2009年11月30日月曜日

カポ村で初の日本人出現となってしまったの巻き

年棒13万円の教師にエールを贈りたくて、会社の連中達と工場長の隠れ家を後にした。

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工場長が学校へ寄付の依頼をして来たのは、確か六月の頃だったと思う。リタイアしたら隠遁生活をすると決めた、このナムナオの地元には、農業以外にこれと言ったたつきは見当たらない。都会の人から見れば、本当にシンプルな田舎暮らしなんだが、裏を返せば仕事がそれしかないことになる。

耕作のできそうな平坦な土地は、辺り一面が刈り上げたように開墾されていた。傾斜のきつい山林や、国立公園の保全区域はかろうじて森林が残っているだけだ。乾季だから、収穫の時期も終り、赤茶けた土の耕作地がむき出しのままで、荒れ果てたイメージはぬぐえない。


農家の人も、とうもろこしやキャッサバが金になる作物だと聞けば、我先を争うように山林を開墾して、耕作地に切り替えてしまう。その結果が、このような風景を生み出したのだと思うが、日々の生活が掛かっているから真剣なのは已むを得まい。

そんな景色の中に、カポと言う集落があった。

県道2216号線から外れて、山坂のアップダウンが激しい凸凹道を10キロ以上も駆け抜ける。道は、単に地面をならしただけで、走れば赤い土ぼこりが巻き上がる。対向車が来れば、お互いに脇に寄って譲り合いをしなければならない。雨季ともなれば、ぬかるみにはまってスタックしてしまうのはざらだろう。こんな悪路だから、乗り物に弱い人なら完全に車酔いするはずだ。現に、上さんは、気分が悪くなって車中で激しく嘔吐してしまった。

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こうして、平家の落人部落のような、人里はなれた山奥の集落にようやくたどり着く。川を渡れば、隣のルーイ県に入ってしまうのだ。そんな県境のどん詰まりに、約百世帯ほどの人がこじんまりと住んでいると教えられた。

そこに、エールを贈りたい先生が住んでいる。


ここでは、小中学校の校舎に二年過程の幼稚園クラスが付属していた。現在、85人の学童が登校して来て、それを七人の先生が学年を掛け持ちしながら複式学級で 教えている。廊下に掲出されたクラス編成の告知板を興味を持って眺めていたので、一緒に来た会社の人間がそんな説明をしてくれた。


タイは、日本と同じような義務教育の制度がある。小学校を六年間、中学校を三年間、生徒達が学校へ通うのだ。ただ、このカポには、上級学校にあたる高校はもちろん無い。もし、学業が優秀だったら、生徒達は就学のためにこの故郷を離れなければならない。そして、卒業すれば戻って来ることも無いだろう。高い収入と確実な日々の糧を求めて、バンコクのような都会に働きに出てしまうように感じた。

昔の日本もこんな風だったと思う。現に自分だって、郷里の北海道の大学を卒業して、東京の会社に就職したではないか、そんなことも思い出したりしてみた。


ところで、ひょっとしたら自分はこの村に来た初の日本人では無いだろうか?

遠路はるばるを実感してやってきた場所なのである。余程のつてが無い限り、そう来られるものではない。そこで、校長先生へ、みんなで買ったサッカーボールやらスポーツ用品の寄付をした後で、通訳してもらいながら尋ねてみた。すると、五年前にスポーツの教育関係で台湾人の人が来ただけで、日本人は初めてだと言われてしまった。

うーん、自分が日本人としてこの地を踏んだ始めての人になったのである。手垢の付いていない処女地に踏み込んだわけで、タイにも今更ながら日本人の訪れていない場所があったのだと、ちょっとした感慨に浸ってしまった。

と言うわけで、カポ村の家庭ではモーターバイクも耕運機も所有していたし、子供達の格好もこざっぱりとして、集落自体にそれほどみすぼらしい印象は無かったのでした。こんな田舎へ日本人が初めて出現しようとも、地元に人たちの暮らし向きは確実に向上しているのです。そんな驚きを隠せない、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

★共同作業で、竹筒の中にもち米に入れて蒸したお菓子を作る村の人。後で、お礼として分けていただきました。美味しかった。

★毛布50枚を、お年寄りや子供達のために、寺の住職を通じて寄付をする。体一面に刺青をされていたのですが、色々と社会体験されてから出家された方のようです。

★カポ集落に沿って流れるルーイ川最上流の河原。奇岩だらけですが、雨季になると水量が増して一面が川面になるそうです。

★ルーイ側で見かけたトンボ。日本の八丁トンボのように赤くきれいでした。

★近くのナムリン洞窟:レンジャー部隊の人がいて、洞窟の中を案内してもらいました。立ち入り禁止の地区もあって、かなり奥の深い洞窟のようです。

★従業員の作ったガイヤーン:イーサン出身の男性従業員が、調理して焼いてくれました。これが、本場物なのでしょう。

おまけ:
遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻きシリーズは、ひとまずこれで終了とさせていただきます。ネタは、他にもそれなりにあるのですが、思い出したら取り上げてみる予定です。

2009年11月29日日曜日

遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻き(その三)

工場長がおっ建てたと言うセカンドハウスにたどり着いた。


途中のあるロム・サックの市場で食材を買い求めたせいか、予定より遅くなってしまったが、夜七時過ぎに何とか到着したのである。工場長によると、この辺りはコック・モン集落と言うらしく、ナム・ナオの市街より手前にあって、国道12号の幹線道路からは十五分も掛からない。ここは、24時間体制で看護婦が詰めている診療所が近くにあるので、万が一病気になった時でも安心なのだそうだ。タイ人には珍しく、何事もよく考えてから行動する彼のだけのことはある。(写真は、翌日の早朝に撮影。)

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それで、急病で本格的な治療を受けなければならない時は、近くに総合病院があるのかと聞いてみる。あるにはあるが、多少大きな街中に出ないといけないらしく、一二時間は掛かると答えが返ってきた。やはり、片田舎には違いないと感じてしまうが、それでも半日掛かると言うわけでも無い。電気も水道も通っているから、日常に不便することは無いだろう。むしろ、テレビ局も数チャンネルが受信できるし、携帯電話の電波も通話圏内にあるのだ。

こんな田舎でも、必要最低限の文化生活は、保障されているのである。

つまり、タイのような中進国でも、日本の田舎暮らし並みに追いついていたのだ。この目と耳で見聞して実感したのだから、驚きを隠せない。これまでは、何事に便利な都市圏と、郡部には依然として生活や所得に格差があって、未だに不便な生活を強いられていると、自分は勘違いをしていたことになる。

もちろん、かつてのタクシン政権下では、農村部の様々な貧困を 救済する政策や地方の経済を活性化する政策を推進して来たから、この地域もその恩恵に与った感じがする。他方では、ここ近年、代替燃料のバイオエタノール生産が脚光を浴びていて、原料価格の高騰に目を付けた農民が、金になるとうもろこしやらキャッサバの作付けを拡げようとしているようだ。

※写真は、ゴムの木。とうもろこしの前にブームだった。
収穫できるまでには5年くらい掛かる。

この旅行中でも、なだらかな丘陵地帯の山林を、根こそぎ焼き払って耕作地に変えてしまう強引なやり方を、始終目にして来た。自然破壊が何とも痛ましく、大地が悲痛な声を上げて、助けを求めているような気がしないでも無い。熱帯の気候は、森林の腐葉土が非常に薄く、激しい雨によって簡単に表土が流出してしまう。いったん耕作地に切り替えた土地は、収穫により地味も痩せ表土も流出して、化学肥料を年々大量に投入するような、悪循環に陥ってしまうような気がするのだ。

と言う分けで、そんなことを思いつつもナム・ナオの旅を楽しんだのですが、夜の十時ごろにやっと従業員のみんなが到着しました。テントを張ってキャンプファイヤーをしながら夜遅くまで飲み明かしていましたが、よく体力が保つなと思ったものです。

貧乏社長も、ちょっとはお付き合いをしたのですが、体力が無いし、車酔いした上さんも辛そうだったので、早めに切り上げて寝床に着かせてもらったのでした。

※テントを張ってキャンプファイヤーをする。(翌土曜日の光景)

※工場長が土日に開くコーヒーショップ。
自宅に管理人をおいて店の切盛と農園管理をさせていた。

給料は、月二万円しないとと思う。

※工場長の家に居たネコちゃん。

(この巻き、終り)

おまけ:あと一話で最終です。今しばらく、お付き合い下さい。

2009年11月28日土曜日

土曜日出勤は慣れないと辛いのだの巻き

11月は、さわやかな乾季の始まる月だ。

そんな週末は、どこかに遠出でもして観光気分で一夜をノンビリ明かしたくなってくる。しかし、現実は厳しいのであった。今月最後の土曜日だと言うのに、しっかり出勤して働かなければならない。本来なら、当社は週休二日制を採用していて、タイの国内企業にあっては恵まれた労働環境を従業員に提供しているのだ。

それでも、こうして工場に出かけてきた。そして、今、この記事を仕事の合間を見ては書いている。

もしカレンダーどおりに働くのなら、今月も土曜日はしっかり休めるはずだった。何ゆえに、今月は振り替えの土曜出勤日が集中してしまったかと言えば、年末年始の連続休暇を従業員が希望したからなのである。大元の勤務日程から言ば、12月最後の週は三日間を働く必要がある。そして、31日の大晦日から翌年の3日の日曜までを西洋暦で言うところ新年休暇にする段取りだった。

ところが、従業員は地方出身者も多くて、郷里に帰省するには休暇の余裕が余りに少ない。南はサムイ島から北はピサヌルーク、東北はガラシンまで、津々浦々に故郷を目指して帰って行くのだ。移動に往復で二日を掛けるとなると、残りはたったの二日だ。それで、この28日の月曜から30日の水曜までの出勤日を休みにしたがったのである。26日の土曜日から連続すれば、九日間の超大型連続休暇に生まれ変わり、実質一週間を故郷でくつろげると言うことになる。


と言うわけで、この三日間を確保するために、10月31日、11月14日と28日の各々土曜日を、社長として承認した分けである。それで、今考えてみて思いつくことが一つあった。出来上がった来年の就業カレンダーを眺めながら、来年の12月は27日から30日まで勤務する日程になっているのだ。となると、来年は四日間も振替の出勤日を考える必要が出てくる。

もし、年末を前にして、あわてて10月辺りから振り替え出勤日を考えだせば、下手をすれば11月は毎土曜日を働かなくてはならない。そんな、変則労働は週休二日に慣れてしまった体となれば、生活のリズムに変調を来たしてしまい、思うような仕事もできなくなるだろう。

これは安易に考えてはいかん。

今から対策の検討を指示する必要があるのだ。例えば、土日を含めて三連休が続けば、次の土曜日は出勤日としても、従業員にはそれほど負担にはならないだろうし、それが連続することもない。この考えで行けば、3月6日、5月10日、7月31日、10月30日とちょうど四日間が割り振れるので好都合かもしれない。

しかしながら、例年なら年末は結構生産が集中するので、それを振替出勤日でまかなって来た傾向も否めない。

と言うわけで、来年は行き当たりばったりでなくて、もっと計画的に振り替え出勤日の割り振りを指示しなくてはいけないと悟った、貧乏社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2009年11月25日水曜日

モン君、金メダルに向かって飛び立つの巻き

はっきり言って、ミャンマーと言う国はタイにとって迷惑千万な隣国なのかもしれない。

ミャンマー難民がタイに流入してすでに四半世紀が過ぎた。現在、タイ国内には国境付近に九つの難民キャンプが設けられていて、約14万人の難民が生活していると言う。政府軍と少数民族の間で起きた紛争や、ミャンマー国内の圧政・人権侵害・迫害が原因で命からがら逃げ出した人々が、母国に帰る保証も無く、貧しい暮らしを送っていることになる。

”モン君、団体競技で金メダルに着地
モン・ソンディー君は、チェンマイ県選出の国籍の
無いタイ代表だが、日本で行われた紙飛行機の
国際的な飛行大会の団体競技で、チャンピオン
として浮かび上がった。


このモン君も、ちゃんとタイ国籍を持っていたのなら、これほど有名にならなかっただろう。地元の紙飛行機大会で優勝したご褒美として、日本の国際大会に招待されて出場したぐらいの埋め草記事程度にしかならなかったはずだ。

モン・ソンディー君、12歳は、昨日帰国したところで、
日本紙飛行機コンテストで獲得した金メダルを見せ
ながら、父、母、妹からスワンナプーム空港でキスを
受けました。
祝福に駆けつけた中には、科学技術庁大臣も居り、大臣は
科学方面の奨学金を授与する予定です。


ところが、両親がミャンマー少数民族のシャン族で無国籍なことから、この少年は時の人に昇華してしまった。

つまり、少年はタイ人ではないのである。当然、パスポートを取得する資格も無いから、国外へ出ることも許されない。そうなると、せっかく優勝しても日本へ旅立つことができなくて、大会参加をあきらめざるを得ないような雰囲気で話が進んでいた。

しかしだ。

タイ政府は、突然、特例措置で臨時旅券を発給したのである。アピシット政権は、連立与党の不安定な政権で支持基盤勢力が脆弱だ。何かに付けて大衆に迎合しようとして、手当たり次第に下策を出すのも、いかがなものかと思うのである。

その結果、本人が紙飛行機の滞空時間を競う日本大会で団体優勝したのは讃えたいところだ。だが、少年の対処自体に当たっては、厳然たる法的判断があっても止むを得なかったのではないかと思っている。

実を言わしてもらえば、日本の民主党政権もこれに負けず劣らず、太鼓持ちではないだろうか。

これに似たような恣意的な超法規的措置を下した千葉法務大臣は、狂気の沙汰の外道であろう。残留孤児の子孫と偽って入国し、裁判の結果、国外退去が確定した両親の子供に、かわいそうだぐらいの気持ちで、ためらいも無く在留特別許可を出したからだ。

実際に、姉妹達は退去命令取消し請求の訴訟で争って敗訴が確定していたのだ。裁きを無視して在留を特例で認めるなど、法務大臣の器量ではない。特定外国人に治外法権を許し認めた思想的凶状持ちと言って過言ではない。

と言うわけで、タイのモン君は紙飛行機の明るい話題で和んだのですが、日本の方は、これからどんどん変な方向に進んでしまうのではないかと恐れを抱く貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:この記事は、”バンコクポストで見る今日のタイ”として書くつもりでしたが、原稿量が多くなったので、独立させました。

★キャプション原文
(写真一枚目)
Mong lands gold in team event
MongThongdee, a stateless child from Chiang Mai province representing Thailand in an international paper airplane flying contest in Japan, yesterday emerged the champion in the team event.

(写真二枚目)
Mong Thongdee, 12, shows the medals he won at the Japanese paper airplane contest as he is kissed by his mother, father and sister at Suvamabhumi airport upon his return yesterday. Among the well-wishers was Science and Technology Minister Khunying Kalaya Sophonpanich, whose ministry will grant him a science scholarship.

2009年11月24日火曜日

遠い遠いナム・ナオを目指した旅の巻き(その二)

そう言えば、ナム・ナオに入る手前のロム・サックと言う少し大きな町で買い物をした。

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大きな市場があるから買い物には好都合なんだと、工場長が運転しながら話してくれる。地図を見ながら、そろそろ右折して国道12号線に入るはずだと思っていたら、交差点をそのまま突っ切ってしまった。程なくして、ロム・サックの市街に入ったのだが、街の雰囲気が田舎の地方都市と言った感じで、たくさんの人が往来していてもの凄くにぎわっている。

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マイカーで乗り付けられるほど人々の所得は未だ高くない感じもする。その代わりに、バイクで乗り付ける人はわんさかいるし、人力車の座席をくっ付けたバイク改造の輪タクも見かけた。バンコクだったらトゥクトゥクなんだけど、ここはちょっと違う。

しかも、ジュースのビンにガソリンを詰めて売っているスタンドのおばさんを見かけたときはびっくりした。最初は、何てどぎつい真っ赤なシロップを売っているのかと物珍しそうに見ていたんだが、工場長の方から”これはガソリンだよ”と教えてもらったのである。街中にはちゃんとした給油所が無いような感じなので、ガス欠のバイクに売るには格好の商売なのかもしれない。

それで、金魚の糞みたいに上さんと一緒に工場長の後を追っかけて、アーケードの市場に入ってみた。明日はバーベキューだから、いろいろ食材を準備する必要があるとか言って買い物を始めたんだが、中々に市場の雰囲気が面白かったので、撮影したデータで説明をしてみる。論より証拠で下手な説明より、実際の写真の方が分かりやすいだろう。

★市場の風景

雨よけのフードが張り出されていて、いかにも市場らしい雰囲気が漂っている。二枚目の写真を見ると、後ろの方でお姉さんが二人してVサインを出して、アングルに納まっていた。撮影した時は気が付かなかったんだけど、変な日本人がうろちょろして撮影していて面白いと思ったのだろう。いやがらずに相手をしてくれるのがうれしい。

★魚ペースト屋さん
これはなんと言ったら良いのか分からないが、食べてみれば魚のペーストには違いなかった。あまり生臭さは無くて、野菜と一緒に食べたり他のおかずと付け合せたりして食べると、食味が増して美味しかったのである。

★腸詰ソーセージ

その晩のおかずを未だ買っていなかったので、ソーセージを買ってもらった。もち米を詰めて蒸したソーセージをなんと言うのか分からんだのが、まことにおいしかった。

★活魚販売もあった!
ついこの間、カルフールの鮮魚コーナーで見かける魚の記事を書いたのだが、ここで遂に活魚のテラピアに遭遇することになった。コメントで教えてもらったとおり、これはプラー・タップティムかと聞いたら、そうだと応えてくれたので、金魚のテラピアで間違い無しと言うことだろう。手前の魚はひれの感じからしてライ魚かもしれない。

★締めはデザートでしょ!!

この青果店は、飾りつけも良くて果物を美味しそうに並べてあるので、気に入ってしまいシャッターを押した。ここまで、工夫されると中々商売に年季が入っていると感心してしまう。

そんな分けで、ロム・サックの市場は、地元の人たちで賑わいを見せていたのですが、こんな寄り道も、また乙なものかと思った貧乏社長なのでした。
(この巻き、終り)