しかも、第二次大戦名残の観光名所で、日本は敗戦国の身分。
となれば、ちょっとヘビーな面持ちにはなってしまう。
ただ、天気は晴れ上がって、乾いた空気もあってさわやかだ。
そんな季節が気分をなだめてくれる。
随分と昔の話だし、今は観光のネタだけなんですよ。
今を生きるガイドの本音は、そんなものだろう。
マイペンライ、マイペンライ、と言うことか。
バスに乗り込んだら、五分もせずに次の名所に到着した。
これが、午前中の本命、クワイ川鉄橋見物なのである。
この橋は、はじめ日本軍によって建設された。
タイとミャンマーを結んだ泰緬鉄道(たいめんてつどう)の一部なのだ。と言っても、今は部分的なローカル線が生き残っているに過ぎない。タイ国鉄がささやかに運営する南部線の支線、ナムトック線なのである。
半世紀以上の第二次世界大戦中に作られた鉄路。
もったいない話だが、連合国軍によって一部を残し撤去された。英語名称は Thai-Burma Railway。でも、英語圏ではDeath Railway (死の鉄道)の方が有名だ。
なぜなら、日本軍が連合軍の捕虜をこき使って建設したからだそうだ。有名な映画「戦場にかける橋」は、それをモチーフにしている。あの口笛でメロディーをなぞる主題歌のクワイ川マーチも有名だ。
余計に説明したって始まらない。
旅の記念にもなるだろうと思って、スライドショーも作ってみた。
ところで、あの橋は驚きだが、現役だったと言うことだ。
観光客が気にも止めず、ぞろぞろ歩いて渡る。
だから、記念に残したとつい思ってしまった。
ところが、本当の気動車が通過して行ったのである。
警笛を何度も鳴らされて、観光客は右往左往する。
蜘蛛の子を散らすように橋を渡り切る人もいる。
それがダメならば、退避できる踊り場で通過するのを待つ。
自分たち凸凹夫婦は、退避できる作戦を取った。
通過する車両に乗った乗客が車窓から手を振ってくれる。
とても、楽しい思い出になったのである。
この後、夕方になってナムトック線にも乗ることができた。
本当は、鉄橋見物の後、乗車できる予定だった。
ところが、ガス欠で給油に行ったバスがなかなか戻ってこない。
そうこうする内に、今度は、列車がすでに発車してしまったと言う。
ガイドからは、乗車は後回しにするといわれたがしょうがない。
急遽、スケジュールを組みかえたのだが、ちゃんと乗れたのだからOKとしよう。
そんな分けで、懐かしい堅い木の座席の三等車に座ることもできて、鉄道好きな童心に返って旅を楽しんだ、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)
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