2010年5月31日月曜日

バスに乗る駐在社長で悪いかよと、凄んでみたいの巻き

クレット島って、前から行って見たいと思っていました。

※左クリックで大きくしてご覧下さい。

その島は、海に浮かんでいません。
首都バンコクを流れるチャオプラヤー川の中州みたいな島です。
しかも、かつては地続きになっていました。

クレットの意味は、「小川をつなぐ運河」と言う意味だそうです。
島は、およそ三百年前まで地続きでした。
当時は、川がコの字みたいにここで大きく蛇行していたのです。
それで、船の時間の節約もあって、川に近道の運河を造りました。
だから、出っ張っていた土地は切り離されてしまった。


年々、運河は整備されて、川幅も拡がります。
こうして、向こう岸は、次第に遠ざかっていきました。
つまり、この土地は人の手によって島へ生まれ変わったのです。

それが、今あるクレット島なんですね。

しかも、住民の多くがモン族を祖先にしています。
ちょっと、タイの人とは違ってエキゾチックなのかもしれません。
それで、地元のバンコクっ子にとっても、お気軽な行楽地になっています。

それで、この島モドキは、所在がバンコクにないのですよ。
隣はノンタブリー県のパーククレット郡にある島なのです。
だから、バンコクの中心部からたどり着くには、結構時間がかかります。

ですが、この28日の仏誕節の祝日を利用して、出陣して参りました。

前々から、訪ねてみたかったのも事実です。
こちらの日本人向けミニコミ誌で、結構紹介されていました。
川の中にある島という観光地が、珍しいんでしょう。

でも、行き当たりばったりで行くには、バスぐらいしかなさそうです。

日本人向けに出された「バンコクバス路線図」を引っ張り出してきました。
にらめっこしながら、路線を選んでみます。
結局、BTSのラチャテウイー駅から、ペチャブリ通りのバス停に出て、そこからエアコンバス505番に乗ることにしました。

ところがです。

当日、そのバス停で三十分以上待っても、バスが来ないんですね。
日陰はないし、朝から晴れ渡っていて、日差しが強くて汗ダクダクです。
良くあるんですよ。
バス路線を通知もせずに中止したり、経路をかってに変更するのは日常茶飯事です。

ここは、タイ人の乗りで気にせずマイペンライで行きましょう。

何回か小分けで乗り換えていけばよいだけです。
幸いなことに、バス路線図は持って来ました。
あーでもない、こーでもないとその場で作戦会議です。

結局、16番のバスに乗って、チャオプラヤー川に並行するサムセン通りまで出ました。
後は、ここから32番に乗り換えて、終点のパーククレットを目指しました。

最近は、エアコンバスが増えたので、乗れば楽チンで天国ですよ。
ただ、行き先を告げて料金を払うのが難儀ですね。
持っていた地図で地名を見せたりして、無理やり理解させてしまいます。

中には乗客で英語の出来る人もいて、”ここはどこだ”とか教えてくれます。
路線バスとしては、結構な下町を走っていましたから、乗ってくる日本人が物珍しかったのでしょう。
地元の人の親切さにも触れて、面白いバスの旅になりました。

ようやく、クレット島近くの停留所に着きました。

いやはや、バスに乗ってから、二時間以上も掛かっています。
結局、渡し舟で島に渡って、滞在したのはわずか一時間半でした。


あんまり、見るもんがなかったんですよ。
せいぜい、土産物屋さんの長い小路をぷらぷら歩くか、お寺巡りをするくらいです。
そんなに特色のある観光地でもなくて、一度訪ねておけば良いでしょう。

と言うことで、帰りはビクトリーモニュメントと英語で書かれた高速道路経由のバス166番に乗って戻りました。
わずか二十分の乗車時間ですよ。
往路に掛かった二時間以上は、一体何だったのでしょうか。
そんな感慨にも浸りながら、小さな旅を思い返す道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

2010年5月30日日曜日

入管へ通って、明日が三回目に成りますの巻き

別にお上から睨まれるようなことは、一切していないんです。

ですが、自分たちを管轄する入国管理事務所が、転々としたみたいです。
どこにあるのか、ハッキリしなかった。
これがために、かなり振り回されました。

自分たち夫婦は、タイにおいては異国の人です。
一年に一回、滞在許可は必ず延長しておかねばなりません。
昨年は、サトーン地区のソイ・スアンプルーにある旧事務所に出かけました。
ただ、この時もトラブルが起きました。
申請書類が更新されていて、差し替えを余儀なくされたのです。

ですから、本人出頭の義務付けもあって、確か二回通いました。
でも、住んでいるスクンビット地区からは、まだ近くて苦にならなかった。
まあ、取れてしまえば一年間はお付き合いが無くなるわけです。

難儀だったことも、すっかり忘れてしまいました。
その内に、入管の事務所は昨年10月頃に引っ越しています。
何でも、ドンムァン空港近くのチェーンワタナ通りに移ったと聞きました。
しかも、どでかい政府合同庁舎の中に移ったようです。


それじゃ、今年はそこへ出かければよいのだ。
そういう風に考え付くのは至極当然なことですよ。
担当の総務課長も、そんな風に考えて手続きを進めてくれました。

確か、反政府運動の赤シャツ隊が暴虐を尽くす前の週でした。

上さんも総務課長と一緒に出向きます。
それで、長い待ち時間の挙句に、ようやく担当事務官に会いました。
提出した書類を開こうともしない。
総務課長に何か説明しているのですが、やり取りが変です。

ソーリー。

にこりとしながら、説明の締めがそんな言葉でした。
ごめんなさいって、何を意味するのだ。
総務課長に聞くと、こう言う顛末でした。

就業している外国人は、会社所在地を管轄する移民部(バンコク・地方県)が担当する。
そこで、滞在許可延長の手続きを行わねばならない。
つまり、工場のあるパトンタニ県の事務所へ行かねばなりません。

バンコクに住所があったとしても、新しい庁舎は受け付けないのです。
でも、今、思い返しますと、去年から伏線はあったのかもしれません。
パトンタニ県の管轄部署が別にあり、上の階だと案内されたのを覚えています。
今までは勤務地がパトンタニ県でも、バンコクの事務所が代行していたってことでしょうか。

結論はそうなんですが、総務課長は珍しく怒りが爆発しました。
タイ人が我慢できずに感情を表に出すのは、よほど稀なことです。
当たり前かもしれません。
何時から、行政の区分変更が実施されたのか、通知がハッキリしていないからです。

※左クリックで拡大してご覧下さい。

しかし、かんしゃくを爆発させてもいたし方ありません。
あきらめて、速攻でパトンタニ県の入管へ振出しです。
それで行った場所は、超ローカルな事務所でした。
いやー、タイムスリップしました。
あの、超近代的な合同庁舎が一変して、二階建ての家屋です。


とにかく、行けただけでも喜びましょう。
後は、所得税の支払い領収書が不足しても、法人税の支払い証書に不備があっても怒りません。
淡々と出頭するだけです。
なるようにしかならないのだ、これは典型的なマーフィーの法則発動なのでした。

と言うわけで、毎年毎年、一発で手続きがすまないこともありまして、「申請のポイント」みたいなマニュアルでもつくったらどうかと、アドバイスしておきました。
来年も居れたら、役に立つかもしれません。
ですが、そろそろ後任の人にマニュアルは役立ててもらった方が、良いような気もする道産子社長なのでした。
(この巻き、終わり)

死んでもデータはネットを駆け巡り続けるのだろうの巻き

タイに戻ったのは、四月末のことでした。
日本からタイに戻る機内は、実に退屈な時間です。
六時間以上も、我慢しなければならない。
しかも、エコノミーだから座席が窮屈なこと、この上ありません。

時間つぶしが必要なのだ。
しょうがないから、週刊誌を買ってみました。
買ったのは週刊「現代」。
見出しが踊ってますよ。

”解散総選挙、全議席完全予測”

しかも、衆参同時選挙でストーリーが展開していました。
こんな記事を書かれるのも、ルーピー鳩山の真骨頂と言ったところですね。
これは、はったり、ガセネタでも読まねば損です。
思わず、買ってしまいました。

それで、それ以外の記事は全く気づかなかったんです。
でも、家に帰って、もう一度開いて驚きました。
女優の杉田かおるさんが、ヘアヌードでグラビアに挑戦しています。
うーん、45歳だよ。
上さんと同じ世代だ。

でも、彼女と言えば、チーちゃんですよ。
石立鉄男がお父さん役をしていたテレビドラマが懐かしい。
頭から突き抜けるようなキンキン声で、「チーちゃん~」と泣きを入れるのでした。


確か、テレビドラマ『パパと呼ばないで』に出演してたんですよね。
天才子役といわれてました。
これが、七歳とは思えなくらい、泣かせるんですよね。
自分も、中学生の頃でテレビっ子でしたから、良く見ていました。

その後、ぱったりテレビで顔を見せなくなったと思ったら、脱いでいました。
確か、写真家の篠山起信が、彼女をヌード撮影しています。
小学館のGOROと言う雑誌でした。

※グーグルでセーフサーチのフィルタリングを外して検索してください。

この雑誌は、恥ずかしながら自分も良く買っていました。
だって、巻頭に、美少女シリーズのヌードグラビアが付いていましたもの。
欲望の渇きに耐えられなかったのですよ。
まあ、これが青春だったと思って許してもらいたいところです。

それに風の噂では、「3年B組金八先生」にも出ていたみたい。
妊娠する中学生を演じて再び話題を集めたようです。
この頃は彼女をほとんど見ていません。
学生時代で、テレビに全く興味を無くしていたせいもあります。

それでもって、かおるさんは、人生で三回スッポンポンになっていますね。
17歳、35歳、45歳と三段とびです。
でも、どんなにダイエットしたって無理です。
年を取れば、贅肉ってのは付くもんですよ。
私と変わんないわよって、上さんが勝利宣言をしていました。

でも、どうして女性はいとも簡単に脱ぐのだろうと思いました。
やっぱり、金銭問題があって、脱げばたんまりお給金をもらえるからでしょうか。
それとも、自己顕示の表れでしょうか。

男にとっては、そこのところがよく分からないのですよ。
まあ、求める男性諸君も多いことは事実です。
ここは、需要と供給のバランスが取れているとして、納得するしかない。

そこで、ちょっと悲しい話を紹介したいと思います。

アメリカに芸名がマチルダさんと言う、ヌード専門のモデルさんが居ました。、
グーグルで”Matilda atk”と入力して探してみてください。
いとも簡単にヌード写真が見つかってきます。


でも、彼女はもうこの世に居ない。
ボーイフレンドと一緒に、殺人事件に巻き込まれてしまいました。

 ※URLから読む時は、こちらを。

かれこれ、二年近く前のことになります。
そして、データだけがネットをさまよい続けているのですよ。
まるで、亡霊のようにです。

と言うわけで、この女性は、本名をメリンダ・コトキンスさんと言うのでした。
杉田かおるさんのデータも、このマチルダさんと同じように、若い時の瞬間が切り取られ時間が止まったように、データの次元で存在し続けていくのだろうか。
そんな、不思議な感慨に満たされた道産子社長なのでした。
(この巻き、終り)

おまけ:
(1)私の場合、マチルダさんと言えば、起動戦士ガンダムに登場する中尉がもっとも身近でした。「兵站は戦争という破壊の中で、唯一建設的な仕事だから」という有名なセリフを残しながら、戦場で散ってしまった、あの地球連邦軍補給部隊隊長のマチルダ中尉です。

(2)ヌード愛好家が、マジになって書いたコメント(翻訳サイトで訳してお読み下さい。)
I would suggest that this thread be retired as a mark of respect.

I heard in "Law and Order" that once an image is on the internet, the image is never disapearing. I'm quite agree with this point of view. Whatever are the tragic sircumstances of her death, nobody would remove her photos of ist PC and few persons would care if she's dead or not (this may cause problems for giving themselves pleasure I think). I'm not there to appreciate art, but to see bodies like everyone.

This is it. Porn is existing and she decided to do some. Models needs money, photographers are shooting to pay the rent and ATK sells photos for part of the same reasons.

The saddest thing is for the family. Of course like her father said, she did her stuff, but this wasn't what a father could expect of a daugther even in her private life.

She certainely only wanted to show to the world how beautiful and desirable she was, and she WAS.

Porn is not a great family. Everyone wants fresh flesh every day. I think we should rather remove this news and her real name from this post and let her family in peace and keep on wanking on her photos (sorry for this term but couldn't find something else) rather than trying to erase completely her photos.

Best regards.

2010年5月29日土曜日

クメール・ルージュ日本支部代表は、垢末非賂蛇蚊だったの巻き

不信任決議を出されてもしようが無いんじゃないの。
宮崎県畜産農家の痛みを理解できない、赤い人民民主義のエリートさんの真骨頂です。
要するに血の粛清が、好きで好きでたまらんのでしょう。
日本破壊工作は、あなたが一手に握っております。


山形の温泉の外国人おかみ・藤ジニーさんのその後について教えて下さいの巻き

私は、サービスの意味合いを考えるときがあります。
日本には美しい言葉がありました。
”おもてなし”の言葉には、美しい響きが伴います。

この言葉には、細やかな気遣いがこもっているはずです。
これは、お金には換えられない。

タイにも、リゾートはたくさんあります。
サービスを楽しむのに、選ぶ苦労は不要です。
でも、対投資効果なんですよ。
つまり、金次第で得られるのかもしれません。

タイは、物価が安い。
日本に比べれば、数分の一でしょう。
サービスを受けようと思えば、お手軽です。
札束でほっぺたを叩くようなものだ。

だから、そこに”おもてなし”はありません。
金を払う対価としての、単純なるサービスです。
相手もやって上げる程度で、心がこもっていないのです。

そこで、日本に戻りましょう。
日本の観光地といえば、やはり温泉街です。
九州の湯布院みたいな、リゾート感覚の高級な場所もあります。

でも、日本人は、限られた制約条件(お金)の中で、楽しみを見出すことに喜びを感じていないでしょうか。

それを、もてなしと言うのであれば、ひなびた温泉宿であっても日本人は以外に満足するものです。
そこで、話しは山形県の銀山温泉になります。
ここには、藤屋という小さな旅館がありました。

今もありますが、それは抜け殻になってしまいました。
ジニーさんというカリフォルニアから来たお上さんは、もういないのです。
彼女が切り盛りした旅館だけが、未だに未練に残っています。


テレビにも取材されて話題になったし、CMに出て山形弁の日本語が印象的でした。
でも、宿は今風のデザインで改装しました。
費用を回収したかったのでしょう。
一泊三万円から五万円と宿泊料が跳ね上がりました。
馴染みの湯治客達は、泊まることすらできなくなったのです。

そして、ジニーさんは二人の子どもを連れて祖国へ旅立ちました。

今、彼女は離婚を希望されておられるとのことです。
お上の反対を押し切って、旦那さんは満足したのでしょうか。
残念ですが、もてなしの意義を取り違えたケースのように感じました。

本当なら、伝統の意義を加えてまごころを目指すべきだったのでしょう。
結局は、ジニーさんは”おしん”ではなかった。
そして、藤屋も商いが傾いてしまいました。

そんなことを、バンコクでふと思い出した道産子社長なのでした。
(この巻き、おわり)

おまけ:ポアされるべきは、あんただよ、、、