2011年10月6日木曜日

洪水がバンコクまで押し寄せてきましたの巻き

英字紙バンコクポストに掲載されて来た写真です。
コメント無しで写真を貼っておきます。
見ていますと、余り悲壮感が感じられ無いのが不思議です。

お寺が水浸しになっても、逞しくお坊さんは路上で朝食を取るのです。
床まで浸水しても、おばさんはチャッチャッと箒で水を掻き出すのでした。
ここタイでは、8月以降は年中行事になっていて、違いは被害の規模でしょう。

実は、タイの国土は、なだらかで高低差があまり無いのです。
このため、流れ下る川のスピードもゆったりとしています。
もし、水量が増えたとしても、水かさの上昇はのんびりです。

このため、水害を生活の一部として受け止めている雰囲気すら感じてしまいます。
ただ、山間地の鉄砲水で家を押し流されてしまった少女は痛ましい。
茫然自失で座り込んてしまった姿には、かわいそうです。


と言うわけで、最後の写真ですが、世界遺産のアユタヤ歴史公園も水浸しになってしまいました。水位が二メーターまで達してしまい、流入を防ぐために築かれた土嚢の堤防も役に立たなかったようです。今年の被害は、例年以上にひどいようですが、早く治まってほしいと祈る道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月4日火曜日

これが正真正銘のハイウェイスターだの巻き



ハイウェイを疾走するサイドカーが舞台になっておりました。
三人組のロックバンドに見えます。
ただ、一人がハンドルを握っていて、ベースができそうにも無い。

ちょっと、音の厚みでは物足りない感じです。
でも、爆走しながらハードロックをガンガン演奏しておりました。
これって、交通法規を完全に無視したパフォーマンスです。

こんな無法地帯、日本では絶対できないでしょう。
ロシアって国は、なんとも大らかと言うか、いい加減です。
と言うか、節操の無さでは、前代未聞ですね。




 やっぱり、本家はディープパープルですよ。
この”ハイウェイスター”が、ハードロックの定番なのです。
ガキの頃、バンドを組みましたけど、この曲はコピーできませんでした。

と言うわけで、代わりにスモーク・オン・ザ:ウォーターでお茶を濁して演奏していたのです。みんな、ロックのアマバンドは定番でコピーしたものですよ。高校時代が懐かしいですなー。年を取ったのかも知れませんが、昔を思い返す道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月3日月曜日

ワット・サケーオはこうして行け、保存版の巻き

これから紹介する出かけ方が一番、手っ取り早いのです。
しかも、交通手段がスリルを味わう乗り方です。
小さいお子さん連れは、危険かもしれないのでお勧めしません。

ですので、大人は自己責任と言うことでお出かけ下さい。
スクンビット界隈の住人なら、ぜひトライすべきだと思います。
ワット・サケーオのすばらしさも格別ですが、楽しみはこちらかもしれません。


サミティベート病院から、ソイ49を北上すると突き当ります。
そこがセンセーブ運河でして、防波堤を伝ってソイ39の橋を渡ります。
後は、地元で有名な建設会社、イタルタイの船着場から乗船します。


こんな感じで、水上ボートがやってきます。
この写真は別の船着場ですが、スピード感を感じますよね。
停船する直前まで、結構な速度で向かってくるので危険すら感じます。


乗り込んだら、満員すし詰め状態でした。
この日は日曜でして、外出された方が多かったのでしょう。
ちなみに座った席は、操舵席のすぐ隣のベンチです。

ここは、空いているときに作業員が座る席で、滅多に無いチャンスでした。
まあ、雑然としたフロントウインドウで驚きました。
どんぶりの中に携帯電話が置かれていたり、観葉植物が飾られています。


この水上バスは、プラトゥーナムの船着場で乗り換えになります。
降りる時も乗る時も、段差があるし船が揺れますので注意が必要です。
手荷物はできるだけ避けて、肩掛けのバッグが良いかも知れません。

ここからは、伊勢丹デパートもすぐですし、パンチップの電脳ビルも間近です。
それで、料金はここから乗り換えたとしても13バーツポッキリです。
結構、距離を稼いでくれますし、渋滞もありません。

ですので、エアコンバスに乗るよりスムーズに到着できます。
結構、病み付きになった駐在マダムもいるって、上さんが言っておりました
さて、停船した船から先に別の一艘が待機していますので、乗り込みましょう。


卸売り専門の繊維問屋街ボーベーのビルを過ぎたら、水上バスの終点です。
ここから橋を渡って歩きますが、程なくしてお寺の入り口に到着します。
中に入れば、そこはもうワットサケーオの構内です。


下から見上げると仏塔を拝むことができません。
やっぱり、テクテクと登らねばならないのです。
途中には、大きなドラや釣鐘が置かれております。

めいめいが勝手に叩いて鳴らしていますが、ドラは腹に響くような低音です。
ところが、鐘の方は何とも情けなくて、きたない感じの音でした。
あんまりご利益があるとは思えず、叩くのは遠慮しておきました。


やっと仏塔までたどり着きました。
段差の低い階段ですから歩きやすく、老若男女が登っています。
一汗を掻くには、ちょうどよい運動と言ってよいでしょう

と言うわけで、帰りはそのまま船着場に戻っても良いし、その先のボーベータワーまで散策してから、そこで乗船するのも面白いです。ただ、ボーベーの卸し問屋街を見学する時は、日曜日は閉まっているので避けてください。いろいろとこだわりもあるわけでして、小さな旅を楽しんで見た道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月2日日曜日

かつて四十年前は一番であったの巻き

 
 
仏塔の高さが、76メーターだと見知りました。
その名は、黄金の丘、プー・カオ・トーンと言います。
もっとも、お寺自体はワット・サケットと言いますので、その名前が通用しています。

実は、この塔こそ四十年前までバンコク一高い建築物でした。
でも、その後は、経済成長に伴って雨後の筍みたいに高層ビルが建設されています。
現在、一番高いのは、バイヨークタワーIIでして三百四メーターです。

これ以外にも、90メーター以上のビルは、445本も林立していました。
これは、昨年の「世界都市高層ビルランキング」で調査されたものです。
第五位に堂々ランクインですから、バンコクも世界に名だたる摩天楼都市だと言えるのではないでしょうか。

となれば、この丘もかつてほどの威勢は失せてしまったようにも感じます。
ですが、ありがたく登らせていただければ、あなたはきっと悟ります。
この眺望のすばらしさだけは、以前と変わらぬままだと実感するはずです。

先ず、周辺に奇跡的なほど高層建築物が見当たりません。
唯一、東側にセンセーブ運河に沿ったボーベタワーが邪魔なだけでしょう。
反対に西から南の方角にかけては、エメラルド寺院など王室に関る建造物が集まっています。
 
 
 
 
たぶん、この周辺ではこれより高い造作は、タブーのような感じがしました。
もし、一般の建物が王様のお住まいになる王宮を見下ろすようになれば、それは王室に対する不敬と言うものでしょう。
でも、この塔は仏教の教えによる建築でして、はばかられることがありません。

おそらく、地元の人もしっかり配慮しているのだと思いました。
でなければ、自分の権勢を誇りたければ、近辺の土地を買収し、これ見よがせに摩天楼をおっ立てて見下ろせば良いだけのことです。
でも、そんなことをする人は、今の今までいなかった分けです。

と言うわけで、日本は建前社会だとよく言われますが、タイの人々も似たような行動様式を重んじているのかも知れません。国家が調和の取れた発展をなすためには、なにを敬い尊ばねばならないのか、国民は既に暗黙に了解した上で生活しているのです。そんなことを改めて分からせてくれた、この黄金の丘には、改めて畏敬の念を覚えた道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2011年10月1日土曜日

常識・非常識の育みは職場環境次第の巻き


もう、二年前のことでしょうか。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』と言うテレビ組は、逃さず見ておったのです。
中でも、航空管制官が携わる仕事の厳しさには、目を見張りました。

その方は、堀井不二男さんだったのですが、今改めて思い返しました。
そのきっかけは、残念ですが同僚が社会的事件を起こしたからです。
つまり、米大統領専用機の飛行計画などを自分のブログに掲載したのが問題になりました

※これ以外の問題写真は、こちらから

写真のように、飛行する経路を暴露してしまった分けです。
これって、アルカイーダのようなテロ組織が将来の攻撃に参考にしないとも限らない。
ちょっと考えれば、常識から外れた大問題ですが判断が無理だったのでしょう。

この職業は、一口に言って飛行機の航路をコントロールするのが任務です。
空の上には道しるべなどありません。
管制官は、レーダーと自分の目だけで判断でしなくてはならない。

しかも、羽田空港は、もっとも多忙な時、二分間隔でフライトが錯綜します。
複数の飛行機を導きながら、安全に離着陸を誘導しなくてはならない。
ひとたび間違えば、多くの人命を奪うかもしれない事故につながります。

これは、かなりストレスや緊張を強いられる職業でしょう。
長い経験の積み重ねも必要になってくる専門性の高い役人だと感じました。
このため、「ハネダさま」と呼ばれて管制官の中でも「プライドが高い」みたいです。

他方、管制官は転勤先ごとに資格が必要となるので異動も少ない。
労働組合の力も強いとなれば、職場環境が閉鎖的で硬直的なんでしょう。
しかも、国家公務員ですから、世の習いに隔たりがあったとしても不思議ではない。

と言うわけで、一般社会とかなり遊離した高度な専門技能集団と言うものは、得てして非常識に陥りやすいと感じました。この主任管制官は、56歳で30年間も異動したことが無く、職能的にもボスに近い印象を受けます。だから、職場の写真を自由に撮ったとしても、若い人たちは注意できなかったのでしょう。こう言う環境では、堀井不二夫さんが嘆くだけであろうと思った道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

おまけ:
この事件の渦中の男は、堀井さんより二歳年齢が若いようです。
なので、同一人物ではないと思われます。
生年月日を、1983年としているのが不思議ですが、航空管制官として出仕した年なのでしょう。
それで、運営していたと思われるブログが見つかってて、わずかに魚拓(キャッシュデータ)が残っています。
他にも、航空管制官の運営によるブログがありましたが、みな閉鎖されていました。
つまり、プライドのある職業を名乗ってブログを運営することすらできなくなってしまったというわけです。
事件を起こした男は、管制官仲間にも大きな波紋と迷惑を投げかけたようです。