今日、ミャンマー大使館へ出かけてきました。
実は来月、商用もあって出張するのです。
隣国なので、ラオスみたいに簡単に入国できるかと思いました。
ところが、かの国は鎖国状態が続いていて、ビザが必要なのが分かりました。
所定の用紙に書き込んで、大使館まで出かけて申請しなくてはなりません。
面倒なことです。
ですが、同行して下さる取引先の商社さんが、代行を申し出てくれました。
助かりました。
それで、自分の写真だけは用意して手渡した上でご厄介になりました。
でも、本人が申請窓口へ出頭しない限り、ビザは出さないと横柄なのです。
鳴く子と地頭には勝てませんから、出向くことにしました。
何かあると行けないから、代書してくれた担当者の方も同行します。
近くて遠い国とは、このことでしょう。
随分と意地悪な話では、ありませんか。
もともと、ミャンマーとタイは、歴史的に不仲です。
かつて、タイのアユタヤ王朝も、当時のビルマ軍の侵攻を受けました。
自分も、宰相まで上り詰めた日本人の”山田長政”を知っていて、親近感があります。
しかし、王朝の首都は、あっけなく陥落しました。
仏像は首を跳ねられ、黄金など貴金属は溶かされたのです。
暴虐の挙げ句に、延べ棒に変わり果て持ち運び去られています。
こんないわくがあるから、感情としても犬猿の仲には違いありません。
話は現代に至っても続きます。
四半世紀前、カレン民族六万人がミャンマーからタイに難を逃れました。
反政府独立運動もあって、政府軍から激しい攻撃を受けたのです。
民族は離れ離れになり、タイで住む人々は難民の扱いを受けています。
随分と、両国の関係は複雑なようです。
ビザ申請の受付でも、窓口では絶対にタイ語を話しません。
理解を拒絶します。
代わりに英語ならば、やり取りをしてくれます。
かつての宗主国で、植民地にされたとは言え、世界の公用語は絶対なのでした。
しかも、費用を払ってもお釣を渡しません。
無いと言うのです。
例えば、マルチビザの代金は、1240バーツと切りの良い数字ではありません。
千バーツに五百バーツの紙幣で払ってしまえば、二百六十バーツは喜捨になる分けです。
どなたが潤うのか知れませんが、その場でルールが作られるのでした。
そんなかんだで、とにかくビザは下りました。
二日後に取りに来るように言われてホッとしました。
ですから、取れてしまえば勝てば官軍なので、これを書いています。
やはり民主化までの道のりは長いのでしょうか。
あの、銃弾に倒れたAFP通信の長井記者のビデオ映像は、未だに脳裏に焼き付いて離れません。
首をはらい、貴金属だけを持ち去った仏徒の心根はいかようなものでしょうか。
と言うわけで、お隣だからと言って、決して同じような気質の人々だとは言えないのかもしれません。そんなことを、この作業を通じて感じた、道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)
おまけ:
この記事は、既に3月中旬に書き上げておりましたが、出張前だと差し障りを感じましたので、公開を控えました。ようやく、この4月4~5日でミャンマー出張を果たしましたので、記事をアップします。
4 件のコメント:
先日はコメントありがとうございました。
ご無事で何よりです。
蚊取り線香に対する北海道の方の感覚が違うので新鮮です。
うちは四国です。
Mayさんへ、
北海道は、亜寒帯気候に属しますので、夏でも冷涼で、北部は8月でも朝で15度を切るのは、珍しくありません。
本州の人であれば、ちょっと暖かい冬の寒さかもしれませんね。
自分の記憶としては、7月末でストーブを炊いた思い出があります。
蚊は、確か18度以上にならないと活動しないと聞いたことがありますので、北海道では藪にでも入ってやぶ蚊に刺されない限り、夏でも刺されることもありません。
そのため、蚊取り線香を求めるお客さんも少なく、田舎の薬局では置いていないか、あったとしてもほこりを被ったような状態で売られています。
四国なら、蚊取り線香はもちろん必要ですよね。理解できます。
出張乙でした。
もう少し後だとソンクランでしたね。
僕も未経験なのですが、あの国は日常抑圧されてるのでソンクランの時はとにかく無礼講でタイのそれよりみんなハジけるそうなのです。
出張記楽しみにしてます。
Overdopeさんへ、
コメントをありがとうございます。
近くて遠い国の関係は、何もこのミャンマーとタイに限ったわけでもありません。
これになぞらえて、われわれも、日韓はもっとも身近な事例でありましょう。もっとも、マスゴミの印象操作によって、関係が良好かのような錯覚を与えられてはおりますが、、、
タイは国交関係が複雑でして、遠い国にあたるのが多いのです。
ミャンマーは難民問題、カンボディアは遺跡領有問題、マレーシアは南部四州のイスラム自治権などです。
ですが、日本人として各国に入ってみれば、人々の対応は異なり、格上に扱って歓待してもらえるのでした。それが不思議なのです。
まあ、タイで暮らして身びいきになって見ているのかもしれませんね。
それで、現地でも水掛祭りの支度が進んでおりましたので、何がしか紹介させていただきます。
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