2009年11月30日月曜日

カポ村で初の日本人出現となってしまったの巻き

年棒13万円の教師にエールを贈りたくて、会社の連中達と工場長の隠れ家を後にした。

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工場長が学校へ寄付の依頼をして来たのは、確か六月の頃だったと思う。リタイアしたら隠遁生活をすると決めた、このナムナオの地元には、農業以外にこれと言ったたつきは見当たらない。都会の人から見れば、本当にシンプルな田舎暮らしなんだが、裏を返せば仕事がそれしかないことになる。

耕作のできそうな平坦な土地は、辺り一面が刈り上げたように開墾されていた。傾斜のきつい山林や、国立公園の保全区域はかろうじて森林が残っているだけだ。乾季だから、収穫の時期も終り、赤茶けた土の耕作地がむき出しのままで、荒れ果てたイメージはぬぐえない。


農家の人も、とうもろこしやキャッサバが金になる作物だと聞けば、我先を争うように山林を開墾して、耕作地に切り替えてしまう。その結果が、このような風景を生み出したのだと思うが、日々の生活が掛かっているから真剣なのは已むを得まい。

そんな景色の中に、カポと言う集落があった。

県道2216号線から外れて、山坂のアップダウンが激しい凸凹道を10キロ以上も駆け抜ける。道は、単に地面をならしただけで、走れば赤い土ぼこりが巻き上がる。対向車が来れば、お互いに脇に寄って譲り合いをしなければならない。雨季ともなれば、ぬかるみにはまってスタックしてしまうのはざらだろう。こんな悪路だから、乗り物に弱い人なら完全に車酔いするはずだ。現に、上さんは、気分が悪くなって車中で激しく嘔吐してしまった。

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こうして、平家の落人部落のような、人里はなれた山奥の集落にようやくたどり着く。川を渡れば、隣のルーイ県に入ってしまうのだ。そんな県境のどん詰まりに、約百世帯ほどの人がこじんまりと住んでいると教えられた。

そこに、エールを贈りたい先生が住んでいる。


ここでは、小中学校の校舎に二年過程の幼稚園クラスが付属していた。現在、85人の学童が登校して来て、それを七人の先生が学年を掛け持ちしながら複式学級で 教えている。廊下に掲出されたクラス編成の告知板を興味を持って眺めていたので、一緒に来た会社の人間がそんな説明をしてくれた。


タイは、日本と同じような義務教育の制度がある。小学校を六年間、中学校を三年間、生徒達が学校へ通うのだ。ただ、このカポには、上級学校にあたる高校はもちろん無い。もし、学業が優秀だったら、生徒達は就学のためにこの故郷を離れなければならない。そして、卒業すれば戻って来ることも無いだろう。高い収入と確実な日々の糧を求めて、バンコクのような都会に働きに出てしまうように感じた。

昔の日本もこんな風だったと思う。現に自分だって、郷里の北海道の大学を卒業して、東京の会社に就職したではないか、そんなことも思い出したりしてみた。


ところで、ひょっとしたら自分はこの村に来た初の日本人では無いだろうか?

遠路はるばるを実感してやってきた場所なのである。余程のつてが無い限り、そう来られるものではない。そこで、校長先生へ、みんなで買ったサッカーボールやらスポーツ用品の寄付をした後で、通訳してもらいながら尋ねてみた。すると、五年前にスポーツの教育関係で台湾人の人が来ただけで、日本人は初めてだと言われてしまった。

うーん、自分が日本人としてこの地を踏んだ始めての人になったのである。手垢の付いていない処女地に踏み込んだわけで、タイにも今更ながら日本人の訪れていない場所があったのだと、ちょっとした感慨に浸ってしまった。

と言うわけで、カポ村の家庭ではモーターバイクも耕運機も所有していたし、子供達の格好もこざっぱりとして、集落自体にそれほどみすぼらしい印象は無かったのでした。こんな田舎へ日本人が初めて出現しようとも、地元に人たちの暮らし向きは確実に向上しているのです。そんな驚きを隠せない、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

★共同作業で、竹筒の中にもち米に入れて蒸したお菓子を作る村の人。後で、お礼として分けていただきました。美味しかった。

★毛布50枚を、お年寄りや子供達のために、寺の住職を通じて寄付をする。体一面に刺青をされていたのですが、色々と社会体験されてから出家された方のようです。

★カポ集落に沿って流れるルーイ川最上流の河原。奇岩だらけですが、雨季になると水量が増して一面が川面になるそうです。

★ルーイ側で見かけたトンボ。日本の八丁トンボのように赤くきれいでした。

★近くのナムリン洞窟:レンジャー部隊の人がいて、洞窟の中を案内してもらいました。立ち入り禁止の地区もあって、かなり奥の深い洞窟のようです。

★従業員の作ったガイヤーン:イーサン出身の男性従業員が、調理して焼いてくれました。これが、本場物なのでしょう。

おまけ:
遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻きシリーズは、ひとまずこれで終了とさせていただきます。ネタは、他にもそれなりにあるのですが、思い出したら取り上げてみる予定です。

2009年11月29日日曜日

遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻き(その三)

工場長がおっ建てたと言うセカンドハウスにたどり着いた。


途中のあるロム・サックの市場で食材を買い求めたせいか、予定より遅くなってしまったが、夜七時過ぎに何とか到着したのである。工場長によると、この辺りはコック・モン集落と言うらしく、ナム・ナオの市街より手前にあって、国道12号の幹線道路からは十五分も掛からない。ここは、24時間体制で看護婦が詰めている診療所が近くにあるので、万が一病気になった時でも安心なのだそうだ。タイ人には珍しく、何事もよく考えてから行動する彼のだけのことはある。(写真は、翌日の早朝に撮影。)

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それで、急病で本格的な治療を受けなければならない時は、近くに総合病院があるのかと聞いてみる。あるにはあるが、多少大きな街中に出ないといけないらしく、一二時間は掛かると答えが返ってきた。やはり、片田舎には違いないと感じてしまうが、それでも半日掛かると言うわけでも無い。電気も水道も通っているから、日常に不便することは無いだろう。むしろ、テレビ局も数チャンネルが受信できるし、携帯電話の電波も通話圏内にあるのだ。

こんな田舎でも、必要最低限の文化生活は、保障されているのである。

つまり、タイのような中進国でも、日本の田舎暮らし並みに追いついていたのだ。この目と耳で見聞して実感したのだから、驚きを隠せない。これまでは、何事に便利な都市圏と、郡部には依然として生活や所得に格差があって、未だに不便な生活を強いられていると、自分は勘違いをしていたことになる。

もちろん、かつてのタクシン政権下では、農村部の様々な貧困を 救済する政策や地方の経済を活性化する政策を推進して来たから、この地域もその恩恵に与った感じがする。他方では、ここ近年、代替燃料のバイオエタノール生産が脚光を浴びていて、原料価格の高騰に目を付けた農民が、金になるとうもろこしやらキャッサバの作付けを拡げようとしているようだ。

※写真は、ゴムの木。とうもろこしの前にブームだった。
収穫できるまでには5年くらい掛かる。

この旅行中でも、なだらかな丘陵地帯の山林を、根こそぎ焼き払って耕作地に変えてしまう強引なやり方を、始終目にして来た。自然破壊が何とも痛ましく、大地が悲痛な声を上げて、助けを求めているような気がしないでも無い。熱帯の気候は、森林の腐葉土が非常に薄く、激しい雨によって簡単に表土が流出してしまう。いったん耕作地に切り替えた土地は、収穫により地味も痩せ表土も流出して、化学肥料を年々大量に投入するような、悪循環に陥ってしまうような気がするのだ。

と言う分けで、そんなことを思いつつもナム・ナオの旅を楽しんだのですが、夜の十時ごろにやっと従業員のみんなが到着しました。テントを張ってキャンプファイヤーをしながら夜遅くまで飲み明かしていましたが、よく体力が保つなと思ったものです。

貧乏社長も、ちょっとはお付き合いをしたのですが、体力が無いし、車酔いした上さんも辛そうだったので、早めに切り上げて寝床に着かせてもらったのでした。

※テントを張ってキャンプファイヤーをする。(翌土曜日の光景)

※工場長が土日に開くコーヒーショップ。
自宅に管理人をおいて店の切盛と農園管理をさせていた。

給料は、月二万円しないとと思う。

※工場長の家に居たネコちゃん。

(この巻き、終り)

おまけ:あと一話で最終です。今しばらく、お付き合い下さい。

2009年11月28日土曜日

土曜日出勤は慣れないと辛いのだの巻き

11月は、さわやかな乾季の始まる月だ。

そんな週末は、どこかに遠出でもして観光気分で一夜をノンビリ明かしたくなってくる。しかし、現実は厳しいのであった。今月最後の土曜日だと言うのに、しっかり出勤して働かなければならない。本来なら、当社は週休二日制を採用していて、タイの国内企業にあっては恵まれた労働環境を従業員に提供しているのだ。

それでも、こうして工場に出かけてきた。そして、今、この記事を仕事の合間を見ては書いている。

もしカレンダーどおりに働くのなら、今月も土曜日はしっかり休めるはずだった。何ゆえに、今月は振り替えの土曜出勤日が集中してしまったかと言えば、年末年始の連続休暇を従業員が希望したからなのである。大元の勤務日程から言ば、12月最後の週は三日間を働く必要がある。そして、31日の大晦日から翌年の3日の日曜までを西洋暦で言うところ新年休暇にする段取りだった。

ところが、従業員は地方出身者も多くて、郷里に帰省するには休暇の余裕が余りに少ない。南はサムイ島から北はピサヌルーク、東北はガラシンまで、津々浦々に故郷を目指して帰って行くのだ。移動に往復で二日を掛けるとなると、残りはたったの二日だ。それで、この28日の月曜から30日の水曜までの出勤日を休みにしたがったのである。26日の土曜日から連続すれば、九日間の超大型連続休暇に生まれ変わり、実質一週間を故郷でくつろげると言うことになる。


と言うわけで、この三日間を確保するために、10月31日、11月14日と28日の各々土曜日を、社長として承認した分けである。それで、今考えてみて思いつくことが一つあった。出来上がった来年の就業カレンダーを眺めながら、来年の12月は27日から30日まで勤務する日程になっているのだ。となると、来年は四日間も振替の出勤日を考える必要が出てくる。

もし、年末を前にして、あわてて10月辺りから振り替え出勤日を考えだせば、下手をすれば11月は毎土曜日を働かなくてはならない。そんな、変則労働は週休二日に慣れてしまった体となれば、生活のリズムに変調を来たしてしまい、思うような仕事もできなくなるだろう。

これは安易に考えてはいかん。

今から対策の検討を指示する必要があるのだ。例えば、土日を含めて三連休が続けば、次の土曜日は出勤日としても、従業員にはそれほど負担にはならないだろうし、それが連続することもない。この考えで行けば、3月6日、5月10日、7月31日、10月30日とちょうど四日間が割り振れるので好都合かもしれない。

しかしながら、例年なら年末は結構生産が集中するので、それを振替出勤日でまかなって来た傾向も否めない。

と言うわけで、来年は行き当たりばったりでなくて、もっと計画的に振り替え出勤日の割り振りを指示しなくてはいけないと悟った、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2009年11月25日水曜日

モン君、金メダルに向かって飛び立つの巻き

はっきり言って、ミャンマーと言う国はタイにとって迷惑千万な隣国なのかもしれない。

ミャンマー難民がタイに流入してすでに四半世紀が過ぎた。現在、タイ国内には国境付近に九つの難民キャンプが設けられていて、約14万人の難民が生活していると言う。政府軍と少数民族の間で起きた紛争や、ミャンマー国内の圧政・人権侵害・迫害が原因で命からがら逃げ出した人々が、母国に帰る保証も無く、貧しい暮らしを送っていることになる。

”モン君、団体競技で金メダルに着地
モン・ソンディー君は、チェンマイ県選出の国籍の
無いタイ代表だが、日本で行われた紙飛行機の
国際的な飛行大会の団体競技で、チャンピオン
として浮かび上がった。


このモン君も、ちゃんとタイ国籍を持っていたのなら、これほど有名にならなかっただろう。地元の紙飛行機大会で優勝したご褒美として、日本の国際大会に招待されて出場したぐらいの埋め草記事程度にしかならなかったはずだ。

モン・ソンディー君、12歳は、昨日帰国したところで、
日本紙飛行機コンテストで獲得した金メダルを見せ
ながら、父、母、妹からスワンナプーム空港でキスを
受けました。
祝福に駆けつけた中には、科学技術庁大臣も居り、大臣は
科学方面の奨学金を授与する予定です。


ところが、両親がミャンマー少数民族のシャン族で無国籍なことから、この少年は時の人に昇華してしまった。

つまり、少年はタイ人ではないのである。当然、パスポートを取得する資格も無いから、国外へ出ることも許されない。そうなると、せっかく優勝しても日本へ旅立つことができなくて、大会参加をあきらめざるを得ないような雰囲気で話が進んでいた。

しかしだ。

タイ政府は、突然、特例措置で臨時旅券を発給したのである。アピシット政権は、連立与党の不安定な政権で支持基盤勢力が脆弱だ。何かに付けて大衆に迎合しようとして、手当たり次第に下策を出すのも、いかがなものかと思うのである。

その結果、本人が紙飛行機の滞空時間を競う日本大会で団体優勝したのは讃えたいところだ。だが、少年の対処自体に当たっては、厳然たる法的判断があっても止むを得なかったのではないかと思っている。

実を言わしてもらえば、日本の民主党政権もこれに負けず劣らず、太鼓持ちではないだろうか。

これに似たような恣意的な超法規的措置を下した千葉法務大臣は、狂気の沙汰の外道であろう。残留孤児の子孫と偽って入国し、裁判の結果、国外退去が確定した両親の子供に、かわいそうだぐらいの気持ちで、ためらいも無く在留特別許可を出したからだ。

実際に、姉妹達は退去命令取消し請求の訴訟で争って敗訴が確定していたのだ。裁きを無視して在留を特例で認めるなど、法務大臣の器量ではない。特定外国人に治外法権を許し認めた思想的凶状持ちと言って過言ではない。

と言うわけで、タイのモン君は紙飛行機の明るい話題で和んだのですが、日本の方は、これからどんどん変な方向に進んでしまうのではないかと恐れを抱く貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:この記事は、”バンコクポストで見る今日のタイ”として書くつもりでしたが、原稿量が多くなったので、独立させました。

★キャプション原文
(写真一枚目)
Mong lands gold in team event
MongThongdee, a stateless child from Chiang Mai province representing Thailand in an international paper airplane flying contest in Japan, yesterday emerged the champion in the team event.

(写真二枚目)
Mong Thongdee, 12, shows the medals he won at the Japanese paper airplane contest as he is kissed by his mother, father and sister at Suvamabhumi airport upon his return yesterday. Among the well-wishers was Science and Technology Minister Khunying Kalaya Sophonpanich, whose ministry will grant him a science scholarship.

2009年11月24日火曜日

遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻き(その二)

そう言えば、ナム・ナオに入る手前のロム・サックと言う少し大きな町で買い物をした。

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大きな市場があるから買い物には好都合なんだと、工場長が運転しながら話してくれる。地図を見ながら、そろそろ右折して国道12号線に入るはずだと思っていたら、交差点をそのまま突っ切ってしまった。程なくして、ロム・サックの市街に入ったのだが、街の雰囲気が田舎の地方都市と言った感じで、たくさんの人が往来していてもの凄くにぎわっている。

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マイカーで乗り付けられるほど人々の所得は未だ高くない感じもする。その代わりに、バイクで乗り付ける人はわんさかいるし、人力車の座席をくっ付けたバイク改造の輪タクも見かけた。バンコクだったらトゥクトゥクなんだけど、ここはちょっと違う。

しかも、ジュースのビンにガソリンを詰めて売っているスタンドのおばさんを見かけたときはびっくりした。最初は、何てどぎつい真っ赤なシロップを売っているのかと物珍しそうに見ていたんだが、工場長の方から”これはガソリンだよ”と教えてもらったのである。街中にはちゃんとした給油所が無いような感じなので、ガス欠のバイクに売るには格好の商売なのかもしれない。

それで、金魚の糞みたいに上さんと一緒に工場長の後を追っかけて、アーケードの市場に入ってみた。明日はバーベキューだから、いろいろ食材を準備する必要があるとか言って買い物を始めたんだが、中々に市場の雰囲気が面白かったので、撮影したデータで説明をしてみる。論より証拠で下手な説明より、実際の写真の方が分かりやすいだろう。

★市場の風景

雨よけのフードが張り出されていて、いかにも市場らしい雰囲気が漂っている。二枚目の写真を見ると、後ろの方でお姉さんが二人してVサインを出して、アングルに納まっていた。撮影した時は気が付かなかったんだけど、変な日本人がうろちょろして撮影していて面白いと思ったのだろう。いやがらずに相手をしてくれるのがうれしい。

★魚ペースト屋さん
これはなんと言ったら良いのか分からないが、食べてみれば魚のペーストには違いなかった。あまり生臭さは無くて、野菜と一緒に食べたり他のおかずと付け合せたりして食べると、食味が増して美味しかったのである。

★腸詰ソーセージ

その晩のおかずを未だ買っていなかったので、ソーセージを買ってもらった。もち米を詰めて蒸したソーセージをなんと言うのか分からんだのが、まことにおいしかった。

★活魚販売もあった!
ついこの間、カルフールの鮮魚コーナーで見かける魚の記事を書いたのだが、ここで遂に活魚のテラピアに遭遇することになった。コメントで教えてもらったとおり、これはプラー・タップティムかと聞いたら、そうだと応えてくれたので、金魚のテラピアで間違い無しと言うことだろう。手前の魚はひれの感じからしてライ魚かもしれない。

★締めはデザートでしょ!!

この青果店は、飾りつけも良くて果物を美味しそうに並べてあるので、気に入ってしまいシャッターを押した。ここまで、工夫されると中々商売に年季が入っていると感心してしまう。

そんな分けで、ロム・サックの市場は、地元の人たちで賑わいを見せていたのですが、こんな寄り道も、また乙なものかと思った貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

2009年11月23日月曜日

遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻き(その一)

ナム・ナオ(Nam Nao)に行くのは、実に遠かったのである。

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工場長が招待してくれた別宅にたどり着くには、バンコクから北に向かってパトンタニ、サラブリ、ロッブリーの各県を走り抜けてペチャブーン県まで駆け抜けなければならない。幸いにして、国道1号線、21号線、12号線と主要幹線国道を使うので、飛ばせることは飛ばせるにしても、5時間半ほど掛かってしまった。

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次に、彼が月に一回通う家は、国道12号線でナム・ナオ国立公園を横断した後、左折して県道2216号線に入ってから、数キロほど上りあがったコック・モン(Kok Mon)と言う集落にある。この地帯はナムナオ地区と呼ばれていて、中心の市街はこれからさらに十キロくらい運転する必要があると説明を受けた。

この地域はペチャブーン県にの北東の一角に面しているので、地図を見たら三つの県と隣り合っているのが分かる。北は、ルーイ県、東はコンケーン県、南はチャイヤプーム県だ。
ナム・ナオの所在するペチャブーン県自体は、自分も始めて訪れる地方だけあって、情報は詳しく無かった。それで、道すがら工場長が教えてくれたのだが、そこは特産の果物タマリンドがペチャブーン・ブランドとして有名なのだそうだ。

実際に、県庁所在地のペチャブーン辺りで道路わきにタマリンドのキャラクターシンボルの象を見かけてしまったし、途中立ち寄った土産物屋でもこれを加工した食品を多く見かけた。自分も試食のついでと言ってはなんだが、その漬物パックを買ってしまったのである。酸味の無いカリカリ梅みたいで美味しい。


さて、到着した場所の地名:ナム・ナオと言うタイ語は、簡単に言えば「冷たい水」だ。タイ北部の山間地域だから、気候も涼しくて水の冷たい地域と言う意味があるのだと思う。実際に現地で寝起きして分かったのだが、11月からの乾季を迎えたこの時期、朝方の冷え込みは意外に厳しい。たまさか、北方からの寒気団が流れ込んで来たとは言え、気温がいとも容易く15度を下回ってしまった。用意してくれた薄めの布団では寒くてブルブル震えも来てしまう。

ただ、日中は気温があまり上がらず、この時期になると30度に届かないようだ。とても過ごしやすい雰囲気があるので、涼を求めて都会からお金持ちがやって来そうな場所だと思う。現に、色々な場所を案内してくれた工場長が、ここの建築現場はテレビ女優の持ち物だとか、見晴らしのいい土地は、値段がものすごく上がっているとか話してくれる。

つまり、ここはタイの軽井沢なのである。

と言うわけで、ナムナオについて手始めに簡単な紹介だけをさせてもらいました。次は、何を書こうか思案しながら書くつもりなので、行き当たりばったりなるかもしれません。それでも、思い出を残しておくのは良いことだと思った貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終り)

2009年11月19日木曜日

三点セットにも色々あるわいの巻き

朝の出勤前はあわただしい。

昨晩のうちにセットした目覚まし時計が、いつもどおり朝六時でけたたましく鳴り響き出す。冬眠からさめた熊のように、寝ぼけ眼でがさごそベッドから抜け出せば、お次はシャワーを浴びる番だ。お湯は出さずに、ちょっとは冷たい真水を浴びれば、これで気分がしゃきっとしてくる。

こちらへ持ってきた両親の位牌に、水と線香を手向け、供え物を備えるのも欠かせない日課だ。

鈴をチーンと二回打ちながら、手を合わせて拝む。家族も従業員も、皆が今日一日を無事に過ごせますように見守ってくださいと、位牌に手を合わせながら心の中で念じる。そんな自分に続けて、お次は上さんがお経を読んでくれる。

それが済めば、ようやく朝ご飯だ。

おっと、その前に血圧も計っておこう。最近は、上が高くても130ちょっと、下は80後半から90をやや超すぐらいに最近はお落ち着いて来ているから、血圧がやや高い程度に収まってきているのはうれしい。

パンに簡単な卵料理とサラダ、カフェオレを胃袋に流し込みながら、慌ただしくご飯を食べる頃には、NHK衛星の朝の八時半をのニュースの時間がやってくる。たった5分間のニュースなんだか、日本のちょっとした動きを知るのも都合が良いから食べながら見てしまう。

こんな風に、我が家の朝は、自分が七時ちょっと前に家を出るまでに、ばたばたと時間が過ぎてしまうのだ。そして、さて家を出ようとするときに、上さんが最後に叫ぶのである。

カギ、携帯、ハンカチ。

まるで伝家の宝刀のように、決め打ちお出かけ三点セットはこれだと言わんばかりに、確認を催促されるわけなのである。自分も健忘症なのか、時々忘れそうになるから致し方無い。時には、これに加えて「指輪」の一言も加わって、サラリーマン完全武装の仕上げとなる。

まさに、これが我が家の始業開始の点呼、指差し呼称と言っても良い。

と言う分けで、常夏の暑い国だからハンカチは絶対欠かすことが出来なくなってしまいました。そんな三点セットに不動のポジションを占めたハンカチを、いつも替えまで用意して二枚を持ち歩く貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おことわり:
今週末、私用でペッチャブーン県のNam Nao, Kok Monと言うところに出かけます。
ですから、記事の更新がちょっと止まります。
以前に書いた記事、「年棒13万円の教師に贈るエールの巻き 」の場所なんですが、従業員の好意で訪問することになりました。
と言うわけで、ご了承下さい。

2009年11月18日水曜日

バンコクポストで見る今日のタイ(その5)

前回に続けて、英字紙のバンコクポストを飾った9月の面白写真を紹介してみる。

★貧しい人々のために編み物を


編み物デザイナーのアリソンマレー女史(46歳)は、BNH病院が後援する”貧しい人々のための編み物を 2009”プロジェクトの記者会見後、その技術を披露しています。
同女史は、タク県にあるアンファン・ウイッタヤコン学校の子供たちのために、四角い編み物をつなげて毛布にする活動に参加してもらいたいと呼びかけています。

解説:
実は、この写真を見る限りでは、壁一杯にぬいぐるみのお菓子がべたべた貼られている中で、窓越しに見て中年の女性が何か作業をしている程度にしか見えない。ところが、もうちょっとネットで調べてみたところ、このけばけばしく飾りたてた壁は一部に過ぎないのが分かった。本当は、ヘンゼルとグレーテルのようなお菓子の家みたいに出来上がっていたのだ。写真は、アップしただけなので何とも家の雰囲気が伝わらず、残念ではある。

それで、この女性は、どうやらイギリス編み物界の大御所のようでもあるらしく、世界最大の編み物によるクリスマスツリーを作り上げるきっかけを作った人物として紹介されている。

この家の作品についても、庭のこしらえも中の家具もみな編み物で揃えた上に、等身大の人間が出入りできると言う凝りようで、伝説のロックスター:ボンジョビ見たいな芸能人からも賞賛を受けたようだ。今回は、フランスのパリを訪れた後、タイの地域社会を支えるプロジェクト”Let's Knit for the Needy”の呼びかけに協賛して、海を渡ってタイにやって来たことになる。

ボランティアによって編み物から毛布を作り、貧しい生徒に配るコンセプトは、なんで熱帯のタイでそれが必要なのと、変に思う人もいるだろう。ところが、どっこい北部地方の山岳部では冬季になると寒さが意外に厳しい。朝早くだと氷が張るほどの気温にはならなくとも、5度くらいまでは冷え込む。日中は汗ばむくらいまで気温が上昇する中で、朝の寒さは、大人であっても辛い以外の何物でも無いだろう。

しかも、そのような地域では、農業で日々の糧を得ている人々がほとんど生活水準は高くない。子供達のために、毛布のような温かい寝具を用意できる家庭は少ないと言うことだ。

そんな家庭の子供達に手を差し伸べるためのイベントなんだが、紹介された写真が童話の世界のようで、生活の貧苦の印象を和らげているのがせめてもの救いかもしれない。そんな一枚の考えさせられる写真ではある。

<原文>
Knitting for the needy
Alison Murray, 46, a textile designer, shows her knitting skills after a news conference for the BNH Hospital-sponsored "Let‘s Knit for the Needy 2009" project.
Ms Munray wants the public to knit squares to be stitched into blankets for children at Umphang Witthayakom School in Tak.
SAROT MEKSOPHAWANNAKUL


★”しんちゃん”で有名な漫画家が転落して死去

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解説:
クレヨンしんちゃんの作者、臼井儀人さんが登山で崖から転落死しているのが発見された記事は、記憶に新しい。

バンコクポストでも、AFP電の配信記事を一面に登場人物のキャラクターまで登場させて、事件の顛末を紹介している。この漫画、14カ国で翻訳され、アニメ版は30カ国で放映されているから、海外でも大変な人気がある。

こちらでも人気は高くて、地元の人はタイトルを「เครยอน ชินจัง」と表音そのまんまに呼んでいるが、イントネーションが微妙に違うらしい。タイ語を勉強中の上さんに読んでもらったら、”クレンヨーン チンジャン”と発音した。ちょっと、タイ風いたずらっ子見たいな感じもする。

個人的には、この漫画は作風として好きでない。子供らしくなくてひねているからで、親も低俗・低次元な人生を送っている感じがして、自分の感性からは程遠い。舞台を埼玉県の春日部に設定してあるらしいのだが、首都圏近郊の地方都市に住む中産階級の家族が、如何に俗悪で日本人として劣化・再生を繰返しているのかを、表現していると感じて来た。

これは、作品だけを純粋に好き嫌いで見た結果に過ぎない。個人の臼井さん自身はほとんど知られていないし、ひょっとしたら気さくな男性だったのかも知れない。だから、自分も山登りが好きな性質なので、この事件は痛ましい。謹んで、哀悼の意を表したい。

<原文>
Famed "Shin-chan" cartoonist dies in fall.
TOKYO: Tributes poured in yesterday for Japanese cartoonist Yoshito Usui as after confirmation bruised body of a man found on a mountain was that of the creator of the popular Crayon Shin-chan series.
Usui, 51, who was popular worldwide among manga enthusiasts, disappeared on Sept 11 after he went hiking on his own on a mountain range Straddling Gunma and Nagano prefectures, north of Tokyo.
A body was found on Saturday by a fellow hiker and his family late Sunday confirmed it was Usui, a recluse who was married with two daughters.
The indications are he fell and there was no suggestion of suicide, police and reports said. His death dampened celebration yesterday on the Respect for the Aged holiday in Kasukabe, a suburban city outside Tokyo which which has become well-known nationally as the place where the cartoonist lived and set the Crayon Shin-chan story.
"I'm deeply depressed to hear the unfortunate news. I pray his soul rests in peace with citizens here, "Kasukabe mayor Ryozo Ishikawa said by telephone.
"I saw many sorrowful citizens today ‘Shin-chan' is definitely a Kasukabe kid. We hope ‘Shin-chan', a byword for cheerfulness, will keep staying here with his family," he said.
Usui made his debut as a manga author in 1987 and sprang to prominence in the 1990s with Crayon Shin-chan, which features the daily life of Shin-nosuke, a mischievous five—year-old boy.
The series ran regularly in a magazine and later was made into a book and animation version.
"We had been praying for Mr Usui's safety with his familly but now feel the utmost regret over how things have turned out. We are in a big shock," Futabasha, the publishing house of Crayon Shin-chan, said in a statement.
His books have been translated in 14 countries and the animated version has been aired in 30 countries. AFP

※9月は、結構面白い話題が多かったので、その6まで続けさせていただく予定です。

(この巻き、終り)

2009年11月17日火曜日

バンコクポストで見る今日のタイ(その4)

英字紙のバンコクポストは、毎日欠かさずに目を通して来た。

今回も、まずは9月分として話題性のある印象的な写真を、携帯の付属カメラを使って溜め撮りしておいたので、コメント付きで紹介させていただく。
あきもせずにこつこつ接写しているんだが、写真付きの記事を見ていると、文字だけでは分からないお国柄やら生活風土を感じることも多い。そして、日本とつい比較しようとする自分の存在に気が付いて、ここは海外なのだと改めて認識させてくれるのである。


★追越し車線の生命


維持保守作業員が、ラチャヨーエティン立体交差橋で信号灯を取り付けている。この立体橋は、パフォンヨーティンとラチャダピセークの道路が交差する地点にあり、昨夜の真夜中に改修のため一ヶ月間、部分的に閉鎖された。市外方向の車線は、二週間にわたって閉鎖される予定。

解説:
日本だったら、こんな労働者の作業条件は、絶対に許されない。大抵は、通行止めにするか、作業場所のすぐ脇の車線は通行止めにして、安全なエリアを確保してから作業に着手するのが絶対だろう。
これに対して、タイの労働安全衛生は一応法的に整備されたとは言え、現場の実情を新聞の写真付きで紹介しても、社会問題化しない程度のゆるさではある。ところがそれでも、蛍光反射ベルト付きの安全チョッキを、申し訳程度に着た上で作業しているのが皮肉に感じてしまうのだ。作業が終わったら、どのようにして作業場所を安全に離れろと言うのだろう。
ただ、10年前だったら安全チョッキすら着ていなかっただろうから、ちょっとは進化していると言うことなのだろう。

<原文>
Life in the fast lane
Maintenance workers install signal lights on the Ratchayothin flyover, at the intersection of Phahol Yothin and Ratchadaphisek roads. which was partly closed for a month for repairs at midnight last night. The outbound lane will be closed to traffic for the next two weeks. JETJARAS NA RANONG


威勢の良いお祭り


中国に先祖を持つタイ人の一団が、スパンブリーの通りを練り歩いて地元っ子の意気込みを見せています。このお祭りは、例年のシン・クラジャ(空っぽの籠)の儀式の開幕を告げるもので、食料や必需品が貧しい人々に配られます。

解説:
この記事を読んでいて、スパンブリーがどこにあるのかなのかハッキリしなかったので、調べてみた。すると、バンコクから北西に向かって百キロほどにあり、観光で有名なアユタヤとカンチャナブリにはさまれた比較的地味な県と言うのが分かった。
それにしても、写真を見る限り、どこか中国の大陸で行われたお祭りと言われてしまえば、そのまま疑うことなく信じてしまうほどの中国然としたお祭りである。タイと言う国は、もともと華僑は多いのだが、これほどご先祖様の風習文物を守り通している地域は珍しいかもしれない。
ただ、この地域は、アユタヤ時代には重要な軍事上の境界線となっていたらしく、その頃から華南地方やら潮州あたりから大量の華人が流れ込んで住み着いたのだろう。その子孫達が、しっかり伝統を受け継いでいると言うことだ。

<原文>
A spirited celebration
A group of Thai-Chinese descendants honour local town spirits along a street in Suphan Buri to mark the opening of the annual Thing Krajad (Emptying Basket) ceremony, where food and
necessities are handed out to the poor. PATTANAPONG HIRUNARD 


新しいものと古いものの融合


ニミット・ロドルブーン氏は、芸術大学の先生で、タイの伝統的な生活様式を政府庁舎の壁画に描いている。作業は、首相官邸の改築計画の下、インフルエンザの脅威のような今日的問題にも触れている。

解説:
タイの伝統絵画と言えば、庶民に善行を説き、仏の教えに従うよう帰依心を起こさせる仏教画がほとんどな分けだ。どちらかと言えば、厚塗りで輪郭を強調した画風がタイ絵画の最大の特徴となってる感じがする。この先生もそんな作風が見て取れるのだが、遠近感が無視されたり、背景の描写が省略されて主題となる事物を中心に描いたりする手法は、日本画の作品でも見受けられるのでアジア的な感覚は同じなんだと思う。

<原文>
A mix of old and new
Nimit Rodrubboon, a teacher from the College of Fine Arts, paints a mural on a Government House wall depicting the Thai traditional way of life with a touch of current issues such as the flu scare, under a project to renovate the Office of the Prime Minister. PRAKITJUNTHAVPNG


巨人の殺し屋、故郷に錦を飾る


タイ女子バレーボールチームがアジア女子バレーボール選手権大会で初めての勝利を物にして、ハノイからスワンナプーム国際空港に戻った時、周囲は笑みであふれていた。日曜日の決勝戦では、11回チャンピオンとなった中国を、歴史的な逆転により勝利を勝ち取った。11月に日本で行われるワールドチャンピオンカップ決勝大会の出場切符も手に納めている。

解説:
近年アジアで急速に力をつけてきたのは、タイ代表ではないか言われていたんだが、中国を3対1で下して優勝ををもぎ取ったのは、驚きだった。過去中国と日本しか優勝していなかった同大会において、それ以外の国が初めて優勝したというのも凄い。さすがの中国も、格下相手に敗れてかなりのショックだったようで、そんな雰囲気を撮影した画像がネットで見受けられる。
ちなみにこの大会で日本は3位だったのだが、今月のグラチャンでも芳しくないようで、総合成績を2勝3敗とし全体の4位で終り、メダルを逃してしまったのは残念ではある。その代わりに、新しいホープとしてタイのチームにがんばってもらうのも良いかも知れない。

<原文>
Giant-killers return home
There were smiles all round when the Thai women’s volleyball team flew into Suvarnabhumi airport yesterday from Hanoi following their first-ever victory at the Asian Championship. The team scored a historic upset over 11—time champion China in the final on Sunday. The win also secured a place for ThaiIand in the World Grand Champions Cup tournament in Japan in November. SOMACHAI ROOMLARD

※9月分は、その5に続きます。
(この巻き、終り)

2009年11月15日日曜日

常連コメント投稿者だったの巻き(その二)

前回の記事に続けて、ブログに書き込んだコメントを拾い上げてみる。

いつも欠かさず読んでいるブログ「北海道 札幌発 だべさ通信2」に紹介される記事は、自分の故郷の日常的な身近なできごとが話題になっているので、本当に楽しみにして来た。それで、ついつい記事に関連して、自分の子供の頃の思い出とか、こちらで生活した体験の比較とかを、書き込むようになってしまったのである。

本当は、コメントを書き込む代わりに自分でブログの記事にした方が良いと思うかもしれない。ただ、何事も、書き出すきっかけの呼び水が湧き出してこない限り、書けないものである。その点では、だべささんが、記事の中でおいでおいでをしてくれているのだ。

これは、まことにありがたい。

過去から現在までを通じて、自分の経験や記憶が甦り、それを改めて文章と言う記録=自分史の中に定着させてもらえるのは、楽しい作業だと言える。

それでは、今回もコメントとそのコメント返しを合わせてお楽しみ下さい。


惨劇苫前羆事件その2
タイからです。
オフィスからサボって書いてます。
ウイキペディアでも、しっかりと事件が紹介されています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

実は、おいらはこちらへ来る前の年に、おいらが生まれた名寄から朱鞠内を抜けて、わざわざ苫前の事件現場まで車で行ってみたことがあります。
事件の場所は、道道1049号線のどん詰まりにあり、何となく陰鬱な雰囲気が漂う感じの場所に、観光用として当時を偲ばせる掘立小屋が再現されていました。
この外、このあたりは風力発電とか、羽幌築別炭鉱の廃墟とか、知る人ぞ知る観光エリアでありまして、結構、内地から観光客が訪れているようです。
なぜかって、三毛別 クマのキーワードで26万8千回もググられていますから...

ぐりぐりももんが さんへ
ウイキペディアを読んで、とても勉強になりました。
この『北海太郎』は、その後に熊撃ちになった村長の息子、大川春義氏の息子、高義氏なんですね。
『1980年に体重500kgというヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の上仕留めている』とありました。そういう熊だったとは知りませんでした。
教えて下さり、ありがとうございました。

ふるさとは名寄なんですね。


甘エビ丼と500円と性転換
最近は、ニシンが北海道へ戻って来ているみたいですね。
むかし、焼尻島に「1ヶ月1万円生活~」番組でタレントの森脇健児が暮らしていた時、ボロ舟を操って漁をするんですが、海の色が変化して小さいながらもニシンの郡来のあることがテレビで見ていて分かりました。
北海道で最後の郡来と言えば、昭和二十九年でもう五十年以上も前のことです。やっぱり獲り過ぎたんでしょう。自然の回復には、長い時間が掛かるもんです。

参考URL:http://doraneko66.exblog.jp/9742260/

ぐりぐりももんがさんへ
そーなんですか。『郡来』の写真、見せて頂きました。白い色が神秘的ですね。一度見てみたいです。


ずれてる送毛トンネルのナゾ
小生のコメントの続きです。
北海道で比較的大きなニシンの群来が最後にあったのは、昭和29年と書きましたが、その大群が押し寄せたのは於冬の近海でした。
当時は、交通の手段として、陸路が無く、海路で増毛から行き来できるだけだったと、NHKの番組”新日本紀行”か何かで紹介されていたのを、未だに覚えています。多分、30年以上の前の番組です。でも、鮮やかに覚えているんですよ。確か、番組の中で大漁を祈るお神楽を神社で踊っている風景とかね、、、
誰か知っていらっしゃる方、いませんかね。

ぐりぐりももんが さんへ
そうなんですか。『大漁を祈るお神楽を神社で踊っている風景』
今はもうなくなってしまったのでしょうね。
今年は、鰊は豊漁だったから、これからも、沢山群来が見られるといいですね。

『えった』は、私も言ってました。鬼ごっこの時に使ってた『えった』ですよね。
今まで、使ってたことさえ忘れていました。
本当にどんな意味なんだろう。ぐりぐりももんがさんの捜査を期待します!


北海道がバイオエタノールを作る
タイからです。
こちらでは、エタノールを10%混ぜたE10と、20%を混ぜたE20のガソリン(ガソホール)販売が主流になりつつあります。価格は、リッター90円しません。昨年からは、ほとんどがエタノール成分のE85も発売されました。原料は、キャッサバ芋、サトウキビなんかで、11箇所の工場があり一日当たり百万リットル以上生産していると思います。この他、パーム油(やし)を5%混ぜたB5と言うディーゼルも売られているし、CNG燃料なんか、1キロ25円の格安です。

ところで、以前にコメントで書いた北海道弁の”エッタ”について、ようやくにして記事をまとめてみました。よかったら、拙ブログを訪問してやってください。ちょっと、ヘビーな仕上がりにしています。


そーなんですか!!
バイオエタノールは、タイの方が進んでいたんですね!
しかも、やすい!
早く、北海道でも、第2のタイ料金が出ることを願いタイです。


野外プールは寒いっしょ
最近の日本は天候がすぐれないようですね。
十何年か前に、気象庁が関東・東北地方の梅雨明け宣言をしないまま、9月を迎えた年がありました。
あの時は、米も不作でタイから緊急に長粒米を輸入して、一般へ流通させましたけど、パサパサして匂いがするとかで日本人の口には合わなかったと記憶しています。
こちらに住んでみて、お米の味は格段に良くなりました。なぜかと言えば、十年以上前に一年住んでいたので、まずかった当時のお米の味を覚えていて、比較できるからです。貯蔵技術が向上したのだと思いますが、臭みもありません。五キロで二百円の安い米もあれば、六百円の香り米ジャスミンライスもあります。ジャスミンライスは、粘りが多少無いけれど日本人には合うと思います。
日本に居た時は、時々、北海道産の”ほしのゆめ”や”きらら397”を、時折、購入しては食していました。お米の系統では、コシヒカリの孫からひ孫の遺伝レベルなんだそうですが、北海道の米も本当においしくなりましたね。そんなことも思い出しました。

ぐりぐりももんが さんへ
そうそう、タイ米、食べましたよ。
細長くって、パサパサしていました。
あのときは、日本のお米のありがたさがよくわかりましたっけ。
でも、今はとてもお米が美味くて、ジャスミンライスというお米があると聞いて、どんなご飯か食べてみたくなりました。
いろいろ、タイのことがわかってきましたよ。ありがとうございます。

(この巻き、終り)

2009年11月12日木曜日

常連コメント投稿者だったの巻き(その一)

そう言えば、他人のブログにも結構コメントを書き込んでいて、意外と面白いネタを扱っていたのが分かった。そんな中から、北海道シリーズを拾ってみる。

お暇な人はお読み下さい。

秋で午後から一休み
バンコクにも落葉はありますが、紅葉はありません。落ちた葉っぱの枝からは、すぐに若い新芽が出ています。季節や時間の移り変わりを感じないままに、生きとし生けるものは輪廻転生を永遠に繰り返していくと言うのが、熱帯の生きざまでしょう。
錦秋のような言葉は、日本のような温帯の国にお似合いなのです。四季の巡りがあるからこそ、自分の生きてきた思いや記憶がしっかり刻まれるのではないでしょうか、そう思いました。
日本に帰りたいなー、写真を見て改めて思いました。

ぐりぐりももんが さんへ
『四季の巡りがあるからこそ、自分の生きてきた思いや記憶がしっかり刻まれる・・・・』そうですね。
とてもいい言葉にちょっと感動しました。
日本人の思い出は、桜の春に始まり、しんしんと冷える冬の年越しに終わる、その繰り返しですね。季節は、人の思い出と一緒に移り変わる人生そのものですね


渋滞なんて
バンコクの渋滞はものすごいですよ。
日本人がたくさん住んでいるスクンビット通り界隈は、特にひどいですね。雨なんか降ると1分で1メーターしか車が進まなくなってしまう。想像を絶するノロノロ渋滞が始まるのです。
いや、昔はもっとひどかったのですよ。渋滞にはまった通勤送迎車の中で、居眠りをして、はっと起きたら、一時間たっても一寸たりとも動いていなくて、夢かと思ったとか....これは、自分も似たような体験があるので、実話ですね。
今は、高速道路も立体交差もできたし、地下鉄とかBTSの公共交通もあるので、幾分、混雑は緩和したと思いますが、焼け石に水でしょう。北海道は、でっけーから渋滞なんて無いに等しいですね。うらやましいです。

ぐりぐりももんがさんへ
そうなんですか!睡眠をとれるくらいの渋滞。東京の高速は凄いと思っていたら、もっと凄いところが合ったんですね。
仕事への影響は、出ないのでしょうか。それとも、渋滞ともうまく付き合っていく国なのでしょうか。
いずれにしても、早く、渋滞が緩和されていくとよいですね。


ほらね、『すいみつ』って言うしょや
台湾では、”水密桃”とごく自然に言っております。(発音は違いますけど)
それで、日本で普通に食べられる大振りの甘い桃だけを、最高級品として指し示しているようです。中国語で桃と言えば、色々な種類を網羅するらしく、プラムなんかも桃の部類に入るみたいです。(あまり美味しくないのも入る...)
こちらタイで桃を買うと、アメリカとか中国からの輸入品になるのですが、小ぶりでまずそうです。だから、一年以上、桃を食べていないのです。食べたくなりました。(農薬も怖いからね)日本の水密は、見た目も味も世界一でしょうね。多分、輸入されて、バンコクのお金持ち御用達のフルーツになっているんじゃないかと思います。
実際に、青森産の陸奥りんごをお使い物で買ったのですが、一個で八百円以上になりましたし、栃木のイチゴなんか一パック二千五百円で売られているので目の玉が飛び出ました。おいらは、一キロ30円で売られているスイカで十分です。では...

ぐりぐりももんが さんへ
驚く事ばっかりです。そうなんですかー!
日本の果物は、そちらでは高級品なんですね。
しかも、痛みやすいイチゴまでが輸入されているとは驚きました。
輸送技術も進んだんですね。
とても勉強になりました。


トウキビ食べたよ
近所のカルフールへ行くと、茹でたとうきびを二本で25バーツ(約70円)出せば、一年中、買うことができます。何時でも食べられるのはうれしいのですが、季節感を感じないのも少しさびしい気がします。
道産子にとって、冬の厳しい季節を乗り越えられるのも、春、夏、秋と季節の折々に変化があって、食べ物も着る物も楽しみながら移ろいで行けるからこそ、一年を送れるのではないでしょうか。
そのようなことを考えながら外地で暮らしていると、日本人に、いや道産子に生まれて良かったと改めて感じています。

ぐりぐりももんが さんへ
そっか、そうですね。
私は、1年中たべれるなんていいなっていいなって思いました。
でも、季節があるから、旬の食べ物が美味しいんですよね。
まるほどな~って思いました。


手稲山に登ったべさ
テイネといえば、海の見えるスキー場ですが、日本ではなかなかありませんね。
北海道では、小樽の朝里川温泉、天狗山、スノークルーズオーンズもそうですが、内地に来ると殆んどありません。海風の吹く沿岸は、温暖でしばれないから雪も多くは積もらないものです。
おいらは、北海道で海の見えるスキー場で思う存分滑ってきましたから、内地へ移住したときに、そのようなスキー場が恋しくてすべるだけ滑って探してみたことがあります。
それで、実際に海の遠望を確認できたのが、青森県の鯵ヶ沢、新潟県のシャルマン火打でした。他にも、富山のらいちょうバレーや長野の白馬コルチネ国際も見られるとのことですが、天候が悪かったので確認することができていません。
確か、オリンピック開催地のスキーコースで海の見える場所は、テイネだけなんじゃないでしょうか。そう言う素敵なスポットを札幌っ子は、もっと大事にした方が良いでしょうね。
ところで、ルスツって海の見えるスキー場ですか? 噴火湾が見えると、ある人のブログでは書いてありました。
それで、タイに住んでいますと、雪が恋しくなりますなー。小生は、間違ってもタイには永住できないような気がします。

ぐりぐりももんが さんへ
スキー場、いっぱい探したんですね。
私はスキー場の事は詳しくないので、旦那さんに聞いてみたところ、ルスツの頂上付近では、たしか海が見えると聞いた事があるなあって言ってました。
タイは雪の降る所はないんですか?1年中あたたかくって、なんだかちょっと羨ましい気もします。

(この巻き、終り)

2009年11月10日火曜日

アラフォー・セサミさんに乾杯の巻き

「セサミストリート」って番組があったのを覚えているだろうか?

※ユーチューブで、チャンネルとして番組が楽しめます。

確か、日本ではNHK教育放送の中で長い間放映されていたはずなんだが、なぜだか吹き替え無しでそのまま英語の番組で流されていたと思う。

もちろん、米国でつくられた子ども向け教育番組なんだが、ものすごく理想が高いらしくて、「子どもは社会全体の宝」、「子どもたちの可能性がすべてに優先する」という考えが下地にあるらしい。確かにこの番組を見ていると、子供達が本当に大事に扱われているなーと感じていた。

番組の完成度も高くて、幼い子どもたちが見飽きてしまわないように、さまざまな工夫が凝らされていた。マペットを使った親しみのあるキャラクター達が、ニューヨークの下町のストリートを舞台に活躍する様子は、英語がほとんど分からなくたって楽しめたのである。

やはり、アメリカのエンターテェイメントは質も格段に高い。面白いし、アートやユーモアに優れているし、実際の人間のキャラクター達もでしゃばらずにちゃんと要所を締めていた。

そして、今年11月10日がなんと放送開始40周年なのだそうである。

となると、その年は1969年だから、月面着陸計画で打ち上げられたアポロ11号に乗ったアームストロング船長が月面に降り立った年になる。人類史上、かくも偉大な出来事と時を同じくして、このようなすばらしい教育番組が始まったのは、偶然の一致とは言え、何かを考えさせるものがある。

そして、今なお長寿番組として続いているのは本当に驚きだ。やはり、アメリカは底力のある国だと思わざるを得ない。

こんなことを考えてみたのも、検索エンジンのGoogleが11月の初めからセサミストリートに因んだスペシャルなロゴを登場させていたからだ。最初は、人気のあるマペット達一人一人が日替わりでロゴの中に紛れ込んで登場していた。そして、11月10日の記念日がとうとうやって来て、マペット達がオールキャストで集まってくれたのである。

※11月10日マペット達が全員登場

※数字が総てのカウント伯爵

※Elmo君て3歳児の設定なんだ!

※すぐゴミ箱に隠れるOscar

※おなじみ、Bertと丸顔のErnie

※クッキーをむしゃつくCookie Monster

※足しか出せないBig Bird

と言うわけで、あの頃は英語のヒアリングが全くダメで、番組を見てもチンプンカンプンの状態なのでした。そして、今改めてバンコクの異国でユーチューブを見ると、ちょっとは分かるから英語が使えるようになったのかもと、安心する貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終り。)

2009年11月9日月曜日

棚ぼたコンバット・バービーの巻き

これぞ、棚からぼた餅の典型とも言えるかもしれない。



もっとも、本人はイギリス人だから、血迷ってもぼた餅を食べたことは無いだろう。英語だったら、「pennies from heaven」とか「windfall」とか「unexpected gain」とか言うみたいなんだが、思わぬ拾い物って感じは、やっぱり日本人なら”棚ぼた”なんだろうと思ってしまった。


このカトリーナ・ホッジ(Katrina Hodge)さんは、21歳と若いにもかかわらず現役の軍人なのであった。イラク戦争にも従軍しており、同僚から「戦うバービー人形」という愛称を授けられたほどの美貌の持ち主なのである。つまり、この下級伍長さんは紛れも無い女性なのだ。

今年のミス・イングランド大会で準ミスに選ばれたのも凄いが、棚ぼたでひょんなことから繰り上がり代表となり、この12月に南アフリカのヨハネスブルクで開催されるミス・ワールドに出場すると言うのも、まっこと幸運な話ではある。

片や、代表を返上したレイチェル・クリスティさんは、情けない女狐かもしれない。ナイトクラブで恋人のテレビタレントをめぐって痴話喧嘩となり、果ては殴り合いをして警察にしょっ引かれたのが、原因となったからだ。世界大会に出場する直前なのだから、ちょっとはおしとやかであれば良かったのに、暴行容疑で逮捕されて釈放のために保釈金を支払う羽目になったのでは、救いようの無い売女だと思うのである。


それで、美人兵士で思い出したのだが、タイの場合は”そうはイカの金玉”なのである。

以前にも書いたのだが、タイはニューハーフがわんさか居るので、徴兵年齢に達すれば検査も必ず受けなくてはならない。むくつけき野郎どもが多い中で、そんな可愛い子ちゃんが混じって入隊したら、訓練どころではないだろう。どうしても 徴兵の義務を負わせようと言うのであれば、ミス・ティファニーだけによる慰問部隊でも作って、国連軍平和部隊の駐留地をショーを開いて回れば、国際貢献に間違いなしだと力説したのだが、どうであろうか。

ところで、ミスワールドと言う美人コンテストを調べてみたんだが、歴代の優勝者の出身国で見る限り、インド、ベネズエラが各五名、イギリスが四名、アイスランド、ジャマイカ、スウェーデンが各三名となっていた。インドの女性が多く選ばれているのにはびっくりしたんだが、もともとはアーリア人系の血を引く人たちが多いから、顔の彫りも深いし、目はパッチリしているし、しかもエキゾチックな黒髪とくれば、野郎どもの眼鏡に適うのであろう。

Priyanka Chopra(2000年)、Diana Hayden(1997年)、Aishwarya Rai(1994年)なんかは、グーグルの画像検索で探すとたくさんの写真がヒットされるから、ご尊顔と言うか美貌を鑑賞できるのがありがたい。

と言うわけで、このカトリーナさんは勲章までもらっているつわものなのでありました。もし、今年のコンテストで、体力を競うミス・スポーツのイベントがあるのならぜひ優勝してもらって、ファイナルまで勝ち残って欲しいと思った貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

2009年11月8日日曜日

和名が分からんと、どうも尻込みするの巻き

どうも得体の知れない魚に手を出そうとする勇気が湧かない。

※クリックして拡大して覧下さい。

せめて、姿かたちから和名が思いつくのであれば、多少は食指も動くと言うものである。しかしながら、日本から六千キロ以上も距離を隔てた異国であると同時に、タイは熱帯に位置しているので、生息環境が違って来ると同じ魚と言っても、どこかしら微妙に違いを感じるのである。同じ種類だと言われても、どうもどこかが違うのだ。

秋刀魚みたいな輸入物は、もともとタイで獲れないのだから問題ないし、テラピアなんかほとんど日本で流通していないので、始めてトライする魚種だから覚悟して食べることもできよう。気になるのは、日本でもタイでもごく普通に食べている共通した魚のことだ。

例えば、上のカルフールの広告を見ると、右端で上から下に、サンマ(数字10)、スズキ(59)、テラピア(赤、37)、テラピア(黒、17)、渡りガニ(52)の順で並んでいる。サンマの左隣は、カッコウさえ見てしまえばハマチ(55)と分かるから、日本で食べているものと代わりが無いので安心して買うこともできる。

ところが、上から二番目のスズキは格好がかなり違う。頭の部分が、日本のものよりちょっと平べったく長い。日本のスズキは、ちょっと丸みを帯びた頭だから、どうも種類が違う。それでも、白身には変わらんだろうと思って、上さんが試しに一匹買って見た。家では、蒸した後に、醤油で味付けして食べたのだが、味はまあ似たようなもんだと感じた。

ただ、こちらの魚は生臭さが強い。

多分、小売に出るまでの保冷方法が思わしくないと思うのである。獲れ立ては新鮮だから臭みなんか無いはずだ。ただ、暑い中を漁場から運んで港の卸市場に持ち込んでも、セリの後にようやく冷蔵するのなら、鮮度はガクッと落ちてしまうはずだ。そんな風に感じたのである。

しかも、さかなの名前が大雑把過ぎて、細かい種類の名前が特定しづらい。日本にいれば、アジなら、マアジ、ヒラアジ、ムロアジ、シマアジとか種類も分かれていたような気もするのだが、こちらは単に、プラー・トゥなのである。下の写真は、タイのアジなんだが、スズキ目 アジ科には違いないものの、日本のマアジとは何となく違う気もして来る。


それで、タイ語、英語、日本語で魚名を調べてみたんだが、結構、英語も雑な呼び名をしているのが分かった。サバもアジもmackrel(マッケレル)と一緒くたに読んでいるし、カレイもヒラメもhalibut(ハリバット)と読んで差し支えないみたいだ。同じ種類には違いないから、切り身になって売られてしまえば、同じだと言うことなのだろう。

 サバ --- Saba mackerel  --- プラー・サバ
 アジ --- Thai mackerel ---  プラー・トゥ
 マナガツオ --- Butter fish -- プラー・ジャーラメット
 ナマズ --- Cat fish ---  プラー・ドゥ
 カレイ ---  Flounder/Halibut -- プラー・ターディオ
 ライギョ ---  Thuder Fish --- プラー・チョン
 イトヨリダイ --- Threadfin bream --- プラー・サイデーン
 スズキ --- Sea bass --- プラー・ガポンカオ(?)
 ヒラメ --- Halibut --- タイ語分からず

しかも、カルフールの英語表記が好い加減もいいところで、イトヨリダイを”SILVER SHREDFIN BEAM.M”としてあって、誤字脱字が甚だしい。これでは、英語で特定しようにも探しきれない可能性が高い。他にも、”Indian Pacific Red”と書いてあった魚は、グーグルで全くヒットしなかったのである。


と言うわけで、結局は、食べたい魚を先ず買ってみて料理して食べない限り、どんな魚の種類なのかは分からないと言う結論に至ったのでした。それでも、カルフールは三枚おろしとか下ごしらえをやってもらえるから、上さんも少しは気楽かなと思った、貧乏社長なのでした。(この巻き、終り)

おまけ:
この歌をようつべで聴くと、日本人は本当に魚好きなんだと改めて思います。