迎えの車は、朝六時半に来ることになっていた。
だから、寝坊しないように目覚ましでちゃんと起きて、準備をする。
アパートを出たのが六時半過ぎ、でも、車は影も形も無かった。
本当に来るのか半信半擬になる。
ほど無くしてミニバスがやって来てほっとした。
運転手のお兄さんが、乗車リストを見ながら名前を確認する。
それが済めば、キティラフトのシール胸ポケットの辺りに貼ってくれた。
観光地で自分の観光客を見分けるのに使うんだろう。
乗り込んだら、すぐに車は走り出す。
スクンビット近辺で、先ずロシア人夫婦を乗せる。
それから、バックパッカーの聖地、カオサン地区に向かった。
そこで、カップル二組を加えて、今度こそ本当の出発だ。
実を言うと、この五日はプミポン国王の誕生日だった。
ミニバスが通過した王宮付近では、祝典の行事があるようだ。
朝の早い内から、行事に参加する人々が、大勢集まっている。
そんなお祝い雰囲気の中、バスはチャオプラヤー川を渡る。
一路カンチャナブリを目指し始めたってことだ。
途中のガソリンスタンドで、おトイレタイム。
コンビニ併設だったから、暇つぶしに店内をうろつく。
紙の皿やら、プラスチックのフォーク・スプーンやらが目に入る。
きっと、行楽地へピクニックで出かける人も多いんだろう。
自分も、プラスチック製コップ二個を十バーツで買った。
凸凹夫婦は、しっかりしているから缶ビールも買い置きしたのだ。
観光地なんて、二倍以上の値段で吹っかけられるからもったいない。
でも、コップまでは持ってこなかった。
缶で飲むより、コップに注いで飲むのも乙なものだろう。
そんな休憩もおわり、バスは一路目的地を目指して突っ走った。
途中のいくつか大きな市街も走馬灯のように過ぎ去ってゆく。
これはと思う、大きな街中に入ったら、それがカンチャナブリだった。
停車した先は、外人墓地。
連合軍の戦没者を埋葬した墓石が、理路整然と美しく並んでいた。
西洋人の見学者・参拝者がひきもきらない。
勝てば官軍だと思う。
ジャングルの中に埋もれたままの日本人遺骨もあるだろう。
野ざらしのまま、拾われず野辺の送りもしてもらえず、朽ちて行く。
戦争の行為は、いかに悲惨なことか。
そして、遺族の人たちの思いが、墓石に刻まれていた。
”彼は死んだのではない。行ってしまったのだ。”
こうして、ちょっと考えさせられる見学から始まった、カンチャナブリ観光なのでした。
(この巻き、終り)
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