例えば、日本国籍を持っていても、異国で出生し、母親がその国の人であった場合です。
このような状況では、意図せずに初めに耳にする言葉は、外国語になるはずです。
生まれた産院で、医師や看護婦や母親から掛けられる言葉は、日本語ではない。
そのような日本人は、生まれてから始終耳にするのは、生きるための生活用語=現地語です。
自分の意志や目的を表現して行動する場合に、もし相手がいるのなら現地語のコミュニケーションは欠かせません。
でも、日本語を覚えるのは何時のことになるのでしょうか?
それとも、終生を日本語の話せない日本国籍の現地人として過ごすのかもしれません。
このような事例は、タイに住んでおられる日本人には、至極普通の成行きになります。
なぜなら、現地妻をめとっていらっしゃる日本の男性は、ザラにいらっしゃるからです。
生活の基盤がもはや日本に無いのです。
タイの暮らしが中心だと言う日本人は、そのような環境におかれることになります。
なぜ、そんなことを考えてしまったのか?
それは、似たようなケースが日本国内でもあると思ったからです。
実は、日本には在日と言われる韓国籍・北朝鮮籍の方が約六十万人いらっしゃるそうです。
彼らも、また、生活の言語として日本語を話したり書いたりしますが、母国語を使うチャンスは実生活ではまれでしょう。
まして、そうなると普段は祖国の言葉も話さず、読み書きもせずに生きていくのです。
日本語で意志の疎通では不自由なく暮らしているのですから、母国語は忘れてしまう。
では、彼らの民族としての存在証明は、何を持って果たされるのでしょうか。
やはり、母国の言葉を話すことが第一ではないでしょうか。
それすら忘れた人々は、歌を忘れたカナリヤ以外の何物でもない。
彼らの誇りは、一体どこに存在するのか不思議でならないのです。
それで、この記事のタイトルについて考えます。
日本語のお上手なブログの書き手さんがいたとしましょう。
この方は、常日頃、日本人を軽蔑視する傾向がありました。
そして、果ては天皇制廃絶まで唱えるようになりました。
常識的には、日本人と精神の隔たりを感じる以外に何もありません。
ねちっこく論理的に追い込んで、相手を怒らせる筆致にはあえて感心もしました。
ですが、書き言葉に何か空疎な論理の積み上げだけを感じるのです。
これは、書く言葉が生活用具に過ぎないのだと分かりました。
決して、祖国である人々が書くような日本語ではない。
大和の言の葉は、表現に微妙な間合いを持ちます。
これは、日本人の生活全般に行きわたる空気のようなものです。
日本人だけが絶妙に感じ取れる言葉のあや・ひだは、母国語でない人々には無理なのです。
この方は、論理的に相手を傷付けるのが愉快なように思いました。
そうでなければ、ただの不満分子の書きなぐりでしょう。
しかも、白人を中心とした外国人に媚びるタイ人を差別的に侮蔑するのです。
一方では、タイ好きオタクの日本人をも侮蔑の対象とするのが特徴的でした。
そして、何時ぞや、タイトルの様な発言をされました。
普通の日本人では、このような断定はあり得ません。
やはり、旅券の異なるお方だと思い始めました。
さもなくば、帰化されて屈折したご仁なのでしょう。
でも、このような表現を得意とされる方は、日の没する西に二ヶ国あるのです。
どちらなのだろうか。
思いますに、この方は、最近はタイへ入国されていないようです。
と言うより、査証が下りないのではないでしょうか。
ご本人が、タイへ来ていた翌年に、特定国へ誘拐拉致されたタイ人女性の存在が明らかになりました。
国家が犯罪を犯し、その説明責任を果たしていなければ、そう安々と一般国民の入国を許すまじでしょう。
しかも、旅券が違えば、日本語を話そうが、タイ人の応対は異なるのではないでしょうか?
タイ人は、以外とかの国の人々を嫌います。
ただ、露骨に言わないだけです。
しかも、ホテルに泊まるときは必ずパスポートを提出しなければならない。
どちらの国の出身か、必ずばれる。
それが虫酸の走る国であれば、それなりの対応しかしないのではないでしょうか。
私は、アセアン各国の取引先と仕事をしてきました。
日本人と似通っていても、かの国の人々は嫌われる事実があります。
それは色々な理由があるのですが、簡単に言えば、すぐ殴る品性の人たちだと言うことです。
さて、かの人はマレーシアがお好きなようです。
最近は、ネパールやイランが多いですね。
要するにテロリスト達を受入れたり、マオイストに親近感のある国家です。
マレーシアも意外で、パキスタン核開発の中継拠点になったぐらいです。
そんな国々が許容する旅券なのかもしれません。
イスラム教徒なら、なぜインドネシアに行かないのだろう。
サウジだってあるし、パキスタンだって、イスラム諸国は他にもある。
きっと行くことが限定されたのだと、断じました。
こうやって、彼の文章を読んできて、活きることの難しさゆえなのだと思うようになりました。
ひょっとしたら、祖国は、毎年、餓死者の出るような国です。
そして、原始共産制よりもみすぼらしい体制なのかもしれません。
祖国とは、母国語とは、一体何なのでしょう。
キングクリムゾン「21世紀の精神異常者」
ブラックサバス「パラノイド」
と言うわけで、かの人は自分のブログがパラノイアなのです。手すさびにしては、なんと荒涼としたものかと思いました。私も、これ以上、無意味なデータの占有を読むことも無いでしょう。飽きました。
さらに言うのなら、文章を通せば、決して人の本性を隠し通せるものではないのです。そんな印象を持たされながら、日本を宿り木とする人々を垣間見た思いの道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
おまけ:
これは、すべて妄想です。
誰のブロガーなのかは不明です。
暇つぶしに、キーワードでググって見つかるかは、分かりません。
12 件のコメント:
難しいです。
Masaさんへ、
もし、ブログのコメント返しで、いきなり”死ねよ”と言われたら、あなたはどう思いますか?
それ以来、興味を持ってきたのですが、考えた結果として自分なりの結論を出してみました。
インターネットは、自由な社会です。どんなことを書いても構いませんが、公序良俗は厳然とあるのだと思います。
その考えに隔たりがるのなら、住む世界が違うのだと思いました。
それで、終章を書いてみました。
ああ、小生は一発で理解りました。
あの棄民野郎のことですね?!
ちなみに、あいつはあれだけイスラム教絶賛しているけんど、いざとなったら経典を守ったりできないヘタレですからイスラム教に改宗できないんですね。
実は、最近彼のサイト更新止まっていますね。
ネパールの山岳部に行くといってからですから、何か隠密行動でも取っているか、現地で誰かに喧嘩売ってやばいめにでも合っているのでしょう。
Oblige347さんへ、
小生は、三十年近く前、バックパッカーでありました。最初の訪問先がタイで、次がネパールです。
当時、ネパールは、人々の心根の優しい国で、機械文明や都市文明に毒されていなくて、生活観もゆったりしていました。生活は豊かではありませんでしたが和んでいるのです。とても不思議な国として、強く印象を受けた思い出があります。
その首都、カトマンデゥで、無料で何かを頒布している掘っ立て小屋の建物がありました。
私も面白がって、長い列に並んで入手したのですが、それは主体思想(チュチェ)を簡単に紹介したたパンフレットでした。
確か、英語で書かれていた部分もあったので、それが分かったのだと覚えています。思想の輸出なのでしょう、当時も、かの国はマオイスト=共産主義者の勢力が強かったせいもあり、思想的な図書の流布を政府は黙認していたような感じでした。
何ゆえ、こんな記憶の蘇りがあったのか。それは、かの人との不毛な係わり合いを通じて、呼び覚まされたからです。
そして、折に触れて、かのひとの行動を考えてきました。その結果が、今回の記事になったのだと思います。
もし付き合う必要が無いなら無視するのが一番。
がしかし仕事などで無視できない事もある、そんなときは正攻法で、つまり是々非々で対応するしかない。
残念ながら私にはどなたのブログか分かりませんが(知らないで済む事が幸せかも・・)、そう思います。
タイ人はかの国の人が大嫌いです。ゴルフ場のキャディなどに聞いてみるとよく分かります。それでもお客さんなのでニコニコ対応していますが本心は全く違う。
残念ながらぐりぐりももんがさんが仰るように日本に住みながら(寄生しながら)日本国籍をあえてとらない事のメリットを享受している人たちが居ます。
2CHの事件が良い例です、F5攻撃でF5戦闘機が2機墜落した。
あの国のあの法則は今も生きています。
捨て置きましょう。
短足おじさんへ、
コメントをわざわざ頂きまして、ありがとうございます。
そちらのブログも時折訪問させていただいておりますが、コメントは差し控えております。コメント欄で再度ご迷惑をおかけしても、差しさわりがありましょう。
思うのですが、コメント欄でその記事に関係無く、他人のブログ記事に関する指摘や注意をするのも、ちょっとおかしな感じがしました。
コメントが開放されていて、承認を受ける必要の無い限り、投稿は自由です。フテキセツであると判断されれば、ブログ主から削除されたとしても致し方ありません。
イザさんの方はそこから出ようとしないですね。イザさんの中で、論戦が完結しているようにも思いました。
私はよほど痛いところを衝いたのかもしれません。以前にも、私はブログまで探し当てられて執拗にコメントされた経験もありますし、コメント返しで”死ねよ”と言われたこともあります。
そんな時、なぜそのような発言や行動を相手が取るのか、自分で深く考察したり推理する場合が多いですね。
その結果、自分の経験にも照らし合わせながら、こう言うことなのではないかと結論に至る場合が多いのです。
自分なりの考えで結論を導き出す作業が重要なのです。そんな風に思っています。
そして、最後に一つだけ言えることは、日本語を書く人々は、日本人以外にもたくさんいるのだと言うことでした。
特にネットで書かれている文章を、左翼も右翼も関係無く読んで来ると、何かしら違和感を感じる文章があります。
論理的にはあっているのですが、段落分けをせずに、執拗に長々と論理を積み上げる文章に時折出会うようになって、なおさらその感を強くするようになりました。
このような場合、主張し合うと平行線をたどり、譲り合うことは決してありません。自分が上なのか下なのかで区別付けをする思考パターンに類似しています。
あのー、誰か小生の名義を使って投稿した輩が居ましたね。
↓これ!
2010年3月4日22:42
基本的に小生は英語ブログのブロガーでのカキコの場合はブロガーのアカウント使っているので、日本語ブログのグーを使うことは無い。 ですから、どうかんがえても偽物でしょう。
っつかく、下賎な卑怯者がいるもんだねぇ・・・!
Oblige347さんへ、
削除させていただいたのは、コメントが記事に対して、余りに逸脱しているので、敢えて削除しました。
本来は、私は削除しませんし、ていねいにお返事を書かせていただいております。
ですが、似たようなコメントが二回続きましたので、決断しました。
そして、あなたの名前を使って同じような書き込みをしているのを、いくつかのブログで発見しております。
http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/52427370.html#comments
もし、偽名でコメントされているのであれば、お気をつけ下さい。
よく、なりすましと言う言葉がありますよね。最近、2チャンネルが韓国からF5キーによるDDOS攻撃を受けて、サーバーダウンしたそうですが、韓国ではIPアドレスを公開しないため、誰が何をしたのか、突き止めることができないのだそうです。しかも、サーバーはアメリカにあり、アメリカは韓国をサイバーテロ対象国に考え始めました。
段々と世界中が知らされて来ているのでは無いでしょうか。そのように思いました。このようなことを繰り返しても、自分に跳ね返ってくるのではないでしょうか?
お気付かい有難う御座います。
ですが、そのリンク先のコメント主は小生本人ですな。
ただ、ここでは確かに 小生の名義を使って投稿した輩が居たようですが。
基本的に小生は英語ブログのBloggerでのカキコの場合はブロガーのアカウント使っているので、日本語ブログのGooを使うことは無いので。
とにかく、御配慮誠に痛み入ります。
かの国ですか。
近きにありて価値観と羞恥心は対極でありますね。
私の所にもお下劣コメが来ますが、みんな私に合わせてレベル低くて助かります。
脅迫まがいの非公開コメも来ます。
非公開ゆえにコメ返しも出来ないのが歯がゆいですが黙殺に限ります。
活動家でも政治家でも評論家でも無くサラリーマンの自分に出来る事は???
ネットを通じて情報収集し、それを如何にして普段の生活に活かすか?
私は自分の行動を律し、眼前に現れる反日と戦うことにしました。
ちょいと大袈裟ですが・・・・
日本国民が一所懸命仕事して、私生活は呑気にのほほんとお気楽に暮らせて死ねる日本を、敵性外国人に乗っ取られて溜まるもんですかってな今日この頃です。
キンクリ懐かしいです!
ロバートフィリップのコード弾きって、指が直角に曲がらないと押さえられない様なモンが多いです。
Rockと落語は止められませんね。。。。。
海治朗さん、
自分のおっしゃりたい主張を、ブログで展開されておられると、私は思います。ですから、立派な活動ではないかと思いました。
何も、杓子定規で、大上段に振りかぶって政治論をぶちかましてみたところで、誰も喜ばんでしょう。
自分が、ネットで色々な政治ブログを読む様になって、一番感心したことがあります。
それは、俗にネトウヨと称される人達が、捻りの効いた風刺や茶化しや冗談が小粋で、面白いのでした。
逆に、左翼の人たちは、何てつまらなくて頭が固くて、説教臭くて、教条的なんだろうと感じたものです。
いや、実を言うと、このような笑いを取りながら、相手を批判すると言うのは、非常に高度な芸=しゃれなのですよ。
そして、海治朗さんのブログが好きなのは、茶化しの精神があるから好きなんです。これは、考えに余裕がある証拠ですね。
色々な展開に結び付けて、笑いを取りに行く。これぞ、落語に通じるものがあると思いました。
コメントを投稿