バンコクは大都会なはずだ。しかし、熱帯の気候は生きとし生けるものの生命を豊かに育んでくれる。雨季の真っ盛りともなれば、カエル君達の大合唱がどこからとなく始まりだすのだ。まさに、一夜の自然音楽会と言っていいだろう。カエル君たちの張り切りようは、この上も無い。
二階からバケツをひっくり返したように、ドンドコドンと雷様が太鼓を打ち鳴らしながら、ザザーッと降らせてくれるスコールは、天の恵みなのだろう。なぜかといえば、両生類には、適度なお湿りが必要だからだ。肺で呼吸しながら、皮膚でも呼吸するから、湿り気がどうしても必要になってしまう。毎日、必ず一回は訪れるどしゃ降りのおかげで、彼らも有頂天になって歓喜のあまり、コーラスを始めてしまうのだろう。
そうやって、一千万人の住む大都会バンコクで、カエル君たちはたくましく生きているのである。
この街は、人工的に島を無理やりこさえてできた都市から始まったらしい。チャオプラヤー川の運んできた土砂が堆積してできたデルタ(三角州)地帯に造作されたのだから、水との付き合いは切っても切れない。水路が縦横無尽に張り巡らされ、手漕ぎ舟がせわしなく行きかう水上の都、まさに昔は”東洋のベニス”と呼ばれたほどの街だ。だから、カエル君たちものんびり気楽に暮らして来られたと思う。
しかるに、今やバンコクは運河もほとんどが埋め立てられ、それがそっくり道路に変わってしまった。クルマ社会の便利な都市に変貌を遂げてしまって、さぞや、カエル君たちも不便な生活を強いられているのだろう。だから、雨が降るとあんなにいとおしく、声も割れんばかりに合唱を始めるのかもしれない。
そんな思いをめぐらせながら、バンコクは東京なんかに比べても、まだまだ自然が豊かに残っているのだなーと感じてしまった分けである。
それで、どういうわけなのか、子供時分に演芸番組で良く見た、漫才コンビ”青空球児・好児”を思い出してしまった。このコンビといえば、良くも悪しくもゲロゲーロのワンパターン蛙ネタしか思い浮かばないのだが、それだけ、芸のインパクトが強かったと言うことだろう。
「こっちでオスガエルがゲロゲーロ」、「こっちでメスガエルがゲロゲロ」、「何千、何万というカエルが鳴いてんだよ」。これに対して、「メスガエルは鳴かねえんだよ」というのがオチだったと思う。
見ている人は、またかと思うのだが、ダミ声の球児が一生懸命に汗を掻き掻き、不条理なまでに説明するのが、余りにくだらなくておかしさを誘ってしまう。好児は好児で、相手を気遣うそぶりも見せずに、平然と無理な合いの手を打って来る分けで、球児は体力の限界点に近づいてへとへとでしどろもどろになった辺りで、”メスは泣かない”と奈落に落す。
そんなギャフンと言わせるオチが仕掛けられているのは、とても面白かったのだ。
と言うわけで、五十年も生きてくると記憶があらぬところでつながり呼び覚まされて、一人で笑ってしまう貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終り)
おまけ:カエルネタは、他に書きたいことがあったのですが、変化球で青空球児・好児まで飛んでしまいました。また改めて取り上げさせてもらいます。
二階からバケツをひっくり返したように、ドンドコドンと雷様が太鼓を打ち鳴らしながら、ザザーッと降らせてくれるスコールは、天の恵みなのだろう。なぜかといえば、両生類には、適度なお湿りが必要だからだ。肺で呼吸しながら、皮膚でも呼吸するから、湿り気がどうしても必要になってしまう。毎日、必ず一回は訪れるどしゃ降りのおかげで、彼らも有頂天になって歓喜のあまり、コーラスを始めてしまうのだろう。
そうやって、一千万人の住む大都会バンコクで、カエル君たちはたくましく生きているのである。
この街は、人工的に島を無理やりこさえてできた都市から始まったらしい。チャオプラヤー川の運んできた土砂が堆積してできたデルタ(三角州)地帯に造作されたのだから、水との付き合いは切っても切れない。水路が縦横無尽に張り巡らされ、手漕ぎ舟がせわしなく行きかう水上の都、まさに昔は”東洋のベニス”と呼ばれたほどの街だ。だから、カエル君たちものんびり気楽に暮らして来られたと思う。
しかるに、今やバンコクは運河もほとんどが埋め立てられ、それがそっくり道路に変わってしまった。クルマ社会の便利な都市に変貌を遂げてしまって、さぞや、カエル君たちも不便な生活を強いられているのだろう。だから、雨が降るとあんなにいとおしく、声も割れんばかりに合唱を始めるのかもしれない。
そんな思いをめぐらせながら、バンコクは東京なんかに比べても、まだまだ自然が豊かに残っているのだなーと感じてしまった分けである。
それで、どういうわけなのか、子供時分に演芸番組で良く見た、漫才コンビ”青空球児・好児”を思い出してしまった。このコンビといえば、良くも悪しくもゲロゲーロのワンパターン蛙ネタしか思い浮かばないのだが、それだけ、芸のインパクトが強かったと言うことだろう。
「こっちでオスガエルがゲロゲーロ」、「こっちでメスガエルがゲロゲロ」、「何千、何万というカエルが鳴いてんだよ」。これに対して、「メスガエルは鳴かねえんだよ」というのがオチだったと思う。
見ている人は、またかと思うのだが、ダミ声の球児が一生懸命に汗を掻き掻き、不条理なまでに説明するのが、余りにくだらなくておかしさを誘ってしまう。好児は好児で、相手を気遣うそぶりも見せずに、平然と無理な合いの手を打って来る分けで、球児は体力の限界点に近づいてへとへとでしどろもどろになった辺りで、”メスは泣かない”と奈落に落す。
そんなギャフンと言わせるオチが仕掛けられているのは、とても面白かったのだ。
と言うわけで、五十年も生きてくると記憶があらぬところでつながり呼び覚まされて、一人で笑ってしまう貧乏社長なのでありました。
(この巻き、終り)
おまけ:カエルネタは、他に書きたいことがあったのですが、変化球で青空球児・好児まで飛んでしまいました。また改めて取り上げさせてもらいます。
2 件のコメント:
ゲロゲーロの話、楽しく拝見しました。
好児の鼻の穴はソケットと言われていましたね。(笑)
バンコクでも蛙は鳴いているんですね。
ルーイの田舎はすごいですよ。
蛙の鳴き声もすごいですが、雨が降った後は頭に懐中電灯をつけて蛙取りをする人が大勢います。
翌日は市場に並んでいるんでしょうね。
ドラえもんさんへ、
このかえる君ネタは、田鶏料理もあるし、女優のゴップさんもあるし、木彫り民芸品のネタとか日タイことわざ比較とかもあったりして、話題に事欠かないのですが、どういうわけか初っ端は、球児好児になってしまいました。
そう言えば、漢字変換で球児は、一発目の変換リストに出てくるんです。そんなに有名なのか?、親が良く名づける名前なのかは、今一不明です。
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