2009年8月5日水曜日

帰国しても、生活拠点はバンコクになったんだの巻き

今、タイ航空の676便に乗って一路、日本を目指している。

朝八時ごろにスワンナプーム空港を離陸したから、多分、定刻通り日本時間で夕方の四時前には成田に着くだろう。この時期、親会社は決まって海外合弁会社の社長連中を半年毎に召集する。各社の事業動向や業績等を発表して、今後の海外経営をどのように方向付けるか話し合うのが目的だ。でも、会社の存亡を掛けたような重大な決議が行われたことも無かったし、淡々と発表して終わりと言うパターンが続いて来た。社長になって、今回がやっと三回目の出席だから、そんなことぐらいしか分からない。

それよりも、会議前に発表する資料を四苦八苦して作成するのがつらい。パワーポイントを使って、まめに写真を貼り付けて主な会社の出来事を紹介しながら、グラフを使って業績の推移を報告するシナリオで、毎回こしらえる。そして締めには、経営目標の確認と修正を提示して、発表を終える。あまり意識して作ったつもりは無い。しかし、習うより慣れろで、毎回、発表方法の王道ともいえるストーリーで資料を仕上げて来たのは事実だ。自分自身でも、驚いている。今回、作成してみてそんなことを発見した自分が、意外と社長としてさまになったのかもしれないと思った。

技芸におぼれているとは思わない。中には、パワーポイントで資料も作れずにワードでお茶を濁したり、部下任せに作らせた結果、経営情報としては細かすぎてピントの外れた社長もいるからだ。自分なりに努力した形跡が見られないから、社長とか副社長はどう感じるのだろうかと思う。自分は、こびるつもりは毛頭ない。ただ、的確に分析した結果を導くのが第一義なので、ソフト=道具を使いこなすだけなのだ。

第一、エクセルで集計したデータをグラフ化して、それをパワーポイント上に貼り付けるような作業は、管理職以上ならできて当然だし、できなければ分析能力の乏しい木偶の坊だろう。それができないで、社長になるのは言語道断なのだが、人材の払底する親会社ならでは止む無しかもしれない。

まあ、そんなことを考えながら、機上でタイプしている。

ほったらかしにした自宅には、電気も水道もガスも供給を止めたから帰って泊まることもできない。せいぜい、換気のために窓を開けたり、郵便受けに溜まった投函物を取り出したりとか、雑用で立ち寄るだけだ。しょうもないから、会社に頼んで宿泊研修施設を使わして貰っている。上さんは、そのままバンコクで暮らしている。

自分の生活拠点は、もう日本に無いのだな。

そんな寂しさも感じたりする。会議が終われば翌日には、バンコクへトンボ帰りする。上さんを一人にしていたのでは、かわいそうな感じがするからだ。上さんは、フォルモサの人で国籍が違う。自分は、日本で暮らすと思っていたのに、何ゆえすぐさま外国に出て住むのかと愚痴を言われた。上さんにとって、四季の変化に乏しいタイは、この上も無くつまらないものらしい。そして、これまで見聞きした駐在員妻の身の程知らずな派手な生活と、現地の人のつつましい生活事情を比べて、自分にはそれができないと感じたようだ。一日六百円が最低賃金と聞いているから、そうなるのだろう。

上さんは、アメリカの大学院で貧乏学生だったらしい。そして、母国では少数民族の里親奨学金制度に参加していたぐらいだから、生真面目な性格なのだと思う。分不相応に金を浪費するのが、嫌悪なのだろう。一緒に暮らしてきたから、性分を分かっているつもりだ。

そして二人で日本に帰りたいね、と呟くのである。

帰ったら、話すことも読み書きもできるようになったタイ語でボランティアをしたいと夢を話すのである。何時になるのだろうか。貧乏社長は、会社も地元の人たちも好きだ。だが、上さんを思うと、何時かは必ず帰らねばとも思っている。ここは、仮の住まいなのだ。

そう思いながら、戻ってもネクタイが似合う勤め人でありたいと思い、毎日、必ずネクタイを締めて出勤する貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終わり)

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