これから、色々な観光地を案内しようとセットはしてある。
ただ、おとついのスワンナプーム空港に着いたのが、夜の十一時近くだ。だから、昨日はゆっくり休んでもらうことにした。
とは言っても、家の中にじっとしているのも趣味が無い。
お昼ご飯で出かけたついでに、どこかへ出かけようと考えた。
上さんは、高架鉄道のBTSで出かけるのが適当と考えたようだ。
ここプロンポン駅から四つ目のチットロム駅で降りると、いつも人々でごった返すエラワンプームがある。この辺りは、、ラートプラソンという大きな交差点だ。大きなショッピングモールもあるから、見物した後は、買い物でも食事でも立ち寄るのに便利だろう。
そんなことを考えつつ、出かけて行って収録したのが、この動画なのである。
エラワンプームは、とにかく人がごった返していた。
お線香の香りなのか、特有のにおいが鼻をつく 。
煙がもうもうとして、辺りは霞んで見えるような感じだ。
浅草寺のような日本のお寺でも、線香はたかれている。
体に浴びれば無病息災になるとか言って、手で煙を自分に手繰り寄せる人々がいる。ごく普通の光景だけれど、こちらでは誰もそんなことはしない。
ただ、ひたすらに個人個人でお線香を上げ、熱心にお祈りをして祠(ほこら)の神様に何かを拝んでいるだけのようだ。
この祠は、タイ語でプームと言う。
このエラワンでは、ヒンドゥー教の神ブラフマーが祀られていた。
キンキラキンの4面神像は、間違ってお釈迦様には見えない。
タイ人は、大半が仏教徒であると聞いていた。
何ゆえ、庶民はヒンドゥー教の神にご利益を願うのであろう。
不思議でならない。
それで色々と調べてみた。
どうも、こちらの文化はインドの影響を強く受けているらしい。
タイ語の単語の多くが、サンスクリット語やバーリ語など、インド系言語からの借用になっている。国王の正式名称も”ラーマ※世”と言えば、ヒンドゥー名の由来だ。壮大な叙事史劇「ラーマキエン」も、古代インド・バラモン教の大叙事詩「ラーマーヤナ」を拝借して創作された。
それに、タイの仏教は上座仏教で、インドからの南方伝来だ。
経典も、文語のパ-リ語が用いられている。しかも、寺院ではヒンドゥー教のガネーシャ神を祀る場合も多い。本尊はあくまで仏陀なのに、その傍らに象さんの神を祀っているのである。
まあ、仏教もヒンドゥー教も興った場所は、同じインドなのだ。
しかも、仏教の方が歴史が浅いのも事実である。
だから、極端な話で言うと、仏教はその一派だと見なされても、あながち嘘にはならない。
確かに、日本にいてもそう思わざるをえない。
日頃、自分たちもありきたりにたくさんの神様を信心している。
帝釈天、
梵天、
大黒様、
金比羅様、
弁天様、
毘沙門様、などなど、
でも、この神様一行は、ヒンドゥー教伝承で舶来なのであった。
日本には八百万の神がいると言われている。
中には、外人部隊の助っ人までしっかり加わっていたのである。
となれば、恥ずかしながら、日本人はかくも宗教的に節操が無いのかもしれない。
ご利益があると言うのなら、神様、仏様、お稲荷様なのである。
と言うわけで、タイ人が仏教徒なのに、浮気をしてヒンドゥーの神様を拝んで他力本願するのがけしからんなどと、日本人は口が裂けても言ってはいけないのです。ご利益があるのなら、庶民はどんな神様にもすがるものです。タイの人々もそんな気持ちでエラワン様を拝んでいるのだろうと感じた、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)
3 件のコメント:
最近行く機会が減りましたが、バンコクに服の仕入れに行った時に、妻をプラトゥナーム市場に1、2時間一人にして、日本の食材を買いに行く時があります。
BTSでチットロム駅から乗り、ポロンポン駅で降りてフジスーパーに行きます。
私も節操がないのかチットロム駅では思わず立ち止まりエラワンに手を合わせていまする
ドラえもんさんへ、
親会社の常務をプラトゥナーム市場を連れて言ったことがあります。あの迷路の中を歩くのが面白かったようで、何点か服を値切りながら買っていました。この後、バイヨークタワーへ連れて屋上から景色を眺めたのですが、面白体験ツアーのような感じがしました。
それでプームなんですが、自分の会社にもありまして、通勤で車に乗って構内に入ったら、先ずプームに向かって手を合わせて拝むのを日課としております。
では、良いお年をお迎え下さい。
『庶民はどんな神様にもすがるものです。・・』
なるほど、同じ庶民同士、ちょっと親しみを感じます。
今年はぐりぐりももんがさんのおかげで、タイという国がとても身近に感じた年でした。
来年も、ますますご活躍され、よい年になりますようにお祈り致します。
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