2010年3月31日水曜日

ゆるーりとしながらも、掟てに従うのだの巻き

タイの国は、一言に言えば何事にも非常にゆるーい国なのです。
ですけど、羽目を外さない程度に、最後の一線だけは厳しく守っているような気もいたします。
例えば、非常にゆるーい常識と言えば、こちらの性風俗産業な分けですね。

店の前に椅子を持ち出して、顔見せをするスナックのねーちゃんもいます。
良く客引きをしているのを、スクンビットの通りでも目にして来ました。
はっきり言うと、これは、お持ち返りは交渉次第で、援助交際を黙認する怪しいお店な分けです。

売春を禁止する法律は、多分あると思うのです。
だが、そんな物は絵に描いた餅でしょう。
自由恋愛と言う響きもよろしく、拡大解釈は維持されています。

警察も、いちいち、厳しく取り締まっていられません。
そんなことしたら、ブタ箱の数が足りなくなるはずです。
しかも、この手の商売は観光産業と表裏一体でございます。

金づるの助平な外国人ばかりをしょっぴく分けにもいかんのです。
石部金吉でクソ真面目だったら、商売も上がったりでしょう。
だから、失業率1.1%(昨年12月)の脅威的な数字もたやすくでっち上げられるのです。

その日を暮らすためには、どんな事をしても、それが稼業になるのです。
つまり、渡世になるのだ。

これに加えて、こちらでは時間帯で酒類の販売が禁止されております。
午前中は十一時まで、午後は二時から五時までがご法度なのだ。
つまり、仕事時間に合わせたダメ出しな分けです。

これは面白い規制ですよ。
地元の人は、酒を飲まねば仕事ができないのでしょうか。
そんな分けないでしょう。

でも、マイペンライ(気にしない)で生活できる場所ならではです。
自制心の無い人もいて、ついつい酒をあおってしまうのかもしれない。
だから、お上は掟を作ったとしか言えない感じもいたします。

でも、これにはお情けもあります。
お昼のご飯時には、買って飲めるのです。
午後の仕事の景気づけに、乾杯できるんですよ。
日本人だって、ビールで一杯。
外資系企業だってわんさかあるから、ワインやビールの欠かせない欧米人には大歓迎でしょう。

と言うわけで、タイの国にはそれなりに守らねばならない法律や規制があるのです。
まだ、一度も法律に違反したことが無いから分からないのですが、少なくとも午後の時間帯では、どんな店でもお酒は売ってもらえなかったのでした。
これから、客先を訪問するのに、定番のお使いもの=ジョニ黒が買えず、難儀したことを思い出した道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月28日日曜日

棒状の蚊取り線香って、まだタイで売っておりますの巻き

今日も蚊に刺されました。
プクンと盛り上がったように腫れています。
かゆい、かゆいとつい掻きむしってしまう。

なにせ、暑い国です。
一日中、玄関を開けて、風通しを確保しているせいでしょう。
その風に乗って、蚊が紛れ込んで来ます。

しかも、こっちはトランクスにランニングと言った格好です。
肌をどこでも露出しているから、格好の標的になってしまう。
どこからでもどうぞと言わんばかりに、餌場を差し出しているようなもんでしょう。

上さんが、かきむしる自分を見て笑っています。
「おいしいお肉」とか冗談を言いながら、タイガーバームを出してくれました。
かゆいところに塗ってみます。
たちまち、スーッとヒヤッとして、かゆみも失せました。
これで、一時しのぎにはなりますね。

でも、刺されたら薬を塗るの繰り返しでは、芸がありません。
ここは、対策を考えてみることにしました。
でも、難しいことではない。
単に、上さんが店屋さんから蚊取り線香を買ってくるだけのことです。

こちらにも、殺虫剤スプレーは当然ながらあります。
しかも、ベープマットのような電子蚊取り線香だってあるのです。
何を今更ながら、時代がかったクルクル線香巻きを使うのか。
それは、自分たち夫婦が、人工的な化学物質が嫌いだからです。

殺虫なんだから、人間に無毒とは言え無いでしょう。
長く使えば、その毒性も蓄積されて、人間の体に悪さを起こすかも知れない。
蚊取り線香だったら、まあ、ナチュナルな感じもする。
ほのかに煙をくゆらせ、上がって行く様子を見ていて、これが害があるとは思えんのです。

それに、蚊取り線香は、日本人が使い慣れた夏の風物詩だからね。

使わずにはいられません。
でも、こちらバンコクは夏しかないのです。
年中の必需品だから、薬局へ行けば必ず置いてあります。
日本だったら、冬場に買おうとするバカはいないでしょう。
もし、買おうとすれば、怪しいと思われるに決まっています。


そんなかんだで、クルクル巻きが我が家にやってまいりました。

早速火を点けます。
そして、付属品の薄っぺらな金属でできた、線香立てに刺してみます。
ありゃ、線香が折れてしまった。
強く刺しすぎたのかなー。
こっちの蚊取り線香は、材質がもろいのかもしれません。

刺し方が分からんのです。
どうして、刺又(さすまた)みたいに、段差のついた二股の刺し口があるのでしょうか。
それに、折れてしまった部分は、どうやって燃せば良いのでしょうか。

うーん、あの線香立ては、日本に居る時から気にはなっていたのです。
でも、夏の短い合間のことだけでした。
季節が過ぎれば忘れ去り、また思い出す繰り返しだった。
こっちは、違うよー、夏ばっかりだもん。
毎日、蚊取り線香を点けるかもしれない。

それじゃ、使い勝手の悪い線香立てを諦めて、上さんのために自作してみました。
針金を巻いて、乗っける網皿のようなものをこしらえたのです。
後は、落ちた灰を散らからないように、深い鉢にアルミホイールでも敷いてみました。


どうです、中々のもんでしょう。
これって、市販品は「蚊遣り豚」って言うみたいです。
ウイキで調べたら分かりました。
自分のは、お手製ですから何と申しましょうか。

※ウイキペディアより

と言うわけで、材料の針金を近所の中華系スーパーへ買いに行ったら、依然として棒状の蚊取り線香が売られておりました。蚊取り線香が渦巻きになっったのは、日本発で明治28年だそうですので、一世紀以上が経過していることになります。
でも、こちらタイでは、スティックタイプもまだニーズがあるみたいで、所変われば品変わるなんだと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
線香立ての使い道が、ようやっとネットで分かりました。
みなさん、これって知っていましたか?

2010年3月27日土曜日

CPUは取るに足らんかも知れんので、自分を見失うなの巻き

インターネット無しの生活を一週間続けられるのか。

そんな公開実験が、イギリスで始まりました。
でも、あの国では、白黒テレビの受信契約者が三万世帯も現役だそうです。
ある意味では、情報負け組みみたいな人々がたくさんいる分けですよ。
でも、インターネットが無くても、動じない国のような気がします。

テレビの番組では、イギリス式の優雅な引退生活が良く紹介されています。
晴れた日には、庭の花木の面倒を見たり、午後になればご近所とお茶の時間を楽しんだりする。
雨の日には、居間で読書を楽しむ。
これが、本当に晴耕雨読の静かで落ち着いた余生と言うものがあるのでしょう。


そこには、テレビもラジオもインターネットもありません。
情報と言う麻薬に依存する必要も無いのです。
何かしら、生活にゆとりのある時間が流れて行きます。

私も、そんな生活を望みたいと思う時があります。
普段の生活にインターネットが無かったとしても、私は不自由しません。
でも、未だ現役のサラリーマンなのですよ。
どうしても、あらゆる情報に追いたてられている感じもします。

そして、それは時間に駆りたてられると言うことです。
いらだつ感情が先に立ってしまう。
もちろん精神衛生上、良くはありません。
インターネットを見ても、オフィスを起動させても、動きがとろいとパソコンに八当たりする。
余裕が無いんですよね。

ゆったりと構えて過ごす。
自分にとって、老いるこれからの人生です。
これも、大事なのだと思うようになりました。

さて、そんな急きたてられる情報の道具と言えばパソコンです。
CPUはインテルだとか、メモリーは1MBあるとか、グラフィックカードはNvidaだとか、スペックには細々と能書きが並んでいます。

でも、動けば良いんですよ。

そんなに、性能なんか気にしない。
むしろ、インターネットの回線速度が心配です。
画面表示が遅いと、かったるくなってしまう。
その方が問題です。

となるとと、性能は二の次かもしれません。
メーカーが、これでもかと薦めるようなスペックは余り気にしなくて良いのです。
例えば、パソコンの心臓部と言えばCPUです。
最近では、ウインドウズ7がOSとしてパソコンにセットされて売られます。
この7ですが、CPUの最低スペックが動作クロックとして1ギガヘルツ以上になっています。
でも、これぐらいの性能は十年前から存在していました。
実を申さば、AMDが周波数をメガからギガを超える画期的な存在として記者発表したのが、2000年の3月8日です。実に、十年一昔なのだ。
それぐらい、時間が経過しているのですよ。


でも、未だ現役で使えるのです。
そして、この十年間の間に製品発表されたCPUは、数限りない。
性能に関わる周波数の違いも考慮すれば、数百種類以上になってしまう。

だから、パソコンに性能を求める時代は終わったんですよ。
消費者の使用目的を満たす性能で、安ければそれに越したことはありません。
すでに、普及商品なのだ。
CPUの性能にだまされて買ってしまう消費者は、ヘビーなゲーマーぐらいでしょうか。
はたまた、CADや動画編集を行う趣味人や専門家なのでしょうか。

と言うわけで、自分は、日本の自宅では、十年近く前のお古なパソコンに、ウインドウズ2000を載せてネットを楽しんでいたのでした。それぐらいで、十分目的を果たせるものです。セブンだかイレブンだか知らんが、ぼったくりのOSをでっち上げるのは止して貰いたいと、常々、思う貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

2010年3月23日火曜日

会議のためにマレーシアに居りますの巻き

と言う分けで、昨日のTG419便にて夜遅く、マレーシアの首都クアラルンプールに到着しました。

投宿先は、サウジャナとか言うリゾート風のホテルです。
部屋はセミスイートらしく馬鹿でかくて、調度も立派過ぎて、しがないサラリーマン社長には、非常に不釣合いです。


一応、民間の国際会議で、一端にフォーラムと謳われておりました。
そんな大それた場所に出向いたことも無いので、今一、ピント来ておりません。
業界団体関係社が、製造業者もエンドユーザーもこぞって集っているらしいです。

何せ、真夜中にホテルに到着して、そのまま寝入ってしまいました。
場所もホテルの施設も、全くわかっておりません。



これから、日本側の出席者と一緒に朝食を共にして、情報交換をすることに致しましょう。

25日の木曜日にはバンコクへとんぼ返りしますが、それまでは、このホテルを舞台に記事を書くことになりそうです。
(この巻き、終わり)

2010年3月22日月曜日

出勤前につい書いてしまいました、、、の巻き

本当は、他のブログでコメントを書いていたら、文量が多くなったので記事にしてみました。

ブログ:どーか誰にも見つかりませんようにブログ(民主党は、余生を愉しんでいる。)

本当に書きなぐりの駄文です。
でも、私の信念として、民主党は危険だと思っています。

<ここから、長くなったコメント>

民主党政権の顔ぶれと年齢を見る限り、60年代末から70年代初めの学生運動が盛んだった全共闘時代の思想的残滓にまみれた、胡散臭い説教伝道師みたいな一味による日本国粉砕政治としか思えないのですよ。

自分は、団塊の世代の次の世代に当たるはずですが、子供心にも革マルとか全共闘とか連合赤軍のお兄ちゃんたちが何をしてきたのかを、テレビでよく見ておりました。

小学校から帰って、茶の間で奥様向けの午後のショー番組を見ていると、時には政治問題も取り上げて、学生運動の代表者たちがアジ的熱弁を振るうのです。

”われわれはー、マルクス・レーニン主義のー、、、、、”、何を言っているのか分からなくて、ただ自己陶酔していて、今で言うとオーム真理教の信者がグルの教えを妄信したのと同じような感じです。

無内容なイデオロギー用語の順列組み合わせなので、意味も論理もへったくれも無い。しまいにゃ、司会者から突っ込まれて、答えに窮すると、”世界同時革命だー”と絶叫するのでした。

結局、彼らは「世界同時革命」と言うシンプルなお題目に酔い、はかない蜃気楼を見ていたのに過ぎなかったのでは無いでしょうか。

やがて、浅間山荘事件などを通じてわれわれも知るところなるのですが、学生運動が仲間内で闘争と粛清と制裁を繰返した挙句に、自己批判で自己破壊の上に、運動は自家中毒を起こして滅び去ることになるのでした。

こういう世相に感化され、生きて来た人たちが、今、政権を担うと言うのです。これは、空恐ろしいことだと思います。

しかも、本来ありえない日本人には異質な思想・権益団体の異人集団の「民団」が民主党を後押ししてきたとなると、まさに世の中はインターナショナルでしょうなー。歌でも歌いましょうか。

まあ、政権交代したら、財源も見つからず五里霧中で次にすることが見当たらないなんてのは、それってよど号乗っ取り犯と同じで、北朝鮮へ渡ってみたら、地上の楽園どころか棺おけだったりして、後になって望郷の念も避け難くて、日本のメディアから臆面も恥じも外聞も無くインタビューに答えたりして、無様ないきざまを曝してみたりするようになりました。

民主党も、賞味期限切れが早いなー。過去の歴史をひもときながら、全共闘世代のあの頃を思い出して、こう言うもんだと悟れば、分かってくるのではないでしょうか。

(この巻き、終り)

寸暇を惜しんで土日も働かされるの巻き

今度、新しく引っ越してきたアパートにも、プールがありました。
ひょうたん型をしたかなり大きめのプールです。
幅が5~6メーター、長さは10メーター以上ありましょうか。
住人の子供達にとって、遊びがいも泳ぎがいもあるはずです。


しかも、どこかのリゾートホテルにでも行った気分に浸れてしまう。
玄関のフロアから、見渡せばすぐにのぞけるような造作です。
つまり、地上一階に、でんとプールが存在しているのでした。


リクライニングのベンチもあります。
大きなパラソルの下には、椅子とテーブルも置かれています。
ちょっと休憩したり、新聞を読むには格好の場所です。

ですから、毎週末の一二時間は、ここで過ごしてしまうようになりました。

でも、今日はちょっと趣が違うんですよ。
一日中、部屋の中で仕事をしていたせいもあります。
一段落が付いたところで、休憩することにしました。

正直に言って、例年、三月は忙しくなるのです。
月曜から金曜の平日で、仕事がさばききれなくなるのです。
それはなぜか。
実を言えば、日本の年度末に併せて、年に一度の株主総会があるからでした。
そして、それに続いて取締役会も開かなくてはならない。

それで、会議には資料が必要です。
その資料を作成する責任を負うのが、まさに社長の私なのでした。
今、駐在で勤務している会社には、常勤役員は二名しかいません。
しかも、副社長は、別の会社で社長を兼務されておられます。
当然、そっちの方が責任が重くなってしまう。
こちらへは、申し訳程度にしか出社して来ない。

となると、毎日、休まずこつこつ出社して、会社を把握している私こそが、作らねばならないのでした。

駐在員は、土日になればゴルフ三昧で遊んでいるんだろう。
しかも、バンコクはゴルフ場も多くて、プレー料金が安いからお楽しみ放題だ。
そんなに楽してるんだから、たまには仕事でもするのが礼儀だ。

なんて、思っている方もいるでしょう。
ですが、私はゴルフが出来ないんですよ。
する気もありません
覚えて日本に帰ったとしても、ゴルフ料金は高いし贅沢だ。
場所だって、遠くて時間も掛かるし、疲れるだけですね。
しかも、運転手さんが連れていってくれるわけでもない。

話は外れましたが、とにかく資料をせっせとこしらえている最中にあります。
しかも、役員の中で、実質、私だけが常勤なのだ。
当然、会議を仕切る議長も、この社長が担うことになるのでした。

何せ、他の役員数名は、非常勤なので役員リストに名前を連ねただけです。
しかも、外部からも出資を仰いだので、グループ外の社外役員さんも多い。
会社が、今何をしていて、どれぐらい儲かって、今後の問題として何があるのか等と言う話は、私から資料を使って、初めて説明して、納得してもらわなければならなのです。

過去の会議資料は、保管してありますから参考にはなります。
ですが、会社は生き物です。
前の年をそのまま丸写して、今年もこうでございましたとは、言えない。
そんなの落第です。
すぐに罷免されて、すぐにも所帯道具を片付けて帰国するよう引導が渡されるでしょう。

と言うわけで、今、束の間の休息をプールサイドで取って英気を養っておるのでした。資料も、現地幹部用に英訳まで用意しなければならないし、会議直前には、マレーシア出張も控えているし、本当に乗りきれるのか、ちょっと弱気です。まあ、ここは現地の乗りで、マイペンライ(気にしない)で行くしかないと腹を括る道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月20日土曜日

赤シャツだからって色つながりで血なんかばらまくなよの巻き

タクシン元首相が失脚したのは、四年近くも前のことです。
軍事クーデターが起きて、あっけ無く転覆されてしまいました。
もっとも、政権末期には占いで外遊の日程を決めたりしていたそうです。

ですから、国民もそろそろ引導を渡す時機だと思っていたのでしょう。
大きな流血の惨事を呼ぶことも無く、国民は受入れてしまいました。
もちろん、首都では戒厳令が敷かれました。
政府庁舎の重要拠点では、戦車が威圧するかのように配置されます。

でも、ここからが違いました。


付近の住民達は、警備に当る戦車兵に対して、花束や食事を差し入れているのです。
なんと和やかなことでしょうか。
あたかも、予定調和のできごとのようにク-デターは、穏便に進行したのでした。

その頃、私は未だ日本で仕事をしておりました。

そんな光景を、テレビのニュースから紹介される実況中継を通じて知ったのです。
実に、タイ人らしい。
厄介な争いごとは、なるべくこと無かれで取り図ろうとする国民性です。
結局、クーデターは既成の事実として、王室にも国民にも受入れられてしまいました。

そんな過去を振り返って、今現在を見ることにします。

このタクシン首相を、未だに強固に支援する政治組織があるのです。
正式な名称は、「反独裁民主同盟(UDD)」で、俗に赤シャツ団とも呼ばれています。
この組織では、運動のイメージカラーが赤なのです。
支援者は、皆、赤いTシャツをそろいで着ています。


つまり、赤い服一色で統率された群集が、抗議活動を繰り返してきた分けです。
その光景は、派手な色合いもあって、人々の脳裏に強く焼き付きました。
折りに触れて、参加者達は首都バンコクを目指して、田舎から上京してきます。

いや、本音は日当五百バーツが目当てでしょう。
特に、東北部(イサーン)の農民は、今が乾季なので農作業もお休みです。
時間はたっぷりあるし、小遣い稼ぎもしたい。
それで、ついつい、本部の差し向けたバスに乗るのかもしれません。

でも、金のためとは言え、いやいやながらでもなさそうです。

と言うのも、当時のタクシン首相は、盛大なばらまき政策を実行しました。
農家には、低利で融資する制度を作ります。
病院初診料も、30バーツとほとんどタダに等しくなりました。
こう言った一連の政策が、地方の農民の暮らし向きを大いに助けました。

ですから、この恩恵に預かった地方の人々は、彼を決して忘れません。

でも、狂信的な所が無いわけでもないのです。
ついこの間も、この赤シャツ団が再びバンコクに集結しました。
「最後の戦い」と称して、下院議会の解散と総選挙を強要しています。

もちろん、現アピシット首相は、即座に拒否しました。
当たり前の話でしょう。

でも、赤シャツ団は納得が行かなかった、キレまくりました。
腹立ち紛れもあったのかもしれません。
集会参加者から大量の血を採血すると、黒魔術の呪いのごとく血を撒く作戦に出ます。
標的にされた首相府や民主党本部前は、たまったものではありません。
しまいには、アピシット首相の自宅まで出向いて、ぶちまかす始末です。


と言うわけで、今回の騒動は、タクシン元首相に対して下された最高裁の判決がきっかけになりました。
職権乱用で溜め込んだ財産の半分以上、約千二百億円が没収されてしまうのです。
となれば、赤シャツ団の頼みとする軍資金の金脈が急に細ってしまうかもしれない。
そんな焦りもあったのだと思いました。

でも、この騒動をよそに、タクシン元首相の奥さんと子供達は、難を逃れるため外国へさっさと逃げ出してしまいました。
きっと、国を思う気持ちなど毛頭も無い金の亡者に過ぎないのですよ。
それに躍らされる赤シャツ団の人たちには、早く気が付いて欲しい。
そんな風に強く感じた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月17日水曜日

二年もほったらかしたiPodの巻き

昨日、iPodに初めて曲を流し込んでみました。


実は、日本からタイへ来るときに、新品で開封することも無く持ってきたものです。
ですが、こちらへ来て早々にちょこっとだけいじくりました。
ですが、勝手が分からずに使わずに放置してしまったのです。

もう二年が経過してしまいました。
時代は、もっと進化している感じもします。
携帯機能に、動画再生、そして音楽再生とか、複合機能機がもてはやされています。

今や、単機能だけで、1メガのメモリーしかないと時代遅れかもしれない。
でも、コンパクトで、優れたデザインは、今だにアップルの先進性を感じさせるものです。
そんなことから、突然にしまい込んだのを思い出して、引っ張り出してきました。

二年前、iPodって、そこら辺に売っているMP3のプレーヤーと似たようなもんだろうと思っていました。
だから、USBケーブルをつないで、安直に音楽データを書き込んたのです。
データの格納は、あっけ無くできました。

ただ、いくら再生ボタンを押しても、イヤフォンからは音楽は流れてきません。
マニュアルには、iTunesとか言う専用ソフトを先ずインストールするように書いてありました。
それから、曲の再生リストを作って、ポッドに流し込めと言うのです。

要するに融通が利きません。
これが、アップル流のしばりと言うものでしょう。
そんなソフトを入れたら、メモリーを消費するに決まっています。
それに、PCはメモリーを増設していなかったので、動きがぎくしゃくなのです。
なるべく、使用の限られる無駄なソフトは、インストールしたくないのでした。

それで、これ以上、ちょっかいを出すのを止めました。

別に、欲しくて手に入れたものでもありません。
たまさか、タイへ赴任する直前の送別会のビンゴで、かっさらったものです。
ラッキー程度ですし、当時は音楽そのものに固執していませんでした。

そんな分けで、はや二年が過ぎてしまったのです。

つい先だって、ラップトップのメモリーをかなり増強しました。
サクサク動かせるようになったし、アプリを少しインストールしても大丈夫でしょう。
それで、思いたってガラクタをしまっている段ボール箱をひっくりかえしました。

ありました、ほとんど新品のまま、手付かずです。

後は、蛇腹折りになった、小さな文字が年寄りを寄せ付けない、そんなマニュアルを頼りにします。
iTunesは、簡単にインストールできました。
後は、iPodへデータを流し込む作法なんですが、これがちょっとややこしい。
画面を見ながら、ちょっと試行錯誤しました。
初めに、このソフト用にプレーリストを作成しなければならないようです。

曲のデータ自体は、元々に記録されたフォルダーから移動していません。
つまり、このリストは索引みたいなもんでしょう。
これからiPodの方へデータが橋渡しされて、書き込まれます。
結局、新しい書き込み用リストに、メモリー最大限の196曲を網羅しました。

音楽データも、MP3の圧縮率も128kbpsと音質が劣化しないギリギリです。
流し込んで、聞いてみましたが、いいですね。
イヤフォンで聞く程度ですから、十分満足の行くものだと思いました。

と言うわけで、自分にニーズを見出せなければ、あえて無理強いすることもないでしょう。
昔、MP3エンコーダーをネットで探してきて試しながら、音楽データをシコシコ圧縮する作業にいそしんでいた、まだ若き自分を、遠い昔のように懐かしむ道産子社長がいるのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月16日火曜日

生物学上の見えざる境界線が何を分断するのかの巻き

バンコクは、今が夏の旬、盛りの季節です。
暑さも、連日35度を超えるようになりました。
日本人ならうだるような暑さを形容したくなるでしょう。

でも、こちらの人は体感が違います。
35度を超えれば、暑いなーと感じるのだそうです。
一年を通じて日中は三十度を超えるのが当たり前なのです。
自然には逆らえません。

さて、この季節ならではのことです。
セミは寸暇を惜しんで鳴くのです。
雨季が始まるまでの一時です。
命を燃やすかのような、この声色と共に日々を過ごしましょう。

セミは、自分の生まれ故郷にも、ありふれていました。
夏の風物詩としては、欠かせません
昼下がり、太陽の射て突く日差しをよそに、鳴き声が周りにあふれます。
ニイニイゼミも、ヒグラシも聞くことが出来ました。

北海道だって、音の風物詩は内地と変わり無かったようです。

ただ、そこに違いもあるように思いました。
北海道は、津軽海峡によって内地(本州)と隔てられています。
昆虫は、空を飛び、海を渡ることもできるのだ。
きっと、住処を北へ北へと伸ばしてきたのかも知れません。

これに比べて動物はどうだったのでしょうか。
北海道と内地を比べてみることにしましょう。

エゾヒグマ 対 ツキノワグマ
エゾシカ 対 ニホンジカ
キタキツネ 対 ホンドキツネ
エゾタヌキ 対 ホンドタヌキ
エゾリス・エゾシマリス 対 ニホンリス

しかも、北海道に野生の猿は生息していません。
あの本州最北端の下北半島には、北限の猿の群が生息しています。
でも、海峡を渡ることがなかった。
海の向こうに霞む陸地を、猿とても見ていたに相違ありません。

でも、渡ることは適わなかった。

この海峡は潮の流が非常に早い。
しかも、水深が百メーター以上とかなり深いのです。
泳いで渡ろうとしても、必ず流されてしまう。
行き着けることは、至難の業だったのです。

こうして、蝦夷地の自然は、何かしら隔てを強いられました。

生物界の頂点になろうとする生き物ほど、移り住むことを拒まれたことになります。
人間もそうでしょう。
アイヌの人は、蝦夷地を子々孫々の住まいとしました。
内地から和人が渡ったのは、はるかに遅れてのことです。
船と言う文明の利器を使い、安全に大量に海を渡るまでは時間が掛かったのです。

そして、これを人々は、海峡を東西に横切るブラキストン線として、呼びならわしました。



動植物の分布に境界があるとして、発見した人の名前を取って名付けたのです。
でも、それだけのことでしょうか。
日本人と、その文明と文化の括りの中で、住み移り伝えることに、深い海の存在は大きくなかったのでしょうか。

私は、道産子なのです。
かの地は、父祖の移り住んだ結果として、故郷の意味を与えられました。
しかも、その故郷は新しく歴史を持とうにも、一世紀半を超えただけです。
同じ日本語をしゃべろうと、内地とかの地には大きな差異が横たわるのかもしれません。
因襲や習俗が培われるには、年月を要しましょう。

と言うわけで、北海道はまだまだ新開地なのです。そこで見い出される日本とは、内地に同調したようでいて、重ならないのかもしれません。内地に四半世紀以上も住んで来て、今はタイでセミの声を聞きながら、ふと故郷に思いを馳せる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月14日日曜日

マイクロソフトは市場を見誤っていないかの巻き

もう既に十年以上むかしのことだと思います。
当時、IBM社は、パソコンに関わる事業を多角的に広範囲に行っていました。

確か、ウインドウズに対抗して独自にOS2と言うオペレーティング・システム(OS)も開発していました。
それに、アップルのマックで使われていたPC-604のようなCPUも生産していたと思います。

そんな中で、未だに記憶に残っているちょっと変わったソフトがありました。
物珍しさもあったのでしょう。
パソコン雑誌で紹介記事が掲載されていました。

どんなソフトだったのか。
それは、パソコンから単独起動できるインターネット・ブラザーなのでした。
ウインドウズのようなOS、つまりオペレーティング・システムを先に立ち上げる必要がありません。


でも、ブラウザーって何って言う人がいるかもしれません。
簡単に言えば、インターネットを見るソフトの総称なんです、
必ずウインドウズにセットされている”インターネットエクスプローラー”とか”ファイアーフォックス”のことを差しています。

たしか、このソフトは、ブラウザー機能だけがポンと画面に現われるのです。
インターネットで調べると、WebBoy(ウエッブボーイ)と言う製品名がついていたようです。
目的は、流行り廃れの早いパソコンで、CPUも非力でメモリーも限られるお古なモデルに、活用再生の道筋を提供するものでした。

当時、PCは安くても二三十万円しました。
この金額では、当然、消耗品扱いではなく、資本的支出になります。
経理の帳簿上では、資産の扱いとなって償却期間も設定されてしまいます。
ところが、技術開発の方が日進月歩なのです。
その期間内に、性能が見劣りするようになってしまうのは事実でした。

使える期間が五年も保てない。
特に、小中学校で視聴覚機材として購入しても、活用できずに機能が見劣りしてガラクタ同然になってしまう。
そんなケースを良くニュースで耳にしていました。

それで、日本IBMは考えました。
公的な機関に設備納入で実績のある大手企業としても、見過ごせなかったのでしょう。
もし、新しい活路が見い出せれば、機材も再生される。
それが、インターネットのアクセスという単機能ソフトの提供につながったように思います。

そこで、現在に立ち返ってみましょう。
我々は、パソコンに何を求めているのでしょうか?
ひょっとして、インターネットさえ見られればそれでかまわない。
そんな人が大半なのではないでしょうか。

では、パソコンで必ず立ち上げるウインドウズに何を求めますか?
あなたは、自宅でもオフィスのような事務ソフトを使いますか。
そんなに仕事中毒なのでしょうか?

そして、インターネットにアクセスさえ出来たら、何でも良いのです。
パソコンでなくて、携帯だけで用は足せるのかもしれません。
もっと、私なりに極論しましょう。

 ※インターネットから呼び出す表計算ソフト(エクセルと同じ)

ウインドウズは、もう必要ないのかも知れません。
セブンとか言うのも、ビスタよりましになった程度です。
動きが重く、ネットだけならXPでもその前の2000でも問題なかった。
インターネットには蛇足なんじゃないでしょうか。

と言うわけで、マイクロソフトのウインドウズに価値を見い出せなくなる日が、そう遠くないような気がしました。そんな間隙をついて、グーグルが新しいOSを発表する予定でいます。先行で発表された「かな漢字変換機能」だけを見ると、グーグルが優れています。機能をてんこもりしたからと言って誰も喜ばないのです。消費者のニーズを嗅ぎ損なった、朽ち行く巨人をそこに見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月11日木曜日

いつの間にか飲み食いが始まる結婚式の巻き

総務課長が、突然、経理の女性課員を伴って現れました。

手には何か薄いピンクの封筒を持っています。
実を言うと彼女の顔は、もちろん知ってはいます。
ですが、名前がはっきり分からんのです。

何せ、タイの人は、本名の代わりにニックネームで呼び合っています。
実にシンプルなあだ名が多い。
苗字や名前が意外に長ったらしいから、面倒くさいのだと聞きました。

まあ後で良いから、パソコンに仕舞い込んだデータで顔と名前を一致させておきましょう。

でも、何の用件でしょうか。
随分と、はにかんでいるようで、総務課長のアンさんからせかされています。
やっと、あのピンク色の封筒が差し出されました。
中身は分かりません。

それで、やっとこさアンさんから英語で、それが結婚式の招待状だと告げられました。
それは、おめでたいことです。
スタッフが幸せになるのは、社長の私にとってもうれしい。


コングラチュレーション(おめでとう)。

と先ずは、私も英語でお祝いのお返しです。
それで、結婚式は何時なのと聞きました。
えっ、明後日だって、随分と時間が無いもんだ。

日本だったら、普通、一ヶ月前に招待状を渡すのが礼儀でしょう。
でも、こちらではおっとり構えていて、招待は直前なのです。
一週間前だったり、三日前だったりします。

でも、誰も文句を言う人はいない。
用事があれば出席しないだけです。
お祝いは、出席する人に託してしまうのです。

それで、出席していただけますかとお誘いを受けてしまいました。
アンさんが、早速に場所と時間を教えてくれます。
式場はご近所のようですし、時間は仕事帰りに合わせたようです。
ですから、終業のベルが鳴ってからあわてずに会社を出ることにしました。

それでは、喜んで式に出席させていただきますと、答えます。

でも、幾ら包んだら良いのか分かりません。
何時もなら出席しないので、千バーツくらいで済ませてしまいます。
今回は、招待で飲み食いもすることになります。
ちょっとは、奮発しておきたい。

総務課長を読んで聞いてみました。
みんなはどれぐらい包むの。
管理職だと、千バーツくらいだと言われました。
じゃぁ、会食の分もあるから倍の二千バーツですね。

お祝いも決めたし、後は出席するだけだ。
何時のもの通勤姿の背広上下で構わんでしょう。
こちらでは、冠婚葬祭であんまり礼服なんか着やしません。
まあ、女性だけはおめかしして着飾ったりするかもしれない。

それで、結婚式の当日がすぐにやって来ました。

場所も分かっていません。
行き先は、運転手さん任せです。
いつもの帰り道とは逆にアユタヤ方面に向かいました。

二三十分も走ったでしょうか。
なんと、ナワナコン工業団地の表通りに入ってしまったのです。
ここは、取引先の工場もあって、時折出かけるので地理が分かります。
キラキラと電飾も派手に、披露宴の会場がメインの通りに並んでいました。
この日は、タイでは何か縁起の良い日取りかもしれない。
そんな風に感じました。


そんなかんだで、式次第の六時前に会場へ滑り込みました。
入り口では、新郎・新婦が挨拶をするために、待っていてくれます。
後から続々と、出席者が入って来る中で、ずーっと挨拶で立ちっぱなしだったみたいです。
くたびれたんじゃないでしょうか、ちょっと可哀想な気もしました。

とにかく、結婚式の披露宴は何となく始まっていました。


テーブルは、二十卓以上はあったと思います。
でも、三四程のテーブルが埋まったに過ぎませんでした。
ちょっと、早かったかどうかは分かりません。

待ちくたびれて、ウイスキーを飲み始めている人もいます。
ややもすると、前菜のお皿が運ばれてきました。
自分の会社のスタッフも集まってきます。
持参して来たジョニ赤を、やおら取り出しては栓を開けています。
自分も待ちきれずに、ハイボールにしてもらいちびりちびりやってしまいました。

と言うことで、結局、本当の結婚披露宴が始まったのは、飲み食いが始まってから二時間近くが経ってのことでした。その前には、手配した女性歌手が入れ替わり歌うショーがあったり、参加者も飛び込みでカラオケをがなったりして、かなり盛り上がりはあったのです。でも、こっちは飲みすぎて酔っ払いながら、新郎に花輪をかけることになってしまい、次回からは、少し遅れて行くのが礼儀なんじゃないかと思った、道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
彼女の名前は、ラッタナさんでした。改めて、ご結婚おめでとうございます。

2010年3月10日水曜日

我が家の二番目のお客さまは、チンチョさんの巻き

引っ越しも終わって、早一週間が過ぎてしまいました。

今度の新居は、風通しだけを重視したのです。
部屋は総て北向きに作られていて、日の当ることはまったくありません。
ベランダの向かいには、背の高い樹木が育っています。
こんもりと枝葉が緑の景観を作り、気分的に暑さを凌いでくれます。

日中は、玄関のドアにチェーンをかけ、少しだけ空けて空気の流を作ります。
南側に面した階段通路から、風がさわやかに流れ込みます。
階段の通路は、明かり取りのために全面ガラス張りです、
そこに何ヶ所か設けられた窓が常に空けられているせいです。

フアーッと自然の空気の流が家の中に注ぎ込む。
玄関がちょっとあいているだけで、感じてしまうのです。
日中は扇風機を回しているだけで事足りてしまいました。

やっぱり、このアパートに引っ越してきて良かった。
一日を家の中で過ごすことの多い上さんは、喜んでいることでしょう。

ただ、困ったことが一つだけありました。
風が流れてくるおかげで、蚊も流れ込んでくるのでした。
七階だから上がってこないだろうと、最初は思ったていたのです。
ですが、ふらふらと時折舞い込んできます。

前のアパートも七階でした。
やっぱり、蚊に刺されることが多かったのです。
今回も、露出している肌の部分で血を吸われてしまいました。
こんな時は、香取線香でも炊いて難を逃れることに致しましょう。

さて、二人だけの生活は意外に静かなものです。
訪問者もありません。
ただ、玄関を少しばかり空けているせいなのでしょう。
階上にすむ家族のお子さんが、他人の生活に興味があるらしく、じっと覗き込んでいるようです。
子供は何でも興味を持ちたがりますね。
致し方ありません。
だから、ドアから中を見られない様に簾を掛けておきました。

そんな頃、夕方、明かりもともさずにパソコンに没頭していました。
何かしら、チーク材の床をゴソゴソ這う物影があるのです。
ゴキブリかもしれない、やっかいなことだ。
ゴキブリホイホイでも仕掛けて退治しようか。

上さんにも声を掛けます。
女性はゴキブリが大嫌いです。
早速、戸棚から仕掛けを出して来ました。
後は、見かけたテレビ台家具の床隅に置きます。

すると、その当たりでスルスルとまたまた動いていました。
おやっ、尻尾みたいなものがあるし、四つ足だよ。
でも、茶色だしなー。
じっと辺りを見守っていると、もう一度、テレビ台の床から、ひょっこり出てきました。

ヤモリさんでした。



ヤモリさんは、家守りと書くぐらいで、家の守り神さまです。
日本ですと、ヤモリさんが家に居る間は悪いことが起きないと言います。
そうか、訪れてくれたんだ。
きっと、このアパート生活も大過なく過ごせるだろう。

タイ語で、チンチョさんって言うのですが、かわいらしい語感の響きですよね。

きっと、タイの人たちも愛らしく感じてるんだろうと思いました。
何せ、家の中でぶーんと飛び回る蚊のような昆虫を食べてくれるのです。
人さまの生活を手助けしてくれるのはありがたい。

と言うわけで、今回は床だけでしたが、壁や天井を這うヤモリ君を見かけたら、本当に住み付いてくれたんだなーと喜ぶ自分の姿を、想像する道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月7日日曜日

ブランド力へのダメージを考えるの巻き


拝啓
マキアージュのイメージとして、ICONIQさんをお使いになるのを再考いただくよう、強く望みます。

整形していたことが、インターネットで話題になっています。
これは、流出写真を見る限り、事実のように思えるのです。
何処の国の人でも構いませんが、整形は単なる造花です。



あまりに左右対称過ぎる顔の造作が、生理的に受け付けませんでした。
しかも、いわくのことなどを知らない時点のことです。
それだけ、人間の感性や感知する能力は、計り知れないものがあるのでしょう。

化粧品は、イメージで売る商品です。
このブランドを使うことで、自分も美しくなりたいと思う女性の憧れや気持ちに、チャンスを提供しているはずです。

しかも、確認広告なのだ。

自分の購入した化粧品を、例えば栗山千明さんが広告の中で、選ばれた容姿で代弁してくれるのは、女性にとっても使う意義の安心を与えることになるのです。

誰だって、美しくありたい。
すこしでも、その目標に近づけるように、貴社の商品があるのではないですか。

マキアージュの表四広告を、バンコク配布されているフリーペーパーで見かけました。
このミニコミ誌はサイズが大きいタイプなので、女性の顔を前面に出す広告なので迫力があり、資生堂さんがこの冊子を使うのもなるほどと、毎回思っておりました。

ですが、今回は、高いブランド力に対する懸念が予想されます。

なぜならば、きれいになりたければ整形手術を受けて変身すれば良いのであって、化粧品はどの会社だろうが、安かろうが構わないと言うアンチテーゼにつながらないでしょうか。

従いまして、今回の広告戦略は少しでも軌道修正をされた方が、無難では無いかと思いました。
ネットで既に話題に火がつきました。
私は、そのように思っております。
草々

おまけ:
栗山千明さんのBTS駅で掲示された連動広告も、素敵でしたね。

昔のことになりましたが、自分は、どん詰まりの北辺の大学出です。
どういうわか、資生堂さんはわれわれ卒業生を採用していただける年がありました。

そんなことで男性の割には親近感もあったのです。
日本に戻れば近くに鎌倉工場もあります。
容器を作っている協力工場さんも、目と鼻の先なのでした。

2010年3月6日土曜日

初めてのお客さま、窓ガラスにぶつかるなんての巻き

先週末の金曜日から、我が家は引っ越しでてんてこまいです。

金曜日に荷物をあらかたまとめておいて、土曜日には業者さんに来てもらいました。
こわれものはプロの方に荷作りを任せます。
それが終わったら、午前中に新居まで荷物一切合財を運び込んでもらいました。
引っ越し屋さんの段取りは上手で手際も早い。

新居へ荷物を運び入れる番でも、あっと言う間に引越屋さんの作業が終わってしまいました。
家の中には、梱包した段ボール箱が積み上がったままです。

やれやれ、後は、荷物を整理しながら、普段の暮らしに戻るようにするだけだ。
上さんは台所用品の整理をしていました。
自分はインターネットのセッティングに専念してわがままを許してもらいました。

この国では、ネットは欠かせません。
何せ、日本からのニュース情報は、少ないのです。
日経のような新聞以外は、犬HKテレビの衛星番組ぐらしかありません。
しかも、ニュース速報はネット経由が一早いのです。

そんなかんだで、昼飯も食べずに没頭してしまいました。
と、その時、背後でドシンと言う鈍く大きな音がしました。
リビングに居るので、背中は窓しか見当らない。
この日は、作業もあってエアコンを掛けていたので、窓は締めきっていました。

何かと思って、のっそり立ち上がって窓からベランダを見渡します。
すると、片隅に真っ黒な物体が横たわっていました。
何だろう、先っぽの丸みを帯びたところから尖ったくちばしのようなものが見える。
その反対には、足づめがしっかり見えるのです。


これって、カラスだよ。

どうして、こんな所に寝ているのだ。
最初は、驚きだけで分けが分かりませんでした。
でも、ベランダのすぐ向こうの小高い樹木では、一羽のカラスが止まっています。
そして、こちらを見ながらカーカーと鳴いて飛び去りました。

そうか、窓ガラスに激突したようだな。
相棒のカラスは、心配で見守っていたんだろう。
それにして、何と言うバカからすなのだ。

不思議です。
ガラスに直撃するなんて、本当に変だ。
それでも、カラスさんは、翌日、傷ついて不自由になった羽で、何とか滑空しました。
隣の木に移ることが出来て、良かったと思ったものです。

新居に移って、早々、生き物の不幸に会うのは縁起でもありません。
後で、窓ガラスをしげしげと眺めてみました。
見れば、その木が反射して写りこんでいれではありませんか。
分からずに止まろうと勘違いして激突したのです。

と言うわけで、引越しは色々とあるものです。少なくとも、命を落さないでくれて、良かったと思う道産子社長がいるのでした。
(この巻き、おわり)

<おまけ>
グーグルで、”鳥 窓ガラス 衝突”で検索すると17万件以上がヒットしました。
その筆頭に、「日本鳥類保護連盟」と言うサイトが挙げられており、このような事故は、都会の住宅地域では見受けられるのかもしれません。


<ガラスに衝突する鳥たち>
窓ガラスへの衝突事故
灯台やオフィスビル、マンション、住宅などのガラスにぶつかって命を落とす鳥がたくさんいます。私たちがちょっと気をつけさえすれば助かったはずの命がたくさんあります。

<ガラスに衝突する鳥たち>
窓ガラスへの衝突事故
灯台やオフィスビル、マンション、住宅などのガラスにぶつかって命を落とす鳥がたくさんいます。私たちがちょっと気をつけさえすれば助かったはずの命がたくさんあります。

どうしてぶつかるの?
鳥は目の生き物…とはいえ、鳥にとってガラスを認識することは難しいのです。特に公園や森に面している所では、ガラスに樹木が写りこんだりするため注意が必要です。

2010年3月5日金曜日

従業員からクールって言われりゃ、うれしいの巻き

こちらへ駐在して、前任の社長から携帯電話を引き継ぎました。
使い出してから、既に二年が経ちっています。
扱いもラフでしたから、所々、塗装がはがれ落ちてしまいました。
しかも、二三回は地面に落としたりしています。

でも、致命的な機能不全に会わずに来ました。
携帯も思いのほか頑丈なものです。
使い込んでくると、これ無しにはいられなくなってしまいます。

機種は、世界的に有名なメーカーのノキアのN95です。


日本でも、SIMの差し込みで番号の認識が出来るみたいです。
この間、会社の都合で一時帰国しました。
その際、ふらりと立ち寄った秋葉原の電気街で、中古品を見かけてしまいました。
値段は、3万円くらいです。

意外に高いんだ。
新品で買ったら、数万円はするんだろう。
もちろん、この機種はかなりの最新機能がてんこ盛りです。

デジカメが五百万画素にフラッシュ機能、
MP4圧縮ファイル形式の動画撮影、
インターネットアクセス、
FMラジオチューナー、
音声レコーダー、
どんな音楽ファイルでも、着信音の設定が可能、
一ギガのマイクロSDメモリー搭載、などなど。

ただ一つだけ欠点がありました。
欧米仕様なので、日本語が表示できません。
もともと、タイ語は46文字による音表文字なので、アルファベットに近い。
日本語の漢字のような表示に二バイトを必要としません。
このため、日本語のサイトを表示すると、文字が総て□で置き変わってしまいました。

残念ですが、こちらはタイで外国です。
せっかく高機能なら、もう少しオマケしてもらいたかった。
ちょっと惜しい気もしました。


さて、この携帯、けっこう液晶画面が大きいのです。
任天堂のゲーム機DSの一画面なみにあります。
ですから、動画ファイルを再生して見るのも充分に出来ます。
でも、映画とかドラマを再生して楽しんで鑑賞するには、ちょっとしんどいでしょう。

それで、この動画再生機能を考えてみました。
ムービーの撮影機能もあるから、再生もおまけで付けたのかもしれない。
付加価値を重ねて商品価値を高めたとは言え、蛇足っぽい感じもします。

なにか、有効に活用できないか。

それならばと思って、会社の紹介ビデオや販促のビデオをメモリーにぶち込んで見ました。
結構、再生できるもんです。
これって使えるかもしれない。

例えば、初めての客先を訪問して会社を紹介するとします。
紙の資料でプレゼンして手持ち無沙汰な感じがしたとしましょう。
そんな時、”画面は小さいですが”とでも言いながら、携帯の画面を見せるのです。

興味のあるお客さんなら、面白がって見てくれるでしょう。
ラップトップを開く動作は仰々しいのです。
ウインドウズを立ち上げてファイルを開いていたら、夜が明けてしまいます。
とにかく、即効でお客さんの食いつき具合を確かめるです。
ですから、携帯のクイックアクションは営業の速射砲みたいな気がしました。

と言うわけで、これが使えるかどうか実験してみたくなりました。
先ずは、営業課へのこのこ出かけて見せてみたのです。
課長が、一言、言ってくれました。

”イッツ・ザ・クール”

つまり、「かっこいいですよ」ってことなのでした。
安心しました。
でもこの携帯は二年以上も前から、前任者も会社の課長も一部では使っていたのだ。
なのに、このような機能の有効活用を思い付いた人は、誰もいない。
ちょっと寂しい気もしたのは事実です。

と言うわけで、従業員に刺激を与えて、仕事を活性化させるのはとても大事なことなのです。それが、IT絡みの携帯と言う小道具であったとしても、目的がビジネスに直結します。次回は、どんなアイテムでスタッフを触発しようかと考える道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年3月2日火曜日

日本美人の系譜は朝鮮由来だと書いた貴方に問いかけるの巻き

母国語をしゃべらない日本人は、まず特殊な人でしょう。
例えば、日本国籍を持っていても、異国で出生し、母親がその国の人であった場合です。
このような状況では、意図せずに初めに耳にする言葉は、外国語になるはずです。
生まれた産院で、医師や看護婦や母親から掛けられる言葉は、日本語ではない。

そのような日本人は、生まれてから始終耳にするのは、生きるための生活用語=現地語です。
自分の意志や目的を表現して行動する場合に、もし相手がいるのなら現地語のコミュニケーションは欠かせません。
でも、日本語を覚えるのは何時のことになるのでしょうか?
それとも、終生を日本語の話せない日本国籍の現地人として過ごすのかもしれません。

このような事例は、タイに住んでおられる日本人には、至極普通の成行きになります。
なぜなら、現地妻をめとっていらっしゃる日本の男性は、ザラにいらっしゃるからです。
生活の基盤がもはや日本に無いのです。
タイの暮らしが中心だと言う日本人は、そのような環境におかれることになります。

なぜ、そんなことを考えてしまったのか?

それは、似たようなケースが日本国内でもあると思ったからです。
実は、日本には在日と言われる韓国籍・北朝鮮籍の方が約六十万人いらっしゃるそうです。
彼らも、また、生活の言語として日本語を話したり書いたりしますが、母国語を使うチャンスは実生活ではまれでしょう。

まして、そうなると普段は祖国の言葉も話さず、読み書きもせずに生きていくのです。
日本語で意志の疎通では不自由なく暮らしているのですから、母国語は忘れてしまう。
では、彼らの民族としての存在証明は、何を持って果たされるのでしょうか。

やはり、母国の言葉を話すことが第一ではないでしょうか。
それすら忘れた人々は、歌を忘れたカナリヤ以外の何物でもない。
彼らの誇りは、一体どこに存在するのか不思議でならないのです。

それで、この記事のタイトルについて考えます。

日本語のお上手なブログの書き手さんがいたとしましょう。
この方は、常日頃、日本人を軽蔑視する傾向がありました。
そして、果ては天皇制廃絶まで唱えるようになりました。

常識的には、日本人と精神の隔たりを感じる以外に何もありません。
ねちっこく論理的に追い込んで、相手を怒らせる筆致にはあえて感心もしました。
ですが、書き言葉に何か空疎な論理の積み上げだけを感じるのです。
これは、書く言葉が生活用具に過ぎないのだと分かりました。

決して、祖国である人々が書くような日本語ではない。
大和の言の葉は、表現に微妙な間合いを持ちます。
これは、日本人の生活全般に行きわたる空気のようなものです。
日本人だけが絶妙に感じ取れる言葉のあや・ひだは、母国語でない人々には無理なのです。

この方は、論理的に相手を傷付けるのが愉快なように思いました。
そうでなければ、ただの不満分子の書きなぐりでしょう。
しかも、白人を中心とした外国人に媚びるタイ人を差別的に侮蔑するのです。
一方では、タイ好きオタクの日本人をも侮蔑の対象とするのが特徴的でした。

そして、何時ぞや、タイトルの様な発言をされました。

普通の日本人では、このような断定はあり得ません。
やはり、旅券の異なるお方だと思い始めました。
さもなくば、帰化されて屈折したご仁なのでしょう。

でも、このような表現を得意とされる方は、日の没する西に二ヶ国あるのです。
どちらなのだろうか。

思いますに、この方は、最近はタイへ入国されていないようです。
と言うより、査証が下りないのではないでしょうか。
ご本人が、タイへ来ていた翌年に、特定国へ誘拐拉致されたタイ人女性の存在が明らかになりました。
国家が犯罪を犯し、その説明責任を果たしていなければ、そう安々と一般国民の入国を許すまじでしょう。

しかも、旅券が違えば、日本語を話そうが、タイ人の応対は異なるのではないでしょうか?
タイ人は、以外とかの国の人々を嫌います。
ただ、露骨に言わないだけです。
しかも、ホテルに泊まるときは必ずパスポートを提出しなければならない。
どちらの国の出身か、必ずばれる。

それが虫酸の走る国であれば、それなりの対応しかしないのではないでしょうか。

私は、アセアン各国の取引先と仕事をしてきました。
日本人と似通っていても、かの国の人々は嫌われる事実があります。
それは色々な理由があるのですが、簡単に言えば、すぐ殴る品性の人たちだと言うことです。

さて、かの人はマレーシアがお好きなようです。
最近は、ネパールやイランが多いですね。
要するにテロリスト達を受入れたり、マオイストに親近感のある国家です。
マレーシアも意外で、パキスタン核開発の中継拠点になったぐらいです。
そんな国々が許容する旅券なのかもしれません。

イスラム教徒なら、なぜインドネシアに行かないのだろう。
サウジだってあるし、パキスタンだって、イスラム諸国は他にもある。
きっと行くことが限定されたのだと、断じました。

こうやって、彼の文章を読んできて、活きることの難しさゆえなのだと思うようになりました。

ひょっとしたら、祖国は、毎年、餓死者の出るような国です。
そして、原始共産制よりもみすぼらしい体制なのかもしれません。
祖国とは、母国語とは、一体何なのでしょう。

キングクリムゾン「21世紀の精神異常者」

ブラックサバス「パラノイド」

と言うわけで、かの人は自分のブログがパラノイアなのです。手すさびにしては、なんと荒涼としたものかと思いました。私も、これ以上、無意味なデータの占有を読むことも無いでしょう。飽きました。
さらに言うのなら、文章を通せば、決して人の本性を隠し通せるものではないのです。そんな印象を持たされながら、日本を宿り木とする人々を垣間見た思いの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
これは、すべて妄想です。
誰のブロガーなのかは不明です。
暇つぶしに、キーワードでググって見つかるかは、分かりません。