2009年6月21日日曜日

年棒13万円の教師に贈るエールの巻き

工場長が社長室に入って来た。寄付してもらえないかと言う。何の寄付だか分からんが、先ず話を聞いてみる。

彼は、貧乏社長とあまり年嵩が離れていないのだが、妙に老成したところがある。未だ先が長いのに、リタイアしたら田舎暮らしを計画していて、農業のできる土地を前以って購入しているらしい。その時が来れば、自然と一緒に暮らせる生活を始めたいと、酒を飲んだときに話しを聞かされて来た。その農園は、かなり辺鄙な田舎にあるらしくて、人々の暮らし自体も質素で貧しいようだ。


まあ、彼自身もイーサン(東北部)の出身だから、その近くに里帰りしたいというのは理解できる。ただ、何処にその農園があるのかはこれまで詳しく聞いたことも無かった。色々聞いたが、バンコクから車を運転すると五百キロ以上もの道程になり、優に8時間くらいはかかる。しかも、途中からは未舗装のダート道を9キロも走ってやっとこさ現地へたどり着くのだと言う。


山村の名は、ハウイカポ(HAUY KAPO)と言い、タイ中部のペチャブン県北部にある。さしたる観光地も少ないせいか、タイ在住の日本人もあまり知らないだろう。


それで、この海抜500メーターにある片田舎の山村が、小学校を運営できないほど、村自体が財政難にあえいでいると言うのだ。小学校は村人達が助け合って建てたものの、資金が底を付いて小学校の先生を招聘できない事情がある。


工場長によると、所得税がその倍額で控除できるとか節税になるとか何とか言ったが、そんな理由はあんまり当てにしなかった。工場長は農園に管理人を置いているとはいえ、不在地主なので、村の住民達とは日ごろの接触も深くない。
折に触れて、有形無形の支援を申し出ながら、住民達との交流を深めておけば、老後の田舎暮らしを友好的に始められると判断したのだろう。だから、小学校の先生を雇う資金援助を、彼一人では負担も大きいので、色々な人々に呼びかけたのだと、貧乏社長は判断した。

これが、彼の本当の目的だろう。

ただ、これには別の説明もある。タイの人たちは、金額の多寡はあってもお布施を申し出るのが普通だ。仏教に深く帰依している国民だから、善行を積み重ねる目的で、タンブンと言う喜捨・寄進を誰しもがする。これは、仏教の教えで徳を積む行為につながるので、それを重ねるほど良い来世が迎えらえると信じられている。だから、工場長も日頃の信心から我々に協力を願い出たのだろう。

貧乏社長も、即座に良いよと言って、千バーツを手渡した。

結局、何だかんだと言いながら会社からも寄付したし、村人のかき集めた金額もかなりの額になって、九万バーツが集まった。これで、先生二人が一年間雇えることになる。一人四万五千バーツの年棒、日本円なら僅か十三万円にしかならない。我々の金銭感覚から言えば端金だが、現金収入の少ないタイ郡部の農村ともなれば、大金だ。


タイという国は、未だ貧しいのだ。

バンコクと言う都会に住んで、日本人の給与水準とその金銭感覚で生きてしまえば、貧しさより豊かさを享受することは絶対に可能だ。ただ、現地の人は違う。日本人が忘れてはならないのは、一日の最低日給が四百円程度にしかならない地域が未だに数多くあることだ。日本なら時給にもならない。そんな地域の教師も、我々の想像を絶するような安い給料で働いているのだ。

これが現実のタイなのだ。金銭の平衡感覚を失えば、ビジネスのセンスも損なわれる。そんな日本人は、日本へ戻っても役に立たないだろう。結局、タイにしがみついて働くだけかもしれない。

工場長は、田舎暮らしを志向しました。タイの人たちも、老後の生活設計をえり好みできるような、所得に余裕のある階層が育っている証拠でしょう。しかしながら、貧富の格差を是正するには、政府の社会保障制度の充実が、本来なら必要なのです。それができない時、仏教の教えによるタンブンが人々を助け合う、そんな思いやりの国がタイなのです。


そんな宗教によるセーフティーネット、互恵的な利他主義をタイでしかと見ることのできた貧乏社長なのでした。(この巻き、終わり)

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