グラムで22バーツ、約65円)
これを我が家ではお菓子パンと読んでいるのだが、カルフールのパン屋では売れ残ったフランスパンにガーリックバターを塗って焼き上げてワゴンセールスで売っている。夕方、四時ごろに行くとあるんだが、自分で選んでぴったり重量分にパックした上で、目方を量ってもらう必要もある。慣れないと多すぎて、袋から何個か戻して来いとか言われるのが難点ではある。
(この巻き、終わり。)
※おまけ:カルフールシャトルバスの時刻表(運行時刻が変わったのでご注意を!!)
2009年5月2日土曜日
メコン河に赤い国境線は無かったのだの巻き
今となっては、ブータンはチンプーとかタジキスタンがドゥシャンべとか、トンでも地名ばかりが記憶に残ってしまっていて、覚えいてもとても役に立ちそうに無いのだが、あの頃は、世界各地の地図をまじまじと見ながら地続きの国境には、各々の領土を明快に区切る赤い線が引かれているのだと、子供心に本気で夢想していたものである。
こんな愚にも付かない想像は、おいらが大学生のバックパッカー貧乏旅行をした時分に、陸続きの国境線を実際に横断することで、砂上の楼閣のごとく崩れ去ってしまった。今から二十五年前、当時ですらインドとパキスタンは仲違いが激しかったんだが、貧乏社長は、ターバンを巻いたシーク教徒の聖地:アムリツァールから、世界遺産のお城があるラホールへ向かって旅をしていた。
途中には、両国の国境検問所があって通過しなければならない。国境に沿って一キロほどの巾で非武装中立地帯が連なっているので、それを横断する荒野のデコボコ道を、バックパックを背負ってテクテク歩いて横断した。感銘はほとんど無かった記憶がある。鉄条網で厳重に仕切られている風にも見えず、何とのんびりした雰囲気かと思ったのが本当だ。
今回のメコン河も同じ様なもんで、タイ・ラオス・ミャンマーの三カ国を悠々と流れる川面には、ただただ、その黄土色をした水の流れしか存在していない。
のどかとしか言いようの無い、タイ北方の国境の町、チェンセーン。
国境警備兵なんかどこにもいないし、不法な越境入国者を監視する歩哨なんか土手を見渡しても見かけない。対岸を見たって、自然に出来上がった土手しか見当たらず、向こう岸はラオス領で、左岸を流れるメーサイ川が合流する辺りは、真ん中に伸び出た三角洲があってミャンマー領なんだと言う。この細長いミャンマー領の奥にはカジノもあるらしく、確かに遠くの方で赤い建物の一群を見ることができた。
かっては、世界最大の麻薬・覚醒剤密造地帯と言われた黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)も、今となっては単なる観光地な分けで、未だにテロ組織のタリバン勢力が実効支配している、アフガニスタン・パキスタン・イラン国境付近にある”黄金の三日月地帯”とは全く趣が違うんだろう。
タイ側は暮らし向きも良くなって、観光客相手に土産物でも売って日銭商売をした方が確実な稼ぎになるから、住民が危ない仕事に手を染める事も無くなった。
しかしだな。
隣国のミャンマーでは未だに麻薬生産を続行していて、密造・密売が横行し続けているらしい。年間で麻薬の原料生産がおよそ三千トンにも上ると発表されているぐらいだから、タイ政府も油断する事はできないだろう。グーグルマップで縮尺をどんどん上げても、タイ側は綺麗に道路網が表示されて行くが、ミャンマー・ラオス川は空白に切り替わってしまうだけだ。要するに、まともな地理情報がないと言う事は、政府もかの地の自治を掌握しきれていない分けで、悪い事はやりたい放題なのかもしれない。
まあ、チェンセーンには、コンビニのセブンイレブンだってあったし、市中銀行の出先支店も多くてATM機がかなり設置されていたから、タイと言う国は確実に平和に日々進歩して来たんだなーと思った、貧乏社長なのでありました。(この巻き、終わり)