2009年12月16日水曜日

ツアーパックでカンチャナブリへいざ出陣の巻き

迎えの車は、朝六時半に来ることになっていた。
だから、寝坊しないように目覚ましでちゃんと起きて、準備をする。
アパートを出たのが六時半過ぎ、でも、車は影も形も無かった。

本当に来るのか半信半擬になる。
ほど無くしてミニバスがやって来てほっとした。
運転手のお兄さんが、乗車リストを見ながら名前を確認する。
それが済めば、キティラフトのシール胸ポケットの辺りに貼ってくれた。

観光地で自分の観光客を見分けるのに使うんだろう。
乗り込んだら、すぐに車は走り出す。

スクンビット近辺で、先ずロシア人夫婦を乗せる。
それから、バックパッカーの聖地、カオサン地区に向かった。
そこで、カップル二組を加えて、今度こそ本当の出発だ。

実を言うと、この五日はプミポン国王の誕生日だった。
ミニバスが通過した王宮付近では、祝典の行事があるようだ。
朝の早い内から、行事に参加する人々が、大勢集まっている。

そんなお祝い雰囲気の中、バスはチャオプラヤー川を渡る。
一路カンチャナブリを目指し始めたってことだ。

※クリックすると大きく見られます。

途中のガソリンスタンドで、おトイレタイム。
コンビニ併設だったから、暇つぶしに店内をうろつく。
紙の皿やら、プラスチックのフォーク・スプーンやらが目に入る。
きっと、行楽地へピクニックで出かける人も多いんだろう。
自分も、プラスチック製コップ二個を十バーツで買った。

凸凹夫婦は、しっかりしているから缶ビールも買い置きしたのだ。
観光地なんて、二倍以上の値段で吹っかけられるからもったいない。
でも、コップまでは持ってこなかった。
缶で飲むより、コップに注いで飲むのも乙なものだろう。

そんな休憩もおわり、バスは一路目的地を目指して突っ走った。
途中のいくつか大きな市街も走馬灯のように過ぎ去ってゆく。
これはと思う、大きな街中に入ったら、それがカンチャナブリだった。

停車した先は、外人墓地。

連合軍の戦没者を埋葬した墓石が、理路整然と美しく並んでいた。
西洋人の見学者・参拝者がひきもきらない。


勝てば官軍だと思う。
ジャングルの中に埋もれたままの日本人遺骨もあるだろう。
野ざらしのまま、拾われず野辺の送りもしてもらえず、朽ちて行く。
戦争の行為は、いかに悲惨なことか。


そして、遺族の人たちの思いが、墓石に刻まれていた。

”彼は死んだのではない。行ってしまったのだ。”

こうして、ちょっと考えさせられる見学から始まった、カンチャナブリ観光なのでした。
(この巻き、終り)

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