2010年3月16日火曜日

生物学上の見えざる境界線が何を分断するのかの巻き

バンコクは、今が夏の旬、盛りの季節です。
暑さも、連日35度を超えるようになりました。
日本人ならうだるような暑さを形容したくなるでしょう。

でも、こちらの人は体感が違います。
35度を超えれば、暑いなーと感じるのだそうです。
一年を通じて日中は三十度を超えるのが当たり前なのです。
自然には逆らえません。

さて、この季節ならではのことです。
セミは寸暇を惜しんで鳴くのです。
雨季が始まるまでの一時です。
命を燃やすかのような、この声色と共に日々を過ごしましょう。

セミは、自分の生まれ故郷にも、ありふれていました。
夏の風物詩としては、欠かせません
昼下がり、太陽の射て突く日差しをよそに、鳴き声が周りにあふれます。
ニイニイゼミも、ヒグラシも聞くことが出来ました。

北海道だって、音の風物詩は内地と変わり無かったようです。

ただ、そこに違いもあるように思いました。
北海道は、津軽海峡によって内地(本州)と隔てられています。
昆虫は、空を飛び、海を渡ることもできるのだ。
きっと、住処を北へ北へと伸ばしてきたのかも知れません。

これに比べて動物はどうだったのでしょうか。
北海道と内地を比べてみることにしましょう。

エゾヒグマ 対 ツキノワグマ
エゾシカ 対 ニホンジカ
キタキツネ 対 ホンドキツネ
エゾタヌキ 対 ホンドタヌキ
エゾリス・エゾシマリス 対 ニホンリス

しかも、北海道に野生の猿は生息していません。
あの本州最北端の下北半島には、北限の猿の群が生息しています。
でも、海峡を渡ることがなかった。
海の向こうに霞む陸地を、猿とても見ていたに相違ありません。

でも、渡ることは適わなかった。

この海峡は潮の流が非常に早い。
しかも、水深が百メーター以上とかなり深いのです。
泳いで渡ろうとしても、必ず流されてしまう。
行き着けることは、至難の業だったのです。

こうして、蝦夷地の自然は、何かしら隔てを強いられました。

生物界の頂点になろうとする生き物ほど、移り住むことを拒まれたことになります。
人間もそうでしょう。
アイヌの人は、蝦夷地を子々孫々の住まいとしました。
内地から和人が渡ったのは、はるかに遅れてのことです。
船と言う文明の利器を使い、安全に大量に海を渡るまでは時間が掛かったのです。

そして、これを人々は、海峡を東西に横切るブラキストン線として、呼びならわしました。



動植物の分布に境界があるとして、発見した人の名前を取って名付けたのです。
でも、それだけのことでしょうか。
日本人と、その文明と文化の括りの中で、住み移り伝えることに、深い海の存在は大きくなかったのでしょうか。

私は、道産子なのです。
かの地は、父祖の移り住んだ結果として、故郷の意味を与えられました。
しかも、その故郷は新しく歴史を持とうにも、一世紀半を超えただけです。
同じ日本語をしゃべろうと、内地とかの地には大きな差異が横たわるのかもしれません。
因襲や習俗が培われるには、年月を要しましょう。

と言うわけで、北海道はまだまだ新開地なのです。そこで見い出される日本とは、内地に同調したようでいて、重ならないのかもしれません。内地に四半世紀以上も住んで来て、今はタイでセミの声を聞きながら、ふと故郷に思いを馳せる道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

8 件のコメント:

楽仙堂 さんのコメント...

 近所の一家が最近青森に引っ越していきました。見送りにみんなで集まった時に
「向こうでは部落とは使わないほうが良いよ」
「ふうん、そうなの?こっちでは普通に使うのにな」
という会話がありました。道産子は知ってのとおり、部落が番地の代わりで・差別用語では有りません。アイヌ差別も有りませんよね。そういう風土が良いところです。
 ブラキストン線、なかなか良いではありませんか!!
(あえて、アイヌ問題を作ろうとしている勢力があるそうですが)

ぐりぐりももんが さんのコメント...

楽仙堂さんへ、
部落と言う言葉ですけど、福島県を除いた東北地方では、被差別部落が存在しないと言う話をネットで読んだことがあります。

となると青森県で、部落と言う言葉を使っても問題はなさそうですが、地元の人が使っていないのなら、無理しない方が良いでしょうね。

それで、「シルバー回顧録」さんと言うホームページがありまして、「サンデー毎日の記」と言う随筆コーナーが結構、面白いので欠かさずにチェェックしております。

例えば、上述のような内地のエグイ部分を取り上げてみたり、アイヌの人や蝦夷を話題にする一方で、臨終観察やらトイレの話まで広範囲なのです。

ただ、記事の書き方は真面目なので非常に好感を持っております。良かったら、次のURLをご訪問下さい。

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/eta.htm
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/emishi.htm

それで、ブラキストン線に関る話なんですが、ツキノワグマは四国にも生息しているようです。自分の勝手な創造なんですが、瀬戸内海を泳いで渡ったんじゃないかと思っているのですよ。あそこなら、島伝いに一休みしながら渡れそうな気もします。

それに比べると、津軽海峡は厳しい海峡ですよね。青函連絡船で幾度と無く海峡を越えましたが、あの潮の流れでは無理だと感じてきました。

いや、タイにもツキノワグマの親戚みたいなマレーグマがおるのです。胸元には同じように三日月の白いマークまでありまして、親戚筋でありましょう。これを見ても、内地は南洋つながりだと思いました。

それに比べると、北海道のヒグマは、カムチャッカやアラスカ、北米に住んでいるクマと同じですから、北方つながりなんですよ。

やっぱり、あの海峡が自然・文物を分け隔ててきたのでは無いか。そう思って記事を書きました。

南風海治郎 さんのコメント...

シルバー回顧録さん、拝見いたしました。
勉強になります。有り難う御座います。

津軽海峡は私の沖縄海人時代の師匠がヘルメット潜水作業をしていました。

超過酷だったそうです。


危険な海仕事はもうイヤ!
潮流が早くて寒くて暗くてもうイヤ!

楽しい海仕事に変えたい!
穏やかな海で温かくて明るくて
色とりどりのお魚さんがたくさんいて
色とりどりの水着を着たGALがたくさんいて

で、沖縄で店を出しました。

動機が正直なので押しかけ弟子入りしたのです。

それほどまでに(何がそれほど????笑)
過酷な津軽海峡を渡るの動物はいたかも知れないけど、成就できなかったのでしょう。

道産子の方々は胸を張っていいと思います。

因みに我が母方は土佐~長崎~台湾~八重山~神奈川で見事に南洋繋がりでありました。

ぐりぐりももんが さんのコメント...

海治朗さんへ、

ひょっとしたら、海治朗さんの潜りのお師匠さんは、お隣の県の岩手県久慈市の種市高校のご出身かもしれないですね。

この高校には、全国で唯一の潜水士を養成する海洋開発科という学科があるのだそうで、現在までに1,000人以上が卒業し、そのほとんどが港湾土木や各種海底調査、海難救助などに従事されています。

この学校は、結構、有名でしてNHKのニュースなんかでよく紹介されていました。

自分も記憶の片隅に残っていまして、ネットで改めて調べたんですが、この辺りは海女さんの北限地なんですね。驚きました。

こうやって、色々調べてみると面白い発見があるんですけど、お師匠さんも体力仕事ですから、年月を重ねて来ると、寒くて潮の流れが速い海より、穏やかで暖かい南の海が、良かったと言うことでしょう。

そんな風に思いました。

南風潜水治郎 さんのコメント...

高校は青森だったと思います。
親子二代の作業潜水士です。

沖縄出身の連れと(これも師匠)30手前にしてGALを追いかけて南方に!であります。

普通のDivigShopでは覚えられないロープ技、水中危険作業、レスキュー、海難事故捜索・・・・・・・・・裏技等々教えていただきました。
その時代のことは面白すぎて書けません。



それからバリ島行って銀細工を輸入して観光客にボッタくっています。

海仕事なんざ一歩間違えば死んでしまうので、海男達は脳天気な楽天性とスケベ根性の塊であります。

ぐりぐりももんが さんのコメント...

潜水治朗さんへ、

自分がかってに想像して書いた話とは、全然、違ったので、コメントを楽しく読ませていただきました。

ところで、自分はかなづちです。
正直言って、海水浴だって、人生で十回も行っておりません。

北海道の人は、泳げないのが普通なんですよ。
漁師さんも泳がない。
海の中に落ちたら、水温があまりに低いから泳いでもがいたって、体温が低下して五分も立ったら動けなくなる。
しまいには、あの世へおさらばです。

やっぱり、南の海は良いですねー。
そっちの方で仕事を選んだ気持ちが分かるような気がします。

南風潜りん さんのコメント...

しつこくてすいません。

スキューバダイビングは泳げない人のための物でもあります。

先ず、絶対一人では海に入りません。
バディシステムで二人一組が基本だからです。
海は必ずお互いに助け合うってことをここで学びます。

ウエットスーツと空気を出し入れして浮力を確保するBCジャケットを装着します。
絶対に溺れません。
水中で安心して呼吸が出来れば、色取り取りの魚や珊瑚が見えて楽しめます。

私は80歳の御婦人のライセンス所得にお付き合いしました。
最初は怖がってられましたが、好奇心は困難を乗り越える最良のアイテムだと学びました。

肋骨を骨折したGALがどうしても潜りたいと仰るので潜るお手伝いをした経験もあります。


皆さん一端のダイバーになられました。
もちろんスキルがアップしてから色んなシュチェーションを体験していきます。
夜潜るナイトダイビング。
18m以上30mまで潜るディープダイビング。
洞窟、沈潜、潮流の早いドリフト。
自分のスキルに合わせた楽しみがあるんですね。
また、水温が低いところではドライスーツと言って全く濡れないスーツで潜ります。

道産子ダイバーも多く、私も函館の店に手伝いに行った事がありますが。ホッケなど美味そうな魚が多いって言ったら、
”そこが北海道ダイビングショップの売りだべさ”
と笑ってました。

流氷ダイビングはある程度のスキルが要求されますが、楽しいです。

東京湾のよさ。
相模湾のよさ。
佐渡島のよさ。
伊豆のよさ。
潜り人としては何処の海もそれなりの良さがあると思っています。

プーケットは世界有数のダイビングポイントでもあります。
先ず一度体験ダイビングをされてみては如何ですか??と、御節介してすいません。

ぐりぐりももんが さんのコメント...

潜りんさんへ、

なるほど、ダイビングは、泳ぎと違うのかも知れませんね。

こうしてタイに居るのだから、海のことも考えてみようかなー。

考えて見ます。